



着付けは、


どちらも値下げ品


緑の帯はしつけの付いたままのの未使用品です。



これからは、
ワタクシ子供のころから不治の病を抱えておりまして
これまで寛解と悪化を繰り返してまいりました。
それが 今朝(10時20分頃)急に悪化しまして
急いで医者へ行ってきたところです。
その不治の病とは
『齲蝕』
読めます?
『うしょく』と読みます。
いわゆる『虫歯』でございますね。
以前から「この差し歯は長くは持ちません。
今度取れたら抜歯して入れ歯にするしかありません。」
と言われていた歯が
今朝おやつを食べていたら
何の先触れも無くポロッととれた~
今日は木曜日だからそこの歯科医院は午後休診なので
急いで電話をかけて泣きついた。
「すぐに来れますか?
待ってもらうことになりますよ」
とのことで 急いで歯を磨いてコートをひっかけて車に飛び乗った。
歯科医院には10時40分に到着~
「レントゲンを見ると 中で大きく割れているし虫歯にもなっているから
これば抜歯するしかありません。」
「はい、麻酔ね」「ヨロシクオネガイシマス」
ということで
抜歯して帰ってきたところです。
汚恥ずかしながら もうまともな歯はほとんどない状態。
歯間ブラシフロスも使っているし半年ごとに歯石取りにも通ったり
一生懸命気を付けてきたつもりだけど
だめですね~
時々悪化するんです。
ホント悲しいです。
お金もかかるしね。
歯は命
虫歯は不治の病
ワタクシを反面教師に 皆様には歯を大切に~
今日は37年目の結婚式記念日です。
当時は1月15日が成人式だったんですよ。
そして私の成人式の日の翌日が結婚式でした。
それはデキ婚だったから(彼は25歳)
10月頃に妊娠が分かり
12月に結納を交わし
1月16日に結婚式
成人式には出席したけれど 全く嬉しさも無く ちょっとしんどかったことを覚えています。
妊娠が分かった時 私は看護専門学校の2年生で
出産予定日が6月だったので
2年を終了した段階で1年間休学し
3年生から復学し1年間学んだあと国家試験を受けたいと担任に相談した。
担任も応援してくれて 頑張ろうと意気込んでいたところで
学校長や理事長からの意向が伝えられた。
いろいろ私の体調などを思いやる言葉を羅列されていたけれど
要するに「自主退学しろ」とのこと。
それから毎日登校するたびに 毎朝会議室に呼び出されての説得が続いた。
ついに校長の本音も飛び出す
「開校以来の不祥事(?)病院関係のお偉方に顔向けできない。」
急いで否定していたけれど もう遅い。
担任の先生は 始めは気の毒がってくれたけど
結局 何の力にもなってくれなかった。
親には 学校でのことを相談できず(無理を言って進学させてもらっていたから)
彼にも(今の主人)言えず ただ毎日部屋に籠って密かに泣いていた。
しかし ある日 父親が
「学校は辞めなさい。なんか辛い目に会っているんだろう?体が大事だよ。」と言った。
そして学校を退学したのは12月終業式 結納を交わした後だった。
(その学校は当時の規定では『新卒で未婚の女子。品行方正かつ勤勉であること』
その後まもなく『意欲のある男女』となったそうで
社会経験者でも既婚者でも可 さらに性別を問わなくなって 今では多様な人が学んでいます。)
そんなわけで
成人式でも まだ残念で悲しい思いを引きずっていたので
晴れがましさや嬉しさはゼロ
次の日結婚式なのに。
成人式当日は冷たい雨が降りしきっていたっけ
そして翌朝起きてびっくり
一晩のうちに大雪が積もっていた。
当時の結婚式は 家に美容師さんに来てもらって花嫁支度をし
さらに 新婦側の親戚や友人達も正装し集まってきて
その前で仏壇参りと神棚を拝んで 親や家族にきちんと挨拶をしてから 全員で家を出発するのですが
庭には近所の人たちが 『門送り(かどおくり)』といって集まって見送ってくれる風習がありました。
それが一晩で積もった雪を除雪するのに大わらわ
本当は皆の見守る中で「大変にお世話になりました。」と言って親に手をついて挨拶をしなくてはいけないのに
とにかくバタバタしていて 何となくあいまいになったのは
実はほっとしていた~だって恥ずかしいから嫌だなと思って悩んでいたから。
その時の ボタン雪の中を 花嫁姿の私が玄関を出ていくシーンの写真は
長らく写真館に飾ってあったそうです。
それから婚家について玄関で『お水合わせの儀』が行われました。
実家から持って来た水と婚家の水を
私が持つ素焼きの盃に仲人(夫の大学時代の恩師ご夫妻)が注いでくれて
私がそれを飲み干すと 仲人がその盃を玄関のたたきに投げつけて壊し「おめでとうございます。」と言うのです。
両家の水が一つに混ざり合ったことを表す
昔から伝わる婚礼の儀式です。
そして座敷に上がって 色打掛から白無垢綿帽子に掛け替えて
仏壇と神棚にお参りして かいもち(ぼたもち)と桜茶で一休みしてから 式場へと全員で移動しました。
私は幼い時から とにかく目立つことが嫌で
結婚式で主役として注目されるのも嫌だな~出来たらしたくないと思ったケド
結婚式の準備は義母主導でどんどん進みました。
なぜなら 私は学生だったし
彼は大学院を卒業して就職して1年未満 全く貯金が無かったので
全て、完全に、丸っと親がかりの結婚だったから~
(あ、でも結婚指輪は 付き合っていた時にお互いにプレゼントし合ったペアリングを結婚指輪にしました。
細ーい金の指輪です。)
さらにそこの式場の婚礼部の部長さんが義母の友人だったからなおの事
ドライアイスを炊いての派手婚
引き出物も大きな包み2個(一個は果物・お菓子・乾物で、もう一個は全て郷土色溢れる食品)と
地場産業の置時計(二人の名前入り)でした~
4時間近くにわたる披露宴となってしまったため
新婚旅行に出発する電車の時間ぎりぎり(当時は披露宴後 皆の見送りの中新婚旅行に出発するのが普通だった)になり
雪の中大慌てで駅に駆けつけ
皆の「バンザイ!おめでとう!!」の言葉に送られて新婚旅行へと旅立ったのでした~
全て親がかりの 豪華ハワイ旅行でーす
シェラトンワイキキホテル
お部屋にはシャンパンとフルーツが用意されていた~
ベランダからの海の眺めが最高にきれいでした。
ハワイ島にわたって キラウエア火山(当時は活動が収まっていた)を歩いたり
黒砂海岸が素晴らしかったことも忘れられません。
その後 夫の勤続20周年記念のリフレッシュ休暇では
25万円の旅行券と5日間の休暇をいただいたので
結婚20周年もかねて 想い出のハワイを訪れましたが
二人でなるべく25万円に収めるべくひたすら工夫をして
無料のツアーも2つ利用したのですが
とても楽しかったです。