一前夜の夜行バスではあまり眠られなかったこともあり、昨夜は13時間以上も爆睡した。緊張感がなくなったせいか、全身に疲労感が残っている。
そんな中、改めて、この23日間のブログを読み返してみた。
<まずは、お詫びを>
読み返してみて、一番先に感じたのは、スマホでの変換間違いの多さである。実は、今のスマホは2ヶ月前に新調(中古)したものだが、打っている最中にどんどん予測変換候補が出てくる・・・しかも、拡大することのできない非常に小さな文字で・・・それを選択する際に、押し間違いをしていることが多くの原因である。
毎日、お付き合いいただいていた方に、この場を借りてお詫びを申し上げたい・・・「広い心で看過いただき、ありがとうございました」
◎総括的なこと
さて、今回の歩き旅の一番の目的は、「五街道を踏破した足で旧山陽道も歩き、旧街道歩きで本州縦断(三厩~下関)を成し遂げたい」ことであった。距離は長いが、函館からの移動距離が長くなるので、四国遍路同様に分割せずに、一気歩きの計画を組んだ。
結果、これまでの経験をもとにして計画を組んだが、計画段階での距離計算の間違いや、日が短く、スタート時刻が遅いこともあり、計画より2日遅れのゴールとなった。
しかし、今回の旅は実に天候に恵まれた旅だった・・・23日間で雨に降られたのはわずか1日・・・それも、時々折り畳み傘を差したり、畳んだりで済むような弱い雨だった。雨具を一度も着ることはなかった。雨が降ればメモを取るのが大変なので、本当に助かった。
23日間の歩き旅は、四国遍路以来の長期間の歩き旅である。しかし、非日常的な毎日の中で、発見と感動の連続の繰り返しは、あっという間に、1日が過ぎ、23日間が長いと思うことはなかった。
なお、今回の旅はガイドブックがないので、ルートマップと内容は、『街道歩き旅・com』の「京街道歩き旅」と「山陽(中国)街道を歩いてみました」に全面的にお世話になり、非常に助けられた。あとで、お礼のメールを出しておこうと思っている。
以下、項目ごとに記述してみたい。
◎新型コロナ感染急増中の旅だったことについて
スタートするころから、第三波が急カーブを描き始めていた。しかし、GoToトラベルキャンペーンも行われていたし、特に歩き旅は1ヶ所に長くとどまることもなく常に外を移動している。3密を避けて、自己防衛に努めれば、それほど感染リスクが高くないだろうと決断した。
実際、立ち寄るコンビニや飲食店、泊まるホテルなどは、非常に感染予防対策が徹底されていたし、宿までの移動手段の電車や列車でも、3密になるような状態はなかった。繁華街や通学・通勤時間やコンビニ・飲食店などでは、常にマスクをしたが、そうでないところでは外して歩くことが多かった。手洗いや除菌シートでの手拭きなども徹底した。
神経をすり減らして現場対応をされている医療関係者や感染患者には申し訳ないが、何よりうれしかったのは、宿のGoToキャンペーン割引だった。じゃらんを通して予約すれば、35%割引の上に、地域クーポン券(1000円)が付いてくることだった。常に安い宿ばかり選んだ上でのそのキャンペーンは非常に助かった。お陰で、これまでの歩き旅で最も安上がりだったし、食事代も助かった。
◎京街道(京都~大阪)の印象について
「山陽道」は通常、西宮~下関間の51次をいう。これまでの東海道と繋ぐためには、京都追分~大坂の「京街道」か、京都~西宮の大坂を通らない「西国街道」のどちらかを歩かなければならなかった。
結局、東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられ、「東海道57次」と呼ばれることもある「京街道」を歩くことにして、大阪から山陽道を繋いだ。
京街道は、長い間都が置かれた京都と天下の台所と呼ばれた大阪を結ぶ街道であり、現在でも大都市と大都市を結ぶ街中ウォークである。あまり期待していなかったが、それでも、「東海道57次」と呼ばれる、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿は、元宿場町の面影を色濃く残していたし、それを売りにした観光にも力を入れていた。
◎山陽道の印象について
旧山陽道は、古代七道の中では、最古の街道である。江戸時代は、江戸幕府直轄の道中としての管轄にはなかったが、九州から都のある京都までの人だけの往来ではなく、大陸文化流入の道でもあった。
それだけに、五街道に比べて、古代からの古い歴史が色濃く残っている感じがした。すでに、旧宿場の面影を残しているところは少なかったが、板倉宿・矢掛宿・呼坂宿・宮内宿などは、古い街並みを残し、観光にも力を入れていた。
