How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

2010年の Her squint ~言葉と旋律は記憶に刻まれる

2018-12-09 00:39:04 | 音楽徒然

僕がこのgooブログに不定期に文章を投稿するようになる前は(既にサービスの提供が終了となったOCNブログ人も含む)、某SNS内のサービスを利用して、そのSNS内限定で公開されるブログに精力的に文章を投稿していた。
その頃の僕はまだまだ気持ちも若く、文章も稚拙であり、ふざけて書いたものなどは、今読み返すと自身でも恥ずかしくて目を覆いたくなるようなものもたくさんある。
当然のことながらそのような文章を人様にお見せできるはずがない。
僕はそのSNS内で書いていたブログの殆どを非公開設定にして打ち遣っていたのだが、中には設定が漏れているものも幾つかあることは分かっていた。

12月8日、ジョン・レノンの命日に僕は某SNSに投稿した自分の黒歴史とでも言うべき幼稚な文章について、その一つ一つが非公開設定になっているか否かのチェックをしていた。


ある記事に目が留まり、思わず読み耽ってしまった。
今回再び読むことになるまで、そのような出来事があったことをすっかり忘れてしまっていた。
いや、正確には読み終えても当時の光景や場面をなかなか思い出せなかった。
何度も読み返し、そしてよくよく思い返してみて、少しずつその時の記憶が呼び戻されてきた。
僕にとっては結構な度合いの強烈な体験だったのにもかかわらず、すっかり忘れてしまっていたことに少なからず衝撃を感じた。

人間の記憶なんて曖昧で心許ないものだと言ってしまえばそれまでなのだが、それでも30代後半以降の僕の記憶力の低下には愕然としてしまった。
毎日腐って過ごしていたことも理由の一つかもしれない。
精神的に不健康だったことも理由の一つかもしれない。
そうだとしても、その時の光景や場面、そして感情に関しても、20代の頃のように脳裏と心にずっと刻まれる記憶にはそう簡単には成り得ないのかなと感じた。
逆に言うと、20代の頃に感じたことは30代の僕も40代の僕も同様に記憶しているのだということも分かった。



2018年7月10日に、僕はこのブログに「Her squint ~ 言葉と旋律と青い衝動」というタイトルで記事を投稿した。
自作曲「Her squint」に纏わる思い出と、それに関わった方との再会について書いた。

それよりも前、2010年の4月にも、僕は「Her squint」について、前述の某SNS内のブログに投稿していた。
その中で既に僕は「言葉と旋律」という一節を用いている。
そうだった、それは20代の頃から言い続けていることなのだ。

「言葉と旋律にしたかった」。

今でもそう思うけれども、さすがに当時のように夢ばかり見ている青二才ではない。
自分がどれほどのモノなのかは充分承知して挫折し、そして現在は穏やかに毎日を過ごしているのだ。
飽くまで趣味や自己満足の領域で楽しめば良いのだ。
それでも時にはこうして多くの人の目に触れて欲しいと思うこともある。
だから、発掘した2010年4月の「Her squint」についての記事を以下に転記します。
よかったら、お付き合いください。



 

【以下転載】


Her squint

2010年4月5日 00:49



嘗て僕の身近に、同時期にユウコという名の女が二人居た。ひとりのユウコは恋人だった。そしてもうひとりのユウコは「恋人にしたかった女」だった。


恋人だったユウコに関しては勿論、恋人にしたかったユウコもとても仲良くしてくれた。 東京で知り合った同郷の友人というだけでなく、僕にとっては数少ない音楽友達であり、その中でも唯一の心許せる存在だった。
いけないことだと分かっていながら、名前が同じ、誕生日は5日違い、しかし性格は正反対の二人のユウコの狭間で、僕は悩ましい20代を過ごした。
ということは過去にも書いたことがある。またくどくどと書くつもりはない。


