「第62回箱館歴史散歩の会」(主宰・中尾仁彦氏)に参加してきた。
今日のテーマは「西部地区の再生「蔵」巡り」だった。
函館西部地区には多くの土蔵や石造り蔵が多く残っている。大火が相次いだ函館には必須の建造物だった。多くは老朽化している中で、資料館、喫茶店、レストラン、ギャラリー、店舗などに改造・利用されている姿を訪ねて歩いた。
「喫茶店・茶房ひし伊」~旧入村質店の建物を改造。
左から喫茶店(石造り・大正10年)アンティークショップ(土蔵造り・明治38年)、母屋(全国でもかなり早い鉄筋コンクリート・明治38年・)
3回の大火すべてに焼け残ったのは、函館でもここの3棟だけとのこと。中に火が入らないように用心土で全ての隙間を塞ぐ工夫がされたことによるらしい。
「BAR hanabi」~隣の明治12年創業の国松酒店の蔵(石造りに漆喰を塗ってある)
「欧風料理 紫ぜん」~明治後期に建てられた当時の海産商の土造蔵時のを改造
「高田屋嘉兵衛資料館」~昔の海産商田中商店の蔵を改造。
左が明治36年の石造り、右が大正10年のコンクリート造り。
「市立函館博物館郷土資料館」~旧金森洋物店を改造。
見世蔵(店蔵)という商家建築様式で、明治13年の煉瓦造り・漆喰塗り
「函館元町ホテル」~海産商・桂久蔵の大正元年築の土蔵(左)を改造して、現在は客室(和室)として利用。この場所は、明治10年の大火前までは、称名寺に本堂が建っていたところで、箱館戦争当時は新撰組屯所でもあった。
「gllery・cafe三日月」~旧富田質店の母屋と蔵を改造。明治30年築。
「蕎麦蔵」~海産商の母屋と蔵を改造。明治22年築。母屋は和洋折衷の作りになっている。
「旧相馬邸の資料展示室」~明治43年築の旧相馬邸付属土蔵。
現在は壁をトタンで覆っているが、来年までには当時の姿に修復する予定とのこと。
「茶房 無垢里」~土蔵は甘味処として営業
今日のテーマは「西部地区の再生「蔵」巡り」だった。
函館西部地区には多くの土蔵や石造り蔵が多く残っている。大火が相次いだ函館には必須の建造物だった。多くは老朽化している中で、資料館、喫茶店、レストラン、ギャラリー、店舗などに改造・利用されている姿を訪ねて歩いた。
「喫茶店・茶房ひし伊」~旧入村質店の建物を改造。
左から喫茶店(石造り・大正10年)アンティークショップ(土蔵造り・明治38年)、母屋(全国でもかなり早い鉄筋コンクリート・明治38年・)
3回の大火すべてに焼け残ったのは、函館でもここの3棟だけとのこと。中に火が入らないように用心土で全ての隙間を塞ぐ工夫がされたことによるらしい。
「BAR hanabi」~隣の明治12年創業の国松酒店の蔵(石造りに漆喰を塗ってある)
「欧風料理 紫ぜん」~明治後期に建てられた当時の海産商の土造蔵時のを改造
「高田屋嘉兵衛資料館」~昔の海産商田中商店の蔵を改造。
左が明治36年の石造り、右が大正10年のコンクリート造り。
「市立函館博物館郷土資料館」~旧金森洋物店を改造。
見世蔵(店蔵)という商家建築様式で、明治13年の煉瓦造り・漆喰塗り
「函館元町ホテル」~海産商・桂久蔵の大正元年築の土蔵(左)を改造して、現在は客室(和室)として利用。この場所は、明治10年の大火前までは、称名寺に本堂が建っていたところで、箱館戦争当時は新撰組屯所でもあった。
「gllery・cafe三日月」~旧富田質店の母屋と蔵を改造。明治30年築。
「蕎麦蔵」~海産商の母屋と蔵を改造。明治22年築。母屋は和洋折衷の作りになっている。
「旧相馬邸の資料展示室」~明治43年築の旧相馬邸付属土蔵。
現在は壁をトタンで覆っているが、来年までには当時の姿に修復する予定とのこと。
「茶房 無垢里」~土蔵は甘味処として営業