4月に入り行事・総会・活動で毎日出歩く日がつづきブログを書く
時間が取れませんでした。
1日から今日までまとめてお知らせします。
4月1日(月)
●自治研究会
倶知安町役場内で毎週10名前後の現・前・元議員、町民の方々が
集まり交代で“町”の問題を提起し、資料を用意して、活発な意見
交換を行います。町外からの参加者は私一人ですが、ニセコ町との
共通点はたくさんあり、知識・経験豊富な議員さんたちから教えて
もらうことばかりで大変勉強になります。ニセコ町の議会の日程と
重なることも多く、なかなか毎週参加できず残念に思っています。
ニセコ町の議会が普段からこうした議員同士の意見交換会をもてたら
町の発展のためにどれほど寄与できることかと考えてきました。
*3月議会定例会後の14日に時間をいただき議員全員出席の場で議員
間の勉強会を提案し、議会議員会長の主導で“勉強会”を進めていく
ことになりました。いつどのように始めるのか、議員会長からの
連絡・招集を待っています。
4月2日(火)
●蘭越町にある“ふれあいの里富岡”へ保養に来ている被災者の方々
を訪問させていただきました。福島から5家族=5人の保護者と8人の
こどもたちの計13人が4~5日間過ごされているということでした。
地元蘭越と札幌方面からたくさんのボランティアの方々が交替で
お世話をされていました。
ボランティアの考え方、あり方は多種多様・種々雑多ですが、
これを機会に改めて“ボランティア”について深く考えさせられました。
日本と欧米のボランティアの考え方にかなりの相違があるように
感じました。
1976年~1980年まで約4年間のアメリカ在住中、日常的に自然な形で
ボランティア活動に関わってきました。
帰国後も市が呼びかけたボランティア活動に登録し様々な活動に
参加してきました。
その後1989年~1994年約5年間ロンドンに在住し、そこでイギリス人の
精神力や粘り強さの根底にあるものはまさにこの“ボランティア”
精神から来ていることを体感・実感させられました。
この時期イギリス経済は低迷し長期間に及ぶ厳しい不況の中で
GNP(国民総生産)からはおよそ想像不可能な“ボランティア”
GNP(ボランティア国民総生産)の底力を目の当たりにしました。
日本の経済発展・成長とは何か、原点に戻って考えてみる必要が
あるのではないか、イギリスが教えてくれたボランティアの精神から
学ぶものがたくさんあるように思います。
4月3日(水)
●ニセコ町幼児センター入園式
3月25日に29名の幼児が卒園し、新たに47名の入園児を迎えて
全園児は139名になり、過去最高の入園児数(定員数150名)に
なりました。20分間の入園式は0歳から5歳までの元気な園児と
保護者や来賓他で会場はいっぱいになり大変にぎやかでした。
センター職員も総勢34名体制で、これまでセンターには園長と
センター長がおりましたが、新年度からセンター長は教育長が
兼務することになりました。
教育長は幼児センター長兼務ですから当日はセンター職員として、
来賓ではなく職員側に立つのが筋ではないかと思いましたが
いかがでしょうか。
4月4日(木)晴れ、少し風
●チセヌプリスキー場へ。今季初めてスキー場に出かけました。
7日開催される蘭越町主催、第31回「ニセコ連峰歩くスキー大会」に
出場するため、スキー場の感触と練習を兼ねて、現地を確かめに
出かけました。晴れ上がったスキー場からの眺めは最高でした。
久しぶりのなつかしい景色でした。
初めは誰一人いないスキー場でしたが、登り始めて間もなく途中滑り
降りてくる2人のスキーヤーと出会い、その一人と話しました。
千葉から3年前に厚田の方に移住してきた方で、当初ニセコへの移住を
考えられたようですが、仕事の関係で札幌に近い通勤可能な場所にした
とのことでした。
でも「楽しむならやっぱりニセコが最高!」とのことです。
4月5日(金)
●綺羅街道里親花壇
普段何気なく車を走らせる通り道ですが、まだまだ雪も解けないし、
と思ってふと見ると、花壇の所に黒い土が見えました。
車を寄せて花壇を見ると何とチューリップの芽がまだ10㎝にも
