皆さんと一緒に考えましょう

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

薬は月600錠に…処方された「痛み止め」に依存した50代男性の地獄

2021-09-03 15:30:00 | 日記

下記はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

起床時の手指のこわばり
「疲れが溜まっている」と思った
(あれ、おかしいぞ)
 起床時、スマホに手を伸ばしたマサオミさん(仮名・当時55歳)はある異変に気付いた。手がおかしい。右手の小指と薬指がこわばって動かしにくく、うまく持てないのだ。鈍く痛んでいるような気もする。きつい手袋をしているような感覚だろうか。
 スマホを離し、改めて手を握ったり開いたりしてみると、他の指も動かしにくい。特に薬指が曲がらない。こんなことは初めてだったが、PC作業で根を詰めたときに似たような感じになったことがあるため、(指の使い過ぎかもしれない。様子を見てみよう)と考え、いつも通り出勤した。
 ただ、異変は手指だけではなかった。なんとなく手首や肩などの関節もギシギシとさびついたように動かしにくかったし、何より熱っぽく、身体が鉛のように重くだるい。微熱があるようだ。
(まいったな、疲れがたまっているのかな。こりゃあ、倒れてしまうかもしれない)
 不安に駆られながら帰宅し、夜は早々に就寝。翌朝を迎えた。(手指の具合はどうだろう)確かめるように動かすと、症状はさらに悪化していた。左手の指も右手同様にこわばり、曲げにくくなっていた。
 もはや様子を見ている場合ではない。急いで近所の整形外科を受診すると問診・触診、血液検査、X線検査をしてもらい、「結果は1週間後」。再診すると医師は検査データを見ながら言った。
「関節リウマチの可能性が高いです」
 結果が出るまでの1週間、マサオミさんは自分の症状をネットで調べまくり、(関節リウマチかもしれない)とは予想していた。というのもその後、体の不具合が怒涛(どとう)の勢いで進行したからだ。
 当初右手だけだった手指のこわばりは、すぐに両手の全部の指に広がった。さらに腕がずっしりと重たく感じ、両肩に激痛が走る。ただ事ではないと思った。
「関節リウマチとは、関節に炎症が起きて、痛みや変形が生じる病気です。女性、高齢者の病気というイメージがありますが、患者の約20%は男性ですし、近年は増加傾向にあります。特に30~60代の働き盛りの男性で発症する方が多いんですよ。
 原因は明らかにはなっていませんが、男性の場合、喫煙や感染症が主な原因になります。喫煙はいけませんよ。関節リウマチの発症リスクは2~14倍に増加しますし、関節リウマチの治療効果も20~60%減弱しますからね」
 淡々とした医師の説明は、マサオミさんをいら立たせた。
「喫煙はしません。人生で一度も吸ったことはないです。お酒だって、付き合い程度しか飲まないし、食事にも気を付けて、運動も週2回プールに通って泳ぐことを習慣にしてきました。それなのにどうして…」
「そうですね。こればかりはどうにも。ただ以前は、関節リウマチに対する有効な薬はありませんでしたが、現在では炎症や炎症の原因となる免疫の異常を起こりにくくする薬が次々と登場しています。早期に治療を始めることで、骨の変形を防ぎ、寛解(かんかい。病気が落ち着いて安定している状態)を保つことができるようになっています。
 残念ながら現在の医学では完全に治すことはできませんが、治療しながら普通の生活を送ることは可能です」
耐え難い苦痛の日々
医療用麻薬を勧められた
「普通の生活を送ることは可能」という医師の言葉を信じ、マサオミさんは前向きに病気と向き合った。処方された薬をきちんと飲み、適度な運動を心がけ、「リウマチに効く」とされる温泉に通い、健康食品も試してみた。
