How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

Levi's 501

2018-12-16 11:52:28 | 鮭一の徒然

もう30年近く、部屋着のボトムはブルージーンズを穿いている。

15年くらい前までは、リーバイス501(本当は「リーヴァイス」と書きたいところだけど気取った感じなので「リーバイス」とします)のノンウォッシュ、最近の言い方だと「リジッド」、つまり洗いがかかっていない「生デニム」の状態で購入し、洗って縮めて自分の身体にフィットさせるということをしてきた。
「洗って縮めて」と書いたが、実際には殆ど洗わずに、穿いて擦れてアタリを出して、濃い色を保ちながら穿き込んだ感じを出そうとしていた。
不衛生な話だが、それがいいと思っていたのだ。

当時は上野のアメ横や、名古屋の大須辺りに行けば、そういったノンウォッシュの501が安く買えた時代だった。
ある程度穿き込んだら次の501を購入して穿き込む。
僕はそのサイクルを東京暮らしの間はずっと続けていた。

勿論、穿き込んだ501は部屋着ではなく外出時に「お洒落着」として活躍してくれたし、近所のスーパー・マーケットへの食材や日用品の買い出しには、作成(生成?仕込み?)途中の501を穿いて出かけていた。
要するにファッションとしてだけでなく、実用面でも大いに役立ったのだ。

ただし難点もあった。
色そのもや色の落ち方は、同時代の製品、要するに「現行モノ」ではどんなに頑張ってもカッコよく仕上げるのに限界があった。
染料や生地の生成方法によるものだと考えていたのだか、所謂「ヴィンテージ」のリーバイスのようにはなり得なかった。



東京の部屋を引き払い多治見に帰って来て17年以上が過ぎた。
転勤で一時期横浜に住んでいたこともあるが、だいたいは多治見に住んでいると言ってよいと思う。
社会人ともなればブルージーンズを穿く機会は極端に減る。
夏季は週末に釣りに行くだけ、冬季は寒い多治見で週末の愛犬の散歩に行くだけ。
わざわざ気を吐いてリーバイスを買い求めなくてもよいなと考えるようになった。


リーバイスに代わって、冬の始まりと共にユニクロのレギュラー・ストレートのワンウォッシュを買ってくるようになった。
まだ新しいうちは生地にもある程度の厚みがあり、冬の寒さも凌げる。
しかしもともと薄いペラペラの生地だから、穿き込んで色が落ちたら暑い夏場でも穿いていられるくらいにくたびれてやれてくる。
ある意味好都合なわけだ。
そういうわけでここ何年かは、かつてリーバイスを愛用していたことが嘘のようにユニクロのお世話になっていた。
心境としては複雑だったが、色そのものや色の落ち方はリーバイスの現行モノよりもヴィンテージ感が強く出せたのも「これでいいか」と思わせた要因だった。



先日、この冬の愛犬の散歩を乗り切るために、ユニクロでワン・ウォッシュのレギュラー・ストレートのブルー・ジーンズを買ったのだが、これが酷い代物だった。
試着したときにすぐに違和感を覚えたのだが、これまで穿き続けてきたのと同じサイズを選んだのに、シルエットが物凄く緩い。
太ももの辺り、要するにワタリから裾までかなり太めになっている。
ウエストは変わらないので、腰から下がダボッとした感じが強く出る。
なんだか、ここ暫く女性の間で着用者の多い「ワイドパンツ」のような感じだった。
仕様変更があったのかと店員氏に確認したが、そういう話は聞いていないとのことだった。
製造方法が適当なのだろう。
何しろ3,000~4,000円で買えるジーンズなのだから。


「よし、これは冬場の愛犬の散歩を乗り切るためのアイテムだ」と割り切って購入した。
しかし、逆にそれを機に、もう一度リーバイス501のノン・ウォッシュが欲しくなった。
もう一度、自身で穿き込んだ一本を作ってみたくなった。