今日、「恋人にしたかったユウコ」を思い出した。その話をしようと思う。




暦の上では休日だったが僕は仕事が入っていた。本来の業務である得意先回りの営業からは外れる内容だが、取引先との関係上避けることが出来なかった。
昨日までは寒の戻りとも言えるような寒さだったが、今日はとても暖かく絶好の花見日和だった。世間の人々の楽しそうな笑顔を尻目に、僕は某家電量販店で来店客の対応をしていた。
そんなありきたりの休日出勤の今日、大勢の買い物客が行き交う中で遠目にもはっきりと彼女のことを認めた。

ユウコによく似た女の子が店内を買い回っていたのだ。




恋人だったわけではない。しかし、恋人だったユウコと同じくらい、僕にとっては大きな存在だった「恋人にしたかった女、ユウコ」。今でも僕の心に彼女は棲んでいる。折に触れて思い出す。もう二度と会えないのに、いつまでも彼女のための場所が僕の中にある。そして、そこに溜まった澱が溢れるように、時折強烈に彼女の記憶が甦る。


二人のユウコが居た日々。その頃の僕は音楽に夢中だった。他には何も見えていなかった。
そして僕は何としてもユウコについて謳った曲を作りたかった。とはいえ二人のユウコを同一の曲に登場させるつもりはなかった。各々のユウコに対する思いを別々の曲の中で、僕は言葉と旋律にしたかった。

 

その日の出勤の際、僕は車中で恋人にしたかったユウコについて謳った曲を流していた。

流しながらよく思うものだ。次はこんなアレンジにしよう、あんなミックスにしよう、ここはちょっといただけないな・・・そして時には自画自賛ではあるが「ここは我ながらうまくいったぞ」と些かの笑みを浮かべることもある。
しかし今日は違った。かなり久しぶりに聴いたということもあり、純粋に鑑賞していた。
そう、つまり、意識しながら努めて鑑賞しようとしたわけではなく、僕はごく自然に鑑賞して、その曲の世界に浸っていたのだ。
もしかしたらそれは何かの前触れだったのかもしれない。僕はそのまま一抹の寂しさを感じながら出勤先に到着し接客を始めた。

 


ユウコに似たその彼女を来店客の中に認めたとき、一抹の寂しさは確固たる寂しさに変わった。舞い散る桜が一陣の風に吹かれて煽られるように、僕の中でも風が吹き抜け、たくさんの記憶や思い出たちが撹乱され、錯綜した。
暫し呆然としながらも、実際には感傷に浸る余裕などあるわけがなく、僕は接客を続けていた。


「すみません、対応をお願いします」。

競合他社の担当者から声をかけられた。「お客様のご希望はウチではなく御社だったので」。
「あっ、ありがとうございます。どちらのお客様ですかね?」

軽く礼を述べた僕に競合他社から紹介されたのは、まさしくあの「恋人にしたかったユウコによく似た彼女」だった。


凡そ50センチメートルの距離を隔てて彼女と僕の顔が対峙したその瞬間、僕は我を失いかけた。
彼女はユウコと同じ瞳をしていた。左目が斜視だった。


ユウコに好意を抱き始めてからから、僕は斜視の女の子を好意的に見るようになった。斜視というだけで惹き付けられるようになったのだ。
実際に表情がきょとんとした感じになって可愛らしく感じる。出来ることなら、恋人になってもらえるのなら斜視の女の子を希望する。
ユウコについて謳った曲も斜視の女の子に惚れたという内容の曲だ。ユウコの斜視は彼女の個性であり魅力であり、斜視でないユウコが居たとしたら、彼女は僕にとってあれ程にまで魅力的に映ったのか甚だ疑わしく思う。
ユウコによく似た女の子はこれまで何度も見かけた。しかし、今、僕の目の前に居る彼女ほどよく似た女の子に会ったことはない。
先ほど心に吹いた一陣の風は今では嵐のように吹き乱れていた。これは仕事なんだと、わなわなした心を何とか抑制しながら僕は商品説明を続けた。


