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「自分はこんな所で働く人間じゃない」 “モンスター社員”に共通する“哀しい生態”とは

2021-03-17 15:30:00 | 日記

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平気で嘘をつく。被害者を装い、同僚を陥れる。見事な演技力で周囲を翻弄し、職場の人間関係をクラッシュさせる……。社会保険労務士の石川弘子氏のもとには、そうした“モンスター”としか例えようのない社員に関する相談が多数寄せられているという。
 ここでは同氏による著書『あなたの隣のモンスター社員』(文春新書)を引用し、理解に苦しむモンスター社員の“生態”を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
◇◇◇
モンスターの心理
 モンスター社員を見ていると、「どうしてこんな言動を取るのだろう?」と理解に苦しむ。モンスター社員と一口にいっても、タイプは様々だが、それぞれ問題となる言動にフォーカスして、その背景を理解することは、モンスター社員対策として有益だろう。モンスター社員が起こす色々な問題行動の根本にある心理はある程度共通している。
    *  歪んだ自己愛
    *  プライドの高さ
    *  自信の無さ
    *  コンプレックス
    *  嫉妬
    *  不満、怒り
    *  傷つきやすさ
    *  依存的
 これらの心理から、様々な問題行動が発生する。その表われ方は人によって異なる。例えば、同じ「自信の無さ」であっても、それが「自慢ばかりする」という形で表れる人もいれば、「パワハラ」という形で表れる人もいる。
 次に、私が見たモンスター社員の問題行動の裏にある心理を紐解いていこう。大抵のモンスター社員は、これらの問題行動をいくつか同時に起こすので、実際の心理はもっと複雑だろう。また、私自身は、心理学の専門家ではないので、これが正しい見解なのかは分からない。しかし、実際にモンスター社員に話を聞くなかで、「こういった要素があるのではないか」と私自身が感じた事を書いてみることにする。
どうして会社批判や嫌がらせをするのか?
 まず1つ目のポイントは、「その人が、仕事やプライベートも含めた人生に満足しているかどうか?」という点だ。「やりがいのある仕事をして、いい同僚に恵まれ、思いやりある友人や家族に囲まれている」という人で、実はモンスター社員だった、という例を私は見た事がない。モンスター社員の場合、仕事への不満や、人間関係でのトラブル、家族関係の不和などを抱えているケースが多い。過剰な要求や言いがかりなどを繰り返すモンスター社員の心の奥には、世の中への不満や怒り、自分の人生を肯定できない鬱積した思いなどが見えることがある。
「本来、自分はこんな所で働く人間じゃない」
 M山は、40代の男性で、前職は誰もが知る有名企業でエンジニアをしていた。しかし、激務から体調を崩し、仕事を辞めて田舎に帰ってきた。体調も良くなり、地元で再就職をしようと就職活動を始めたが、自分のキャリアを活かすような仕事はなく、ようやく介護関係の会社に就職が決まった。しかし、今までと全く違う仕事になかなか馴染むことができず、同僚の女性従業員から、何度も注意を受ける事があった。そのうち、「前の仕事は、給料がこんなに高かった」「前の職場では、管理職で部下が20名くらいいた」「前の職場は大手企業だったから、福利厚生がよかった。休暇も毎年2週間くらい取れた」「この会社はワンマン社長が好き勝手に経営している」と会社の批判をするようになっていった
 その話を耳にした社長が、
「40代での再就職は難しいだろうと思って拾ってやったのに、どういうつもりだ」
どうして部下や同僚をいじめるのか?
 特定の部下や同僚を目の敵にして虐めたり、馬鹿にしたりする人が、実は深いコンプレックスを抱えていることがある。派遣会社で派遣社員の管理を行うK田は、営業所長として営業所の管理スタッフ採用なども担当していた。K田は、大学卒業後、職を転々として派遣会社に入社したのだが、自分の学歴についてコンプレックスを抱いていた。
 スタッフの採用面接で、自分の出身大学より偏差値が上の学校を卒業した人に対して、
「いい大学出ているからって、仕事が出来るとは限らない」
「俺の知人でも○○大学を出ている奴がいるが、そいつは今だに役職がついていない」
 と、面接に全く関係のないことを言って応募者を戸惑わせていた。
 あるとき、本社からK田の部下としてやってきたA木が、有名私立大学を出ていると知ると、A木に対して、何かにつけて嫌みを言うようになっていった。
自分よりいい学歴の部下を徹底的に虐める
「あの大学を出ているのに、こんなことも出来ないのか? せっかくいい学校出ても意味がないな」
「○○大卒って聞いたから、期待していたのに、使えない」
「本社も学歴だけで採用するから、ろくな人材が採用できない」
 などと頻繁に言うので、A木は徐々にメンタル不全になっていった。本社からそのことで注意を受けたK田は、
「○○大卒のお坊ちゃんは、ちょっとした事ですぐに本社に泣きつく。やっぱりいい大学出ている奴は駄目だな」
 と、A木に聞こえるように嫌みを言うのだった。A木はついに出勤できなくなり、異動を願い出て、別の営業所へ移っていった。
