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引きこもりの彼が精神病院で受けた辱めの驚愕

2021-03-28 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

自立研修センターから病院へ強制連行
「今からあなたを『病院』に連れていきます。これは強制です」
2018年5月上旬、30代男性のAさんは9日間にわたり監禁状態に置かれた施設の職員にそう告げられた。施設の名は東京・新宿区にある「あけぼのばし自立研修センター」、ひきこもりの自立支援をうたう民間事業者が運営していた。いやがる当事者を自宅から無理やり連れ出し、施設に監禁・軟禁するなどで社会問題化した、いわゆる「引き出し屋」だ。
この連載の一覧はこちら
Aさんは大学卒業後、就職せず両親と同居し独学していた。親心からAさんの将来を心配し、就労することを希望していた両親は、Aさんの就職を支援するというセンターと契約し、約700万円を支払った。
職員に監視され、ドアには外からカギがかけられるなど監禁状態だったセンターの地下部屋から、職員とともにAさんを連れ出したのが、その8日前に両親と住む自宅から無理やり施設に連行した「民間救急会社」の男性たちだ(民間救急会社については、連載第4回「ある朝、精神病院に強制連行された男の凶体験」2020年9月25日配信で詳報)。
黒いジャンパーと手袋で身なりを固めた強靭な体躯の男性2人に両脇を固められ、Aさんを乗せた車は出発した。
Aさんはセンター入所後、抗議の意を込めてほとんど食事を取っておらず体力も著しく落ちていたので、それ以前にも職員から病院で点滴する必要があると告げられていた。そのため、具体的な行き先を告げられることはなかったが、「点滴をするため、近くの内科クリニックにでも連れていかれるのだろう」と思っていた。
だが車は近場では止まらなかった。到着したのは施設のある新宿区からは離れた病院の、救急搬送口だった。施設職員に連れられ建物に入ると、救急外来用の診察室へと通された。
「ここの病院は何科ですか?」。控室のような殺風景な小部屋の雰囲気に不安を覚えたAさんはセンターの職員に尋ねた。「精神科だ」。職員はそう手短に答えた。Aさんはそのとき初めて自らが連れてこられたのが精神科病院だと知らされた。
「点滴か健康診断かと思っていたので、まさか精神科病院に連れてこられるとは思わず、想定外の事態に心中ではそうとう動揺していた」(Aさん)
強い不安の中、10分ほど小部屋で待っていると、白衣を着た医師が現れた。「どうしてここに来たんですか?」、医師からそう問われたとき、Aさんは、「ああ、これで今までのことをきちんと説明すれば助けてもらえるだろう」と安堵。センター職員の同席にも構わず、医師に自らの置かれた状況を一気に打ち明けた。
「自宅にいたら無理やりセンターに連れてこられて、9日間も監禁されていました。人道的な見地から助けてください」
決死の訴えに対して医師は、「今日からここに入院してもらいます」とのみ告げた。驚いたAさんが再度「人道的な見地から助けてください」と懇願するも、「もう決まったことだから」などと言い(病院側は「診療録の生活歴・現病歴に記載されている経過を尋ね、精神科における入院治療の必要性を伝えた」と民事訴訟における準備書面で主張)、母親から同意を得て、本人の意に反した「医療保護入院」が決定された。
Aさんに精神疾患の既往歴はなかった
医療保護入院は精神科特有の制度で、本人が同意しなくても、家族など1人の同意に加え、1人の精神保健指定医の診断があれば強制入院させられる。ちなみにAさんには精神疾患の既往歴はいっさいない。
