きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

最近読んだ本「ごえんの法則」「大好きなひとに世界一!愛される魔法のプリンセスレッスン」

2012-07-04 | 読んだ本
最近読んだ本の紹介である。

ひとつは「ごえんの法則」(小林正観 著)もうひとつは「大好きなひとに世界一!愛される魔法のプリンセスレッスン」(上原愛加 著)である。

両方とも図書館の返却棚にあった本である。
今までスピリッツ系の本(前向きになればイイことがありますよと言うタイプ)を内心コバカにしてきたと言うか、「そんなんで運命が変わりますかね」とタカをくくっていた私が、どう言う風の吹き回しだろうか、思わず借りて持ち帰ることにした。

「ごえんの法則」で目からウロコになったのは、「努力」の考え方である。
今生きている現世では「努力」の反対は「怠情=好ましくないこと」と教わってきたが、あの世では「努力」の反対は「感謝」だと言う。

「努力」とは自分1人しか信じない、だから自分の力を磨くための努力、しかしあの世では、努力よりも感謝=「自分は周りの人、生物、植物、物、全てに支えられていることに感謝する」ことだと言う。最終的には周り全てから支えられている、自分も周りがあっての自分である、と言う。
(本は返してしまったのでもう原文通りではないが、こんなイメージ。)

それから、魂は何十万回も生まれ変わる。ただ物や生物に宿った時しか成長できないそうで、今の悩みや苦悩は魂を浄化させ成長するための課題と言う。だから心底悩まないで、「そうきましたか」と受け止めればイイ、それが次の魂のステップなのだから、と説く。
(なんせ自分がまだそこに到達してないので、本とは解釈が違うかもしれないが、そんなイメージ。)


それからもう1つの「大好きなひとに世界一!愛される魔法のプリンセスレッスン」

50歳手前のオバサンが読む本ではないのは承知しながら、怖れ多くも感想を書くと、「これを読んだら、本当に大好きな人に愛されるような気がしてくる」本である。少なくても私はそんな気がしてきた。

本のところどころで「先生のレッスンの通りにしてみたら、本当に彼から両手いっぱいのバラの花束をプレゼントされました♪」みたいな体験談がつづられ、これも半信半疑で「ホンマかいな」と思いつつも、この本に書かれていることを素直に受け止め、実行してみると、素敵な彼が現れるような気がしてくる魔法の本である。

何よりこの本は無理難題を要求しない。
ただひとつ、心だけは素直に信じて、あとは誰にでもできるようなことしか書かれていない。ある意味、おまじないに近いものがある。

しかし、よくよく読んでみると「たしかにこれは男心をつかむかも」と言う理論に裏付けされた内容になっていて侮れないのだ。今、恋にお悩みの人がいたら、だまされたと思って一度手に取ってみてほしい。(合う合わないがあると思われるので買えとまでは言えない。とりあえず手に取ってほしい。)

そしてこの本の最後には「スペシャルプリンセスダイアリーの魔法」と言うページがあり、それはコピーしてバラバラに切るとカードになり、シャッフルして日付を書き、毎日1枚づつメッセージを読みながらカバンに入れておくといいことがある?!・・と言うスペシャルカードなのである。

私はこれらの本を読んで、今までコバカにしていたにもかかわらず、本当にこれから幸運が舞い降りて来るような気がしてきている。
いったいこれで良いのだろうか。

これがまさに「信じる者は救われる」と言うことなのだろうか。
これ以上深くは追求しない。
毎日がハッピーならそれでよいのだから。


104 コメント

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退院よかったです (sake)
2012-08-08 12:09:34
そうなんですか。
大したことがなくて、よかったですね!
手術とかあると、また心配になりますよね。
あと1ヶ月半で退職ですか。
これからは二人でのんびり過ごせますね。旅行や温泉や、想像するだけで楽しくなりそうですね。^^

息子さんはご主人が居ない時はかわって頼りになる存在なんですね。
私は愛情がB型の性格なのか、興味が集中しがち。。。
kekeしかいないとkekeばかりになってしまって、今までプレッシャーを感じていたようです。

ご主人が居ない時に息子さんの存在が見えるなんて、たくましくていいですよね。
30過ぎるとそうなるのかしら。^^
私もいつかそんな気持を味わいたいです。
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明日退院 (つみき)
2012-08-08 03:33:37
先週の金曜日に入院した主人は明日、退院となります。
手術の必要ないとの事ほっとしました。
9月末で退職と言うゴールのテープ、わずか手前でコケちゃいましたって感じで済んで良かったです。

夫がいない間は 結構「息子」を頼りにしました。
どうしても頼らなければならない事は
姑と義弟の所に食材を運ばなければならない事、主人が 入院している事を悟られないよう息子の運転で向かった事や 主人の見舞いや家庭内の事。
主人がいなければ それなりに息子がやってくれたり、いつもよりも息子との会話が増えた。
主人が居なければいないで息子の行動が見えてくる。
sakeさんのような愛情を注がなかった事に少し反省をした。


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>つみきさん (sake)
2012-08-04 08:46:55
本当に重ならなくて良かったですね。
つみきさんが「辛い」とメールしたのは結婚以来初めての事だったんですね。
そんな時ご主人が入院とは。。どのぐらいになるんでしょうかねぇ。。早く家に帰ってこれるといいですね。^^

病院は近くではないんですね、暑い中通うのも大変だけど、相方がいない私は羨ましい気持です。
困った時に助け合うことができるのは夫婦の醍醐味だと思います。他の人にはできませんから。

このまま無理して悪くなるより、早い時期に入院できて良かったのかも・・・何の本に書いてあったっけ?
病気になるのは神様が「少し休みましょう」と言ってくれているとか。

貸し借り助け合える夫婦関係、いいですね。^^
お大事になさってくださいね。
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重ならなくて良かった (つみき)
2012-08-04 04:58:48
sakeさんの背中を押す為に綴った「往復書簡」がジャスト100で終わりにするつもりでした。
人生順風満帆「きっといいことあるよね」
そういう気持ちで前向きに生きていても何が起こるか人生進んでみなくては分かりません。
私が今週始めに熱中症になり頭痛、吐き気に襲われ、たくさんの洗濯物と布団をも取り込む体力と気力がなく一人苦しみもがいていた時、主人にメールで「辛い」と訴えたのは結婚以来初めての事。
「すぐ帰る」に
今が辛い会社から帰り支度し通勤で2時間後帰宅しても何の役にも立たなかったが、私はその時の主人の態度を試したのかもしれない。
昨日予想だにしなかった事主人が緊急入院となった。
前日に嫌な予感はあった。
定時で帰る時間をとうに過ぎても、何の連絡もなし。おかしいなと思いメールすると、帰宅電車内で爆睡してしまったと。
晩ご飯どころか私は気になり外をうろうろし夫を待った。疲労困憊、翌朝の食欲もなく いつもよりもソファーに腰掛けている時間がながかった。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ 今日は企業医が来るから診てもらうよ」と。
昼電話が夫から
「入院になっちゃった」私の事を心配し早退帰宅した主人に貸しを返す番だ。今日も見舞いに東京まで通う。
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横浜の占いの館は (sake)
2012-07-31 12:55:39
1000円で占ってくれるんですね。^^
それだったら、ちょっと迷っている時にお願いできそうです。
私が見てもらったのは、3000円ぐらいでしたかねぇ、東京の真ん中だったような気がします。
元夫とデート途中で、元夫が私が占い好きだったので、やってみたら?とお願いしてくれたんだっけ。
そう言えばそんなこともありました。悪いことばかりじゃなかった、優しい所もあった人でした。

占いは当たる当たらないではなくて、つみきさんが言うようにそれをヒントで自分を見つめ直すきっかけになりますね。それから話を聞いてくれる人になれると思います。
身近の人では話せない身内や恋愛話も占い師なら相談できる事もあるかも。
男の人がホステスさんにボヤくのと同じように、知らない人ならでは言えたり、聞ける話もありますね。^^

ほんとですね。
私も幼稚園時代のいじめられ話なんて、中学・高校ぐらいでもパンドラの箱でした。
日記も嫌で捨ててしまいました。今から思えば、おばあちゃんに可愛がられて、幸せな面もたくさんあったのにね、でももういじめられてるだけで、悲惨だと思ってました。

40年経ったらそれも笑い話です。^^
つみきさん、悲壮感ないですよ。ご主人にも恵まれて、お孫さんにも会えて、苦労も多かったけどその分が実ってる人生じゃないですか。^^

今、このタイトルの「ごえんの法則」の作者の本をまた借りてますけど、人生でつまづいた時は「良いことがある先払い」だそうです。

恋愛も子供のことも、一時期悩んだけど、それが解決する時はグッと解決するんですよね。^^
成長のきっかけです。

そうそう、結婚線3本は3回の結婚では無くて、大きな恋愛が3回あるってことみたいです。
さすがにこれから結婚相手を探すのは大変だし、独身の人もなかなか居ないから、現実的には難しいかもですね。
でも、あこがれてはいたいです。ずっと。。。
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往復書簡最後です (つみき)
2012-07-31 09:33:47
sakeさんのブログで私自身の
「パンドラの箱」を開けてみました。
封印していた過去も もしかしたら 人の役になるならと恐る恐る紐解いてみたら、子供の頃の記憶がこんなにも次から次へとあふれ出すとは思わなかった。思い出すのが怖かったのかも知れません。大っ嫌いな記憶だからこのまま墓場まで持って行こうとしてましたが、変える事の出来ない過去事実でも 年月で変っていくものだと分かりました。
自分が成長し、立場が代わり親の役割を担う事になったら その頃は「私だけが不幸な星の元に生まれた」「大っ嫌いな私の子供時代」決め付けていたものが ちょっと成長した自分からは大人の都合も理解できるようになってました。
嫌な経験も今は自分の糧となり 人に優しく出来るのは過去を全て引きずってきた結果の今の自分です。
私を理解していない人で私を理解したみたいに「つみきさんて幸せな人だね」とか「つみきさんて悲壮感ないね」って言葉に どれだけ私を理解しているのかと。本当の私を知っている竹馬の友とそして sakeさんには「つみきさんて幸せ」「悲壮感ないね」っていわれたら 素直に「ありがとう」って言える。sakeさんからの100回目の往復書簡を楽しみにして最後にします。
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占いの館 (つみき)
2012-07-31 08:08:18
昨日は寝ていられない程の偏頭痛と吐き気に参った。病って孤独な戦いですね。自分だけが耐え、誰も助けられない。時間が解決するって「人生」みたい。一夜明けると、また昨日と同じ夏空。でも昨日とは違う晴れやかな気持ち。今日も幸せ。
ところでおばさん4人で何占うの?って?。
それが人生それぞれ悩みってあって
1回1000円だからお遊び感覚で。たぶんsakeさんの手相占い知識があれば私たちから1000円取れると思う。自分で過去も未来も占えるのって怖い。赤の他人に黙って両手を出して過去を当てられたりしたら未来をも信じてしまう。
友達は何も言わずに手を差し出して
「今あなたはご主人と別れたいと悩んでいるならすぐにでも別れなさい」私たちは彼女が悩んでいる事を知っていたから何で分かるのかとギョッとしたが、占い師が言ったから「じゃあ そうする」じゃなくアドバイスとして自分がどうしたいか自分が結論だすかそのままにするか考えたら?と 言うしかなかったが当たっていると思った。1000円で決められたくはないのにまた占いの館に行く。私は二股かけた仕事に両方出来るはず、このまま進めと背中を押された。信じるから素直に聞けるアドバイスってあるよね。私も占い好きよ。
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昨日は (sake)
2012-07-31 06:24:51
とても大変でしたね。
家の中に居ても熱中症になるものなんですね。
私も昔なったことがあります。よその学校の運動会を見に行って、家に帰ってきたら吐き気はするわ、頭は痛いわでした。あれは苦しかったです。
あの時コーヒーを飲みすぎてしまったせいかと思って、未だにコーヒーは苦手です。熱中症だったんでしょうね。

ご主人が、それで早くに帰ってきてくれるのに驚きました。
しかもドリンクまで買ってきてくれるなんて!
そんな男の人にやさしくされた事がない私です。(結婚時代も含めて)
でも、父だったらそうするでしょう。結婚相手がいることは幸せなことですね。^^

つみきさんも同じ星座でしたか!
奇遇ですね、うれしいです。
中華街に占いの館があるんですね。
私も占い大好きです。高いので見てもらったことは一度しかありません。でも、今に思うと当たってますね。

4人でワイワイ占い、楽しいですよね!
想像するだけで私も楽しいです。
何だろう?
私だったら、素敵な人が現れるかどうかだけど?!
旦那さんがいる人は何を占ってもらうんでしょう?^^
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手相占い (つみき)
2012-07-31 02:53:50
また 真夜中目が冴えた。
昨日家の中でソファにねころび夏休みを満喫していたところ 段々と熱中症に似た症状
頭が割れる程痛くて、身体じゅう冷たい汗ビッショリになり、吐き気がして吐いた。
眠るどころではない。ベランダいっぱいの布団と洗濯物が取り込めない。転げ回る程痛い。頭がガンガン。日頃の健康な身体にどれ程有り難みを感じた事か。隣りのドアにピンポンする気力もない。メールで主人に「SOS」直ぐに帰るからと言っても今そばに居て欲しいのに2時間弱が我慢出来ない。例え誰がいても役にはたたないのに。むしろ一人でのたうち回っていて良かったかも。きっと熱中症の人の中にも、救急車に運ばれないまでもこんな状況で耐えている人も多くいるだろう。回りに大騒ぎする人がいたならば病院に行かされている。バッファリンが利いたみたい。主人が「経口何とか」熱中症対策ドリンクを買ってきた頃には洗濯物をたたんでいたつみきです。

その後沢山寝たのでsakeブログ「占い」の続きを読みました。
sakeさんと同じ星座でした。血液型はO型の私です。手相は変わると言うので毎年、横浜中華街の中の「市場通り」路地の一角にある「占いの館」に中年女子4人で占ってもらってます。何をって?
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夏の日の午後 (つみき)
2012-07-30 15:21:06
sakeさんや世の中働いている方々には申し訳ないけれど、家の中でウダウダしている。
子供の頃の暑い日の夏休みのよう。
ベランダいっぱいに洗濯物を干した。
昨日は私が仕事だったので私の留守に娘一家が来ても困らない様にと食べる物の準備と、孫たちが行水し、昼寝出来る様にしてきた。その後片付け?沢山の洗濯物は行水後のバスタオルや昼寝後のシーツが、日常より多くて3回洗濯。ウダウダはその後。
ソファに長まりながらsakeさんブログを読ませてもらう。直ぐ下の高校のグラウンドからは運動部の声と、蝉の鳴き声を子守歌に、ベランダからの風がカーテンを揺らし眠りを誘う。
心地よいひととき。何もない行事に不安より幸せを噛み締める。

sakeさんのご両親が海外旅行を計画され断念された事を、私自身に置き換えたら やっぱり私も行ける心情にはなれないよ。私も身内が健康である状況の時に旅行を計画する。

sakeさんブログの占いに手相に結婚線3本って?ムムム・・・。
幸せになる努力と勇気と冷静に判断力
頑張ってね。

つみきは
ウダウダし過ぎて
今頭が痛いです。
必要以上に寝過ぎたかな?
吐き気がしそうな程頭が痛いし汗ビッショリ頭が冷たい。
バッファリン飲みますね。
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もうそんなになるんですね。 (sake)
2012-07-30 07:10:20
え!と思ったコメントの数を数えると90いくつですか、長く続いたものですね。