なるかならないほどですが、出始めていました。
昨年11月、雪の降る前にと急いで植えたチューリップの球根150球
には思い出があります。
一緒に植えるのを手伝ってくれた曽我地区に住む一人暮らしの友人は
今年1月初め、自宅の物置のそばで雪に埋もれて亡くなりました。
発見が早ければ助かっていたかもしれないと思うと、悔やまれて
なりません。まだまだお元気でいろいろ活躍できたのに残念で
たまりません。チューリップの開花が楽しみです。
と同時に友人への供花になると思っています。
●「ニセコ観光局」意見交換会。町民センター。
ニセコ町商工観光課山本契太課長から「ニセコ観光局」設立に至る
経緯から今後のニセコ観光の連携による展望について説明がありました。
ニセコ町、倶知安町、蘭越町から関係者約40人が集まり、
意見交換が活発に行われました。
4月6日(土)
●神戸の友人から“いかなごのくぎ煮”がたくさん送られてきました。
大変懐かしく、彼女が心を込めて炊き上げてくれた“いかなごのくぎ煮”
は、私も神戸にいた頃、3月、4月になると友人同士5~6人が集まって
互いに教え合いながら、何度か“いかなご”を炊いたことがあります。
この時期、道を歩いているとあちこちの家から“いかなご”の
匂いが漂ってきます。とても貴重な佃煮です。大切に頂きます。
●「フッ素」について情報・意見交換・勉強会をしました。
学習すればするほど“謎”が深まります。
私は「フッ素洗口」の安全性・有効性に疑問を抱いています。
フッ素を使用する必要性はないと思っています。
ニセコ町の平成17年と平成23年を比較すると、これまでにフッ素洗口を
していなかったにも関わらず、むし歯は確実に減少してきています。
4歳児、約2.4本から1.3本へ
5歳児、約3.8本から1.4本へ
6歳児、4.6本から2.4本へ
となって明らかに減って来ています。
個人差があり全く健康な歯の子もたくさんいますし、むし歯の多い子も
います。選択制とはいえ、一律に「フッ化物洗口」を実施する前にまず
「フッ素」について確り、時間をかけて勉強することではないでしょうか。
●【所変われば品変わる】
幼児の「むし歯」についてイギリスと日本の考え方の違いについて
私の体験を少しお話したいと思います。
息子はちょうど1歳から6歳少し前までロンドンで育ちました。
3歳の頃むし歯を見つけて、それもたくさんむし歯になっていました。
このむし歯をどうしようとすごく心配になりました。ようやく息子を
宥め賺して歯科医の所に連れて行って診てもらいました。
すると歯科医の言うことには「これは乳歯なのですべて生え変わるから
そのままにしておいても心配ない」とのことで全く治療どころか、
何もせずに返されました。唖然としたのを覚えています。
それから間もなく、日本に一時帰国した時、直ぐに歯科医に連れて
行きました。治療を嫌がって泣き叫ぶ息子から完全に引き離され、
まるで拷問?にも近い状態で縛り付けられて治療を受けましたが
それ1回だけでした。その後は歯磨きもしないのに全く歯の治療を
受けたことがありません。大丈夫か心配ですが、現在のところ
無事なようです。
実は私も今でこそ一日1回寝る前に歯磨きを確りしていますが、
若い時から歯磨きは苦手で余りしていません。
でも歯は28本みな元気です。
4月7日(日)大型台風並みの暴風雪警報
●【ニセコ連峰歩くスキー大会】 日本全国で大型台風並みの
暴風雪雨に見舞われ、交通機関の運休・欠航・通行止めが相次ぎ、
家に籠っていました。多分大会は中止されたと思います。
2年ぶりの大会参加を楽しみにしていましたが、残念です。
4日は素晴らしいお天気で開催地のチセヌプリスキー場で練習を
兼ねてスキーを楽しんだので満足しています。
4月8日(月)
●ニセコ小学校入学式に自由参加しました。
新1年生31名:女子9名、男子22名が入学しました。
教職員は校長以下22名、在学児童数198名。
●ニセコ中学校入学式に自由参加しました。
新1年生30名:女子13名、男子17名が入学しました。
教職員数18名、生徒数103名。
