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「無職の息子」が介護するフリして「母の年金」で生活し始めた…そのヤバい末路

2021-03-16 15:30:00 | 日記

下記の記事は現代ビジネス講談社からの借用(コピー)です

親が老いて支援や介護が必要になってきたとき、きょうだいのことで悩む人が少なくありません。
きょうだいと言っても、独立して離れて暮らすようになってから何十年も経過し、価値観や考え方が変わっているのは当たり前。経済状況も家族構成もまったく違います。今回、紹介する首都圏在住のコウスケさん(仮名、50代)も親の介護ときょうだいのことで悩んでいました。
弟は「母親の年金」で生活をはじめた…
コウスケさんの母親(80代)は関西地方の実家で暮らしています。父親は二年半前に病気で他界。そのタイミングで、三歳年下の弟が「心配だから」と実家に戻りました。
母親がひとりで暮らすよりは、弟が一緒のほうが安心だとの思いから、コウスケさんは弟が実家に戻ることに口をはさみませんでした。
介護すると言ったウラで…
ただし弟は独身です。大卒で就職した勤務先が倒産して以来、職を転々としました。
「弟は飲食の仕事に就いており正月は仕事があって休めません。僕らは帰省のタイミングがあわなかったため、しばらく疎遠になっていました。父の葬儀で久しぶりに会いましたが、独身でフリーターだし、かえって弟のことが心配になりました」とコウスケさんは話します。
弟は実家に戻った当初こそ、仕事をみつけて働いていましたが、3か月ほどで辞めてしまいました。一度コウスケさんが電話を掛けると「お袋が弱っているので介護をしなきゃいけないから」と言いました。
ところが、です。
しばらくして母親からは「あの子が仕事をしない。年金を全部とられる」と電話がかかってきました。介護どころか、弟の食事まで母親が準備をしていたのです。
コウスケさんは帰省し、弟に対して「仕事を探せ。お袋の年金で生活するっていうのは、おかしいだろ」と注意しました。すると、弟は怒りだし、コウスケさんに対して「帰れ」と叫び出したそうです。
最初、とりなしていた母親も、「今日は、帰って」と言いました。わざわざ新幹線で行ったのに、母親は弟の言いなり。しかし、どうしようもなく、コウスケさんは少し様子を見ることにしたのです。
歩くこともままならなくなった母親
三か月後、コウスケさんが実家を訪れたところ、母親は床に臥せ、やつれたように見えました。やせたようにも見えます。家のなかは散らかったまま。キッチンにはコンビニ弁当の入れ物や、カップ麺、パンの袋が散乱していました。
家はちらかり… 
母親はコウスケさんにお茶を入れようと立ち上がりましたが、よろよろしており、慌ててコウスケさんが体を支えました。
コウスケさんは弟と話そうとしましたが、声を掛けても、返事はなし。弟は自分の部屋に閉じこもったままでした。
「母親は、そんな状況でも、弟のことをかばうんですよ。『あの子も、色々大変だから』と。このままでは母親はどんどん具合が悪くなってしまう。いったいどうすればいいんでしょう」とコウスケさんは頭を抱えるのでした。
暴力への「恐怖」
コウスケさんの母親のように、家庭内で起きている家族の問題を隠そうとする親は少なくありません。理由は様々です。
たとえば、この子がきちんとしないのは、親である自分の責任、というあきらめの気持ち。また、一緒に暮らしている以上、どうしようもなくなったら手を貸してくれるに違いないという希望的観測(頼りにしている)。
また、息子が悪いわけでなく、悪いのは具合が悪い自分だと考えることもあります。
また二人で暮らしているので、相手の機嫌を伺うようになります。ピリピリした空気の中では過ごしたくないという気持ちに加え、関係が悪化すると、逆らうと、暴力を振るわれるのではないかという恐怖心も出てきます。