 K田は、その後も自分よりいい学歴の部下が来ると、徹底的に虐め、次々に部下を潰していった。この事態を重く見た本社の人事がK田を降格し、賃金を下げると、K田は案の定、会社に対して噛みつき、労働局の紛争調整委員会にあっせん(*)を申請した。結局、最終的に給与の6カ月分を支払う事で、K田は退職していった。
コンプレックスが肥大して…
 どんな人でも、多かれ少なかれ自分に対するコンプレックスを抱えている。しかし、それが極端に大きくなると、コンプレックスから自分を守るために、周囲の人間を攻撃する人がいる。K田の場合、自分の学歴について、周囲からバカにされないように、逆にその部分を攻撃する事によってバランスを保っていたのだろう。健全な人間関係を築くために、自分を肯定するというのはとても重要な事だ。しかし、K田の場合、自分の学歴を受け入れることができず、心の底では自分を否定していたのだろう。その思いが、部下へのいじめという形で噴出したのだ。
どうして自慢するのか?
 どうでもいいような自慢話を、話の脈絡に関係なくしてきたり、自分に注目があつまるよう、派手な言動で周囲の興味をひく人の根本にあるのは、自分への自信のなさだ。自己評価が低く、傷つきやすいので、「自分を良く見せたい」「周囲にすごい人だと思われたい」「本当は、こんな自分になりたい」という気持ちが、自慢や派手な言動につながる。時に、内容が現実味を帯びず、周囲から「うそつき」とされてしまうこともある。
 また、注目を浴びる事が大好きで、自己愛の強い人も自慢をする傾向がある。女性の場合、露出度の高い服を着たり、派手なメイクなどで異性の関心を引こうとする事もある。こういった人も、根本には自信のなさがあるのだろう。注目を浴びる事で、自分の心のバランスを取っているように思う。
男性従業員を次々と誘惑し…
 私の知人が勤める職場に、まさにこのタイプの女性モンスターがいた。そのモンスター社員は30歳前後の独身女性で、地方の短大を出て地元企業で数年働き、上京して都内のWEB制作会社で働いていた。口を開けば、自慢話ばかりで、
「自分の家は名家だ。父親は会社を経営する地元の名士だ」
「学生時代から十分な小遣いをもらっていたので、アルバイトなどした事がない」
「実家の庭の池には、1匹数千万円の錦鯉がいる」
「自分の出た短大は、地元では有名なお嬢様短大だ」
 といった話を繰り返し語る。自慢だけなら聞き流せば害も無いが、露出度の高い服で、男性従業員に迫り、次々と誘惑する。それも、同時期に何名もの同僚と関係を持つため、職場内の空気はギクシャクしていった。そのうち、「体調が悪い」「怪我をした」などと、会社を頻繁に休むようになった。知人が心配して尋ねると、
「彼氏と連絡が取れなくて、不安で食事が取れない」
「彼氏に殴られて、顔に痣ができたので、外に出られない」
 などと訴えた。彼女はその知人が同情して心配してくれるだろうと思ったのだろうが、知人は呆れてしまい、
「プライベートに口を出すつもりはないが、社会人として仕事にプライベートを持ち込んだり、職場の何人もの男性と関係を持つのはどうなのか?」
 と注意した。すると、逆上した彼女は、この知人を無視したり、仕事上の連絡をわざとしないなどの嫌がらせをしたりするようになった。当然仕事上も混乱が起こり、クライアントに迷惑をかけてしまうような事態に陥った。
 このような場合、本来は上司が厳しく注意するべきなのだろうが、なんと上司も彼女と関係を持った事があったらしく、結局何もお咎めがなかった。職場は散々引っかき回され、何人もの退職者を出し、ついに大口のクライアントも失った。
自己評価の低さがメンタルに与える影響
 この女性のように、自分が注目を浴びるために、自慢をしたり、自分がいかに不幸であるかを大げさに語るモンスター社員がいる。自慢話に関しては、自分自身の事ではなく、家柄や両親の職業、友人関係などを自慢する人が多いようだ。おそらく自分自身を認めていないので、自分の中には自慢できるものがないと無意識に思っているのだろう。自己評価が低いため、メンタル的に不安定なのだ。メンタルが不安定なため、一時の安らぎや親密さを求めて、次々と異性と関係を持つ場合もある。また、常に注目を浴びたいという気持ちが、派手な言動や自慢、虚言という形で表れるのだ。
 と叱責した。すると、M山は、ますます会社に対して反抗的になり、待遇面で不満を持っていた従業員などを味方に引き入れて、会社に対して嫌がらせをおこなうようになった。あるときは、管理者の机にゴミをぶちまけたり、あるときは、従業員全員のタイムカードをシュレッダーにかけたりなど、常軌を逸した行動にまでエスカレートしていった。たまりかねた会社が、M山を解雇すると、今度は弁護士を雇って、解雇無効の争いを起こすという始末だ。最終的には会社がいくらかM山に支払って何とか退職してもらった。
 M山は、大手企業でエンジニアをして管理職だったというくらいなので、おそらく優秀な人だったのだろう。ところが病気で自分の人生が大きく変わってしまい、鬱積した気持ちを抱えていったのだと推測する。
「本来、自分はこんな所で働く人間じゃない」
「もっと自分の能力は高いのだ」
 というプライドが、不満や怒りへと変わっていったではないか。その思いが、会社への批判や嫌がらせといったゆがんだ形で噴出した。会社批判、過剰な要求、嫌がらせ、非常識な言動の裏には、こういった感情が隠れている事がある。


