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コロナ感染した芸能人が覆す軽症のミスリード

2021-02-01 15:30:00 | 日記

下記に記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です


緊急事態宣言が今月7日に再発令されてから約3週間が過ぎましたが、新規感染者数は十分に下がったとは言えず、重傷者数、死者数、自宅療養者数が増えるなど、厳しい状態は変わっていません。
そんな中、今年に入って新型コロナウイルスに感染した芸能人たちが、さまざまな番組で実体験を語りはじめました。井上和香さん、松村邦洋さん、Kis-My-Ft2・千賀健永さん、東京ダイナマイト・ハチミツ二郎さん、ミキ・昂生さん、風間俊介さんらの発言がネット上で次々に記事化されて話題を集めています。
これまでコロナ感染した芸能人たちは、感染したことへの批判を恐れてか、「SNSなどで簡単に症状を説明し、復帰の報告をするだけ」という人が大半を占めていました。ここに来て積極的に語りはじめた理由は何で、どんな発言をしているのでしょうか。
また、そんな芸能人たちを出演させる番組サイドにはどんな意図があるのでしょうか。単に「番組に出るチャンスだから」「お金のため」「視聴率を獲りたい」という気持ちだけではないようなのです。
「もう少し遅かったら危なかった」松村邦洋
まずは番組出演時の特筆すべきコメントをピックアップしていきましょう。
井上和香さんは1月27日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)にリモートで出演。昨年12月27日に40℃近い高熱が出て陽性診断を受けたこと、軽症とされて自宅療養となり夫と5歳の娘も感染したことなどを明かしました。さらに、「ウソのような震え方をする悪寒がしても、分類としては軽症でした」「だいぶ強いインフルエンザという感じがしました」「深く息が吸えていない感じがして、『もしかしたら夜中に息ができなくなるかも』という恐怖がありました」などの症状を生々しく語ったのです。
松村邦洋さんは1月27日放送の「バイキングMORE」(フジテレビ系)で取材に応じ、自宅療養時の不安や、保健所の勧めで入院したときの様子を明かしました。なかでも驚きを誘ったのは、医師から「もう少し遅かったら危なかったです。発症してから6~8日目に発作のような症状が出ますので、もしそういうことがあったら(重症になる可能性があるので)覚悟だけしといてください」と言われたこと。さらに松村さんは、「保健所の方が以前、私がマラソンで倒れたこと(2009年の東京マラソンで一時心肺停止)を知っていて、『入院しましょう』と言ってくれて(助かりました)」という孤独死と紙一重だった様子を明かしました。
千賀健永さんは1月15日放送の「首都圏情報ネタドリ!」(NHK)に出演し、いまだに残る後遺症についてコメント。「(感染から)2カ月以上経ってるんですけど、(嗅覚障害は)まだ完全には治ってないです。発症した時はどんどん、どんどんにおいがわからなくなって。鼻づまりとかの感じではなく、鼻の感覚がなくなるというか」「ロースカツを食べたときも、味覚はあるけど嗅覚はしないのでゴムを食べている感覚」などと真剣な表情で語りました。
「軽症」という言葉を使う責任の重さ
ハチミツ二郎さんは、1月22日放送の「スッキリ」(日本テレビ系)に出演し、病院に運ばれたときの様子をコメント。「診てもらったら、『人工呼吸器を入れなきゃいけない』と。『首に穴を開けてストローみたいなサイズで血を循環させないといけない』って言われて、麻酔と睡眠導入剤を入れられて眠っていたんですけど、肩を叩かれて『陽性です』と言われた記憶があります」「(先月)14日に入院して、起きたら22日でした。そこで初めて自分が(8日間も)昏睡状態だったことを知りました」と壮絶な体験を語りました。