ことを荒立てると、ご近所にトラブルが伝わり、やがて周囲から子どもが責め立てられるのではないかという不安。また、同時に仕事もせずに、ブラブラしている子を他人に見られるのは恥ずかしいという気持ち。
このような不安が母親の胸には交差しているものなのです。
しかし、隠そうとするほど、物事は悪化していきます。
無職の40代次男が老母を「虐待」の大ピンチに、長男の「意外すぎる行動」
私は90年代から介護の現場を取材し、そのリアルな現実や有益な情報を執筆や講演、NPO活動を通して紹介しています。
そうした中で、親の介護をめぐってきょうだいが悩みの種になるというケースは少なくありません。
今回、紹介する首都圏在住のコウスケさん(仮名、50代)も親の介護ときょうだいのことで悩む一人です。
関西に一人で住む母親が「心配だから」と、独身の弟が実家に戻って一緒に生活をし始めたのですが……。やがて弟は仕事もせず、母親の年金を使って生活をすようになって……。
しかし、それをとがめても母親も弟をかばおうとするので、コウスケさんは頭を抱えているのです。
母の年金が使われて…
高齢者虐待1万7000件という現実
そもそも必要なケアをせず、母親の心身の具合が悪くなれば、それはネグレクト(介護放棄)という高齢者虐待の一種だと考えられます。
厚生労働省の調査によると、家庭内での高齢者虐待は令和元年で約1万7000件に上っています。中には、高齢者が命を落とした案件もありました。
介護放棄が生じる家庭は、虐待を行う者と受ける者の2人暮らしのことがほとんど。虐待を行うのは「息子」が約4割と最も多く、次いで「夫」となっています。互いに負担を感じる介護の現場では、2人きりの生活は息苦しいものなのかもしれません。
筆者は相談先として、コウスケさんに地域包括支援センターを提示しました。「よくある話で、恥ずかしいことではない。包み隠さず気がかりなことは全部話して相談した方がいいですよ」と声をかけました。
地域のサービスを軽視してはいけない
その後、コウスケさんは母親の暮らす地元の地域包括支援センターで状況を説明、相談したそうです。
母親は介護保険の認定を受け、要介護1となりました。「小規模多機能居宅介護」というサービスを利用することになりました。「通所介護」を中心として、希望に応じて、「訪問介護」や「宿泊介護」のサービスを組み合わせて利用できるサービスです。母親は毎日のように通うようになり、表情が明るくなったそうです。
「弟が難癖をつけないかと恐れていたのですが、とんとん拍子で介護保険の認定がおりたし、支援センターの職員さんも、ケアマネさんも熱心に母を見てくれているので、弟は口を挟む余地がなかったようです」
家族関係が壊れる前に
コウスケさんは母親が宿泊介護を受ける日に、帰省して弟と酒を飲みながら話したそうです。
「弟は『介護保険って、使えるね。お袋が毎日のように出て行ってくれるから助かるよ』と言っていました。どの口が言ってんだと思いましたが、弟もどうしていいか分からなかったんですね。母親の心配がなくなり、弟も仕事をはじめることができました」
コウスケさんは安堵の表情を浮かべていました。
親の介護が始まると、疎遠になっているきょうだいとも向き合う必要がでてきます。それが結構大変で、「こんなことなら、一人っ子の方がまし」という声をしばしば聞きますが、愚痴ったところでどうしようもありません。
親にサポートが必要になったり、同居家族との雲行きが悪い様子を察知したりしたら、なるべく早い段階で、地域包括支援センターに相談しましょう。
ホームヘルプサービスやデイサービス、場合によっては施設入居で(仲が悪くなっている家族を)分離することも含め一緒に対応を考えてくれるでしょう。
家族だけで抱え込まず、専門職に関わってもらうことで、一気には難しくても少しずつ課題は解決の方向に向かうはずです。