 だが治療効果は上がらず、病状は悪化した。膝が曲がりにくくなり、足裏にも痛みが出るようになったため歩行がつらく、布団から起き上がれなくなり仕事を休んだ。いっそ手足を切り落としてしまいたいと思うほどの痛みが四六時中治まらず、(もうすぐ薬が効いてくれるはずだ)と自分に言い聞かせながら一日一日をなんとかやり過ごす。強い痛み止めも併用していたが効いている気がしない。痛みと闘いながら眠るために、毎夜睡眠薬を使うようになった。
(あと5年で定年なのに、このままでは勤め上げられそうもない。退職したら、夫婦で旅行したり、趣味の民族楽器で演奏会をしたりするつもりだったのに、何もかもおしまいなのかな。こんなに痛いんじゃ、もう死んだほうがましだ。
 いや、待てよ。ここで弱気になっちゃダメだ。世の中にはもっとつらい病気と闘っている人がいる。俺はとりあえず、生命に関わる病状ではないんだから、我慢しないと。だけどつらい。死にたいよ。ダメだな俺は。なんて弱い人間なんだ。生きている価値がない)
 そうして1カ月が過ぎた頃、治療効果が見えないことにいら立ったマサオミさんは主治医に食ってかかった。
「先生、せめて痛みだけでもなんとかしてください。気が狂いそうです」
「今お出ししている薬は効果が見えるまでもう1~2カ月は様子を見たほうがいいんですよ。でも痛みはつらいですよね。モルヒネを使ってみますか」
 そう医者は提案した。
「え、モルヒネですか。どんな薬ですか」
「医療用麻薬とかオピオイドとか呼ばれている鎮痛薬です。がん患者さんの痛み止めにも使われている薬で、とてもよく効きますよ」
「でも、麻薬なんですよね。依存症になったりしませんか」
「大丈夫ですよ、法律で医療用に使用が許可されている麻薬ですから。痛みの治療を目的に適切に使用すればいいんです。楽になりますよ。リウマチの薬の効果が見えるまで、モルヒネで痛みを抑えながら頑張りましょう。主な副作用は、便秘と吐き気ですが、それを軽減させる薬も一緒に出しますからね」
「依存性はない」はずが
薬は月600錠に激増
 モルヒネは劇的に効いた。痛みが消えるだけでなく、気持ちが明るくなり、マサオミさんは病気になる前よりも陽気になった。あまりにも気分がいいので、当初は飲み過ぎないよう痛みをギリギリまで我慢してから飲むように心がけていたが、やがてブレーキが利かなくなった。処方された量では、次回の予約日まで全然持たない。
「先生、モルヒネはとてもよく効く、素晴らしい痛み止めですね。ただこの頃、効果がすぐ切れるようになってきたのでもっとたくさんもらえませんか」
 せっせと通院し、機嫌よく依頼すると、主治医は気軽に応じてくれた。結局、最初のリウマチ薬は効果が出ず、さらに効きそうな薬を試しているうちにモルヒネの量はどんどん増え、1カ月分で600錠にもなった。
「えっ、あなた。こんなにたくさん薬を飲んでいるの。飲み過ぎなんじゃないの」
 ポリ袋に入れた大量の薬を見た妻が一度、驚いた顔で聞いてきたことがあった。
「大丈夫だよ。医者も痛みのコントロールが目的で飲む分には問題ないって言ってたよ。ちょっと便秘がつらいんだけどさ。リウマチの痛みが強すぎて、これがないともう寝たきりになりそうなんだ。大丈夫、リウマチの薬が効いて、寛解って状況になったら、すぐやめるから。今だけ、この薬が必要なんだ」
 慌てて言い返したが、実は本人も心配で、モルヒネを飲むのを何度か我慢してみたことがあった。するとたちまち、いたたまれないような不安感、激しい動悸(どうき)、鳥肌、大量の発汗、筋肉のけいれんなどに襲われ、とてもじゃないが耐えられない。休日、家に1人でいる時だったので、誰にも見とがめられることはなかったが、もし誰かに見られたら(絶対に、薬物依存だと思われるだろう。公務員の自分がそんなことになったら、大問題だ。絶対に薬を切らすわけにはいかない)と考え、以降は万が一早めに薬の効果が薄れたときに備え、レスキュー薬と呼ばれる速放性(すぐ効果の出る痛み止め)の薬も処方してもらって飲むようになった。
 それから2年間、淡々とした日々が過ぎた。リウマチのほうは効果がある薬が見つかり、進行を食い止められるようになっていたが、モルヒネを減らすことはできなかった。尋常でない量を飲み続ける不安も、いつの間にか忘れた。