インターネットで調べてみたら、ウエストもレングスも過去と同様に選べるノン・ウォッシュが、それなりに安価に入手できるようだ。

試しに20代前半の頃に自身で育てたリーバイス501の当時の現行モノを箪笥から出して穿いてみた。
同じサイズで問題なく穿ける。
モッズたちは、ジーンズと言えば501だったんだよ。
還暦モッズ・スーツ計画のためにも、やっぱりここで一本501を買っておかねばならんな。
自分用のクリスマス・プレゼントということにすればちょうどいい。

 

 

 

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2010年の Her squint ~言葉と旋律は記憶に刻まれる

2018-12-09 00:39:04 | 音楽徒然

僕がこのgooブログに不定期に文章を投稿するようになる前は(既にサービスの提供が終了となったOCNブログ人も含む)、某SNS内のサービスを利用して、そのSNS内限定で公開されるブログに精力的に文章を投稿していた。
その頃の僕はまだまだ気持ちも若く、文章も稚拙であり、ふざけて書いたものなどは、今読み返すと自身でも恥ずかしくて目を覆いたくなるようなものもたくさんある。
当然のことながらそのような文章を人様にお見せできるはずがない。
僕はそのSNS内で書いていたブログの殆どを非公開設定にして打ち遣っていたのだが、中には設定が漏れているものも幾つかあることは分かっていた。

12月8日、ジョン・レノンの命日に僕は某SNSに投稿した自分の黒歴史とでも言うべき幼稚な文章について、その一つ一つが非公開設定になっているか否かのチェックをしていた。


ある記事に目が留まり、思わず読み耽ってしまった。
今回再び読むことになるまで、そのような出来事があったことをすっかり忘れてしまっていた。
いや、正確には読み終えても当時の光景や場面をなかなか思い出せなかった。
何度も読み返し、そしてよくよく思い返してみて、少しずつその時の記憶が呼び戻されてきた。
僕にとっては結構な度合いの強烈な体験だったのにもかかわらず、すっかり忘れてしまっていたことに少なからず衝撃を感じた。

人間の記憶なんて曖昧で心許ないものだと言ってしまえばそれまでなのだが、それでも30代後半以降の僕の記憶力の低下には愕然としてしまった。
毎日腐って過ごしていたことも理由の一つかもしれない。
精神的に不健康だったことも理由の一つかもしれない。
そうだとしても、その時の光景や場面、そして感情に関しても、20代の頃のように脳裏と心にずっと刻まれる記憶にはそう簡単には成り得ないのかなと感じた。
逆に言うと、20代の頃に感じたことは30代の僕も40代の僕も同様に記憶しているのだということも分かった。



2018年7月10日に、僕はこのブログに「Her squint ~ 言葉と旋律と青い衝動」というタイトルで記事を投稿した。
自作曲「Her squint」に纏わる思い出と、それに関わった方との再会について書いた。

それよりも前、2010年の4月にも、僕は「Her squint」について、前述の某SNS内のブログに投稿していた。
その中で既に僕は「言葉と旋律」という一節を用いている。
そうだった、それは20代の頃から言い続けていることなのだ。

「言葉と旋律にしたかった」。

今でもそう思うけれども、さすがに当時のように夢ばかり見ている青二才ではない。
自分がどれほどのモノなのかは充分承知して挫折し、そして現在は穏やかに毎日を過ごしているのだ。
飽くまで趣味や自己満足の領域で楽しめば良いのだ。
それでも時にはこうして多くの人の目に触れて欲しいと思うこともある。
だから、発掘した2010年4月の「Her squint」についての記事を以下に転記します。
よかったら、お付き合いください。



 