息子に「パパ」の話をしたこと。シングルマザーのお話

2021-03-17 13:30:00 | 日記

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未婚でシングルマザーになって4年、ずっとずっと考えて準備して頭のなかで練習していた話を、こないだ息子にしました。息子のパパの話。
最近こころのエネルギーがSNSよりもっと料理とか生活とかを頑張りたい方向に傾いてるから、この問題も初めさらっとTwitterで書きかけたんだけど、
noteを始めてから、ここにまでわざわざ見に来てくれるひとのあたたかさを本当にいつも実感しているので、私の事情や日ごろの考え方をすこしでも前提としてわかって下さるような方に向けてちゃんと残したいなと思いました。
とくに、私は何かの事情や思いがあってパートナーを持たずに子供と暮らす方にいろいろ発信したいという目的もあるので。
本当に大切な話なので今回はまじめに書きます。

息子がおなかのなかにいたころ、
「なんでこの家にはパパがいないの?」がいつか来る日のための練習
という短歌を作りました。これは本当に私がずっと頭の中で練習していたことで、こういう説明をしよう、こういうふうに向き合おう、こういう時はこういうふうに…と本当にいつも考えていたんだけど、
彼がうまれて体も心もどんどん成長していく中で、「あっこれじゃ遅いんだ」と最近気付きました。
「来てから」じゃダメだ。
先に伝えて、彼にも準備を、段階を踏んでもらう必要があるんだ。

うまれてからずっとじぃじ、ばーちゃん、母ちゃんと暮らしている息子にとって、『家族』という形はこれが当たり前になっていて、
お友達に「パパ」がいるということも当たり前の日常で、
だけどそのふたつのピースが
「自分にもパパがいるはず???」という風にまだ繋がっていなかったんだけど、
そこが繋がって疑問に思うより先に、もうちゃんといろいろわかっているからこそ話しておかなければと思いました。
最近「母ちゃんのママはばーちゃん、ばーちゃんのママは大ばぁば」という事実を知って「エーーーーッ!!!」と驚愕していた息子はその流れで母から「母ちゃんのパパはじぃじ!」と教えてもらい、クイズ感覚で
「のパパは誰でしょう〜!大ばぁばでした!じぃじでした!」と答え合わせ風に言っていたので、
その場では「じぃじと大ばぁばはのパパじゃないんだよ、のパパは背がうんと高かったよ」と伝えて、
「イケメン?」「めっちゃイケメン」「そっか〜!!!」で話が終わったんだけど、
その日一緒に眠る前、電気を消して一緒のふとんに入って、あぁ、今日が『その時』なんだと腑に落ちる感覚があり、
「あのさ〜、母ちゃんに大事なお話したいんだけどいいかな?」と切り出しました。
「いいよ〜!何、うんちの話とか!?」

