コメント
Unknown
(
もっくん☆
)
2008-06-29 23:35:51
それはひょっとして、柘植(つげ)の駒では?
使い込むたびに良くなるらしいですよ。
それにしてもそんな高名な方と…。
凄いですね!!
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-06-30 00:21:02
それだつた気がします!!柘植なのかな??教えてくれてありがとう。これからもいろいろ教えてくださいね。和さんにもまた伺ってみます。そうなのです。わたし先生運がやたらいいんですよ。まq<夏にはちょつとビッグな先生とのお仕事も実現しそうなんであります。でも、いまいっちやつて実現しないとかつこう悪いからまだ秘密ー。きまつたらご報告しますね!!
Unknown
(
ひめお
)
2008-06-30 02:07:27
囲碁もそうですが、プロの方
皆、御綺麗ですね!先生も
何もかも皆ウツクシイ(あかめん
将棋駒と永島慎二先生
(
madi
)
2008-06-30 03:24:29
駒つながりのトリビアですが、
永島慎二先生は駒を彫る趣味があり、20年ほど前にはその経緯を週刊将棋に連載されていました。
盛り上げ駒は漆にかぶれるひともいますのでデリケートなさかもと先生は大丈夫でしたか、ちょっと心配です。
おはおうございます
(
雪香
)
2008-06-30 08:35:00
こちらに初めて書き込み
将棋、むつかしそう。
頭脳ゲームなんでしょう?
未明さんの漫画のネームづくりにもトレーニングになるんでしょうか。
出版関係の方って、将棋の好きなひと多いんですね。
がんばってください。
お扇子、似合いますネ
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-06-30 21:33:06
へえええええーーーーー。皆色んなことしっているねえ!!いろいろありがとう。ほめてくれて、心配もありがとう!!漆へいきでしたよ。雪香サンもありがとう。センスにあいますか??うししししし
でも長島先生もそうなのかあーー。漫画家って何か書くとき、ありえないくらいディープにその世界身体に入れて書至りなんですよ。タイプによるかもしれないけど。私の大好きな槇村さとる先生も、すごくなんにでもはまつて真剣に勉強されてます。何でも真剣に関わらないとみえてこないよね!!いっぱい愛したり真剣に知りたいと思っただけ人生はゆたかになる、そんな気がします
産経新聞コラム「断」
(
haru
)
2008-07-02 09:36:29
さかもと未明さんの産経新聞コラム「断」の
「男女平等教育が、骨抜きの男と、優しさの無い
女を作る」という説を「断固」支持します。
ジェンダーフリーなどという似非思想が、男からも
女性からも、優しさと、しなやかさを奪いました。
牛肉や鰻の偽装はばれますが、ジェンダーフリー、
教育、自然環境保護運動などの偽装を解明するのは
困難です。
こんにちわわわ
(
佐倉みゆき
)
2008-07-02 12:38:53
私もコラム拝読致しました。
あと、体罰の否定。
上っ面だけの、暴力排除。
そして、乳首隠しに、象徴される、『女性』の否定。
第三者の目がなければ、女の子の裸を見て怒る男はいません。
あと、タバコ狩り。車業界の女性向けへのターゲットシフト。丸い車は、男らしくない。
ヤンキー、不良の絶滅。
昔は、こういうものが、男の負の感情の受け皿として
機能し、まったく関係のない第三者にまでは向かわずに済んでいました。
男の、象徴として誇示されるべきアイテムが
上っ面だけのタテマエ至上主義、
所謂、勝ち組的ヘタレのおベンキョー坊や思想により、駆逐されたのも大きな潜在要因です。
ね?先生。言った通りになってきたでしょう?
臭いものに蓋、では、臭いものの数自体は減る事はありません。
防ぐ、と即時的な視野しか持たぬ莫迦たれは、いってますが、犯人が、殺そう、と思うだけで、その近くにいる人の死は絶対となる。
犯人は、いつでも、どこでも、誰でも、いいのです。
ナイフがなくても、道端の石で殴れば人は殺せる。
武器があるから人を殺すのではなく、
殺したい、と思ったから、殺すのです。
殺したい、という発想に至らせないことのみが、
こういう事件を抑止できます。
キモチワルイ社会をなんとかしましょう。
応援します。
それでは、また。
wish your Luck!!v( ̄Д ̄)v
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-07-02 23:38:12
みなさん、真剣にコメントありがとう。いろいろ考えないといけないことねあるよね。男性にはやっぱり男らしくがんばってほしいし、その頑張りを支えるために、女性は優しくなくちゃいけない気がするの。体罰のことも、考えないといけない部分あるよね。学校の先生にも何か絶対の優位性を認めてあげないと、教育はできない木がするんだーーー。わたし親じゃないから分からない部分もあるけど、でも自分もかつて子供だったわけだから。
子供いなくても、教育語ってもいいよね?皆でいろいろ考えようね。ご意見まつてます!!
今日は
(
Y流
)
2008-07-03 10:50:51
さかもと先生は槙村さとる先生との出会いが人生を変えたんですね
槙村さとる先生といえば僕らの世代では
「愛のアランフェス」ですよね
その当時のフィギュアは伊藤みどりさんかな、コンパルソリなんて「規定」があったりして
今の時代は浅田真央ちゃんや安藤美貴ちゃんなど楽しみです。
将棋はどうですか?わからないことは素直に先生に聞くとどんな質問でも答えてくれますよ、役得。
役得と言えば、将棋の先生に将棋を指してもらうと
我々アマチュアではうん千円、うん万円かかるんですよー、うらやましい^^)
因みに「聖の青春」「将棋の子」は講談社だったと思いますよ
がんばってくださいねー。
ではでは。
7月2日の産経新聞記事について
(
C,hasegawa
)
2008-07-04 07:49:16
産経新聞記事を読ませていただきました。素晴らしく共感しまして、こちらのブログにコメントさせて頂きます。ジェンダーフリーが今、もてはやされる中で、わたし達は大事なことを忘れてきているように思います。きちんとした男や優しい女を育てるということ。
わたしの母はいつも、いいます。男性も女性も昔も今も変わらないということを。今まではそれを否定していた側でしたが、さかもとさんの記事を読み、また、変わりました。わたしは今、これからの男女の教育について、非常に関心を持っています。また、そのような文章など是非執筆なされましたらご紹介してください。以上拙い文章ですが、失礼致します。
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-07-04 20:03:27
大崎さんの本、講談社でしたーー!!ありがとう、直しました。更にプロの先生に習うときって、うわー!!c
そうかお礼!!それも今後気をつけますです。いろいろ教えてくれてありがとうみんな!!記事への反応もありがとう!!やる気でました!!
将棋も漫画も
(
haru
)
2008-07-05 13:39:09
さかもと未明さんの
「将棋も漫画も両方頑張る!!」
自然体で頑張れるところが、羽生名人,佐藤棋聖と
共通した、さかもの未明さんの天与の才能です。
「しなしゃかな頑張り」が素晴らしい。
謹んで訂正
(
haru
)
2008-07-05 13:42:19
「しなやかな頑張り」です。
ブスの考え休むに似たり
(
新井
)
2008-07-05 16:30:02
秋葉原で、無差別連続殺傷事件が起きた。容疑者の内面が掘り起こされていくほどに、「どうしてそんなに弱いんだ、どうしてそんな理由で人を殺せるんだ」と思わずにいられなかった。加藤容疑者は救いがたく孤独で攻撃的だ。女性に対する飢えがあり、信じがたいほどに精神が脆(もろ)く、ひとつの考えに凝り固まってしまいがちなことも含め、『男性性の暴走』ともいえる事件だと感じた。
男性は、内面に攻撃性を秘めた生き物だ。また、女性に比べ、実に心が弱く、女性が男性を求めるよりはるかに強く、男性は女性を求めると、私は今までの人生で感じてきた。それをきちんとした男に仕上げていくためには、女性に対するよりはるかに厳しい教育、身体の鍛錬、自制心の獲得、強く成熟した男性とのコミュニケーションが必要なのだと痛感する。そしてそれを外側から支えるのが、女性の愛なのではないか。
しかし、最近の男女平等教育は、〈男性〉というものを制御し、伸ばす知恵をもたない。「中性的」なことを価値として、結局は骨抜きの男と、母親になれず、優しさのない女を作る。その結果、凶暴な男性を生み出しているのだ。きちんと男を育てれば、こんな動機で、人々が殺されるようなことは減らせるのに、なぜいつまでもジェンダーフリーなどというものに拘泥するのか。
そんな教育の甘さは語られないまま、犯罪が起きれば精神鑑定で「病気のせい」とし、犯罪者を野に放つこともある。そんなことは、本当にもうやめてほしい。
あんた本気でこんな事を考えているのかねえ。
ジェンダフリーだから秋葉事件が起きたと言いたいらしいが、とんでもない事。男の天下で、軍人や右翼の蛆虫共が威張りちらし、天皇などと言う寄生虫が君臨していて、教育勅語と言う超ありがたいお題目を国民に強制していた昔、つまり勿論ジェンダーフリーなどと言うありがたい思想など影も形もなかった時代に、現在の犯罪など及びもつかない残虐非道な犯罪が、現在の何倍も多発していた事をご存知か。
あほな事に現を抜かして勉強などさっぱりしないバカで間抜けでアホウなお前さんのことだから教えてあげるが、菅賀江留郎著「戦前の少年犯罪」という本を読みな。