●「ニセコ町国際交流推進協議会総会・交流会・送別会
協議会がニセコ町主導で設立して」3年目になりました。
現在会員30名中、出席者は21名でした。
会長はニセコ町副町長がこれまで通り就任しました。
ニセコ町にはこうした官営型の会がたくさんあり、一見民営団体の
ようですが、町主導で運営されています。町民に運営するだけの
力がないことが理由のようですが、行政の関与が町民主体の
まちづくりの芽を摘んでしまう要因になってはいないでしょうか。
「ニセコ町は何年経ってもかわらない、昔のまま」といわれる
所以がここにあるのかもしれません。
ニセコ町まちづくり基本条例前文には
【まちづくりは、町民一人ひとりが自ら考え、
行動することによる「自治」が基本です。】とあります。
総会の後は交流会が行われ、中国杭州から国際交流員として
ニセコ町で2年間在職してきた、か・いつようさんの送別会が
行われました。ニセコ町のために一所懸命国際交流員として
公私ともに活躍されたかさんに感謝と共に前途を祝したいと
思います。
国際交流員の活躍は目覚ましいものがあります。
ニセコ町内外の地域のみなさんもイベントにぜひ一緒に参加して
国際交流を活発にしていきませんか。
4月9日(火)
●ニセコ高校入学式
ニセコ町の学校で卒業式・入学式共々唯一招待されている学校です。
今年の新入生は39名で男女の入学者数は18人と21人で女子が3名
多くなっています。
後志管内からはニセコ10名、倶知安11名、黒松内3名、蘭越、余市、
京極から各2名、仁木、赤井川、寿都、小樽から各1名、管外からは
札幌、白老、そして道外からは遠く静岡、神奈川、東京から各1名の
新入生を迎えました。
このうち寄宿舎の〈希望ヶ丘寮〉に入寮する生徒は9名です。
板東眞一校長から予め式辞が文書で渡され、その中で神戸市の灘校で
71歳まで教鞭をとられた橋本武先生の特異な授業の例を挙げています。
中勘助(1885~1965年)の自伝的小説「銀の匙」という本を基にして
3年間かけて読み込むものです。これは学問の基本と人生のあり方を
諭したもので、含蓄に富む内容でした。
私は初めて中勘助という名を知り、少し調べて見ました。
当時の東京帝国大学で夏目漱石の講義を受け、漱石の推薦で処女作
になる自伝的小説『銀の匙』を東京朝日新聞に連載とあります。
「中勘助」は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・
脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)
であり相当難解な文書と思われますが、ぜひ手に取って読んでみたい
と思っています。
●ニセコ町議会議員会会計監査
平成24年度議員会の監査を監事の三谷議員と私の2名で行いました
。議会事務局から歳入歳出決算報告の説明を受けました。
4月24日(水)の臨時議会の時に監査報告を私がすることに
なりました。
今回も議員の“志”について再度話し合われました。
ニセコ町の慣習として毎回懇親会その他において“長”からの
“志”は今後辞めるべきではないか話し合いました。
24年度の繰越金もたくさんあり、新年度ごとにその残金を一部残して
分配するよりはこの悪しき慣習を改め、飲み代や各自の費用負担は
各自が支払うのが当然ではないかと思います。
これも「議会改革」への“小さな大切な一歩”と考えています。
4月10日(水)
●コールブーケ(ニセコのコーラスグループ)は5月18日(土)の
ニセコ千本桜運動を盛り上げる活動の一環として昨年から始まった
「ニセコさくら合唱祭」に向け、ふさわしい選曲と練習を開始して
います。
毎週水曜日の練習日を楽しみに、会員のみなさんは10時開始より
30分早く9時半には集まってくるようです。欠席者はほとんど
おりません。
私は仕事で欠席することが多いので心苦しいのですが、
せめて本番にはみなさんにご迷惑をかけないようにと
練習に心がけたいと思っています。
●「ニセコ森と緑の会」総会
16名が出席しました。農政課職員5名、役員6名他5名は一般会員です。