ミキ・昴生さんは1月10日放送の「ミキの兄弟でんぱ」(KBS京都ラジオ)で、「『死ぬんかな』と。『生きてきた中でこんなに熱下がらんことあるんか』と」「とにかくしんどくて動かれへん。こんなテレビ大好きなのに年末のテレビ一個も見れてない」「お風呂45℃くらいで溜めてもらっても入りながら震えんねん。ずっと寒い」と症状のつらさを語っていました。
芸能人たちは決して「こんなにつらい思いをした」と同情を誘いたいわけではないでしょう。ハチミツ二郎さん以外は「軽症」ですが、その言葉のイメージとはまったく異なる厳しい現実を訴えているのです。「感染力は強くても、ほとんどが軽症で、高齢でなく、持病がなければ重症化しづらい」と高をくくっている人々に向けたメッセージではないでしょうか。
私が出版プロデューサーの仕事もしていたころ、大病をわずらった人から「これからかかる人々のために闘病記を書いて役に立ちたい」という問い合わせが毎月のようにありました。ここで挙げた芸能人たちのコメントには、それと近い使命感を感じてしまうのです。
一方、芸能人たちの発言を引き出している制作サイドとしても、「これまで軽症というフレーズを当然のように使ってきたが、結果的にミスリードになっているのではないか」という自覚があるようです。それだけに「軽症という言葉を使うだけではなく、『軽症でもつらい、怖い』ことも伝えよう」としているのでしょう。
芸能人と制作サイドの両者にこのような思いが芽生えたのは、「軽症扱いで自宅療養中の死者が増えている」ことが大きいのではないでしょうか。いずれにしても、両者の意識が変わってきていることは間違いありません。
コロナ最前線の医師も“軽症”に警鐘
芸能人ではありませんが、1月27日の「とくダネ!」(フジテレビ系)に出演した埼玉県のふじみの救急病院・鹿野晃院長が興味深いコメントを発信していました。鹿野院長と言えば、早い段階からPCR検査の大切さをメディアで訴えつつ、積極的に検査や患者受け入れを行ってきた人物。感染予防を徹底していたにもかかわらず陽性判定が出てしまい、「約2週間の自宅療養から職場復帰したばかり」というタイミングでの出演でした。
鹿野院長は、「初めはいつもの軽い風邪の引きはじめぐらいの症状があって、特に検査までは考える状況ではありませんでした」「2~3時間おきに解熱剤を通常の倍ぐらい飲み続けて、やっと体中にまとわりつくような寒気がよくなりました」などと具体的な症状をコメント。さらに、「『いたるところの血管が詰まって心臓発作や脳卒中を起こす』という怖さはつねにありました」と医師でもそれほどの不安を抱くというシビアな現実を明かしました。
また、「医学的に言うと、『鼻あるいは口から酸素投与する必要がない』という点では中等症にも値しない軽症ということになりますが、自覚症状としては人生1、2位を争うつらさでした。これを軽症というのはどうかと思います」とはっきり語っていたのです。
これらのコメントから、鹿野院長と『とくダネ!』制作サイドの両者が、「軽症」という言葉のミスリードをただしたいという意思を感じました。ここまではっきりと言い切った以上、両者は今後もこのスタンスで発信し続けていくでしょう。
「軽症」のミスリードとともに、芸能人たちが訴えたかったのが、若年層を中心とした感染予防の意識が低い人々に対するメッセージ。
若年層の「感染予防意識を上げたい」
