How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

Levi's 501

2018-12-16 11:52:28 | 鮭一の徒然

もう30年近く、部屋着のボトムはブルージーンズを穿いている。

15年くらい前までは、リーバイス501(本当は「リーヴァイス」と書きたいところだけど気取った感じなので「リーバイス」とします)のノンウォッシュ、最近の言い方だと「リジッド」、つまり洗いがかかっていない「生デニム」の状態で購入し、洗って縮めて自分の身体にフィットさせるということをしてきた。
「洗って縮めて」と書いたが、実際には殆ど洗わずに、穿いて擦れてアタリを出して、濃い色を保ちながら穿き込んだ感じを出そうとしていた。
不衛生な話だが、それがいいと思っていたのだ。

当時は上野のアメ横や、名古屋の大須辺りに行けば、そういったノンウォッシュの501が安く買えた時代だった。
ある程度穿き込んだら次の501を購入して穿き込む。
僕はそのサイクルを東京暮らしの間はずっと続けていた。

勿論、穿き込んだ501は部屋着ではなく外出時に「お洒落着」として活躍してくれたし、近所のスーパー・マーケットへの食材や日用品の買い出しには、作成(生成?仕込み?)途中の501を穿いて出かけていた。
要するにファッションとしてだけでなく、実用面でも大いに役立ったのだ。

ただし難点もあった。
色そのもや色の落ち方は、同時代の製品、要するに「現行モノ」ではどんなに頑張ってもカッコよく仕上げるのに限界があった。
染料や生地の生成方法によるものだと考えていたのだか、所謂「ヴィンテージ」のリーバイスのようにはなり得なかった。



東京の部屋を引き払い多治見に帰って来て17年以上が過ぎた。
転勤で一時期横浜に住んでいたこともあるが、だいたいは多治見に住んでいると言ってよいと思う。
社会人ともなればブルージーンズを穿く機会は極端に減る。
夏季は週末に釣りに行くだけ、冬季は寒い多治見で週末の愛犬の散歩に行くだけ。
わざわざ気を吐いてリーバイスを買い求めなくてもよいなと考えるようになった。


リーバイスに代わって、冬の始まりと共にユニクロのレギュラー・ストレートのワンウォッシュを買ってくるようになった。
まだ新しいうちは生地にもある程度の厚みがあり、冬の寒さも凌げる。
しかしもともと薄いペラペラの生地だから、穿き込んで色が落ちたら暑い夏場でも穿いていられるくらいにくたびれてやれてくる。
ある意味好都合なわけだ。
そういうわけでここ何年かは、かつてリーバイスを愛用していたことが嘘のようにユニクロのお世話になっていた。
心境としては複雑だったが、色そのものや色の落ち方はリーバイスの現行モノよりもヴィンテージ感が強く出せたのも「これでいいか」と思わせた要因だった。



先日、この冬の愛犬の散歩を乗り切るために、ユニクロでワン・ウォッシュのレギュラー・ストレートのブルー・ジーンズを買ったのだが、これが酷い代物だった。
試着したときにすぐに違和感を覚えたのだが、これまで穿き続けてきたのと同じサイズを選んだのに、シルエットが物凄く緩い。
太ももの辺り、要するにワタリから裾までかなり太めになっている。
ウエストは変わらないので、腰から下がダボッとした感じが強く出る。
なんだか、ここ暫く女性の間で着用者の多い「ワイドパンツ」のような感じだった。
仕様変更があったのかと店員氏に確認したが、そういう話は聞いていないとのことだった。
製造方法が適当なのだろう。
何しろ3,000~4,000円で買えるジーンズなのだから。


「よし、これは冬場の愛犬の散歩を乗り切るためのアイテムだ」と割り切って購入した。
しかし、逆にそれを機に、もう一度リーバイス501のノン・ウォッシュが欲しくなった。
もう一度、自身で穿き込んだ一本を作ってみたくなった。