次第に心は落ち着き、風は穏やかになり、代わって言いようのない寂しさに襲われた。
「今、こうして話をしている名も知らぬ彼女。ユウコと同じ瞳を持つ目前の彼女。この女の子にも今日限りで二度と会うことはなかろう」。
僕の中で、ユウコと目前の彼女が完全に交錯していた。ユウコとはもう二度と会えないのだなと思う度に言いようのない寂しさに襲われる。それと同じ感覚が全身を襲った。


彼女は契約に応じてくれた。店内を買い回ったために手荷物が多く、僕はそれらを幾つか抱えて駐車場まで運んだ。
「どうもありがとうございました。助かりました。」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。」
一礼をして、僕はその場を辞した。

 

帰路、僕は車中でユウコへの思いを「言葉と旋律」に託した曲、「Her squint」を何度も何度も繰り返し聴いた。


20代半ばの僕は、ユウコに対する思いを何としてでも言葉と旋律にしたかった。形にして残したかった。
倒錯した恋愛感情であることは承知の上で、いや寧ろ倒錯した感情だからこそ形に残したかったとも言えよう。
何十年か経た後、「僕はユウコにこれほど激しく魅かれていたのだ」と胸を張って言えるように形に残したかった。
そうして形にしたものを売って生活の糧にしようとは考えなかったと言えば嘘になる。そうなればいいなという淡い希望は抱いていたのだから。
しかし、20代の僕にとっては、生活の糧になるか否かというのは大きな問題ではなかった。繰り返すが「形にしたかった」のだ。今抱いている感情、加齢とともに忘れてしまいそうな感情、これを形にしたい、表現したい、「言葉と旋律にしたい」。
そうすることが、僕の責務であり、使命であり、生きる命題だと考えていた。
当時の僕はそれが正しいと考えていた。


車中で「Her squint」を流しながら僕は考えていた。

「形に残すことが正しい」。

それは果たして真実だろうか。

形に残す。つまり思いを言葉と旋律に変換して記録することにより、僕はいつでもそれを手に取り鑑賞し、当時の思いを甦らせることができるようになった。
しかしそのせいで、僕はいつまでも前に進めていないのではないか。

 

 

‐完‐













Her squint    (詩・曲:襖澤 鮭一)

 

綺麗に言葉を並べ立てても あらゆる語彙の持ち合わせはなく

すり抜ける すり抜ける 目前に横たわる彼女と隔てる不安な空間を

 

この僕の茶色いふたつの眼は 小刻みに震え彼女の姿を追う

耳をそばだてて彼女の声だけを 

ひと声、ひと声に、喜び・・・また切なさ

 

ああ、あなたの流し目に射られた僕の肉体は

先ずは左手そして右手 更に口を麻痺させる

身じろぎもしない僕の中の歓喜の雄叫びは

壊死した右手に引き金引かせ、僕は・・・また罪を犯す

 

彼女の冷たい踵が過る 膝頭露わに そして流し目さ

ああ、今思い知った 彼女の流し目は

生まれつきのもの 無意識下の一瞥

 

爪を切る 僕が待ち望むその日のため

爪を切る その日に彼女を傷つけぬよう

 

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切る

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切り

 

ああ、今思い知った 本当は彼女を

少しも愛していない 流し目に魅せられた

 

 

songwriting,

arrangement,

performances,

programings,

engineering,

by Sakeichi Fusumazawa

except arrangement of main guitar phrase

by Shunichi Hanano

 

 

 

【追記】

自身の拘りで、自作曲の中には「詞」ではなく「詩」の文字を用いたいものが存在します。

この曲 "Her squint" もそれに中ります。

誤記ではありません。

 

演奏については、当時のデモ音源でSHさんが弾いた素晴らしいギタープレイを真似して僕が演奏しています。

技術が伴わないのでかなり簡略化しています。

各パートの演奏の粗やヴォーカルのピッチ、ミックスや音処理については、録音した直後から録り直したいなと思っていました。

いつかまた録り直そうと考えてはいたものの、当時でも拙い演奏だったのにブランクがあるとこのレベルすら弾けません。

恐らく今後も無理でしょう。

要するにこれが鮭一の最高のパフォーマンスになるのでしょうね。

鮭一の青の時代の、青い衝動の結晶です。

 