それから、お前のようなブスであほな小便臭いおんなでも、こういったブログとやらで勝手なご託宣を抜かしていられるのも、(ジェンダーフリー論者を含めた)女性解放論者の血のにじむような努力のおかげだと言う事をちぃーとばかしでも考えてみなよ。
そんな先人の恩m系を馬鹿にしてジェンダーフリー・男女同権を攻撃するさかもと未明と言うブスで間抜けでアホーな、小野の小町のように穴のない片和女が一人前の口を利くなよ。
訂正
(
新井
)
2008-07-05 16:44:59
>そんな先人の恩m系を馬鹿にしてジェンダーフリー・男女同権を攻撃するさかもと未明と言うブスで間抜けでアホーな、小野の小町のように穴のない片和女が一人前の口を利くなよ。
は、
そんな先人の恩恵を忘れてジェンダーフリー・男女同権を攻撃する さかもと未明 と言うブスで間抜けでアホーな、小野の小町のようにマンコ穴のない片輪女のために性の悦びを楽しむ事が一生できず、男女同権の旗印の下に女性性を謳歌している女性に嫉妬の炎を燃やし続けている糞メスが一人前の口を利くなよ。バーカ
の誤りでした。ここにご訂正をば致しますでござーます。
未明姉さんと管理人に勝手にかわって
(
増岡
)
2008-07-05 18:13:53
反論は結構だと思うよ 問題は反論の仕方、道徳教育を 一から学びなおしてから 又いらしてください。
脳の酸欠
(
haru
)
2008-07-05 20:45:47
NHKBSで、森内名人の名人戦代3局の歴史的失着
9八銀打ちの復習がありました。
名人戦の舞台で羽生さん相手に長時間緊張して対峙して「脳が酸欠状態」になったのだと思えます。
森内名人も同一局面が出現しても相手が羽生さんでなければ、事前に気付いたことでしょう。
脳が酸欠になるほど、緊張できる相手と戦える棋士は棋士冥利に尽きます。
さかもと未明さんも、「脳の酸欠状態」になるほど
漫画を考えた経験がお有りでしょう。
創造的作業で、真剣に物事に対峙した人のみが到達する爽快感を経験された事でしょう。
掲示板への書き込みには自分の恥の貼り付けることもあるようです。
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-07-05 21:01:06
荒いさん、ご意見おつかれさまです。増岡さんありがとうね。ちゃんと名前も名乗った飢えでの意見だと思うのでていじしておきます。次もまたお歌のこととかかいたから、悪くもいわれるんだろうけど、それも踏まえての表現なのですー。未明は前にすすむー
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-07-05 21:03:25
haruさんもありがとう!!将棋世界から羽生先生へのお祝いコメントのお仕事いただいちゃつた。まだあったこともないのに光栄。頑張ります、気がついたら読んでくださいね。来月乗せていただけるんじゃないかしら
ありがとう
(
新井
)
2008-07-06 12:50:38
てっきり削除されて、以後書込み禁止にされるかと想像していましたが、予想はずれ、なんだつまらない。
まあさかもとさんの主張や、私のこういったくだらない事を堂々と公表できるのも、ジェンダーフリー論者を含めた大勢の男女同権論者や、その他無数の人権主義者の命をかけて闘いがあったおかげである事をよくよく自覚すべきですなあ。
あんたは生まれたときから言論の自由・政治活動の自由・思想表明の自由があったので、それらの自由が大昔から自然に存在している自然権だと勘違いしているかもしれないが、とんでもない。
戦前の大ニポン低國時代は、女は人類の一員ですらなく、男とは別の、男より劣った、もっぱら男の欲望を満足させるためだけにのみ存在を許されていた事をs¥忘れるな。
やれジェンダーフリー反対、やれ男女共同参画けしからん、やれ男女同権廃止などといい気な事をほざいていて、それが実現したら女の立場がどうなるか分かってんのかねええ。
まあ、さかもと未明のような小生意気な女が男の欲望を満足させるためにのみ存在を許されている事はわかった、とここまで書いてきて、忘れてた。さかもと未明にはオマンコに穴が開いてないんだから、男の獣欲を満たす事はできないんだった。
異常殺人・多数殺人は昔から
(
新井
)
2008-07-07 14:52:02
下記は「少年犯罪データベース」から収載データののほんの一部の転載。
ジェンダーフリーなどと言う思想がなかった時代でも、というかそういう思想がなくて、お有難い明治天皇睦仁様の「教育勅語」を奉戴していた大日本皇国が等しく善良なる臣民で構成されていた時代でも、現在よりはるかに残虐非道な犯罪が多発していたんですが、秋葉原事件などの発生を「ジェンダーフリー」などの思想の影響だとアホナ事を抜かしている さかもと未明 様いかがですか。何を書いてもかまわないがウソだけはやめませう。
昭和12年(1937).6.8〔19歳(満17~18歳)ら少年数人が老女2人殺害して収容所脱走〕
大阪府の不良少年収容所で、少年数人は教誨師が外出している隙に留守番の老女2人にふとんを被せて殺害、金を盗って逃走した。8.2に東京市本所区の木賃宿で、リーダーの少年(19)が捕まった。7月に上京してスリや強盗をしていた。
昭和12年(1937).6.20〔15歳(満13~14歳)が主人一家ら3人殺害〕
東京市荒川区三河島町の砂糖商宅で、雇い人(15)が深夜1時に同じ部屋で寝ていた同僚(15)の手足を縛って首に紐を三重に巻いて絞殺、金庫の金を盗もうするところを主人の妻(33)に発見されたため顔や頭を氷砂糖を割るカナヅチで殴って殺害、傍で寝ていた三女(2)を手ぬぐいで絞殺、主人の服を着て150円を盗んで逃走した。主人は娘2人と番頭を連れて砂糖会社招待の慰安旅行に出掛けて留守だった。
写真入りの手配書10万枚が配られ、顔の特徴から「ホクロ少年」と呼ばれて各地で目撃されるたびに新聞で大騒ぎされながらも1ヶ月も逃亡して、7.21に満州国奉天市で捕まった。活動写真見物などに金を使って15円しか残っていなかった。この年の銀行員大卒初任給70円。
少年は主人の従兄弟にあたり、父親が外地を渡り歩く写真師だったため満州国遼陽市で生まれた。父親は1年前に死亡、母親も4歳の時に死んでおり、継母とともに静岡県磐田郡の工場で働いていたが盗みのためクビとなり、2月からこの家で勤めることとなった。
昭和13年(1938).7.10〔18歳(満16~17歳)が主人一家ら9人殺人未遂〕
東京市目黒区のペンキ屋で深夜1時、住み込み従業員(18)が、就寝中の主人夫婦をナタで殴って1ヶ月の重傷を負わせ、子供たち(18~4)6人と同僚従業員(16)に1,2週間の傷を負わせ、台所に油をまいて放火、「人殺し、人殺し」と叫びながら自分の頭をカナヅチで殴って自殺を図っているところを逮捕された。主人の妻の従兄弟で、2年前から勤めていたが、2月から勤め出した同僚が働き者で主人にかわいがられているのを恨んだもの。無口な性格だった。
昭和13年(1938).7.30〔18歳(満16~17歳)が主人一家4人殺人未遂〕
東京市本所区の自動車部品業宅で深夜3時、元従業員(18)が侵入、部品を盗んで、台所のガス栓を開けて就寝中の主人夫婦と子供2人の殺害を謀り、小型トラックで逃走しようとしたが豪雨のため発進できず、臭いに起きた他の従業員に捕まえられた。最近クビになっていた。千葉県出身。
昭和13年(1938).12.12〔20歳(満18~19歳)ら2人が強盗殺人で死刑〕
東京市小石川区の金物商宅で早朝、無職少年(20)と無職男(26)の2人組が押し入り、就寝中の店員(15)を刺殺、女主人(28)の夫(36)を刺殺、女主人に重傷を負わせて逃走、少年は12.13に、男は翌年9.1に逮捕された。更新会(左翼系の貧民支援団体と思われる)に泊まっていて知り合い、故郷の群馬県勢多郡と神奈川県に帰る汽車賃を更新会にもらいながら、少年がかつて働いていた金物商に強盗に入るよう誘い、その店で海軍ナイフを買って夜から庭先に潜んでいたもの。怨みのあった女主人の弟と間違えて夫をめった刺しにし、女主人も殺そうとしたが暗闇の中で同士討ちをしてケガを負ったため金も盗らずに逃げていた。主犯の少年は東京地裁で死刑判決。
昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18~19歳)ニートが母親ら4人刺殺〕
岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して殺害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺殺、食堂でコック(33)と女給(33)を刺殺、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。
昭和14年(1939).6.17〔15歳(満13~14歳)が幼女2人連続殺人死体レイプ〕
千葉県印旛郡の路上で、工員(15)が小学2年生の女の子(9)をいきなり絞殺、死体を小学校裏の林に運んでレイプした。6.18に死体が発見されたが、この日に同じ村の小学4年生の女の子(11)を絞殺、死体を神社の裏山に運んでレイプしてからナイフで腹から胸まで割いて内臓が見える状態で放置、6.19に死体が発見された。6.21に警官に見つかり逃走したがすぐに逮捕。知能が低く、子供たちにも日頃からかわれており、3月には少女(16)を襲っていた。
昭和14年(1939).11.23〔18歳(満16~17歳)ニートが親戚女性2人殺害して自殺〕
大阪府大阪市で朝6時、無職少年(18)が祭日の赤飯を炊いていた従姉妹の女工(20)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、逃げようとした従兄弟(31)の妻(24)の背中から心臓を刺して殺害、叔母(55)の胸などを3回刺して重体として逃走、5百メートル離れた空き地で服毒自殺した。小卒後は結核のため仕事に就けず憂鬱症になっていた。大阪市に住んでおり、2日前に叔父宅を訪ねてきて泊まっていたが、昨日は父親の説教を受けていた。動機不明。