そうですか、娘さん夫婦も偶然そのことを思い出していたんですね。
二人目のお子さんの時は頑張れた・・・二人目だって、もう一人いるから大変って世間では言いますね。それもクリアして立派なお母さんになったんですね。

つみきさんは、これから夏休みですね。
いいですね、お孫さんに会いに。
楽しみですね。^^

この前会ったお友達も「自分の人生を大切に」と言う話をしました。
私も両親が毎日好きなことをして人生を楽しんでくれたことが、とてもうれしい。それがなかったら、今後悔してしまっていたと思います。

両親は海外旅行を計画していたのですが、私が離婚問題が起きて、「そんな時に楽しめない」とキャンセルしました。
それは私の後悔でもあったのですが、つみきさんの娘さんと同様、子供がピンチの時に親が駆けつけるのは自然の気持ちなのかもしれないと思い、それはありがたく思うことにします。

私のブログはこれからはタイトル通りになる予定です。
毎日いいことばかりです。^^

占い、面白かったですか?
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往復書簡 (つみき)
2012-07-29 22:07:58
sakeさんには
私をさらけ出しました。
往復書簡もあと少しで100通ですね。
100になったら「私と言う存在」が完結しそうです。
生身の人間にこれだけ吐いたら引かれてしまいますね。
sakeさん
経験は自分を強くします。
今日コメントに送った事柄を久しぶりで口にしてみました。娘に。すると娘夫婦は驚いた様に
「お母さん!私たちも昨日 chunが生まれた頃の事を話したんだよ。あんな事があったから 今は何も辛くないよ」経験は人を強くしますね。
今は下の男の子kanには目を離せないらしい。それでも 耐えられる精神力を身につけていた。
私はと言うと
孫たちが帰った後はドッと疲れが出た。
「孫は来て良し、帰って良し」まさにその通り。
24時間 年中無休の育児頑張っている娘が頼もしいです。
明日から7日まで私が仕事休みを伝えると
「暇なら来てね」と言われた。
行って孫を見てあげようと思う。

sakeさんも きっと 優しいおばあちゃんになれますよ。
それと
ご自身も幸せになられる事も大事です。
sakeさんの幸せなブログ楽しみです。
今日不動産物件 現地販売会 暑さのせいか暇でした。
暇な時間にsakeさんブログ「占い」興味深く読みました。
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娘さんは (sake)
2012-07-29 20:45:28
そんな大変な思いをしていたんですね。
私もkekeが生まれた後は大変でした。なにしろ泣き止まなかったっけ。寝たのでベッドに置くと(当時から神経質だったのでしょう)目覚めて泣きました。
一日大半は泣いてました。母乳をあげて、残りをしぼってちょっとすると、また母乳の時間だったっけ。
半年後には朝起きると、ジンマシンが出ました。

でも、つみきさんがお手伝いにこられて、娘さんも良かったです。
私も両親が来てくれました。今でも覚えてます、ベビーフードを山ほど持ってきてくれました。私が離乳食を作るのに疲れてしまったからです。

考えてみると、人間は出産できなくなっても、寿命が長いですね。誰かが「孫を育てるため」と言ってましたが、本当にその通りだと思いました。
若い夫婦だけでは、子供は育てきれない。何かあった時、じいさんばあさんの出番なのですね。

うちはそんな事があるかどうか分からないけれど、孫ができるかもしれないから、長生きしなきゃ。
お嫁さんがピンチの時は助けられるようなポジションをキープしておきたいと思いました。

子供の成長は自分の人生の塗り替え・・私もそうでした。
自分は幼稚園時代、いじめられてちっとも楽しくなかったので、kekeが楽しく幼稚園時代を過していたことが、本当に報われた気持がしました。
親になると、いろんな思いがありますよね。^^
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代わってあげられない辛さ (つみき)
2012-07-29 04:54:49
私と娘は「一卵性親子」同時に同じ事を考えたり 行動したり。里帰りでも 手土産の手作り惣菜が同じだったり「考えている事は一緒ね」って程仲良し。娘が幸せなら私も幸せ辛い思いをしていても代わってあげることの出来ないのが辛い。娘は私が極度の心配性知って 反って辛いとは言わない。パニック障害が発症しあらゆる乗り物が乗れなくなり帰宅出来なくなってしまった時など迎えに行って遠い道を一緒に歩いて帰った。 娘の部屋の家具や物が全て無くなって、綺麗に掃除された跡形に 大事な大事な宝物が結婚と言う形で無くなった事で心が苦しくなる程泣いた。
結婚式の晩は布団の中で声を殺して泣いた。主人にも伝わり涙を拭くティシュを渡されると しゃくりあげて泣いた。娘の成長は私の過去を擬似体験させてくれた。
節目、節目は思い出せない私の記憶を積み重ねた。幼稚園卒業式に私ってこんな時に母が死んでなんて可哀相だったと思い自分にい涙したと同時に、悲しかったのは私だけじゃない。幼子を残してこの世を去らなければならなかった母の無念さに気づいた。
娘の成長で私は子供時代の不幸な自分を塗りかえた。娘には母親らしい部分が欠如した私が母親の真似事を必死でやっていたことに気付いていただろうか。
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続き・・・・ (つみき)
2012-07-28 23:26:02
娘は産後うつになってしまったんです。薬を正確に飲み続けて1年段々と薬の量を減して薬に頼らなくなり娘は完治した。
それまでに両家が手を取り合い孫と娘 息子たちの家庭を支えた。だから
私達は地獄の苦しみを協力しあったので仲が良い。
娘は幼稚園の先生を、27歳までやっていたので子供の扱いは慣れていた。
30人近くも世話していたからと。
でも たった一人の我が子でも抱く事が出来なかった娘は
「お母さんたちって凄いな」幼稚園とお母さんでは子育ての24時間年中無休がいかに大変な事か育ててみて分かったと言った。
最初の孫の出産から1年が過ぎて 薬が不要になった頃
「今度は 失敗しないから ちゃんと母乳で育てられる様に頑張らない様に頑張るね」と2人目を妊娠した。
言葉どおり
2人目は母乳で育てて病気も再発する事なくたくましく2人を育て上げている。
明日孫を連れて夜祭りにきます。
sakeさん
子供は2人とも可愛かったよ
でも 孫はまた違うね。これは経験者が語る通り「目の中に入れても痛くない」って言われる通り。
一言ひとことが愛しいです。私の事を
ばあばではなく ばあびーちゃんとか ばーばりーとか呼ばれると本当に嬉し可愛い。
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幸せの絶頂に地獄 (つみき)
2012-07-28 23:03:46
娘が結婚し孫が生まれて、世間では幸せの絶頂だと思われた時期に地獄の底に突き落とされた。
出産の喜びから数日が経ち、娘から笑顔が消えた。「お母さん 私赤ちゃんの泣き声を聞くと狂いそう」と。
何言っているの?この子。直ぐに保健所から保健婦さんが訪ねてくれ病院を勧められた。辛い毎日だった。
病院からは赤ちゃんに母乳を飲ますのを止めさせられ、娘はうつ病と診断され薬を飲んだ。じっくりと長期間で治す為の薬と短期、即効性のある薬とを飲まされた。即効性の薬が切れる朝には
「もう嫌だ」が始まり廃人のように眠る。
婿さんの朝ご飯、弁当を作り送り出すのは私。孫の世話しながら娘を見て夕ご飯作る。婿さんが夕方帰って来たら私は自分の家に戻ると洗濯、夜ご飯の支度と朝ご飯の準備し夫が戻って夕ご飯。そして風呂に入ったら娘の家に車で送ってもらい泊まる。この生活が娘の辛い暗い地獄のトンネルを抜けるまで続けた。私の身体はギリギリで娘と辛くて泣いた。婿さんの家庭もお父様が危篤状態で どっちも辛い状態だった。
それでも 両家の孫は天使だった。娘の長期間の薬が効いてきた頃から段々と笑顔が出てきて「お母さんも大変だからおうちに帰ってね」には泣けた。やっと明るい娘が戻ってきた。
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今日は (sake)
2012-07-28 17:17:26
つみきさんは5時までお仕事なんですね。私は父の所に行ってきました。
今日はほんとに昼間暑かったです!
エアコン、ガンガンつけてました。

次姉さんは20歳違いなんですね。
20歳と言うと、私で言うと、67歳。
んん・・・年齢のギャップを感じます。
姉と言うより、何だろう?兄弟と言う感覚ではないような。

娘さんは私より若いぐらいですよね、母親から不満をぶつけられるのって辛いですよね。自信を無くさないでいると良いのですが・・・。

相談相手は57歳になっても大切なんですね。
婿さんのお母さんはそんな存在なんですね。母親同士が仲良くて、娘夫婦さんもうれしいでしょう。
世間では息子方の母親と娘方の母親が合わないなんて話もザラにあるのに、つみきさんは誰とでもうまくやっていける性格なのかもしれませんね。

孫ってどんななのかなぁ?
今までは「どうせ孫なんてできない」と思っていたけれど、これからはいっぱい夢みて過ごすつもりなんですよ。

それで予想通りにならなくても、その時の楽しい気持ちは楽しみを呼んでくれるかもしれないから。^^

今日は車で遠回りもしてきました。
最後に洗車もして、家に戻ってきました。
せっかくきれいに洗ったから、しばらく雨が降らないでほしいです。
返信する
人生の先輩 (つみき)
2012-07-28 10:46:32
今日から逆サマータイムなんです。
11時出勤の午後5時まで物件販売会になり1時間ずれたので、朝5時からたっぷりロンドンオリンピックを堪能しました。開会式って4時間?長いですね。
sakeさんにとって昨日は「人生の先輩」との時間は有意義な時間だったと思います。
道しるべとして大切になさって下さいね。

私も次姉が、20歳違いの母親代わりが 人生の道しるべとして、正しく導いてくれたら良かったのですが。
私達の実家を姉は捨て実娘一家と暮らしてますが、不満は今度は実の娘に向いてます。姉の不満は一生治らないと思うし そんな姉を尊敬はしていません。私には反面教師として姉の生き方の反対をやってます。
長姉の導きの無くなった今の私の道しるべは娘の姑さんです。
この年57歳でも まだまだ未熟で 相談する人が必要です。
そんな時 婿さんの母親に電話したり 自宅にお邪魔したりして話をするだけで癒されます。
孫の共通の「ばあば」だから話題も2人の孫の成長を見守りながら語れるのは本当に幸せ。娘も同時に可愛がってもらえるし。

今日も暑くなりそうね。そろそろ仕事に行ってきます。
sakeさんはお父様のところかしら?
気をつけてお出かけ下さいね。
返信する
友達 (sake)
2012-07-28 06:22:02
そうなんですね。
お母さんが亡くなってから来られた継母さんはちょっとキツイ方だったんですか。。。
お友達が居る目の前でそう言ういい方をするなら、普段はもっとキツイ言葉もあったのではないかと思います。
楽しそうに遊んでいるのが気に入らなかったんでしょうかねぇ。
時々そう言う意味のない嫉妬をする中年女性いますよね。前にブログで書いたけど、小学校の担任も先生で母が言ったことが気に入らなくて娘の私に八つ当たりしてた人が居ましたっけ。

でも本当にお父さんの事が大切で一緒に幸せになりたいと思ったら、まず娘とうまくやっていくことが先決だと思うんですけどね、お父様も普段家に居ないから知らずにいたんでしょうね。

でも、つみきさんには恵まれたこともたくさんありますね。
それほどまでに分かり合えているお友達、まじめなご主人、それから娘さん、息子さん、お孫さんまで。。。

幸せな方に目が向いているからきっと毎日明るく元気でいられるんですよね。

私も昨日は友達居ないなんて言っていたけれど、昨日の夜はお友達(いいえ人生の先輩ですね)にお会いしました。
記憶をたどると1年半ぶりだそうです。
本当は遠くてめったに会えない所にお住まいなのだけど、たまたまこちらに来る機会があったのです。^^

このブログがきっかけで会うのは3度目なんですけど、昨日もとても楽しく過ごしました。
「いいお友達いるじゃん!私」と思いました。
見回すと、私もなかなか恵まれていると思いました。^^
返信する
続き・・・ (つみき)
2012-07-27 09:07:28
私の友達とは高校時代が一番仲良しだった。中学3年で同じクラスになり、私は地元の公立高校、彼女は電車通いの私立女子高にと別々の進路だったが、学校が終わってからとか、休みの日とか夏休み、冬休みなどは良く遊んだ。遊んだと言うよりもサラリーマンのお嬢様にしたら、貧乏だけれど地元の大きな家の我が家が気に入って入り浸った。
友達が高校2年生の夏休みに原付バイク免許を取ると私も真似して取る。彼女のホンダ、モンキーを買えば私は家のスーパーカブを乗り回していた。
ある冬休み、友達のモンキーを借りて運転するのに、友達のロングコートも借りたうえで雪解けのワダチに乗り上げて横転。泥だらけのまま返した記憶はある
「あの時はごめんね、バイクにコート泥だらけで返したね」昔話に「手袋もだよ、ハハハ」と
当時を思い出すと何やってたんだ、つみき。
のちに縁があってか友達の実家が新築を建てる際に我が家の敷地に仮住居として家を移築し新居完成まで土地の一部に住んでいたらしい。(私や友達が結婚後の話)
何でも話せる隠し事の無い友達。
仕事での友達とは今でも「女子会」嫁姑の話、介護の話をする。
結婚初めてのマンション友達とは今でも子育て、孫話を電話する。まだまだ友達沢山いるが。
返信する
友達 (つみき)
2012-07-27 08:41:54
sakeさんの今日はどうなるのでしょうか?経理での入金催促と得意先の未納のいたちごっこの結末はいかになりますかね。
私の長兄が電気工事請負いをしていたので事情は良く分かります。お客さんから集金できなければ、工務店や材料費支払いが出来なくて 未納のたらい回し。まさに金は天下の回りもの。お金が回らないと至る所で仕事にも支障をきたしますね。sakeさんは愛社精神のもと責任感 使命感で必死ですね。ただ請求された方は1日でも延ばしたいそうおもっている。

私事の話に戻ります。sakeさんのお母様同様私の次姉は、やはり辛い立場だったこと、認めてあげなければならない人ですね。頑張っても文句ばかり言うと駄目ですね。

私には
幼い頃から
私以上に私を知っている友達に曲がらない人生に導いてもらった感がある。
幸せなお嬢様だったけれど貧乏な私とは何故か気が合ったんです。最近言われた言葉に
「つみきの家で二人で遊んでいたら
継母がきて『つみき!お父さんのお弁当を、さっさと作りな!』の言葉びっくりしたよ」と。継母が作ればいいのにと友達は思ってムカついたと。
私は全然覚えていない。友達には衝撃でも私には、当たり前だったのかも。こんな事は辛いうちには入らない。

返信する
辛すぎると (sake)
2012-07-27 06:23:42
記憶がなくなるんですか。
それはまさに私の幼稚園時代のよう。
本当に記憶がなくて、ただいじめられていた記憶だけ。それからたった二日、友達が仲良く接してくれた日があったこと。

中学時代まではその幼稚園時代を思い出すのも、人に言われるのも辱めでした。
今思えば、いじめている方が悪いのに。子供は残酷です。いじめられている人はいじめていいものだと思ってる。
男の子からのいじめは傷ついてないです、ワンツーマンで来るから。女は自分達にだけしか分からないように、見えないように必ずツルんでやりますね、1対1ではできないぐらい自信がないんでしょう。

つみきさんは、親友がいるんですね。^^
何でも分かってくれる友達がいるのは良いですね。
私はそこまで仲の良い友達はいないですね。あえて言えば妹は何でも知ってて、頼れる妹ですが。