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Her squint ~ 言葉と旋律と青い衝動

2018-07-10 08:21:31 | 音楽徒然

何かを表現しようと思った時に、その手段として僕が最も得意なのは文章だと思っていた。

時には身を削るような思いをしなければならないこともあるが、多くの場合は容易く感じた。

考なくても言葉が出てくるし、もし出てこないときには考えれば出てくる。

要するに僕にとって言葉は必ず出てくるものだった。

そしてそれは今も変わらず感じている。

僕が表現する手段としては、言葉が相応しい。

ただし、あらゆる語彙の持ち合わせはない。

 

 

 

でも若い頃の僕は言葉だけではなく、言葉と旋律という表現方法を選んだ。

何故そのような選択になったのか。

それがこのエッセイの主だった題のひとつではあるのだが、語り始めると相当な長文になりかねないので手短に伝えよう。

 

「小説を書きたいと思ったが自分には書けないと悟った。

寧ろ、散文詩のような短い文章の方が自分は勝負できると感じた。

しかし日本文学における「詩」というジャンルは今後も存在し続けるのか疑問に感じる。

ならば僕は寧ろその散文詩を旋律に載せて届けよう」

大まかに言うとこういうことだった。

 

 

そもそも僕は大した読書家ではなかった。

触れた書物の数など僅かなものだ。

寧ろ接していた時間は音楽の方が圧倒的に長かった。

しかし、幼少期に音楽教育を受けたこともなければ楽器の演奏もできない。

言葉を綴るように容易く旋律を紡ぐことなど出来ない。

自分が旋律を紡ぐには、鼻歌しか方法はなかった。

これでは勝負できない。

誰かに曲を提供してもらえるのを待っていたら歳をとるだけだ。

遅すぎたと悔みながら、僕は二十歳を過ぎてから作曲のためにギターを手に取った。

 

 

 

先ずはコード(和音)というものを知らないと演奏も作曲も出来ないだろうと考え、僕はお気に入りの曲のコードを調べてガチャガチャとギターを掻き鳴らしながら口ずさむということから始めた。

自分にとってのギター・ヒーローが居たわけではないから、ソロやリフをコピーして練習するなど一度もしたことがない。

「自分は作曲のために楽器を手にしたのだ」という最初の思いのまま、ただ只管コードフォームを覚えて旋律を口ずさみながらギターを鳴らし続けた。

ある程度コードフォームを体得した後、さすがに音楽理論を一切知らないというのでは宜しくないと考え、基本的な理論は学んだ。

「そうか、楽曲というものはこうやって出来ているのか」。

 

 

このようにして僕は曲を作り始めた。

「誰それのナンタラという曲みたくなるといいな」。

漠然としたイメージだけで作曲を始めたごく初期に、ほぼ同時に3曲仕上がった。

完成イメージとして考えていた元ネタの曲のコードを調べるなどすると、どうしても真似になってしまうだろうと考え、敢えてコードは知らないままイメージだけで作った。

そのうちの一曲が、その後の僕にとって特別な意味を持つ曲になるのだった。

 

 

 

“Her squint”

それをその曲の名に冠した。

自作曲についての解説など、小説の作者あとがきのようなもので最高に馬鹿げていると思うので、詞の内容に関しては詳しいことを書くつもりは一切ない。

時間があれば “squit” という語の意味を調べてみてくださいということだけは言っておこう。

 

 

 

当時一緒に音楽活動をしていた仲間で、”Her squint” のデモ音源を録音した。

編曲された自作曲を自身で演奏し、それを録音して聴いてみる。

捲るめく体験だった。

楽曲としては何も難しいところはない。

技巧的なことは一切していないというか出来ない。

基本的で簡単なコード進行で、素人臭が色濃く漂っていた。

しかし、僕はそこに載せた旋律には自負があった。

いいメロディが出来たなと、自画自賛ではあるけれどそう自負していた。

 

