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「お父さんを殺して」4歳娘が背負った過酷人生

2021-03-12 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

「4歳のとき、お母さんから『お父さんを殺してきて』と言われ、子どもながらに殺そうとしました」
都内に住む女性から届いたメッセージは、こんなひやりとする一文で始まっていました。父から母へのDVを頻繁に見た幼少期のこと、父との別居後に母から受けた虐待や暴言、兄から受けた性被害のこと、中学校の途中から児童養護施設に入所したこと──。時系列でそれぞれ短く記されており、そこから彼女自身の感情は読み取れません。
コロナがやや収束気味に見えた11月の週末、寧音さん(仮名)と待ち合わせた喫茶店は、ほぼ満席でした。やってきたのは美容師さんのような雰囲気の、おしゃれな20代の女性です。席につくと「緊張する……」と言って、周囲を見まわします。筆者も若い頃はこじゃれた喫茶店に入ると毎回緊張したもので、懐かしいような気持ちになりました。
話し疲れたら無理しないでね、と伝えると、「自分の話というより、映画を見ているような感じなので大丈夫」と、笑って答えます。感情を切り離さずにいられないような経験を、たくさんしてきたのでしょう。寧音さんのこれまでの人生を、聞かせてもらいました。
階段から落ちて動けなくなった母親を無視する父親
小さいときは両親、兄と4人で暮らしていました。両親はしょっちゅうけんかをして、つかみ合いをしたり、怒鳴り合ったり。父親は子どもたちには優しかったのですが、母親にはひどいDV、モラハラを行っていました。
「一度、母が階段から落ちちゃったことがあって。母は父に落とされたというし、父は落としていないというし、いまだに真相はわからないんですけれど。母は骨が折れて動けなくなっちゃって、でも父は救急車も呼ばないし、私たちにも『何もするな』と言う。私たちを連れて外食に行って、母のことは無視、みたいな感じでした」
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仮にもしそれが父親のせいではなかったとしても、階段から落ちて動けない妻を放置して外食に行くという行為は、完全に常軌を逸しています。寧音さんは父親に隠れて、けがをして臥せっている母親にヨーグルトをもっていったりしましたが、「ばれたら私も父に何をされるかわからない」という恐怖を感じていました。
4歳のころには、こんなこともありました。ある朝起きて、キッチンに入ったところ、朝ごはんを作っていた母親から突然「ねえ、お父さん殺してきてちょうだい」と言われます。軽い口調でしたが、寧音さんは「ただならぬ空気」を感じ取り、そのまま父がいる部屋へ向かいました。「やらないと、(私が母に)やられる」と思ったのです。
「まだお父さんは寝ていたので、お父さんの口に布団や枕を押し当てて。全部の体重をかけて、息をとめようとしたんですが、子どもなので全然そんな力もなく。お父さんも途中で起きて、私がいたずらをしているんだと思ったようです。で、『何しているんだよ』みたいに軽く言ったんですけれど、私は大泣きして『ごめん、ごめん』って謝って。お父さんからしたらなんで泣いているのかも、なんで謝っているのかもわからなかったと思います」
台所に戻った寧音さんが「お父さん殺せなかった」と告げると、母親は「あ、そう」と答えたのみでした。以降、この件について母が口にすることはなかったといいます。
4歳の女の子が父親を殺すなど無理なことは、母親は百も承知だったはずです。でもそれを寧音さんが、どれほど本気で実行せねばと思いつめたか。寧音さん自身はこれも「自分のことじゃない感じ」がするといい、取り乱すことなく話を続けるのでした。
暴力は、弱い立場の寧音さんに連鎖した
小学校に入る少し前、両親はようやく別居します。寧音さんは母親と兄と3人で暮らし始めましたが、すると今度は、母親から子どもたちへの暴力や暴言、ネグレクトがひどくなっていきました。
「最初は母も(父と離れて)ほっとしたみたいで平和だったんですけれど、怒るときの度合いがだんだん、だんだんエスカレートしていって。殴る蹴るは当たり前だし、子どもが言うことを聞かないとか、思いどおりにならないとかになると、わーっと怒鳴りだしたり、ものを使って叩いたりして。もう、すごかったです」
まるで母親が以前、父から受けていたDVの再現です。別居前の母親は「いつも机に突っ伏して、怒るエネルギーすらない感じ」だったのですが、ようやく怒る気力が戻ってきたのでしょうか。でも、その怒りをぶつける相手が子どもであっていいはずはありません。
寧音さんはしかも、兄からも暴力をふるわれていました。兄も母から受けたような暴力を、自分よりも弱い寧音さんを相手に再現していたのです。さらに兄は小学校高学年になると、寝ている寧音さんの服を脱がせ、身体を触るようにもなっていました。
「私が7歳のときから4年間くらいずっと、ほぼ毎晩という感じでした。私が5年生のころに一度、母が現場を見ているんですけれど、そのとき1回怒っただけでは何も変わらなくて。母親はクレーマー体質だったので、それを利用じゃないですけど、役所に『こうなるのは、もっと広い部屋の(公営住宅の)抽選に当たらないからだ!』って怒鳴り込んで。私も連れていかれて、フロアに響き渡るくらいの大声で『この子が兄から性被害にあっている』と言われて、もう恥ずかしくて恥ずかしくて。とにかく早く帰りたかった」
役所も災難でしたが、寧音さんが受けた苦痛の比ではありません。
性被害が終わったのは、寧音さんが小6のときでした。母親に面と向かって兄の行為を伝えたところ、「母もさすがにヤバいと思ったのか」児童相談所に相談したため、寧音さんは一時保護所に、兄は児童養護施設に入ることになったのです。