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 (sake)
2012-07-27 06:14:01
そうなんです。
母は小さい頃苦労しましたけど、どんどん年を取るほど幸せになりました。
あの父でなかったら、あんな風にはならなかったと思います。

そうですか、次姉さんは不満を次々に持っていく方だったんですね。
私の母もそうだったかも。。実の母親が居る時は母親に怒り、亡くなると私に怒り、私が家を出ると父に怒っていた。。

母が亡くなる1年前ぐらいだったかなぁ、父にさんざ八つ当たりしていた時期があって、偶然近くのスーパーで父に会いました。
カートを押しながらそんな話をして、「あの頃はsakeに悪いことをした。ごめんね」と父に謝られました。

そんな遥か昔のことなのにビックリしました。
でも、母のことは恨みに思ってません。本当に小さい頃苦労したので、精神的に育たなかった部分があったのだと思います。

私も外にうまく出せないだけで、母と同じ気質は抱えていると思うんですね。なのでせいぜいブログで文句を言わせてもらっています。
相手が人でなくても、どこかで表現ができればそこである程度までは収まるんですね。

私は大学時代、早くに家に帰って、母の話をうんと聞いてました。そういうのを吸い取るのが上手なんです。
次姉さんも、本当は誰かが悪いからじゃなくて、誰かに認めてもらいたいのかもしれませんね。
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竹馬の友 (つみき)
2012-07-27 06:12:45
つみきには保育園からの同級生で出会ってから50年の女友達がいる。
正式には中学3年生の時にやっとクラスが一緒になりそれからが生涯の友達となり、付き合いは今も続いている。高校時代は別々の学校だったけれど、待ち合わせし、お互いの家に遊びに行くが帰りは送り道に行くと相手の家まで、喋りながら着いてしまうので、また送ってを繰り返しきりがない。
仕方なく両方の丁度真ん中が角道なので そこを別れの「バイバイ場所」に決めた。そんな付き合いは今も続いていて
電話もしょっちゅう。メールも 故郷に帰れば必ず会っているしわざわざ会いに行ったり、私の方へも呼び出して楽しい一日を過ごす。誕生日にはお互いがプレゼントをし季節には贈り物をする仲。
私には親しい友人関係が 何人もいるが 本当に心から何でも話せる友人は竹馬の友、一人です。
私には辛い過去の記憶がない。人間辛すぎる限度を超えると記憶がなくなる。
彼女は見守ってきてくれた。
今は笑い話のように小出しに教えてくれる。「へえ そんな事あったの?良く覚えているね」私の過去の生き証人。
だから
「つみきは幸せになる権利があるんだよ」
言葉に説得力がある。
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次姉の性格が原因 (つみき)
2012-07-26 17:29:00
sakeさんのお祖母さまも苦労したがお母様は良いご主人に出会ったのですね。お父様も早くに親を亡くされたから人の痛みの分かる方だと思います。
私の次姉も若かったし判断力も無かったし、辛い立場だった。
でも最初は婿さんの母親とも 婿さんとも上手くやっていた様に思う。もし次姉に家を守る毅然としたものが備わっていたり、思いやりのある人だったら良かったが、婿さんや義理母への不満のはけ口が実の妹弟に向かってきて、実姉から「てめえらが居るからだ!」と言われる様になった。そこに義母の元に九州2家族が出入りする様になり他人の家の様で、家を出る事ばかり考えていた。
3姉は22歳で嫁に出され、次兄も家を出て。私は子守にご飯の支度使用人のように働かす姉。私が家を出た後は「旦那が悪い」亡くなれば「姑が悪い」と九州2家族の元に追い出して、嫁が来れば「嫁が悪い」結局次姉自身が一番悪いと気付いてない。もしかしたら九州からきてくれた継母は良い人だったのではと思ったりもする。姉は、今もまた「娘が悪い」言っている。
自分ばかりが貧乏クジを引いたと嘆くが結局自分自身が気付かなければ幸せにはなれない。
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続きです (sake)
2012-07-26 05:58:41
続きのお話があったんですね。
次女さんのお婿さんに来た人が、九州から母親を呼び寄せ、他の家族も呼び寄せたんですか。

んん。。。
次女さんもせっかく家出をしてまで好きな人と結婚したのだから、自ら帰ってくるまではそっとしておけば、よかったんでしょうかねぇ。
でも、お父さんも一人だから、いろいろ気苦労されたんでしょうね、私も一人親なので、本当だったら考えなくていいことを考えたり、誰も他に一緒になって(同じ責任感を持って最後まで)考えるって立場の人がいないので、どうしても独断になりやすいのです。kekeにも苦労させたと思ってます。

人からの勧め話でも、よくよく気を付けなければならないこともありますよね。
私の祖母も母を抱えてかなり苦労したみたいです。ずいぶん騙されて、いろんなものを取られてしまった。

でも、最後に父のような婿さんが来てくれて、本当に良かったのですが、最初はいろいろ周りから言われたみたいです。また何か取られるんじゃないかって。

こういうことは本当に分かりません。難しいですよね。
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そうですね (sake)
2012-07-26 05:50:31
私も妹も両親に大切に育てられたと思います。子供の頃はこれが「当たり前」でむしろ厳しくて閉口するぐらいだと思いましたが、人の話を聞いているととても良い家族で仲良く暮らしていたんだと思います。
両親によく守られていました。

お孫さんはおばあちゃんの「くびとかた」が好きなんですね。
そう言えば姪っ子も祖母(私の母)と住んでましたが、顔の輪郭が好きって言ってました。子供って不思議ですね。

不思議と言えば、姪っ子がかわいいのも不思議です。
私はそれほど子供に愛着がないんですけど、(自分が産んだ息子はもちろんかわいいですが)姪っ子が二人とも可愛いんです。よその子とは違います。

一番上のお姉さんは、つみきさんを娘のような感覚もあったのかも。
守り方がお母さんみたいですものね。
兄弟が多いのっていいですね。

私の母は一人っ子で、祖母と二人きりの母子家庭だから、野球ができるぐらい子供を産みたかったそうです。
いろんな世代がいて、話が盛り上がるっていいなと思いました。

すぐ上のお姉さんとつみきさんは、私の父と父のすぐ上のお兄さんの関係のようです。
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次姉の人生で (つみき)
2012-07-26 05:44:29
私が保育園に通ってすぐの4月母が亡くなった。7人兄弟のうち戦前生まれの長姉は嫁いでいたが次姉は22歳長兄は大学生、3姉は亡く、4姉は小6、次男は小2でした。
父は公務員でしたが母の為に退職金を病院の治療費として前借りしたと聞いてます。
22歳の次姉が幼い戦後生まれの小学生以下3人の母親代わりをしてくれました。
幼いながらも覚えているのは「貧しくとも楽しい我が家」で父と次姉が必死で育ててくれました。
人生が狂ったのはこの次姉の結婚からでした。好きな人がいたみたいだった。でも近所の世話好きおばさんの紹介でお見合い。九州から出稼ぎできていた人。「どこの馬の骨とも分からぬ人」とは正にコイツの事です。
父は婿に来てくれるのは有り難いと。
姉は一度は好きな人を追って家出したが、父が会いに行ったら極貧な生活だったので、連れ戻し「馬の骨」と結婚させた。
狂った人生は、馬の骨は婿に入って直ぐさま本性を表して、九州から自分の母親を呼び寄せての生活がスタート。何年かがかりで、九州から、馬の骨の兄弟2家族を呼び、近所に住まわせた。父が次兄の為に買った土地に1家族が家を建てた。私の実家は完全に乗っとられ次姉は家付き娘から「馬の骨の嫁」となり私にママ母が出来た。
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姉妹愛 (つみき)
2012-07-25 23:18:00
sakeさんのお父様も兄弟が多い末っ子だったから幼子での親との別れがあったんですね。寂しい思いが親になった時に我が子には 自分の様な思いはさせたくないと思うもの。
多分sakeさん姉妹はお父様には可愛がられ育った事でしょうね。
私は今はおばあちゃんの身となり感謝ですね。今朝も孫からの電話で「ばあばだいすき!」「どこがすきなの?」に孫は「くびとかた」抱っこするばあばの首と肩が好きって可愛いでしょ。
私の姉亡くなってしまった一番上の姉は母親が亡くなる前に嫁に行ってしまい、私をずっと不憫に思っていつも気にかけてくれました。私が結婚し段々と強い奥さんになりわがままになったと主人は私の事を「世の中は自分の為に回っていると思っている」と長姉に言いつけたの。すると長姉は私の夫に「つみきは 小さい頃から苦労しているんだからそれで良いの」発言には私もびっくり。いつも私に「お前は本当に良い子に育ったよ」と言ってくれたし、苦しい時に相談すると「大丈夫だよ。必ずお天道様が見ていてくれるからね」亡くなってからもこの姉が天国からパワーをくれる。
私のすぐ上の姉は一緒に苦労して育ったから今でも仲よし「今は何にも苦労とは思わないね」と深夜の長電話に夫は黙認。
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そんなに (sake)
2012-07-25 07:01:00
大勢兄弟がいらしたんですね。
7人とは父と同じです。しかも父も7人の末っ子だったんですよ。
もっと生まれた兄弟もいるそうですが、昔だったので小さいころ亡くなった兄弟も居て、残ったのが7人だったそうです。

末っ子だったので、父も親父さんを5歳の時に亡くしています。お母さんは長生きされたそうですが、それでも若い頃に亡くしていると思います。その代わりにお姉さんが面倒を見てくれたそうですよ。

つみきさんはお母さんを早くに亡くしたけれど、兄弟がたくさん居てそれは良かったですね。
父の時代は7人って聞いてもそんなものなのかと思っていましたが、つみきさんは私より10しか違わないので7人兄弟だとは思いもしませんでした。

私も妹が居て何かあった時にはすぐに相談できて心強いです。
kekeは一人っ子。
私と似てて、あまり社交的ではないと言うか、一人でのんびりしたタイプの子です。
良い友達でも、家庭でも、そのうち持てたらいいんだけどなぁと思う、そこは心残りですが、神様も一人ぼっちにはしないだろうな、そこらはきっと上手く行ってくれるような気がします。

捨てる神あれば拾う神ありって言いますからね。^^
今日はお仕事ですよね?私もこれからまた会社に行かなきゃ。
ほんと、満足できる人生にしよう。心がけ次第でそうなりそうな気がしてきました。
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実は・・。 (つみき)
2012-07-25 06:01:54
おはようございます。昨日は2時間かけて 故郷のお墓参りに行ってきました。故郷の駅に降立つと姉が待ってました。駅前の喫茶店で「あんみつ」食べていると青い車が、駅前の駐車場に見えたので携帯電話で「ここだよ」と手を振りました。もう一人の姉が走ってきました。
sakeさん
私は実は7人兄弟の5女なんですよ。
戦前に4人父が戦争から戻って3人の7人の子沢山。
7人でも長女夫婦は亡くなり、二女が駅に来た人77歳で未亡人。3番目は大好きなお兄ちゃんは夫婦で病死。4番目は5歳で戦時中に亡くなった。
5番目は青い車の姉も未亡人。
6番目がインドネシア人の奥さんがいて号泣した兄。
そして私。
貧乏人の子沢山。
亡くなった長女が私に言いました。
「お前は 皆の面倒を見る為に お母ちゃんが産んだんだよ」と。だからかな?私はそう言う星の元に産まれたみたいで。
私の兄弟そして主人の身内の面倒をみるのは母の希望?だったのか。故郷に眠る両親や姉のお墓参りで私は守られている事に感謝した。
sakeさん人って それぞれに人生を背負っている。先のことは分からないから今を精一杯お互い生きていきましょ。過去も素敵 未来も素敵と思える人生にしましょうね。
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妹さんだったんですね (sake)
2012-07-25 05:30:51
つみきさんは3人兄弟の末っ子だったんですね。^^
お兄さんが二人もいらして、上に兄弟の居ない私は羨ましいです。

私は「ハートカクテル」漫画?イラスト集?ばかり見ていたのですが、当時は動画もあったんですか。
柴門ふみの漫画も流行りましたよね、あの頃に青春時代を過ごした人間は忘れられないムードがありますよね。^^

そうなんですか、ご主人から見ても、つみきさんが○○さんとケンカばかりしていると聞いたら、居てもたってもいられなかったんですね。穏やかそうで、実は芯の強いご主人、なかなかそういう人はいないと思いました。

毎日のように宴会、つみきさんが居なくなると思うとお兄さんも淋しくなったんですね。でも妹の幸せを心から願っていたんだろうなぁ、いい思い出話を聞かせていただきました。^^
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とんとん拍子 (つみき)
2012-07-24 04:03:05
昨日は「わたせせいぞう」you tubeで ハートカクテルを幾つか見ました。
絵と物語の男女の恋が懐かしくて sakeさん有り難う。あの頃に自分を重ねました。

男同士の話し合いに私の気持ちは複雑でした。〇〇さんとのケンカが仲直りの機会もなく 独身夫が割り込んでさようならのない別れとなってしまった。
「(独身夫の名)は良い人だから幸せになれよ」修羅場になるところを。良い人だった。結婚を〇〇としていたら私はどんな人生を歩んでいたんだろう。
結婚とは自分の人生をも相手に委ねる。わずか24歳の小娘が選択するのだから。失敗することもある。私の人生に主人が現れたのが不思議。
主人とはバレンタインデーから1か月後に「苦労かけるけれど泣かす様なことはしない」のプロポーズを受けて6月に主人の実家にた兄と挨拶、私の実家にご両親がきて来れての挨拶。双方の実家に報告し、晴れて9月に憧れの24歳での結婚となりました。
結婚式前夜は
兄の家であんなに毎夜楽しかったのに号泣の夜でした。
お兄ちゃんは「お前が選んだ人だから大丈夫だ」と言ってくれたあと「寂しいなぁ」の言葉に日頃意地悪な2番目の兄(奥様はインドネシア人)の号泣に涙涙の最後の夜でした。
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男同士の話し合い (sake)
2012-07-23 22:41:05
うまくできたんですね。^^
○○さんも、土下座してまでつみきさんを離したくなかったのに、最終的には幸せにしてくれそうなご主人に譲ったわけですね。

二人ともイイ人で良かったです。それで仲違いになったら、つみきさんも困ってしまいますからね。

つみきさんのお兄さんのお宅では毎晩のようににぎやかで楽しい夕飯だったんですね。
自分の実家を思い出しました。^^;
毎晩が宴会で、食事が終わるとカラオケしてました。
本当に毎晩楽しくて、それが当たり前だったんですね。
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男同士の話し合い (つみき)
2012-07-23 22:31:44
sakeさん私はこの頃は「願うと叶う」なんて全然考えてもなく、自然の成り行きで事が方向を変えて自分が置いてきぼりだった。

