会社にある鳩サブレーを見ているうちに祖母を思い出した。
私が記憶に残っている頃の祖母はすっかり丸くなって、何かにつけ私をほめてくれた。
ドリルや問題を解くたびにほめまくるので、私は自分が「頭がイイ」と勘違いして、祖母が持ってきた問題集やドリルをどんどん解いていったのだった。
小学校低学年の頃ちょっと難しい高学年の本を読んでいると、また祖母がほめてくれたので、私はズンズン難しい本にチャレンジするのだった。(中身はどこまで理解していたか定かではない。)
それからありえない事に、私のこのくすんだ鼻声まで「sakeはきれいな声をしているね~」とほめていた。
しかしだんだん小学生も学年を経ていくに従い、それがアホに思えてきた。
現実的に、友だち一人も作れないいじめられっ子だったのである。
私にはそれがただの「しらじらしいお世辞」にしか思えなかった。
それにかの家は祖母と母親の折り合いが悪く、母は祖母の悪口ばかり言っていたので、思春期的にもだんだん祖母から遠ざかっていった。
何か言うたびにウザイなぁと思っていた。
祖母はだんだん愛想がなくなった孫に「小遣いあげようか」しか言わなくなっていった。
でもそれも冷たく断っていた。
別に祖母が嫌いなわけではなかった。
そんな祖母のお金を無駄にしたくなかったという気持からだったけれど、私は無愛想だった。
冷たくいつもあしらっていた。
妹は祖母とどんなからみをしていたか分からない。
妹はいつも気が利いて優しかったので、両親の愛情を独り占めしていた。
(少なくても私はそう感じていた。)
自分のことより、まずは周りの人のことを思いやる妹だから、いつも親から好かれて比較されて、私は疎んじられていた。(少なくても私はそう感じていた。)
だけど祖母は相変わらず、小遣いあげようかとか、白々しいお世辞を言うのだった。
身体も弱くなり、いつしか祖母は病院に行ったり戻ったりになり(結構ワガママから出たり入ったりだったというウワサもある)、家の中から存在が薄くなっていった。
私は中学生になり、家のことより友達が学校のことが中心になっていったし、帰ってからは部屋にとじこもりきりになった。
祖母が亡くなったのは高校生の頃である。
もう家にはほとんど居なかったので、「あぁそうなのか」と思った。
あの頃は父が働き盛りだったので、いくつも花環が届いた。
あぁすごいなぁと思った。
そんなことをぼんやり思い出す。
それから何十年もしたある日、ブログを通じてお会いした女性に「いい育ち方をしているのね」と言われた。
どこがどうそうだったのか、何となく訊かずに終わってしまった。
でも、私が今こうしてここにあるのは、祖母の存在がたぶん大きいと思う。
何十年も経って、今そんなことを思い出す。
鳩サブレー。
どうして時々、家にあったのだろう。
よく分からないけど。
私が記憶に残っている頃の祖母はすっかり丸くなって、何かにつけ私をほめてくれた。
ドリルや問題を解くたびにほめまくるので、私は自分が「頭がイイ」と勘違いして、祖母が持ってきた問題集やドリルをどんどん解いていったのだった。
小学校低学年の頃ちょっと難しい高学年の本を読んでいると、また祖母がほめてくれたので、私はズンズン難しい本にチャレンジするのだった。(中身はどこまで理解していたか定かではない。)
それからありえない事に、私のこのくすんだ鼻声まで「sakeはきれいな声をしているね~」とほめていた。
しかしだんだん小学生も学年を経ていくに従い、それがアホに思えてきた。
現実的に、友だち一人も作れないいじめられっ子だったのである。
私にはそれがただの「しらじらしいお世辞」にしか思えなかった。
それにかの家は祖母と母親の折り合いが悪く、母は祖母の悪口ばかり言っていたので、思春期的にもだんだん祖母から遠ざかっていった。
何か言うたびにウザイなぁと思っていた。
祖母はだんだん愛想がなくなった孫に「小遣いあげようか」しか言わなくなっていった。
でもそれも冷たく断っていた。
別に祖母が嫌いなわけではなかった。
そんな祖母のお金を無駄にしたくなかったという気持からだったけれど、私は無愛想だった。
冷たくいつもあしらっていた。
妹は祖母とどんなからみをしていたか分からない。
妹はいつも気が利いて優しかったので、両親の愛情を独り占めしていた。
(少なくても私はそう感じていた。)
自分のことより、まずは周りの人のことを思いやる妹だから、いつも親から好かれて比較されて、私は疎んじられていた。(少なくても私はそう感じていた。)
だけど祖母は相変わらず、小遣いあげようかとか、白々しいお世辞を言うのだった。
身体も弱くなり、いつしか祖母は病院に行ったり戻ったりになり(結構ワガママから出たり入ったりだったというウワサもある)、家の中から存在が薄くなっていった。
私は中学生になり、家のことより友達が学校のことが中心になっていったし、帰ってからは部屋にとじこもりきりになった。
祖母が亡くなったのは高校生の頃である。
もう家にはほとんど居なかったので、「あぁそうなのか」と思った。
あの頃は父が働き盛りだったので、いくつも花環が届いた。
あぁすごいなぁと思った。
そんなことをぼんやり思い出す。
それから何十年もしたある日、ブログを通じてお会いした女性に「いい育ち方をしているのね」と言われた。