 だが、そんな毎日に突然終わりが来た。主治医が隠居し、大学病院の勤務医だった息子が新院長になったのである。マサオミさんがいつものように薬をもらいに行くと、カルテを見た新院長は絶句した。
「驚いた、すごい量を飲まれていますね。これ、全部飲んでいるんですか。それとも家に保管しているだけですか」
「なくなると大変なので、多めに出してもらってはいますが、それくらいの量は絶対に必要です」
 うろたえながらも、懸命に訴えた。モルヒネを減らされるかもしれないと想像しただけで、冷たい汗が流れた。
非がん性慢性痛患者の
大量使用は増加傾向にある
「麻薬をこんなに飲むなんて、本当に大変な痛みだったんですね。つらかったでしょう」
 ここは某大学病院の「痛みセンター」。難治性の慢性痛患者の治療と研究を専門に行うことを目的に設置された医療機関だ。新院長からの紹介でやってきたマサオミさんが持参した薬の束を見た医師は、優しくいたわるように話し出した。
 薬物中毒患者として、軽蔑されたりあきれられたりすることを想像していたマサオミさんは、凍り付いていた心が解け出したように、涙を流した。
 違法ではない医療用麻薬を処方され、依存症になってしまったマサオミさんにはまったく罪はない。では悪いのは誰なのか。こんなことは通常では起こりえないことなのか――。
医療用麻薬の不適切(大量)使用問題に詳しい獨協医科大学の山口重樹教授は次のように語る。
「医療用麻薬(オピオイド鎮痛薬)は適切に使用されている限りは非常に良い鎮痛薬です。しかし、次第に依存症の問題が深刻化し、オピオイドクライシス(アメリカ社会のオピオイドによる危機的状況)が叫ばれるようになりました。2017年にはトランプ大統領が公衆衛生上の法に基づく非常事態宣言を行い、アメリカでは年間7万2000人(2019年)、カナダでは4571人(2018年)が関連死しています。
 日本では専ら、がん患者用の痛み止めとして使用されていますが、アメリカやカナダでは『痛みの緩和は人権=必要最低限の医療』という考え方に基づいて、積極的な処方が推奨された時期があったのです。
 当初は痛みの緩和目的で適切に使用されている限り依存性はないと考えられていましたが、間違いでした。実は短期間でも精神的依存になりやすい、量がどんどん増えてしまうといった特性があり、依存症患者が急激に増加してしまいました。
 もともと医療用麻薬はがん患者を中心に投与されていたもので、かつてはがん患者の生命予後も限られていましたので、処方の終了は患者の死でした。しかし、非がん性の慢性痛は、いつ薬をやめたらいいのか分かりません。何カ月までなら問題ないのかは、誰も分かっていない。
 どうも使用が長期化するほど、やめにくくなることが明らかとなり、必要最少期間にとどめるべきとの意見が一致し、世界中のガイドラインでは、投与期間について3カ月とか6カ月とかしっかり区切るようになってきました。マサオミさんの場合も、モルヒネの処方を始める際、期限を約束して、厳格に守るべきでしたが、医師はこのことを理解していなかったんですね。そういう意味では、医療行為が病気を引き起こした医原病です。リウマチ、慢性疼痛、薬物依存と3つの病気をマサオミさんは背負うことになってしまったわけです。少しずつですが、私のところでもマサオミさんのような患者さんは増えています。氷山の一角かもしれません」
 マサオミさんは、現在、適切なオピオイド治療に修正してもらい、適切に痛みを緩和しながら、モルヒネによる便秘も改善し、安定した日々を送っている。リウマチの再燃も見られない。
「適切なオピオイド治療とは、必要かつ適切な患者に、オピオイドによる有益が不利益を上回る必要最小限の量で、必要最少期間投与することです」と最後に山口教授は強調した。
※本稿は実際の事例・症例に基づいて構成していますが、プライバシー保護のため患者や家族などの個人名は伏せており、人物像や状況の変更などを施しています。
(医療ジャーナリスト 木原洋美、監修/獨協医科大学医学部麻酔科学講座教授 山口重樹)


