癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道2日目・②西宮宿~③兵庫宿~塩屋駅<33km>(8時間30分)

2020年11月16日 | 登山・旅行

 今日も良い天気に恵まれて、快調に歩くことができた。しかし、都会の歩きで信号待ちや陸橋越えなどが多く、時間の割に距離を稼げなかった。予定は垂水駅まで歩いて、電車でホテルを予約しておいた明石駅まで移動の予定だったが、3kmほど手前の塩屋駅で電車に乗った。

 今日の兵庫宿に高田屋嘉兵衛のゆかりの史跡があるというので、楽しみに歩いた。

2西宮宿~兵庫宿

 6:30、ホテルを出る。ホテルから西宮神社までの辺りが、西宮宿の中心地だったようである。西宮宿は西宮神社を中心に栄えた所で、東の鳥居手前に本陣があったようだ。

 西宮神社の東門の前の国道を歩き、まもなく旧道へと入っていく。

 やがて、芦屋市に入っていく。右手に、日本三百名山巡りで芦屋から有馬温泉まで縦走した六甲山の山並みが見える。このあとも、常に右手に六甲山を見ながらの歩きとなる。

不気味な感じの「花松くび地蔵」~大正6年に造られたもので、首から上の病気に霊験あらたかだという

 住吉だんじりで有名な住吉神社

 「徳川道起点」と書かれた案内板がある。幕末、兵庫港開港するにあたって、外国人と西国街道を通る諸大名や武士との衝突を避けるための迂回路として造られた。ここを起点として、杣谷峠、長坂などを通って、明石大蔵谷までの8里27町9間(約34km)あった。

 西国街道や旧西国街道の標識が多い。山陽道は古代からの名称で、西国街道と呼ばれるようになったのは、江戸時代からだそうだ。

 

三宮~3兵庫宿

  10:30、三宮へ入っていく。三宮あじさい通り商店街の中を通る。

 そこを抜けると、三宮駅前を通る。すごい人の流れである。神戸市随一の繁華街とのこと。

 生田通りの赤い鳥居。下は三宮神社。

 三宮神社は「神戸事件発生の地」である。神戸港開港当時、この付近で、西宮警備を下命された備前藩士の行列の前を横切った外国人を、藩士が無礼討ちにしたのが発端で、神戸の街が、一時外国人に占拠される「神戸事件」が起こり大きな国際問題となった。結局、藩士の「瀧善三郎正信」を責任者として、切腹させることによりその解決を図り、同人は従容として割腹し事件は解決したという。

 まもなく、アーケードで覆われた神戸市随一の「元町商店街」へと入っていく。抜けるのに23分も掛かったので、2km弱はあったろう。

 元町商店街を抜けたら、大きな「兵庫県里程元標」が立っている。

 まもなく、神戸駅前を通過。県庁所在地の駅でありながら、神戸の中心を三宮に取られたせいか、駅前は地味。しかし歴史を感じさせるシックな造りでなかなか感じがいい。近代化遺産の指定を受けいるとか。中にも入ってみたが、太い柱が印象的である。

 神戸駅前を越えたら、西宮からそこまでの現代的な繁華街ぶりが嘘のような静けさになる。

 昼を過ぎていたので、ここまでの行程のあちこちで目につき、どこも混んでいた「大衆中華料理 一貫楼」という店へ入った。リーズナブルなメニューが人気のようだ。日替り定食のメンチカツとハム、ワンタンスープを食べた。この店も満席だった

 やがて、兵庫宿の中心部へと入っていく。

 みなと八幡神社の前に「西國街道 兵庫 湊口惣門跡」の石標と説明板がある。西国街道に設けた兵庫出入口の惣門である。西国街道はこの先、今の兵庫本町を進み南仲町で右折し、柳原口にあった柳原惣門を出て、斜めに今の長田交叉点に出て、須磨に向かったと書かれている。

 ここから、街道から少し外れて、函館市の礎を築いた高田屋嘉兵衛ゆかりの地を3箇所巡った。西出や東出地区は、嘉兵衛が本店を開き、地域に貢献した場所である。

 東出町の一角に「高田屋嘉兵衛 本店の地」の石碑と説明板が設置されている。説明板には「淡路島からここに移住し、1822年に引退するまで、ここに本店を開いていた」と書かれていた。

 しかし、「確か函館にも本店はあったはず」と思っていたところ、箱館人さんから「実は、1822年から本店は函館に移され、兵庫は支店となります。蝦夷地や択捉の漁場の産物を函館にほとんど集荷することで、高田屋商会の「富の源泉」の比重がより函館に高まったためです。」という、コメントをいただいて納得。

 1822年という年号はあってあるので、引退ではなく、函館に本店を移したというところが正解か?

 本店跡の道路を挟んだ向かいの竹尾稲荷神社には、「高田屋嘉兵衛顕彰碑」が立ち、その功績の説明板が掲げられてある。

 さらに、すぐ近くの鎮守稲荷神社には、嘉兵衛が海上安全を願って寄進した常夜灯も残っている。

 これらを目にして、大満足で、再び、街道に戻る。

 「札場の辻」~ここに高札場があり、兵庫宿の中心地だった。

 蛭子神社の角は、柳原惣門のあった所で、兵庫宿の西の出入り口にあたる。

兵庫宿~塩屋駅

 兵庫宿を抜けたら、きょうのゴールの塩屋駅までの2時間ほどは、ひたすら広い国道歩きが続いた。

 須磨浦公園に建つ「源平史跡 合戦の濵」の石碑~

 須磨浦公園の西端に建っている「敦盛塚」~総高4m近い大きなもので、中世の五輪塔としては石清水八幡宮五輪塔に次ぎ、全国で2番目の大きさを誇る。室町末期から桃山にかけての作になる。平敦盛の供養塔という伝承から敦盛塚といわれている。

今回の歩き旅で初めて海を目にする。瀬戸内海である。

 15:00、トイレにも行きたかったので、予定の垂水駅の3km手前だったが、この塩屋駅をゴールとして、明石駅へ移動した。

 明石駅近くのグリーンヒルホテル明石に到着。立派な佇まいに場違いな感じを受ける。三ツ星ホテルだそうだ。

 それでも、GoTo割引で4388円で、1000円の地域クーポン券も付いてきた。

 部屋もダブルで、広々していて、バスタブも我が家の風呂より大きくて、足を伸ばして、ゆっくり疲れを抜いた。

 夕食はいつも地域クーポン券で助かっている。いつもの歩き旅より贅沢ができる。今夜は、大阪で食べられなかった串カツ。タレに浸けるタイプではなく、ソースを掛けて食べることが残念だった。

 今日の歩数計 51000歩

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