どこがどうそうだったのか、何となく訊かずに終わってしまった。
でも、私が今こうしてここにあるのは、祖母の存在がたぶん大きいと思う。
何十年も経って、今そんなことを思い出す。
鳩サブレー。
どうして時々、家にあったのだろう。
よく分からないけど。
本心からsakeさんがかわいくて、
なんでも最高におもえたのでは
ないかな。・・。と思いました。
小さいころ、周りにそういう
大人の方が一人でもいてくれると
後で幸せな記憶がどこかに残って、
それで生きていけると思います。鳩サブレ、
甘苦い思い出の味ですね。
いろいろ考えちゃいました
まぁ 成るようにしか成らないので今のまんまで行くしかないか
sakeさんの気持ち ちょっとわかります。
私も同居していた祖母が疎ましく思った時期がありました。
亡くなった時は悲しかったなぁ
高3の春でしたよ。(父は中2の晩秋)
2人の娘(孫)は、大きな力になってくれた。
傍で、話をしたり、顔出しただけで、母は気が休まったようだ。
2人のお別れの言葉も
母が仕向けたように、2人が進んで前に出た。
ハズカシガリヤの娘だと思ってたら、
しっかり、祖母の別れの言葉を伝えた。
その娘達も、母になった。
永遠に繰り返す、人の出会いと別れ。
sakeさんの無念さが、じんわり沁みました。
孫への愛は、正に無償の愛だったと思います。(涙)
多感な思春期(特に女の子の)に有りがちな、父親への疎外感と同様に、「うざいな~」となるのでしょうね~。
年齢と共にせめて「お小遣い上げようか」の、愛情表現が、哀しいですね。
私が今、こうして存在し人間形成があったのは、おばあちゃんの存在が大きかったのだろう!
そんな気のするsake さんの今でした。少し塩味の効いた鳩サブレーもひとしおの味!!
私のイメージでは祖母は優しくて弱い人。
いつもほめてばかりいるので、私はいい気になって、トランプとかでも祖母を降参させるのが楽しみでした。(^_^;)
で、またいいようにやられてくれたので、ますますトランプがゲームが大好きになって・・・
初孫だったので可愛かったのではないか?と言う母の後日談でした。母(実の娘)にはそうではなく、怖いお母さんだったとか・・?
ミツゴの魂100までと言いますが・・今数独が好きだったりするのも、あの頃の影響もあるのかもしれませんね?鳩サブレー、甘すぎるかな?と思いましたが、懐かしい味でおいしかったです。
うっ!祖母の立場・・まったく考えず乱筆・・何か失礼なことを書いてしまったでしょうか。(^_^;)
祖母は私にはすっごく優しくて・・でもそれに乗じて図々しく育っていった私・・・思春期には冷たくなって・・・でもいつも優しく見守ってくれたんですよね。
そんなことを思い出します。
私の家は祖母と母がいつもケンカばかりしてて、本当の親ひとり子ひとりの親子だったので、底には愛情があったと思いますが、子供だったので私にはそこまで分からなかったんですね。
祖母が亡くなった時は、母が情緒不安定になるのではないかと、それの方が心配でした。
でも本当に小さい頃は祖母が友人と旅行に行ってしまうのもイヤで泣いたいたんですよね。(^_^;)おばあちゃん子だったのでしょうね。
みみさんはお父様も早く亡くしていたんですよね。
中学の頃では淋しかったでしょうね。
おばあさまも先に息子さんを亡くしたことになるのでしょうか。自分の身におきかえて考えると、とても辛い思いをされたのですね。。。
やっさんは単身赴任時代がおありだったんですね。
そうですか、その間にお母様が倒れたことがあって、お孫さんが会いに行かれたんですね。^^
お孫さんが来てくれるときっとうれしいでしょうね。
自分に孫という存在がないから実感は分からないけれど、よく、孫の写真をスマホの待ち受けにしている人がいるので、きっとそうなんでしょうね。
そう言えば私の父も、kekeが大好きだったっけ。
親だとしつけや、そう言うのを気にするあまり、べた褒めできないですよね。でも祖父母って、それができると言うか、親と違った役割ができるような気がします。
それが孫の人格形成にとても役立っているような。。。
なんて今頃になって思い出したりしますね。
本当に孫って無償の愛なのでしょうね!自分ではまだ経験がありませんが、そんなものなのでしょうか。
母に言わせると祖母は怖い人だったそうで、私のイメージと全然違うのです。自分の娘には厳しかったけれど、孫には優しかったのかな。
なんであんなに「うざいなー」と思ってしまったのか、本当はどんな人だったのかよく分からないのです。母と祖母は実の親子で、それが介護をしていたので、ともかくケンカばかりしてて、子供だから母の方についてしまっていたので・・今だったら、どんな話ができたのだろう?どんな人だったのだろう?と思うことがあります。
私はいじめられっ子だったり、親からも怒られてばかりいてひねくれている割に、どこか「やればできる」みたいな変な自信があって、これは祖母が褒め続けていたからかな~と思うことがあります。
祖母と孫・・・絆はないようで、底に培ってくれたものがしっかり残っているように思いますよ。(^o^)
たまにお散歩をする時に、祖母の職場(小学校)の前をよく通ってるんですよ。