【以下転載】


Her squint

2010年4月5日 00:49



嘗て僕の身近に、同時期にユウコという名の女が二人居た。ひとりのユウコは恋人だった。そしてもうひとりのユウコは「恋人にしたかった女」だった。


恋人だったユウコに関しては勿論、恋人にしたかったユウコもとても仲良くしてくれた。 東京で知り合った同郷の友人というだけでなく、僕にとっては数少ない音楽友達であり、その中でも唯一の心許せる存在だった。
いけないことだと分かっていながら、名前が同じ、誕生日は5日違い、しかし性格は正反対の二人のユウコの狭間で、僕は悩ましい20代を過ごした。
ということは過去にも書いたことがある。またくどくどと書くつもりはない。


今日、「恋人にしたかったユウコ」を思い出した。その話をしようと思う。




暦の上では休日だったが僕は仕事が入っていた。本来の業務である得意先回りの営業からは外れる内容だが、取引先との関係上避けることが出来なかった。
昨日までは寒の戻りとも言えるような寒さだったが、今日はとても暖かく絶好の花見日和だった。世間の人々の楽しそうな笑顔を尻目に、僕は某家電量販店で来店客の対応をしていた。
そんなありきたりの休日出勤の今日、大勢の買い物客が行き交う中で遠目にもはっきりと彼女のことを認めた。

ユウコによく似た女の子が店内を買い回っていたのだ。




恋人だったわけではない。しかし、恋人だったユウコと同じくらい、僕にとっては大きな存在だった「恋人にしたかった女、ユウコ」。今でも僕の心に彼女は棲んでいる。折に触れて思い出す。もう二度と会えないのに、いつまでも彼女のための場所が僕の中にある。そして、そこに溜まった澱が溢れるように、時折強烈に彼女の記憶が甦る。


二人のユウコが居た日々。その頃の僕は音楽に夢中だった。他には何も見えていなかった。
そして僕は何としてもユウコについて謳った曲を作りたかった。とはいえ二人のユウコを同一の曲に登場させるつもりはなかった。各々のユウコに対する思いを別々の曲の中で、僕は言葉と旋律にしたかった。

 

その日の出勤の際、僕は車中で恋人にしたかったユウコについて謳った曲を流していた。

流しながらよく思うものだ。次はこんなアレンジにしよう、あんなミックスにしよう、ここはちょっといただけないな・・・そして時には自画自賛ではあるが「ここは我ながらうまくいったぞ」と些かの笑みを浮かべることもある。
しかし今日は違った。かなり久しぶりに聴いたということもあり、純粋に鑑賞していた。
そう、つまり、意識しながら努めて鑑賞しようとしたわけではなく、僕はごく自然に鑑賞して、その曲の世界に浸っていたのだ。
もしかしたらそれは何かの前触れだったのかもしれない。僕はそのまま一抹の寂しさを感じながら出勤先に到着し接客を始めた。

 


ユウコに似たその彼女を来店客の中に認めたとき、一抹の寂しさは確固たる寂しさに変わった。舞い散る桜が一陣の風に吹かれて煽られるように、僕の中でも風が吹き抜け、たくさんの記憶や思い出たちが撹乱され、錯綜した。
暫し呆然としながらも、実際には感傷に浸る余裕などあるわけがなく、僕は接客を続けていた。