〇〇さんとは2歳違いの先輩で、私が途中入社した時の同じ部署で目の前の机だった。いつもケンカばかり。今回もそんなつもりだったのに。独身夫が現れなければ また仲直りしていたはずが・・。「俺が〇〇に言うよ。」私が 「私達の事なので私言いますから」言っても独身夫は強引なところがあった。
〇〇の先輩だから〇〇は負けるに決まっている。いつ男同士での話が持たれたのは私は知らなかったが
「仲良くやれよ」って〇〇さんに言われた。2月14日のバレンタインデーに義理チョコ渡し、翌日に交際か始まり 一週間後には、違う 彼氏がお兄ちゃんの家を訪問の早業に面食らったが兄は
「お前が選んだ人は歓迎だよ」の言葉にいい気になり仕事が終わると マンションから坂を走り降りて毎晩兄の家に来た。
当時兄宅には、兄嫁と甥っ子の家族のもとにもう一人の兄と5人で暮らしていた。
毎晩が宴会の様に楽しかった。
それは〇〇が我が家に来た時と変わらずに楽しかった。
義姉だけは切替えが出来ず独身夫にむかって〇〇さんと呼ぶハプニングに一同冷や汗ものだった事を思い出した。
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ステキなお話 (sake)
2012-07-23 21:39:27
そんなドラマティックな展開があったんですね。^^
うーん、○○さんも土下座までして、つみきさんとこの先もつきあっていきたかったんですか。
ローンで買ったペアのセーター・・・彼は彼なりに大切にしていたんですね、あまり素直になれなかったけれど。。。ちょっと可哀想だけど、恋愛はちょっとしたほころびから、穴が開いてしまうものです。結婚前に○○さんも気付いて成長したことでありましょう。

それにしてもご主人は昔から穏やかだった方なんですね。
お友達とつきあっているつみきさんに、密かに行為を持たれていたのかもしれませんね。

妹の旦那さんもそうでした。
妹は最初は他の人とつきあっていたのですが、ずっと近くで見守っていたんですね、そして今はとても仲の良い夫婦です。^^
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続き (つみき)
2012-07-23 09:34:25
「あんたがチョコ要らないと言うから。(夫の名前)さんのマンションに招待されたりお世話になったからあげただけだよ。」
そして 私の大好きな兄に〇〇が否定し●田とファミレス行った事で私の誕生日を侮辱したからもうこれ以上は付合わないとハッキリ告げた。いきなり〇〇は土下座し「もう一度チャンスをくれ」と言う。〇1〇1でペアのセーターをクレジットで〇〇が買ってくれ着せられローンが残っているのも気になったがもう嫌だと告げた。
「これから(夫の名前)さんと付き合うの?」「まさか 有り得ない。」これで別れられせいせいした。
夜に兄の所でご飯を食べていると独身の主人からの電話
「チョコがつみきちゃんからだったら良いなと思って確認したんだよ。嬉しかったよ」に「あの ほんのお礼のつもりです。私が〇〇さんと付合っているの知りませんか」知っている、それでも嬉しいかったと。
嬉しい時には嬉しいて素直に言える人って素敵。独身貴族からの電話に胸がときめいた。私は「〇〇さんとは、けんかばかりで。今もけんか中なんです。(夫の名字)は付合っている人いないんですか」に いないよ。と。無言でいる私に
「俺 〇〇に言うよ」「私の問題ですから私が彼に言います」交際を告げられた。
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義理チョコだった。 (つみき)
2012-07-23 08:43:26
結婚出産で寿退社して30年余り経ち、当時の同じ課の「女子4人会」ならぬ、元女子が年1回集まっては 子供の話に始まり、旦那の事パートの話 姑問題や老後まで話し尽きると「そう言えば つみきちゃんって最初〇〇君と付き合っていたでしょ?」「そうそう」3人に古傷を触れられる。
バレンタインデーに〇〇さんに用意したのは本命チョコ。素直になれなくて「あげないよ」言った言葉と裏腹に私は結婚を意識していた。思いもかけない「要らねえよ!」に私の心の扉はしまった。
正直、合わせるのに疲れた。「今度会う時はあの洋服を着て来い」背は私の163cmと大差なく高い靴を履くなといちいち言われる言葉が気に食わなかった。
ふっと想ったのは
独身の主人の事。
社内にも、あんなにも穏やかで爽やかな人もいるのだから
〇〇みたいなこんな男にしがみついている事ないやとハッキリそう確信し別れを決意した。要らなくなった本命チョコが義理チョコになって独身の主人の手に。翌朝会社事務所に電話が。「つみきちゃん(夫の名前)にチョコあげた?」同僚の声を〇〇に聞かれた。
仕事が終わり兄宅に帰宅寸前に〇〇の車が止まった。「どう言う事?」聞かれて私は「知らないよ」答えるしかなかった。 続く
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結婚したい (sake)
2012-07-23 06:41:07
24歳の誕生日にショックな言葉はいまだに忘れていないのですね。

若い頃は特にそうだけど、時々ケンカをしないといけないのかな?と思います。
私はなかなか自分からケンカができないタチなので、今思うと滑稽ですが、元夫が2時間遅刻しても平気で待っていて怒りもしないタチでした。
2回結婚して二人ともそうでした。
でも、私が怒らないので、それを直そうとすることはなかったのでした。
2回も離婚すると「気が短い」ように思われがちですが、実は逆なのです。
別れもせず見切りもせず、一緒になってしまい、独身の時と同じようには頑張れなくなってしまうのです。だから恋愛時代のブチキレは賛成です。

いよいよ義理チョコからご主人とのなりそめの登場ですね。^^

つみきさんは、わたせせいぞうが好きだったんですね。
私も検索してHPを見たら、とても懐かしい気持ちになりましたよ。
あれはまさに青春時代です。

私のsakeは鮭の方なんですよ。
鮭とハマチ。
回転すしに行ったら食べたいネタなんです。^^ネギトロをつけると長くなるので省きました。
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わたせせいぞう (つみき)
2012-07-23 04:20:58
私も好きでした。

「ハート カクテル 」バブルの頃 読みましたと言うが見た、大人の絵本も深夜番組も、サイン会にも行きました。あんな恋したいなの憧れでした。
生命保険会社のカレンダーが何年もわたせせいぞうでもらうのが幸せだった。

カレーは外食では新宿のカレー屋さんわざわざ行ったぐらいで普通は注文しないけれどカレーにハズレはないですね。
sakeさんって凄い記憶力
つみきは忘れる事と覚えられない事が得意?青春って青い春って書くのね。素敵な響き
ピーチフリーフィズ まみちゃんの舌足らずなしゃべり方で思い出した。
言いにくい言葉ね
舌足らずになる。
sakeさん、sakeさんのsakeは酒からきているのですか?
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続き (つみき)
2012-07-22 23:05:56
今にして思えば〇〇さんとの出会いがなければ主人との縁は無かったし、私の24歳の誕生日を夜ご飯まで祝ってくれていたならば、主人とは結婚してなくて〇〇婦人だったかも。私にとって記念日は重要で 特に誕生日は今でも一年一年大切に思っているから24歳のあの日〇〇さんからの言葉は生涯忘れない。今思えばたいしたことないのに屈辱的だった。大嫌いな存在になり絶対に許すなかった私の心の中に彼の存在は消えたし24歳で結婚なんてのもどうでも良くなっていた。
会社では密かに付き合っていたので幸いだった。なんとか修復を試みた。
1月下旬の私の誕生日から次のイベントはバレンタインデー〇〇さんにあげるべく本命チョコレートを用意していたにもかかわらず、「今年はあげない」の私の言葉に「要らねえよ」で再びブチギレ。修復は無し。
不要となった本命チョコを義理チョコと名に変えて何故か、独身の主人のマンションに届けた。
ピンポンしてもいないラッピングのチョコ メッセージもなくマンションの玄関ポストに突っ込んだ。
これは本当の義理チョコ なんの意味もないものだった。 続く
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出会い話ですね (sake)
2012-07-22 13:35:37
つみきさんのご主人との結婚には、○○君の出会いが先にあったんですね。^^

24歳は結婚適齢期でしたよね。私の頃もそうでした。女はクリスマスケーキと言われてましたね。26歳になると「婚期逃した」みたいな印象があってそのような先輩を同情の目で見ていた記憶があります。
今にしたら、26歳なんて若い若いのにね。

つみきさんはご主人に一目ぼれだったんですね。
○○君は成田山のデートでその後は●田との予定が入ってたんでしょうか、若いから仕方ないけど、誕生日は最後までお祝いしてほしいですよね。
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主人の友達 (つみき)
2012-07-22 12:20:18
sakeさんの言うとおり幼少期に母を亡くした事で苦労はしたので 結婚したら私は子供たちが母親を必要とする時まで元気でいてあげたいとの希望と明るい家庭を作る夢を人一倍持っていた。
24歳でどうしても結婚したかった。
その頃に付き合っていた人は主人の友だち。二人でマンションに遊びに行った。
私達社内恋愛で支店事務所勤務。主人は当時独身貴族のマンション暮し。
私の一目ぼれ。出会ってしまった。
でもその時点では私は〇〇君の彼女でした。私が人生をかけた24歳の誕生日。
私が当時下宿していた兄の家庭で私の24歳のバースディーパーティーをするので兄が「〇〇君も呼びなさい」言ってくれた。私の誕生日千葉の成田山にデートし「今年結婚出来ます様に」お願いし我が家に寄ってとお願いしたら〇〇君の一言「俺 これから●田と飯食うから」
「はぁ?私の誕生日だよ!●田?明日でいいじゃない?何処で?」ファミレスだって!
私は大好きな兄よりも●田を選んだ事とファミレスにキレた。
「あぁ!分かったよ。●田と一生飯食っていろ!」と言って私は24歳の結婚の夢を捨てた。 続く
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浮気ですね (sake)
2012-07-22 09:30:35
つみきさんは、小さい頃にお母様を亡くされて苦労されたと聞きましたが、ご主人にはとてもステキな方ですね。

結婚する時に誓った「泣かすようなことはしない」と言うのを最後まで守っているんですね。(^_^)
人生って苦労と幸せは半々なんだなぁと思いました。
その社長に「フン」とした夢でご主人もさらに気持を引き締め「そう言う事は絶対にしないゾ」と誓ったのかもしれません。だとしたら幸運を運んできた夢ですね。

私は(つみきさんが昔のブログも読もうとされているので)白状してしまうと、浮気はしたこともあるし、されたこともあります。
ある意味エキスパートみたいな所があります。

裏切りみたいなことはつみきさんと同じように大キライなのですが、人間はロボットではないから、時には間違いもあるかも・・と思っているのです。
自分がそう言う間違いをするのだから、誰でもあるかもと。

でも、妻だったらピシャと言う事は大切だと思います。
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浮気は駄目よ (つみき)
2012-07-22 00:06:22
私も浮気は絶対に許せない質。
主人が幸い浮気者じゃないから結婚生活が続いていると思う。

単身赴任で2年半名古屋勤務が決まった時、物凄い妄想に駆られたことがある。
若くて優秀な女子社員と肩を組んで、ニヤけている写真。
私はと言うと髪振り乱した子育てをしているおばさんのやつれた顔が鏡に映っている。写真をみた夜に夢をみました。
主人と並んで颯爽と、活歩している先に会社の社長が歩いている。二人で社長を追い抜き際に私は振り向き 社長に思いっ切り 「ふん!」としたところで夢は覚めた。
私の嫉妬の夢で もし単身赴任がなかったら夫は浮気はしなかった。浮気したのは社長のせいだと。
全て私の妄想。
「結婚した時に言った様に泣かすような事はしてないから」と。
何するか分からないから主人も浮気は怖くてできない。
私は例え1回でも許さない。
浮気じゃなくて裏切りだから。

中高年で 離婚を考えている人が回りで増えているが 若者の様にいさぎよくない。
中高年は愛情よりも情で暮らしている。
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携帯 (sake)
2012-07-21 08:18:44
そうでしたか、契約できなくて良かったですね。
ご主人にはノルマがありましたか、大変ですね。そして、愛社精神を持てる会社に定年までお勤めできたご主人、幸せなことですね。^^

私の携帯はプリペイドで、安さだけで買ったんですけど、数年前ですね、会社が倒産してみんながバラバラになる時に、「すぐに就職も探さなければならないだろうこの時期に、書類の事で私と連絡が取れなかったら大変かも」と思って買いました。なのでプリペイドです。

この混乱が収まったら使わないつもりでいましたが、新しい会社で携帯番号を訊かれ教えてしまったので、手離すことができなくなりました。
3,000円のプリペイドが30分でなくなるんです。めったに掛けない、掛けても公衆電話から掛けるので、それでも2ヶ月持ちます。
この携帯が壊れたら、今度はよその会社で契約しようと思ってます。だから番号もあまり人には教えません。いつ変わるか分からないからです。^^;

今日と明日はお休みです。
つみきさんはお仕事ですね、契約できそうなお客さんがたくさん見えるといいですね。^^

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スマートフォーン白紙 (つみき)
2012-07-21 03:58:36
思い立ったが吉日と、11時の開店とともに携帯ショップに行った。直ぐに店員が対応でとんとん拍子に事が運び 機種、色の確認までしてカウンターに座りいよいよ ワクワク契約の時。今の携帯会社は主人が契約者なので その携帯会社の予約番号を問合せる必要がでた。
分かりますか何て聞かれて分かる訳ない
後 解約に関しての同意書や委任状やら携帯会社を変える面倒な手続きやらで今日の契約は無理、改めて再来店一呼吸置く事に。
自宅で主人に話すと
会社内に携帯ショップがあり、社員ノルマがあるのにもかかわらず、他社への乗換えは今は無理だろうと社内スマホのパンフレットを逆に突き付けられた。娘との携帯電話を無料にしたいが為の乗換えだったが、考えてみたら そこまでする必要性は無く、主人の定年退職、愛社精神に恩を仇で返すところだった。やって気付くってある。
今の携帯でもスマホみたいPC機能ではないがヤフー検索出来るし充分使えるから改めて大事にしようと思う。大雨ビショビショに濡れながらの帰り道無駄な一日ではなかった。

sakeさん今日 明日はお休みですか?
つみきは今日 明日は仕事です。頑張ります。
返信する
つみきさん、 (sake)
2012-07-20 22:28:51
こんばんは。
今日もいいこと探しをしていたら、いろんなイイコトがありました。
社長からお中元のハムをもらえたこと、kekeが足りない買い物にわざわざ行ってくれたこと。
遅くなってしまったけれど、夕飯もまあまあおいしく作れました。

携帯は新しい機種に変わるんですね。スマホってヤツですか?
流行の先端を行っているようで羨ましいです。

私の車は数年前、40歳過ぎてからのスタートなんですよ。
それまではもちろん、車なんて怖くて乗れるもんじゃないと思ってました。離婚して仕事に要るだろうと免許は取りましたが、怖くて下手で教習所でも有名で、自信がなかったんです。

40過ぎてから乗ったのもこれをしなければ転職ができないと。。。
でも、乗り始めたら血が騒ぎ始めたんですね、父も母も妹も車大好き家系で、その血が目覚めたのです。でも、やっぱり怖くて細い道は未だに入れません。

性格はつみきさんと同じで、リスクは最小限にしたいタイプです。
年金で暮らせる見通しが立っていたら、乗ることはなかったと思います。
一時期はタクシーの運転手になりたいと思いましたが、妹に「女だと何が起こるか分からない、いちゃもんをつける人もいるかも。」と言われ、たしかにそうだなぁと思いました。