施設から高校、大学に進学へ
3カ月後、寧音さんは一時保護所から家に帰りましたが、兄はそのまま施設から戻りませんでした。「ターゲットが減った」ため、母親から寧音さんへの暴力はよりエスカレートしましたが、逃げ場はありません。児童相談所の人との面談はありましたが、もし母の虐待を告げれば、また一時保護所に入れられてしまいます。それは寧音さんにとって、最も避けたいことでした。
「一時保護所が、私はすごく嫌だったので。先生とか職員の人とか、ものすごく怖かったんです。決まりも変に厳しいし、子ども同士もバチバチして告げ口をし合うし、学校にも全然通えない。私は学校が好きだったので、友達と会えないとか、そういうほうが嫌だったから、(母にされたことは)あまり具体的には言わなかったですね」
しかし結局、寧音さんは中学2年の途中から、児童養護施設に入ることになりました。母親が当時付き合っていた男性の家に行ったきり、家に帰らなくなってしまったのです。児童相談所の職員に、一時保護所には行きたくないこと、いまの中学に通い続けたいことを訴えたところ、しばらくは近所の里親家庭にいられたのですが、その後はどうしても、別の区にある児童養護施設に行かざるをえませんでした。ですが幸い、それは「とてもいい施設だった」といいます。
「最初のころは毎晩泣いて、『戻りたい、戻りたい』ってずっと言っていたんですけれど。転校した先の中学校では、ちょっといじめみたいなこともあったりして、本当になじめなくて。でも学年が変わってからは友達もできて、わりと楽しくやれるようになってきました。今も本当に感謝しているのが、施設の先生が教えるのもすごくうまくて。私、それまで理科や数学で0点とか2点とか取っていたんですけど、次のテストで70点くらいになったんです。それはすごい楽しかった。勉強楽しいじゃん、ってなりました」
それはおそらく教えていた先生たちも、寧音さんと同じかそれ以上にうれしかったことでしょう。その後も「職員さんたちみんなが、私に勉強させよう、させようとしてくれた」おかげで、寧音さんは高校を出た後に大学に進学します。そして奨学金を7つ使い、かつバイトをかけもちして、最後まで通ったのでした。
「いま思うと、あの時期に家を出られてよかったなって思います。もしあれより遅かったら高校にも行けてなかったかもしれない。あのタイミングが本当に、最後のチャンスだったのかもしれないなって」
母と暮らすストレスに拍車をかけたコロナ禍の生活
大学に入り、施設を出てからは一人暮らしを満喫してきた寧音さんですが、現在は再び母親と2人で暮らしているといいます。新卒で就職した会社は人間関係が悪く、転職した際に貯金がつきてしまったため、お金が貯まるまでの間、母のもとに身を寄せたのです。しかしやはり、母との生活は非常にストレスが大きいようです。
「暴力はなくなったんですけれど、母は自分のしてほしいことを私にさせたい。だからたとえば、私が電気を消し忘れると『電気はちゃんと消してください』という貼り紙をしたり、『私はこうしてあげているけれど、あなたの態度は何?』みたいな長文の手紙が、家に帰ってくるとベッドの上に置かれていたりする。私はそれで眠れなくなったり、帰ってきても貼り紙が怖くて玄関を開けられなくなったりして」
貼り紙や手紙──地味ながらも、じわじわと心を削られそうです。母親に何度も「やめてほしい」と伝え続けたところ、貼り紙はやっとなくなったそうですが、最近はコロナの影響で、またストレスが増しているといいます。
「リモートワークになって母といる時間が増えたときはしんどかったです。1時間に1度くらい部屋をノックされて、『今、何をしているの?』とか聞かれて、そのたびに『仕事だよ』と答えるのが、嫌になっちゃって。それに母が入っている宗教への勧誘もしつこいし」
早く母親と離れたほうがよさそうですが、お金が貯まるまでは、もうしばらく辛抱しなければならなそうです。今後は、友達とシェアハウスで暮らすことも考えているといいます。
ただ幸いなことに、寧音さんにはつらいとき何でも話せる相手が、何人かいるといいます。友達や彼氏、施設の元職員さんが、寧音さんの話をいつも聞いてくれるのです。
「本当にちょくちょく、その友達とかに話を聞いてもらって、『これ(母が)おかしいよね? 私、これ断っていいんだよね?』とか確認する作業をしています。『それはお母さんがおかしいよ、全然断っていいよ』みたいなことを言ってもらいながら、やっとここまで来た感じ。もしそういう支えになってくれる人たちがいなかったら、母に押し切られて宗教に入っちゃったりしたかもしれないなって」
おかしいのは寧音さんでなく母親だということは、他人が見れば一目瞭然ですが、家族の中だとわからなくなりがちです。信頼できる人に客観視してもらうのは、とても必要なことでしょう。
自分を認めながら、広い世界へ向かっていく
「私、親から『産まなければよかった』とか言われたことがあるんです。そのときは、言われている自分を上から見ているような感覚で、何も感じなかった。それほどつらかったのだと思います。でも今は、生まれてこなければよかったとは全然思わないんです。
もちろん私の過去のつらい体験は、絶対にないほうがよかったんですけれど、でもそれがあって今ここにいる、みたいな。私の場合、母は自分がしてきたことを何一つ覚えていないので、私が言わないと、全部なかったことになってしまう。それが嫌で、こうして人に話したい気持ちもあるんだと思います」
寧音さんは今でも、昔母親から受けた暴言や暴力を夢に見るといいます。過去を語ることで彼女は、自分を否定せずに認めながら、より広い世界へ向かおうとしているのかもしれません。
最近はコロナのせいで「いつも会えていた友達とあまり会えなくなったりして、落ち込んでしまう」と話していた寧音さん。彼女のような若い子たちが、友達と気軽に話せる状況が戻ってくるよう、せめてコロナが早く収束することを願います。