「すみません、対応をお願いします」。

競合他社の担当者から声をかけられた。「お客様のご希望はウチではなく御社だったので」。
「あっ、ありがとうございます。どちらのお客様ですかね?」

軽く礼を述べた僕に競合他社から紹介されたのは、まさしくあの「恋人にしたかったユウコによく似た彼女」だった。


凡そ50センチメートルの距離を隔てて彼女と僕の顔が対峙したその瞬間、僕は我を失いかけた。
彼女はユウコと同じ瞳をしていた。左目が斜視だった。


ユウコに好意を抱き始めてからから、僕は斜視の女の子を好意的に見るようになった。斜視というだけで惹き付けられるようになったのだ。
実際に表情がきょとんとした感じになって可愛らしく感じる。出来ることなら、恋人になってもらえるのなら斜視の女の子を希望する。
ユウコについて謳った曲も斜視の女の子に惚れたという内容の曲だ。ユウコの斜視は彼女の個性であり魅力であり、斜視でないユウコが居たとしたら、彼女は僕にとってあれ程にまで魅力的に映ったのか甚だ疑わしく思う。
ユウコによく似た女の子はこれまで何度も見かけた。しかし、今、僕の目の前に居る彼女ほどよく似た女の子に会ったことはない。
先ほど心に吹いた一陣の風は今では嵐のように吹き乱れていた。これは仕事なんだと、わなわなした心を何とか抑制しながら僕は商品説明を続けた。


次第に心は落ち着き、風は穏やかになり、代わって言いようのない寂しさに襲われた。
「今、こうして話をしている名も知らぬ彼女。ユウコと同じ瞳を持つ目前の彼女。この女の子にも今日限りで二度と会うことはなかろう」。
僕の中で、ユウコと目前の彼女が完全に交錯していた。ユウコとはもう二度と会えないのだなと思う度に言いようのない寂しさに襲われる。それと同じ感覚が全身を襲った。


彼女は契約に応じてくれた。店内を買い回ったために手荷物が多く、僕はそれらを幾つか抱えて駐車場まで運んだ。
「どうもありがとうございました。助かりました。」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。」
一礼をして、僕はその場を辞した。

 

帰路、僕は車中でユウコへの思いを「言葉と旋律」に託した曲、「Her squint」を何度も何度も繰り返し聴いた。


20代半ばの僕は、ユウコに対する思いを何としてでも言葉と旋律にしたかった。形にして残したかった。
倒錯した恋愛感情であることは承知の上で、いや寧ろ倒錯した感情だからこそ形に残したかったとも言えよう。
何十年か経た後、「僕はユウコにこれほど激しく魅かれていたのだ」と胸を張って言えるように形に残したかった。
そうして形にしたものを売って生活の糧にしようとは考えなかったと言えば嘘になる。そうなればいいなという淡い希望は抱いていたのだから。
しかし、20代の僕にとっては、生活の糧になるか否かというのは大きな問題ではなかった。繰り返すが「形にしたかった」のだ。今抱いている感情、加齢とともに忘れてしまいそうな感情、これを形にしたい、表現したい、「言葉と旋律にしたい」。
そうすることが、僕の責務であり、使命であり、生きる命題だと考えていた。
当時の僕はそれが正しいと考えていた。


車中で「Her squint」を流しながら僕は考えていた。

「形に残すことが正しい」。

それは果たして真実だろうか。

形に残す。つまり思いを言葉と旋律に変換して記録することにより、僕はいつでもそれを手に取り鑑賞し、当時の思いを甦らせることができるようになった。
しかしそのせいで、僕はいつまでも前に進めていないのではないか。

 

 

‐完‐













Her squint    (詩・曲:襖澤 鮭一)

 

綺麗に言葉を並べ立てても あらゆる語彙の持ち合わせはなく

すり抜ける すり抜ける 目前に横たわる彼女と隔てる不安な空間を

 

この僕の茶色いふたつの眼は 小刻みに震え彼女の姿を追う

耳をそばだてて彼女の声だけを 

ひと声、ひと声に、喜び・・・また切なさ

 

ああ、あなたの流し目に射られた僕の肉体は

先ずは左手そして右手 更に口を麻痺させる

身じろぎもしない僕の中の歓喜の雄叫びは

壊死した右手に引き金引かせ、僕は・・・また罪を犯す

 

彼女の冷たい踵が過る 膝頭露わに そして流し目さ

ああ、今思い知った 彼女の流し目は

生まれつきのもの 無意識下の一瞥

 

爪を切る 僕が待ち望むその日のため

爪を切る その日に彼女を傷つけぬよう

 

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切る

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切り

 

ああ、今思い知った 本当は彼女を

少しも愛していない 流し目に魅せられた

 