 

「なんでこんな爽やかなM7(メジャー・セヴンス)が続くような曲に、こんな思い詰めた詞を載せるのかな?」と言われたこともある。

確かに一般的にはM7コードのイメージは「清涼感」「広がり」などとされている。

でも僕はM7コードには「不安感」「一抹の寂しさ」「切なさ」「哀愁」を感じる。

だから、思い詰めた詞(詩)で良いのだと思った。

 

「随分ヴィジュアル色の強い詞だね」と言われたこともある。

でも考えてみて欲しい。

例えばThe Smiths の曲を日本のV系バンドが演奏してもさほど違和感はないだろう。

The Smiths の楽曲群で歌われる詞の唯美的な部分をデフォルメすると日本のV系バンド的になるだけなのだ。

デフォルメしないならばThe Smiths のような見た目のバンドがやっても違和感ないでしょう。

 

 

こんなことを言えるくらい、僕はこの曲 “Her squint” に自信を持つようになっていた。

いかにも素人の所作であるのにすっかり足元を見失っていた。

そしてここには書いてはいないけれども、この曲に纏わるエピソードも含め、僕にとってこの曲はとても特別な曲になっていった。

最初のコード「AM7(エー・メジャー・セヴンス)」は当時も、そして今でも、チューニングを終えたギターを抱えて、最初に鳴らすコードだ。

そして勿論、弾き語りをするときはAM7(エー・メジャー・セヴンス)を鳴らしてそのままこの曲の演奏を始める。

凄くスローな、弾き語り用のヴァージョンで歌う。

最後にもう一度、この曲を演奏して終わる。

そんな特別な曲なのだ。

 

 

 

 

この曲のデモ音源を録音したときに、ごく短い期間ではあったけれど一緒に音楽活動をしていたSHさんとは袂を分かつことになるのだが、その後も暫く親交は続いた。

SHさんが新潟に、僕が岐阜に帰郷した後も、僕は新潟までSHさんに会いに行った。

しかし僕を取り巻く環境がどんどん変わっていった。

音楽に触れる時間など全く取れないくらい、毎晩日付が変わるまで仕事をしなければならないような日々が何年か続いた。

更に僕がメンタルな病を抱えてしまうことになった。

残念ながら、親交は途絶えてしまった。

 

「SHさんは今頃どうしているのかな」。

音楽全般に長けた人と会ったりする度に、僕はSHさんを思い出した。

「あの人が音楽を生業としないなんて日本の音楽界はどうかしている」くらいに思っていた。

それくらい凄い人だった。

これまで出会った音楽家で(敢えてこの言い方をしたい)最も尊敬する人だった。

 

 

ふと悪戯心で、とあるSNSでSHさんのことを検索してみた。

ヒットした。

故郷で音楽スタジオとイヴェント・スペースを兼ねたような施設を経営されていた。

音楽を生業としていらっしゃる。

軌道に乗っているようだった。

輝いている様が伝わってきそうなほど充実しているように感じた。

「僕のことなんか忘れちゃっただろうな」と思いながらフォローだけした。

 

 

「もしかして、高円寺で一緒にやっていた鮭一くんかな?」

返信が届いた。

SHさんは忘れていなかった。

覚えていてくれた。

また遣り取りが始まった。

 

 

「今度3周年のイベントをやるんだよ。あの曲を一緒にやろうよ」と声をかけてもらえた。

とても嬉しい。

あの特別な曲を実演する場を与えてもらえるなんて、夢のような展開だった。

ただ、僕はもう現役を退いて長い。

人前で演奏することからもうずっと遠ざかっている。

 

ということで、目下特訓中です。

 

 

Her squint    (詩・曲:襖澤 鮭一)

 

綺麗に言葉を並べ立てても あらゆる語彙の持ち合わせはなく

すり抜ける すり抜ける 目前に横たわる彼女と隔てる不安な空間を

 

この僕の茶色いふたつの眼は 小刻みに震え彼女の姿を追う

耳をそばだてて彼女の声だけを 

ひと声、ひと声に、喜び・・・また切なさ

 