「うんちの話じゃないよ笑
 あのさ、母ちゃんのママは誰だっけ?」

「母ちゃんのママは…ばーちゃん!」

「ピンポーン!じゃあ母ちゃんのパパは?」

「じぃじ!」

「ピンポーン!じゃあさ、のママは?」

「母ちゃん!!!」

「大正解!それでさ、のパパのお話おぼえてる?」

「おぼえてる!背が高くてめちゃめちゃのイケメン!」

「大正解〜!
あのね、にはちゃんとイケメンのパパがいるんだけどさ、がお腹の中いる時にね、母ちゃんとのパパはよくお話合いをして、一緒には暮らさないことになったんだ」

「なんでー?」

「いろんなことの考え方が違くてね、母ちゃんお腹の中にいたが毎日笑って暮らせることを一番大事にしたかったの」

「うん」
いつもどんな話でも隙あらばうんちおしりおなら方向に持っていって茶化す息子が、一生懸命聞いてくれているのが伝わってきて、私も一生懸命いまの家族の形を選んだ説明をしました。
結婚しなかったのには私たちなりの理由があって、本当に人生で一番悩んで出した結論だし、むやみやたらと人に話すことではないのでnoteには書きません。ただ息子にパパに関するマイナスな話を私からだけ伝えることはしないと決めてるので、悪く言うことは決してしない。
「〜〜〜ていうことがあってね、
 母ちゃんとのパパは一緒に暮らさないことになったの。でも保育園のお友達はさ、おうちにママとパパがいる子が多いでしょ。みんなでパパの絵を描いたり、パパの話をすることもこれからあると思うのね。のパパはー?て聞かれたり。
それでさ、これが大事なお話なんだけど、がかなしかったり、さびしかったりする時がこれから先くると思うの。なんで?って思うことがあると思うんだ。そういう時はおうちに帰ってきたら、母ちゃんにおしえてほしいんだ。
母ちゃん絶対のお話聞くから、いつも一緒に考えよう。」

「わかった!なんでかなって思うのとき母ちゃんにお話する」

「ありがとう、あのね、はなんっにも悪くないの、全部母ちゃんが決めたから悪いの母ちゃんなんだけど…」
その時、ずっと私の話をまじめに聞いていた息子がはじめて私の言葉を遮って
「なんで?なんで母ちゃん悪いの?母ちゃん悪くないよ」

まだ全部を理解して言っているわけじゃないのはわかってるんだけど、
泣きました。本当にびっくりして泣いてしまった。普段あんなにすぐうんちおならおしり関連の茶々を入れてくる子が(その話2回目ですよ)、ずっと真剣な顔でお話を聞いてくれて、はじめて遮るのがここってなんて優しい子なのか。
私が泣いたのを見て息子も「まーた母ちゃん泣いた!?もー!の母ちゃんすーぐ泣くよ!ほれ!!!」と言って自分のパジャマのお腹をまくりあげて私の顔をゴシゴシ拭き、
その次に言ってくれた言葉が

「みんながまもる!母ちゃんもじぃじもばーちゃんも!」
ヒー
だめだ落ち着いて考えて文章にしようと思ったけど泣いてしまうね。たぶん思い出すたび一生泣くと思う。
そのあとふざけた感じで「だって強いもんね!ムキムキだもん!」と付け足して笑ってくれたので、

「ありがとう、でもさもうお兄さんだけどまだちょっとちびっこじゃん、大人になるまで母ちゃんが絶対に守るからね、はもう一番がんばってるんだから、これ以上なんも無理することないのよ、母ちゃんもじぃじもばーちゃんもみんなが大事、一番の味方だからね、みんなでを守るよ」