さらに、意外だったのは、五街道より、国道や県道に吸収されない旧道が非常に多く残っていたことである。それだけ歴史の古い街道ということもあろうが、昔の道幅のままの集落や街並みが多く残っていた。また、昔のままの峠越え道が、地元の人の努力により、多く残っていたこともうれしかった。それだけに、出発する前にはあまり期待していなかった、旧街道歩き旅を十分満喫できる旅でもあった。
◎歩く距離と時間
自分の歩き旅は夏山と冬山の端境期の11月と4月が多い。特に今回は11月中旬~12月上旬になったこともあり、夜明けが遅く、スタート時刻が春よりは2時間ほども遅くなる。ブログアップ作業時間の確保もあり、遅くとも15時30分までにはゴールできるように計画を組んで歩いた。
なお、計画の距離と実際に歩いた距離(毎日GPSで計測)は、いろいろ立ち寄ったり、間違って戻ったり、遠回りをしたりで、常に1~2割は多くなる。
初めの内は、6:30前にスタートできたが、後半は7:00ごろになった。今回は宿を都市部の駅前に取ったこともあり、15:00か30kmをめどにゴールとして、列車で移動するようにして、臨機応変に対応した。しかし、街道と鉄道が離れているところも多く、上手く行かないところもあった。
春の日の長いときは、40kmも歩くことは可能なのだが、それだけに、疲れが少なく済んだこともある・・・しかし、加齢とともに知らず知らずに進んでいる体力低下にはちょうど良かったのかもしれない。
◎費用と宿の確保について
これまでも宿代と食事代で1日6000円をめどにしてきた。しかし、今回はじゃらんで予約すると、GoTo割引で宿代が35%割引の上に1000円の地域クーポン券が付いた。そのお陰で、かなり安上がりの旅となった。周南市のホテルでは、宿代が3445円になり、地域クーポン券1000円のほかに周南市クーポン券2000円が付いて、実質445円で泊まったなどというところもあった。
ほかに、GoToではないが、2食付き(それも十分な内容)で3500円という宿や、市独自の宿泊事業者支援プランで1泊1000円という宿もあった。
宿は、GoTo割引の関係でじゃらんを通して、ネットで探して、前日か前々日に申し込むことが多かった。それでも、今回の場合は、混んでいて確保に困ることはなかった。ただ、じゃらんが対応している宿は都市部に多いので、電車で移動することは多かった。
◎食事について
いつものことだが、夕食はブログアップを終えてから摂ることが多い。したがって、朝は腹が減っていないので、朝食は食べたり、食べなかったりで、コンビニがあれば、サンドイッチ、おにぎり、カップ麺などで済ますことが多かった。最近のホテルは無料の朝食サービスが付いているところが多い。最後の2日間以外は、スタート時間の関係で食べることはなかった。
昼食は、できれば、午後からの行程やゴールを確認するためにも、腰を下ろして休みたかった。しかし、旧街道沿いには店はほとんどない。タイミング良く、国道に近いところや国道歩きの時に店が見つかれば食べるようにした。タイミング良く店がないときは、遅い時間でもコンビニで何かを買って食べるようにした。
夕食は、いつもなら安い缶ビールも含めて1000円程度で済ませたが、今回は地域クーポン券のお陰で、いつもの旅より贅沢ができ、生ビールも多く飲んだ。しかし、地域クーポン券が利用できる店は限られている。探すのが面倒なので、コンビニ(どの店も利用可能)で、多少贅沢な買い出しをして済ますことも多かった。
外食は野菜不足になりがちなので、努めて野菜の多い献立を選ぶようにした。スーパーがあれば1個売りしているリンゴかカキを買って食べることもあった。みかんも食べたいいがバラ売りしていないので買いづらかった。コンビニで夕食の買い出しをするときには、いつも「ごろっと果物ミックスゼリー」を買った。
◎ブログアップについて
これがなければ、どんなにか楽な旅になるだろう・・・と思いながら、疲れた体に鞭打って頑張っている。しかし、登山も歩き旅もその日のうちに「登っては書く、歩いては書く」は、これまで貫いてきたポリシーである。ブログを書いて、その日の旅が終わる・・・このような連日の旅は、その日のうちに記録しなければ、忘れてしまう・・・当日でさえ、写真を見て、「あれ、これはどこを写した写真だろう?」と思い出せないこともある。今回は、写す度にメモをするようにした。
