御法話や霊言の紹介記事に関して
レオさんのブログ
転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レオさんの;御法話や霊言の紹介記事に関して
総裁先生の最近の御言葉で、
ご法話内容をメールやブログなどで、情報としてだけ
聴くことをとても憂えている、との御言葉があることを聞きました。
単に情報として知るだけで済ますのではなく、やはり
支部や精舎に実際に足を運んで、主の言魂を直接
拝聴するようにとの、講師の方からの注意があった
とのことです。なので、ご法話を、メールやブログなどで
公開するのは、お控えください、とのこと。
(直接聞いたわけではないので、詳細は私もまだ知りませんが … 。)
最近は、わたしも出来る限り、丸ごとUPや、
網羅的な記事は避けて、あくまでも支部・精舎で
の直接拝聴をうながすための、一部抜粋的な、
お誘い記事を書くように心がけているつもりなんですが、
それでもやはり、情報として出しすぎであったり、
配慮が不十分なところが多々あるのは否めません。
実際問題、うながし効果がどの程度あるのかの
確認も出来ないままに、紹介記事を書いていると
ころがあるかもしれません。
まだ、その御言葉が紹介されたご法話を拝聴して
ないので、詳しくはわからないんですが、
とりあえず、
過去記事においてUPした、情報過多の紹介記事や
、他のブログ者の方々からの転載記事・リンク記事
、などは、かなりの部分を、ラインアップから外すことにいたしました。
ブログでの内容紹介は、あくまで自分個人の判断で
やっているため、行き過ぎた情報公開をやって
いたところなども、たぶんにあるかと思いますが、
以後はそうしたことをもさらに深く考えた、
紹介記事を書くように心がけようと思っています。
(かなりセーブして、内容は極力抑える方針に
ならざるを得ない、かもしれませんが … 。)
最近UPした三国志リーディングの記事も、本来は精舎限定の
霊言なので、内容そのもののネット公開は憚られることもあり、
霊言中の、三国時代の描写などに主軸を置いた記事に、
出来る限りしぼって書いたつもりですが、
今回ちょっと、そのような経緯もあって、今さらながらですが、
三国志記事はアメンバー記事に変更いたしました。
今後も、とりあえず精舎限定のものは、感想記事であっても
アメンバー限定という形にした方がいいかな。
… などとも考えています。
ちなみに今は、緊急対応的にそう設定変更して
あるだけなので、アメンバーの受付自体は行なっておりません。
今後の記事UPの基準をどうするか?それらの点
をもう少しハッキリさせてから、ブログ全体のあり方も
再構築しながら、もろもろ判断したいと思っています。
それでは。
記事がだいぶ減ってしまいますが、そんなところで、
ヨロシクお願いいたします。
ぺこ <(_ _)> では。
http://ameblo.jp/space-people/entry-11038874792.html
ブログ紹介記事はどこまで許されるか?
http://ameblo.jp/kato33/entry-10914364405.html
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レオさんのブログは
時々、参考にさせていただくブログさんです。
気が付かない部分など、教えていただくことが満載です。
記事で、わかりやすい言葉で今回の件の
ご意見を書いておられましたので転載します。。
私自身、こちらはどうお考えなのかというメッセージも
複数頂いていて放置できませんので
現在の考えを書いておきます
自分としては
過去の記事をいじるのは大変な作業になりますので
ごく最近のものだけ、削除した部分もあります。
自分としてもコメント欄でのたった1行から知ったことでした。。
何も知らないので、昔のような妨害かと思い、
書き方がちょっと嫌味に感じてしまって、逆上しました(;^ω^)
総裁先生の最近の御言葉でということですが、
まだその件は直接は何も聴いていません。
自分の耳で聴いて、心で納得しないと、
無理に事態に合わせようとしても、
たぶんブログを見てくださってる方に不快な、
もやもやが届いてしまうと思います。
ネットってそういうものだと思います。
ごまかしが効かない、
(^▽^;)
こういう部分が、多分、直接拝聴しなければ
心に届かない部分なのかな?とも思いました。。
総裁先生のお話が、心の奥底に届いて
むむむ・・ってやる気が沸いてくるモンですし・・・
一律、みんなだめ。。なら
それでは
お役所仕事みたいだからです (*´∇`*)
いろいろなブログへの妨害とか、私生活でも、
合間をぬっての、時間との戦いのような記事UPでしたが、
考える時期だったのかな?