と伝えて今回の話は終わりました。
(正確には「守るって言ってもどう守ってくれるのか」聞かれ、母ちゃんはスパイダーマン母ちゃんに、じぃじは仮面ライダー1号じぃじに、ばーちゃんは包丁を持ってを守るということを命じられました。ばーちゃん物騒だな!)
寝る前、
今日母ちゃんの話聞いてくれてありがとうねと言ったらどういたしまして!と言われ、
「…母ちゃん、おてて繋いで」

「はいよ、母ちゃんの大事の大事の」

「母ちゃん、のパパってさ……鼻の穴あった?鼻の穴」

「鼻の穴!!???あった、いやあったよ、結構ある人が多いと思うよ、なんで鼻の穴!?」

「そっかぁ…鼻の穴あったか…!」
その言葉を最後に息子はぴー…すぴー…と寝ました。

この日から、もしお友達にこう聞かれたらこう答えよう、父の日にパパの絵を描く(うちの園は毎年あります)ときはじぃじを描こう、
と息子と一緒に「練習」を進めています。
まだまだ入口に立ったばかり。
私の選択したことはこういうことなんだ、と毎日一生懸命考え、私自身の勝手な選択に勝手に巻き込み、勝手にこの世に呼んだのにも関わらず毎日家族みんなを文字通り光のように照らしてくれる息子のために、とりあえず何か「今この瞬間から」頑張れることを始めようと決めました。(ここ最近料理がんばり出したのはとりあえず最初の一個!と思って、これが理由です)
パパの話に関してはとにかく「聞いちゃいけないかも」「これ聞くと変な空気になっちゃう」と思わせてしまうのを一番避けたいので、
聞かれたことはすべて(その時々の年齢に沿って伝えて良いと私が思う範囲の話を、伝わりやすい言葉で)答えるようにしています。
今のところは鼻の穴があるかどうかを3回聞かれたのと、ヒゲもあるかどうか気にしていました。鼻の穴はあったよ。ヒゲはそのときはなかったよ。
これから先もがんばります。気づかないうちにこんな優しい子に、こんな大きな子にいつのまにか成長していたんだな。
以上、息子に大事な話をした話でした。