プリンセスダイアリーは後から書いたものを読んでも良い効果があるそうです。
魔法のようにだんだん大きな願いが叶うそうですよ。^^;
返信する
しばらくお休みします。 (つみき)
2012-07-20 08:34:51
今日もお休み。
涼しいのでお出かけします。
今日は携帯ショップに初めて行きます。
今の携帯は 主人の会社の系列での扱い契約から全て主人まかせ。主人は9月に定年退職するので、その携帯会社から開放される。娘とは携帯で孫とのやり取りに「お母さん携帯代えなよ。同じにしてよ」こっちが代えるんかい!まぁ いいか!家族割、娘との電話が一番だから 代える事にする。
「思い立ったが吉日」今日 行ってこようと。秋にヨーロッパ行った時に使えるアプリケーションも入れてもらいたいし
いまのうち 慣れよう。しばらくは練習。
おばさんだから 慣れるまでブログコメント書けないかもしれないので報告。
主人に相談しsakeさんにお知らせ。
娘や息子 友達 親戚には 秘密です。
騒ぐと使いこなせなかったら恥だから。
でわ 今日が
ダイアリーに記せる様に。
sakeさん見守っていてね。 頑張ります。
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私も「プリンセスダイアリー」に (つみき)
2012-07-20 08:15:32
おはようございます。私が家に居るのが珍しかったのか 布団やシーツを干したのが珍しかったのか昨日は雨降った。おかげで涼しい夜寝やすかったですね。
sakeさんは偉いなぁ。自動車免許取って仕事にいかしているじゃないですか。
つみきは取らなかったです。早生まれなので高校時代に自動車学校に行けなかった。直ぐに東京に出て働いたので。子供が幼稚園の時にママ仲間と教習所に子供預かりっ子して行くつもりだった。主人に反対され、結局は我が家が託児所代わり。でもお節介焼きには免許持たなかった事が幸い。sakeさん以上に調子良く利用されたと思う。常に怖さが付きまとうのに人を乗せるのに自信ないもん。持って無くて良かったと思っている。
主人の運転でも怖くて「寝ていてくれた方が良い」言われたぐらい。
sakeさんとはブログと私の日記 子供の記録同じ感性をもった方だと思います。
私も sakeさんと同じく 今度は
「プリンセスダイアリー」良い事探し日記にしようと思います。
10年日記を付けてからパワーが増していたにもかかわらず 記録として残さなかったのが残念。過去は戻らない。これから良い事を書くことによって結果として良い事だったと気付く記録を残したい。
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昨日は (sake)
2012-07-20 05:59:53
雨が降ったけれど、お蔭で夜は過ごしやすくなりました。扇風機を使わずに寝られて良かったです。

思えばこのブログ、kekeが13歳のころから始めていると思います。ちょうどつみきさんの10年日記の娘さんの年です。
今8年目になっています。
それ以前も書くことは好きだったので、日記はつけたいと思っていたのですが、長続きしませんでした。ブログはキーボードなので早く打てるし、修正が何度でもきくし、ネットにつながれば、どこででも書けること、読んでくれる方がおられることで続けることができました。

余計なこともいっぱい書いてますが、やっぱり読み返すと懐かしいですね。
^^
最初のころは元夫からの養育費がなかなか入れてもらえなかったこと、恨みつらみも多いです。
つみきさんのこれからの日記は楽しいものになりそうですね。
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手作り10年日記 (つみき)
2012-07-20 02:07:48
昨日の昼間3時頃 sakeさんブログにコメント送信直後に突然の大雨。晴天でも干しっ放しの外出は禁物。幸い自宅に居たのて、たいした事無くそのまま畳みました。


昨日はかねてからやりたいと思っていた事ができた。
手作りの10年日記
完成。
1993年 平成5年に10年日記を買った当時5000円。
息子11歳、娘13歳私38歳それからの10年間の記録。まさに子育ての記録。一日が4行位なのに読み返すと当時の記憶が鮮明に思い出す。それからの10年近く辞めてしまったら記憶が無い。1年や2年の誤差はざらだし、西暦と平成が分からなくなってしまって。
ただ言える事は
書かなかった10年の記憶は楽しい事ばかり思い出す。
でも
人間の記憶はいい加減だから 必要なことは記録に残して起きたいと常日頃から思っていたのに先送り
「思い立ったが吉日」文房具を片付けていたら分厚いノートが出てきたので1ページ毎に日付をいれてみたら、丁度半年分。逆様にしてまた日付を入れて今日7/20に早速
「記念すべき日記のスタートの日」と記した。以前は辛いとか恨む事ばかりの後ろ向きな記載。日記に書いて我慢していたが後味悪い。前向き日記にしたい。
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今日は (sake)
2012-07-19 21:47:04
天気がよくて、洗濯物は乾きましたよね!布団も干されたんですね。最近湿気ってるようで私も気になってました。
夕方に雨も降ったので過しやすくなりました。
今日はゆっくり寝れそうです。

私も遺骨はロッカーみたいな所で充分だと思っています。^^;
家とか誰かのそばって言うのも、落ち着かないだろうし、あまり死んでから思い出されなくても良いような(ろくな事してませんから)気がして、忘れてもらってよいので、適当な形におさめてくれればいいと思うのですが、やはり残された子供が一番納得できる形にしてほしいです。

私も離婚した元夫の遺骨は引き取れませんね。
再婚してくれて心からよかったです。
親は先に亡くなってしまうし、離婚すると遺骨の引き取り手がいないのか。そこらに捨てるわけにも行かないし、自分でさえ墓なんて買えないのに、離婚した元夫のなんて・・・・。

娘さんは一緒に暮らしていたお父さんなのかな。
ロッカーみたいなものも忍びなく、今お金を貯めているのかもしれませんね。
私も好き勝手に生きている方だから、息子が困らないように、最後の準備はしておきたいと思いました。
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好きな言葉 (つみき)
2012-07-19 14:58:14
お墓も色々 持てない人もいます。
実家は葬式の中に埋葬がその日のうちの行われたり 49日までの間に納骨するのが一般的。私の兄は長男ですが家を継がずに結婚し52歳で亡くなるとお墓どころではなかったので市の墓地霊園のロッカーに安置されていますし 知り合いは3年たっても自宅に安置。もっと驚いたのは、離婚したお母さんが亡くなった夫の遺骨を拒否したので、実娘は困り果て 押し入れに入れている。
生前の生き様が残されたものを困らせない様にと私の生き方は自ずと先を読む性格になってしまった。
「転ばぬ先の杖」です。
私は水曜日が不動産留守番事務で 先々週に伯母が亡くなったので今日まで 仕事無い日にやることが沢山あり娘の所、姑のところや姑の病院付き添いやお墓の事で疲労困ぱい、家の事をしたかった。幸い 梅雨明け宣言の青空に布団干し、シーツやタオルケット、枕かバー洗いに沢山の洗濯、掃除 白髪染めといくらでもやる事があります。お昼寝も思いっきりソファで出来て全て リセット。
疲れたら休む→元気になる→また頑張れる。洗濯物も全てパリッと乾くから晴れは好き。布団も干して暑いくらい。アイロンもかけたら 夕食の支度。
汗かいたら→またシャワー。楽しみ。
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私は (sake)
2012-07-19 12:47:49
今までお盆の時期にお墓参りをしてました。時期がずれていましたね。^^;
母が教えてくれたのかなと思うことにします。

私は墓はあまり持つつもりがなく、そう言う方法があれば良いなぁと思っていましたが、お墓に足を運ぶことが後に残った子供のよりどころになるかもしれないって思います。
また20年もしたら、いろんな供養の方法ができるでしょうね、みんながみんなお墓買えないような気がします。

私も思い立ったら吉日で、即行動が好きです。
買い物だけは楽しみを伸ばしたいので、1週間考えて売り切れになっていることもあるけど、それはゲーム感覚です。^^

今日はお休みなんですね。お休みの日の午後って一番くつろげそうな気がします。
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思い立ったが吉日 (つみき)
2012-07-19 11:03:07
sakeさんは多分 お母様が亡くなったのが身近で初めての葬儀を出す行為だったのでしょうね。東京は7月13日が盆の入りで、亡くなった人が帰ってきます。そんなことは無いのですが、家の入口に竹に刺したわらを燃やし迎え火を焚いて霊を待つ。お盆の行事としてやります。
新盆とは、去年のお盆から今年のお盆までの新しい霊を弔うのが「新盆」です。私もその日に東京の多磨霊園に行きお墓参りと石屋さんに相談に行きました。これからの若い人はお墓を守る事が 親がちゃんとやらないと分からないままになりそう。時代、時代で流れは変わるので我が家は主人を納得させ 無宗教とはいえ、ちゃんと先祖供養はやっていこうと思う。私はsakeさんにコメントすることで自分自身に確信を持たせた。
辛い時期の今は長いと思わないで 人生サイコロの一面だと思って。どう転ぶかによって変わる。
私は常に
「思い立ったが吉日」と即実行
そして
「駄目で元々」
「結果良ければ全て良し」で
今日はお休み
家の中で暑いけれど、今ヘアダイしながらメール打ち、掃除 床磨きしたら シャワーでサッパリしようと汗を流しています。
楽しみ楽しみ シャワーの後の韓国ドラマ。今日も吉日。
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それは (sake)
2012-07-19 04:29:44
よかったですね!
無宗教の人に戒名はいらないような気がしますよね。
墓石屋さんが言われるようにご先祖を思う気持が一番喜ばれるような気がします。

先週、たまたまkekeのバイトの報告と散歩がてらお墓参りに行って来ました。たくさん人が墓参りに来ててどうしてだろう?と思ったら、「新盆」だったとか?!
恥ずかしいですけど、そういうの全然知らなくてネットで検索して調べようとしてる有様です。
でも、ご先祖を思う気持で分かってもらおうと思いました。^^;

伯母さんもきっと安心されてると思います。
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究極の願いが叶った (つみき)
2012-07-19 02:34:29
墓守をすることで、全く意見が夫と食い違った。
「ご先祖様みな戒名あるのだから、戒名は付けた方が良い」
夫は言う。
私の意見は伯母に戒名がないなら俗名のままが良い。
夫と意見は全く違い墓石屋さんまで意見が分かれたまま行った。
実は
伯母は老人ホームで無宗教、亡くなると直ぐに荼毘に付したのでお坊さんはなく戒名はない以前舅の時にもめた 二つの戒名での事件を踏まえて 私は宗教に疑問を持ってしまった。宗教や菩提寺がないのなら今後無理に宗派に属さなくても良いのではとの気持ちになったから。
主人は先祖代々の●●宗でお願いすると言う。それは舅が魂で嫌がって仮位牌を倒したのだから駄目だと私は言った。でも 舅の信仰していた振興〇〇宗には入りたくない。
今後の事 息子の代からの事を考えたら
お墓の問題は、今しっかりした気持ちきめたかった。
私は 墓石屋さんに私の意見を述べ それでも無理に宗派の戒名にしなさいと言うのなら主人の気持ちに従う
と言った。
今 私は自宅では毎朝 仏壇に花の水を変え、新しい水をあげ、ロウソクを点し 線香を焚き 教を唱える。宗教に関係無くご先祖供養をしている。
石屋さんはそれが一番望ましい姿 俗名でも良いのではに夫の意見も変わってくれた。究極の願い 叶った。
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新聞のお話 (sake)
2012-07-17 04:56:08
ありがとうございます!
我が家は新聞をとってないので、とてもうれしいです。^^

なるほど、嫌なことの後にはいいことがやってくるから「おかげで」をつけると良いのですね。
言われてみると確かにそうなっています。
いじめられたこともあったけど、おかげで根性が座った。
離婚したことがあったけど、おかげで自由な時間が手に入った。
kekeが学校をやめてしまったけど、これから「おかげで」いいことがあるはず?!

物事は両面があることを本を読んで知りました。
いい方のことをどれだけピックアップできるかが幸せになるコツらしいですね。^^
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天声人語 (つみき)
2012-07-16 22:27:36
今日の朝日新聞「天声人語」に下記の言葉が印象に残ったので記します。

「幸いと辛いという字が似ている」

思い出したくない過去の一つや二つ、誰にでもあろう。心優しき人ほど、悲しいこと悔しいことを引きづるものだが、辛い記憶ばかりため込んでは人生もったいない。
嫌なことの後に「おかげで」を付けてみる。チャンスはピンチの顔をしてやってくる。その時は辛くても何かの肥やしになったと後で思える体験は多い。すべては癒せないにせよ、心の古傷に前向きな意味を与え、一歩を踏み出したい。
それぞれの「辛」に細くとも横棒を添えられる小文字でありたいと。
と言うのを読み
辛いと幸は 横棒一本で暗転。
ものは考え様を悟った。
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私も (sake)
2012-07-16 18:58:35
私も午後の2時ごろは眠いピークですよ。^^;
会社に入った当初は毎日のようにうとうとしてました。
お昼食べて、そのぐらいの時間が眠くなるんですよね。

最近は早寝(9時10時に横になる)にしているので、昔より良くなったかも。。。ご主人がいると、そんな早い時間から寝るわけにはいかないですよね、難しいですね。

ご主人はもうじき定年退職なんですね!
これから二人で買い物に行ったり、ゆっくり過せる時間が増えますね。いいですね!^^

旅行もいいタイミングなのかも。。。
楽しい旅になりそうですね。

私の母の半狂乱ぶりは子供を守るためだった・・・言われてみればそうかもしれません。
幼稚園時代も私は家から出る時は悲しい顔をすることなく、歩きながら泣いていたようで、近所のお友達のお母さんから、母は「何かあるのではないか?」と言われていたそうです。

でも、母は知らないフリをしました。
お陰で私はたくましくなって幼稚園をサボることなく、高校時代も家を出ようとすると毎日吐き気に教われましたが、「何!あの幼稚園時代があるからこれぐらい何でもない!」と電車に乗りました。

なので、他の人より根性が座ってると思います。
仲間はずれにされても、1人で楽しみをみつけられる自信があります。(まさに神様のプレゼントです)
今では気付かないフリをしてくれた、母に感謝してます。(しかし今の時代のイジメは陰湿で知らないフリではいけないかもしれません。)
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昼間の眠気 (つみき)
2012-07-16 15:34:27
眠いです。今昼間2時とっても眠いです。
しかし夜は
悩むと私も眠れない性格です。
私はおとといと今日は仕事です。
昨夜も眠れなかったですね。
でも 幸い 私の仕事不動産現地販売の仕事は、まったくの一人。
来客なければ商売にならないけれどパート代は1日5000円。
すごく日中は眠いです。不眠症って 悪循環ですよね。
もし 私に仕事が無かったら
昼夜 逆転したダラダラ生活を送っているかも。
常に眠いです。寝ても眠いです。
だから この一人でできる仕事がなければ私は無職ですね。
映画を観てもほとんど寝ているから行けない。最近はコンサートでも 短い講演会でも眠くて辛い。
ランチしたあと直ぐに眠くなるので3時頃切り上げて 自宅で昼寝。多分今の仕事が無かったら 何処に行っても務まらない怠けもの人間に見えるでしょうね。
過呼吸症候群のように突然 睡魔が襲ってきて新幹線を運転していて駅を通過してしまった何て
私はひと事ではないと思う。
病気の人でも適した仕事は必ずあるはず。
仕事をする気持ちがあれば。ただ 私はラッキーだった。
ようやく仕事終わりに近づいたら ようやく眠けがとれた。
何やねん、私のこの眠い病は・・・・。


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予定 (つみき)
2012-07-16 11:47:04
今年主人が64歳の誕生日が来る9月24日は定年退職の日。
会社一筋40年余り。3年前にこの日の為に定期預金をし満期を迎えるのでこれを資金に2回目のヨーロッパを企画していた。
最初にドイツ スイス フランスに行ったので今回はオーストリア ハンガリー チェコとスロバキアの4か国。定年退職したら直ぐの10月を予定していた。
100歳の伯母が健康だったらの条件で。計画すると具合悪い連絡でキャンセルした旅は幾つも。
今回も同様だった。
なかなかヨーロッパも行けないので 伯母様元気でを願った。
しかし伯母は私達に
「旅行 行っておいで」と言うように亡くなってしまった。
本当に言って良いのだろうかと 。
とにかく 早く
お舅と一緒の墓に入れて安心してから 行くことになると思う。