【緩和ケアの医師が伝える】 患者自身が求めなければ助けは受けられない現実があるから、知っておいてほしいこと

2021-03-12 13:30:00 | 日記

下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実さんが、飯塚病院 連携医療・緩和ケア科部長で緩和ケア医の柏木秀行先生に、患者さんの人生に関わる緩和ケア医としての思いについてうかがったお話をお届けします。(この対談は2019年11月に行われたものです)
「過ごしたい場所で過ごす」
という選択肢を届ける
後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師
BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター
看取りコミュニケーター
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。
撮影:松島和彦
後閑愛実さん(以下、後閑):柏木先生とは緩和医療学会に参加したときに知り合ったんですよね。ほかにも緩和医療学会で何人もの緩和ケア医の先生にお会いしましたが、緩和ケア医の先生は、優しくて人間性高いというか、話しやすい先生が多いですね。
柏木秀行先生(以下、柏木):まぁ、いろんな人がいますよ。ただ「多様性に寛容であること」が緩和ケアの分野ではすごく大事なんです。いろんな価値観に対して批判したり評価したりするような態度でなくて、「そういう価値観もありますよね」という。
後閑:柏木先生は、どうして緩和ケア医になろうと思われたんですか?
柏木:いくつかあるんですけど、「緩和ケアをやりたい」というより、「過ごしたい場所で過ごせる地域づくりがしたい」。そのためにどうしたらいいかという手段が緩和ケア医になることだったという話です。
後閑:過ごしたい場所で過ごすためにできること。なるほど、その問題点については、地域に受け皿を作るとか、病院がどうなればいいとか、そういうことももちろんあるけれど、家族も結構関係したりしていませんか。
柏木:日本の場合、研究でも在宅に移行できない要因で一番多いのが、家族の介護力ですからね。家族の状況をアセスメントして、可能なサポートとか、少なくとも「過ごしたい場所で過ごす」が選択肢としてあるということを考えるのは大事だと思います。
究極は、患者と家族の問題
後閑:先日、あるがん患者さんが、「自分はがんでそんなに時間が残されてないとわかってる、だからこれからこうしていきたい、こういう準備をしておきたい、という話を家族としようとすると家族に逃げられてしまう」と言っていたんです。これからのことを話したいのに家族が聞いてくれない、だから孤独を感じると。それを聞いていたまわりのがん患者さんが、うちもうちも、といった感じで。
柏木:そういうことはよくあります。僕なりの解釈ですが、家族自身もつらいんだと思うんですよね、家族ケアをすることがまず最初だと思うんです。
ぼくはあまり患者さんをかわいそうだと感じることはないんですが、ぼくが唯一、これはかわいそうだなと思うのが、本人は自分の状況に向き合うし、向き合う力があるのに、そのことを誰も信じてくれない、特に家族が。「いやいや、本人はもう家に帰るのは無理なので」と家族が言うから「本人と話し合ったんですか」と聞いたら、「いや、話し合ってはいないけれどわかるんです」という感じ。多くの患者さんは僕よりも年上で、何十年も過ごされてきた方を赤ちゃんのように扱うようなシーンだけはかわいそうに思ってしまいます。
そういうときは、ワントライはします。「本人がどう感じられているかが大事だから、やっぱり聞いたほうがいいと僕は思いますがいかがですか」「怖いですよね、でもご家族だけで話をしてほしいというわけではなく、ご本人と話し合う時に僕らも参加して一緒に聞けたらいいなと思いますがどうですか」とか。
この辺りというのは、家族自身のつらい状況に対する対処方法や、何十年単位の人間関係だったりもするので、たとえば1週間で亡くなるような状況で、その1週間で全部リカバリーできるかと言ったら医療者に全部ができるわけではないけれど、「1回はトライしてみる」を僕のルールにしています。