ああ、あなたの流し目に射られた僕の肉体は

先ずは左手そして右手 更に口を麻痺させる

身じろぎもしない僕の中の歓喜の雄叫びは

壊死した右手に引き金引かせ、僕は・・・また罪を犯す

 

彼女の冷たい踵が過る 膝頭露わに そして流し目さ

ああ、今思い知った 彼女の流し目は

生まれつきのもの 無意識下の一瞥

 

爪を切る 僕が待ち望むその日のため

爪を切る その日に彼女を傷つけぬよう

 

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切る

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切り

 

ああ、今思い知った 本当は彼女を

少しも愛していない 流し目に魅せられた

 

 

songwriting,

arrangement,

performances,

programings,

engineering,

by Sakeichi Fusumazawa

except arrangement of main guitar phrase

by Shunichi Hanano

 

 

 

【追記】

自身の拘りで、自作曲の中には「詞」ではなく「詩」の文字を用いたいものが存在します。

この曲 "Her squint" もそれに中ります。

誤記ではありません。

 

演奏については、当時のデモ音源でSHさんが弾いた素晴らしいギタープレイを真似して僕が演奏しています。

技術が伴わないのでかなり簡略化しています。

各パートの演奏の粗やヴォーカルのピッチ、ミックスや音処理については、録音した直後から録り直したいなと思っていました。

いつかまた録り直そうと考えてはいたものの、当時でも拙い演奏だったのにブランクがあるとこのレベルすら弾けません。

恐らく今後も無理でしょう。

要するにこれが鮭一の最高のパフォーマンスになるのでしょうね。

鮭一の青の時代の、青い衝動の結晶です。

 

 

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スティーヴ・マリオットのサングラス  マッギンのサングラス

2018-05-14 23:33:09 | 音楽徒然

Small Faces のSteve Marriott が若かりし頃にかけていた四角いレンズのサングラス。



有名な写真だから、見たことがある方も多いと思う。

「いいな、いいな、欲しいな」と思ったのは、ついこの前のことのような気がするが、それは20代そこそこの自分、もう20年以上前のことだ。


そんなモッドなファッションを今でも大好きな僕が、モッドとは無縁な延竿の本流釣りに行って、川の近くで車中泊をしようとしていたときのこと。
寝袋に潜り込んでなんとなくスマホの画面を眺めて「モッズ 帽子」「モッズ サングラス」などという検索語で表示されるページを楽しんで見ていた。
どうやら、件の四角いサングラスはここ何年かの間でリメイクされていたようだ。
勿論販売もされていたようだ。
しかし、そもそも生産数に限りがある。
僕の欲しい色はどのショップでも品切れ。
「ああ、やっぱりモッドなアイテムを探している人は飛び付くだろうからな。欲しいけど縁がなかったな。」なんて諦めようと思ったとき、とあるショップで1個だけまだ残っているのを見つけた。
僕は反射的に「購入する」という表示画面をタップしていた。

翌朝になって冷静に考えてみた。
欲しいなと思っていたのは二十歳そこそこの自分。
それから20年以上経過していまでは正真正銘のオッサンだ。
こんなとんがったサングラスを買って、一体いつかけるのだ?
年齢を考えろよと自分で自分を叱ってやりたくなった。



今日、帰宅したらそのサングラスが届いていた。






うん、確かにカッコいい。
でもモノがカッコいいのと、それを自分が身に着けた時に自分がカッコいいかとか、画として違和感が無いかというのとは全くもって別問題。


判断力が低下しているときの買い物は怖いですね。
気をつけなきゃな。
家とかクルマとかでなくてよかったよ。


ところで、モッドモッド、モッズモッズと連呼していますが、僕はモッズ・ムーヴメントやモッズ・ファッションが好きで、それらを好んだ若者たちが愛聴していた音楽が好きですが、自身はべつにモッドではありません。
どちらかというと、というかほぼ間違いなくネオアコくんですのでその点よろしくお願いします。

