ライトフロウズノウト 今日の1ページにようこそ♪
夏が終わろうとしている
気配が あちらこちらに見えます
天気予報の気温では大阪は向こう一週間まだ
最高気温35~36℃・最低気温27~28℃@@;
ということは熱帯夜まだ続く、ということ
ですが 家の近くの緑地のおかげか
朝夕 風はかなり涼しくなりました
今日は朝曇りの日で朝方しばらく
窓の外の景色はスモーキーグレーの靄が
かかったような色合い…もう”夏”のではなかった
けれど、お昼はまたピカピカ青空と太陽になっていた
そして夕方には見事な入道雲&誰かが空いっぱいに
白の濃淡で絵具を掃いたような雲たち と
雲も家並みもほんのり橙色に
照らしている夕日、
どうしても少し夏ばてするので
苦手なほうの夏の終わりも
この綺麗な景色を見られるのなら
わるくはないなと思っていました
けれど今年の残暑は本当に厳しい‥;
暑さ寒さも彼岸まで というけれど、それにしても、ですね
ただ、森林火災が世界中で報告されていることを
思えば普段の暮らしができることに
感謝…コロナ警戒中でも、です
暦と気候がずれている・・というのは毎年
一年のどこかで言われているように思うけれど
今年の夏もそうなのでしょうか?
立秋のあとに本格的に暑い気候に
なるのは例年のことではありますが…
天体は、地球もふくめて
宇宙の摂理、法則の中で動いていて
それに合わせて人の暦も作られている、
すると日常的な数値では表しきれない
誤差が生じてくるのはもっともなこと、
カレンダーでは閏年、閏月(←旧暦にはある、今年は
四月閏月あり)で調整されてますね。
そういえば何年か前、月日もわすれましたが
時間の微調整のため、日付が変わる0時の前後で一秒
増やしたということもあったように
記憶します
今ふと気になって 暦はどこで作られて管理されているのかなと
調べましたら
「暦の作成配布は日本に限らず、古代より統治者(朝廷や幕府)によって
取締られてきた事項であり[2]、明治に至っては神宮暦に一本化された。
暦の決定は国家が法で行うが、カレンダーは(それに従って)
自由に作ってよい、と明確に分離され自由になったのは、戦後の1946年である。」
世界の暦のことも読み(ありがとうwikipediaさん)かけたのですが
本当に広くて深い世界、想像以上の暦の数が出てきて私には
要約は無理なのでもうひとつリンクを貼り知識をお借り
したいと思います↓
さてこのページはよもやまblog‥
暑さ負け気味でパワー十分でないときに
ちょっと元気がでたことで…
小さな私的な最近の出来事 少し書いてみます
☆ へたっぴピアノにありがとう、にありがとう
時おりピアノを弾きます。本当に手遊びで
ここ一~二年は上達するための真面目な練習では
なくて、まったく弾けなくなって一からになったら
一曲止まらずに弾くのに数か月かかりそうで
「忘れないため」に弾くのですが
三日ほど前のこと、ちょうど
アゼリア英語にいくため玄関を出たところで
パラソルさして散歩途中の見知らぬご婦人に
声をかけられました
「いつもピアノを弾いているのはあなたですか?」
ピアノの音+ご近所のだれかから何か、という
場合は音のクレームが予想されて
(うるさかったのかな?へたなピアノで‥)
と一瞬心配しつつ「そうです」と答えると
「前から散歩中時おり聴いていて、どんな人が
弾いているのかしらと思っていたけれど
あなたなのね、初めてお会いできました」
と笑顔で仰るのです。
? 私のはそんなに喜んで聴かれるような
ピアノではないはず ?と思ったので
CDのことかなと思い
「CDで かけているのもありますけれど…」
と言ってみましたが そうではなかったようで、
「ありがとう、また聴かせてください」
といいつつ優しい笑顔のまま
散歩に戻っていかれました
私の練習では 指の運動的なハノンやチェルニーは
弾かないので音の粒はそろわない、細かいところでもたもたする、
難しいところの部分練習もしないので
いつも同じところで躓く
暗譜 忘れて止まる時もある など
頻繁にやらかしつつ
好きなように好きな曲を気ままに
弾いていて お隣&お向かいさん以外の
どなたかが聴いているとは
夢にも思っていませんでした
そのかたの散歩の時間と私の練習の時間の
タイミングがあっていたのですね。
それで多分、私が気楽に機嫌よく好きな曲を
弾いている加減が、そのかたが
通りすがりにちょっと聴かれるのに
良かったのかもと思います。
これが、私のピアノ演奏がもっと
見事で舞台でご披露できるような
演奏なら通りすがりで聴く人も
喜ばれるのは自然、当然なことなのですが
日常の合間のふとした少しの時間、
テクニックも何もないような私のピアノでも
だれかの音楽の歓びにはなるのだなというのは
新鮮な驚きで、お声かけいただき
私のほうこそ「ありがとう」だと後から
思っていました。
そのかたが会話中 幸せそうに見えたので
”音楽の力”ということも少し考えました。
気軽に「音」を「楽」しむときはリラックスしている
ほうがよいのだな とか 音楽を聴くスタイルは
必ずしも畏まって静止してなくてもよいのだな
(リサイタルの一期一会の真剣勝負の時に音楽に集中して
聴くことも勿論たいせつなひととき)
とか、こうして文字で書いてみると今更
な事柄でもありますが
思がけない方向からきたほんの数分の
出会いと会話のおかげで
昨今の時節柄 なんでも重ために考えるようになる
傾向で、またそれが必要な状況にあるなか
固い頭・感覚になってしまいそうだった自分に
気づくことができたのでした
ピアノの練習、私は同じ曲ばかり飽きずに弾いているのですが
よく弾くのは、映画音楽では「ロミオとジュリエット」「ムーンリヴァー」
「千と千尋の物語 ふたたび」など、
クラシックでは「ノクターン 第二番」ショパン
「フランス組曲5番」の一曲目だけ バッハ
など。
また聴かせて…の言葉に励まされて、
このところ弾けてなかったけれど また弾いて、
間があかないように練習続けようと思いました。
本当は朗読の弾き語りができると
よいのですけれど…ね、ふたつほど曲が浮かぶのも
あるのですけれど…
、
春先コロナで3か月も
アゼリアカルチャーカレッジ(池田市民会館)
休館になって時間はあったはずなのに
新しいことはできませんでした。
全曲は弾けるはずのない楽譜も2冊購入もして
好きなところ何小節かでも弾いてみたい
とも思ったけれど
それもしていなくて結局 好きな曲の
楽譜を買ってみたい口実になったようでした。
(本と同じく楽譜も好き)
この日は例えば ”今日の星占い”で
「思いがけないプレゼントがあるでしょう」
というような日だったかして、
アゼリア英語クラスの生徒さんに旅行のお土産いただいたりも
したのでした。お会いする時間の接点が、習い事・学習塾と
比べて少ないほうなので
旅行先で覚えていてくださったことが
心づくしの中身と同じくらい嬉しい
ことだったりします♪
小さな幸せのプレゼントが
いくつか組み合わさってよい一日になる
そんな一日がふとありました
八月最後の週でした