柏木秀行(かしわぎ ひでゆき)
飯塚病院 連携医療・緩和ケア科部長・地域包括ケア推進本部副本部長・筑豊地区介護予防支援センター長
1981年生まれ。2007年筑波大医学専門学群を卒後、飯塚病院にて初期研修修了。同院総合診療科を経て、現在は連携医療・緩和ケア科部長として研修医教育、診療、部門の運営に携わる。グロービス経営大学院修了。
後閑:いま入院中のがんの患者さんが「おれは死ぬのか」って家族に言ったんです。そうしたら家族が看護師に「本人に弱気になるようなことを言ったんですか」と怒ってきたんです。「本人がおれは死ぬのかなんて弱気になっているから、そんなこと言わないでって私が否定しておきました。もう弱気になるようなことは言わないでください」と言うんです。正直、患者さんをかわいそうに思ってしまいました。こちらももちろん「もう死ぬよ」なんて言ってはいないんですが、明らかに時間はもうないんです。弱っていく一方だから、本人もわかっているんです。本人は弱音を医療者には言わない。ようやく家族に本音を言えたんだと思うんですけれど、その家族に否定されてしまい、つらいだろうな。
柏木:ぼく社会福祉士の資格を取ったんですが、対人援助のスキルを勉強した時に、支援のあり方を集中的にインプットした時期があって、今の話を聞いて思い出しました。人を支援するってどうするかというトレーニングを医療者自身も受けているわけではないし、家族はなおさらですから、「自分がつらくないように」を優先するんです。
おそらく、自分は死ぬのだろうかと家族に聞いた患者さんも、家族でなければ聞けないなんらかの心情があったのだと思うんです。それに対して、励まさなきゃいけない、ポジティブにしないと病気が悪くなる、あとはその話題に触れたくないから閉じ込めておきたい、とかね。ですが、支援の本質ではないような対応しかできないというのが家族の状況なのでしょう。
「自分の人生を自分で考えられる力」を磨く
柏木:ヘルスリテラシーの話なんですが、緩和ケアに限らず、どういう医療がいいかというのは、結局は医療受益者が何を求めるかによって決まるんです。究極的には患者さんと家族の問題ですから。だからヘルスリテラシーを向上するにはどうすればいいか、なんていうことはよく考えます。
後閑:「ヘルスリテラシー」について、わかりやすく言うと?
柏木:ヘルスリテラシーは、健康面での適切な意思決定に必要な基本的健康情報やサービスを調べて、それを得られて、理解して、効果的に利用できる個人能力。たとえば健康問題とか、人生の最終段階に対して自分で考えられる力。
ぼくらなりにACPがどうとか、この人の価値観はどうかとか考えたり努力したりするじゃないですか。でも、「本来はあなた自身のことだから、自分で事前に考えるべきことだけど、あなたにはできないでしょ。だから我々(医療者)が色々な工夫をしているので従ってください」というような構図に感じてしまう時があります。つまり、今はあまり共同作業的な感じがしないんです。患者さん自身にも「自分はこういうことが大事です」「こういう医療支援を求めています」ということを考えられる能力を向上させることへの意識を高めてほしいですし、我々の支援の方向性も変えていかないといけないかなと感じます。
後閑:どちらかに任せっきりになるのではなく、医療者と患者さんや家族と一緒になって考えていかないといけないですよね。
柏木:ぼくらはそこをアセスメントするんですよ。ヘルスリテラシーの程度とか、伝える情報量だったり伝え方だったり、考えるんだけど、一方で「自分のことなんだから自分で対処できるように能力を磨く」っていう発想自体ないじゃないですか。我々も含めて。だからそこはぜひ取り組めたらなって思いますね。
知識があって行動できる人でないと支援は得られない