被災地に心寄せた上皇ご夫妻 元宮内庁長官が見た決意 

2021-03-17 11:00:00 | 日記

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東日本大震災発生後間もなく、上皇ご夫妻は被災した7都県を連続して訪れた。被災地訪問にはどんな思いが込められていたのか。当時、宮内庁長官だった羽毛田信吾さんに聞いた。  ――2011年の東日本大震災発生時に天皇だった上皇明仁さまは、皇后だった上皇后美智子さまとともに3月末から5月にかけて7週連続で被災者を見舞いました。  震災発生直後から「できるだけ早く見舞いたい」との気持ちを示されていました。同時に「いまだ行方不明の人も多く、救援や復旧活動のため苦労している関係者の支障になることは避けなければならない」ともお考えでした。
震災当時に宮内庁長官だった羽毛田信吾さん
――訪問は東京や埼玉から始まり、千葉、茨城、宮城、岩手、福島の被災地へそれぞれ日帰りする厳しい日程でした。  私たちは、まず被害の大きな東北地方を訪れることを考えました。しかし皇后陛下(当時)が「首都圏を先行させてもよいのでは」と提案され、東京や埼玉を先に訪れることになった。「被害の大きいところを先にしようとしても、しばらく待つことになる。規模が小さくても、被害に遭った一人ひとりの苦しみは変わらない」とのお考えからでした。 ――東北3県での被害が巨大すぎて、千葉や茨城など関東地方の被害が注目を集めにくい状況がありました。  忘れられた被害がないかとたえず気にされていました。たとえば東日本大震災翌日の11年3月12日に発生した長野県北部地震で被害を受けた長野県栄村には、11年暮れにも訪問の予定でした。天皇陛下(当時)が体調を崩されて延期したため、残された宿題のようになり、翌12年7月に訪問が実現するまで、ずっと気にとめておられました。
――上皇さまは12年2月、心臓の冠動脈バイパス手術を受けました。じつは10年秋にすでに発作があり、震災1カ月前の11年2月に冠動脈に異状がみつかって手術も検討された。しかし「薬で抑えながら様子を見る」として手術が見送られていたことが、震災後に明らかになりました。  手術を震災の直前に受けていたら、被災地ご訪問は実現しなかったと思います。心臓に問題を抱えているなかで被災地お見舞いの希望を示されたため、「お体にさわるのではないか」と私たちも心配しました。7都府県を連続で訪れたいとのご意向を聞き、「お疲れではありませんか。ご訪問のペースを落とすことも考えられないでしょうか」と進言しましたが、「いや大丈夫だ。その必要はない」とのお答えでした。皇后陛下(当時)のご体調も万全ではありませんでした。
――いったん見送られた手術を翌12年に受けることになったのは、被災地訪問での負担が心身にかかったことも関係あるのではないでしょうか。  単にお見舞いの言葉をかけるだけでなく、心底思いやって、悲しみ、苦しみをともにする。心に重いものを負いながらの訪問であり、身体の負担もストレスも大きかったと思います。 ――12年3月の震災1周年追悼式は、心臓手術を受けて退院した直後でした。  まだ術後の胸水も引かず苦しい体調をおして「何としても出席したい」と強い意向を示され、鬼気迫るご様子でした。
――16年に退位の意向が明らかになり、19年に皇位が継承されました。これも実は、羽毛田長官や参与ら側近には震災前の10年ごろから内々に考えを伝えていたことが、後に明らかになっています。  震災のころには、すでに譲位のお気持ちがあることをうかがっていました。「象徴天皇として全身全霊を傾けて国民と接し、心を通わせなければならないからこそ、加齢に伴い心身の制約が出てきたら天皇の位を譲るべきだ」とのお考えでした。被災地を行脚して被災者をお見舞いされる姿を拝見し、これこそ陛下がかねて示されていた象徴天皇としてあるべき形の表れなのだと、深く理解できたように思います。 ――12年に長官をやめて間もない羽毛田さんに話をうかがった際、被災地へのお見舞いについて「これまでの集大成」と話していたことが印象的でした。  被災地訪問を昭和天皇の戦後巡幸になぞらえる向きもありましたが、ちょっと違います。むしろ平成の天皇陛下が皇太子時代から積み重ねてきた実践の集大成、象徴天皇のあり方としての極致だったと私は考えています。戦没者慰霊の旅で平和を祈り、災害被災地のお見舞いで国民の幸せを願う。多くの犠牲者が出た現地に身を置き、抽象的に祈るのではなく一人ひとりに心を寄せておられました。
――「皇太子時代からの積み重ね」の一つが、1959年の伊勢湾台風に始まる被災地訪問ということですね。平成の即位後は91年の雲仙普賢岳噴火、93年の北海道南西沖地震による奥尻島津波、95年の阪神・淡路大震災と、その後も続きました。  東日本大震災発生5日後の3月16日に出されたビデオメッセージにも、積み重ねが表れています。被災者を思う言葉だけでなく、自衛隊や警察、国や地方自治体など救出や復興にあたる関係者や、外国からの支援者に感謝しねぎらう言葉をかけられた。多くの国民に向けても「被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていく」ように呼びかけられました。 ――16年8月に退位の意向をにじませるビデオメッセージを発表した際は、象徴としての役割を果たすため「国民に天皇という象徴の立場への理解を求める」という言葉がありました。  象徴天皇としてのあり方は、国民との相互作用によるものだというお考えからの言葉でしょう。現地に赴いて人々と直接接することで国民にも理解してもらうということが念頭におかれているのだと思います。
――慰霊の旅で戦争体験者と言葉を交わす様子を取材しているときなど、まるで「カメラの向こうにいる国民に語りかけているようだ」と感じることがありました。  戦争の悲惨さや平和の尊さへの思いを風化させてはならないという強い気持ちの表れだったと思います。多くの人々が犠牲になったサイパンの激戦地を05年に訪れて黙礼された際は、後ろ姿が私たちに訴えかけているようでした。 ――「直接国民に接する」ことはいまの天皇、皇后両陛下も大切にしていることと思いますが、コロナ禍のため各地の訪問がかなわず、リモートでの面会を余儀なくされています。  直接現地に赴かれたいだろうと思うと、お気持ちは察するにあまりあります。今の状況で、いかに一人ひとりの悲しみや苦しみを受け止めて心を通わせるかについて、日々心を砕いておられると思います。(編集委員・北野隆一)
    ◇  はけた・しんご 1942年山口県生まれ、京都大卒。65年に厚生省に入り、老人保健福祉局長や事務次官を歴任。宮内庁次長をへて2005~12年に長官。天皇家の相談役である参与を20年まで務めた。現在は戦中戦後の国民の暮らしを伝える国立博物館「昭和館」館長。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3351f2e1da1fcc53bc5bdd9a73d453c5690ef0fe