人生自分の力ではどうする事もできないが
「成るようになるさ」

滋賀県のいじめで亡くなった中学生のコメントを読ませて貰いましたが、子を持つ親の心情を想像するといたたまれませんね。
sakeさんのお母様は半狂乱にならんばかりと我が身を反らず我が子を思う親の恩ですね。それが良いとか悪いとかじゃなく親はその位理性よりも全霊の勢いで子を守るものです。それこそが親の愛ですね。
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おじいさん (sake)
2012-07-16 05:52:37
そんなことがあったんですか。
お葬式も難しいですね。生きているうちに自分で意思を家族に伝えておくのも大切かも。。
(病気になったらそれどころじゃないかな)

姑さんは戒名の時に急に○○会で戒名がつくことを思い出したのかもしれませんね。
私もそう言う段取りの悪さがあります。

おじいさんのメッセージが届いて、信仰していた宗教の位牌になったんですね。
安心してると思います。

お坊さんも我が強い方がいるんですね。^^;
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坊さんは要らない (つみき)
2012-07-16 01:52:43
sakeさん
私は第六感が強い。
お墓 宗教 について 10年前に舅が亡くなった時に逆上る。
葬儀は地元の葬儀社が坊さんを用意し戒名を20万円でつけてもらって300万円の葬式をしたが、
舅は熱心な「〇〇会」と言う宗教に入ってましたからそこが勝手に舅に戒名を付けてきたことで戒名が2つ
私の第六感は嫌な予感を察知した。
姑は何もかも私に葬式をさせておいて
「位牌は 〇〇会ので戒名を使って作って」はあ?お坊さんに20万円も払ったのはパァー 。しかも 納骨では霊園の坊さんに
「なんだこの位牌は 魂入は出来ない、削れ」と怒鳴られる始末。その場を収める私はお坊さんにはお坊さんからいただいた白木の仮位牌のみ出し 本位牌は姑にしまって貰って納骨法要が始まった。すると
風も無いのにお坊さんの前の仮位牌が「バタン」と音を出して突然倒れた。
ピンときた。
亡くなった舅が この戒名を付けられたらたまったもんじやないとパワーで仮位牌を倒したんだと思った。
(分かったよ おじいちゃん安心してちゃんと信仰していた宗教ので位牌したから 今は我慢してね)そんな事があったから坊さんは要らないと私は思った。
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わかりました。^^ (sake)
2012-07-15 18:51:09
伯母さんの納骨もされるんですね。
伯母さんもきっと天国で安心しているでしょう。^^
ご主人もつきみさんと結婚して良かったですよね!

私の叔父のお葬式も無宗教の形式でした。
決まった親類縁者だけが呼ばれて、叔父の好きな歌が流れていました。
思いがこもっていれば、形式は自由でよいと思います。^^

中央ヨーロッパ・・・どこいらなのか分からないので、検索してみました。
ドイツやスイス?みたいですね、楽しみですね。^^
景色もきれいで、夏も涼しいのでしょうか?^^
またお話きかせてくださいね。
お待ちしてますね。^^
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両手いっぱい (つみき)
2012-07-15 16:32:39
今のsakeさんならもう大丈夫ね。
sakeさんの過去のブログが余りにも長いから私はゆっくりと読ませてもらいます。
だから
コメントしたくなったら
この場所を「つみきの居場所」にさせてね。sakeさんとの往復書簡にさせていただけたら嬉しいです。

私両手がふさがってます。右手には、やらなくてはならない事を抱えています。
7月4日に亡くなった主人の伯母の遺骨を我が家に預かってます。sakeさんにしたら義弟までみる義務があるのと驚いてましたね。伯母は結婚もしなくて老人ホームに入っていたので私達おいっ子夫婦が保証人をしてました。20年間交流があったが先日100歳で天寿真っ到したのです。今日はその納骨相談を石屋さんにお願いしたりしましたが 伯母を機会に無宗教での方法を取ろうと夫と話しました。戒名もお坊さんも不要にしたら 息子の代でも面倒ないようにしました。
このやり方が良いとか罰当たりとか分かりませんが私の心がご先祖さんを思いやる気持ちがあるのが一番と言っていただき主人も納得しました。
これこそ願うと叶う。ただ毎朝も、私がご先祖様にする事は、仏花を飾り お水を代え、お線香を焚き、お経の一節を唱える毎日に これが一番だと。
左手にはご褒美を持っています。
今中央ヨーロッパ旅行を計画しています。願うと叶う。
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はい! (sake)
2012-07-15 14:15:28
わかりました!(^o^)
自分にご褒美ですね。

つみきさんの言われていることは、この上原愛加さんの本に書いてあった話と同じです。
自分にご褒美をあげて、うんと自分を甘やかしてあげて、あとは自然の流れでピピと来た時は自分を信じて行動すると良いそうです。^^

私は今、「プリンセスダイアリー」と言うメモをつけることにしました。
それは、今日あったいいことを、忘れないようにその場で書くメモなんです。^^
それもピンクの手帳にしたんですよ。

これから何が起こるか分からないけど、人生が終わる時まで、夢を捨てないようにしよう。
今まで夢なんて、どうせ叶わないと思ってバカバカしくて見ようともしなかったけど、誰にも言わなければ恥かしくない、自分ひとりで楽しみにしていようと思いました。^^

また、つみきさん、遊びに来てくださいね。^^
これっきりでは淋しいですからね。^^
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また 会う日まで (つみき)
2012-07-15 03:46:00
sakeさんの
毎日が 幸せだと感じられますように祈ってます。

他人と比較する事なく自分の 物差しの長さで幸せを感じてください。
迷った時には
つみきの事を思い出してください。

右手には試練
左手にはご褒美を
自分に与えたら
試練は乗り越えられる。
未来に後悔しないように
60歳まで 引きこもりなんて義弟の人生なんなんだろうと思う。でも
ものは考え様。

引きこもりの義弟がいるから
厳しい姑との同居がなかった。
だから
私は義弟に凄く感謝している。
私の物差しでの幸せ。

(sakeさんが辛い時にはつみきによびかけて)
お互い頑張りましょうね。
返信する
私も (sake)
2012-07-14 22:44:27
これまでの人生、根拠のない場当たりな選択が多かったですね。^^
でも、そう言う事に関しては後悔してません。
その時はハッキリ「こうしたい」と思ってやったことなので。この先行き詰まっても、そこの箇所では後悔しないと思います。
ジェスチャーでも会話ができることには変わりがないですね、やはり尊敬します。

経験はプラスになりますか、そうですよね。
kekeの中退はショックでしたが、親子関係を見直す意味では勉強になりました。差し引きではプラスでおつりが来ています。

私も明日の朝も目覚めるのが楽しみだと思います。^^
何が起きても、今は楽しめそうな気がするんですね。
ほんのちょっと物の味方を変えるだけで毎日がハッピーになるとは思わなかったです。

でも、普段の顔は普通にしておこうと思います。
(1人ナイショでワクワクしたいから。)
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場あたり的行動 (つみき)
2012-07-14 12:18:18
sakeさん
私はsakeさんの読まれた本は読んでないですが 全部自分の体験が閃きのままと言うか
場あたり的にやってきたことが的を得ていた。たまに的外れもあるけれどそれも経験。
経験は必ずプラスです。
sakeさんのブログは素直に心に染みるのは、毎日を真剣に生きているからで
私の体験しない部品、欠如した部分を補ってブログで知識をもらいましたよ。
私の文章は想うまま書くので 、自分だけが納得しただけで読み手には伝わらない書き方でしたね。

現金書留はインドネシアに送ったわけではなく、日本にいる義姉がまもなくインドネシアに行くので間に合うように送ったので、直接送った訳じゃないし、
私はインドネシア語が堪能ではなく、勢いでジェスチャーで話しかけたらデビさんが日本語が上手だったと言う事。

宅建も私は資格を持ってません。

勢いで文章を書くと肝心な所が抜けている
私の書き方に
sakeさんのコメントがまるで添削のようで勉強になりました。


私は朝
今日一日が
何が起きるかワクワクです。
本当に私を知らない人は
「貴方って幸せね」とか 「悲壮感がない」と言われた。
この言葉を吐く人は
幸せにはなれない。
と思う。
人は生きてく上で
「幸せ」は乗り越えた後にあるものだから。
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>つみきさん (sake)
2012-07-14 07:54:07
インドネシアも速達だと明日には届くんですか!
あっと言う間なんですね!

つみきさん、なんと言っても語学ができるのがうらやましい。
私、実は将来が不安なんです。年金なんて厚生年金合わせても現役給料の半分だって言うでしょ?しかもカラ期間(専業主婦時代)があるから月10万なんていかないでしょ。

今からお金を貯めて、200万とか300万とか貯めれたら、インドネシアで働かなくても暮らせるかしら、なんて考えました。
でも、TVを見ても分からない、漫画や雑誌を買っても読めないでは、ちょっと難しいですかね。^^
ハンバーガーはほんとに2円ぐらいで買えてしまうのですか?

昨日のもう一つのコメントの「閃きを大切に行動する」って言うのは、一昨日半額で買った本の続きに書いてありました。

自分をほめてあげて、周りにいっぱい感謝して、自然の閃きを大切に行動していると、自然にいいことがいっぱい降ってくるそうです。

このブログのタイトル、本当に内容と似合ってないなっていつも思っていました。
でも、これからはタイトルに近づいた内容がちょっとづつ書けそうです。

ありがとうございました。(^o^)
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義姉がインドネシアへ (つみき)
2012-07-14 00:28:34

今日 換金に行ってきました。
義姉の母親が亡くなりインドネシアに里帰りです。
私は香典をあげるのに日本円よりもインドネシア紙幣 ルピアの方が良いだろうと。

私は3姉妹連名で
1家族1万円で計3万円相当 を用意しました。
3万円をインドネシア紙幣に換金すると
250万ルピアとなりました。
なんだか凄い香典です。私がインドネシアに行った時は 3万円分全部1万ルピア札に換金したものだから財布には200万ルピア分でパンパン大金持ちになった気分でした。
インドネシア通貨で、日常生活するのに使用頻度が一番なのは
20000ルピア札です。日本円に概算すると200円
インドネシアで必ず、00二つ取ると日本円だといくらになる。
雑貨を買い
2万ルピア→200円わっ!安いを体験しました。


香典の中身は50万ルピアで50枚
香典袋パンパン
これを書留速達で送った。明日着くだろう。
sakeさん
インドネシアの話どうでしたか?
これでインドネシアの話を終わりにします。
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ナンプラーはタイですか (sake)
2012-07-13 06:52:25
それはごっちゃになってました、すみません。(^^ゞ

去年の震災の時は日本に帰る時だったんですね。
でも、帰れてよかったですね。
成田では出発できなかった人が大勢いらしたんですか。
電車も止まってしまって、帰れなかった方も大勢いるそうですからね。

私は車出勤だったので大きな影響はありませんでした。
その後でガソリンがなかなか売られていなかったり、お米がなかったりはしましたが、被災地ではないので、その程度でしたかねぇ。。

それにしても、帰れて来れてよかったですよね。^^
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インドネシア帰国が (つみき)
2012-07-12 23:20:56
sakeさんの「ナンプラー」はタイかもしれません。インドネシア調味料は「マニッスソース」かな?
東南アジアは独特な調味料や香草を使うので好き嫌いありますね。
インドネシアでは毎日遊び、食べて日本を忘れた浦島太郎状態、楽園に陶酔帰りたくない状態だったが・・。

2011年3月11日帰国の為
ジャカルタ空港に向かう車の中
デビさんがなにげに打った携帯で
私は日本が大惨事になっている事を知った。どの程度かも分からず空港に着くと
成田空港が閉鎖されて飛行機飛べない状態でことの重大さに青ざめた。とにあえずインドネシア人たちは心配したがさようならし義姉とANAカウンターで 離陸の時を待った。
私の飛行機は深夜の発着だったので 成田空港での受入れが確認できたとの事で予定通り離陸した。
成田空港に着くと、前日に出発出来なかったあふれんばかりの人々が段ボールや毛布でくるまる異様な光景で事の重大を知った。
世界で2機だけを受け入れた1機がインドネシアからの私達の飛行機だったと知り、無事帰国が出来た強運を感じた。
返信する
デビさんは (sake)
2012-07-12 06:56:05
息子さんをご病気で亡くされたんですね。
日本が嫌いになるのも分かるような気がしました。
でも、つみきさんの手料理で、元気が出てよかったです。

インドネシアも食材は日本と同じなんですね。
ナシゴレンはピーナッツが入ったチャーハンですよね。^^
ガドガドは初めて聞きました。

前に高山なおみさんの料理本にはまった時期があったのですが、ナンプラーの料理がよく出てきて、好きになりました。
あの調味料はインドネシアの方ではなかったでしたっけ?
もしかしたら、私は味覚が合うのかも・・と思いました。^^
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つみきはシェフよ (つみき)
2012-07-11 23:56:19
発言には驚きましたよ。
でも 他人には台所入って欲しくないのに 信頼関係が出来て嬉しかった。

デビさんが来日し最愛の息子さんを心不全で亡くされた時に日本が大嫌いになったと言った。
私の願いは 日本を嫌いにならないで欲しかったので 例え微力ながらも心の氷が溶けて日本も日本食も思い出として「懐かしいね」食べてくれた事が嬉しかった。
アグネスは私に
「友達がお弁当美味しいって言ってた。」
私は「友達? アグネスは美味しくなかった?」聞くと
「もちろん 美味しいよ」

「このまま ずっといてよ。お手伝いさんはアグネスの大切なものを盗んだから辞めさせた」
私は都合の良いお手伝いさんか!
ものは言い様で
つみきは
おだてられると
直ぐに木に登ります。
新居には冷蔵庫がないので毎日食材を買います。日本と材料はほとんど同じ。
調味料は全く違う
石臼でニンニク しょうが、唐辛子 をすりつぶし 香草を入れるとインドネシアのにおいがする。
食べたいな ガドガド、ナシゴレン 。
返信する
つみきさんは (sake)
2012-07-11 09:18:11
シェフ?
こちらに居候する間は料理を作る担当になっていたのですね。^^
インドネシアの皆さんも、日本の料理が堪能できてよかったと思いました。

それにしても朝から、つみきさんはいろんな物を用意できるんですね。
私はあまりレパートリーがないので、短時間でいろいろはできないのです。

それにしてもお祈りの時間が朝の5時前からとも驚きました。
それから寝るのも珍しくないとは。

今読んでいる本は願いは諦めずにいると叶うと言う本で、そのコツは自分を好きでいることだそうです。
自分が楽になれそうなことを選んで、自分をかわいがってあげること。
自分をかわいがることは、家族でも恋人でも無く、自分にしかできないことだからだそうです。

それを積み重ねて行くと、だんだんいいことが増えて、最後に大きな願い事が叶うそうですよ。^^
つみきさんも、電車の一声で始まって、少しづつ願いが叶っていったんですね。^^
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お弁当 (つみき)
2012-07-11 08:16:32
「願うと叶う」
よいことも悪い事も
ささやかな願いも 大きな夢も 諦めない。
sakeさんのお弁当筒PCでみました。
自動車通勤なら仕事場に持っていって温かいランチ楽しみですね

インドネシアでも お弁当作ってあげたのですよ。

インドネシア人は早朝5時前からお祈りの準備にザワザワ
私は2階のゲストルームから階段の下がダイニングに下りた。
真っ暗い 誰もいない。高校生のアグネスにお弁当を作ってあげよう。夕食の残り物の天ぷらにてんづゆを煮詰め、甘しょっぱくからませる。
キャベツがあったので塩こしょう炒めと甘い卵焼き。
その日は海に行くのでついでに
卵サンドイッチ きゅうりサンドイッチも作っていた。

当然 日本から来たお客さんが台所にいたらふつうは
手伝うとか 良いからとか言うはずなのに、デビさんもシンタさんもこない。
あれっ?お祈り終わってるのに・・・。
インドネシアはお祈りの後 朝は早いのでまた寝てしまったみたい。アグネスだけは起きてきて白いスカーフを被り 白いブラウス グレーのスカートにジャージのズボンで簡単にサンドイッチの朝食を食べて お弁当をもち、迎えにきた契約したバイクに乗って遠い学校に走った。
ようやく皆で見送り。朝食デビさんがつまむ。「何故てつだってくれないの?」聞くと
「つみきはシェフよ」
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>つみきさん (sake)
2012-07-11 06:59:26
そうだったんですね!!