後閑:一緒に働いていた看護師が、お母さんが末期のがんでそんなに時間がないとなったときに、3ヵ月取れる介護休業制度を使って、自宅で介護して看取ったんです。当初は余命1ヵ月くらいだろうと思っていたらしいんですね。だから最後は家で看取ろうと。1ヵ月くらいは一緒に過ごし、多少前後することを想定して、その後の葬儀なども含めても3ヵ月もあれば十分だろうと思っていたんです。周りも「わかった、あとのことは任せて」と送り出したんですが、結局1週間で亡くなられてしまい、葬儀などを済ませて1ヵ月で戻ってきました。けれど、「最後の一週間だったけど、一緒にいられてよかった」と言っていて、「仕事がんばりなさいっていつも言っていたから、早く仕事をしてほしくて予想より早く逝ったのかもね」という話をされていました。大切な人だからこそ、時間の長さではなく使い方にこだわってほしいし、そういう制度もあるんだから活用できたらいいなと思います。
柏木:そうですね。いくつかハードルはあって、そもそも制度自体知らなかったり、制度は知っているけれど職場の雰囲気が許さない、また、制度も職場としても活用できるんだけれど、みんなに迷惑をかけるんじゃないかとそれを活用する自分に葛藤がある。よく聞く、ありがちな理由ですね。
何を大事にするかは人それぞれでよく、制度を活用しても活用しなくてもいいけれど、そういう本人が活用できる制度を知らされないというのは権利擁護の観点からよくないと思うんです。だから、職場に対して調整しやすくなるような見通しをお伝えするとかいう、情報提供をしなくていいのかなとか思うことがあります。
後閑:進行がんなら障害年金もらえるとか、そういうことも知らないと、知らないままで終わってしまったりしますよね。
介護保険も40歳過ぎたら勝手にお金は引かれるのに、介護が必要になっても申請しないと制度は使えないですよね。知らないことが悪い、知らない人が損をするというのではなく、自分が知らなくても知っている人が助けてくれるとは思うんです。けれど「助けて」と言わないと助けてはもらえません。
柏木:今の日本のヘルスケアのシステムだと、「知識があって行動できる人じゃないと支援が得られない」というのを医療者はもっと知ってたほうがいいと思います。社会保障制度の中で自分が積み立てているんだから、自分が本当に必要な時に介護サービスを受けるというのは権利の話なので。その権利がちゃんと守られているのかというのをアセスメントするのも専門職の役割だと思います。アセスメントして、「それってもしかしたら活用できる社会保障制度があるかもしれないから、もうちょっと詳しい人に相談しませんか」と言うだけでいいですから。
後閑:確かに自分だけで全部なんとかしようとするんじゃなくて、「それだったらそこに相談するといいよ」とつないでもいいですよね。
柏木:自分のほうから「相談してみていいですか」と聞いてもいいと思います。
一人で立っていることを周りは望んでいない
柏木:ご家族には「本人本位の支援を大事にしてほしい」と思うんです。どうしてもご家族もつらいから自分のつらさを優先してしまうのもわかるんですが、「本人本位で患者中心の医療を提供しようと思ったら、ご家族の協力も必要なんです」と伝えたいっていうのが一番。医療者自身が本人本位でないことも多いのですが、家族が本人本位の支援を阻害する構図もよくあるので、そこを理解してもらいたいなと思いますね。
後閑:患者さんのよき理解者になってあげてほしいですね。つらさを理解してくれる人がいるだけで、本人にとって希望になったり救いになったりするから。
柏木:がん患者さんやその家族だけに対するメッセージではないですけれど、僕は結構大事だと思うのは、自立してるっていうのは依存先がたくさんあることだと思うんです。迷惑をかけたくないとかそういう精神的なつらさは当然なんですが、無理して一人で立ってることを周りもそんなに望んでなかったりするというのは知っていてほしいなと思いますね。
後閑:もっと助けてって言ってほしいし、そうしたら周りも行動しやすいですもんね。
柏木:できないことはできないと誠実に言いますからね。依存先、頼れる先があるということが、自分自身が自分らしく生きるために必要なので、そこを覚えておいてほしいと思います。
まとめ
・「過ごしたい場所で過ごす」という選択を選べるように、家族と話すことを避けない
・「自分の人生を自分で考えられる力」を磨き、どう自分の人生を締め括るかを考えておくこと