ハチミツ二郎さんは「スッキリ」で約1カ月間にわたる入院生活で感じたことを聞かれたとき、「リハビリの先生とか看護師さんと話したとき、『ぜひ伝えてほしい』と言われたのが、『若い方たちの自覚のなさをぜひともどこかで言ってほしい』ということ。『あなたが大丈夫でも、あなたがすれ違ったお年寄りを殺してしまうかもしれないという気持ちでいてください』と。お年寄りの方も家にいられるならいてほしい。自粛するなら全員でしなければと思いますね」と切実に訴えかけていました。
感染者数の割合は相変わらず20代が最も多いなど、「若年層の感染予防意識が今ひとつ上がっていかない」という現実があります。事実、千賀健永さんが出演した「首都圏情報ネタドリ!」が若者世代に行った街頭調査では、「昨年の緊急事態宣言時に比べて、今回のほうが怖くない」と答えた人が100人中60人を占めました。
あらためて各番組を見渡すと、新規感染者数や重傷者数などの推移、逼迫迫する医療現場や保健所などの現場、かからないための対策などを伝えるコーナーが目立ちます。一方で、軽症者のさまざまな症状や後遺症、自宅療養中の症状悪化、亡くなった人と遺族の姿などを伝えるコーナーは、それほどありません。
もちろんいたずらに危機をあおって不安を抱かせることは避けなければなりませんが、今後はもっと幅広い世代に向けてこれらの情報も伝えていく必要があるのではないでしょうか。さらに言えば、今以上に若年層からも注目を集められる番組にすることが求められているのです。
もう1人、別の角度から印象深いコメントをしていたのが、1月11日放送の「ZIP!」(日本テレビ系)に出演した風間俊介さん。
まずは「陽性がわかった時は頭が真っ白になるというか。でも僕の場合は声枯れのみで、あとは体調変化っていうのはそんなになかったです。37.1℃の発熱があったんですけど、多くの場所が37.5℃で制限をしているので、『むしろ声枯れをして(異変に気づけたので)よかったな』と思いました。でなければ気づけなかったかもしれないと思うので、本当に毎日の体調変化っていうのに気を配っていかないとって思います」と症状の一例としてコメント。
感染対策することが心の支えになる
さらに風間さんは、「『誰かにうつしてしまったのではないか』という不安がひたすら募りました。保健所から『濃厚接触者にあたる方はいない』と聞いて、普段から気をつけているソーシャル・ディスタンスとか、指の消毒とか、『今まで感染対策をどれだけやってきたか』ってことだけが自分の支えになりました」と経験者ならではの感情を語ったのです。
「誰かにうつさなかったことや、感染対策をしてきたことが感染したときの支えになった」という言葉は、「どのように感染したのか」という観点から話す人が多い中、新たな発見でした。芸能人も番組も、「いかに濃厚接触者を作らないか」という観点からの発信をもっと増やすことが求められているのかもしれません。
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また、昂生さんは、「年末年始とかほぼ全部救急で行ってたので、ほんまに対応していただいてありがたい。僕ら(芸人)は笑い話にできるけど、大変やでこれは。こんな症状の人が2000人以上出たら、保健所の人は大変やで」と最前線で働く人々をねぎらっていました。このような「最前線で働く人々へのねぎらいや感謝」も芸能人たちが番組で語りはじめた理由のひとつでしょう。
実際、今回の出演でも「スタジオやロケでマスクしないことの多い芸能人は感染して当然」「自業自得のくせに出しゃばって話さないでほしい」などの批判が挙がっているように、番組に出て語ることのリスクは少なくありません。彼らがそれを承知で発言しているのは、やはり「感染したからには語るしかない」「1人でも少なく、1日でも早く収束してほしい」という使命感と願いによるところが大きいのではないでしょうか。