年2回春と秋に活動を実施。昨年植樹会が実施されなかったのは
なぜか質問があり、植樹する場所の選定が難しいとの理由による
ようです。
ニセコ町は町所有の森林が3か所あり、合計で約200haあります。
ぜひ一度視察してみたいと思います。以前視察を希望したのですが、
容易には入森できないとの理由で見送られたように覚えています。
4月11日(木)
●ニセコ町赤十字奉仕団定期総会
町民センターで出席者28名のもとに開催されました。
ニセコ町赤十字奉仕団は平成1年5月31日に40数名の団員で
スタートし、その後100名を超える団員数を維持してきましたが、
現在は82名です。
ニセコ町から片山健也町長、保健福祉課の藤志伸さんが参加。
昨年度の特筆する活動として
・8月に余市町赤十字奉仕団(団員300人以上)47名との交流会。
・9月には「きらサロン」(軽度の認知症の方々との交流)の手伝い
・ニセコ町防災訓練(炊き出し)
などがあげられます。
役員の改選が行われ12年間務められた委員長が交代し、新たに3名が
役員に入り総勢8名体制でスタートしました。
団員間の親睦交流を活発にするためにも情報共有を徹底させ、
新たな体制で開かれた赤十字奉仕団として活動を期待しています。
●福井地区資源保全推進会平成25年度通常総会開催
福井地区コミュニティーセンターで開催。構成員32名内出席者19名。
《とんぼの未来・北の里づくり―農地・水・環境保全向上対策》は
100%国からの税金投入の事業です。
ニセコ町からは確か6団体が参加していると聞いています。
1期5年間の事業で今期は2期目になります。
「農村地域の景観・美化・地域住民との交流を通じて質的向上
を図り・・・」とあります。
活動は年数回の草刈り、ゴミ拾い、水路の管理、地域住民の交流を
行っています。
すっかり長くなってしまい申し訳ありません。
最後までお読み下さいましてありがとうございます。
誤字・脱字・文法の間違い、表現の不適切さ、問題は多々あるかと
思いますのでお気付きの点は速やかにご指摘いただければ幸いです。
時間が取れませんでした。
1日から今日までまとめてお知らせします。
4月1日(月)
●自治研究会
倶知安町役場内で毎週10名前後の現・前・元議員、町民の方々が
集まり交代で“町”の問題を提起し、資料を用意して、活発な意見
交換を行います。町外からの参加者は私一人ですが、ニセコ町との
共通点はたくさんあり、知識・経験豊富な議員さんたちから教えて
もらうことばかりで大変勉強になります。ニセコ町の議会の日程と
重なることも多く、なかなか毎週参加できず残念に思っています。
ニセコ町の議会が普段からこうした議員同士の意見交換会をもてたら
町の発展のためにどれほど寄与できることかと考えてきました。
*3月議会定例会後の14日に時間をいただき議員全員出席の場で議員
間の勉強会を提案し、議会議員会長の主導で“勉強会”を進めていく
ことになりました。いつどのように始めるのか、議員会長からの
連絡・招集を待っています。
4月2日(火)
●蘭越町にある“ふれあいの里富岡”へ保養に来ている被災者の方々
を訪問させていただきました。福島から5家族=5人の保護者と8人の
こどもたちの計13人が4~5日間過ごされているということでした。
地元蘭越と札幌方面からたくさんのボランティアの方々が交替で
お世話をされていました。
ボランティアの考え方、あり方は多種多様・種々雑多ですが、
これを機会に改めて“ボランティア”について深く考えさせられました。
日本と欧米のボランティアの考え方にかなりの相違があるように
感じました。
1976年~1980年まで約4年間のアメリカ在住中、日常的に自然な形で
ボランティア活動に関わってきました。
帰国後も市が呼びかけたボランティア活動に登録し様々な活動に
参加してきました。
その後1989年~1994年約5年間ロンドンに在住し、そこでイギリス人の
精神力や粘り強さの根底にあるものはまさにこの“ボランティア”
精神から来ていることを体感・実感させられました。
この時期イギリス経済は低迷し長期間に及ぶ厳しい不況の中で
