さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

掛川城の郭「竹の丸」

2018年11月18日 | 関西シリーズ



大日本報徳社のすぐ裏には、掛川城の郭(くるわ)、「竹の丸」があるので、お城の前に
こちらを見物することにしました。



郭とは、お城の一部なのですが、本丸の守りを固める位置にあり、家老などの重臣の
屋敷として使われていたそうです。お城に住むより、こっちのほうが落ち着いていて
よさそうですねえ。



庭は枯山水で、回遊式になっています。「庭を見るだけでも料金とるよ」って書いて
ありました^^; この障子、下半分が動いて開くようになっています。



素晴らしいデザインに見とれてしまいます。匠の仕事ですねー。



ここはね、離れの建物がすごいんです。2階に上がる階段には工夫された明り取り。



階段とトイレの内部が明るくなるように設計されているのです。



外から見ると、こうなっているのです。



桐の板に鳳凰のすかし彫り。さらに、この壁紙をご覧ください。葛布(かっぷ)といいます。
葛の蔓を煮て水に晒し、発酵させたのちに繊維を取りだし、これを績んで葛糸にしたもの」
だそうです。上流階級の喪服などに使われた高級品。掛川のものが有名で、葛布問屋「松屋」
はお金に困った掛川藩に金子を用立てていたそうです。というわけで、この超豪華なお屋敷
は、松本家のものだったんだってさ。



この離れは大正時代に造られたもので、貴賓室はこのようにとってもモダン。右の窓の
形。左の窓に取り付けられたステンドグラス。そして西洋式のバルコニーときたもんだ。



現在の建築基準では強度が足りないため、ここには出られません。



ここからはお城が見えます。



樹齢200年を超える杉の一枚板が使われているそうです。さあお値段は?



とにかく贅の限りを尽くしたお屋敷でしたー。



この角に飛び出しているの、なんだかわかりますか?

雨戸をしまうとき、この直角の部分を曲がって通過するんです。右からスルスルと移動して
きますね?ちょうど半分くらい雨戸が飛び出したとき、パタンと向きを変えて、それから
スルスルと左上のほうに移動させてゆき、2面にある雨戸が全部一か所にしまえるってわけ。


大日本報徳社 2

2018年11月17日 | 関西シリーズ



こちらは冀北学舎(きほくがくしゃ)。二宮尊徳から直接教えを受け、報徳社を創設した
岡田良一郎が自邸に開いた私塾に使われた建物。有名な学者、官僚、政治家を輩出した
そうです。そういう人たちは、一生懸命勉強して、高い志と能力を持っていたのでしょうね。



大講堂。報徳思想を普及する中心となった場所で、日本で初めて「公会堂」と呼ばれた
建物です。係員の方が説明してくれましたが、なんと今でも講演など会合が続いている
そうです。二宮尊徳の銅像も見守っていますね。



威厳のある雰囲気です。おっと、両サイドに銅像。



これがどちらとも二宮尊徳だ。右は年配になってから。



左は子供の頃のもの。子供の頃に両親を失い、それからは働きながらも勉強したとー。



ちょっと演台に立ってみました。ううむ。

報徳の教えには4つの柱があります。
1.至誠 すべてのものには美点・長所があり、お互い引き出し合うことが大事。
     人間関係では正直に誠実に真心を持って。
     私は酒とワインが好き。君は焼酎。それぞれ存分に楽しみましょう^^
2.勤労 何事にも一生懸命、勤勉に働け~。
     酒は酔った勢いでなく、きちんと味わってたくさん飲もう!
3.分度 己をよくわきまえて行動せよ。
     飲むと必ず「まだまだ」と思うのに、あとで必ず「飲み過ぎた」と思うよなあ。
4.推譲 与えたものよりも、もらったもののほうが多いもの。だから蓄えた
     ものは人のために使え。
     地元の肴を食べ、地酒を飲みましょう。それが酒の文化を豊かにするのです!