「アクリル板」実は感染対策に逆効果だという衝撃

2021-09-03 13:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です。

新型コロナウイルス感染対策で、ネイルサロンから学校までさまざまな場所にプラスチック製の仕切りが設置されるようになった。直感的には、アクリル板はウイルスを防いでくれているように思える。
しかし、エアロゾル(空気中を浮遊する微小な粒子)や気流、換気の専門家によると、多くの場合、仕切りは感染対策に役立っておらず、人々に誤った安心感を与えているにすぎない。それどころか、場合によっては感染の拡大につながるおそれすらあるという。
研究によると、レジカウンターの店員を保護する仕切りのせいで、ウイルスがほかの従業員や客に向かう場合がある。透明なアクリル板が何列も並んでいるネイルサロンや教室のような場所では、正常な気流や換気が妨げられているケースもある。
仕切りで生まれる「死角」にウイルスが充満
店舗、教室、オフィスでは通常、呼気に含まれた粒子は気流に乗って分散し、別の場所に運ばれていく。換気システムにもよるが、およそ15〜30分ごとに新しい空気に入れ替わるのが一般的だ。ところが、アクリル板を設置すると正常な換気が妨げられ、ウイルスのエアロゾル粒子が蓄積して高濃度になる「デッドゾーン」が生まれることにもなりかねない。
バージニア工科大学のリンジー・マー教授(土木環境工学)は「仕切りが林立した教室では、正常な換気が妨げられている」と指摘する。同氏は空気感染に関する世界的な専門家の1人だ。「エアロゾルが仕切りにつかまって蓄積され、最後には机の領域の外に広がっていく」。
確かにアクリル板が感染防止に役立つとみられる場面もある(ただし、効果はさまざま変数に左右される)。例えば、仕切りは咳(せき)やくしゃみをしたときに飛び散る大きな飛沫をブロックしてくれる。ビュッフェやサラダバーにプラスチック製のガードが設置されていることが多いのも、そうした理由からだ。

それでも新型コロナウイルスの感染は、主に目に見えないエアロゾルを介して広がっている。アクリル板の効果についての実証実験はまだ少ないが、アメリカとイギリスの科学者が始めた研究では、感染防止に逆効果となりうることがわかってきた。
ジョンズ・ホプキンス大学の研究者が中心となって6月に発表した研究はその1つで、教室に設置された仕切りによって感染リスクが高まることが示された。マサチューセッツ州の学区で行われた研究では、事務局に設置された側面付きのアクリル板によって空気の流れが妨げられていたことがわかった。
さらにジョージア州の学校を対象にした研究では、机に設置した仕切りは、換気の改善やマスクの着用に比べ、ほとんど何の感染予防効果ももたらしていないことが明らかになった。
新型コロナのパンデミックが始まる前の2014年に発表された研究では、パーティションで区切られたオフィスのキュービクルが、オーストラリアで結核が流行した際に感染拡大を助長した要因の1つだった可能性が指摘されている。
咳など大きな粒子には効果があるが…
イギリスの研究者チームは、店舗の客など仕切りの反対側にいる人が話をしたり咳をしたりしたときに吐き出す粒子の動きを、さまざまな換気条件でシミュレーションするモデル研究を行った。その結果は次のとおりだ。
咳をしている場合には大きな飛沫が勢いよく飛んで仕切りにぶつかるため、アクリル板の有効性は高まる。しかし、話をしている場合に吐き出された粒子はアクリル板にひっかかることなく浮遊する。仕切りのおかげで粒子が店員に直接かかるのは防げたとしても、粒子は部屋の中を漂うため、店員などは汚染された空気を吸い込む危険にさらされる——。
「大きな粒子はブロックできても、小さなエアロゾルは仕切りを乗り越えて移動し、およそ5分以内に室内の空気と混ざり合うことが私たちの研究で示された」とリーズ大学(イギリス)のキャサリン・ノークス教授(建築環境工学)は語る。「つまり、人と人との交流が数分以上続けば、仕切りがあったとしても、ウイルスにさらされる可能性は高くなる」。
大半の研究者は、仕切りは極めて限定的な状況でしか役に立たないと口をそろえる。例えば、床から天井まで届くアクリル板で客席と遮断されたバスの運転席がそれに当たる。こうすれば、運転手は乗客の呼気をあまり吸い込まなくてすむだろう。ガラスの壁で仕切られたアメリカの銀行の窓口係や、同様にガラスの向こう側にいる病院の事務員も、少なくとも部分的にはウイルスから守られているといえそうだ。
学校やオフィスにアクリル板を設置したときの影響を確定するにはさらなる研究が必要だが、取材したエアロゾル専門家の全員が「机のアクリル板が感染防止に役立つ可能性は低く、部屋の正常な換気を妨げる可能性が高い」という見解で一致した。条件によっては、アクリル板のせいでウイルスの粒子が部屋に蓄積することにもなりかねないという。
エアロゾルの専門家は、学校や職場は仕切りではなく、効果の実証された対策に集中すべきだと話す。ワクチン接種可能な学生や従業員に接種を奨励したり、換気を改善したり、必要に応じてHEPAフィルターによる高性能な空気清浄機を導入したり、マスクの着用を義務付けたりする、ということだ。
生兵法はけがのもと
問題は、オフィス、レストラン、ネイルサロン、学校などに設置されている仕切りの大部分が、空気の流れや換気を評価できる工学専門家の助言なく設置されていることだと専門家は言う。
もちろん、アクリル板が設置されているのを見てパニックになる必要はないが、アクリル板によってウイルスから守られていると錯覚してもならない。仕切りのある環境にいる従業員や学生は感染リスクを下げるためにマスクを着用し続けるべきだ、とカリフォルニア大学デービス校のリチャード・コルシ次期工学部長は言う。
コルシ氏によれば、「部屋の中の空気の流れはとても複雑だ。家具の配置、壁や天井の高さ、通気口、本棚の位置など、部屋にはそれぞれの違いがあり、そうした違いのすべてが、実際の気流や空気の分布に大きな影響を与える」。
(執筆:Tara Parker-Pope記者)
(C)2021 The New York Times News Services