昭和16年(1941).10.10〔20歳(満18~19歳)日向の殺人鬼3人殺害〕
宮崎県児湯郡都農町で、鍛冶職人(20)が強盗に入り、寝ていた主人を殺害し長男(19)に重傷を負わせて現金60円と通帳を盗って逃走、23日には同じ町内の農家に押し入り、寝ていた夫婦をクワで殴り殺し現金50円と通帳を盗って逃走、11.6に長崎で逮捕された。勤め先の金を使い込み、バレないように穴埋めしようと、故郷で強盗を働いたもの。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15~16歳)ニートが一家皆殺しを謀り幼い甥と姪殺人〕
茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を殺害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽って創作に熱中、兄に叱られていた。同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げ、カミソリを所持してうろうろしているところを見つけられた。
祖父から血族結婚が続いている血統を断絶するため、次兄の次男(3)だけを後継として残し、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆殺しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか変態とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。父親はすでに死んでいる。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。
昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕
静岡県浜松において9人を次々殺害し6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。中村誠策(最後の犯行時満18歳)は満17歳だった昭和16年8.18に置屋に侵入して芸妓を刺殺、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8.20には料理屋に侵入、寝ていた女主人(44)、女中(16)、雇い人(67)を殺害。警察の取り調べを受けながら、9.27には自宅で強盗を装って兄を殺害、兄の妻と子供、父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8.30には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入、両親と姉と弟を殺害し、女性を強姦しようとしたが失敗して逃走、10.12に逮捕され、翌日に犯行を自白した。これとは別に4年前の昭和13年8.22未明に置屋に侵入して女将と芸妓を強姦しようとしたが抵抗したのでナイフで2人とも刺殺して逃走した事件も自供した。
兄弟7人のうち誠策だけが生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。知能は高く聾唖学校で1番の成績、学費を自分で稼ぐためと強姦目的の犯行だった。
家族は誠策が犯人とわかっていたが通報すると殺されるので黙っていた。逮捕直後に父親は世間に申し訳ないと自殺。戦時刑事特別法によって二審だけですみやかに死刑判決が確定し処刑された。
昭和18年(1943).2.18〔16歳(満14~15歳)が一家3人強盗殺人して放火〕
北海道留萌郡で、少年(16)が近所の農家に押し入り、主人(45)、妻(43)、娘(7)の3人を薪割りで殺害、放火して列車で逃走中に逮捕された。林業労働者の3男で知能が低く、父親とケンカして函館に家出する旅費を奪おうとしたもの。
昭和18年(1943).7.19〔19歳(満17~18歳)戸畑の通り魔3人殺し事件〕
福岡県戸畑市の通り魔5人殺傷事件で鉱山会社給仕(19)が逮捕された。5.19に路上で女性事務員(19)を刺殺。5.20に路上で工員(19)2人の腹を刺して重傷を負わせてから、数分後に専門学校生徒(21)を刺殺。7.17深夜2時に民家に侵入して寝ている専門学校図書館員(19)を刺殺。
女性事務員と図書館員は学校時代の同級生で2人からいつもバカにされていたので復讐し、他の3人は面識がないが道で擦れ違ったときに自分を笑ったように思ったから刺したと自供。
昭和19年(1944).7.29〔中4(満16~17歳)が同性愛の果てに友人一家3人殺害〕
神奈川県足柄上郡の友人宅で、東京都大森区の旧制中学4年生(18)が深夜1時過ぎに中学1年生の友人(14)を殺害、友人の祖父と祖母も殺害し、母親に重傷を負わせ、放火して裏山に逃走したが家が全焼したことに安心して降りてきたところを捜査中の警官に逮捕された。
近所に住み同じ中学校に通っていた中1生と同性愛の関係になったが、中1生が家庭の事情から祖父母と同居するようになって遠距離恋愛となってしまった。逢えないことに悩み、それならいっそ彼をこの世にないものにしてしまおうと、出刃包丁とナイフを用意して遊びに行って泊まり、就寝中に襲ったもの。一度逃走したが、証拠隠滅のため戻って放火したと自供。伯爵の孫。
昭和20年(1945).4.17〔17歳(満15~16歳)が一家5人を惨殺〕
長野県下伊那郡木沢村の農家で、3男(17)が、父親(45)、母親(44)、4男(12)、2女(8)、3女(3)を殺害、3キロ離れた山林で猟銃で自殺した。前日に近所の家から米を盗んで両親に叱られており、就寝中の家族の顔や頭をまずカナヅチで殴り、カナヅチの柄が折れると斧でめった打ちにしたもの。金目の物を物色したあともあった。
戦前の少女犯罪
(
新井
)
2008-07-07 15:15:10
下記は少年犯罪データベース収載の「少女殺人事件」からの極めて一部の転載。男女同権思想・男女共同参画・ジェンダーフリー思想・フェミニズムなどが尊重されるようになって来た戦後には、それらの陰惨な少女犯罪はほとんど皆無であるが、それらの思想が禁じられていて、良い子教育が奨励されていて「教育勅語」で良民教育が徹底して行われていた戦前にそのような残虐な少女犯罪が多発していた理由を さかもと さんにようく説明してもらいたいものであります。
昭和2年(1927).3.5〔19歳女子(満17~18歳)ら母子が父親殺人〕
茨城県結城郡の自宅で、長女(19)、母親(37)、祖母(75)が父親(42)をナタで殺害、3.5に起訴された。長男(13)も取り調べを受けている。
昭和2年(1927).6.17〔小4女子(満8~9歳)が授業中に同級生女子殺害〕
東京市本所区(現墨田区)の小学校教室で、4年生女子(10)が授業中に同級生女子(10)の頭をメートル尺で殴り、翌日死亡させた。級長で、被害者の副級長とは日頃から仲が悪く、ケンカしたもの。
昭和2年(1927).11.26〔16歳女子(満14~15歳)が陰口恨んで毒殺未遂〕
兵庫県神戸市の海産物問屋で、女子店員見習い(16)が同僚男性を殺害しようとお茶にネコイラズを入れて、11.26に殺人未遂で送検された。何度も陰口を云われていたのを恨んだもの。
昭和3年(1928).9.25〔21歳(満19~20歳)が姑殺害未遂〕
兵庫県城崎郡の農家で、嫁(21)が姑(59)に殺鼠剤入りの柿を食べさせたが異味に吐き出したため腰紐で絞殺しようとしたが噛み付かれて失敗、大阪に逃走して自殺を図ったが死に切れずに9.27に逮捕された。昨年10月に結婚してから姑に虐待されて、復讐しようとしたもの。
昭和4年(1929).2.9〔20歳女子(満18~19歳)が母の顔をカミソリで切り裂く〕
鳥取県鳥取市の自宅で、次女(20)が母親(20)の顔をカミソリで十数回切り裂き、重態として逮捕された。姉の腕時計をいじっていたので母親に叱られてカッとしたもの。
昭和8年(1933).4.15〔18歳女子(満16~17歳)が兄と関係して赤ちゃん殺害〕
滋賀県阪田郡の自宅で、女子(18)が赤ちゃんを産み、兄の会計係(40)と2人で圧殺し、墓地に埋めたが掘り返して琵琶湖に死体を捨て、
昭和10年(1935).4.27〔18歳女中(満16~17歳)がなつかない幼児殺害〕
神奈川県高座郡で、農家の女中(18)が主人の3男(3)を殺害、5.29に自白した。なつかないため夜中に寝ていた3男を抱いて池まで運んで投げ込んで溺死させたもの。
昭和10年(1935).9.4〔15歳(満13~14歳)女子が幼女を誘拐殺人〕
東京市中野区大和町の漬物店で、子守女(15)が主人の長女(5)を連れて失踪し、9.12に空腹で草むらに倒れている子守女が捕まり、自供から長女の腐乱遺体が発見された。
昭和12年(1937).2.14〔17歳(満15~16歳)女子が赤ちゃん殺害〕
東京市淀橋区の洗濯屋で、主人の姪(17)が長男(生後3ヶ月)を着物で窒息死させて逮捕された。
昭和13年(1938).2.21〔19歳(満17~18歳)女子が浮気相手の妻を毒殺未遂〕
東京市足立区の青物仲買業宅で、女子(19)が草団子、最中、食パンを届けて、自分も食べて安心させながら主人(29)の妻(25)に食べさせた。具合が悪くなったので警察に届け、毒が入っていることが判明したので翌日逮捕。主人と交際していたが、妻がいることを知って殺害を謀ったもの。
昭和13年(1938).5.13〔6歳女子(満4~5歳)が隣家の幼女殺害〕