デビさんも懐かしくて喜んだことでしょう。^^
つみきさんが作った日本料理、まさに本場の味ですからね!
つみきさんの3つの願い、叶って良かったです。

ここの記事に紹介した本も「願い続ければ必ず叶います」と言う内容の本です。^^

今まで「叶わないものを願うなんてアホくさい」と思っていましたが、この年になって乙女のように願ってみることにしました。

小さいことは「今日の夕飯がおいしく食べられますように」
一番大きい願いは「kekeにお嫁さんがきてくれますように」
その間にいろんな願いを考えることにしました。

スープ弁当箱も手に入って、さっそく今日は味噌汁を作って持っていく予定です。^^
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やりたかったこと (つみき)
2012-07-10 23:50:55
私がインドネシアでやりたかった事
イスラムの衣装を着る事
エステに行く事
もうひとつ インドネシアでやりたかったこと
日本料理を作ること。すべての願いは叶った
エステに行った後、食材を買った。
作ったものは
天ぷらとそばと乾燥キンピラを持って行ったので作った。
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つみきさんは (sake)
2012-07-10 12:41:29
イスラム教の衣装もお持ちなんですね。^^
そうなんですか、あの衣装は見た目より涼しいものなんですね。私は黒と言うイメージがありましたが、赤紫なんてかわいいですね。

エステは日本の金額とは違うんですね。
うちの周りにもエステのお店が何軒もあります。
エステと言うよりマッサージの方が多いかな?
何分3,000円とかって書いてありますよね。
何軒もあるけど、客が入るのかしらと冷やかに見ています。

考えてみれば、オイルみたいなお薬やあと手間賃ですよね。
ちょっとやって何千円も取れたらボロ儲けですね。
日本でももっと庶民的な値段(300円や500円)だったら、入る人も増えるんじゃないかなぁ。
私だってやってもらいたいけど、3000円あったら服や靴が買えますからねぇ。
医療ともまた違うし。。。

気軽にエステに行けるなんて、美容院で髪を洗ってもらう&肩のマッサージだけでもうれしい私はいいなぁと思います。

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セレブ (つみき)
2012-07-10 07:48:12
おはようございます。sakeさんのブログのおかげで 眠れなくても身体を横たわるだけで違います。
ブログを読ませていただきノンレム状態を待ちます。2時間周期に睡魔がきたら逃さずに寝る。ナポレオンは3時間睡眠ですから 効率の良い睡眠の取り方ありますね。


インドネシア人の義姉が 一緒の飛行機の中で
「インドネシアには千の島があるから行ったら良いよ。」
「エステも機会あったら行ってみては」情報提供受けました。
好奇心旺盛な私は じゃあ 是非と。
確かにsakeさんの疑問分かります。
デビさんにしたら
エステ「日本高いよインドネシア大丈夫」
日本高過ぎ!

インドネシア人の長袖 長い丈は 見た目よりもずっと涼しいですよ。
実はインドネシア行ってやってみたい事の
第2はイスラムの衣装を着てみる事。
不思議な事にデビさんが扱っている衣料品 倉庫に連れて行ってくれ「どれが良い 着てみて」イスラム衣装のファッションショー
私は赤紫に小花の布地を選びました。
頭にはイスラム拝礼の白い被りもの。
「これ つみきにプレゼント!」
えっ!!!
着たいと思っただけなのに、思いがけず頂いたのは偶然にもデビさんのお気に入りだった。
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インドネシアには (sake)
2012-07-10 06:42:34
エステがあるんですか!

まずそこに驚きました。
人がその日食うために必死で働いている傍らで、日本でも庶民には高嶺の花のエステが存在するんですね!

それも3人で丸裸ですか。
日本でもお風呂がありますが、湯水に入っている時は見えませんからねぇ、丸裸同志なんて恥ずかしいですね。^^;

マッサージの力具合も、シャワーの温度も日本とは違うんですね。
真水だとたしかに冷たいかも。。。
異国でエステなんて、考えただけでも優雅な気持ちになりますけど、言葉が通じない私には無理だとわかりました。^^;

インドネシアはお湯のお風呂がないんですね。
もともと気温が暑いんでしょうかねぇ。
でも、日ごろ長袖で足首だけ出している衣装と言う話。みなさん暑いとか、もっと腕や足を出して涼しくしたいという気持ちにはならないのかな。

でも、きれいな海の見えるところで、エステをしたり、海鮮料理(?)みたいなものを食べたり、至福の時間が過ごせそうですね。
お友達がヘッドケアをされなかったのは、それが痛いマッサージだとご存じだったからかしら。^^;
私も頭がフケ症なので、フッドマッサージをどこかで体験したいと思っていました。でも、そちらのは痛そうですね。
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続き4日目エステ (つみき)
2012-07-10 02:43:03
念願のエステ
3人一室でまず赤すり全裸で。
「えっ、恥ずかしいよ」
イスラム教徒は常日頃他人の前では 髪の毛を隠し、上着は手首だけを出し長袖、足首だけを出しそれ以外は見えない衣装を着ているのに この全裸の大胆さが 大和撫子には信じられない光景だった。赤すり→ジャグジーハニーオイルでのマッサージは至福の時間。フットケア ネイルケア 私だけが
ヘッドケアを申し込んでくれたので受けた。
インドネシア人は並んでリクライニングのシートを倒して長まっていて 私とは向かい合わせ。
私は 美容院みたいに座り 頭をマッサージ 最初は気持ち良くされて デビ、シンタさんたちの会話も心地よい段々とマッサージが強くなり むしろ痛い 痛過ぎ 気が遠くなりそう。なりかかった時に「つみき 私達の話 聞いているの?」ハッとして気がついた時「マッサージ痛い 話聞いてない」必死で強い力に耐えていた私に二人は大笑い。
直ぐに私の頭を押しつぶしているインドネシア人に通訳して柔らかくやってくれるよう頼んでくれた。
その後 思いもかけない水シャワーでのシャンプーに ひゃあーと叫んだ私。今度は何だ!とばかりに 慌てたインドネシアスタッフ。日本では
「頭 流します。お湯加減 いかがでしょうか?」が インドネシアでは無い。水だ
sakeさん
頭を真水で シャンプーしてみてください。想像以上に 背すじがゾッとします。
インドネシアにはお風呂にお湯を使わないと言う事を忘れていた。
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異文化交流 (つみき)
2012-07-10 02:05:26
気高くて 崇高な宗教が 他の宗教をも受け入れる気持ちがあればより 素晴らしいのにと思いますが・・。

インドネシアでのカルチャーショック色々ありました。
知識だけでは理解出来ない体験してみて分かる事ってありますね。私はインドネシアに行くに当たって3つの願いがありました。

不思議な事に偶然にも願いが叶いました。
その1つがインドネシアに行ったらエステに行きたいと願った事。
インドネシア到着し 2日目は デビさんの家族、親戚の家を訪問デビママに再会したりデビさんが作った学校訪問。
3日目は ジャワ島一の茶畑と植物園観光。
運転してくれていたデビさんのご主人ユディさんが
どうしても仕事休めないと観光の車の中での会話で。
早速予約をしておこうとなり4日目の事
エステに行く事に決定しました。
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国が違うと (sake)
2012-07-09 05:45:29
文化もいろいろですね。^^
イスラム教は戒律が厳しいと聞いたことがあります。
身体を清めたり、衣装も着替えるんですね。毎日が儀式のようです。

宗教に関しては我が家は「神道」と言う氏神さんらしいですが、これがとても気に入っています。
ただご先祖様を敬うだけ。(だと思う、詳しく知りません。)神棚がある場合はお榊や米塩酒を変えるのかな。
そして他人の宗教の自由を認めているところが奥ゆかしくてとても気に入っています。

本当に宗教を信じているなら世界に犯罪なんて無いと思うんですけどねぇ、キリスト教でもイスラム教でも犯罪があるのが不思議です。
神様が戦争や犯罪をよろしいとは言わないと思うんだけど。。。
心穏やかに暮らしたいものです。^^
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イスラム教 (つみき)
2012-07-09 03:38:40
私も同感で
sakeさんの言う通り
現代は夢の持てない時代かもしれませんね 。
先の見えない不安はあります。
インドネシアでも同じ。
インドネシアでは宗教に入らなければならない義務があり
人口の90パーセント以上がイスラム教の熱心な信者。
朝5時近くには お祈りを促す 抑揚のある語りが 国中のモスクからスピーカーで流れます。
静寂の空気の中
人々は 三三五五 モスクに集まったり 自宅で お祈りの為に 身体を清め、女性は頭から布を羽織り、顔だけが出るお祈りの衣装に着替え、一人ひとり用の絨毯を敷き、身体を メッカの方向に向けて 静かなお祈りが始まる。
このお祈りを早朝から寝るまでに一日5回行なう。
だから 昼ご飯時になってもイスラム教徒の為のお祈り時間がある為 店屋はその時間帯はお休みでも 誰も文句も言わずに 交代でお祈りに行く。

一日5回のお祈り以外にも、
ラマダンと言う断食をする月があったり
豚肉を食べない習慣だったりとイスラム教には 決まりがハッキリしていて 祈りの中では 全ての人々が平等。地位も名誉も富裕層も貧民も関係なく、皆同じ場所で同じように祈る姿は統一されて 家族 地域 国がまとまっているのを感じた。
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私の年代 (sake)
2012-07-08 22:31:00
そうですねぇ。戦争は体験せず、ほとほと電化製品が出始めた辺り、世の中の右肩上がりの時代に子供時代を過し、バブルの時代までは景気に乗ってたしかに恵まれた世代かもしれません。
同世代の友達は、今頃はほどほどに出世している者も多いように思います。

でも仕事をしている頃は育児休暇制度はまだなかったから出産で休暇を取ってと言うのはあまり無かったと思うし、今のお子さんの子ども手当に高校無償化、それもありませんでした。

インドネシアの人はほとんど携帯を持っているんですか?!◎◎
今日食べるのも精一杯の人でも携帯は持つんですね。ちょっと驚きました。

私も携帯(安いプリペイドです)はとりあえず持ってますが、外回りの仕事ではないからほとんど使ってないんですよ。^^;
携帯でメールもほとんど打たないので、あまり文字数打てなくて、メールはPCです。

自分達がハタチの頃と比べてしまうと、今の子供達は大変に思います。
就職も厳しいし、能力主義と言うかいつ足を引っ張られるか分からない、年金もどうなるのか心配だし。。。
バブルの頃と比べてしまうので、子供に夢を与えられずにここまで来てしまったかもしれませんね。
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きっと いいことあるよね! (つみき)
2012-07-08 17:01:23

今 不動産現地物件販売会から 自宅に戻りました。 携帯の電池が 心もとないので
今日は送っておきながら極力携帯控えましたら 早々にコメントいただけありがとうございました。

sakeさんの生まれて 育った時代が 私と10年間違いますが 私は戦後10年を考えると 昭和40年代が一番景気の繁栄に乗っかった年齢で羨ましいと思っていたら「 それなりに苦労はあるよ」とはsakeさんと同年齢の姪の言葉。私は母親が居ないが 姪っ子は母親である 私の姉との遠慮のない確執に今苦慮しています。

だから 時代とか 年齢とか 国とか 影響は大ですが 皆 他人が良く見えたり 他人を見て私のがまだましだと思えたりしますね。
インドネシア人は僅かな富裕層と 大多数の人は貧しいですが 自分だけじゃないと分かったら耐えられる。
10年前のインドネシアには昔の日本のように金持ちしか電話器がなかったのに
10年後ほとんどの人携帯を持つ国となっていた。
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>つみきさん (sake)
2012-07-08 14:01:20
私も書ける時にコメントしますから気にせずに。^^
つみきさんはカナダもヨーロッパも行かれたんですか!
私の両親はカナダ旅行に行きたがっていたんです。行けずじまいになってしまいました。

日本は見栄っ張りなんですか。
お金がある風でよその国にお金を貸すとか援助してますからねぇ、予算もないのに。。。
そして食べ物に不自由して無い割りに、自分はビンボウのような不満をみんなが持ってますよね。

インドネシアでは日々の暮らしで精一杯の人が多いのに、自殺が無い?!
不思議ですね。

「何故?」と訊かれたら何て返事すればいいのだろう。この先生きていても良い就職口がみつかりそうにないし、結婚して子供が生まれても幸せに育てられるか分からないから??
でも、やってみなければ分からない?
日本人は責任感が強いのかなぁ。
kekeを曰く、不幸にする可能性があるなら子供は産むべきではないと言います。

宗教を信じていると言うのが支えになっているんですね。
必死で生きているのに悲壮感が無い?!
日本は昭和までどんどん右肩上がりで成長してきましたよね、私はそう言う時代に子供から大人になったので、その先の行き詰まり具合を見ると何だか絶望的な気持になるのです。

でも、その日暮らしで明日どうなるか分からないインドネシアの人が悲壮感がない。
とても不思議な気がします。
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インドネシア諸事情 (つみき)
2012-07-08 12:33:00
sakeさんいつも返信すみません。土日は不動産現地販売会の仕事は来客ないと暇なので。
外国に行くと色んな事を学びます。
2001年に行ったカナダツアーの同行者の一人に「カナダには歴史がない」意味が分かりませんでしたが
ヨーロッパに行った時に、未だに残る 中世の町並みに歴史の重みを感じ カナダでの言葉が蘇り あの人の言った意味が 理解出来た。
インドネシアはカナダやヨーロッパの国々とは 全く違った。
特に日本は 見栄っ張り 苦しいのに 辛いのに 「武士は食わねど高楊枝」
sakeさんの質問 インドネシアには自殺はないそうです。
逆に「何故?」インドネシア人に聞かれてしまいました。
私のホームステイ先は富裕層の居住区。セキュリティ・ゲートの中の安全な街に住んでいました。
だから本当の庶民の暮しは分からなかったのですが
「これ買ってくれたら一家で夜ご飯食べれるんだよ」と土産売りが私を取り囲みました。そうやって皆必死に生きてますが悲壮感はありませんでした。
90パーセント以上がイスラム教の信者。
すがるものがあるから貧しいとも心豊かな国なのではと思いました。
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>つみきさん (sake)
2012-07-08 06:07:06
ジャカルタはそんなに交通渋滞が激しい町だったんですね。
チップをもらう人がわんさかいる。。
私も忘れていましたが世界にはそう言う国がたくさんあるんですよね。

日本しか知らない私の疑問ですが、そのように日々身体を張って食べている人は「もう生きているのはいやだ!」とは思わないのでしょうか。
そんな毎日・・日本だったら自殺してしまう人がいるかもしれませんね。

5円で受け取るチップは何人からもらえば、その日の生活が成り立ちますか?
貧富の差がそんなにあるなら、もっとお金持ちの人から税金を取って、道路を作るようにすれば渋滞も解消できるし、雇用も増えるのに、そう言う風にできないのでしょうか。