リアル進撃の巨人 「郊外団地ウォール」の中で暮らす高齢者の現実

2021-03-16 13:30:00 | 日記

下記の記事は日経ビジネスオンラインからの借用(コピー)です

「分断? 言われてみればそんな感じかな。団地内には買い物以外、団地の外に行かない人もいれば、コロナ禍で引きこもっている人もいる」。東京都清瀬市の旭が丘団地で暮らすB氏(76)は話す。
 旭が丘団地は日本住宅公団(現UR都市機構)が建設し、1967年に入居が開始された大型郊外団地。東西800メートル以上にわたり40以上の棟が並ぶ高度経済成長期の団地の典型で、カンヌ国際映画祭に出品された是枝裕和監督の映画『海よりもまだ深く』の舞台になったことでも知られる。
 そんな旭が丘団地にB氏が入居したのは約45年前。「当時はみんな子育て世帯で、それはもうにぎやかだった」。しかし今、その面影はない。
 取材班が現地を訪れたのは、8月も終わりを迎える日曜の午後。高齢化でいわゆる「昭和の郊外団地」が活気を失いつつあることは、かねて認識していた。いざ足を運ぶと、団地全体がまるで眠っているかのような静けさ。想像以上だった。コロナ禍の影響もあるにせよ、人影は全くなく、セミの声だけが異常に響く。そんなとき、団地内の小さな広場に体を動かしに姿を見せたのがB氏だった。
団地どころか部屋からも出られない
 団地の光景を一変させた一因は、言うまでもなく高齢化だ。清瀬市や団地の自治会によると、旭が丘団地に暮らす人に占める60歳以上の住民の割合は2008年10月時点でおよそ6割。17年時点では65歳以上の住民が69%に達し、60歳以上だと76%。4人に3人が60歳以上という超高齢化団地だ。
 「この団地にはエレベーターがないから、年を取ると階段の上り下りだけでひと苦労。車がない人だと、団地の外にすすんで出ようとは思わないでしょう。コロナが怖くて外出しない人も増えている。そりゃあ、分断もされるよ」(B氏)
 総人口に占める高齢者人口の比率を示す高齢化率が30%目前の日本。そんな世界に例を見ない超高齢化も、「人の移動」を滞らせる大きな要因になる。
 年を重ねれば、誰しも足腰が弱る。周辺地域の国際化エリアの増加などに関わりなく、日常的な行動範囲は狭まって当然だろう。
 国土交通省によると、全国にある3000近い団地のうち約3割が入居開始から40年以上が経過している。65歳以上の住民が居住者の3割を占める団地も半分近くあり、その多くは旭が丘団地の多くの住民と似た暮らしを送っている可能性が高い。
国交省によると全国の団地の約3割が入居開始から40年が過ぎている
 団地の中だけで暮らす生活は、若い人から見れば、単行本累計発行部数8500万部を突破した人気漫画『進撃の巨人』のウォール内での暮らしのように映るかもしれない。両者の違いの1つは、団地の住民の場合、えたいの知れない巨人などがうろついてなくても“壁の外”になかなか出られないことだろう。
 もっとも、たとえ団地の中と外で分断されていても、そこは集合住宅なのだから、隣近所の人と協力して暮らせば生活の大きな支障はないともいえる。だが、最近の郊外団地の中には入居率の低下により、そもそも「隣近所」がいないケースがある。旭が丘団地も例外ではなく、12年前に1800弱だった世帯数は、20年8月時点で約1600世帯まで減少。単身化も進む。
 「緑は多いし、静かだし、住みやすい。皆が年を取っても協力し合えば暮らしていける。しかし、人が減るとそう簡単にはいかなくなる」
 40年近く住み続けている団地自治会の古川満喜子会長(74歳)はこう話す。自治会によると、旭が丘団地の空室率は15%。特に階段の上り下りに労力を要する4階、5階は空室が目立つという。
 そして「人のいない郊外団地での生活」には、生活コストの思わぬ上昇も待ち受ける。例えば買い物。エリア内の居住者が減り、地域の小売業は採算が合わず撤退してしまえば、日常の買い物でもコストをかけて遠方に出向く必要が出てくる。
