先日はお忙しい中、誠にありがとうございました。
また、過分なお心遣いをいただき、恐縮いたしております。
お陰をもちまして無事、初七日忌を済ませることができました。
葬儀当日や自宅では、何分にも取り込んでおりまして、不行き届きも多々ございましたこと、お詫び申し上げます。
自宅にもたくさんのお花をいただき、お花が大好きな夫はお花畑にいるようで、本人もたいへん喜んでいることと思います。
そして、ブログにはたくさんのコメントをいただき、ありがとうございました。
また、私のことまでお気遣いいただいてありがとうございます。
お一人づつにコメントのお返事ができなくて申し訳ございません。
すべて、じっくり読ませていただいてます。
私は大丈夫です。
意外と落ち着いております。
いなくなった事、頭では理解できても、心が受け付けないので、全く実感がないのです。
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ブログのコメント数を見て、夫は「見ろ!こんなにコメント入ってるどー」と嬉しそうな顔をして私に報告してくる姿が目に浮かびます。
写真は「もっと明るくしろ!とか、後ろのカーテン外して撮りなおしてくれ!」と夫から注文が入りそうですが・・・・(笑)
まずは、初七日忌を無事に終えられたことのご報告でした。
ありがとうございました。
香奈子
いろいろなお心遣い ありがとうございました。
お陰様で再会することができました。
こんな状況ではありますが、みんな坂口さんの思いを語っていると会場を去りがたい気持ちが前に出てただただ店に長居をすることになりました。
一日も早くみんなとおもいっきり想い出を語り合う日が来ることを待ち望みます。
突然の訃報にただ驚いております。
2019年に四国巡礼のコースを考えていた時、坂口さんのブログに出会いました。私も2度目ということもあり、坂口さんと同じルートで歩いてみようと考え、何度も日記を読ませていただきました。
別格20寺と88寺、本当に長い旅でしたが、無事に歩けたことは、ひとえに坂口さんからいただいた教えの御蔭と感謝の気持ちで一杯です。
いつか北海道の山をご一緒したいとメールさせていただいたところ、「いつでも行きましょう」とすぐに返信頂いたことを思い出します。
本当にありがとうございました。
宝塚市 池田
謹んでお悔み申し上げます。信じられない訃報にコメント今まで書けませんでした。毎日パソコンに向かって今日こそと思いつつ今頃になってしまいました。もうすぐお誕生日が来ますね。77歳、私と何日も違わない誕生日、いつもブログを拝見しながら、毎年仲睦まじいお誕生会、今年はどんなに寂しいことでしょう。
遺影の笑顔がとても良いですね。でもまともに見られませんでした。2016年5月29日に軽井沢にて愚息と私で坂口さんの旅の途中でお会いした時の写真ですね。私が後に坂口さんに写真を送信したところ、坂口さんから遺影にすると冗談めいた返信がありました。その時は笑って返信を読んだ記憶があります。これまで数多くの写真を撮った中であの写真を使ってくれたことに嬉しくもありましたが、とても悲しくてお悔みの言葉が素直に書けませんでした。今でもどこかを旅しているような気がしてなりません。そしてまた楽しい話題をブログで拝見できる日が来るのではなどと勝手に思いをめぐらせています。私の悲しみより何百倍何千倍も悲しい思いをしていらっしゃる香奈子さん、坂口さんとの楽しい思い出を胸に秘めて生活して行ってください。長い間岳友としてお世話になったこと感謝です。
生前お世話になったことに感謝申し上げます
私のブログに先生のブログを利用した思い出の一端を載せさせていただきました
今年 佐久市のピンコロ地蔵を訪ね 先生のことを報告してきたいと計画しています
立派な追悼報告 すべてを語りつくしていて 至福の人生後半であったことが伝わってきました
合掌 感謝
