さて、これはローマ・フィレンツェ間の長距離列車です。兵士がいましたねえw
イタリア人は、列をつくる習慣があまりありません。公共のマナーはかなり悪いです。だから列車の扉が開くと、降りてくる人の真ん中から、ゴリゴリ入っていこうとする人がいるし、別にまわりも怒っていない様子ですた。みんなお互い仲良く割り込みあう国なんです。
ローマで列車に乗ろうとしたとき、出発時間ギリギリにホームについたので、そこには人がワンサカいました。こりゃ座れないだろうねえ、と思っていたら、入ってきた列車の扉が、ピッタリと私の前に止まったのです。あっさり座ってしまいました(^益^)vソレデイイノダ
エゲレス人がいたりしたら (╬゜益゜)ピキッ とくるでしょうなあ^^;
さて「巨人の星」よりも見てブッ飛んだアニメは、「デビルマン」である…。だって「悪魔人間」ですよ。カトリックの総本山ヴァチカンのある国で、聖書を題材にしたヒーローもの、それが悪魔と合体した人間なんですよォー(ΦωΦ)キュピーンw
♪あぁ~~くまのちーからー、みィに~、つぅ~けたぁ~♪
♪せいぎのぉ~、ヒイ・ロォーー! デ・ビールマーン! デビル・マーーーン!!!♪
これって、いいんでせうか。。。
アニメとは若干内容が違っているようだが、原作を御紹介しましょう。
二百万年の眠りから醒めた悪魔族は、この美しい地球上にはびこる醜い人間共を滅ぼそうと考えていた。質朴な青年不動明は、その悪魔の策略をいち早く知り、自らの体を悪魔と合体してその能力を手に入れ、悪魔族と闘う決心をする。しかし人間は悪魔との闘いと恐怖の中で、次第に醜いその残酷な本性をさらけ出してゆく。不動明はそういった人間を救うことが「正義」であるのかと思い悩むが、愛する少女を助けるための個人的な感情から悪魔と闘い続ける決心をする。
悪魔の王サタンは、憎き人間である不動明を愛してしまうが、闘いをやめることはできなかった。むかし神は、自分の思いとはかけ離れた存在になったがゆえに悪魔を滅ぼそうとした。サタンは闘いのあと不動明の死体を前に、醜い人間を滅ぼそうとした自分の行為が、以前反発し闘いを挑んだ神の行為そのものであることに気がつくのであった。
この作品のなかで創造主である神は、人間と同じように、自分の思い通りにならない存在を認めずに抹殺してしまおうとする自己中心的な存在です。そこで「正義」の概念が相対化され、それはむしろ「強者の論理」であり、「エゴイズム」ではないだろうかという疑問が、悪魔によって提示されるのです。
このテーマはキリスト教を越えて、現在人間社会が直面しているのっぴきならない問題を暗示していますね。こんなアニメを放映するなんて、イタリアも懐が深いですよねえ。
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