呼んで頂ければ、このような報徳の教えの演説ができるぞ。



2階に上がってみます。



なにやら伊藤博文が書いたものがあるらしいが、どれだかわかりませんでした。
建物が素晴らしいだけでなく、精神的な緊張感のみなぎった歴史を感じる場所でした。


大日本報徳社 1

2018年11月16日 | 関西シリーズ



掛川城です。美しいお城ですが、いまはこの奥にある大日本報徳社を先に見物。



報徳運動とは、江戸時代の末期から、二宮尊徳の教えをもとに困窮した農民生活を救う
ために始まった、実学の普及を目指したものです。その活動が盛んだったのは、ここ
掛川を中心とした遠州地方だったのです。



まずは事務所になっている仰徳学寮で見学料を払います。最初はどこで見学料を払うの
だろう?と思いつつ、ここのドアを開けたらわかったのです。こちらから探して払わ
ないと、黙って見られちゃうゾw ちなみに中にいた女性に払ったあと、この建物の
なかを見られるのかな、と思って入ろうとしたら、ここは見られないのでした^^;
この建物、有栖川宮邸の一部が移築されたものです。



二宮尊徳の像がありました。薪をしょっている子供の頃の姿があまりにも有名ですが、
これはジーさんになってからですね。



遠くから見たら刀を構えているのかな、と思いましたが、鋤でした。そうかあー。
いちおう帯刀していますが、尊徳先生だものなあー。



淡山翁記念報徳図書館です。昭和2年築だそうです。かっこいい!



こんなところに住むのが夢ですねー。いくらでも本を並べられるしなあ。



仰徳記念館。こちらも有栖川の宮廷だったものを移築したんだって。すごいなあ。



宮さんは、自宅でこんなところに住んでいるわけだ。



むかしはぐちゃぐちゃつまらんガラクタに囲まれていなかったんだなあ。しかしこんな
ところに住んでいたら、寝っ転がれないし、どうやってイチャイチャするんだろ?



なんだか落ち着かんだろね。。。



おうおう、立派な時計が現役で動いていたよ。



講堂のように広い部屋もありました。冬は寒そう^^;



おおお、折れる式の鍵。古い温泉宿にもわずかに残っていますね。


東海地方の旅 掛川へ

2018年11月15日 | 関西シリーズ



今回は東海地方への旅。掛川から浜松、豊橋、名古屋へと足を延ばします。掛川の
発音は、地元の人によればフラットではなく「け」にアクセントがある。つまり
「山本さん」のような発音ではなく、「中川さん」のように読むそうです。

それにしても、久々に「こだま」に乗った。新幹線の各駅停車である。三島だの新富士
だの、まず乗り降りしない駅に、もちろん全部止まる。止まるたびに「のぞみ」や
「ひかり」が追い越してゆく。そちらは5~10分おきに出ているんだから、こちらが
止まるたびに追い越してゆくのは当たり前なのだ。駅に止まるたびに、「何分停車~」
というアナウンスが入り、ちょっとすると「どばばばば~ん!」とものすごい勢いで
のぞみが通過してゆく。すごいスピードだから、ものの3秒ぐらい。それからひかりが
通過。そしてやおらこちらが出発するのだ。毎回抜かされるので、なんかとても遅い気分。
在来線とは比較にならないほど速いんですけどね。



掛川駅には原発の宣伝がありました。見事に誰も見ちゃあいませんでした。
「地球温暖化」がどれだけ環境を破壊するか、そして原発がそれを止める有効な手立て
なんだと言っていました。原発は恐ろしく環境を破壊しますよ?温暖化を止めるには、
エネルギーの消費を抑えるのが一番だと思うけど。



さて散策を始めましょう。駅の南から西へ向かいました。「美感ホール」って思い切った
ネーミングですなあ。



「亀の甲」って、ここの地名なんですねー。



ホレ、ね^^



私はすぐに「亀甲縛り」を思い浮かべてしまいますが。。。



おお、だんだん絶滅しつつある典型的な地元のスーパー。がんばれー。もちろんここ
掛川も、町はずれにワンパターンのチェーン店がズラズラとできており、街中は閑散と
していました。



昼飯は創業大正15年という古い食堂に。それにしては派手だよなあ。



やはり人気店のようで、昼には行列ができるようです。メニューには「おしゃべりに
夢中で長々座り込んでいるもんだから、並んで待っている客と大きなトラブルになった
ことがあるので、考えろ(つまりさっさと食べて出てね)」なんて書いてありました。
そう書かれると飯が7%ぐらいまずくなるってもんですが、東京のミシュランにのった
ラーメン屋でも、えらく評判のスープカレー屋でも、すごく行列ができているのに
延々とおしゃべりをしていて食べない、食べ終わってもなかなか出ない客を見たりする
ので、少しわかる気もします。

さてここは伝統の中華そばがお勧めだというので、食べてみました。スープのベースは
チャーシューを煮込んだ醤油を使ったものだ、と書いてありましたが、ほんとに醤油味!
もちっと鶏ガラや煮干しなんぞが古き良き伝統だと思うけど、ラーメンはそこの人が
こだわって作ったものですから、好みも千差万別なんですよね。



掛川のマンホールはお城。



さて食堂のすぐ裏には、遊郭の廃墟があるという情報を得ていたのですが、なんと
片付けられていましたあ~!