秋篠宮家の眞子さまは一時金1億5000万円では生活できない

2021-03-12 11:00:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です


秋篠宮家の眞子さま(29)が小室圭さん(29)と結婚した場合、一時金として推定約1億5000万円が支給される。税金からの支給なので、週刊誌やネットニュースではケシカラン論が圧倒的だ。

 しかし、冷静に考えてみれば、皇籍を離脱する眞子さまがこの1億5000万円で長い人生を生活していくことは難しいことがわかる。

 16年前、都庁職員と結婚した黒田清子さんの場合、一時金は1億5250万円だった。だが、それだけではなかった。

 当時は天皇家の財布である御手元金から融通できるお金も多少はあったはずだから、おそらく当時の両陛下(現・上皇、現・上皇后)から、一時金以外にもいくばくかの「持参金」のようなものを渡された可能性はあるといわれている。

 ところが、皇太子でもなかった秋篠宮家には、おそらく十分に貯蓄できるような余裕はなかったはずだから、眞子さまが結婚したとしても、相応の持参金を持たせることは難しいだろう。とすると、眞子さまが皇籍を離れたら、1億5000万円で生活していくしかないことになる。

■月々わずか25万円

 そこで人生80年として、1億5000万円を残り50年で割ってみると、月に約25万円だ。とてもじゃないが、ぜいたくできる金額ではない。

 まして、一時金の性格は「皇族であった者としての品位保持」。つまり皇族にはお付き合いから衣装まで、われわれ庶民には想像ができない金額が必要になってくる。ユニクロでは通らないのである。それなのに、この月々25万円の金額で、元皇族としての品位を保てなんて、ほとんど不可能というしかない。

 さらに、眞子さまは結婚しても、いずれ「天皇の娘」「天皇の姉」になられる方である。当然、宮中行事などがあれば必ずお招きされるはずだから、お住まいはセキュリティーが堅固で、人目につかずに車に乗れることが条件になるはずだ。黒田清子さんのように、地下に「車寄せ」があればベストだが、そうなると都心ではおそらく1億円以上はする新居が必要となってくる。その新居代はどうするのか。

 小室さんは、今年の5月まで米国留学を続け、7月にニューヨーク州の司法試験を受ける予定だそうだが、かならずしも合格するとは限らず、仮に合格してもすぐに高収入は無理だろう。

 となると、新居代の1億円は一時金で支払うしかないが、1億円払えば、残り5000万円。仮に小室さんが高収入を得られるまで10年かかるとして、この間を5000万円で暮らすとすれば月40万円ほど。普通の主婦ならともかく、元内親王ではこれも難しい話だ。

 もちろん、小室さんがうまく高給取りの弁護士になればいいが、そうでなければ全く違った悲劇的な展開になってくるだろう。

 それだけにマスコミの役割は、「眞子さまは一時金を辞退しろ」などと騒ぐ前に、眞子さまの結婚の意志が固い以上、小室さんが早く高給を得られるように応援するしかないのかもしれない。それが現実的な問題だ。


