京都で伊藤若沖をみてきました!
何でかというと、伊藤若沖と言う画家さんの作品が今大ブームになつていて、毎日何万人もが並んで、数時間待ちになっていると聞いたから、知り合いの編集さんと「これは書き手として見ておかないと駄目でしょう」ってことになったわけです。だってロックでも野球でもないのに何万人だよ。3時間半待ちだよ?なのに並んで人が見たがる絵ってすごくない?ディズニーランドじゃないんだからさ。
若沖はね、享保元年(1716年)生まれというから、江戸時代の人ですね。京都の青物問屋の長男に生まれたのに商売が嫌いで、絵ばかり書いていたそうです。いわゆる俗なものには目もくれず、と言う生活態度だったみたいで。そんな彼がやっと心を許す人と出会えた時、その人が禅寺のお坊様だったのは運命だったのかもしれません。その人の名は大典禅師。相国寺というお寺を預かる方で、若沖という名前も禅師の命名だそう。
その後、どんどん若沖は作品をお寺に寄進。禅師としての修業も始めたんじゃないかな?年表見ても絵しか書いてないから、多分そうなんじゃないかしら。そんなあれこれで彼の作品は、自然に禅的な世界観を含みながら出来上がっていきます。そしてこれがまた、なんとも現代的な大胆さなの!!
彼が好んで書いたのは鶏、特に鳥、雪景色などを書いたとき秀逸で、彼の作品で有名なのが、釈迦三尊像と動植綵絵30幅。今まで皇室にあったものが今回公開されたとあっての大フィーバーとなったわけで、もちろん素晴らしいの一言!!ただ、彼はやっぱり人間より鳥が好きだね。どうみても熱の入れ方が違うんだもーん。お客さんもお釈迦様の前はまばらで、鶏の前が行列でした。でも、本当に素晴らしいんだ、これが。とりのなんこさんも言ってたけど、「孔雀より豪華な鶏ってどうなの?」て感じ、まさにね。
でね。見ていて私思った。いくら才能桁違いと言えど、私だって絵を描いて生業としているわけで。こんな濃密な時世間を、画幅に対面した人がいたんだって見てしまうとさ。ああ、私死ぬまでに何ができるんだろうって、本当に考えてしまうんだよね。
生活もそりゃあ、しなけりゃいけないけど、私も残りの人生でこのくらい濃密な時間を過ごして死にたいなってすごく激しく思った。私、幸いにして独身なわけだし、普通の人なら子供や夫の面倒見なくちゃいけない時間を、絵を書いて生きられるんだからさ。なんかもっと徹底して仕事をしないと、漫画家を名乗ることに対して申し訳ないと思ったのね。「ああ、もうふざけている時間はないな」って思いました。漫画にしても、他の表現にしても、もっともっと理由はこうとか、今これがうけるとか、そんなことじゃなくて、何百年か後に誰かが見てくれた時にいいなと思ってもらえるのかとか、自分が人に真剣に伝えたい静かな時間とか、真剣な愛とか、あるいは孤独の時間の快楽や悲しみや。そんなものをそろそろ表現したいなって思いました。ああ、わたしそうして漫画家になったんだって。漫画家になりたいけどなれなくて悶々としていた頃、愛甲石田のアパートから程近い東名の高速道路上の高架線で、都内のほうに流れる車見ながら、私の書きたいって夢はどこかに流れていくのかしら、それともココで費えるのかしらって、すごく悲しかったあの時のこと忘れないで、また頑張らないと、とおもいました。だから連れて行ってくださった編集さんにすごく感謝しています。
皆もチャンスがあったら伊藤若沖見てみてください。とってもいいですよ。彼のは色彩が豪華でまるで洋画みたいな華やかさ重厚さがあるんだけど、私は水墨画も好き。色んな画風を持っている人です。うふふ。未明もね。色んな顔があるのですよって、これは余計だったかな?