GNP(国民総生産)からはおよそ想像不可能な“ボランティア”
GNP(ボランティア国民総生産)の底力を目の当たりにしました。
日本の経済発展・成長とは何か、原点に戻って考えてみる必要が
あるのではないか、イギリスが教えてくれたボランティアの精神から
学ぶものがたくさんあるように思います。
4月3日(水)
●ニセコ町幼児センター入園式
3月25日に29名の幼児が卒園し、新たに47名の入園児を迎えて
全園児は139名になり、過去最高の入園児数(定員数150名)に
なりました。20分間の入園式は0歳から5歳までの元気な園児と
保護者や来賓他で会場はいっぱいになり大変にぎやかでした。
センター職員も総勢34名体制で、これまでセンターには園長と
センター長がおりましたが、新年度からセンター長は教育長が
兼務することになりました。
教育長は幼児センター長兼務ですから当日はセンター職員として、
来賓ではなく職員側に立つのが筋ではないかと思いましたが
いかがでしょうか。
4月4日(木)晴れ、少し風
●チセヌプリスキー場へ。今季初めてスキー場に出かけました。
7日開催される蘭越町主催、第31回「ニセコ連峰歩くスキー大会」に
出場するため、スキー場の感触と練習を兼ねて、現地を確かめに
出かけました。晴れ上がったスキー場からの眺めは最高でした。
久しぶりのなつかしい景色でした。
初めは誰一人いないスキー場でしたが、登り始めて間もなく途中滑り
降りてくる2人のスキーヤーと出会い、その一人と話しました。
千葉から3年前に厚田の方に移住してきた方で、当初ニセコへの移住を
考えられたようですが、仕事の関係で札幌に近い通勤可能な場所にした
とのことでした。
でも「楽しむならやっぱりニセコが最高!」とのことです。
4月5日(金)
●綺羅街道里親花壇
普段何気なく車を走らせる通り道ですが、まだまだ雪も解けないし、
と思ってふと見ると、花壇の所に黒い土が見えました。
車を寄せて花壇を見ると何とチューリップの芽がまだ10㎝にも
なるかならないほどですが、出始めていました。
昨年11月、雪の降る前にと急いで植えたチューリップの球根150球
には思い出があります。
一緒に植えるのを手伝ってくれた曽我地区に住む一人暮らしの友人は
今年1月初め、自宅の物置のそばで雪に埋もれて亡くなりました。
発見が早ければ助かっていたかもしれないと思うと、悔やまれて
なりません。まだまだお元気でいろいろ活躍できたのに残念で
たまりません。チューリップの開花が楽しみです。
と同時に友人への供花になると思っています。
●「ニセコ観光局」意見交換会。町民センター。
ニセコ町商工観光課山本契太課長から「ニセコ観光局」設立に至る
経緯から今後のニセコ観光の連携による展望について説明がありました。
ニセコ町、倶知安町、蘭越町から関係者約40人が集まり、
意見交換が活発に行われました。
4月6日(土)
●神戸の友人から“いかなごのくぎ煮”がたくさん送られてきました。
大変懐かしく、彼女が心を込めて炊き上げてくれた“いかなごのくぎ煮”
は、私も神戸にいた頃、3月、4月になると友人同士5~6人が集まって
互いに教え合いながら、何度か“いかなご”を炊いたことがあります。
この時期、道を歩いているとあちこちの家から“いかなご”の
匂いが漂ってきます。とても貴重な佃煮です。大切に頂きます。
●「フッ素」について情報・意見交換・勉強会をしました。
学習すればするほど“謎”が深まります。
私は「フッ素洗口」の安全性・有効性に疑問を抱いています。
フッ素を使用する必要性はないと思っています。
ニセコ町の平成17年と平成23年を比較すると、これまでにフッ素洗口を
していなかったにも関わらず、むし歯は確実に減少してきています。
4歳児、約2.4本から1.3本へ
5歳児、約3.8本から1.4本へ
6歳児、4.6本から2.4本へ
となって明らかに減って来ています。
個人差があり全く健康な歯の子もたくさんいますし、むし歯の多い子も
います。選択制とはいえ、一律に「フッ化物洗口」を実施する前にまず