8月終わりの旭が丘団地。団地内の店舗の多くがシャッターを閉めていた
一度の買い物で、移動代4000円
 旭が丘団地でもかつて、団地中央部の商店街「あさひがおかグリーンモール」に青果店や鮮魚店や書店、文具店などが所狭しと店を構え、伊勢丹系列のスーパーも営業していた。しかし今、理髪店や歯科医、診療所、接骨院などを除けば、シャッターが下りている。
 ではここに暮らす車を持たない高齢者は、どこで買い物をするのかと言えば、直線距離で約3km離れた西武池袋線の清瀬駅まで行くのが1つの選択肢となる。
 バスは開通しており、所要時間は10分強。バスの本数は日中でも数分刻みであるが、「年を取ればバスの乗り降りも、荷物を運ぶのも大変。結局、タクシーを使うことが多くなる。私の場合は団地の場所もあって。普段は清瀬駅までタクシーで往復4000円かけて買い物に行くことが多い。団地の外に出て気晴らしになると言われればそれはそうだけど、年金暮らしに4000円は大きい」。手押し車を押した90歳の女性住民はこう訴える。
 「昭和の大型団地」の多くは商業施設を組み込みながら設計されており、入居者が減って店舗が撤退する事態など想定していないのだ。
分断されるだけならまだしも生活コストまで上昇し、暮らしのレベルが落ちかねない――。そんな事態はほかでも起きている。
 例えば多摩、八王子、町田、稲城の4市にまたがる首都圏最大級の住宅街、多摩ニュータウン。京王多摩センター駅からバスで10分ほどの場所にある愛宕地区では、一部で高齢化率がすでに6割を超え、多摩市全体の28.6%を大きく上回る。地区内の2割前後は独居老人。以前は地域で誰かが亡くなれば、自治会長が喪服を着て香典を手渡していた。「でも今はそんなことをしていては切りがない」と、あたご地区自治連合協議会の広報担当を務める松本俊雄さん(72)はため息をつく。
 愛宕地区の状況は旭が丘団地とうり二つだ。地区内には「愛宕商店街」があるが、やはり多くの店舗でシャッターが下がったまま。以前は京王グループが運営するスーパー「京王ストア」があったが、2014年に撤退した。日常的な買い物ができる多摩センター駅までは直線距離で1~2kmだが、坂道が多く歩くにはつらい地形。車がなければバスか、結局タクシーに乗るしかない。
「空き家に囲まれる」という分断
 こうした戸建て住宅が集積するニュータウンや一般住宅街の場合、地域の高齢化と人口減少に直面した際、大型郊外団地にはない問題も発生する。団地の空き部屋に比べ、人が住まなくなった空き家の管理は一段と難しいからだ。
 「目の前の家はずっと空き家。相続関連でどうしようか親戚同士でもめているらしい」。東京世田谷区の小田急線千歳船橋駅から歩いて約15分、千歳台エリアに住むC氏(72)はここ数年、近所の空き家が気になって仕方がない。最近は古い空き家だけでなく、築年数が浅い家でも散見するようになってきた。
 環八沿いに暮らすC氏は、たとえ今後、地域の高齢化が進んでも、周囲から商業施設が消え、自分が買い物難民になるような事態に陥るとはさすがに思っていない。不安なのは自宅の周辺に空き家が増えることだ。「例えば偶然にも、前後左右が 空いてしまえば、防犯面や環境面で様々な問題が生じる。そういう意味での分断の方が怖い」(C氏)
 高齢化などを背景に全国で増え続ける空き家。2018年の住宅・土地統計調査によると、総住宅に占める空き家率は全国平均で13.6%と過去最大を更新した。
 首都圏内の空き家が多いエリアを、地域内の住宅に占める「空き家比率」で調べてみると、比率が高いエリアは首都圏でもやはり周辺部に偏っている。神奈川県では湯河原町や三浦市、逗子市などで、千葉県でも空き家比率が高いのは房総半島の先端エリアだ。