老化を進める“4悪”とは…すべて揃えばリスク81倍

2021-03-12 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

人体の隅々まで張り巡らされている「血管」も、加齢とともに老化が進行していく。それが「動脈硬化」で、心筋梗塞や脳卒中などの重篤な病気を引き起こす。国際血管健康学会(ISVH)理事で「信濃坂クリニック」(東京都新宿区)の高沢謙二院長(東京医科大学名誉教授)が言う。

「血管の老化を進める重要な危険因子は、『高血圧』『糖尿病』『脂質異常症』の生活習慣病と、『喫煙』の4悪です。このうち1つあれば心筋梗塞や脳梗塞の危険度が3倍高まります。そして、この4悪は互いに悪い影響を及ぼし合うので、2つ重なれば3×3で9倍、3つなら27倍、4つなら81倍に高まると思ってください。逆にいえば、この危険因子を1つでも減らせば、危険度を3分の1にすることができるのです」

 生活習慣病にならない毎日の生活の仕方、すでになっていてもその病気を管理・コントロールすることが動脈硬化を進行させない重要なポイントになる。そして、4悪の中でも最も患者数が多いのが高血圧だ。血圧管理のために、ぜひすぐに始めるべきなのは毎日家庭で血圧を測ること。血糖値やコレステロール、中性脂肪などの数値は血液検査でしか分からないので、年1回の健診が大切になる。しかし、血圧だけは電子式の自動血圧計があれば、家庭で定期的に測れるので管理しやすい。

日本高血圧学会のガイドラインでも2014年以降は、診察室血圧と家庭血圧に差が出た時には、家庭血圧を採用して診断・治療に当たるとして重要視している。病院で測る診察室血圧は、緊張して血圧が高めに出てしまうからだ。

 血圧の基準値は、診察室血圧が「収縮期血圧(上)140㎜Hg/拡張期血圧(下)90㎜Hg」、家庭血圧が「上135㎜Hg/下85㎜Hg」。上下の血圧のいずれかがこの数値を超えると高血圧と診断される。

 家庭血圧計はいろいろな種類があるが、上腕の部分で測定するタイプであれば、ほぼ正確に測ることができる。手首や指で測るタイプは、人によって正確な数値が出ないことがあるという。

「ガイドラインでは、家庭血圧は起床時と就寝時の1日2回測ることを勧めていますが、1日1回、朝起きた時に測ればいいでしょう。また、1機会に2回測って、その平均を記録することを推奨していますが、より安静が保てて低い数値が出る傾向のある2回目を採用すればいいと思います。測定に慣れてきたら1回測って、前日と変わらなければ1日1回でもかまいません。あまり厳密にやろうとすると、かえってストレスになり、血圧を上昇させてしまいます。そして、注目するのは上の数値です。135を超えていなければ、まずは安心です」

 上の基準値が超えているならば、塩分を控えた食生活や肥満を解消する運動習慣などが必要になる。日本の成人男性の1日の塩分摂取量は平均11グラムとされている。血圧が高ければ、とりあえず塩分摂取量を1ケタ(9グラム)に抑えることを目標にした方がいいという。

 また血圧の数値から動脈硬化の程度を算出することもできる。それが太い血管の動脈硬化の度合いを示す「脈圧」と、細い血管の動脈硬化の度合いを示す「平均血圧」だ。脈圧の計算式は「上の血圧―下の血圧」。たとえば上120で下80であれば「40」となる。脈圧が50以上だと要注意、60以上ではかなり危険な状態という。

■下の血圧だけ降下は発症が近い

「よく患者同士で『上の血圧は高いままだが、下の血圧は下がってきたので、とりあえず安心』と喜んでいる会話が聞かれますが、それは大きな間違いで危険です。動脈硬化が進行して脈圧が増大すると、その分だけ下の血圧が下がっていくのです。喜ぶどころか、突然、心筋梗塞や脳卒中を起こす状態なのです」

上の血圧が同時に下がってきたり、正常範囲であれば下の血圧が下がっても問題ない。つまり、下の血圧が正常かどうかは上の血圧で決まるのだ。また脈圧が40だとしても、上150、下110のような上下両方が基準値を超えていたら、危険な状態であることには変わりはない。

 平均血圧の計算式は「下の血圧」+「(上の血圧―下の血圧)÷3」。たとえば上の血圧が120で、下の血圧が80だった場合には、平均血圧は「93」になる。末梢血管の動脈硬化の程度を示す平均血圧は、脈圧よりも早く上昇し、100を超えると要注意という。