医師が話を打ち切ると、小部屋の隣の扉が開き複数の屈強な男性看護師たちに取り囲まれた。とっさに両手を挙げて、「先生、よくわかりません、助けてください!」と叫んだが無視され、隔離室へと連行された。
施錠された隔離室に入れられて数時間後、女性を含む4人の看護師が入ってきて、Aさんに服を脱ぐよう指示した。こんな入院はおかしいと反発すると、ベッドへと誘導され身体拘束され、あっという間に上半身、ついで下半身と順に裸にさせられた。
Aさんは看護師たちにおむつを履かされ甚平のような服を着せられた。手と胴がベッドに拘束されたことで、ほとんど身動きが取れなくなった。
この間、Aさんは身体的な抵抗はいっさいしなかった。「暴れたりしたら精神疾患だと受け取られかねないと、意識的に冷静に対応するよう努めた。それに実際9日間何も食べてないので、抵抗したり暴れたりする体力も気力もなかった」。
仰向けにベッドに固定され、寝返りを打つこともできないまま3日間過ごすことになった。なにより屈辱を感じたのは、トイレに行くことが許されず、おむつへの排泄を強要されたことだ。
「結局、大便も小便もおむつにするしかなかったが、おむつ交換の
回数は限られ、不快感が強く、衛生的にもどうかと思った。これを
看護師に交換されるというのも、とても屈辱的だった」(Aさん)
3日間の身体拘束が終わったのちも、Aさんは閉鎖病棟での日々が続いた。
2018年5月下旬、主治医から病名は発達障害の疑いだと告げられた。その診断理由を尋ねると、「あなたは今まで10年間教会のミサに通い続けていたよね。それは社会の一般通念からずれている。それが根拠です」と説明されたとAさんは話す(民事訴訟における準備書面で、病院側は説明内容を否定)。当然承服できないと反論したが、「それはあなたに病識がないからだ」と一蹴されたという。
翌月の6月に入ると退院調整が図られるようになったが、病院側は自立研修センターへの退院を強く求めた。退院時にはセンターの職員に連れて行ってもらうことになるが、もしこれを拒否したら、再度別の病院で入院になることが予想されると説明された。
Aさんは強く反発したが、結局、センターへの退院を了承した。閉鎖病棟での生活は50日間にわたった。
誓約書を強要
退院するや否や、Aさんはセンターから「誓約書」(写真)へのサインを強要された。
センターが退院したAさんにサインを強要した誓約書。ルール違反は再度入院と明記(記者撮影)
(外部配信先では写真を全部閲覧できない場合があります。その場合は東洋経済オンライン本サイトでご覧ください)
① 医師の診断に従い、通院・服薬を続けること
② 実家に帰らない、家族に連絡を取らないこと
③ (センターの)カリキュラムは全参加すること
という内容だ。誓約書の文末には下記の一文があった。
「上記ルールを守れない場合は、再度入院する事に同意致します。」
少なくともセンター側が、身体拘束の恐怖や強制入院の理不尽といったAさんの心身に刻まれた精神科病院でのトラウマを、指示に従わせる「道具」として活用しようとしたことは明白だ。」
Aさんはその後、弁護士らの援助でセンターを抜け出し、センターと病院の職員・医師らを逮捕監禁罪などで刑事告訴。別途、民事訴訟でも損害賠償を求めて争っている。センターの運営会社は2019年末に破産した。病院への刑事告訴は正式に受理されて、現在捜査中だ。
Aさんの代理人の1人で、同センターのほかの被害者からも相談を受けている、代々木総合法律事務所の林治弁護士は、「被害者たちはみな、センターの職員から言うことを聞かないと精神科病院に入れられ、身体拘束もされると脅されていた。Aさんが身体拘束されておむつで排泄していたことはみな知っていた。精神科病院への入院が引き出し屋によって、いわば見せしめ的に使われている」と実情を語る。