日本人のがん1位「大腸がん」を予防する4つの生活習慣

2021-03-17 08:30:00 | 日記

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大腸がんは増え続けている
現在、日本人が最も多くかかっているがんをご存知でしょうか? 答えは、「大腸がん」です。がん検診が推奨され、前がん段階での早期発見が可能になっているにもかかわらず、日本人の「大腸がん」の罹患率は、下のグラフのように右肩上がりで増え続けています。
※編集部註:本文に合わせ、図表1を追加しました。(2月13日12時46分追記)
大腸がんは、生活習慣と深くかかわっている病気です。腸は私たちが食べたり飲んだりした物すべての残渣ざんさ(残りカス)が便になる過程で、最後に必ず通過していく通り道ですから、食生活の影響を特に受けやすい臓器なのです。暴飲暴食を続けていると、大腸も悲鳴を上げますが、腸の最も内側の粘膜には神経がないため、炎症が起きていても痛みを感じにくく、ひどくなるまではなかなか気づきません。
これこそが、「腸がむくんでいる」状態なのです。
炎症初期は「お腹に違和感がある」程度の症状
大腸がむくんでしまうことは、消化器の診療を専門にしている医師であれば誰でも知っていることですが、一般の人たちにはほとんど知られていないようです。筆者も、お腹の不調を訴える患者さんの腸の内部を大腸内視鏡(肛門から挿入してカメラで内部を調べる医療機器)で観察して、「腸の中が大分むくんでいますね。お酒を飲み過ぎたり、脂っこいものを食べたりしていませんか」と問いかけると、患者さんはびっくりするらしく、「腸もむくむことがあるんですか!?」と聞き返されます。
内視鏡で見た健康な大腸の粘膜は、腸管のヒダがしっかり立ち上がり、毛細血管もはっきり見えます。対して、むくんでいる大腸の粘膜は、慢性的な炎症によって、細胞に水分が誘導されて腫れぼったくなり、表面のヒダや血流がはっきり見えません。
炎症が内側の粘膜層に留まっている段階なら、強い痛みはなく、「お腹に違和感がある」「押すと痛いところがある」「酒を飲むと下痢が続く」などの症状が見られる程度です。しかし、炎症が粘膜より外側の層や、腸のすぐ外にある腹膜など神経のある組織にまで及べば、強い痛みを感じるようになります。
腸がむくむメカニズムをさらにわかりやすくするため、イラスト化してみました。
イラスト=『大腸がんで死にたくなければ腸のむくみをとりなさい!』
きれいな腸粘膜
日頃から食事に気をつけていると、上の図のように、腸内細菌の善玉菌と悪玉菌のバランスが良好に保たれて、粘膜の表面もきれいです。血液中の免疫細胞は、何ごとも起こらないときも見張ってくれています。
大腸がんの重大なリスク
ところが、毎日お酒を飲み、油物を好んで食べるような不摂生を続けていると、腸内細菌のバランスが崩れて悪玉菌が増えてしまいます。そして、腸の粘膜に炎症が起きると、免疫細胞は戦闘態勢になって炎症細胞の数が増え、粘膜の細胞に水分が誘導されて、右図のように膨らんで見えます。これが「腸のむくみ」の正体です。
むくんでいる腸粘膜
さらに、腸がむくんだ状態が続くと、大腸の壁に「憩室(けいしつ)」という凹みができてそこから出血したり、エノキのような「大腸ポリープ」ができたりすることもあります。大腸がんは、この大腸ポリープの一部が悪性化したものです。「腸のむくみ」は大腸がんの重大なリスクとなるのです。
腸のむくみの原因は、不摂生な生活──具体的には、①大量飲酒②牛・豚肉やバター、ラード、乳脂肪を含む牛乳や乳製品などの動物性脂肪(オメガ6系脂肪酸)の多い食事③水分不足による慢性便秘など腸内環境の悪化④運動不足などです。