https://blog.goo.ne.jp/inaka4848/e/8eca60d1b5e0b81178af4b589ec5b643
先生と最後に会ったのはもう2年前の夏。
車で突然自宅へ押し掛け、少しの時間でしたが会う事ができました。奥様とも話す事ができて楽しかったです。
暑い日で私の車の中の方がエアコンが効いてて涼しいな!と言ってたのが印象的です。
奥様、体に気をつけてくださいね。
「ここの上り、頑張れ!」と後ろから坂口さんに檄を飛ばされているかのような感じで練習しました。
多くの方々に愛されていた坂口さんと知り合いでいられたことを誇りに思います。
これからの人生、奥様も坂口さんと同じように楽しく元気に過ごし下さい。
十勝平原のクロカンの大会での飲み会で初めてお会いしてから、函館に遠征に行った際には、連絡くださいと気さくにお声がけくださり、お寿司をごちそうしてもらいました。
そのお礼もできぬまま、その後お会いすることもないまま10年くらいたったでしょうか。
ちょうど今年は知人が函館に多く居住するタイミングでもあり、また私自身山登りを再開してみようというやる気が出たこともあり、坂口さんにも会いに行こう!と思っていたところでした。
最近では、新たにinstagramも始められて、なんて精力的に発信なさるんだろうと、さすが坂口さんだと、更新を楽しみにしていました。
最後にしたやりとりもインスタ内の記事に対しての私の感想への返信でひとことふたことの、たわいもないやりとりでしたが、本当に数年ぶりのコメントだったので、今思えば虫の知らせみたいなものだったと思われてなりません。もっとお話ししたかったですし、もっと坂口さんの山行記録も読みたかったです。
ほっかいどう山楽紀行を読み返して坂口さんと野に山に、という思いでおります。
かなこさんも、どうぞどうぞお体ご自愛ください。
ご報告ありがとうございました。
改めて坂口さんのご冥福をお祈り申し上げます。
奥様の今の心境。
コメントに対する、お礼など
大変な中、ありがとうございます。
奥様が言うように、
頭で理解していても、心が受け入れない。
皆さん、そうだと思います。
自分も、わかっていながら、
毎日の習慣で、ブログを見に来てしまいます。
自分にとって、坂口さんは
職業でも趣味でも憧れの存在です。
少しでも近づけるように頑張ります。
いろいろと忙しく過ごされているここと思いますが、どうぞ御自愛ください。
スキー教室を含めて4~5回しかお会いしたことが無いですが、たま~にブログにコメントしたら返事をすぐに頂いて嬉しかったです。
いつも元気そうなブログを読んでいたのでいまだに信じられません。前にあまりにもアクテブなので「すごいですね~」と書くと「動いていないとダメなんです」と返事を頂きました。
本当に最後まで動いていましたね。
少し早すぎる旅立ちですが、普通の人の30倍は生きた感じですね。
天国から世界中の山を上から見ているでしょうね。
奥様が仕事を辞めて来てくれた。と以前のホームページの日記に書いていましたが、奥様が居たからこそ楽しい日々だったと思います。時が解決してくれると言いますが、悲しみが和らぐのは時しかないですよね~他に方法があればいいのですが・・・
私も読み飛ばしたブログをじっくり読んでみようと思います。
初七日の法要お疲れ様
俗にいう「あの世」というのがあるのではないかな・・・と最近思います 意思の疎通はできませんが、いつも見守ってくれていると思います 元気に頑張りましょう
「私は大丈夫です」という奥さまの言葉にまだまだ緊張の毎日が続いておられることをお察しいたします。どうぞ無理をなさらずにお過ごしくださいますよう…。
いろいろと大変な時期とは思いますが、「お別れの会」はいつ頃に考えておられるでしょうか?よほどのことがないかぎり出席させていただくつもりです。日程が決まりましたらお知らせいただきたいと思います。よろしくお願いします。
毎日更新で、読み飛ばした日もあるから、これからも訪問して、じっくり読ませていただきます。
ありがとうこざいます!