日本政府が破産する瞬間、大逆転が起きる 外国政府と日本政府の決定的違いとは

2021-02-01 13:30:00 | 日記

下記に記事はLIMOからの借用(コピー)です


日本政府は破産しない。破産の1秒前に大逆転が起こるからだ、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。
*****
筆者は、日本政府は破産しないと考えています。しかし、世界中の投資家が日本政府は破産すると考えて日本国債の売り注文を出したら、どうなるのでしょうか。日本政府は破産するのでしょうか。その瞬間に何が起きるのか、考えてみました。
国債の価格が暴落し、ドルが暴騰する
日本政府が破産すると考えた投資家は、日本国債の売り注文を出すはずです。彼らが売るものは、今ひとつあります。日本政府の子会社が発行している「日本銀行券」という紙切れです。彼らは、日本銀行券をドルに替えようとして、ドルの買い注文を出すでしょう。
金融の怖いところは、皆が倒産すると思った借り手は、皆が融資を引き揚げるので本当に倒産する、というところです。健全な銀行が取り付け騒ぎで倒産することもあるわけですから。
したがって、ひとたび売り注文が増え始めると、売りが売りを呼んで暴落が止まらなくなる可能性があります。売り一色で取引が成立しないかもしれません。
それを予想した投機家たちは、日本国債や円をカラ売りするかもしれません。先物を売却するかもしれません。売り注文の額は、発行済み国債の残高を上回るかもしれないわけです。
そんな時に、最後の買い手として登場するのが、政府と日銀です。
政府は外貨準備のドルを売って円を買い支える
政府は、1兆ドルを超える外貨準備を持っています。これを用いて暴落している円を買い支えるとします。1ドル300円くらいで取引が成立したとしましょう。市場に巨額のドルが供給され、市場から巨額の円が回収されます。
日銀は、市場から回収された分だけ市場に資金供給をしなければなりませんから、暴落した国債を大量に購入するはずです。国債の価格は額面の3割程度で取引が成立したとしましょう。
冷静になった時に、見えてきた勝者は?
夕方になって市場が閉まり、人々は酷かった1日を振り返るでしょう。国債を持っていた投資家は、額面の3割で投げ売りしたので、大損でした。
さらに悲惨なのは、外国人投資家でしょう。彼らは来日した時に10ドルを1000円に替えて額面1000円の国債を買ったはずです。それが、国債を300円で売り、それを1ドルに替えて本国に逃げ帰ったのです。
喜んでいたのは、国債と円をカラ売りしている投機家だけであったはずです。
「最も悲惨なのは、破産した日本政府だった」と読者は考えるかも知れません。しかし、そういうわけではありません。
日本政府は、1ドル100円で買って持っていた外貨準備のドルを300円で売却し、日銀は額面1000円の国債を300円で購入したわけです。しかも巨額に。
政府と日銀の連結決算で見ると、100兆円で買ったドルを300兆円で売り、その300兆円で額面1000兆円の国債を購入しているわけです。冷静に見ると、日本政府の借金はすべて綺麗に消滅しているのです。
本当に真っ青なのは、日本国債をカラ売りしている投機家でしょう。買い戻す義務があるのに、買い戻せる日本国債はすべて日銀が持っているのですから。
政府・日銀は、儲けた900兆円の一部を銀行に出資
投資は自己責任ですから、投資家が損をしても政府が救済する必要はありません。ただ、何事にも例外はあります。銀行が巨額の損失を出して倒産されると困るのです。倒産しないまでも、自己資本不足に陥って自己資本比率規制を守るために貸し渋りを始めても困ります。
そこで、政府は銀行に無議決権優先株を発行させ、それを買い取ることで、銀行の自己資本を充実させるはずです。銀行が将来儲かったら、優先株を買い戻す、という条件にしておけば良いでしょう。それにより、銀行の倒産や貸し渋りが防げて、金融市場の混乱が実体経済に波及することが防げるわけです。
政府が破産しなかったのは、負債が円建てだったから
過去、政府が借金を返済できずに破産(事実上の破産を含む)したケースでは、ドルを借りていた場合がほとんどです。政府が外国からドルを借りていると、外国から一斉に返済を要請された時に大変困ったことが起こります。
最初の1ドルを返済することは容易でも、そのためにドルを買うのでドルが値上がりし、2ドル目の返済は1ドル目の返済より厳しくなるのです。返済用のドルを買うたびにドルが値上がりしていくと、最後の1ドルを返済するために必要な自国通貨が巨額になり、倒産してしまう、ということが起きかねないわけです。
しかも、外国の貸し手はそれを知っていますから、政府が破産するかもしれないという噂を耳にした途端、他の貸し手が回収し始めるよりも先に回収しようとします。したがって、外貨を借りていると、危険なわけです。
外貨を借りている政府は、「危ない」という噂が立つと、実際に返済要請が来て本当に危なくなる可能性があります。一方で、自国通貨を借りている政府は、本稿が示すように、「危ない」という噂が広まれば広まるほど債務が減るのです(笑)。
外貨を借りている政府と自国通貨を借りている政府では、このように決定的な差があるので、「過去に倒産した外国政府よりも、日本政府の債務負担は重い(債務残高のGDP比が大きい)から、日本政府も破産するだろう」といったことにはならないのです。