秋田県南秋田郡で、女子(6)が隣家に遊びに行って、嬰詰(東北のゆりかご)に寝かされていた女の子(2)の顔を棍棒で滅多打ちにした。家人が帰宅して手当てをしたが、5.20に死亡。
昭和13年(1938).10.29〔小4女子(満10~11歳)が小学校で幼女殺害〕
東京市向島区吾嬬町(現墨田区)の小学校で、小学4年生女子(12)が女の子(4)をトイレに連れ込み棒で頭を滅多打ちにして殺害、教師が死体を発見して逃走しようとした女子を捕まえた。迷子になって泣いていた女の子を連れ歩いたが、云うことをきかないのでやったと自供。工員の長女。
昭和14年(1939).6.24〔16歳(満14~15歳)女子が同級生毒殺?〕
福岡県大牟田市の病院で、看護婦(22)が同僚看護婦を毒殺しようと弁当に昇汞をふりかけたが異臭のために食べずに失敗に終わり、この日に殺人未遂で逮捕された。好意を持っていた医者と同僚が親しくなったのを嫉妬したもの。
昭和8年10.11、病院付属産婆学校生徒の16歳だったときに、同級生女子(17)を毒殺したことも自供した。産婆検定試験に自分だけ落ちると体裁が悪いので亜砒酸をうどんにかけて食べさせたもの。急性肺水腫による病死として処理されていた。
昭和15年(1940).6.25〔18歳(満16~17歳)主婦が妊娠中に近所の幼女殺人〕
東京市城東区で、女工(18)が自宅裏の家に侵入して金目のものを物色中に、昼寝していた小学1年生の女の子(8)が目を覚まして顔を見られたため後ろ手に縛ってから帯で絞殺、
昭和17年(1942).7.10〔16歳女子(満14~15歳)ニートが幼女殺害〕
東京市目黒区の路上で、無職女子(16)が近所の女の子(4)を絞殺、翌日死体が発見され、7.13に逮捕された。いっしょに買い物に
昭和18年(1943).2.4〔19歳(満17~18歳)女子が産んだばかりの赤ちゃん殺人〕
高知県高知市の商工会議所前で、女給(19)が赤ちゃんの死体を遺棄して逮捕、3.8に自供した。
良民教育の成果
(
Unknown
)
2008-07-07 15:33:19
s兆年犯罪データベースから転載。教育勅語や軍人勅諭などによって第ニポン低国臣民を、何事にも上のもののいうことに従う愚民にしようと教育した結果がこのざま。秋葉原事件なんざ小せえ、小せえ。
大量殺人と云いますと、日本では津山三十人殺し、外国ではヘンリー・リー・ルーカスやチカチーロなんかの名前が挙がっても、桁違いの人数を殺害した陸奥事件のことがまず出てこないのは、軍ヲタにとって常識となっている事件が犯罪マニアのみなさんにはあまり知られていないということかとも思いますので、ちょっと記しておきます。すでにご存じの方にはとくに目新しい内容はありません。
昭和18年6.8、瀬戸内の連合艦隊基地である柱島泊地にて、停泊中の戦艦陸奥が爆発して一瞬のうちに沈没、乗員1474人のうち1121人が死亡しました。
戦時中の出来事ですが、敵の攻撃による爆沈ではありません。戦争とは関係がなく、これは明らかに殺人です。
事件を詳細に調べ上げた吉村昭『陸奥爆沈』を読むと、艦内で窃盗を繰り返していた二等兵曹(陸軍の伍長に相当する階級で、下士官ですからけっこう偉い。二等兵と間違う人がいるみたいなので念のため)が、捜査の手が伸びてきたことを察知して火薬庫に忍び込んで火を放ったことは間違いないと思われます。
もっとも、現場は爆破とともに消滅し、二等兵曹も行方不明となって、直接的な証拠はなにもありません。状況証拠は99%真っ黒ながら、『陸奥爆沈』も慎重に断定を避けていて、その執拗な調査とともに、筆者の事実追及に懸ける厳格な姿勢は見事ととか云いようがありません。
ただ、仮に二等兵曹が犯人ではないとしても、これが殺人事件であることだけは確かです。
事件当日に編成された海軍省の査問委員会は、海底の船体から砲弾を引き上げてまでして実験を繰り返し、砲弾の自然発火による事故ではなく、人為的な爆発であると結論づけました。
これは他の艦にも搭載している三式砲弾などの使用をやめるかどうか、連合艦隊と帝国の命運を決める重大な結論ですから、よくある役人の責任逃れ、形式だけの調査結果ではなく命懸けの真剣なものです。他の艦で同様の事故が続けばただでは済みません。
また、交戦国によるスパイ活動や反政府組織によるテロ行為であるのなら、戦後になって彼らにとっての輝かしい戦果を誇るでしょうから、いまになっても誰も名乗りを挙げないのは、これが極めて個人的な犯罪である証左です。
なにより、帝国海軍では乗組員による軍艦の爆破事件がそれまでにもたびたび起こっていたという事実が、陸奥事件も兵による犯罪であるとの確信を抱かせます。
『陸奥爆沈』にはそれらの事件の詳細が綴られていますが、現場を押さえられたり、犯人がのちに自供したり、動かぬ証拠を伴う明確な事件がいくつもあるのです。
なかには時限式の発火装置を仕組んで陸の上から自分の勤務する艦の爆発を眺めていた兵もいたりします。陸奥の二等兵曹のことを行方不明と記したのもこんな前例があるからで、ひょっとすると彼は陸奥の沈没を眺めていて、いまでもどこかで生きているのかも知れないのです。
スパイやテロリストのような確信犯とは違って、個人的理由でこんな犯罪を起こせば時効となっても名乗り出られるもんではないでしょう。
スターリンやポルポト、あるいは9.11の如き、政治だとか組織だとか国家だとか正義だとか、そういう不純な夾雑物が介在しない、個人が犯した純粋な犯罪としての殺人事件ではこれが世界史上最大のものではないかと思います。
ちなみに、戦艦陸奥は大和が登場するまでは世界最大の主砲を擁した世界最大の戦艦で、極めて強固な装甲を備えながらも世界最大の速度を誇るという、まさしく不沈艦と呼ぶに相応しい最強兵器でした。大和や武蔵は軍事機密で戦時中の国民には名前さえ知らされていませんでしたから、日本海軍の象徴は終戦まで陸奥と長門でした。
その最強兵器は選りすぐりの乗組員による連日の猛訓練を続けながら、一度も戦をすることもなく、自慢の巨大主砲は一発も敵を撃つことなく、改装に継ぐ改装で幾重にも張り巡らせた分厚い装甲はなんの役にも立たず、内側から乗組員によって沈められてしまったわけです。すでに致命的に欠乏していた鉄と油と弾薬を満載したまま。
軍は陸奥の沈没をひた隠しにして、生き残った乗務員も機密を守るために隔離して、立派に戦死してもらうために前線に送り込み、ほとんどが亡くなってしまいました。
陸軍では下克上なんて言葉が流行って、いかに上官に逆らうか、あるいは戦場では後ろから上官を撃つなんて話がごく当たり前に語られてて、東条英機が戦陣訓なんてものを出さないといけないほど統制が乱れて、日米開戦前にすでにして軍隊の体を為していないような状態でしたが、海軍も気に食わない上官に逆らうために軍艦を爆破したりと似たようなもんでした。もともと天皇だけが持つはずの統帥権を勝手に私物化したり、大臣や軍幹部を殺したりなんてことをはじめたのも海軍将校ですし。
戦前戦中は軍国主義だと仰る方がいるのですが、それは大嘘で、あの時代はアナーキストたちが秩序破壊を繰り広げる無政府状態です。軍国主義というのはもうちょっとまともな秩序があるシステムです。だからこそファシズムが希求されて、うまくいかずに結局最後まで無政府状態だったのですが、話が別の所に飛んでしまうのでここらでやめます。
最後にもう一度念のため、陸奥の爆発原因は状況証拠しかありませんから、最終的には不明のままです。
吉村昭『陸奥爆沈』を読んでご自身で判断していただければ。これは戦争や犯罪に興味のない方が読んでも唸る見事な一冊です。
訂正
(
新井
)
2008-07-07 15:45:01
↑のコメントの投稿者unknownは新井のことです。うっかりして名前記入を忘れました。
皆様どういう印象を受けましたか
(
新井
)
2008-07-08 17:04:51
これまで3つの犯罪例群のほんの一部について示しましたが、それらをお読みになった皆様はどういう印象を受けられましたでしょうか。
男女同権思想などは禁止で、勿論ジェンダーフリーとか男女共同参画などを称えようものならたぶん長期の監獄入りが待っていた時代、女は男よりも何段も下の劣等人類扱い。選挙もできず、家政も全て戸主の許可が必要、そして、明治天皇睦比仁様がくだされおかれたありがたい教育勅語で小学1年生から繰り返し教育されて、仁義礼智信を叩き込まれて「(前略)我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(以下略)」天皇に対する忠義・親孝行・兄弟姉妹や友人・夫婦は互いに仲良くし、と友人は互いに信じあい、身を慎んで質素な生活をもっぱらとし、世の中の人には広い愛情をもって接し、勉学に励み、業務を習得して才能を伸ばし、徳を積んで社会の利益を増進し、国のよってもってたつところの根本原理を尊重し、法律を遵守せよ、と、天皇のためにのみ身命を捧げる人間を製造しようとしゃにむに励んだ結果が、幼児から古希にいたるまで全ての世代にわたって残虐な犯罪を行う人間を大量に発生させた結果をもたらしただけであった。
これに反して、男女同権・フェミニズム思想の伸張・男女共同参画思想の拡張、それに何よりも人権思想の定着、などによってそれらの残虐な犯罪は大幅に減少した。戦前と現在の人口比で考えるとそれらの残虐な犯罪の発生率は、お有難い「教育勅語」で良民を育成しようと国を挙げて邁進した戦前より、そんなくだらない教育勅語は勿論捨て去り、男女同権思想を基にした教育の成果で普通犯罪は勿論の事、残虐な犯罪も戦後一貫して減少を続けている事事実を、「秋葉原事件がジェンダーフリー思想が原因である」などと世迷いごとをほざいている さかもと未明様 はいかがお考えでっしゃろなあ。
無知を憂う。
(
Unknown
)
2008-07-09 04:20:11