「フッ素」について確り、時間をかけて勉強することではないでしょうか。
●【所変われば品変わる】
幼児の「むし歯」についてイギリスと日本の考え方の違いについて
私の体験を少しお話したいと思います。
息子はちょうど1歳から6歳少し前までロンドンで育ちました。
3歳の頃むし歯を見つけて、それもたくさんむし歯になっていました。
このむし歯をどうしようとすごく心配になりました。ようやく息子を
宥め賺して歯科医の所に連れて行って診てもらいました。
すると歯科医の言うことには「これは乳歯なのですべて生え変わるから
そのままにしておいても心配ない」とのことで全く治療どころか、
何もせずに返されました。唖然としたのを覚えています。
それから間もなく、日本に一時帰国した時、直ぐに歯科医に連れて
行きました。治療を嫌がって泣き叫ぶ息子から完全に引き離され、
まるで拷問?にも近い状態で縛り付けられて治療を受けましたが
それ1回だけでした。その後は歯磨きもしないのに全く歯の治療を
受けたことがありません。大丈夫か心配ですが、現在のところ
無事なようです。
実は私も今でこそ一日1回寝る前に歯磨きを確りしていますが、
若い時から歯磨きは苦手で余りしていません。
でも歯は28本みな元気です。
4月7日(日)大型台風並みの暴風雪警報
●【ニセコ連峰歩くスキー大会】 日本全国で大型台風並みの
暴風雪雨に見舞われ、交通機関の運休・欠航・通行止めが相次ぎ、
家に籠っていました。多分大会は中止されたと思います。
2年ぶりの大会参加を楽しみにしていましたが、残念です。
4日は素晴らしいお天気で開催地のチセヌプリスキー場で練習を
兼ねてスキーを楽しんだので満足しています。
4月8日(月)
●ニセコ小学校入学式に自由参加しました。
新1年生31名:女子9名、男子22名が入学しました。
教職員は校長以下22名、在学児童数198名。
●ニセコ中学校入学式に自由参加しました。
新1年生30名:女子13名、男子17名が入学しました。
教職員数18名、生徒数103名。
●「ニセコ町国際交流推進協議会総会・交流会・送別会
協議会がニセコ町主導で設立して」3年目になりました。
現在会員30名中、出席者は21名でした。
会長はニセコ町副町長がこれまで通り就任しました。
ニセコ町にはこうした官営型の会がたくさんあり、一見民営団体の
ようですが、町主導で運営されています。町民に運営するだけの
力がないことが理由のようですが、行政の関与が町民主体の
まちづくりの芽を摘んでしまう要因になってはいないでしょうか。
「ニセコ町は何年経ってもかわらない、昔のまま」といわれる
所以がここにあるのかもしれません。
ニセコ町まちづくり基本条例前文には
【まちづくりは、町民一人ひとりが自ら考え、
行動することによる「自治」が基本です。】とあります。
総会の後は交流会が行われ、中国杭州から国際交流員として
ニセコ町で2年間在職してきた、か・いつようさんの送別会が
行われました。ニセコ町のために一所懸命国際交流員として
公私ともに活躍されたかさんに感謝と共に前途を祝したいと
思います。
国際交流員の活躍は目覚ましいものがあります。
ニセコ町内外の地域のみなさんもイベントにぜひ一緒に参加して
国際交流を活発にしていきませんか。
4月9日(火)
●ニセコ高校入学式
ニセコ町の学校で卒業式・入学式共々唯一招待されている学校です。
今年の新入生は39名で男女の入学者数は18人と21人で女子が3名
多くなっています。
後志管内からはニセコ10名、倶知安11名、黒松内3名、蘭越、余市、
京極から各2名、仁木、赤井川、寿都、小樽から各1名、管外からは
札幌、白老、そして道外からは遠く静岡、神奈川、東京から各1名の
新入生を迎えました。
このうち寄宿舎の〈希望ヶ丘寮〉に入寮する生徒は9名です。
板東眞一校長から予め式辞が文書で渡され、その中で神戸市の灘校で
71歳まで教鞭をとられた橋本武先生の特異な授業の例を挙げています。
中勘助(1885~1965年)の自伝的小説「銀の匙」という本を基にして
3年間かけて読み込むものです。これは学問の基本と人生のあり方を