小室圭さんとのご結婚予定「お知らせは難しい」…眞子さまと佳子さま“強まる連帯”と“ブラック&ホワイト”コーデの理由

2021-02-01 11:00:00 | 日記

下記に記事は文春オンラインからの借用(コピー)です


まもなく、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚延期発表から3年がたつ。小室圭さんの母・佳代さんと元婚約者である男性との間の金銭問題が一つのきっかけとなり、眞子さまと小室さんの結婚に関する行事は「来年は一連の重要な儀式等が執り行われることから、それら一連の儀式等が滞りなく終了した再来年になる見込みです」として、宮内庁が「眞子内親王殿下のご結婚関係儀式等のご日程の変更について」を発表したのが、2018年2月7日のことだ。2017年9月3日、婚約内定会見での眞子さまと小室圭さん コピーライトマークJMPA
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結婚は「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」
 昨年11月13日には、秋篠宮さまの誕生日会見に先立つ形で「眞子内親王殿下が記されたご結婚についてのお二人のお気持ち」が公表され、眞子さまは「様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と痛切な思いを吐露された。眞子さま コピーライトマークJMPA
 秋篠宮さまは、昨年の誕生日会見で「結婚することを認めるということです」とおっしゃりながらも、関連質問へのご回答の中で、「私は、特に結婚と婚約は違いますから、結婚については本当にしっかりした確固たる意志があれば、それを尊重するべきだと私は思います。これはやはり両性の合意のみに基づくということがある以上、そうでないというふうには私はやはりできないです」と述べられた。皇嗣というお立場から述べることができる範囲での論理的な見解を示されたといえるだろう。父親としての葛藤をにじませられた。
佳子さまとの強い“連帯”を感じさせるコーディネート
 しかし、眞子さまのご近影や映像からご様子を拝見していると、近頃は“迷い”がなくなってこられたと感じることが多かった。そしてそうした機会には、次女・佳子さま(26)との強い“連帯”を感じさせるコーディネートが印象に残っている。お二人でじっくりと相談されて、お召し物を選ばれているのではないだろうか。
眞子さまはブラック、佳子さまはホワイトを選ばれた
 昭和天皇の命日に当たる1月7日、皇居と、昭和天皇の武蔵野陵で「昭和天皇祭の儀」が行われた。皇居では、天皇陛下や秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が「皇霊殿の儀」に参列された。1月7日、昭和天皇の武蔵野陵を参拝された眞子さま コピーライトマーク時事通信社
 武蔵野陵では眞子さまが、「山陵に奉幣の儀」に臨まれた。黒のロングコートと参拝服をお召しの眞子さまは、ゆっくりとした足取りで参道を進まれ、墓前で深く拝礼された。凛とした、落ち着いた所作をなさっていた。伊勢神宮を参拝された佳子さま コピーライトマークJMPA
 一方の佳子さまは、オフホワイトのお召し物を選ばれていた。2015年3月に伊勢神宮を初めてお一人で参拝され、成年を迎えたことを報告された時のロングコートと、襟元の可憐なデザインがよく似ていた。同じ日にそれぞれの場所で、ご姉妹はブラックとホワイトのモノトーンコーディネートをなさっていたのだ。
「昭和天皇祭の儀」のため、皇居へ向かわれる天皇陛下と皇族方。佳子さまはオフホワイトのお召し物を選ばれていた(FNNプライムオンライン)