すごい、新井さん。エキセントリックで、一部不適切な表現もありますが、pureです。よほど、さかもと未明さんのいいかげんさに、我慢できなかったのでしょう。人は責任ある事を言う時、自分の頭と心でよくその意味を理解し反芻して、理論的に言葉を発するものですが、彼女はただ奇をてらった事のみで、内容がなく、心がありません。躍動した自分の言葉で話す室井佑月さんとの決定的な違いです。
今まで生きてきた歴史の中で本当に心から人を愛し、愛されたこと、また命をかけて人を守ること、そういった胸を熱くする思いが、あまりおありでないのかもしれません。部屋が散らかり放題という現症が、その心の空虚さを物語っています。すぐに反論するというのも、自信のなさの表れです。
本来ならまったく興味のない人間のブログですが、通行人さんやもう一人の方(ごめんなさい。名前忘れて。書き出したら戻れませんでした。)が、どうされているか気になって拝見させて頂きました。強烈な新兵器の登場という気がします。
おおらかで心の広い坂本さん
(
新井
)
2008-07-09 10:28:43
匿名さんの過分なお褒めにあずかって恐縮です。ありがとうございます。
ところで、私の投稿した、ほとんど罵詈雑言、坂本さんの人格を無視した文章をそのまま掲載し、かつ、私の書き込みも禁止しないで、度重なる投稿もそのまま認めてくださっている さかもと未明さん の心の広さには心のそこから寒心いたしました。
私は、このブログに限らず他のブログや掲示板によく投稿しますが(ハンドル名は新井ではありません)、私がここに書いたような文章とは桁違いにおとなしい表現であっても、ちょっとでも気に入らないような事を書くとすぐに書込み禁止にする人がほとんどある経験をつんだ身からみると、さかもとさんのおおらかで心の広いことには頭が下がります。
最初に投稿した悪口雑言は、いわば確信犯的に掲載されれば儲けもの、と言う感じで、即座に削除されるもものと予想していましたので、再三の悪口雑言投稿もそのまま掲載してくださったさかもとさんの態度には頭が下がります。
謝ってすむものではありませんが、悪口雑言については心よりお詫びいたします。
新井さんへ
(
お手伝い
)
2008-07-09 20:29:01
これだけのコメントをお書きになるのであれば、さかもと先生のブログにコメントするのではなく、ご自身でブログを開設されたらいかがでしょうか。
あまりにも新井さんのコメントが長くて、誰のブログなのか分かりません。
それと、さかもと先生のことをブスと書くのはやめてください。反論や批判は自由ですが、言葉遣いがひどすぎます。美的感覚は人それぞれですが、ブスと思うのであれば心の中で思っていればいいのではないでしょうか。
毎日たくさんの方がアクセスするブログです。他の方はさかもと先生の記事を楽しみしていると思います。ご自身の意見をこれだけ書かれるのであれば、どうぞご自分でブログを開設していただきたいと思います。
新井さんの独断場のようなコメントが続くのであれば書き込み禁止等も検討させていただきます。
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-07-11 14:46:29
管理人んも、新井さんもありがとう。管理人さん心配してくれてありがとうね。私もこのブログは楽しい場にしたいので、ご意見ありがたかつたです。同時に新井さんもフェアに私の事ほめてくれてうれしかつたよ。ただ単に人を攻撃するだけのかたでなく、正義感を持つ田上で意見を表現されているかただとおもいました。わたしは、自分の意見には責任をとるつもりでいますが、自分がいつも正しいとはおもつていません。違う意見もききたいし、沢山討論してベストの考えをそれぞれがもつきっかけを提供できればとおもつているんです。だから、そういう意味でも公にふさわしくない書き込みだけえんりょしてくださいね。皆で討論できる場は閉鎖したり書き込み拒否したりしたくないので。でも、意見は変らず歓迎のほうこうです。
新井さんはいつもなのつてくれるし、自分の意見に責任を取ろうとしている方だとおもいましたよ。考え方の方向性はちがいますが、真剣さには頭がさがります。
私の意見を好きな人も嫌いな人もいるとおもう。でも私は嫌われても信じたことは発言するし、間違えたらあやまります。でも、いつも真剣なつもり、自゛分なりに人を愛したこともあるつもりだよ。でも、そういうことって、人にあからさまに伝えることでもないじやないですか。理解されなくても、私は私で天に恥じることなく愛したり生きたり、表現したりしていきたいです。幸いにも今わたしには、私を支えてくれるかたが沢山います。管理人さんふくめ、たくさんの応援コメントをくれる皆ふくめ。それは私の宝で本島に大切にしたいのです。でも、一番初めはたった一人ではじめました。今後も、もしたった一人になることがあっても、わたしは表現すべきだと思うことがあったら表現するのだとおもいます。それが物書きとしての私の矜持です。だからわたしは他の方の意見も先ずは頭をたれてききます。番組だとそれをやりすぎると話す機会がとれないので、途中で口を挟んでしまうこと多くて自分でもやなのですが。すくなくともあんまり意見といえない意見以外は、できるだけ削除しないでいくほうしんですよ。でも、みんなの場所だから、そこはマナーをぜひ考えていただけたらとおもいます!!cそして何より楽しいコメントお待ちしていますね!!あ、部屋がきたないのはすんませんね。これだけ言わせてもらうなら、空虚だからというより、アーティストとして表現したいことがおおすぎて、豊穣すぎて、忙しすぎてお掃除している暇がないのだよー。
Unknown
(
さかもと未明
)
2008-07-11 14:48:05
そうそうあと新井さん、少し短めにね
たまには楽しい意見も是非投稿して、皆と仲良くなってくださいな
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現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。
使い込むたびに良くなるらしいですよ。
それにしてもそんな高名な方と…。
凄いですね!!
皆、御綺麗ですね!先生も
何もかも皆ウツクシイ(あかめん
盛り上げ駒は漆にかぶれるひともいますのでデリケートなさかもと先生は大丈夫でしたか、ちょっと心配です。
将棋、むつかしそう。
頭脳ゲームなんでしょう?
未明さんの漫画のネームづくりにもトレーニングになるんでしょうか。
出版関係の方って、将棋の好きなひと多いんですね。
がんばってください。
お扇子、似合いますネ
でも長島先生もそうなのかあーー。漫画家って何か書くとき、ありえないくらいディープにその世界身体に入れて書至りなんですよ。タイプによるかもしれないけど。私の大好きな槇村さとる先生も、すごくなんにでもはまつて真剣に勉強されてます。何でも真剣に関わらないとみえてこないよね!!いっぱい愛したり真剣に知りたいと思っただけ人生はゆたかになる、そんな気がします
「男女平等教育が、骨抜きの男と、優しさの無い
女を作る」という説を「断固」支持します。
ジェンダーフリーなどという似非思想が、男からも
女性からも、優しさと、しなやかさを奪いました。
牛肉や鰻の偽装はばれますが、ジェンダーフリー、
教育、自然環境保護運動などの偽装を解明するのは
困難です。
あと、体罰の否定。
上っ面だけの、暴力排除。
そして、乳首隠しに、象徴される、『女性』の否定。
第三者の目がなければ、女の子の裸を見て怒る男はいません。
あと、タバコ狩り。車業界の女性向けへのターゲットシフト。丸い車は、男らしくない。
ヤンキー、不良の絶滅。
昔は、こういうものが、男の負の感情の受け皿として
機能し、まったく関係のない第三者にまでは向かわずに済んでいました。
男の、象徴として誇示されるべきアイテムが
上っ面だけのタテマエ至上主義、
所謂、勝ち組的ヘタレのおベンキョー坊や思想により、駆逐されたのも大きな潜在要因です。
ね?先生。言った通りになってきたでしょう?
臭いものに蓋、では、臭いものの数自体は減る事はありません。
防ぐ、と即時的な視野しか持たぬ莫迦たれは、いってますが、犯人が、殺そう、と思うだけで、その近くにいる人の死は絶対となる。
犯人は、いつでも、どこでも、誰でも、いいのです。
ナイフがなくても、道端の石で殴れば人は殺せる。
武器があるから人を殺すのではなく、
殺したい、と思ったから、殺すのです。
殺したい、という発想に至らせないことのみが、
こういう事件を抑止できます。
キモチワルイ社会をなんとかしましょう。
応援します。
それでは、また。
wish your Luck!!v( ̄Д ̄)v
子供いなくても、教育語ってもいいよね?皆でいろいろ考えようね。ご意見まつてます!!
槙村さとる先生といえば僕らの世代では
「愛のアランフェス」ですよね
その当時のフィギュアは伊藤みどりさんかな、コンパルソリなんて「規定」があったりして
今の時代は浅田真央ちゃんや安藤美貴ちゃんなど楽しみです。
将棋はどうですか?わからないことは素直に先生に聞くとどんな質問でも答えてくれますよ、役得。
役得と言えば、将棋の先生に将棋を指してもらうと
我々アマチュアではうん千円、うん万円かかるんですよー、うらやましい^^)
因みに「聖の青春」「将棋の子」は講談社だったと思いますよ
がんばってくださいねー。
ではでは。
わたしの母はいつも、いいます。男性も女性も昔も今も変わらないということを。今まではそれを否定していた側でしたが、さかもとさんの記事を読み、また、変わりました。わたしは今、これからの男女の教育について、非常に関心を持っています。また、そのような文章など是非執筆なされましたらご紹介してください。以上拙い文章ですが、失礼致します。
そうかお礼!!それも今後気をつけますです。いろいろ教えてくれてありがとうみんな!!記事への反応もありがとう!!やる気でました!!