内閣府によれば、ひきこもりの人数は15~39歳で54万1000人(2016年発表)、40~64歳は61万3000人(2019年発表)と推計されている。総数は100万人を超えるとみられている。ひきこもりが長期化・高齢化しているとも報告され、本人や支える家族の不安や悩みは大きい。
そうした悩みにつけこんで、「半年で自立させる」などと甘言を用いて、両親など家族から高額な費用を巻き上げる引き出し屋は、決してこのセンターだけではない。
病院が著名教授を提訴
こうした悪質業者の手先ともいえる役割を、結果的に精神科病院が果たしてしまっていることについて、当の病院側はどう考えているのか。
取材に対して、病院側は「本件は現在係争中であり、また守秘義務もありお答えできない」としている。
ちなみに病院は、民事訴訟の準備書面において、「原告(Aさん)はあたかも被告病院が研修センターと一蓮托生であるかのごとき主張をするが、まったく研修センターと被告病院とは関係はなく、連携等もおこなっていない」「研修センターへの誓約書記載の入所条件については、原告と研修センターとの問題であり、被告病院が積極的に関与したものではない」などと主張している。
なおこの病院は昨年、ひきこもり問題の第一人者で筑波大学教授の斎藤環医師を名誉棄損であるとして、300万円の損害賠償を求め提訴した。斎藤教授がAさんの刑事告訴と民事訴訟に関する報道を引用して、ツイッターでコメントしたことがその理由だ。
取材に応じた斎藤教授は「近年、統合失調症への薬物治療が進んだことなどで、精神科病院への新規入院件数は減少傾向にある。そのため多くの病院はできるだけ多様な入院ニーズを確保したい。この病院が直接それにあたるかは別にして、引き出し屋と結託すれば相応の患者数を定期的に受け入れられると考える精神科病院があっても不思議ではない」と警鐘を鳴らす。
「拷問に等しい犯罪行為」
実際、ひきこもり状態にあったところ、精神科病院に強制入院させられたケースはAさんだけではない。
「身体拘束されて隔離室に入れられたときは、閉塞感と圧迫感で絶望的な気持ちになった」。埼玉県在住の30代男性のBさんは、精神科病院への入院体験を振り返る。
男性はいじめによる強迫性障害が原因で、高校1年からひきこもり状態となった。20代後半となったある日、寝ている間に父親と親戚など5人前後の男性に養生テープで簀(す)巻きにされ、そのまま車で大学病院へと搬送された。
隔離室でテープは剥がされたものの、搬送時に口中に砂が入り服薬をためらっていると、医師に投薬拒否と判断され、室内のベッドにそのまま拘束された。
万歳した状態で、手足と胴の「5点拘束」され、投薬、食事とも経鼻経管で行われた。BさんもAさんと同じく、拘束中はトイレにも行かせてもらえず、用便はおむつでの対応を余儀なくされた。
「交換は1日2回と決められており、隔離室前を通る看護師に交換をお願いしても無視され続けた」(Bさん)
Bさんは退院後に大検に合格し、今は通信制の大学で学び、福祉系の資格を取得して働こうと考えている。フルタイムで事務職のアルバイトもしている。
ただ、当時の精神科病院での体験は確実にトラウマとなっていると振り返る。「今でも隔離室でされたことは拷問に等しい犯罪行為だと思っている」(Bさん)。
成人男性ですら、何年たっても深いトラウマとして心身に刻み込まれる精神科病院での身体拘束。こうした行為が未成年の少女に、驚くべきほど長期間実施されていたケースすらある。