 昨年11月8日、「立皇嗣宣明の儀」に臨まれた眞子さまのホワイトドレスからは、柔らかい雰囲気とともに、粛然とした決意が感じられた。ウエスト部分の切り替えが、お祝い事の“水引”のようなデザインで、アクセントになっている。「立皇嗣宣明の儀」に臨まれる皇族方 コピーライトマーク時事通信社
 佳子さまは真紅のドレスを選ばれて、高い位置のウエスト部分にあしらわれたリボンや、レース素材などから、より華やかさを感じさせる。この時、ご姉妹の“紅白ドレス”を拝見して、眞子さまの装いから迷いのない潔さが感じられた。文書を公表される数日前のことだった。
眞子さまと佳子さまはお誕生日写真でコラボレーション
 そして何より、昨年眞子さまと佳子さまのお誕生日に際して公開されたご近影でのコラボレーションが強く印象に残っている。2020年、佳子さまお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供
 お二人とも、秋篠宮ご一家で撮影されたご近影とはまた違った、自然で柔らかなご表情を見せられ、さまざまなポーズで笑顔を浮かべられている。
佳子さまのミントコートのブランドは『けもなれ』で新垣結衣も…
 お召し物からもお二人のセンスとこだわりが伝わってきた。10月23日、眞子さま29歳のお誕生日に際したご近影ではペールトーンで、12月29日、佳子さま26歳のお誕生日に際したご近影では、グリーン系でお二人のお召し物を統一されていた。2020年、眞子さまお誕生日に際してのご近影。“自撮り”をなさる眞子さまと佳子さま 宮内庁提供佳子さまはミントグリーン、眞子さまはモスグリーンのコートをお召しに 宮内庁提供
 リンクコーディネートを取り入れられたぶん、ご姉妹の“違い”も現れていたように思う。眞子さまはオーソドックスなデザインをお好みのようで、一見してブランドが分かりづらいお召し物を選ばれている。佳子さまはトレンドのアイテムを積極的に取り入れられて、ご自身のファッションからメッセージを伝えようとされているかのようだ。佳子さまがお召しのレースのロングスカートは「Noela」のもの。スカートに使用されているのは「エコレザー」という素材だという 宮内庁提供
 たとえば、佳子さまがお召しになっていたレースのロングスカートは「Noela」というブランドのものだった。「Noela」のアイテムは都内ではLUMINEや、オンラインストアなどで買い求めることができ、「カジュアルになり過ぎない、スイートで女性らしいスタイル」(公式サイト)は佳子さまの雰囲気にぴったりだ。
 そして、ミントのVネックノーカラーコートは「UNITED TOKYO」のもののようだ。モードな佇まいのコートは、全体として装飾をそぎ落としたミニマルなデザインで、包み込むようなシルエットが美しく、特に襟元のシルエットが特徴的だ。装飾をそぎ落としたミニマルなデザイン 宮内庁提供
『獣になれない私たち』(2018年放送、日本テレビ系)では、新垣結衣が演じる30歳のEC企業勤務の営業アシスタント・深海晶が、「UNITED TOKYO」のベージュのVネックノーカラーコートやホワイトのケーブルニットなどを着こなしていた。深海晶は、「『常に笑顔』で『仕事は完璧』、誰からも好かれ、愛されている女。でもそれは、彼女の身を削る努力で成り立っている」(番組公式サイト)というキャラクターだった。
眞子さまの“等身大ファッション”はユニクロ花柄ワンピース
 ただ、眞子さまも等身大のファッションを楽しまれていて、小室圭さんとの“東横線デート”が目撃された時は、ペアリングとブレスレットを身につけられ、ブルーの鮮やかなユニクロの花柄ワンピースをお召しになっていた(「週刊女性」2016年11月1日号)。秋篠宮家では、ユニクロも愛用されているのだという。「週刊女性」(2016年11月1日号)