インターネットで調べてみたら、ウエストもレングスも過去と同様に選べるノン・ウォッシュが、それなりに安価に入手できるようだ。

試しに20代前半の頃に自身で育てたリーバイス501の当時の現行モノを箪笥から出して穿いてみた。
同じサイズで問題なく穿ける。
モッズたちは、ジーンズと言えば501だったんだよ。
還暦モッズ・スーツ計画のためにも、やっぱりここで一本501を買っておかねばならんな。
自分用のクリスマス・プレゼントということにすればちょうどいい。

 

 

 

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2010年の Her squint ~言葉と旋律は記憶に刻まれる

2018-12-09 00:39:04 | 音楽徒然

僕がこのgooブログに不定期に文章を投稿するようになる前は(既にサービスの提供が終了となったOCNブログ人も含む)、某SNS内のサービスを利用して、そのSNS内限定で公開されるブログに精力的に文章を投稿していた。
その頃の僕はまだまだ気持ちも若く、文章も稚拙であり、ふざけて書いたものなどは、今読み返すと自身でも恥ずかしくて目を覆いたくなるようなものもたくさんある。
当然のことながらそのような文章を人様にお見せできるはずがない。
僕はそのSNS内で書いていたブログの殆どを非公開設定にして打ち遣っていたのだが、中には設定が漏れているものも幾つかあることは分かっていた。

12月8日、ジョン・レノンの命日に僕は某SNSに投稿した自分の黒歴史とでも言うべき幼稚な文章について、その一つ一つが非公開設定になっているか否かのチェックをしていた。


ある記事に目が留まり、思わず読み耽ってしまった。
今回再び読むことになるまで、そのような出来事があったことをすっかり忘れてしまっていた。
いや、正確には読み終えても当時の光景や場面をなかなか思い出せなかった。
何度も読み返し、そしてよくよく思い返してみて、少しずつその時の記憶が呼び戻されてきた。
僕にとっては結構な度合いの強烈な体験だったのにもかかわらず、すっかり忘れてしまっていたことに少なからず衝撃を感じた。

人間の記憶なんて曖昧で心許ないものだと言ってしまえばそれまでなのだが、それでも30代後半以降の僕の記憶力の低下には愕然としてしまった。
毎日腐って過ごしていたことも理由の一つかもしれない。
精神的に不健康だったことも理由の一つかもしれない。
そうだとしても、その時の光景や場面、そして感情に関しても、20代の頃のように脳裏と心にずっと刻まれる記憶にはそう簡単には成り得ないのかなと感じた。
逆に言うと、20代の頃に感じたことは30代の僕も40代の僕も同様に記憶しているのだということも分かった。



2018年7月10日に、僕はこのブログに「Her squint ~ 言葉と旋律と青い衝動」というタイトルで記事を投稿した。
自作曲「Her squint」に纏わる思い出と、それに関わった方との再会について書いた。

それよりも前、2010年の4月にも、僕は「Her squint」について、前述の某SNS内のブログに投稿していた。
その中で既に僕は「言葉と旋律」という一節を用いている。
そうだった、それは20代の頃から言い続けていることなのだ。

「言葉と旋律にしたかった」。

今でもそう思うけれども、さすがに当時のように夢ばかり見ている青二才ではない。
自分がどれほどのモノなのかは充分承知して挫折し、そして現在は穏やかに毎日を過ごしているのだ。
飽くまで趣味や自己満足の領域で楽しめば良いのだ。
それでも時にはこうして多くの人の目に触れて欲しいと思うこともある。
だから、発掘した2010年4月の「Her squint」についての記事を以下に転記します。
よかったら、お付き合いください。



 

【以下転載】


Her squint

2010年4月5日 00:49



嘗て僕の身近に、同時期にユウコという名の女が二人居た。ひとりのユウコは恋人だった。そしてもうひとりのユウコは「恋人にしたかった女」だった。


恋人だったユウコに関しては勿論、恋人にしたかったユウコもとても仲良くしてくれた。 東京で知り合った同郷の友人というだけでなく、僕にとっては数少ない音楽友達であり、その中でも唯一の心許せる存在だった。
いけないことだと分かっていながら、名前が同じ、誕生日は5日違い、しかし性格は正反対の二人のユウコの狭間で、僕は悩ましい20代を過ごした。
ということは過去にも書いたことがある。またくどくどと書くつもりはない。