薬を使わず9割改善も 認知症の新治療「リコード法」とは

2021-03-28 13:30:00 | 日記
下記の記事はAERAdotからの借用(コピー)です   記事はテキストに変換していますから画像は出ません

 2025年には高齢者の約5人に1人が患うという推計もあり、もはやひとごとではない認知症。そこでまず、下記の「アルツハイマー病の原因となる行動リスト」を見てほしい。暮らしの中にリスクが潜んでいることがわかる。

【表】アルツハイマー病の原因となる行動リストと「問題となる理由」はこちら

【アルツハイマー病の原因となる行動リスト】
(1)朝食は菓子パンと砂糖入りコーヒー
(2)プロトンポンプ阻害薬を服用している
(3)スタチンを服用している
(4)寝る前に甘いものを食べてしまう
(5)何事もあくせく。ストレスがたまりがち
(6)移動は車中心
(7)昼はサンドイッチで軽くすませる
(8)ダイエットのために人工甘味料入り飲料を愛用
(9)たばこを吸う
(10)昼食後はほとんど歯を磨かない
(11)歩いていてぶつかりそうになるとイラッとする
(12)夕食は揚げもの中心

 世界が注目するリコード(ReCODE)法とは、認知機能の低下(COgnitive DEcline)の回復(Reversal)という意味の英語の頭文字をとったもの。薬ではなく、日常生活に潜むアルツハイマー病の原因を、食事の改善や環境整備によって除去し、病気を治していく治療プログラムだ。認知症研究の第一人者、米国のデール・ブレデセン博士が編み出した。

 リコード法の詳細は後で述べるが、ブレデセン博士は、小麦に含まれるグルテンや炭水化物の摂取、血液中の糖を取り込みにくくなるインスリン抵抗性、歯周病、カビ、有害物質、運動不足といったさまざまなものがアルツハイマー病の原因としている。

「アルツハイマー病というと不治の病で、いずれは寝たきりになるというネガティブな印象がありますが、決してそうではありません。リコード法を行うことで、多くの患者さんを救うことができます。介護する家族にも笑顔が戻ります」

 こう話すのは、約30年前から認知症研究に関わっている白澤抗加齢医学研究所所長(お茶の水健康長寿クリニック=東京都千代田区=院長)の白澤卓二医師。ブレデセン博士のアルツハイマー病に対する考え方に賛同。同院では現在、リコード法を日本人向けに改良した治療を行っている。「ほぼ全員に改善がみられている」(白澤医師)と手応えを感じている。

「9割の改善率」というリコード法とは、いったいどんな治療なのだろう。その内容を知るためには、まずはアルツハイマー病の基本を押さえる必要がある。

 認知症にはいくつか種類があり、その約6割を占めているのが、アルツハイマー病だ。進行性の病気で、認知機能の低下によって日時や場所、人がわからなくなったり、最近起こったできごとを忘れたり、意欲がなくなって閉じこもったりする。

 こうした中核症状(認知機能の低下)とともに表れるのが、BPSDと呼ばれる行動・心理症状。周辺症状ともいい、暴言や暴力、自分のいる場所がわからなくなって道に迷うといった行動面の症状と、不安、幻覚、妄想といった心理面の症状が表れる。周辺症状のほうが、むしろ介護を担う家族の負担を大きくしているともいわれる。

 現在、わが国で健康保険が使える治療薬は、ドネペジル(アリセプト)やガランタミン(レミニール)、リバスチグミン(イクセロン、リバスタッチ)、メマンチン(メマリー)の4剤。いずれも根治薬ではなく、進行を遅らせるために使う。これらの薬の有用性については疑問視する声もあり、フランスでは昨年、治療効果が不十分として、4剤を医療保険から外した。

 一方で、アルツハイマー病の患者の脳にたまるアミロイドβというたんぱくをターゲットにした根治薬の研究開発も盛んだ。しかし、ほとんどが臨床試験で有効性を示せず、道半ばで挫折している。

 こうした薬物治療と一線を画すのが、リコード法。前述したとおり、原因に応じた生活習慣の改善や環境整備を実践していく治療だ。薬ではうまくいかないのに、なぜリコード法だと“治る”のだろうか。白澤医師はこう説明する。

「新薬の研究の傾向からもわかるように、アルツハイマー病に対する今の主流の考え方は“アミロイドβがアルツハイマー病の原因”というもの。それに異を唱えたのがブレデセン博士です。アミロイドβは原因ではなくて、“感染や炎症といったさまざまなダメージから脳が身を守ろうとした結果、できた物質”だと考えたのです」

 要するに、リコード法はアミロイドβを“なくす”のではなく、“ためないようにする”ことに着目した治療といえる。

「例えば、銀行預金を思い浮かべてください。ある月の1日と翌月の1日の預金残高が同じだったとします。でも、それは見た目の残高が同じであるだけで、その間に収入もあれば、支出もあります。アミロイドβもこれと同じで、一見、同じように脳にたまっているように見えても、実は代謝したり、蓄積したりを繰り返しています」(白澤医師)

 収入と支出のバランスが崩れて、収入が多くなれば預金額が増える。家計的にはうれしいが、アルツハイマー病に置き換えると、アミロイドβがたまった状態なので、よろしくない。反対に収入を減らして支出を増やせば家計は赤字だが、アミロイドβは減りアルツハイマー病は改善できる。