 


二番手はクールなのだ

2018-04-01 23:33:31 | 音楽徒然







ロニーが一番クールだと思うよ。
なにしろ二番手のバンドの中の二番手なのだから。



モッズ・バンドと言えば the Who が有名だけど、あれはモッズ・ムーヴメントを利用した作られたバンド。
ヴォーカルのロジャー・ダルトリーなんて対抗勢力のロッカーズ然とした雰囲気でひとつもクールじゃない。

対して the Small Faces は紛れもないリアル・モッドが集まって結成された真のモッズ・バンド・・・なのだが一般的には the Who に次ぐ二番手のバンドという認識。

そして the Small Faces では勿論フロントマンのスティーヴ・マリオットが目立っていてロニー・レインは二番手。

二番手のバンドの中での二番手という立ち位置だけでもとてもクールなのに、暴走しそうなマリオットのサウンドの嗜好と拮抗していたロニーの音楽センスや立ち位置はより一層クール。

そのような意味において、ロニーは最高にクールだと思うし、きっと彼が本物のフェイスなのだと思う。
 
Ronnie Lane,he is the real Face.


ロニーが今もこの世にいてくれたら、今日で72歳か。
きっとクールなおじいちゃんなんだろうな。


"Ronnie Lane. You never can tell" を YouTube で見る






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どうなるギブソン その2

2018-02-24 09:56:26 | 音楽徒然


ギブソン」が経営危機、老舗も苦しむ深刻なギター不振 | from Huffpost | ダイヤモンド・オンライン

    (↑↑↑ タイトルクリックで記事にジャンプします)



ハフポスト日本版からの転載記事とは言え、ダイヤモンド・オンラインが取り上げるくらいだから信憑性の高い記事なのだろう。
先のブログ記事でも書いたけどやっぱりギブソンは危ないのだろうな。


リンク先の記事でポール・マッカートニーが言っている。
「電子音楽が増えて、若者は以前と違った聴き方をしている。私はジミ・ヘンドリックスに憧れたものだが、ギターのヒーローは、もういないんだ。かつては誰もがギターを欲しがったものだが......」


この通りなのでしょう。
現代は媒体もその楽しみ方も、楽しみそのものもたくさんある。
音楽が好きでもギター以外に興味をそそられて当然だし、そもそも音楽以外に興味をそそられるだろうし。

しかも、嘗て「ギター・ヒーロー」と言われた人たちが、現代の若者の目から見たら至極カッコ悪い。
好きな人たちもいるのであまり悪くは言えないが・・・飽くまでイメージの話なのだが、実は僕も同感なのだ。
僕が現役でギターを弾いていた20代の頃から感じていた。
所謂「ギター・ヒーロー」と呼ばれる人たちのことをカッコ悪いなと思いこそすれ、カッコいいと思ったことはなかった。


よく言えばタンクトップ、要するに「ランニング・シャツ」のような露出度の高い肌着と見紛うような着衣で肩の辺りが不潔な感じで汗で光っている奏者の画像。
パツパツのジーンズや皮パンを穿き、パーマなのかナチュラルなのか不明だがチリチリの長髪を振り乱して大股開きでギターを低く構える野獣のような奏者の画像。
或いはホストのような黒っぽい衣装で化粧までして、恍惚の表情を浮かべながら酒ではなく自分に酔っているような奏者たち。
そういうのをカッコいいと思って、カッコつけるために楽器を持っているように思えてならなかった。
普通に演奏しろよと思った。
ひとつも魅力を感じなかった。
僕は音楽が好きだったが、そういうイメージが先行して正直なところギターを持つのが嫌だったし、楽器屋に行くことも嫌いだった。

上記は僕の感覚だけど、似たような嫌悪感を覚える現代の若者がいても不思議ではないと思うのですよ。
楽器がなくても音楽を生み出せるようになったし、そもそも音楽以外に興味を持てばギブソンなんてブランド名には縁がないでしょう。
そういう意味では今の時代に見合った広告塔たるキャラクターを見つけられなかったのが残念なのかな。
見つけようにもそもそも居ないかな。