 

songwriting,

arrangement,

performances,

programings,

engineering,

by Sakeichi Fusumazawa

except arrangement of main guitar phrase

by Shunichi Hanano

 

 

 

【追記】

自身の拘りで、自作曲の中には「詞」ではなく「詩」の文字を用いたいものが存在します。

この曲 "Her squint" もそれに中ります。

誤記ではありません。

 

演奏については、当時のデモ音源でSHさんが弾いた素晴らしいギタープレイを真似して僕が演奏しています。

技術が伴わないのでかなり簡略化しています。

各パートの演奏の粗やヴォーカルのピッチ、ミックスや音処理については、録音した直後から録り直したいなと思っていました。

いつかまた録り直そうと考えてはいたものの、当時でも拙い演奏だったのにブランクがあるとこのレベルすら弾けません。

恐らく今後も無理でしょう。

要するにこれが鮭一の最高のパフォーマンスになるのでしょうね。

鮭一の青の時代の、青い衝動の結晶です。

 









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正義感に満ちた、とある釣り師のかたへお礼

2018-10-05 00:23:05 | 渓流釣り 徒然草

これまでのブログ記事にコメントを頂くという形で、先ほど貴重なご意見を頂戴致しました。
思い切ってお知らせ頂きましてありがとうございました。
お知らせ頂いた事実に関しては私も既知でした。

私も当然思うところはありますが、当人はその事実について私が既知だということを知りません。
波風立てず平穏に大人の付き合いを続けていく方がよいと判断し、もうその話題には触れずにいます。


某SNSにて、ご意見を下さったのは恐らくこの方だろうと思われる方にDMを送りました。
しかしながら、勿論人違いの可能性もあります。
その場合、ご意見を下さったご本人様には何も伝わらないままとなってしまいます。
そこで改めてここに書かせていただきます。


貴方様が仰る「魚に対してルールを守れない輩に腹が立つ」ということは私も同様に思います。
正直な気持ちを吐けば、甚だ遺憾なことだと思います。 
ただ、全文の公開は避けたい記述も含まれておりましたので非公開設定とさせていただいたことを、何卒ご了承頂きたく存じます。


どうにかして謝意を示したく、そのためにはこのような方法がよいと考えました。
この度は貴重なご意見を頂戴致しまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

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2018年 納竿 ~益田川にて

2018-09-29 21:24:55 | 渓流釣り 釣行記(益田川水系)

 

高水と酷暑の果てに秋益田 嵐ぞ過ぎよ平水待つ瀬   ~平成末世の益田川にて 納竿のうた

   


釣りに関することでの愚痴は控えたいと考えているのだが、最近の冴えない釣りについては何を書いても愚痴になることは明白だった。
そう考えて沈黙していたのだが、最終釣行くらいは何か書き留めておきたい気持ちもあり今こうしてキーボートを叩いている。

可能な限り愚痴にならないようにするつもりだが、内容を公正に評価すれば不平不満となろう。
ということはやはり愚痴になってしまうのかな。



2018年は天候や水況に恵まれないシーズンであったことは間違いない。
本流の大物狙いでは一番よい時期だと考えている正にその頃に災害級の水が出た。
それが収まると次は異常なまでの暑さ。
やっと涼しくなってきたと感じる頃にはまた降雨続きの高水。
そもそも釣りが成立しないのだ。

いや、正確に言えば、どんな魚でもよいからとにかくアマゴの顔が見たいというのであれば降り立つ箇所はある。
益田川とその支流群はそんなに懐の狭い川ではない。
考えようによっては、そのような窮状の中でさえ、何とかして本来出したかった魚に近い魚を出すことができれば、それはまた釣りの楽しみ方のひとつにもなろう。
ましてや偶然ではあろうとも、それが理想の形に近い釣り方であったり、まさしく出したかったような魚を獲ることができれば、高い満足感を得られるだろう。
それらを理解した上で敢えて僕は思うのだ。
「それではやはり自身の拘る釣りの形を曲げてしまうことになる」と。