 佳子さまのお誕生日に際してのご近影で、お揃いのアップヘアにアレンジされていたお二人。こうして最近の眞子さまと佳子さまのお召し物を振り返ってみると、「お二人で一組」というイメージで拝見した時に調和がとれていたり、美しい色合いになったりする場面が多くあった。お揃いのアップヘアにアレンジされた眞子さまと佳子さま 宮内庁提供
 小室さんとの結婚を巡って長らく困難な状況に直面されている眞子さまのお気持ちに、最も寄り添おうとされているのは佳子さまなのではないだろうかと思えてくる。小室圭さん コピーライトマークJMPA
 眞子さまは、昨年公表された文書の結びに「今後の予定等については、今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況ですが、結婚に向けて、私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております」と記されている。眞子さまや小室さん側から、新たな発信はなされるのだろうか。多くの国民が心配しながら見守っている。


弟を看取った姉が「死は怖くない」と感じた理由

2021-02-01 08:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です


人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、いつの間にか死は「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと受け止め方がわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。
阿部みち子(仮名、75歳)は2020年2月、独身の弟・孝典(仮名、享年72歳)が終末期に入ったという連絡を、入院先から受けた。初めて喪主になる不安から、阿部は臨終での経験が豊富な看取り士に協力を依頼した。
看取り士とは、本人や家族の死への不安や恐怖をやわらげ、思い出を共有し、抱きしめて看取ることをうながす。一人暮らしでも、人の温もりの中で旅立つことを支える仕事の意義を、阿部が実感した軌跡をたどる。
「葬儀社も知らない私1人では何もできない」
「母親が約10年前に亡くなってから、弟とはほぼ付き合いはありませんでした。頑固な性格で、トラブルもいろいろありましたし……。でも、最期ぐらいは私ができる範囲でやってあげたい、そう思ったんです」
阿部さん5、6歳の頃の、家族写真。前列の左が阿部さん、後列左が弟さん。 前列の右が妹さん、後列右がお母さん(写真提供:阿部さん)
阿部は率直に明かした。弟は独身で、母親が亡くなってからも実家で一人暮らし。その後入居した老人施設で脳梗塞になり、入院していた。
阿部は、看取り士資格を持つ介護福祉士の友人のことを思い出した。友人の話を聞き、柴田久美子(一般社団法人日本看取り士会会長)の著書を読み、彼女は同法人の新宿研修所に連絡を入れた。
「葬儀社さえ知らない私1人では、今後何もできないので、誰かプロの方に手伝っていただきたかったんです。看取り士さんには看護師や介護福祉士の方が多く、相談もいろいろできるでしょうし、心強いと思いました」
新宿研修所代表の中屋敷妙子(59歳)(「88歳祖父の死に『おめでとう』と言う孫の真意」)も本業は介護福祉士で、看取り士資格を持つ。
以降、中屋敷は阿部のよき相談相手になる。葬儀形態の選択や、実家の遺品整理や売却、在宅介護に切り替える場合の受け入れ態勢づくりなどを、自身の経験に基づき、阿部と同じ目線に立って助言できたからだ。
阿部は、中屋敷から有償の看取り士とともに、入院中の弟に複数人で寄り添う無償のエンゼルチームのことを聞き、両方の派遣を依頼した。
「余命告知を受けたご本人のそばで、1回につき3時間ご本人に触れたり、お声がけなどをさせていただいたりするボランティアのチームです。看取り士資格がなくても登録できます。病院でも自宅でも、ご家族が付きっきりというわけにはいきませんから、代わりに寄り添わせていただきます」(中屋敷)
今回構成されたエンゼルチームは4人。くしくも全員が看取り士資格の保有者だった。その1人が高級老人ホームに勤務する、介護福祉士の若菜美千代(66歳)。若菜はこの2月に1度だけ孝典の病室で寄り添った。
「面識もない私が来たので、最初は孝典さんも警戒心を持たれているご様子でした。会話ができない状態だと事前にうかがっていましたから、私が一方的にお話しさせていただきました。自己紹介や季節の話題などですね」
孝典は「この人、誰?」といった当惑を見せたが、しだいに穏やかな表情になり、やがて若菜の話に聞き耳を立てるようになった。閉じていた目を少し開け、私の姿を確かめようとしているのがわかったと若菜は言う。
「1人じゃない」という安心感を手作りする
「孝典さんとの間のこわばった空気が、少しずつほぐれていきました。そこで初めて手に触れながら、話を続けました。3時間ずっと見つめられ、私のたわいのない話に耳を傾けながら、自分は1人じゃないんだという安心感を、多少おぼえていただけたように思います」(若菜)
当時の孝典は鼻から栄養剤を投与されていたが、摂取量はわずか。看護師も食事をとれない人のベッドにはあまり来ない。エンゼルチームは1人ひっそりと過ごす人にも、人肌の温もりと言葉を一定時間与える。