今日、「恋人にしたかったユウコ」を思い出した。その話をしようと思う。




暦の上では休日だったが僕は仕事が入っていた。本来の業務である得意先回りの営業からは外れる内容だが、取引先との関係上避けることが出来なかった。
昨日までは寒の戻りとも言えるような寒さだったが、今日はとても暖かく絶好の花見日和だった。世間の人々の楽しそうな笑顔を尻目に、僕は某家電量販店で来店客の対応をしていた。
そんなありきたりの休日出勤の今日、大勢の買い物客が行き交う中で遠目にもはっきりと彼女のことを認めた。

ユウコによく似た女の子が店内を買い回っていたのだ。




恋人だったわけではない。しかし、恋人だったユウコと同じくらい、僕にとっては大きな存在だった「恋人にしたかった女、ユウコ」。今でも僕の心に彼女は棲んでいる。折に触れて思い出す。もう二度と会えないのに、いつまでも彼女のための場所が僕の中にある。そして、そこに溜まった澱が溢れるように、時折強烈に彼女の記憶が甦る。


二人のユウコが居た日々。その頃の僕は音楽に夢中だった。他には何も見えていなかった。
そして僕は何としてもユウコについて謳った曲を作りたかった。とはいえ二人のユウコを同一の曲に登場させるつもりはなかった。各々のユウコに対する思いを別々の曲の中で、僕は言葉と旋律にしたかった。

 

その日の出勤の際、僕は車中で恋人にしたかったユウコについて謳った曲を流していた。

流しながらよく思うものだ。次はこんなアレンジにしよう、あんなミックスにしよう、ここはちょっといただけないな・・・そして時には自画自賛ではあるが「ここは我ながらうまくいったぞ」と些かの笑みを浮かべることもある。
しかし今日は違った。かなり久しぶりに聴いたということもあり、純粋に鑑賞していた。
そう、つまり、意識しながら努めて鑑賞しようとしたわけではなく、僕はごく自然に鑑賞して、その曲の世界に浸っていたのだ。
もしかしたらそれは何かの前触れだったのかもしれない。僕はそのまま一抹の寂しさを感じながら出勤先に到着し接客を始めた。

 


ユウコに似たその彼女を来店客の中に認めたとき、一抹の寂しさは確固たる寂しさに変わった。舞い散る桜が一陣の風に吹かれて煽られるように、僕の中でも風が吹き抜け、たくさんの記憶や思い出たちが撹乱され、錯綜した。
暫し呆然としながらも、実際には感傷に浸る余裕などあるわけがなく、僕は接客を続けていた。


「すみません、対応をお願いします」。

競合他社の担当者から声をかけられた。「お客様のご希望はウチではなく御社だったので」。
「あっ、ありがとうございます。どちらのお客様ですかね?」

軽く礼を述べた僕に競合他社から紹介されたのは、まさしくあの「恋人にしたかったユウコによく似た彼女」だった。


凡そ50センチメートルの距離を隔てて彼女と僕の顔が対峙したその瞬間、僕は我を失いかけた。
彼女はユウコと同じ瞳をしていた。左目が斜視だった。


ユウコに好意を抱き始めてからから、僕は斜視の女の子を好意的に見るようになった。斜視というだけで惹き付けられるようになったのだ。
実際に表情がきょとんとした感じになって可愛らしく感じる。出来ることなら、恋人になってもらえるのなら斜視の女の子を希望する。
ユウコについて謳った曲も斜視の女の子に惚れたという内容の曲だ。ユウコの斜視は彼女の個性であり魅力であり、斜視でないユウコが居たとしたら、彼女は僕にとってあれ程にまで魅力的に映ったのか甚だ疑わしく思う。
ユウコによく似た女の子はこれまで何度も見かけた。しかし、今、僕の目の前に居る彼女ほどよく似た女の子に会ったことはない。
先ほど心に吹いた一陣の風は今では嵐のように吹き乱れていた。これは仕事なんだと、わなわなした心を何とか抑制しながら僕は商品説明を続けた。