「愛子さまは大丈夫ですか」 いたわりの声をうけた雅子さまが“母娘で被災地を見舞う日”

2021-03-16 11:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です

「新型コロナウイルスワクチンの接種も始まりました。今しばらく、国民の皆さんが痛みを分かち合い、協力し合いながら、コロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしております」
 今年2月の誕生日会見で、力強くおっしゃった天皇陛下。「安全運転型」(天皇陛下の高校時代の同級生)と評され、いつも一定の落ち着いたトーンで話す陛下だが、今回の会見では「明るい将来が開けることを心待ちに」など、気持ちのこもった発言が今までよりも目立った。宮内庁担当記者の間でも、「珍しく見出しがとりやすい会見だった」という感想が広がった。十周年追悼式での天皇皇后両陛下 雅子さまはグレーのスーツをお召しに
 また、3月11日に国立劇場で行われた東日本大震災十周年追悼式でも、陛下は「私も、皇后とともに、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」と述べられた。
 しかし一方で、外出を伴う公務が難しい現状に、「両陛下は歯がゆい思いをされている様子だ」と嘆息する侍従職関係者もいる。
「2011年3月11日に起こった東日本大震災は、両陛下にとっても特別な思いを抱く日です。当時、雅子さまは体調が芳しくない時期もありました。それでも、被災地のお見舞いに向けてはいつも以上に体調管理に努めていらしたのです」(同前)
被災地とのオンライン交流
 皇太子ご夫妻時代に、両陛下は宮城、岩手、福島の被災3県を3巡した。発災10年の節目にあたる今年は、本来であれば現地を繰り返し訪れ、令和の皇室の歴史を刻んでいただろう。だが、コロナ禍ではそれもかなわない。2011年6月、宮城県下野郷浜地区をお見舞いになる皇太子さまと雅子さま(当時)
「皇室はオンライン活用の動きが鈍かったのですが、震災に関しては、早い時期からオンラインでの被災3県との交流が持ち上がり、内々に準備が進みました。
 両陛下はこれまで訪問した被災地をはじめ、現状について資料を集め、関係者に話を聞くなどして入念に準備されたそうです。被災3県のうち、まずは福島県と2月16日に交流することが決まりました。画面上で相対する自治体の首長や被災者のプロフィールを読み込み、質問もご準備されていた。しかしその矢先、同13日に福島県などで最大震度6強の地震が発生しました。残念ながらオンライン交流は延期になりました。しかし、両陛下は何より、地震の被害を心配されたそうです」(ベテラン宮内庁担当記者)
震災への意識が高い愛子さま
 3月4日には、岩手県をオンラインで見舞った。オンラインでの行幸啓に立ち会った関係者が、そのときの様子を振り返る。
「雅子さまは感情が高ぶっていらっしゃる様子で、被災者の話に涙ぐんでおられるように見えました」
 画面上で確認できたか分からないが、その思いは被災者にも伝わったのだろう。長男を亡くした女性は懇談後、「哀悼の言葉をいただき、涙が出てきて仕方がなかった。ありがたかった」と報道陣に感激して話した。
 近く宮城県ともオンライン交流が計画され、また、福島県とも日程を再調整中という。
「両陛下の長女・愛子さまも震災への意識が高くていらっしゃいます。震災発生後、愛子さまはお住まいで電気をこまめに消すなど、節電や節水に率先して取り組まれました。震災以降も、その行動は継続して行っていらっしゃるそうです。
被災者からのエール
 震災がおきたころ、愛子さまは学習院初等科への通学に不安をおぼえ、登校できない日もありました。雅子さまも心配し、せっかく回復傾向にあった体調も思わしくなくなり、愛子さまと歩調を合わせるように、親子で調子が優れないように見受けられる時期もあったのです。2020年10月24日、学習院大学に初登校された愛子さま 
 そんなとき、雅子さまは被災地を訪問されました。被災者からの『雅子さまがんばって』というエールが、逆に雅子さまを勇気づけられる結果となったのでしょう」(震災当時を知る両陛下の知人)
 さらに、雅子さまと近しい人物も、こう推し量る。天皇皇后両陛下と愛子さま 