「将棋も漫画も両方頑張る!!」
自然体で頑張れるところが、羽生名人,佐藤棋聖と
共通した、さかもの未明さんの天与の才能です。
「しなしゃかな頑張り」が素晴らしい。
男性は、内面に攻撃性を秘めた生き物だ。また、女性に比べ、実に心が弱く、女性が男性を求めるよりはるかに強く、男性は女性を求めると、私は今までの人生で感じてきた。それをきちんとした男に仕上げていくためには、女性に対するよりはるかに厳しい教育、身体の鍛錬、自制心の獲得、強く成熟した男性とのコミュニケーションが必要なのだと痛感する。そしてそれを外側から支えるのが、女性の愛なのではないか。
しかし、最近の男女平等教育は、〈男性〉というものを制御し、伸ばす知恵をもたない。「中性的」なことを価値として、結局は骨抜きの男と、母親になれず、優しさのない女を作る。その結果、凶暴な男性を生み出しているのだ。きちんと男を育てれば、こんな動機で、人々が殺されるようなことは減らせるのに、なぜいつまでもジェンダーフリーなどというものに拘泥するのか。
そんな教育の甘さは語られないまま、犯罪が起きれば精神鑑定で「病気のせい」とし、犯罪者を野に放つこともある。そんなことは、本当にもうやめてほしい。
あんた本気でこんな事を考えているのかねえ。
ジェンダフリーだから秋葉事件が起きたと言いたいらしいが、とんでもない事。男の天下で、軍人や右翼の蛆虫共が威張りちらし、天皇などと言う寄生虫が君臨していて、教育勅語と言う超ありがたいお題目を国民に強制していた昔、つまり勿論ジェンダーフリーなどと言うありがたい思想など影も形もなかった時代に、現在の犯罪など及びもつかない残虐非道な犯罪が、現在の何倍も多発していた事をご存知か。
あほな事に現を抜かして勉強などさっぱりしないバカで間抜けでアホウなお前さんのことだから教えてあげるが、菅賀江留郎著「戦前の少年犯罪」という本を読みな。
それから、お前のようなブスであほな小便臭いおんなでも、こういったブログとやらで勝手なご託宣を抜かしていられるのも、(ジェンダーフリー論者を含めた)女性解放論者の血のにじむような努力のおかげだと言う事をちぃーとばかしでも考えてみなよ。
そんな先人の恩m系を馬鹿にしてジェンダーフリー・男女同権を攻撃するさかもと未明と言うブスで間抜けでアホーな、小野の小町のように穴のない片和女が一人前の口を利くなよ。
は、
そんな先人の恩恵を忘れてジェンダーフリー・男女同権を攻撃する さかもと未明 と言うブスで間抜けでアホーな、小野の小町のようにマンコ穴のない片輪女のために性の悦びを楽しむ事が一生できず、男女同権の旗印の下に女性性を謳歌している女性に嫉妬の炎を燃やし続けている糞メスが一人前の口を利くなよ。バーカ
の誤りでした。ここにご訂正をば致しますでござーます。
NHKBSで、森内名人の名人戦代3局の歴史的失着
9八銀打ちの復習がありました。
名人戦の舞台で羽生さん相手に長時間緊張して対峙して「脳が酸欠状態」になったのだと思えます。
森内名人も同一局面が出現しても相手が羽生さんでなければ、事前に気付いたことでしょう。
脳が酸欠になるほど、緊張できる相手と戦える棋士は棋士冥利に尽きます。
さかもと未明さんも、「脳の酸欠状態」になるほど
漫画を考えた経験がお有りでしょう。
創造的作業で、真剣に物事に対峙した人のみが到達する爽快感を経験された事でしょう。
掲示板への書き込みには自分の恥の貼り付けることもあるようです。
まあさかもとさんの主張や、私のこういったくだらない事を堂々と公表できるのも、ジェンダーフリー論者を含めた大勢の男女同権論者や、その他無数の人権主義者の命をかけて闘いがあったおかげである事をよくよく自覚すべきですなあ。
あんたは生まれたときから言論の自由・政治活動の自由・思想表明の自由があったので、それらの自由が大昔から自然に存在している自然権だと勘違いしているかもしれないが、とんでもない。
戦前の大ニポン低國時代は、女は人類の一員ですらなく、男とは別の、男より劣った、もっぱら男の欲望を満足させるためだけにのみ存在を許されていた事をs¥忘れるな。
やれジェンダーフリー反対、やれ男女共同参画けしからん、やれ男女同権廃止などといい気な事をほざいていて、それが実現したら女の立場がどうなるか分かってんのかねええ。
まあ、さかもと未明のような小生意気な女が男の欲望を満足させるためにのみ存在を許されている事はわかった、とここまで書いてきて、忘れてた。さかもと未明にはオマンコに穴が開いてないんだから、男の獣欲を満たす事はできないんだった。
ジェンダーフリーなどと言う思想がなかった時代でも、というかそういう思想がなくて、お有難い明治天皇睦仁様の「教育勅語」を奉戴していた大日本皇国が等しく善良なる臣民で構成されていた時代でも、現在よりはるかに残虐非道な犯罪が多発していたんですが、秋葉原事件などの発生を「ジェンダーフリー」などの思想の影響だとアホナ事を抜かしている さかもと未明 様いかがですか。何を書いてもかまわないがウソだけはやめませう。
昭和12年(1937).6.8〔19歳(満17~18歳)ら少年数人が老女2人殺害して収容所脱走〕
大阪府の不良少年収容所で、少年数人は教誨師が外出している隙に留守番の老女2人にふとんを被せて殺害、金を盗って逃走した。8.2に東京市本所区の木賃宿で、リーダーの少年(19)が捕まった。7月に上京してスリや強盗をしていた。
昭和12年(1937).6.20〔15歳(満13~14歳)が主人一家ら3人殺害〕
東京市荒川区三河島町の砂糖商宅で、雇い人(15)が深夜1時に同じ部屋で寝ていた同僚(15)の手足を縛って首に紐を三重に巻いて絞殺、金庫の金を盗もうするところを主人の妻(33)に発見されたため顔や頭を氷砂糖を割るカナヅチで殴って殺害、傍で寝ていた三女(2)を手ぬぐいで絞殺、主人の服を着て150円を盗んで逃走した。主人は娘2人と番頭を連れて砂糖会社招待の慰安旅行に出掛けて留守だった。
写真入りの手配書10万枚が配られ、顔の特徴から「ホクロ少年」と呼ばれて各地で目撃されるたびに新聞で大騒ぎされながらも1ヶ月も逃亡して、7.21に満州国奉天市で捕まった。活動写真見物などに金を使って15円しか残っていなかった。この年の銀行員大卒初任給70円。
少年は主人の従兄弟にあたり、父親が外地を渡り歩く写真師だったため満州国遼陽市で生まれた。父親は1年前に死亡、母親も4歳の時に死んでおり、継母とともに静岡県磐田郡の工場で働いていたが盗みのためクビとなり、2月からこの家で勤めることとなった。
昭和13年(1938).7.10〔18歳(満16~17歳)が主人一家ら9人殺人未遂〕
東京市目黒区のペンキ屋で深夜1時、住み込み従業員(18)が、就寝中の主人夫婦をナタで殴って1ヶ月の重傷を負わせ、子供たち(18~4)6人と同僚従業員(16)に1,2週間の傷を負わせ、台所に油をまいて放火、「人殺し、人殺し」と叫びながら自分の頭をカナヅチで殴って自殺を図っているところを逮捕された。主人の妻の従兄弟で、2年前から勤めていたが、2月から勤め出した同僚が働き者で主人にかわいがられているのを恨んだもの。無口な性格だった。
昭和13年(1938).7.30〔18歳(満16~17歳)が主人一家4人殺人未遂〕
東京市本所区の自動車部品業宅で深夜3時、元従業員(18)が侵入、部品を盗んで、台所のガス栓を開けて就寝中の主人夫婦と子供2人の殺害を謀り、小型トラックで逃走しようとしたが豪雨のため発進できず、臭いに起きた他の従業員に捕まえられた。最近クビになっていた。千葉県出身。
昭和13年(1938).12.12〔20歳(満18~19歳)ら2人が強盗殺人で死刑〕
東京市小石川区の金物商宅で早朝、無職少年(20)と無職男(26)の2人組が押し入り、就寝中の店員(15)を刺殺、女主人(28)の夫(36)を刺殺、女主人に重傷を負わせて逃走、少年は12.13に、男は翌年9.1に逮捕された。更新会(左翼系の貧民支援団体と思われる)に泊まっていて知り合い、故郷の群馬県勢多郡と神奈川県に帰る汽車賃を更新会にもらいながら、少年がかつて働いていた金物商に強盗に入るよう誘い、その店で海軍ナイフを買って夜から庭先に潜んでいたもの。怨みのあった女主人の弟と間違えて夫をめった刺しにし、女主人も殺そうとしたが暗闇の中で同士討ちをしてケガを負ったため金も盗らずに逃げていた。主犯の少年は東京地裁で死刑判決。
昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18~19歳)ニートが母親ら4人刺殺〕
岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して殺害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺殺、食堂でコック(33)と女給(33)を刺殺、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。
昭和14年(1939).6.17〔15歳(満13~14歳)が幼女2人連続殺人死体レイプ〕
千葉県印旛郡の路上で、工員(15)が小学2年生の女の子(9)をいきなり絞殺、死体を小学校裏の林に運んでレイプした。6.18に死体が発見されたが、この日に同じ村の小学4年生の女の子(11)を絞殺、死体を神社の裏山に運んでレイプしてからナイフで腹から胸まで割いて内臓が見える状態で放置、6.19に死体が発見された。6.21に警官に見つかり逃走したがすぐに逮捕。知能が低く、子供たちにも日頃からかわれており、3月には少女(16)を襲っていた。
昭和14年(1939).11.23〔18歳(満16~17歳)ニートが親戚女性2人殺害して自殺〕
大阪府大阪市で朝6時、無職少年(18)が祭日の赤飯を炊いていた従姉妹の女工(20)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、逃げようとした従兄弟(31)の妻(24)の背中から心臓を刺して殺害、叔母(55)の胸などを3回刺して重体として逃走、5百メートル離れた空き地で服毒自殺した。小卒後は結核のため仕事に就けず憂鬱症になっていた。大阪市に住んでおり、2日前に叔父宅を訪ねてきて泊まっていたが、昨日は父親の説教を受けていた。動機不明。
昭和16年(1941).10.10〔20歳(満18~19歳)日向の殺人鬼3人殺害〕
宮崎県児湯郡都農町で、鍛冶職人(20)が強盗に入り、寝ていた主人を殺害し長男(19)に重傷を負わせて現金60円と通帳を盗って逃走、23日には同じ町内の農家に押し入り、寝ていた夫婦をクワで殴り殺し現金50円と通帳を盗って逃走、11.6に長崎で逮捕された。勤め先の金を使い込み、バレないように穴埋めしようと、故郷で強盗を働いたもの。この年の銀行員大卒初任給75円。
昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15~16歳)ニートが一家皆殺しを謀り幼い甥と姪殺人〕
茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を殺害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽って創作に熱中、兄に叱られていた。同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げ、カミソリを所持してうろうろしているところを見つけられた。
祖父から血族結婚が続いている血統を断絶するため、次兄の次男(3)だけを後継として残し、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆殺しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか変態とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。父親はすでに死んでいる。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。
昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕
静岡県浜松において9人を次々殺害し6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。中村誠策(最後の犯行時満18歳)は満17歳だった昭和16年8.18に置屋に侵入して芸妓を刺殺、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8.20には料理屋に侵入、寝ていた女主人(44)、女中(16)、雇い人(67)を殺害。警察の取り調べを受けながら、9.27には自宅で強盗を装って兄を殺害、兄の妻と子供、父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8.30には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入、両親と姉と弟を殺害し、女性を強姦しようとしたが失敗して逃走、10.12に逮捕され、翌日に犯行を自白した。これとは別に4年前の昭和13年8.22未明に置屋に侵入して女将と芸妓を強姦しようとしたが抵抗したのでナイフで2人とも刺殺して逃走した事件も自供した。
兄弟7人のうち誠策だけが生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。知能は高く聾唖学校で1番の成績、学費を自分で稼ぐためと強姦目的の犯行だった。
家族は誠策が犯人とわかっていたが通報すると殺されるので黙っていた。逮捕直後に父親は世間に申し訳ないと自殺。戦時刑事特別法によって二審だけですみやかに死刑判決が確定し処刑された。
昭和18年(1943).2.18〔16歳(満14~15歳)が一家3人強盗殺人して放火〕
北海道留萌郡で、少年(16)が近所の農家に押し入り、主人(45)、妻(43)、娘(7)の3人を薪割りで殺害、放火して列車で逃走中に逮捕された。林業労働者の3男で知能が低く、父親とケンカして函館に家出する旅費を奪おうとしたもの。
昭和18年(1943).7.19〔19歳(満17~18歳)戸畑の通り魔3人殺し事件〕
福岡県戸畑市の通り魔5人殺傷事件で鉱山会社給仕(19)が逮捕された。5.19に路上で女性事務員(19)を刺殺。5.20に路上で工員(19)2人の腹を刺して重傷を負わせてから、数分後に専門学校生徒(21)を刺殺。7.17深夜2時に民家に侵入して寝ている専門学校図書館員(19)を刺殺。
女性事務員と図書館員は学校時代の同級生で2人からいつもバカにされていたので復讐し、他の3人は面識がないが道で擦れ違ったときに自分を笑ったように思ったから刺したと自供。
昭和19年(1944).7.29〔中4(満16~17歳)が同性愛の果てに友人一家3人殺害〕
神奈川県足柄上郡の友人宅で、東京都大森区の旧制中学4年生(18)が深夜1時過ぎに中学1年生の友人(14)を殺害、友人の祖父と祖母も殺害し、母親に重傷を負わせ、放火して裏山に逃走したが家が全焼したことに安心して降りてきたところを捜査中の警官に逮捕された。
近所に住み同じ中学校に通っていた中1生と同性愛の関係になったが、中1生が家庭の事情から祖父母と同居するようになって遠距離恋愛となってしまった。逢えないことに悩み、それならいっそ彼をこの世にないものにしてしまおうと、出刃包丁とナイフを用意して遊びに行って泊まり、就寝中に襲ったもの。一度逃走したが、証拠隠滅のため戻って放火したと自供。伯爵の孫。
昭和20年(1945).4.17〔17歳(満15~16歳)が一家5人を惨殺〕
長野県下伊那郡木沢村の農家で、3男(17)が、父親(45)、母親(44)、4男(12)、2女(8)、3女(3)を殺害、3キロ離れた山林で猟銃で自殺した。前日に近所の家から米を盗んで両親に叱られており、就寝中の家族の顔や頭をまずカナヅチで殴り、カナヅチの柄が折れると斧でめった打ちにしたもの。金目の物を物色したあともあった。
昭和2年(1927).3.5〔19歳女子(満17~18歳)ら母子が父親殺人〕
茨城県結城郡の自宅で、長女(19)、母親(37)、祖母(75)が父親(42)をナタで殺害、3.5に起訴された。長男(13)も取り調べを受けている。
昭和2年(1927).6.17〔小4女子(満8~9歳)が授業中に同級生女子殺害〕
東京市本所区(現墨田区)の小学校教室で、4年生女子(10)が授業中に同級生女子(10)の頭をメートル尺で殴り、翌日死亡させた。級長で、被害者の副級長とは日頃から仲が悪く、ケンカしたもの。
昭和2年(1927).11.26〔16歳女子(満14~15歳)が陰口恨んで毒殺未遂〕
兵庫県神戸市の海産物問屋で、女子店員見習い(16)が同僚男性を殺害しようとお茶にネコイラズを入れて、11.26に殺人未遂で送検された。何度も陰口を云われていたのを恨んだもの。
昭和3年(1928).9.25〔21歳(満19~20歳)が姑殺害未遂〕
兵庫県城崎郡の農家で、嫁(21)が姑(59)に殺鼠剤入りの柿を食べさせたが異味に吐き出したため腰紐で絞殺しようとしたが噛み付かれて失敗、大阪に逃走して自殺を図ったが死に切れずに9.27に逮捕された。昨年10月に結婚してから姑に虐待されて、復讐しようとしたもの。
昭和4年(1929).2.9〔20歳女子(満18~19歳)が母の顔をカミソリで切り裂く〕
鳥取県鳥取市の自宅で、次女(20)が母親(20)の顔をカミソリで十数回切り裂き、重態として逮捕された。姉の腕時計をいじっていたので母親に叱られてカッとしたもの。
昭和8年(1933).4.15〔18歳女子(満16~17歳)が兄と関係して赤ちゃん殺害〕
滋賀県阪田郡の自宅で、女子(18)が赤ちゃんを産み、兄の会計係(40)と2人で圧殺し、墓地に埋めたが掘り返して琵琶湖に死体を捨て、
昭和10年(1935).4.27〔18歳女中(満16~17歳)がなつかない幼児殺害〕
神奈川県高座郡で、農家の女中(18)が主人の3男(3)を殺害、5.29に自白した。なつかないため夜中に寝ていた3男を抱いて池まで運んで投げ込んで溺死させたもの。
昭和10年(1935).9.4〔15歳(満13~14歳)女子が幼女を誘拐殺人〕
東京市中野区大和町の漬物店で、子守女(15)が主人の長女(5)を連れて失踪し、9.12に空腹で草むらに倒れている子守女が捕まり、自供から長女の腐乱遺体が発見された。
昭和12年(1937).2.14〔17歳(満15~16歳)女子が赤ちゃん殺害〕
東京市淀橋区の洗濯屋で、主人の姪(17)が長男(生後3ヶ月)を着物で窒息死させて逮捕された。
昭和13年(1938).2.21〔19歳(満17~18歳)女子が浮気相手の妻を毒殺未遂〕
東京市足立区の青物仲買業宅で、女子(19)が草団子、最中、食パンを届けて、自分も食べて安心させながら主人(29)の妻(25)に食べさせた。具合が悪くなったので警察に届け、毒が入っていることが判明したので翌日逮捕。主人と交際していたが、妻がいることを知って殺害を謀ったもの。
昭和13年(1938).5.13〔6歳女子(満4~5歳)が隣家の幼女殺害〕
秋田県南秋田郡で、女子(6)が隣家に遊びに行って、嬰詰(東北のゆりかご)に寝かされていた女の子(2)の顔を棍棒で滅多打ちにした。家人が帰宅して手当てをしたが、5.20に死亡。
昭和13年(1938).10.29〔小4女子(満10~11歳)が小学校で幼女殺害〕
東京市向島区吾嬬町(現墨田区)の小学校で、小学4年生女子(12)が女の子(4)をトイレに連れ込み棒で頭を滅多打ちにして殺害、教師が死体を発見して逃走しようとした女子を捕まえた。迷子になって泣いていた女の子を連れ歩いたが、云うことをきかないのでやったと自供。工員の長女。
昭和14年(1939).6.24〔16歳(満14~15歳)女子が同級生毒殺?〕
福岡県大牟田市の病院で、看護婦(22)が同僚看護婦を毒殺しようと弁当に昇汞をふりかけたが異臭のために食べずに失敗に終わり、この日に殺人未遂で逮捕された。好意を持っていた医者と同僚が親しくなったのを嫉妬したもの。
昭和8年10.11、病院付属産婆学校生徒の16歳だったときに、同級生女子(17)を毒殺したことも自供した。産婆検定試験に自分だけ落ちると体裁が悪いので亜砒酸をうどんにかけて食べさせたもの。急性肺水腫による病死として処理されていた。
昭和15年(1940).6.25〔18歳(満16~17歳)主婦が妊娠中に近所の幼女殺人〕
東京市城東区で、女工(18)が自宅裏の家に侵入して金目のものを物色中に、昼寝していた小学1年生の女の子(8)が目を覚まして顔を見られたため後ろ手に縛ってから帯で絞殺、
昭和17年(1942).7.10〔16歳女子(満14~15歳)ニートが幼女殺害〕
東京市目黒区の路上で、無職女子(16)が近所の女の子(4)を絞殺、翌日死体が発見され、7.13に逮捕された。いっしょに買い物に
昭和18年(1943).2.4〔19歳(満17~18歳)女子が産んだばかりの赤ちゃん殺人〕
高知県高知市の商工会議所前で、女給(19)が赤ちゃんの死体を遺棄して逮捕、3.8に自供した。