 この“アミロイドβを減らす”のが、リコード法の根本的な考え方だ。

 この画期的な治療の成果が世間に示されたのは、2014年。ブレデセン博士らは、アルツハイマー病やその前段階であるMCI(軽度認知障害)の患者10人にリコード法を試みた。すると、治療開始3~6カ月以内に9人の患者で中核症状と周辺症状が改善した。以降、アメリカでは500人以上にもおよぶ認知症患者が、リコード法を実践しているという。

 実は、国内からも有効性を示すデータが報告されている。3年前からリコード法を取り入れているブレインケアクリニック(東京都新宿区)名誉医院長の今野裕之医師が、今年7月、日本オーソモレキュラー(栄養療法)医学会第1回総会で発表した。

 アルツハイマー病を含む認知症患者22人(平均年齢66.2歳)にリコード法を実施した結果、MMSE(ミニメンタルステート検査)の平均が初診時の20.6から改善、2回目(3~4カ月後)には21.5となった。MMSEとは、広く行われている認知機能検査の一つで、30点が満点。27点以下だとMCI、23点以下だと認知症が疑われる。今野医師は、「改善を認めた割合は8~9割。認知機能が低下していたのは、1人だけでした」と言う。

「ある患者さんのご家族からは、『これまで不安や意欲の低下があったが、リコード法を始めてからは頭がはっきりしてきた』という報告がありました。最近では部屋の片付けを手伝うようになったそうです。記憶力はまだ十分に戻っていませんが、明らかな変化がみられています」(今野医師)

 患者のこの変化で喜んだのは家族だ。家庭内が明るくなり、笑顔が増えたという。今回の発表データは期間が短かったが、今後、長期にわたって認知機能が維持できるか検証していくそうだ。(本誌・山内リカ)

プロトンポンプ阻害薬は以下の疾患の治療に用いられ、投与中は定期的に血液学的検査を行うことが望ましい。

 

追記:

 
スタチンは冠動脈疾患のリスクを25%から40%あるいはそれ以上に低下させるが、冠動脈疾患のリスクの85%は食事が要因である[10]。しかし、糖尿病患者には心疾患予防効果は認められず[11]、さらに新規糖尿病患者が増加するとの報告がある

《眞子さまはICUで小室圭さんに出会い、悠仁さまも…》秋篠宮家「学習院嫌い」の教育たのか?