興味の湧いたものはどうしてもカメラに収めてしまう。それが多いと、取捨選択とキャプション書きが大変である。特に取捨選択に時間を要するのがもったいないので、今回はコラージュというアプリで、2~4枚の組み合わせを多く使った。
それでも、19時半を過ぎると、目が疲れてしょぼしょぼしてくる。途中のダイソーで眼鏡タイプの拡大鏡を買ったが、それでも同じである。20時までが限界だった。2日間だけだが、途中でギブアップして、寝て夜中や早朝に完成させたこともある。
それから、夕食を食べながら寝酒のビールを飲む・・・そして寝る・・・の繰り返しである。だから、TVを視ることもなく、世間から疎い生活を繰り返す。それでも歩き旅は楽しい。
なお、今までのスマホは画像の質が悪かったので、コンデジで撮ったものをFiashAirでスマホに取り込んでいた。しかし、今度のスマホは画質が良くなったので、撮影はすべてスマホにした。昨日帰宅してPCの大きな画面で見ても、十分満足できる画質だった。
◎今後の歩き旅について
毎日の新しい発見と感動との出会いが続く非日常的な歩き旅は、本当に楽しい。資金が無限にあるのなら、年から年中歩いていたいと思う。これまでに歩いて来た五街道や今回の山陽道の旧街道、四国遍路や熊野古道のような歴史の道以外にも、それらと地方を結ぶ旧街道はたくさんある。
今後は、宿代の不要な車中泊を利用した歩き旅の工夫をしてみたい。とりあえず来年は、今年新型コロナの影響で止めた「みちのく潮風トレイル」を歩いてみて、それが、車中泊利用でうまくできたら、他の旧街道歩きにも応用してみたいものである。
◎その他
実は、ずっと触れることはなかったが、最後の10日間は、左足の小指と薬指と中指の間に、今までの歩き旅では経験したことのない痛みと靴擦れ状態の軽い出血の症状が続いた。いつもの5本指の靴下を履いていたのにである・・・毎日風呂から上がっては、化膿止めにマキロンで消毒して、Ⅼ版のカットバンを巻いて対応し、普通の靴下を買って履いた。我慢できないほどの痛みではなかったので、付き合いながら歩き続けた。
昨日はほとんど歩かなかったので、痛みや軽い出血や汁は止まって乾いたが、指股の上が赤くなり痛痒さが残っている・・・症状や見た目の感じから、原因として考えられるのは水虫でないかと思われる。明日、皮膚科で診てもらおうと思っている。
明日は、親サイト「一人歩きの北海道山紀行」の方からも、まとめて見られるようにページを作る予定である。
総括で最もショックだったのは、sakagさんが拙の先を行っていたことです。
FlashAirは拙もコンデジに装備したのですが原因不明でPCに認識されないままでした。
それがsakagさんは既にスマホへの転送で実行していたとはっ!
確かにアップされた画像は質的に十分でしたね。
「山陽道」の印象、仰られるように他の街道とは色合いが違って、より踏み込んで「旧い」ものが残されている、そんな古代から中世の色彩を感じました。
物流は海の道が主流だったでしょうから、それとバランスしながら生き残ってきた街道という雰囲気でしょうか。
あと、今だから言えますけど、コロナ拡大の影響でGo to どころではなくなり、あまりの移動制限にギブアップして中途帰還というケースを想定しておりましたねー(笑)。
幸か不幸か、政府の動きが鈍いことと、いつもの強運で比較的に感染拡大が緩いエリアを通りましたので、まぁハッピーエンドでございます。
FlashAirは、私のパソコンにも繋がりません。あれは、スゴス専用のものなのでは?
山陽道は、赤ワインさんが仰る通り、古い歴史が残っていることは意外で、物凄く得をした感じが強いです。
私も、途中帰還を覚悟していましたが、何とか最後まで歩き通せました。これも強運なのですね~。
更新するという意味では、総括をすることによって、記憶と記録を残し次に
繋がる未来があると思っています。
sakagさんの総括を見て、素晴らしいと感動しました・・。続け!とも思いました。
その日の内にアップする大切さは私も痛感していますが、なにせ呑んべぃ・・
ダメですね。ほとんどその日にアップ出来ずに翌日以降になっています・・。
次なる挑戦もすでに計画があるなんて・・・凄過ぎです!
記録と記憶を残す・・・なんでもそうでしょうが、計画を実行した段階では、次への展望も含めて大切なことですよね。
エバさんの、毎度の山の詳細な記録も、同じことを感じています。
その日のうちのブログアップは、特に、連日の行動の場合は、どうしてもその日のうちにしないと、溜まったら大変になるので、飲みたいのを我慢して頑張っています。