こんなにギターや楽器屋を毛嫌いしていた僕ですが、何故はまったのでしょうかね(ここからは自分のことの話です)。
50年代から60年代の所謂ヴィンテージのギターやベースを20本近く持っていました。
それだけでなく、アンプやリヴァーブ・ボックス、テープ・エコー、エフェクター等々、今にして思えば垂涎のアイテムも沢山持っていたのですよ。
ちょいと理由があって全てを放出してしまいましたが。

僕はそもそも曲を作るためにアコースティック・ギターを持ちました。
その自作曲たちを宅録してCDにして都内の小さなレコ屋に置かせてもらっていました。
インディーズやある特定のジャンルだけを扱うような小さなレコ屋です。
最初はバンドで自作曲を仕上げていたけど、自身のイメージではない方向に仕上がっていくのが耐えられず、どうしようもないくらい下手糞なくせに「独りでやるわ」と言ってバンドを飛び出しました。

でもCDにしようと思ったら、自分で演奏しなければならないのですよ。
その際、演奏が拙いものだからどうしても楽器や機材に頼らなければならない。
だからたいして弾けもしないのにどんどん楽器や機材が増えていくわけです。

僕は自分にとってのギター・ヒーローが居たわけではないので、他人の曲をコピーして練習なんてしません。
自作曲の伴奏のために頭の中で鳴っている音を再現しようと必死になるのです。
でも技術が追いつかないから簡略化する。
結果、子供騙しのような拙い演奏の楽曲が一応の完成と相成ります。

仮に「セッションしようぜ」と言われても、他人の曲は演奏できないのでセッションできません。
更には、絶対音感なんて持っていないので、いきなり音を出されても歌がついていけないことも多々ある。
スタジオのアンプから出てくる音や自分が抱えたギターなど、自身の耳の位置より下から出てくる音に対してはかなり対応できるようになったけど、カラオケ屋など上から出てくる音に対しては全然音が取れない。
歌えば音程を外すということになるから他人の曲も歌いにくい。
そういう意味で自虐的に「自分はヴィンテージ楽器を沢山持っていて曲も書けるけど、他人の曲は演奏もできないし歌うのも不得手な希有なシンガー・ソングライターだ」と思っていたものです。


でもね、色んなギターに沢山触れてきたおかげで、演奏は下手糞でも「これは鳴っている楽器だ、これは鳴っていない楽器だ」とか「今は鳴っていないけどちょっと弾けばまた鳴り始める」、「弾き込んで鳴りを育てたい楽器だ」、「永久に鳴らないままの楽器だ」とか分かるようになりましたよ。
更には「これは楽器よりもアンプが素晴らしいな」とかも分かりました。
あるとき店員さんに「ギターもいいんですけど、これはアンプが素晴らしいですね」と言ったら凄く喜んでくれました。
「実はギターの音がよく聴こえるようにこのアンプに繋いでいるんですけど、バレちゃったらしょうがない(笑)」と吐露してくれたこともあります。



何故今回はこんなに熱くギターのことを語るかと言ったら、実は猛烈に欲しいギターを見つけてしまったのですよ(ギブソンのギターではないけれど)。

今年の冬は寒いですね。
例年禁漁期間はクルマの整備をしているのですが、こうも寒いとそれも億劫ですよ。
あとね、家庭の事情で今シーズンはこれまでのようには釣りに出かけられないと思う。
休日も家に居なければならないことが多いだろうな。
そうなると、またギターを弾きたくなりますよ。
嘗て作った曲をもう一度演奏しながら歌いたい。
拙いなりにも、自作のCD音源に合わせて演奏してみたい。
そういう自己満足のための欲求が強くなってきましてね。
ちょうどそういうときにギブソンの話題が目に付いたのです。
ギブソンが倒産したら、技術の継承はどうなるのかな。
ロックで使われていたギターもだけど、ジャズギターにだって名器はたくさんあるんだよな。