「とりわけ雅子さまの心に響いたのが、『愛子さまは大丈夫ですか』といういたわりの声だったそうです。
いつの日か、愛子さまと一緒に被災地へ
 愛子さまの不登校は、親として心を痛める出来事で、雅子さまは公務に気持ちを切り替えることができずに悩んでいらしたように拝察しました。ところが、実際に被災地に足を運ばれると、自分だけでなく、愛子さまにも温かい言葉が贈られたのです。
 雅子さまは、いつか恩返しをと心に誓われたのではないでしょうか。被災者との交流は、母娘が救われた特別なものだったのだと思います。いつの日か、愛子さまと一緒に被災地に行くことを望んでいらっしゃるかもしれません」2020年、愛子さまお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供
 緊急事態宣言の行方も不透明ななか、皇室でもワクチン接種は大きな関心事だ。皇室は高齢化が進んでおり、医療従事者の後に優先して接種される「高齢者」の対象は、97歳と皇室最高齢の三笠宮妃百合子さま、87歳の上皇さま、86歳の美智子さま、85歳の上皇さまの弟・常陸宮さま、80歳の常陸宮妃華子さま、67歳の高円宮妃久子さま、65歳の故寛仁さまの妻・信子さまの7名だ。
“多くの国民を優先する” 皇室の美徳
 だが、今のところ接種を受けた皇族方はおらず、今後も、具体化しているスケジュールはない。ある宮内庁関係者は、「上皇ご夫妻は、多くの国民を優先してほしいとお考えになっているそうです」と明かす。お召し物をブルー系とホワイト系でコーディネートされたご一家 宮内庁提供
 英王室がエリザベス女王(94)と夫のフィリップ殿下(99)の新型コロナウイルスワクチン接種を発表したのは、今年1月9日のこと。その後、「非常に短時間で済み、痛みもなかった」と話す動画を公表。国民に接種を呼びかけるスポークスマンの役割を果たした。
 古参の宮内庁関係者が話す。
「百合子さまはもちろん、とくに体調が万全とは言えない上皇ご夫妻は、普段の生活でも感染防止に気を遣っておられます。外出を極力控え、外からの友人知人との接触をシャットアウトするなど、念には念を入れているそうです。エリザベス女王のように真っ先にワクチン接種を受けても許されるご年齢ですが、“多くの国民を優先する”ことに皇室の美徳があるのです。
世間の理解が得られる時機に
 上皇ご夫妻はかねてから、一般の方たちに迷惑をかけることを何より避けておられました。例えばお出ましのとき、車両で動く際は交通規制がかかり、訪問先で結果的に先客より優先されることもあります。仕方がない面があるのはご理解しながら、救急車など緊急車両が通過する際は車列を止めたり、訪問先については繁忙期を避け、滞在時間をできるだけ短くできないかなど、側近らに繰り返し伝えてきたとうかがっています。そのマインドこそ、“平成流”なのです」新年をお迎えになった天皇ご一家 宮内庁提供
 だからこそワクチン接種については「宮内庁側も、いち早く接種できるタイミングと、接種に世間の理解が得られる時機を探っているようだ」と、宮内庁担当記者は明かした。
眞子さまと小室圭さんの結婚については…
 なお、先行きが見えない秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚については、秋篠宮家の知人がため息交じりに語る。2017年9月3日、婚約内定記者会見での眞子さまと小室圭さん 
「相変わらず進展は見えません。一部の週刊誌が、小室さんにリモート会見を求めるような声があると報じたことがありましたが、宮内庁側は実現に否定的だそうです。これだけ時間がたっても、結婚に批判的な向きが収まらないうえ、コロナ禍で閉塞感が漂ういま、リモートでの会見ではかえって炎上しかねませんから」
 ある元宮内庁幹部は、「小室さんが帰国して、会見を開く以外に道はないはず」と、突き放すように言った。
「しかし、宮内庁と小室さん側が先を見て相談している気配はありません。小室さん側が会見を開く、と通告して、急きょ開催されるのが最も想定されるパターンではないでしょうか。小室さんはアメリカ・フォーダム大学ロースクールを5月に卒業予定で、動きがあるのは早くてもそれ以降になりそうです」(前出・宮内庁担当記者)