これがグーグルストリートで見たもの。いまでも見られるので、片付けられたのは
わりと最近でしょう。遅かりし由良の助。2階の窓が、その風情を残しています。
全国の遊郭が閉鎖されてから久しく、その跡はいまやほぼ全滅ですよねえ。
コレ見たかったなー。



遊郭のあった街はずれから、中心部へ戻っていきます。「油店」は三階建て。



中町とくれば中心街だろうに、見事にシャッター通りになっている。「タネ、苗、球根」
なんて店は、やってくの厳しいよねえ。



おおお、ありがちな、歯の抜けたようなアーケード街。ひどすぎる。



うわー、清水銀行は立派な建物。これって古い建物を買い取って改修したんだよね?
左のほうに見える看板も素晴らしい。



やってる店もありましたー。右から「天真堂」は文房具屋?次は「履物店」。その左は
もう何を扱っているのか、営業しているのかもわからない。絶対高齢化してるよね?



おお、廃ビルのように見えて営業中。「呉服、ベビー用品、贈答品」と書いてあります。
これだけ大きいと、従業員を雇っているよね?失礼ですが、賃金出すのは大変そう。
いや、地方の大きな廃ビルのようなホテルで、老夫婦でやってるところもあったからな。
まさかここ、老人のワンオペだったりして。ちょっと品揃えなどをひやかしで見てみたい
気もしましたが、何か買うこともなさそうなので、覗くのはやめておきました。


神保町を飲んで彷徨う

2018年11月14日 | 



ロシア旅行をしたあとなので、何でもある東京ですから「ロシア料理」と検索してみたら、
わが青春の神保町にあるので行ってみた。するとなんだよ、「ポーヅ」の隣でしたか。
数え切れないほどに通過した場所なのですが、入ろうなんて思ってもみない店だから、
全然目に入らなかったわけですね。そりゃあ若い頃にはこういう「高そう」なところに
来られるわけもありません。

本が好きな文学青年たちは、例外なくこの古本屋の街、神保町を彷徨います。以前に
「神保町のどこで昼飯を食う?」という話になったとき、「さぶちゃん」の半チャンラーメン、
「いもや」の天丼(高そうに聞こえるかもしれませんが、ずっと500円でした)、そして
「富士そば」(立ち食いです)に分かれました。みんな「電車賃を節約して歩けば文庫本
古本なら1冊だ」という貧乏でした。そういう安い食事の店も、チェーン店以外はみんな
なくなりました。

そして悲しいことに、老舗の古本屋も(新刊の本屋もだ)どんどん閉店、もしくは良書を
扱う店ではなく、サブカルチャーだの変わり果てた商品を扱う多角経営の店に変貌して
しまいました。情報は「熟読」するための印刷された活字ではなく、「流し見る」スマホを
通して得るものと化したのか。



ま、そういったほろ苦いというかせつない思いを感じながら、金銭的に少し余裕がもてる
ようになったおかげでロシア人女性2人がやっている店に入り、グルジアのワインを飲み
ました。「チキン・キエフ風」は「今日はできない」と言われて残念。



飲み足りないので、「東京最古」と言われる淡路町の「みますや」へ。ここは「馬刺し」が
食える。長野や熊本で食べるものを持ってきたという、東京にありがちな贅沢品ではなく、
下町の一部で実はむかしから細々と食べられてきた「馬肉」の流れなのではないかと思われる。
オフィス街のまん真ん中にあるので、ここはいつも満席でごった返している。これだけ混んで
いると、もう「常連」なんてのんびりできる人はあまりいないんじゃないかなあ。



靖国通りを少し戻ってきて、3軒目は「酔の助」。学生時代はすぐ近くの「いもや」で
天丼を食べ、ここの2階にある「ミッキーマウス」というゲームセンターで一服しながら
ゲームをやったものです。昼飯を節約しているわりには、2~300円ゲームをやるんだなあ。
そしておっさんになったら、下の居酒屋で飲むようになったと。ここも大箱で、手前の
カウンターやテーブル席、そして奥の座敷は
いつも満員。