【ルポ】女性の自殺がコロナ禍で急増している。追い詰められたときのセーフティネットは

2021-09-03 12:00:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です。

2020年、女性の自殺が例年と比べて急増していることが報じられ、社会に衝撃が走った。自殺を考え、実行してしまう心理状態とは。その背景にあるものは。自殺未遂の経験者や専門家に話を聞いた。(取材・文=古川美穂)
10年ほど減少傾向にあった自殺者数が増加に
「『死のうとするくらいなら、死んだつもりで頑張ればいいのに』と言う人がいます。でもそれは当事者の心理状態を全然わかっていない意見だと思うのです」と言うのは、都内で自営業を営むシングルマザーの山内亮子さん(53歳・仮名)だ。
山内さんは自動車事故を発端にさまざまなトラブルが重なって思い悩み、数年前から何度か自殺を図っている。
「実行するのはいつもふとした瞬間のことでした。いろいろな問題が積み重なって、あるとき急に、楽になりたい、自分なんていないほうがいいという気持ちが湧き上がり抑えられなくなって……」
1年以上続くコロナ禍の中、この10年ほど減少傾向にあった自殺者数が増加に転じた。2020年は2万1081人で、19年の2万169人を912人上回る。なかでも目立つのが女性の急増だ。前年と比べて男性が23人減少したのに対し、女性は935人増加している。
NPO法人自殺対策支援センターライフリンク代表の清水康之さんは、状況をこう分析する。
「新型コロナウイルス感染拡大以降の自殺率を引き上げているのは、女性と若年層です。なかでも専業主婦を含めた無職の女性、独居よりも同居人のいる人の増え方が目立っているのが特徴です」
感染が広がり始めた初期は社会全体に防衛的な意識が高まり、むしろ前年の同時期よりも自殺者が少なかった。しかし状況が変化する中で、徐々に社会的立場の弱い人にほど負担が重くのしかかっていった。この数字はその影響が如実に出た結果ではないかと言う。
「女性に多い非正規労働者の失業と貧困。子育てや介護をする環境で孤立状態が深まったこと。閉鎖的な空間での家族関係の悪化やDV(家庭内暴力)など、さまざまな要素が挙げられます。以前からあった女性を取り巻く諸問題が、コロナ禍によって改めて浮き彫りになったとも言えるでしょう。そこに有名人の自殺報道が続いたことも引き金のひとつとなりました」
清水さんが指摘するように、6月11日に閣議決定した「令和3年版男女共同参画白書」ではコロナ下で「女性(シー)」と「不況(リセッション)」を合わせた「シーセッション」と呼ぶ雇用悪化が進んでいると記載された。
平均4つの問題を抱えて
NHKが行ったアンケート調査では、女性の26.3%、つまり約4人に1人が「解雇や雇い止め」「労働時間の減少」などに追い込まれていた。「収入が5割以上減少した」女性は15.4%(男性は8.1%)、「『休業手当』が支払われていない」のは女性が25.6%(男性17.6%)となっている。職を失った女性の4割近くは再就職していないと答え、男性を大幅に上回った。
また、全国の配偶者暴力相談支援センターなどの相談窓口に寄せられた件数は前年度より約1.6倍多い19万件に上るなど、在宅時間が増えたことによるDVの増加も明らかに深刻化している。
自殺に至るまでの過程は、決して単純ではない。
「どんなケースであれ、それは追い込まれた末の死です。我々は自殺で亡くなった523人について、お一人ずつ関係者への聞き取り調査を実施しました。その結果、職業や立場によって自殺を選択するまでの経緯は違うのですが、それぞれにある程度の規則性があることや、一人の方が平均4つの問題を抱えて亡くなっていることなどがわかりました」(清水さん)
なかでも多いパターンは、こうだ。まず何らかの経済問題が起きる。次に雇用や暮らしの困難に進む。人間関係や家族間の問題が生じる。そして最終的に心の健康が損なわれて、自死を選ぶ。