「拘り」と言ったけれどもそんなに格好つけたつもりではなく、単に「こういう釣りがしたい、そしてその釣りでいい魚を出したい」という思いがあるだけのことなのだが、要するに「釣りのスタイルを優先するのか」ということと「釣果を優先するのか」ということの何れを採るのかというときに、僕はスタイルを選ぶということだ。
「その釣り方でいい魚を出したい。別の釣り方で出しても意味がない。」
そう考えているのだ。


たかが釣りに何故そんなストイックになるのか、何故そんな美学のような観念を持ち込むのか、端から見たら馬鹿げているだろうと思う。
僕だって当事者でなければ「なんて酔狂な趣味だろう」と思うはずだ。

でもこれは趣味なのだ。
義務や仕事ではないのだ。
趣味なのだから、他人に迷惑をかけなければ、理解されない拘りを持っても何ら構わないのだ。

だから僕は僕の釣り美学を貫き通したい。
だがそれを貫こうとすると、思い通りの釣りができない状況がずっと続いていた。
これまでで一番面白くないシーズンだなと感じていた。
本流竿を振り足りない気分のまま9月を迎えた。
本心を言えば、禁漁まで本流での釣りが可能ならば僕はずっと本流竿を振っていたいのだ。
しかし9月になっても一向に水は落ち着かない。
僕が入りたい箇所については、平水より50~60cm高い水位が続いていた。
流れも全く異なる。
魚が着いていると思われる流れの筋はあるにはあるのだが到底届かない。
駄目で元々と思いながら届く範囲で流してみたが案の定何の反応もない。
僕は本流の様子を伺いつつ、遣る瀬無い思いでダム遡上のアマゴに狙いをシフトして地道にやっていた。
でも、タイミングが合わない。
全く空振りばかりだった。




多くの管轄漁協での今シーズン最終二日間は暦上は土曜日と日曜日になっているが、台風による悪天候の予報があるからか、金曜に休みを取って釣行した釣師が多かったようだ。
金曜はダムに注ぐ小渓流には、全くと言ってよいほど入るところがなかった。

僕はやむを得ず本流に入った。
とは言え、益田川本流の中山地区のように水量豊かな区間ではなく、開けた渓流のような様相だ。
段差後の瀬から岩盤帯の淵を狙おうとシマノの刀を携えて降りていった。
仕掛けを着けようと穂先を少し伸ばした際に、何故あんなことが起こったのか全く見当が着かないのだが、手元が狂って竿を落としてしまった。
当然穂先は折れた。
同時に心も折れたようだ。
何かが終わった感じがした。
冴えない釣りが続いていて腐りそうだったけれども、釣れないだけなら構わない。
水況を思えばやむを得まいと諦めが着くし、ダム遡上のアマゴ狙いの釣りはサツキマスと同じでタイミングがモノを言うし、釣れないだけなら自身の中で折り合いを付けて処理可能なのだ。
ところがこのところの釣りは、何かしらケチがついて終わることばかりだった。
ケチの内容にまでは言及しないけれども、気分よく、気持ちよく、楽しくなりたいのにそうはなれない。
ならばもう釣りはしなくてもいいじゃないか。
朧に抱いていた思いが急に鮮明になり始めた。
最後に最悪のケチが着いたな。
刀を折るなんて。
それだけは何としても起きて欲しくないことだったのに。



自宅からはかなり距離のあるところまで来ていた上に疲労もあったため、もうこのままここで車中泊しようとも考えた。
それでも折れた心を奮い立たせ、「いや、後悔するかもしれない、念のために確認」と思い直し、ダムに注ぐ小渓流まで上がっていくと、前日から一帯を占拠しているグループが今夜も泊まり込みのご様相だった。