お参りにはうかがえませんが、せめてもと、新たに1冊の「ほっかいどう山楽紀行」を買わせていただきました。昨年知り合った登山を生きがいとする若い方にプレゼントします。これまでも「一人歩きの北海道山紀行」を見てもらうことも勧めていました、坂口さんが長年積み上げてきた日本の財産とも言うべき存在のホームページは、より多くの皆様が見られるよう長く残していただくことを切望いたします。
このブログからは、いつもご夫婦仲の良さを感じてきました。奥様のおかげで幸せな毎日を過ごしていた坂口さんは、これからの奥様の幸せな人生を願っていることと思います。どうぞお元気で頑張ってください。
坂口さんが亡くなってもう1週間たつのですね。初七日忌法要お疲れ様でした。
坂口さんの突然の訃報、11日に紋次郎さんからの連絡で知りましたが、最初は信じられませんでした。坂口さんとは、HPの画像掲示板で交流が始まり、そのうち、メールでもやりとりするようになり、2004年の定年退職後に十勝に仮住まいした時に部屋探しをお手伝いして、その時に初めて会いました。その後、仮住まいの音更町のマンションに訪問した時に一人暮らしだと思ったら、香奈子さんもいらして、再婚したと聞き、びっくりしたのを覚えています。
その年には何度か登山も同行して翌年の2005年10月に道南遠征した時に坂口さんの自宅に泊めていただき、香奈子さんにも大変お世話になりました。最後にいっしょに登ったのは、2010年4月に職場の事情で岐阜県に2ヶ月長期出張していた時に300名山巡りをしていた坂口さんと合流して、猿ヶ馬場山に登ったのが最後ですが、いい思い出になってます。
本人の希望でもあったピンピンコロリで亡くなったわけですが喜寿を目前にしての事なので、早すぎると思い残念です。
私も初めて坂口さんに会った時の坂口さんの年齢に後1年でなりますが、あの時の元気な坂口さんに比べて、自分は腰痛などの持病もあり、ここ3年は登山もしていない状態ですが、坂口さんを見習って登山も再開して、好きな事はできるときに何でもやっていきたいと思っています。
香奈子さんもいつまでも、お元気でおすごしください。
私が坂口さんとカナさんに出会ったのは、8年前に上の国町での栗拾いの一回きりです。
でも、ブログを見てたのでずっと身近な存在でありました。
そして坂口さんは、私の10年分のお楽しみを1年で楽しんじゃう超人です。
今、肉体から心が離れた坂口さんは、皆さんの気持ちが伝わってドヤ顔してる事と思います。
カナさん 健康に留意され、思い出を笑って話せますように・・・
初七日、早いものですね。
新聞、ブログなど多くの方が坂さんが、亡くなられたことを知り在りし日のsakagさんを、偲んでいることでしょう。
このブログを開くと、まだ生きているように思えます。
いつもアクティブに活動されているご主人のブログを楽しみにしていました。
MTBのお話し「凄いなぁ~、いいなぁ」と感じて、昨年オートバイを卒業して今月クロスバイクを購入しました。
乗り始めたら、コメントさせていただこうと思っていました。
お会いしたことのないご主人のブログで勇気を頂き、新しい自転車を趣味にしていこうとしているこんな自分が居ます。
とても羨ましいご主人のブログでした。
少しでも長く、このブログが読み返せる時間があると嬉しいと思っています。
ご冥福をお祈り申し上げます。
失礼しました。
数多くのコメントに喜んでいるであろう天にいる坂口さんの声をなりかわって奥さまの文面に、「そうだ そうだ」とうなずきながらも、寂しさを深くしています。
こんなに愛されていたことをきっと坂口さんは嬉しく思っておられ、照れておられるでしょう。
これからも多くの偲ぶ声が届けられると思いますが、その声は奥さまに対する応援と奥さまほどではなくても坂口さんを愛したみんなの連帯の気持ちの現れです。
これからも奥さまはお一人ではありません。
坂口さんを慕う多くの仲間が奥さまと共にあります。
そこにはにこやかな笑顔の坂口さんの魂も寄り添っていることでしょう