2021-03-28 11:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です

「秋篠宮家の長男・悠仁さまは来月、中学3年生になられます。つまりは受験生です。今度こそは学習院を選んでいただきたいと心から切に願っています」20201130_秋篠宮皇嗣殿下御誕生日_宮内庁提供_11月14日午前10時00分頃_宮邸(ご仮寓所)及び赤坂御用地 (1)
 ある学習院大学OBは、今の思いをこう吐露する。悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学だが、お茶大の附属高校は女子校だ。このためインターネットなどでは中学ご卒業後は、お茶の水女子大学と筑波大学が相互運用する「提携校進学制度」という制度を使って筑波大学附属高校(筑附)に進まれるのではとの“憶測”や、秋篠宮さまが客員教授を務められている東京農業大学の付属校・東京農業大学第一高校(農大一高)に進学されるのではといった“観測”も散見される。今年の1月31日に文春オンラインにアップされた記事では、学習院高等科に加え「都内私立大トップの付属高校」を有力候補に挙げている。
秋篠宮ご夫妻は、なぜ学習院を避けるのか
 宮内庁関係者が語る。
「そもそも秋篠宮ご夫妻は、なぜこれ程までに学習院を避けてこられてきたのでしょうか。ご夫妻は共に学習院大学在学中に知り合われ、ご結婚に至りました。秋篠宮妃紀子さまの父・川嶋辰彦さんはかつて学習院大学経済学部の教授を務め、現在も名誉教授の称号をお持ちです。秋篠宮さま 
 一方で長女の眞子さまは幼稚園から高校までは学習院でしたが、大学はICU(国際基督教大学)を選ばれ、次女の佳子さまも学習院大学まで進まれましたが、中退してICUに進まれました。悠仁さまに至っては、幼稚園からずっとお茶の水女子大学附属です。学習院とは一切、関係を持たれたことがないのです。
 学習院の起源は幕末に京都に設けられた公家のための教育機関です。明治期に入り、華族のための教育機関として学習院が創立されました。後に大正天皇となる嘉仁(よしひと)親王が1887(明治20)年、学習院の初等学科(現・初等科)に入学した際、首相の伊藤博文が箱型のランドセルを特注し、献上したのが皮革製ランドセルの始まりというのは有名な話です。昭和天皇も学習院初等学科で学んでいます。上皇陛下は初等科から大学まで学習院ですし、天皇陛下は幼稚園から大学まで学習院です。歴代天皇が通った学習院に悠仁さまは一度も通うことなく終わられてしまうのでしょうか」
愛子さまは学習院の伝統を継承しているが、悠仁さまは…
 天皇家の長女・愛子さまが2008年に学習院幼稚園から初等科に進まれたとき、学習院指定の老舗鞄メーカー「大峽(おおば)製鞄」製のランドセルが話題になったこともあった。大峽製鞄のランドセルは数々の皇族方も使用された伝統の品だ。20201130_秋篠宮皇嗣殿下御誕生日_宮内庁提供_11月14日午前10時00分頃_宮邸(ご仮寓所)及び赤坂御用地 (5)
 前出の学習院大学OBが話を継ぐ。
「悠仁さまは2014年10月、生前退位前の上皇・上皇后両陛下の80歳を記念した特別展をご覧になった際に、上皇陛下が学習院初等科時代に使われていたランドセルを見学されたことがありました。愛子さまは大正天皇が始まりとなった皮革製ランドセルを背負って大正天皇、昭和天皇、上皇陛下、天皇陛下と同様に学習院に通われました。歴代天皇の伝統を継承しているという点において、愛子さまにも天皇としての資質や適性があるようにさえ思えます。
 悠仁さまがランドセルを背負って学習院に通うことはもちろんもうありませんが、学習院高等科に進まれなければ、このまま学習院と縁を持つことはないのかもしれません。歴代天皇が通った学習院の雰囲気を全く知らないまま、悠仁さまが天皇になられるというのは我々学習院のOB、OGにとってとても残念なことです」20201130_秋篠宮皇嗣殿下御誕生日_宮内庁提供_11月14日午前10時00分頃_宮邸(ご仮寓所)及び赤坂御用地 (6)
 悠仁さまが来春、学習院高等科を選ばなかった場合、もう一つ大きな問題が出てくる可能性がある。お茶の水女子大学側も附属校の警備について徐々にノウハウを蓄積してきていたが、それが再びゼロからのスタートとなる点だ。
悠仁さまの机の上に置かれた「刃物事件」も……
「学習院は歴代皇族方が通われたことで警衛(皇室警備)のノウハウや皇宮警察本部、地元の警察署などとの連携にも蓄積があります。お茶の水女子大学附属中学校では2019年4月、入学したばかりの悠仁さまのクラスの教室に男が侵入し、悠仁さまの机の上に刃物が置かれるという重大事件が起きました。この事件ではお茶の水女子大学関係者や警察関係者、宮内庁、皇室全体にも衝撃が走りました。お茶の水女子大学附属高校は女子校で、学習院高等科に入られないとなれば、どこの高校に行くにしても警備面で再び不安が頭をもたげてくる可能性があります。なんとしても秋篠宮ご夫妻には高校は学習院を選んでいただきたいのです」(同前)ボリビアでの眞子さま 
 眞子さまはICUで小室圭さんと出会われた。秋篠宮ご夫妻の、お子さまの意思を尊重される教育方針も十分理解はできるものの、その教育方針が悠仁さまの刃物事件や眞子さまのご結婚延期問題を引き起こす“遠因”になっていることも事実だろう。
 男系男子の皇位継承を絶対視する人達の中にも、皇室とのつながりが深い学習院を忌避し、皇室の伝統を踏襲されない秋篠宮ご夫妻のご姿勢に疑問を感じる向きもあるようだ。悠仁さまを「(上皇・上皇后)両陛下からお預かりした大切な命」と表現されているとされる紀子さまが、警備の問題を軽視されているように受け取られるのも得策ではないはずだ。婚約内定 記者会見 JMPA
「学習院が皇室の伝統を守るために果たしてきた役割を、改めて思い起こして欲しいのです。とにかく秋篠宮家の“学習院離れ”を方針転換していただき、悠仁さまの進学先を学習院高等科にしていただきたいのひと言です」(同前)
 果たして秋篠宮ご夫妻は、そして悠仁さまご本人は、どのような選択をされるのだろうか。 


