癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

東京下町散策・その2・葛飾柴又

2019年12月08日 | 登山・旅行


 映画「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅さんの出身地として、有名な葛飾柴又は、柴又帝釈天の門前町として栄えた所である。
 柴又駅を降りると、寅さんの像が迎えてくれる。


 駅前からすぐに、タイムスリップしたような帝釈天参道が続く。


 駅前からすぐに始まる参拝道の両側には、いかにも老舗といった感じの土産店が軒を並べる。
 美味しそうなものも多く、のんびり食べ歩きをしたくなるが、時間もないのでぐっと我慢をして進む。


 柴又名物草だんごが有名で何軒もあるが、その中でも代表的な亀家本鋪


 明治29年築の非常に立派な山門


 「柴又帝釈天」~帝釈天 題経寺の正式名称は経栄山 題経寺である。
 題経寺の歴史は江戸時代初期の寛永6年(1629年)まで遡る。
 旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。なお、「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指すが、地元では、題経寺の略称として用られることも多い。


 帝釈天の横の道を進み堤防を越えると「矢切の渡し」
 「矢切の渡し」は、江戸時代初期、地元民専用に耕作や対岸の農地への移動手段として使われるとともに、日用品購入、寺社参拝などの目的のために、徳川幕府が設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつであり、「金町・松戸の渡し」と呼ばれていた。
 有名になったのは、伊藤左千夫の「野菊の墓」に登場してからである。
 さらに、細川たかしの「矢切の渡し」の大ヒットで観光地として有名になった。
 都内に唯一残る貴重な渡し場だそうだが、営業してはいなかった。


 堤防を進み、下へ降りると「山本亭」
 趣ある書院造に西洋建築を取り入れた、和洋折衷の大正建築、


 公開されている部屋から眺める日本庭園。


 その隣にある「寅さん記念館 山田洋次ミュージアム」
 映画『男はつらいよ』の世界にくまなく触れることができる。実際に使用されていたセットや小道具など、貴重な資料の数々を陳列し、懐かしさいっぱいの記念館である。











 「山田洋次ミュージアム」



 『男はつらいよ』以外の山田洋次監督の作品にも触れることができる。

 
 駅横の「おりつ地蔵尊」と昭和情緒溢れる狭い小路のような商店街。
 「おりつ地蔵尊」~昔、生活の苦しい家族があり『おりつ』という少女が父の虐待により命を落とした…。
 この少女を供養するために有志一同によって建てられたお地蔵さんとのこと。最近多くなった親による虐待死が身につまされる。

 このあと、電車を乗り継いで品川のホテルへ。