高血圧症で気をつけるべき塩分・野菜・運動


血圧が高いと血管壁を傷つけ、動脈硬化を進行させる。高血圧の人には「減塩」が勧められている。それには2つの理由がある。塩分を多く取って血液中にナトリウムが増えると、レニンやアンジオテンシンなどの血圧を上昇させるホルモンの分泌が高まる。それと血液中に増えたナトリウムを薄めようとして、血液中に水分が引き込まれて血液量が増え、それを押し出すために血圧が上昇するからだ。

 1日の食塩の摂取目標は、高血圧および慢性腎臓病の重症化予防を目的とした量として、厚労省の「日本人の食事摂取基準(2020年版)」では「6グラム未満」としている。日本高血圧学会が推奨する量も同じだ。しかし、実際にどれだけ食塩を取っているか分からない。また、血管に良いとされる栄養素や食品はたくさんあるが、それをいちいち意識して食べるのも面倒だ。何かいい食事方法はないのか。国際血管健康学会(ISVH)理事で「信濃坂クリニック」(東京都新宿区)の高沢謙二院長(東京医科大学名誉教授)が言う。

「血管を若返らせる食事のコツは『野菜優先・野菜中心食』です。厚労省が推奨する1日の野菜摂取量は350グラムですが、お椀に盛ると2杯分くらいになります。その量を毎食に分けて、食事の最初に食べるのです。『野菜を、先に、いっぱい食べる』が合言葉です。この食事法を毎日続けていれば、血圧だけでなく血糖、コレステロールなど、血管を傷める危険因子のすべての数値が下がります」

 野菜を先に食べると、お腹がすいているのでドレッシングを多くかけたり、濃い味にしなくてもおいしくたくさん食べることができる。また、野菜にはナトリウムの排出を促してくれるカリウムが豊富に含まれている。

 食後血糖値の急上昇は血管を傷つけるが、野菜を先に食べれば食物繊維が糖質の吸収を遅らせるので、血糖値の上昇が緩やかになる。それに血液中のコレステロールの8割は肝臓で作られ、摂取カロリーが多いと上昇する。野菜を先にいっぱい食べれば、食事全体の摂取カロリーが抑えられるわけだ。

 血管を若返らせるには、小まめに体を動かすことも良い。全身の血流が良くなれば、血管への負担も減るからだ。しかし、嫌々「運動しなければ」とストレスに感じるようなら、かえって良くない。そこで高沢院長が考案したのが、自宅で簡単にできる「血管若返り体操」。3種類のポーズがあり、毎日朝晩2回、各1セットずつ行うといい。

■基本のポーズ

①体の力を抜いて、自然に立つ。両足の幅は、かかとを上げやすい間隔にする。②両足のかかとを同時に上げ下げする。これを1セットとして10回行う。

■いばったポーズ

①体の前で腕を組む。腕は体についてもOK。②基本ポーズ(かかとの上げ下げ)と同時に、両肩を上げ下げする。これを1セット10回行う。

①両手を体の横に開いて置き、両肘を後ろに引く。手のひらを前方に向ける。②基本ポーズ(かかとの上げ下げ)と一緒に両肩を上げ下げする。これを1セット10回行う。

「ふくらはぎは第2の心臓といわれます。『基本ポーズ』は、そのふくらはぎの筋肉の収縮によるポンプ作用で下半身の血流をアップさせます。『いばったポーズ』はお腹と胸の血流をアップさせます。腕ではなく、肩を上げ下げするように意識してください。『こまったポーズ』は、背中の血流をアップさせます。これも肩を上げ下げするように意識してください。この3つの体操を行うことで全身の血流循環が良くなり、血管をほぐすストレッチになるのです」

 血管を守る最大のポイントは、血管の中が脱水にならないようにすること。心筋梗塞や脳梗塞などの血管事故を防ぐのに最も大切になる。喉が渇きを感じたときは、すぐに水分を補給。減塩が高血圧予防に大切なことを述べたが、これから夏に向かって注意して欲しいことがある。

「炎天下のゴルフで大量に汗をかいたら必ず塩分も一緒に取ってください。塩分のない飲料で水だけ補給をしていると、汗で塩分が失われていくのと同時に血液が薄まります。血液の濃度が低下すると、脳は十分に水分があると勘違いして、喉の渇きが起こらなくなってしまいます。そのため熱中症で倒れてしまう人が多いのです」

「喉が渇いたら水を飲め、汗をかいたら塩も取れ」を肝に銘じておこう。