「自殺というのは決して特別な人が特殊な問題を抱えてするものではありません。日常的な悩みが深刻化し、そのことでまた別の問題を抱え込み、さらにそれが別の問題を生む、というふうに連鎖して起きる。我々の日常と地続きなんです」と、清水さんは言う。
弱いものにしわ寄せが行く
生きづらさを抱えた自らの体験を綴った『この地獄を生きるのだ』などの著書を持つ小林エリコさん(44歳)は、20代から30代にかけて4回の自殺未遂をしている。
最初は21歳のときだった。
「いろいろな要素が絡んではいますが、一番の原因は完全に『貧困』だったと思います。当時は編集プロダクションに勤めていたのですが、今でいうブラック企業でした。毎晩遅くまで働いても残業手当は一銭もつかず、月給12万円。正社員なのに保険にも加入させてもらえない。けれど私はほかに社会経験がなかったし、当時はインターネット環境もありませんから、自分が置かれている状況が異常だとわからなかったのですね」
貧困が恐ろしいのは、お金がないために人との縁まで切れてしまうことだと、小林さんは言う。
友人と喫茶店や居酒屋にも入ることができず疎遠になる。職場以外に人間関係を広げる余裕もない。給料日に一人で回転寿司店に入り、財布と相談して一番安いネタを3皿だけ食べて出てきたときの哀しさは今も忘れられない。
「決行する日は1ヵ月ぐらい前から決めていました。会社で抱えていた仕事がすべて片付いた後に、『よし。これで今日死ねる』と。我ながら、真面目すぎるんですね」
うつ病になるのは基本的に生真面目な性格の人が多い。だがうつ病になると頭の回転や動作が鈍り仕事の能率が下がったり、夜眠れなくて遅刻が増えたりする。そのため社会的には怠けていると見做されがちだと、小林さんは続ける。
「悩みがあってもちゃんと眠れて食べることができるときは、この状況はおかしいと自分でもわかるんです。でも忙しすぎたり、眠れなかったり、うつ病などの精神疾患にかかると正常な判断が下せなくなってしまう」
クリニックのデイケアに通い、社会との接点を探り…
小林さんは命を絶とうとした。だが当日に電話で話した友人が異変に気づき、知人に様子を見に行ってもらったところ、小林さんは室内で倒れていた。救急車で大学病院に運ばれ、3日間意識不明で生死の境をさまよったが一命をとりとめた。
その後、精神科病院への入院などを経て再就職を目指すが、何度も挫折したという。
「退院してから10年ぐらい、実家で母親と暮らしていました。引きこもりで10年というのは本当につらいので、自分でもまた働きたいとずっと思っていたんです。でもちょうどリーマン・ショックの後で不況が続き、『障害者』である私はアルバイトすら面接で落とされてしまう。これから一生ここで母親と暮らすのだと思ったら絶望感がすごくて……」
体も心もボロボロになっていった。あるとき、このままでは本当にダメになると感じた小林さんは、実家を出る決意をする。生活保護を受けながらクリニックのデイケアに通い、少しずつ社会との接点を探っていった。
そして10年ほど前にNPO法人の事務職を得てからは、一度も自殺を試みていない。
「今日は面倒くさいから仕事に行かずに寝ていたいとか、辞めたいと思うことも時々あります。それでもやはり今の自分を生に繋ぎとめてくれているのは仕事であり、お金だと思う。働いていれば人との縁も自然と増えていくようにできていますし。だから働きたい人がちゃんと全員働けるような世の中になってほしい、と心から思うのです」
今、小林さんはコロナ禍で追い詰められる女性たちのことをとても心配している。
「私自身もいまだに非正規雇用だし、最初の緊急事態宣言のときはお給料が10%カットになりました。それでも事務職なので影響は少ないほうです。接客や対面サービスの仕事は圧倒的に女性の割合が多いけれど、コロナ禍で宿泊、飲食、小売業などが打撃を受け職を追われる人も増えました。私の友人にも解雇された人が何人もいます。また、医療、介護や保育などにもしわ寄せが行って労働環境がよりハードになっている。こうした仕事は社会を支える一番大事なものなのに、相変わらずお給料が低いうえ、まったく保障が行き届いていません」