大量殺人と云いますと、日本では津山三十人殺し、外国ではヘンリー・リー・ルーカスやチカチーロなんかの名前が挙がっても、桁違いの人数を殺害した陸奥事件のことがまず出てこないのは、軍ヲタにとって常識となっている事件が犯罪マニアのみなさんにはあまり知られていないということかとも思いますので、ちょっと記しておきます。すでにご存じの方にはとくに目新しい内容はありません。
昭和18年6.8、瀬戸内の連合艦隊基地である柱島泊地にて、停泊中の戦艦陸奥が爆発して一瞬のうちに沈没、乗員1474人のうち1121人が死亡しました。
戦時中の出来事ですが、敵の攻撃による爆沈ではありません。戦争とは関係がなく、これは明らかに殺人です。
事件を詳細に調べ上げた吉村昭『陸奥爆沈』を読むと、艦内で窃盗を繰り返していた二等兵曹(陸軍の伍長に相当する階級で、下士官ですからけっこう偉い。二等兵と間違う人がいるみたいなので念のため)が、捜査の手が伸びてきたことを察知して火薬庫に忍び込んで火を放ったことは間違いないと思われます。
もっとも、現場は爆破とともに消滅し、二等兵曹も行方不明となって、直接的な証拠はなにもありません。状況証拠は99%真っ黒ながら、『陸奥爆沈』も慎重に断定を避けていて、その執拗な調査とともに、筆者の事実追及に懸ける厳格な姿勢は見事ととか云いようがありません。
ただ、仮に二等兵曹が犯人ではないとしても、これが殺人事件であることだけは確かです。
事件当日に編成された海軍省の査問委員会は、海底の船体から砲弾を引き上げてまでして実験を繰り返し、砲弾の自然発火による事故ではなく、人為的な爆発であると結論づけました。
これは他の艦にも搭載している三式砲弾などの使用をやめるかどうか、連合艦隊と帝国の命運を決める重大な結論ですから、よくある役人の責任逃れ、形式だけの調査結果ではなく命懸けの真剣なものです。他の艦で同様の事故が続けばただでは済みません。
また、交戦国によるスパイ活動や反政府組織によるテロ行為であるのなら、戦後になって彼らにとっての輝かしい戦果を誇るでしょうから、いまになっても誰も名乗りを挙げないのは、これが極めて個人的な犯罪である証左です。
なにより、帝国海軍では乗組員による軍艦の爆破事件がそれまでにもたびたび起こっていたという事実が、陸奥事件も兵による犯罪であるとの確信を抱かせます。
『陸奥爆沈』にはそれらの事件の詳細が綴られていますが、現場を押さえられたり、犯人がのちに自供したり、動かぬ証拠を伴う明確な事件がいくつもあるのです。
なかには時限式の発火装置を仕組んで陸の上から自分の勤務する艦の爆発を眺めていた兵もいたりします。陸奥の二等兵曹のことを行方不明と記したのもこんな前例があるからで、ひょっとすると彼は陸奥の沈没を眺めていて、いまでもどこかで生きているのかも知れないのです。
スパイやテロリストのような確信犯とは違って、個人的理由でこんな犯罪を起こせば時効となっても名乗り出られるもんではないでしょう。
スターリンやポルポト、あるいは9.11の如き、政治だとか組織だとか国家だとか正義だとか、そういう不純な夾雑物が介在しない、個人が犯した純粋な犯罪としての殺人事件ではこれが世界史上最大のものではないかと思います。
ちなみに、戦艦陸奥は大和が登場するまでは世界最大の主砲を擁した世界最大の戦艦で、極めて強固な装甲を備えながらも世界最大の速度を誇るという、まさしく不沈艦と呼ぶに相応しい最強兵器でした。大和や武蔵は軍事機密で戦時中の国民には名前さえ知らされていませんでしたから、日本海軍の象徴は終戦まで陸奥と長門でした。
その最強兵器は選りすぐりの乗組員による連日の猛訓練を続けながら、一度も戦をすることもなく、自慢の巨大主砲は一発も敵を撃つことなく、改装に継ぐ改装で幾重にも張り巡らせた分厚い装甲はなんの役にも立たず、内側から乗組員によって沈められてしまったわけです。すでに致命的に欠乏していた鉄と油と弾薬を満載したまま。
軍は陸奥の沈没をひた隠しにして、生き残った乗務員も機密を守るために隔離して、立派に戦死してもらうために前線に送り込み、ほとんどが亡くなってしまいました。
陸軍では下克上なんて言葉が流行って、いかに上官に逆らうか、あるいは戦場では後ろから上官を撃つなんて話がごく当たり前に語られてて、東条英機が戦陣訓なんてものを出さないといけないほど統制が乱れて、日米開戦前にすでにして軍隊の体を為していないような状態でしたが、海軍も気に食わない上官に逆らうために軍艦を爆破したりと似たようなもんでした。もともと天皇だけが持つはずの統帥権を勝手に私物化したり、大臣や軍幹部を殺したりなんてことをはじめたのも海軍将校ですし。
戦前戦中は軍国主義だと仰る方がいるのですが、それは大嘘で、あの時代はアナーキストたちが秩序破壊を繰り広げる無政府状態です。軍国主義というのはもうちょっとまともな秩序があるシステムです。だからこそファシズムが希求されて、うまくいかずに結局最後まで無政府状態だったのですが、話が別の所に飛んでしまうのでここらでやめます。
最後にもう一度念のため、陸奥の爆発原因は状況証拠しかありませんから、最終的には不明のままです。
吉村昭『陸奥爆沈』を読んでご自身で判断していただければ。これは戦争や犯罪に興味のない方が読んでも唸る見事な一冊です。
男女同権思想などは禁止で、勿論ジェンダーフリーとか男女共同参画などを称えようものならたぶん長期の監獄入りが待っていた時代、女は男よりも何段も下の劣等人類扱い。選挙もできず、家政も全て戸主の許可が必要、そして、明治天皇睦比仁様がくだされおかれたありがたい教育勅語で小学1年生から繰り返し教育されて、仁義礼智信を叩き込まれて「(前略)我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(以下略)」天皇に対する忠義・親孝行・兄弟姉妹や友人・夫婦は互いに仲良くし、と友人は互いに信じあい、身を慎んで質素な生活をもっぱらとし、世の中の人には広い愛情をもって接し、勉学に励み、業務を習得して才能を伸ばし、徳を積んで社会の利益を増進し、国のよってもってたつところの根本原理を尊重し、法律を遵守せよ、と、天皇のためにのみ身命を捧げる人間を製造しようとしゃにむに励んだ結果が、幼児から古希にいたるまで全ての世代にわたって残虐な犯罪を行う人間を大量に発生させた結果をもたらしただけであった。
これに反して、男女同権・フェミニズム思想の伸張・男女共同参画思想の拡張、それに何よりも人権思想の定着、などによってそれらの残虐な犯罪は大幅に減少した。戦前と現在の人口比で考えるとそれらの残虐な犯罪の発生率は、お有難い「教育勅語」で良民を育成しようと国を挙げて邁進した戦前より、そんなくだらない教育勅語は勿論捨て去り、男女同権思想を基にした教育の成果で普通犯罪は勿論の事、残虐な犯罪も戦後一貫して減少を続けている事事実を、「秋葉原事件がジェンダーフリー思想が原因である」などと世迷いごとをほざいている さかもと未明様 はいかがお考えでっしゃろなあ。
今まで生きてきた歴史の中で本当に心から人を愛し、愛されたこと、また命をかけて人を守ること、そういった胸を熱くする思いが、あまりおありでないのかもしれません。部屋が散らかり放題という現症が、その心の空虚さを物語っています。すぐに反論するというのも、自信のなさの表れです。
本来ならまったく興味のない人間のブログですが、通行人さんやもう一人の方(ごめんなさい。名前忘れて。書き出したら戻れませんでした。)が、どうされているか気になって拝見させて頂きました。強烈な新兵器の登場という気がします。
ところで、私の投稿した、ほとんど罵詈雑言、坂本さんの人格を無視した文章をそのまま掲載し、かつ、私の書き込みも禁止しないで、度重なる投稿もそのまま認めてくださっている さかもと未明さん の心の広さには心のそこから寒心いたしました。
私は、このブログに限らず他のブログや掲示板によく投稿しますが(ハンドル名は新井ではありません)、私がここに書いたような文章とは桁違いにおとなしい表現であっても、ちょっとでも気に入らないような事を書くとすぐに書込み禁止にする人がほとんどある経験をつんだ身からみると、さかもとさんのおおらかで心の広いことには頭が下がります。
最初に投稿した悪口雑言は、いわば確信犯的に掲載されれば儲けもの、と言う感じで、即座に削除されるもものと予想していましたので、再三の悪口雑言投稿もそのまま掲載してくださったさかもとさんの態度には頭が下がります。
謝ってすむものではありませんが、悪口雑言については心よりお詫びいたします。
あまりにも新井さんのコメントが長くて、誰のブログなのか分かりません。
それと、さかもと先生のことをブスと書くのはやめてください。反論や批判は自由ですが、言葉遣いがひどすぎます。美的感覚は人それぞれですが、ブスと思うのであれば心の中で思っていればいいのではないでしょうか。
毎日たくさんの方がアクセスするブログです。他の方はさかもと先生の記事を楽しみしていると思います。ご自身の意見をこれだけ書かれるのであれば、どうぞご自分でブログを開設していただきたいと思います。
新井さんの独断場のようなコメントが続くのであれば書き込み禁止等も検討させていただきます。
新井さんはいつもなのつてくれるし、自分の意見に責任を取ろうとしている方だとおもいましたよ。考え方の方向性はちがいますが、真剣さには頭がさがります。
私の意見を好きな人も嫌いな人もいるとおもう。でも私は嫌われても信じたことは発言するし、間違えたらあやまります。でも、いつも真剣なつもり、自゛分なりに人を愛したこともあるつもりだよ。でも、そういうことって、人にあからさまに伝えることでもないじやないですか。理解されなくても、私は私で天に恥じることなく愛したり生きたり、表現したりしていきたいです。幸いにも今わたしには、私を支えてくれるかたが沢山います。管理人さんふくめ、たくさんの応援コメントをくれる皆ふくめ。それは私の宝で本島に大切にしたいのです。でも、一番初めはたった一人ではじめました。今後も、もしたった一人になることがあっても、わたしは表現すべきだと思うことがあったら表現するのだとおもいます。それが物書きとしての私の矜持です。だからわたしは他の方の意見も先ずは頭をたれてききます。番組だとそれをやりすぎると話す機会がとれないので、途中で口を挟んでしまうこと多くて自分でもやなのですが。すくなくともあんまり意見といえない意見以外は、できるだけ削除しないでいくほうしんですよ。でも、みんなの場所だから、そこはマナーをぜひ考えていただけたらとおもいます!!cそして何より楽しいコメントお待ちしていますね!!あ、部屋がきたないのはすんませんね。これだけ言わせてもらうなら、空虚だからというより、アーティストとして表現したいことがおおすぎて、豊穣すぎて、忙しすぎてお掃除している暇がないのだよー。
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