次第に心は落ち着き、風は穏やかになり、代わって言いようのない寂しさに襲われた。
「今、こうして話をしている名も知らぬ彼女。ユウコと同じ瞳を持つ目前の彼女。この女の子にも今日限りで二度と会うことはなかろう」。
僕の中で、ユウコと目前の彼女が完全に交錯していた。ユウコとはもう二度と会えないのだなと思う度に言いようのない寂しさに襲われる。それと同じ感覚が全身を襲った。


彼女は契約に応じてくれた。店内を買い回ったために手荷物が多く、僕はそれらを幾つか抱えて駐車場まで運んだ。
「どうもありがとうございました。助かりました。」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。」
一礼をして、僕はその場を辞した。

 

帰路、僕は車中でユウコへの思いを「言葉と旋律」に託した曲、「Her squint」を何度も何度も繰り返し聴いた。


20代半ばの僕は、ユウコに対する思いを何としてでも言葉と旋律にしたかった。形にして残したかった。
倒錯した恋愛感情であることは承知の上で、いや寧ろ倒錯した感情だからこそ形に残したかったとも言えよう。
何十年か経た後、「僕はユウコにこれほど激しく魅かれていたのだ」と胸を張って言えるように形に残したかった。
そうして形にしたものを売って生活の糧にしようとは考えなかったと言えば嘘になる。そうなればいいなという淡い希望は抱いていたのだから。
しかし、20代の僕にとっては、生活の糧になるか否かというのは大きな問題ではなかった。繰り返すが「形にしたかった」のだ。今抱いている感情、加齢とともに忘れてしまいそうな感情、これを形にしたい、表現したい、「言葉と旋律にしたい」。
そうすることが、僕の責務であり、使命であり、生きる命題だと考えていた。
当時の僕はそれが正しいと考えていた。


車中で「Her squint」を流しながら僕は考えていた。

「形に残すことが正しい」。

それは果たして真実だろうか。

形に残す。つまり思いを言葉と旋律に変換して記録することにより、僕はいつでもそれを手に取り鑑賞し、当時の思いを甦らせることができるようになった。
しかしそのせいで、僕はいつまでも前に進めていないのではないか。

 

 

‐完‐













Her squint    (詩・曲:襖澤 鮭一)

 

綺麗に言葉を並べ立てても あらゆる語彙の持ち合わせはなく

すり抜ける すり抜ける 目前に横たわる彼女と隔てる不安な空間を

 

この僕の茶色いふたつの眼は 小刻みに震え彼女の姿を追う

耳をそばだてて彼女の声だけを 

ひと声、ひと声に、喜び・・・また切なさ

 

ああ、あなたの流し目に射られた僕の肉体は

先ずは左手そして右手 更に口を麻痺させる

身じろぎもしない僕の中の歓喜の雄叫びは

壊死した右手に引き金引かせ、僕は・・・また罪を犯す

 

彼女の冷たい踵が過る 膝頭露わに そして流し目さ

ああ、今思い知った 彼女の流し目は

生まれつきのもの 無意識下の一瞥

 

爪を切る 僕が待ち望むその日のため

爪を切る その日に彼女を傷つけぬよう

 

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切る

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切り

 

ああ、今思い知った 本当は彼女を

少しも愛していない 流し目に魅せられた

 

 

songwriting,

arrangement,

performances,

programings,

engineering,

by Sakeichi Fusumazawa

except arrangement of main guitar phrase

by Shunichi Hanano

 

 

 

【追記】

自身の拘りで、自作曲の中には「詞」ではなく「詩」の文字を用いたいものが存在します。

この曲 "Her squint" もそれに中ります。

誤記ではありません。

 

演奏については、当時のデモ音源でSHさんが弾いた素晴らしいギタープレイを真似して僕が演奏しています。

技術が伴わないのでかなり簡略化しています。

各パートの演奏の粗やヴォーカルのピッチ、ミックスや音処理については、録音した直後から録り直したいなと思っていました。

いつかまた録り直そうと考えてはいたものの、当時でも拙い演奏だったのにブランクがあるとこのレベルすら弾けません。

恐らく今後も無理でしょう。

要するにこれが鮭一の最高のパフォーマンスになるのでしょうね。

鮭一の青の時代の、青い衝動の結晶です。

 









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