患者さんには「医療安全」に則したきめ細かな対応が必要

2021-03-16 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

 患者さんを守る「医療安全」や、「EBM」(Evidence Based Medicine=根拠に基づく医療)に沿ったガイドラインや標準治療について、患者さん自身が情報を入手できるようになったことで、医療者側はよりきめ細かな対応が求められています。何かトラブルが起こってしまったときに、患者さんやその家族がまるでクレーマーのように無理難題を突きつけてくるケースもあります。

 もしも自分が患者さんや家族の立場だったら、同じような言葉を口にするかもしれないと思うところもあります。だからこそ、医療者側にはよりきめ細かな医療安全的な対応が必要になってきます。手術や治療を行う前に、起こりうるさまざまなケースを想定してリスクについて丁寧に説明を繰り返し、患者さんや家族に納得してもらえているかどうかが重要です。

 仮にあんなトラブルやこんなトラブルが起こったとしたら、それはもう患者さんが日常生活で歩いているときに自分で転んでしまったレベル――そう言えるくらいきちんと納得してもらっておく必要があるのです。

仮に手術して患者さんが亡くなってしまったり、非常に重い後遺症を残すような状況になってしまった場合、家族や患者さん本人はそうそう納得はできません。ですから、医療者側は事前に予測されるリスクについて正直に包み隠さず話しておき、そうしたリスクがあることがわかっていて手術という契約を結ぶという手続きを取ります。その上で、もしも後遺症という新たな問題が起こってしまったら、そちらに対する治療が加えて必要になり、回復の遅延を招くのはそちらであることを理解していただかねばなりません。

 患者さん側から見た場合、医療安全にのっとったきめ細かい説明をしてもらえない医療機関では、万が一のときに自分を守ってもらえない恐れもあります。そういうときは、複数の医師に治療方針を聞いてみるセカンドオピニオンを受けてみるのもひとつの方法です。

 患者さん自身が「自分を治せるのはこの治療しかないんだ」といった一点集中の思い込みをすることなく複眼的な視点を持ったうえで、実際に説明を聞いて信頼できると感じる病院や、この人が組織するチームなら手術を受けてもいいかなと思える医師を選ぶことが自身を守ることにつながります。

■常に「患者を守る側」に立つ

 もちろん、患者さん側から質問したり、要望を伝えたりといった主張をしても問題ありません。その主張を受け入れて、医療機関側が正しく対応してくれるかどうかを判断してください。たとえば、私が患者さんから僧帽弁閉鎖不全症に対する小切開心臓手術「MICS」(ミックス)について、「先生はどれくらいミックスの経験があるんですか?」と聞かれた場合、正直に「30例くらいです」と回答します。数年前までは、手がけてこなかった手術法なので、まだ症例数が少ないのです。

 もし、ここで「300例ほどあります」と答えてしまえばウソつきになってしまいます。たとえ患者さんに不安を抱かせないようにしようという意図があったとしても、医療安全の考え方に反しています。これでは患者さんから信頼を得ることはできません。正直に丁寧に説明をすることで、患者さんから「症例数が少なくても、この先生なら安心して任せられる」と信頼されることが大切です。

医療安全という観点から重要なポイントをまとめると次の3つになります。①手術や治療を行う前に、想定されるリスクについて丁寧に説明を繰り返し、患者さんや家族に納得してもらう②もしもトラブルが起こってしまったら、できる限り早く真実を伝える③常に患者さんを守る側に立っている。この3つさえ正しく実行できていれば、大きな問題は起こりません。また、患者さんからしても、予想もできないくらい深刻な事態を招くことは起こらないといえるでしょう。

天野篤
順天堂大学医学部心臓血管外科教授