もう今度こそ移動するのも面倒だったし、そのまま山上で車中泊とした。
翌朝も特に早起きせず、目覚めてそのまま竿も出さずに帰路に着いた。
既に予報通り雨が降っていたが、やろうと思えば釣りは可能ではあった。
しかしギラギラしている釣師の近くには入りたくない。
はっきり言ってしまうと、僕がこの時期に奈川を避けるのはそういう理由なのだから。
もっと余裕を持って釣りをしたいのだ。

自身の釣りに拘りを持つのは全く構わないと思う。
寧ろ節操なく色々な釣りのスタイルを噛って中途半端な釣技しか身に付かないよりも、ひとつのスタイルに拘って突き詰めることを僕は礼賛したいくらいなのだ。
ただし、その拘りや、拘り故の欲望や憧憬の追求のために、他の釣師の釣りを制約することになったり、邪魔をすることになったり、不快な思いをさせたりしてはいけないと思う。
先行者優先の原則は尊重されるべきだと考えているが、今日僕が目にした光景はその範囲を逸脱していた。

結論だけをはっきり言う。
「鼻曲がり婚姻色の雄を釣って剥製にする」ということに拘泥するあまり、周りが見えなくなっている釣師が居るのだ。


僕だってそういう魚を釣りたい。
釣ろうと思ってここに来たのだ。
でも先行者が居れば仕方がない。
別の箇所を探して入ればよいのだ。
余裕がないと、そこしか目に入らなくなるのだ。
今回は違うのだが、その結果割り込みや出し抜きという非礼を働くことにもなる。
尤も当人は非礼とは思っていないだろうが。
でも残念なことに何処の釣り場にもそういう釣師がいるものだ。
そういう人とは離れたい。
僕はその場を立ち去った。






帰路、気にはなっていたがこれまで入ったことのなかった林道を走ってみた。
忘れ去られたような沢が幾つかあった。
多分イワナくらいは釣れるだろう。
時間は充分あったが素通りした。
嘗ての僕ならその状況で竿を出さずにそのまま帰るなんてことは我慢ならないことだったのに。
随分落ち着いたものだな。
そうか、自身の拘りのスタイルから外れたからだな。



下り坂の右カーブを曲がると、突如イノシシの親子と出くわした。
「あっ、まずい、突進されるか!?」と思ったが、母イノシシは我が子に目も遣らず、一目散に山の斜面を駆け上がり逃げていった。
残された子イノシシは大慌てで母の後を追おうとしたものの斜面を登れずに落ちてきた。
暫く林道上を駆けて行き、それから山の斜面に消えた。
我が子を見棄てる母。
サケ科魚類ですら、結局は息絶えるとは言え、親魚は暫く産卵床の周りを守るものだがな。



何年に一度か、或いは何十年に一度かというほどの水が出た2018年の益田川水系。
岸辺の流木類や倒れた植物を見ると、こんなところまで水が上がってきたのかと驚愕せざるを得ない。
それでも生き残り、生き抜いた強い魚たちが今まさに繁殖期を迎えようというところなのだ。
そのまま生命を繋いで、強い遺伝子を引き継いでもらおう。
まだあと一日あるけれども、これで僕の2018年のシーズンの納竿としよう。

益田川、来年は楽しませてほしい。
それまでに、豊かな益田川に少しでも戻っていてほしい。




益田川渡りし季節過ぎゆくも いく歳いく度 われ渡らむや
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2018/08/13 南飛騨 益田川 アマゴ 34cm ~高水温でグロッキー

2018-09-04 21:25:06 | 渓流釣り 釣行記(益田川水系)

投稿することをすっかり忘れてしまっていたのだが盆休みに益田川でいいアマゴを釣ったのだった。


下呂市内でも40℃を上回る気温を観測した2018年の猛暑、酷暑。
当然益田川の水温も上がる。
本流でアマゴを釣ろうなどというのは暴挙だろう。
実際に釣行当日の夜明け直後の釣り場での水温は表層で22.2℃という測定結果。