おかげさまで、やや冷静に受け止められそう。。
今後の方向性とかいうのも、もうすこし考えていくことが
必要かもしれないです。。
続けながら変化していくかもしれません。。
みなさんのご意見も、頂きながら、
ブログを共有できたらいいなと思います
。
職業柄、真言宗の僧侶という立場なので、直接的には、科学伝導ができませんが、出来る範囲で活動をしています。
その為にも、ブログを通じての情報は、大変有り難く感謝しています。
取り急ぎ、ご報告まで。合掌
HS系ブログという試みは終わったのかもしれない
今後、情報は閉鎖的になってヒト対ヒトの濃密な伝道がトレンドにされるのか
かえって、財布を握っている主婦の方が拝聴しやすいのではないでしょうか。
会員であれば全ての御法話を拝聴したい気持ちは多分にありますが、あきらめているのが現状です。
この口惜しい気持ちを察していただきたいと思います。
ブログやメールでの情報はごく一部の限定公開が妥当だと思います。
ご法話を拝聴するための収入は、いくらでも上げることは可能です。
収入における自己限定はやめましょう。
流してくだされば有り難く拝読させていただきますし、
流せないならそれで結構かと思います。
それで、ご法話等拝聴者がドーンと増えるのなら大変けっこうなことです。
お金がない信者さんは、成果が出せるまでは、こま切れの情報を知る必要はないし、、支部や精舎までいく気が起こらない、あるいは書店で書物を立ち読みや購入できない、のぞきみくらいまでがいいシンパの方等信者以外の人も、別に細切れの情報は知る必要がない、というご判断なのでしょう。
衆院選以来、お忙しい中、いろいろと情報を提供していただきまして、ありがとうございました。
感謝申し上げます。
私には、ありがたいことでした。
そういう者としての意見は述べて見たいと考えました。
20数年間幸福の科学の仏法真理を学び、その程度ですか、悲しい人だ、とか、批判、中傷、私の勘違い、思い違いはあるでしょうが、今までの私の人生の総決算として、考えを述べてみたいと思います。
主の御法話をただ情報としてしか捉えていない、そのことを憂いておられるとのことですが、それについて私が思いを致すことは、今からもう20年近く前の「信仰と伝道」という主の御法話です。
この中で主は、真理の探求、学習、伝道の大切さを説かれました。
これを料理に例えて、真理の探求は料理の材料集め、にんじん、じゃがいも、お肉など、料理をするための材料集めだと説かれました。
真理の学習は、集めた材料を使って料理を作ること、食べてもらう人のことを思い、心を込めて料理を作ることだと。
また、真理の伝道は、出来あがった料理を、どうぞお食べ下さい、と差し出すことであることだと。
私は、主が、御法話をただ、情報とだけしか捉えていない、と仰った真意は、それは、まだ、料理で言えば材料を集めただけですよ、それは真理の探求をしたのに過ぎないのですよ、と仰っているのではないかと思うのです。
その先に、料理を作る、すなわち真理の学習、集めた材料を使えるものとする、相手のことを思い、どのような話しをしようか、どのようなことをお伝えしようか、それを作り出すことというのがある。
さらに、料理を作ったら、それを相手の人に差し出してみる。どうぞ、お食べくださいと勧めてみる。伝道ということがある。
私はそのように考えるのです。
ですから、御法話をただ情報としてのみとしているからといって、支部へ行きき拝聴すればそれでよい、そういうものでもないのではないかと思うのです。
支部へ行き、御法話を拝聴することは大事だと思います。そこには喜びもあると思います。
しかし、主は、それ以上の喜びがあると仰っているのではないか。
それはまだ、材料集めにしかすぎない。その先には、真理の学習という喜び、真理の伝道という喜びがあるよ、と言いたいのではないか。
だから、御法話をただ情報としているという憂いは、ブログやメールで御法話の公開を控えればよい、ということとは違うのではないか。それは、主のほんとうのお心だろうか。
私は、ブログやメールでの御法話の公開も、支部での御法話の拝聴も、しょせん材料集め、真理の探究にしか過ぎないのではないかと思うのです。
もちろん、私は霊的なことはよくわかりません。支部での御法話の拝聴には霊的な特別な意味があるのかもしれません。
しかし、私は思うのです。
主の説かれたお話しで、満月の例えというのがあります。
私は、満月を指し示すことはできるが、満月そのものをみせることは出来なかった。
私はその方向を指し示すことはできるが、満月を実際にみせることはできなかった。実際に満月を見るのはあなた方自身なのだ。
この話しを思い出すのです。
主は沢山の御法話を説いてくださる。
しかし、それを、自分自身のものにするのは、自分が悟るしかないのである、自分がつかむしかないのである、ということです。
主は日本で沢山の御法話をされた。外国ではまだ、そんなに多くの御法話はされていない。
けれども、外国では、会員が熱心に伝道をしている。法が広まっている。
日本ではこれだけ、多くの法が説かれている。けれども、伝道はまだそれほどは進まない。
聴いているだけではなく、実際に伝えてみる。自分の言葉で。
時には、批判されることもあるでしょう。ばかにされることもあるでしょう。
でも、人に伝えてみることで、自分の能力の足りなさを痛感する。
そこに、さらなる、探求、学習が必要になる。
ただ、聴いているだけ、ブログを見ているだけ。
それは、わたし達が、主の法を、ただ、材料として集めているだけではないのか。
わたし達がすべきことは、それを使えるような形にする、料理として作り上げる、すなわち学習する。そして、それを食べていただく、伝道する。そういうことではないでしょうか。
私は、そのように解釈するのです。
私は日曜日の朝、7時から7時半まで、天使のモーニングコールをラジオで聞きます。
こころが洗われるような感じがします。
その後、7時半から9時はでは、フジの報道2001をテレビで見ます。
しかし、報道2001はたいした番組とは思えないのです。
その時間、わたしはテレビはちらっとは見ながら、耳で聞いているのですが、ブログの理想国家日本の条件を見ています。
このブログの方がテレビの報道番組より、どれだけ優れていることでしょうか。
理想国家日本の条件というブログはすばらしい情報を提供してくれているブログです。
新聞、テレビがろくな情報を流さないのに、このブログでは価値ある情報を流しています。
これからのインターネットの役割は、大変重要だと思っています。
ブログでの御法話の公開を控えることは、時代錯誤ではないかと思えるのです。
理想国家日本の条件というブログは、ますます発展していってほしいと思います。
自分の小ささを反省しました。
私も20年位前に、入会しました。
私はすごく人前が苦手です。
なので支部から足が遠のいています。
一時期誘われて行っていましたが・・・
行くと、何か意見を言わされるのではないかとか、皆さんの前で発表をさせられるのではないかとか、そんな事ばかりを考えて緊張のしっぱなしです。
なので情報があれば、大変嬉しいです。
先生が支部に行って拝聴しなさいと、おっしゃるのであればそれに従うだけですが、多分私は行かないだろうと思います。
弟子失格ですね。
今まで御法話などの情報を、流して頂いた方々ありがとうございました。