よその国の話を聞くと、まだまだ日本は貧乏と言っても豊かに暮らしているように思えました。
でも、幸福感がそれに伴っていないと言うか、ありがたみが感じられていない気もしますね。(ーー;)

私は車を買って、今は休日に外に出てます。物珍しいしやがては手放そうと思うので、一生懸命乗っているのですが、便利になりすぎてしまって、この生活を元に戻せるかちょっと不安です。
携帯もそうです。
いつでも話ができるのは便利だけれど、拘束されているような気がして、私は好きでないですね。つながる・つながらないがあった方が、ゆるくて逆に人間関係はスムーズだった気がします。
つながらない、折り返し連絡ができなくても、いくらでも言い訳できるのでギスギスしなかった気がします。

便利すぎるのも善し悪しに思います。
デビさんご夫婦は、日本を見てみんながそこそこ豊かに暮らしているのを見て、学校を作られたりしたんですよね。
そこそこでも、笑顔で暮らせる幸せをみんなが感じれるといいですよね。^^
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インドネシアの交通事情 (つみき)
2012-07-08 04:36:18
sakeさん笑顔でいる事が一番だと思います。
ジャカルタの空港にはデビさんの義弟夫婦が迎えにきてくれました。

ジャカルタは世界で5本の指に入る程 有名な 交通渋滞の名所?
とにかく車がビッチリです。
朝の通勤時間帯では交通対策として一人乗車は罰金、
相乗り策を講じているが渋滞の解消にはならない。
どうしても一人で運転しなければならない時は 道路脇に 同乗専門の人たちが沢山いるので乗ってもらい賃金を払う。体のいいアルバイトと化している。
渋滞に、はまると どこからか人々がわんさか現れて、例えば右折もままならない道路なら、右の車列に身体を突っ込み誘導してくれるので5円程度チップを渡す、危険な身体を張った仕事をしているのには最初ビックリしたがどんな事でも仕事になる。渋滞を利用して 手作りの食べ物を売る人、 別の人は新聞 売りに来る。
乳飲み子を小脇に抱えて 車から車に手を出しチップをねだる母親の物乞いには胸が詰まった。必死さが活気さに見えた。
貧富の差は日本の比でなく
金持ちは、貧しい人々を利用しながらお金を与え貧しい人々は身体を張って一日食べて行けるだけのお金を稼ぐ。持ちつ、もたれつで人々の生活が成り立っているのをみてカルチャーショックを覚えた。
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>つみきさん (sake)
2012-07-07 20:45:12
去年もインドネシアに行かれたんですね。^^

デビさんは洋服からタオルに礼拝用の衣装のお店までして、そのお金で学校を作られたんですか!

自分1人のものにしないで、世のため人のために使われたんですね。なかなかできないことですよね。
本当は日本は豊かな国なのかと思っていたけれど、デビさんの方が心が豊かなような気がしました。
今の日本だと設けても自分のために使う人が多いような気がして・・(私もお金を持つとそうなるとは思いますが)自分だけが良ければよくて、欲しいものが買っても買っても絶たない・・そんな現実が恥ずかしいですよね。

つみきさんが行く時に探していた家がみつかったんですね。^^
そう言うタイミングってあるものですね。
私の今の会社や今の周りの人達も、あの時離婚を決めてなかったら出会えなかった人ばかりなんですよね。

つみきさんのボランティア精神が巡り巡って返って来たのかも。
人にいいことをすると、自分にもよい事が起こるって本当なんでしょうかねぇ。

私はあまり人にあげられるものがないので、笑顔だけでも周りに振りまきたいと思いました。^^v
家具まで買い揃えてつみきさんを待たれていたんですね。

40過ぎてからでもいい出会いがあるものですね。
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一期一会のご恩 (つみき)
2012-07-07 11:27:41
去年行ったインドネシア。
ジャカルタ空港で 一緒に行った義姉と別れ会うのは一週間後の空港ANAカウンターでと言う約束をし 義姉はバンドンの実家、私はデビさん、義弟さん一家が住むジャカルタ郊外へと別れた。
在日当時 インドネシア人は親戚を呼び 必ず我が家へと来て 食事して 泊まったり 観光したり知り合った人数は10人!
その人たちに会いに行った。
デビさんのご主人は会社員、デビさんはインドネシア帰国後 商売を始めた。子供服 タオル屋さんと イスラム教礼拝用の衣装の店。人を雇い事で仕事を与え、商売でお金を得る事で、民営の学校を作り、教師を雇い 親の無い子供たちを受入れて教育を受けさせる場を提供し 全てをボランティアに捧げていた。日本で愛息を亡くした直後に出会った頃のか弱いイメージからインドネシアの大地を踏ん張って生きていて、包み込むようなたくましさを感じた。
不思議な事に 私がインドネシアに会いに行きたいとお願いした事から デビさんは不思議な事があった。
「つみきが来る事が決まったら 探していたお家が 急に見つかった」と。
私の為に 家の調度品を一気に買い揃えて迎えてくれた事
やっぱり私のやって来た ボランティア精神はインドネシア人にも伝わってました。
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>つみきさん (sake)
2012-07-07 06:54:40
そうなんですか!
きっかけはお兄さんの結婚だけども、日本で偶然出会いもあったんですね。^^
その電車でたまたま乗り合わせて始まった縁からなんて、面白いですね。

私は普通に歩いていて道を訊かれる事がよくあるんですね。
方向音痴なので分からないことが多いんですけど、この前外国の女性から訊かれた時もほとんど知らない場所だったので一度分からないと言ったんですが、たまたま地図を持っていたのを思い出して、もう一度住所分かりますか?と声を掛けたら案内できました。
ラッキー、サンキューありがとうと何回も言われてうれしかったです。^^
(人に喜ばれるとうれしいですね。)

インドネシア・・私は南の方の島と言うことしか知りませんでした。
海がきれいで癒されるリゾート地のようなイメージですけど、実際に暮らすとまた違うイメージなんでしょうね。

つみきさんは、子育てが終わりつつある10年間はインドネシアの旅があったんですね。
それも偶然電車の中で声を掛け合った縁もありで、その後の行き来になるなんて。

人生何がどう変わるか分からないものですね。^^
私も自分の気持に素直に行動したいです。
10年後に「いいことあったよ」になってるといいなぁ。
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気持に素直 有言実行 (つみき)
2012-07-06 21:52:28
実兄は仕事でインドネシアにプロジェクトの一員で長く勤めて、そこで知り合った現地女性と縁あっての国際結婚。
義姉の里帰りに同行したのは子供たちも成人したので家族を置いても心配ない年齢なった2000年。ホームステイ。思い出深い貴重な体験をさせてもらったので 帰国後来日インドネシア人に親切にしようと心掛けていたら偶然にも 乗っている電車にインドネシア人親子が乗り込んできた。
とっさの事で 声を掛けようか、どうしようかと悩んでいたが
日頃から 第六感がある私は声を掛けた。

来日わずかで最愛の息子さんが急死したと言うデビさん。
デビさんのママがインドネシアに帰る前日での事。
私は思わず「ママ心配しないで。私がデビさんの日本のママになる」と約束した。
インドネシア一家を3年間気にしてあげた後帰国。
すると 今度は インドネシアからデビさんの義弟夫婦が来日し 私を訪ねてきてくれ 同じく交流し我が家に泊まったり旅行したりインドネシアからも何人も泊めたりして5年間付き合いがあり帰国。
私の義姉がまたインドネシアに誘ってくれたのをきっかけに行くなら、国に帰った2組の夫婦に会いたいとの連絡をしたところ
「空港まで迎えに行く 我が家に泊まって」とのウエルカムな返事をもらったので再びインドネシアに行ってきた。
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>つみきさん (sake)
2012-07-06 12:13:10
そうなんですよ。^^
バブルの時、私は学生から就活、新入社員と言う時期でした。
内定が決まってから、何度も交友会?みたいなものが催され、新人講習の時期は学生時代より学生みたいでした。懐かしいです。^^

つみきさんはインドネシアにも行かれたんですね!4回も渡航と言うことは他にもいろんな国に行かれたんでしょうか。観光ですか?^^
日本にいるのとは違って視野も広がりますか?きっと人生観も変わりますよね!私もいつか行ってみたいです。
お勧めなのはどちらの国ですか?^^

つみきさんも宅建の資格を取られたんですね。
私は3ヶ月しか勉強しなかったのですが、その間はとことん参考書を開いて問題集を解きました。大学は1年浪人しても行きたい所に行けませんでしたが、あの受験勉強がこの時役立ちました。

試験は出来て良い問題(参考書に乗っていて目を通していたはずの問い)を5問ぐらい落としたので、絶対に落ちていると思っていたのですが、参考書ではまかないきれない民法や参考書にはほとんど書かれてない地形や建物に関する問題(最初からできないと諦めていた分野)で運に恵まれました。
あの年落ちてたら、次の年どんなに勉強しても受からなかったと思います。

その年の夏はお風呂も2日に1度、どこに行くのも参考書は持ち歩き、車の中でお経のように宅建の文章をグルグル聞きました。
円形脱毛(500円玉を一回り大きくしたような大きさ)と言うオチもつきました。

民法の問題は範囲が広すぎて予備校の勉強だけではカバーできないかも。人生経験がモノを言うような気がします。若い人はそこらが大変だと思いました。
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宅建資格 (つみき)
2012-07-06 05:57:58
おはようございます。
sakeさんは私より10歳も若い。世の中右肩上がりのバブルの頃、学生 就職された華やかな世代かしら。

私の10年前は、姑や弟や二人の子供の事
回りの事を考えなければ、
10年前パスポートを取得インドネシアを皮切りに4回渡航、
去年パスポート更新し10年振りにインドネシアに行ったから事を考えると
私の人生で一番充実していた10年間だったんだなと今思った。
不動産屋の仕事を見つけたのも10年位前。息子が小学校入学前からポスティングをやりながら色んなパートタイマー経験し 不動産屋に落ち着いた。最初は物件現地販売会の仕事→プラスチラシ印刷→プラスポスティング→プラス水曜日留守番事務と どんどんと頼まれるようになった。環境は賃貸、物件購入、販売をやっているから 宅建資格生かせる仕事をやってます。社員は資格取得手当ては3万円。新入社員は休み返上で会社が勉強会に参加し勉強していますが 年1回の試験でしょ 必死ですね。最初の年で取得しないと翌年からは実務?仕事ばかりなので不利。そんな営業さんをみていりからsakeさん凄いです。各営業所には宅建取得者が居ないと仕事にならない。
売買契約の際には
「重要事項説明」だけは取得者がやらなくちゃならない。sakeさん凄い。
返信する
>つみきさん (sake)
2012-07-05 10:29:11
私はもともと早寝早起きなんですよ。^^
この季節は明るくなる時間帯が早いのでとても私に合うんです。

私も歯を食いしばって(?)みたいな気持で1人で子供を育てていた頃に「再婚すれば」とか茶化されて、ぐやじい~と言う気持を津々浦々とどこかで語りたかったのです。
そんなこと言える女友達もいませんでしたからねぇ。。。

周りの人も茶化して「再婚」を進めていたのではないのだと今は分かりますが、当時は生きていること自体が真剣勝負だったので、茶化しているようにしか受け取れなかったのです。
泣いたこと、怒ったこと、いっぱいあります。

でも幸い、周りが男ばかりなので、妬みを隠す必要がなかった。これは幸運なことだったんですね。
つみきさんがこの前「見栄で辛いことを隠していた」と言うように書かれていたけれど、私はそれを素直にブログに書けたんです。周りが同性だったら、どこにも言えず、自分でも認められず心に封じ込めていたような気がします。

周りは男ばかりだから仕方ない、こんな世の中なんだし・・・と皮肉半分でサラッと書いて流すことができました。自分の弱い部分、愚痴・不満をサラッと書いちゃう認めちゃえる所が私の長所なんだなと思えてきました。^^

「いいことあるよね!」が「いいことあるよ」になる日が来る!!
そう思ったら楽しみになって来ました。57まであと丁度10年です。
kekeは31ですね、んんーどうなっているだろう?でも、先輩の言葉ですから本当に「いいことある」ような気がしてきました。^^

つみきさんもポスティングの経験がおありですか。私も前の会社で時々やりました。
不動産屋さんはお休みの日に店を開けているんですね。
1人で任されるとは頼りになるんですね。
私は建築のことを何も分からないので、急に客が来ても対応ができません。電話して取り次ぐのが精一杯です。
返信する
素敵な人 (つみき)
2012-07-05 06:20:45
おはようございます。
早速の返信ありがとうございます。

私は不眠症で眠りが浅いの。
夜中にチョコッと寝て深夜に目が冴えて眠れない時に 出会ったのが
sakeさんのタイトル

真面目過ぎる私は真っ向勝負で生きているから 図々しい人に出会ったりすると 夜 考え過ぎて寝られなくて
「いいことあるよね!」を読んでみたら
私と似てる。
一生懸命に生きている。
なのに
「いいことあるよね」は 願望か 自分に対しての励ましかと思える内容で
57になったら
「いいことあるよ」だから 今は 通過点だから頑張ってと思って
コメントしました。
まだ
私も人生続いているけれど
だった一度の自分の人生だから 悔いのない行き方しています。
sakeさんだから
57歳頃になったら
つみきがホザイていたこと思い出してね。


不動産屋といっても
私は パートです。
15年位前から
郵便局の非常勤職員をやりながら 土日は
新築物件のオープンルーム(現地販売会)の案内係りをやってます。郵便局は郵政民営化に伴い辞めて、平日は日経新聞のチラシポスティングをやったり、不動産屋のチラシ印刷段々と頼まれたので
社員が休みの日の水曜日 裏事務員として 営業所を任されて店を開けてます。
賃貸 物件購入希望の接客、電話 事務所掃除 事務を 一人で任されてやってます。
返信する
>つみきさん (sake)
2012-07-05 05:06:52
つみきさんは不動産屋にお勤めですか!

そうなのです、私は1年半前になりますか、宅建の資格を取りました。
kekeの不登校が始まった頃で、勉強している親の背中を見れば変わるかもしれないと思ったのと、会社でグータラしている人たちの鼻を明かしてやろうと・・・動機は不純です。

つみきさんは、いろんな職業につかれたんですか?!
今は不動産屋さんにお勤めなんですね。^^
建設会社では、宅建で資格手当ももらえる会社もあるけれど、うちは宅建業をしてないので、関係ないようです。
いつか失業した時に役に立てばいいなぁと思ってます。

ブログは8年になるので、読み終わるのが大変ですよね。
本当は面白いところだけピックアップしてあればいいんだけど。。。くだらない内容も多いです。
1年間違う会社にいましたが、その前と今は同じメンバーと仕事してます。たまに昔の記事を読むと、こんなに楽しかったんだなぁ、とかkekeもこんなに笑っていたんだなぁと思います。
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ブログ逆上って (つみき)
2012-07-05 03:31:09
つみきです。
sakeさんのブログが大好きだから
ブログの最初から読んで見ようと思いました。
全部読んでから
ひょっこり
「つみきです」って
現れようかと思っていたところ
こんなにも 早く
やっぱり sakeさんに会いたくて コメント書いちゃいました。
まだ
全然読めて無いのですが
つみきは
57歳まで生きてきているので
色々な職についてきました。
現在は
「不動産屋」に勤めています。
sakeさんが
宅地建物 宅建の資格を取得した
ブログが目に止まったので
取りあえずそのところのコメントに反応したつみきです。
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