禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

2014年12月11日 | 小さな法話
逸話の多い禅僧のひとりに「一休禅師」がおれらます。
ある日、お弟子さんと檀家の法事に参られる途中、たまたま「うなぎ屋」の前を通りかかったときの話です。店の中からおいしそうな鰻を焼く匂いが漂ってきます。
一休禅師は思わず「うまそうだな」といいました。
それを聞いたお弟子さんは驚きました。「自分たちのようなものでも、うなぎ屋の前でうまそうだな、というようなことを言うのはあまり行儀のよいことではない、ましてや一休禅師ほどの方がうまそうだなんて」何かを食べたいといった欲望を口に出すものではないと、弟子さんは思っていました。

やがて、家に到着したところで、お弟子さんは「和尚さんは先ほどうなぎ屋の前で、うまそうだなとおっしゃいましたが、あれは出家者の身としてよくないことではないでしょうか」と尋ねました。
すると一休禅師は、「お前はまだそんなことを引きづっていたのか。わしはかば焼きの匂いなどは、うなぎ屋の前で捨ててきた」と言われました。

おいしそうな匂いにそそられる、それは誰にもある当たり前の感情です。
花屋の前では美しいとながめ、お菓子屋さんの前で「おいしそう」と思うことは、その時の目の前のことを精いっぱい味わっていることであり、「今」を大事にすることです。
しかし、ひとつのことに心を奪われたりしばられたりすると、「今」を見失ってしまいます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