①と②は、大腸がんの発症リスク要因とも共通しています。疫学的な調査研究からも、「1日に30グラムを超える動物性脂肪を摂っていると、腸の炎症を引き起こしやすい」ことや「ハム、ソーセージなど加工肉を食べることは大腸がんの発症につながる」ことなどが報告されています。つまり、「腸のむくみ」を予防する生活習慣は、そのまま大腸がんを予防することにつながるのです。
むくみを予防する4つの習慣
では、どうすれば「腸のむくみ」を予防できるのか?
ここでは、その対策として、4つの習慣を挙げたいと思います。
まず大量のアルコールによる腸のダメージを最小限に抑えるために、患者さんには週2日以上の「完全休腸日」を提案しています。一般的に、お酒好きの人がアルコールを抜く日を設けるときに「今日は休肝日だ」といいますが、そもそも、節酒したアルコールを吸収、分解、解毒するために働いているのは肝臓だけではないのです。
「食べものは胃腸、お酒は肝臓」と、消化の役割分担があるように誤解されていますが、消化器官はすべてつながっており、常に関わりあって働いているので、肝臓の負担になるものは他の消化器官にも負担をかけています。たとえば、膵臓もアルコール摂取の影響を強く受ける臓器であり、「急性膵炎」の約半数、「慢性膵炎」では約8割は、お酒の飲み過ぎによるものです。
少なくとも週に2日は、完全にお酒を抜いて、休肝日ならぬ「休腸日」を作ってあげてください。長く働いてもらうためには、内臓にも働き方改革が必要なのです。
水溶性の食物繊維や水分摂取も大切
次に、腸内環境を整えるための食事です。大腸がんは、食生活の欧米化に伴って増えてきた病気です。「腸のむくみ」の原因になりやすい動物性脂肪を控えるとともに、発酵食品と食物繊維を意識して摂るようにしましょう。納豆、味噌、ぬか漬け、キムチなどの発酵食品には、腸内の腐敗物質の生成を抑える乳酸菌がたくさん含まれています。そして、食物繊維は、腸内の善玉菌のエサになるだけでなく、消化されないまま大腸まで届いて便のカサを増すという効果もあります。
特に、便通を整えるためには、昆布やワカメなどの海藻類や大豆、大麦、イモ類、キノコ類などに多く含まれる「水溶性食物繊維」を積極的に摂るようにしましょう。
さらに、便秘を予防して腸に負担をかけないためには、十分な水分を摂取することが重要です。小腸で栄養分が吸収されたあとの食べものの残渣は、大腸のトンネルの中を運ばれる過程で水分が少しずつ吸収され、便の形になっていきます。水分の摂取量が不足していると、便の塊が硬くなって排便しにくくなるだけでなく、大腸の内壁を傷つけて炎症を引き起こします。
ふつうの体格の成人であれば、「1日2リットルの水を飲む」ことを目安にしてください。水は、喉が渇いていなくてもしっかり飲むものだと考えましょう。
運動不足も腸の健康に影響する
最後に運動です。スマホなどの普及と交通機関の発達、エレベーターやエスカレーターの普及などに伴って、私たち現代人は日常の活動量が激減しています。それに伴って、姿勢が崩れ、大腸などの内臓を支える骨盤底筋群をはじめとする下半身の筋肉が衰えて、内臓を本来の正しい位置にキープすることが難しくなっています。
大久保政雄『大腸がんで死にたくなければ腸のむくみをとりなさい!』(すばる舎)
健康状態に問題のない人であれば、まず1日30分程度のウォーキングを日課にすることから始めてみてください。背筋を伸ばして、大股で腕を大きく振って歩きましょう。腕を振ることによって、お腹の上下運動にひねり運動が加わり、腸の動きがよくなります。膝や腰が痛い人は、プールの中で行う「水中ウォーキング」も効果的でしょう。
日本人の二人に一人が、がんにかかる時代になりました。そのトップである「大腸がん」の重大リスクには、大腸の粘膜に軽い炎症が続くことによって起きる「腸のむくみ」があるのです。不摂生を避けて腸内環境を整えることができれば、むくみは必ず治まります。そして、便通の異常やおなかの違和感、軽い痛みなどを感じたら、軽視せずに消化器内科専門医を受診することをお奨めします。