家族をちゃんと家で看取れるか 心配な時はどうすればいい?

2021-03-28 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

自分の死に場所は病院になるだろうと考えている人は多いのではないでしょうか。しかし、病院死と在宅死の割合が逆転し始めたのは1970年代の後半辺りから。現在では病院死が7割を超えていますが、50年ほど前までは、みんな当たり前のように自宅で家族に看取られて亡くなっていたのです。

 昔の日本人はいい意味で、死を家の中で身近に感じながら生活していたわけです。今は身近な人が死ぬところを見たことがない人が大多数です。そういった人が、いざ自分の夫や親が急変し重篤となった時、慌てて救急車を呼んでしまうのは、致し方ないのかもしれません。

 人間の死には4つのパターンがあるといわれています。「突然死」「経過の予後予測が比較的容易ながん末期」「状態が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら緩やかに弱っていく臓器不全」「老衰」です。

 在宅医療を受ける人には、ほとんど突然死はありません。大抵は終末期を2~3カ月間、自宅で過ごし、旅立っていきます。がん末期や徐々に落ちていく死は穏やかな死なので、自宅でも十分に診られるのです。在宅医師も大体の予後や経過が想定できます。その時の心構えなども折を見て伝えるので、ご家族も慌てることなく穏やかな看取りができます。

こんなケースがありました。60代前半の男性で肺がん末期。在宅医療に興味があるものの、当初、奥さまが在宅医療に非常に不安を抱えていたので、私たちは何度も説明を行いました。

 具体的には、訪問の頻度(患者さんが歩いてトイレまで行けたら週1回、ベッド生活中心だと週2回といったふうに)、在宅医療よりも病院の方がよいとなればすぐに再入院のお手伝いができる体制であること、自宅で家族が常にそばにいる環境が患者さん本人にとってみれば一番安心であること……などです。

 すると、患者さん、奥さま双方が「一度家に戻ってみよう」となり、実際に自宅で過ごし始めると、息子さんや娘さんが頻繁に訪れて賑やかな日々。このまま自宅で過ごしたいとなって、そのためにどうすればいいのだろうかという思考にご家族の考えが変わっていきました。

 本格的に在宅医療に切り替えた後も、患者さんやご家族の状況に合わせて治療のやり方をそのつど柔軟に変えていきました。

 奥さまが薬局に薬をもらいに行くのが大変になったなら訪問薬局を導入したり、飲み薬がつらかったら貼り薬に替えてみたり。途中、奥さまが「自宅で本当に看取りをできるのかしら」と心の内を漏らされた時は、今後の経過について、どういう状態になっていくかなどをiPadでイラストなどを見せながら説明しました。

 こうしてご家族の不安や不便を取り除きながら、約1カ月後に最期の時を迎えました。

 在宅医療は患者さんの経過に合わせて一緒に寄り添う医療です。自宅に帰りたいという気持ちがあるなら、帰りましょう。不安があっても大丈夫。プロのチームが支えますから。

下山祐人
あけぼの診療所院長
2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。

追記:看取り、在宅医療については久坂部羊さんの小説「告知」幻冬舎文庫。南杏子さんの「サイレント・プレス 看取りのカルテ」が参考になります。