しかし、この記事のアマゴを釣る前の週にも僕は尺に満たないアマゴを釣っていたのだ。
その時の水温は更に高くて23.4℃だった。
川に入った瞬間に「ぬるい」と感じる絶望的な水温。
それでも僕はその時はどうしても益田川本流で長竿を振りたかったのだ。

今シーズンは7月上旬に災害級の出水があった益田川。
その後も僕は釣り以外のイベント事があって7月は殆ど釣りをしていなかった。
だからどうしても益田川で本流竿を振りたい。
そしてアマゴを掛けて釣りあげたい。
そのような思いで、僕は暴挙だとは重々承知の上で益田川本流に入ったところ、尺には満たないけれどもそこそこ良いサイズのアマゴを出せたということだった。



その実績を引っ提げてと言えばカッコいいのかもしれないが、僕はこの日も夜明け前から益田川本流でスタンバイしていた。
対岸にはルアーマンの姿が見える。
この厳しい水況でお互いよくやるなと思っていた。
出来れば二人ともよい魚を出したいものだなと考えながら竿を振っていた。


夜明けから1時間近くが経過した頃だった。
もう暫くすると川面に陽光が射す。
そのときまでの勝負だった。
残された時間は長くない。
広大な流れにぎりぎりまで立ちこんで、手尻を1m出した10.5mのエアマスターを振り、思いっきり腕を伸ばして流し切る直前に、ドンッという衝撃のような重いアタリがあった。

魚をうまくあやすように騙しながら竿を絞れる体勢に持ち込まないとそのまま伸されるような構えだった。
腰下の川に浸かった部分は両脚で踏ん張りながら自身の上半身は右方向に斜めに構え、川面とほぼ平行なくらいに竿を寝かせて絞り、少しずつ魚を引き寄せた。
自身は動けない。
バラシのリスクは承知していたがどうすることもできない。
可能な限り魚には不要なテンションを与えずに、適度に絞って糸を張りながらじっくり寄せてきた。
左手で竿尻、右手で元竿の上端部を握り、竿は自身の身体の前面と平行な状態から、右手を手前に引き寄せ、左手を前方に押し出せる体勢まで絞れるところまで寄せてくると、僕は立ち位置を岸寄りに後退させた。
流れも手伝って手応えは相当重い。
いいサイズのアマゴに違いない。
姿が見えるところまで寄って来た。
予想通りだ。
35cmくらいだろう。
よく肥えているようだ。
幸いなことに周囲にはボサも何もない。
岸辺の僕の脚の周囲は都合よく緩流帯になっている。
不用意に穂先を折ってしまわないように角度に注意しながら、右腕を耳の後ろまで思いっ切り伸ばしてエアマスターを天に向けた。
その瞬間に魚の頭が僕の方を向いて寄る。
距離が縮まる。
僕は左手で玉網の柄の端を握り、寄せてきたアマゴを掬った。



前週に釣ったアマゴもそうだったが、高水温のときは魚の扱いにはより神経質にならなければいけないようだ。
出来るだけ弱らせたくはないと思い、手短かに体長測定と写真撮影を済ませるつもりだったが、予想を遥かに超える弱りようだった。
見る見るうちにその眼から生気が失われていった。
僕はその時点でもう撮影を諦めた。
出来るだけ溶存酸素の多そうな流れに持っていき、可能な限り回復してもっらたところで流れに返した。
よく肥えた立派な体躯だったので、カッコいい写真を撮りたかったのだがやむを得まい。

益田川、この水温でも食ってくれるアマゴが居るのか。




魚種と当日の道具立て

魚種:アマゴ
体長:34cm
竿:ダイワ 琥珀本流エアマスター メタルチューン 105M
水中糸:フロロ 0.8号
ハリス:フロロ 0.6号
鈎:オーナー スーパー山女魚 8号
餌:ミミズ



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