理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

マスコミで報道されないような
情報と日記です(^▽^)/
世界と日本の危機を伝える・・

リーダーについて考える

2011年10月23日 00時00分00秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

リーダーについて考える

      

みやもとさとし氏、ブログ転載です。
http://miyamoto-satoshi.com/1595.html

 

優れたリーダーは、自己を客観視することができる。
自分に何ができて、何ができないかを知っている。
何をなすべきであり、何をなすべきでないかを知っている。

おそらくそれは、リーダーという立場についてから
身に着けた能力ではなく、
リーダーになる以前から、リーダーになるべく
自らを磨いてきた結果獲得した能力だと言えるだろう。

「リーダーとは、もともといたものではない。
作られてなったものでもない。
自らをリーダーとして訓練したものが、リーダーとなるのだ」

というような意味のことを、故ピーター・F・ドラッカー博士は
言っていたように思うが、
この言葉に、どれだけ勇気づけられたことだろう。

リーダーの資質とは何か、を考える時に、
このドラッカー博士の言葉は深い。

自らリーダーを志し、自らをリーダーとして
磨いていくことによって、
誰もがリーダーになれる可能性が開かれているのだ。

また、これもドラッカーに依れば、リーダーには、
高潔さ(integrity)、誠実さ(sincerity)が要請される。

これらのことは、国家や会社党の組織における、
自然人としてのリーダーだけでなく、
おそらく、世界における「国家」という法人においても
妥当するだろう。

つまり、日本が世界のリーダー国家となるためには、
自らをリーダー、あるいはリーダー to be として
自覚し、自らの意志で自らを磨いていく必要がある。
そして、国際社会において、「何ができるか」
「何をなすべきか」を知らなければならない。

少なくともリーダーは、自分のことだけ
考えていればよいというものではない。

サラリーマンであれば、自分の給料分だけ働きます、

ということでは、平社員以上にはなれないのは
当然のことであり、
この厳しい時世では、即リストラ対象であろう。

日本もまた、自分の置かれている客観情勢を
見る時、やはり大国としての責務を果たさ
なければならない。


日本は「大国」であるということは、どんなに
否定してみても、客観的事実として否定できない。

GDPが中国に抜かれたと言っても、人口は
中国が10倍ある。

日本の1人当たりGDPは中国の10倍であり、
単純に言えば、日本の生産性は10倍あるということだ。
経済力はもちろん、国力のすべてではないが、
重要な指標であろう。

日本がもし、今まで通り平和で、少し貧しくなる
かもしれないが、まあまあ現状維持をキープ
できればいいな、と思っているならば、残念ながら、
現状維持すらできない。

これだけ変化の激しい時代にあっては、
常に発展を目指し、創意工夫し、イノベーション
し続けなければ、時代に取り残され、衰退してゆくしかない。
これは、いい悪いの問題ではなく、事実であり、現実なのだ。

「昔はよかった」と言っても、一部の人を除けば、
誰も、江戸時代や、平安時代や、縄文時代に
戻りたいとは思わないだろう。

「それは極論だ。『3丁目の夕日』ぐらいの時代が
良いと言っているのだ」という人もいるかも
しれないが、残念ながら、そんな都合の良い
ところでは下げ止まらないだろう。

キリスト・ユダヤ合体文明と言ってよい米欧と、
イスラム教圏を中心としたアジア・アフリカ諸国との
仲立ちをできる可能性のある国と言ったら、
日本しかあるまい。

日本が衰退してゆくことは、世界に対して罪悪である、
とさえ言ってよい。

経済的な側面のみならず、安全保障・軍事的な側面でも、
日本の果たすべき役割は大きい。

アメリカ軍の世界におけるプレゼンスは、間違いなく
低下していくだろう。
方や全体主義大国・中国の凄まじい軍事的台頭。

軍事に対しては、日本国内に強力なアレルギーが
存在するが、日本はもとより、アジア・アフリカに
おける中国の軍事的脅威をけん制するには、
日本も軍事力を強化せざるを得ないだろう。

それは、戦争をするためではなく、戦争を抑止
するためであることを、われわれ日本国民は
強く認識しなければならない。

そして、国家における高潔さ(integrity)、
誠実さ(sincerity)であるが、これには
当然(世界的には当然。唯物論国家・日本に
おいては当然と思われないかもしれないが)、
宗教的バックボーンがどうしても必要である。

神仏を否定し、人生を、この世限りと見る
思想からは、根本的に、どうしても高潔さ、
誠実さという理念は生まれてこない。

かつては日本神道、あるいは武士道が
その役割を果たしていた。

いまもその意義や価値を否定するものではないが、
それだけでは世界を救うだけの崇高な理想の
バックボーンとしては足りざるものがあると
言わざるを得ない。

かつて聖徳太子の時代に、日本神道と
融合した形で「仏教立国」を成し遂げ、
隋との対等外交をやり、日本を当時の一流国に
押し上げたように、新しい宗教理念が
どうしても必要である。

当時もちろん仏教は世界宗教であったが、
現代では、仏教・キリスト教・イスラム教・
ユダヤ教・日本神道・ヒンズー教など、
世界の主要な宗教を統合する世界宗教の
出現が要請される。

私たちが「宗教立国」を目指すゆえんである。
これは、伝統的な仏教、神道、その他を否定
するものではなく、むしろその逆に、様々な
宗教が切磋琢磨することによって、百花繚乱、
民主主義的繁栄を願っているのだ。

「民主主義が繁栄する時代は、宗教が
繁栄する時代でもある」。

そして、幸福の科学は、その任に堪えうる
宗教として成長したいと願っている。

つまり、世界の宗教界のリーダーとして、自らを
磨いていこうと決意しているということだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。