若菜は勤務先でも、終末期の入居者には勤務時間と関係なく寄り添ってきた。社会的地位の高い人でも食事がとれなくなったり、話せなくなったりすると、その人本来の穏やかな表情に戻られる様子を見てきたと話す。
彼女が看取り士の資格取得を決めたのは、看取りでの自分の引き出しを増やすためだ。看取り士養成講座では、人は自分でタイミングを決めて旅立つこと、だから死は悲しいことではなく、人生の卒業式めいた新たな旅立ちだと学べたと、色白な顔に柔和な笑い皺(じわ)を見せて話す。
「勤務先の若い人たちにも、『だからあまり悲しまなくていいのよ』と、自信をもって伝えられるようになりました」
2月末から3月3日までの4日間、エンゼルチームの4人が交代で病室に通った。孝典は来訪者に反応して目を開けて顔を動かしたり、笑顔を見せたりするようになった。結果、鼻から摂取する栄養量も増え、排泄状況も改善。危機を脱したので、阿部は看取り士との契約をいったん終了した。
「余命告知をされた当初、弟は意識もうつろで表情もなかったのに、皆さんに訪問していただく中で手足を動かし始めたりして、本当にビックリしました。一人暮らしが長かったから喜んでいたんだと思います」(阿部)
看護師の辰巳親子(ちかこ、52歳)が、孝典に初めて寄り添ったのは今年7月。コロナ禍での面会謝絶を経て、孝典に2度目の余命告知が行われていたからだ。病院長が看取り士さんを呼んであげてもいいよと、阿部に伝えてきた。エンゼルチームの面々が再び、合計6日間交代で通った。
「中屋敷さんから事前に、孝典さんが問いかけには瞬きで返してくださるとうかがっていました。ですから、『痰(たん)の吸引を看護師さんにお願いしましょうか? 必要なら私がお呼びしますから、瞬きしていただけますか?』などと質問をして、実際に吸引もしていただきました」
その後、孝典は呼吸も落ちつき、穏やかに過ごしていたという。
辰巳は勤務先の老人ホームでも、もう話せない入居者が、自分が声がけをすると、表情がパッと明るくなったりする経験があったという。
そこは看護師が常駐していて、終末期が近づくと家族とも話し合い、そのままホームで看取る選択もできた。家族に声がけや、手を握る程度に触れてもらえる看取りの実現に力を注いでいた。
「それでも、柴田会長が実践されている『抱きしめて看取る』という発想は、いっさいありませんでした。その分、インパクトは大きかったですね」
本人や家族にとっていい看取りとは何か。生真面目な探究心が、辰巳に看取り士養成講座で学んでみたいという気持ちをふくらませた。
辰巳の次の訪問は7月中旬。孝典危篤の連絡を受けた当日午後、病室に駆けつけると虫の息だった。すでに阿部夫妻がいた。呼吸が止まって医師の死亡確認が終わり、辰巳が看取り士として初めて向き合う番だった。
抱きしめて看取って感じた温かい気持ち
病院側は看取りのために2時間ほど、孝典の身繕いの措置を待っていてくれた。辰巳は中屋敷と交代でベッドに上がり、看取りの作法を始めた。
自身の右太ももに彼の頭をのせ、その肩や胸を手でさすりながら、相手の体の温もりを共有し、顔を近づけて深い呼吸を繰り返す。
「阿部さんご夫妻は、遠巻きに見ていらっしゃるご様子でした。『看取りの作法をされますか?』とお尋ねしましたが、私たちはできませんと言われたので、改めて『体に少し触れられますか?』とお尋ねすると、お姉様だけが脚に少し触れていただきました」(辰巳)
阿部の夫はそれを見守りながら、「義弟はワインが好きだった」とか、「でも、頑固な人だったな」と、とつとつとつぶやいていた。
辰巳は孝典の顔が作法の間に、当初より穏やかにゆるんだように見えて驚いたという。通常は死後硬直が始まり、筋肉も硬くなり始めるからだ。
「(抱きしめて看取ってみて)私自身もとても温かい気持ちになれて、これが養成講座で教わった、(亡くなられた方との)エネルギーの交流なのかと思いました。お腹が熱くなる人もいるらしいですけど、私はそこまでは感じられませんでしたね。でも、死に目に間に合わなくても大丈夫、という教えの意味は体感できました」
「正直、死ぬのも怖くないなって」
実は、辰巳には約25年前、大好きだった母方の祖母を看取ったときの後悔がある。まだ顔を見せない親族が死に目に間に合うようにと、医師は祖母に人工呼吸器をつけた。当時すでに看護師だった辰巳には、心臓を刺激する薬の投与と同様に、それは「善意」の措置だった。
しかし、家族の側から見ると呼吸器はどこか不自然で、祖母の尊厳を傷つけるものにも感じられ、辰巳には以降、言葉にしづらい違和感がずっと残っていた。その話を口にすると、彼女の両目は今も充血してしまう。
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「ですから心臓が止まったというだけで、こんなに温かい体をご家族に触れてもらうこともなく、霊安室に移したりするのはやっぱりおかしい。改めてそう実感できました」
一方、弟の脚に触れていた阿部も、不思議な温かさを感じていた。看取り士さんたちがとても丁寧に、そして親身になってくださっているのがわかったという。やはり健康で、その仕事にやりがいを感じている方々に看取られたから、弟も幸せに旅立てたんだと思います。身内でもあそこまでできませんよと阿部は言い、こう結んだ。
「看取りの様子を見させていただいて、正直、死ぬのも怖くないなって思いました。私も主人と2人暮らしで、いずれは老々介護で、誰かのお世話にならなきゃいけないわけですしね。それに一人暮らしの方が増えている今、弟のように人の温もりの中で旅立てる活動は大事なことですよ」