諭したもので、含蓄に富む内容でした。
私は初めて中勘助という名を知り、少し調べて見ました。
当時の東京帝国大学で夏目漱石の講義を受け、漱石の推薦で処女作
になる自伝的小説『銀の匙』を東京朝日新聞に連載とあります。
「中勘助」は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・
脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)
であり相当難解な文書と思われますが、ぜひ手に取って読んでみたい
と思っています。
●ニセコ町議会議員会会計監査
平成24年度議員会の監査を監事の三谷議員と私の2名で行いました
。議会事務局から歳入歳出決算報告の説明を受けました。
4月24日(水)の臨時議会の時に監査報告を私がすることに
なりました。
今回も議員の“志”について再度話し合われました。
ニセコ町の慣習として毎回懇親会その他において“長”からの
“志”は今後辞めるべきではないか話し合いました。
24年度の繰越金もたくさんあり、新年度ごとにその残金を一部残して
分配するよりはこの悪しき慣習を改め、飲み代や各自の費用負担は
各自が支払うのが当然ではないかと思います。
これも「議会改革」への“小さな大切な一歩”と考えています。
4月10日(水)
●コールブーケ(ニセコのコーラスグループ)は5月18日(土)の
ニセコ千本桜運動を盛り上げる活動の一環として昨年から始まった
「ニセコさくら合唱祭」に向け、ふさわしい選曲と練習を開始して
います。
毎週水曜日の練習日を楽しみに、会員のみなさんは10時開始より
30分早く9時半には集まってくるようです。欠席者はほとんど
おりません。
私は仕事で欠席することが多いので心苦しいのですが、
せめて本番にはみなさんにご迷惑をかけないようにと
練習に心がけたいと思っています。
●「ニセコ森と緑の会」総会
16名が出席しました。農政課職員5名、役員6名他5名は一般会員です。
年2回春と秋に活動を実施。昨年植樹会が実施されなかったのは
なぜか質問があり、植樹する場所の選定が難しいとの理由による
ようです。
ニセコ町は町所有の森林が3か所あり、合計で約200haあります。
ぜひ一度視察してみたいと思います。以前視察を希望したのですが、
容易には入森できないとの理由で見送られたように覚えています。
4月11日(木)
●ニセコ町赤十字奉仕団定期総会
町民センターで出席者28名のもとに開催されました。
ニセコ町赤十字奉仕団は平成1年5月31日に40数名の団員で
スタートし、その後100名を超える団員数を維持してきましたが、
現在は82名です。
ニセコ町から片山健也町長、保健福祉課の藤志伸さんが参加。
昨年度の特筆する活動として
・8月に余市町赤十字奉仕団(団員300人以上)47名との交流会。
・9月には「きらサロン」(軽度の認知症の方々との交流)の手伝い
・ニセコ町防災訓練(炊き出し)
などがあげられます。
役員の改選が行われ12年間務められた委員長が交代し、新たに3名が
役員に入り総勢8名体制でスタートしました。
団員間の親睦交流を活発にするためにも情報共有を徹底させ、
新たな体制で開かれた赤十字奉仕団として活動を期待しています。
●福井地区資源保全推進会平成25年度通常総会開催
福井地区コミュニティーセンターで開催。構成員32名内出席者19名。
《とんぼの未来・北の里づくり―農地・水・環境保全向上対策》は
100%国からの税金投入の事業です。
ニセコ町からは確か6団体が参加していると聞いています。
1期5年間の事業で今期は2期目になります。
「農村地域の景観・美化・地域住民との交流を通じて質的向上
を図り・・・」とあります。
活動は年数回の草刈り、ゴミ拾い、水路の管理、地域住民の交流を
行っています。
すっかり長くなってしまい申し訳ありません。
最後までお読み下さいましてありがとうございます。
誤字・脱字・文法の間違い、表現の不適切さ、問題は多々あるかと
思いますのでお気付きの点は速やかにご指摘いただければ幸いです。