こうした現実が女性の自殺急増の裏に横たわっている。
個人ではなく社会構造の問題
自殺を考える人たちのセーフティネットのひとつになっているのが、電話やSNSを使った相談窓口だ。公的な電話相談では24時間365日受け付ける「よりそいホットライン」、民間では「いのちの電話」や「自殺防止センター」などがある。またSNSを通じた相談も、最近は大小さまざまな窓口ができている。
「ライフリンクでも、18年から行ってきたSNS相談に加えて今年2月から『#いのちSOS』という電話相談を始めました。これまでの電話相談はつながりにくいという難点があったのですが、ITの技術を活かして、初めての相談者からの相談を優先的に受けられるような仕組みを構築し、相談の受け皿も強化しています」と、前出の清水さんは言う。
「#いのちSOS」では相談に乗るだけでなく、緊急性の高い場合は通信事業者とも連絡を取って警察と連動し、対象者を保護できるようにしている。先日も若い女性が飛び降りる寸前で警察に保護してもらったという。
「死にたいといっても、多くの人は積極的に死を望んでいるわけではないと思います。もう生きられないから死を選ぶしかない、心の底では助けてほしいという思いがあるのだと思ってわれわれはご相談を受けています。また、こうした活動を通じて感じるのは、自殺を考えている方は『こうなったのも自分が悪いからだ』と思っているケースが多い、ということ。しかしこれは自己責任や個人の問題ではなく社会構造の問題です。それを広く知っていただけたら」(清水さん)
精神科や心療内科を受診してほしい
一方、自殺した人の約9割は、亡くなる前にうつ病をはじめとする何らかの精神疾患を抱えていると指摘するのは、精神科医で星槎大学大学院の内田千代子教授だ。
「そのような方は、死のうか生きようか、心の底では最後まで揺れ動いていることが多い。その根本にあるのが、絶望的なまでの孤立無援の感覚です。世の中には誰も自分を助けてくれる人がいないという孤独感。自分には価値がないという無価値感。それらは往々にして、うつ病などからくる認知の歪みです。そうした思い込みをほぐすには、専門家の力も必要。もし毎日のように死にたいという思いが浮かぶなら、精神科や心療内科を受診してほしいと思います」
うつ病の症状は、下に挙げたリストがひとつの目安となる。
「この中でも特に重要な(1)か(2)がひとつでも入り、かつ合計で5つの項目が該当する状態が2週間続いた場合はうつ病を疑ってください。まだそこまでいかないけれど、うつ傾向があると感じる場合は、信頼できる人に相談してみるだけでも気持ちが晴れる可能性があります。そして、運動、睡眠、食事、規則正しい生活リズムなど、生活習慣を整えることも大切です。特に運動はさまざまな精神疾患に対する高い予防効果が認められています」と内田教授は説明する。
運動は筋トレなどの無酸素運動でも、ジョギングやウォーキングなどの有酸素運動でも、どちらでもよい。ただし、少し息が上がる程度の軽いものが望ましいという。

うつ病の症状
(1) ほとんど一日中、毎日憂鬱な気分がある

(2) 喜びや興味の喪失が続く

(3) 食欲が減退し体重が減る、または食欲が増えすぎて体重が増える

(4) よく眠れない、または寝すぎる

(5) 落ち着きがないような焦燥感

(6) 疲労感、気力の減退

(7) 無価値感、罪悪感

(8) 思考力、集中力の減退、決断ができなくなる

(9) 死についての反復思考

※アメリカ精神医学会診断基準DSM-5より
一人で何とかしようとしないで
では身近な人が自殺をほのめかしたり、うつ状態にある場合はどう対応したらいいか。これに対してはカナダの自殺予防グループがまとめ、日本でも普及している「TALK」の原則が参考になると内田教授は言う。
「Tell(話す)は相手に心配していることを伝える。Ask(訊く)は『死にたいと思うことがあるか』『何を悩んでいるのか』など尋ねる。Listen(聞く)は相手の話を傾聴する。Keep Safe(安全確保)はその人を一人にしない。そのうえで医療や相談機関につなげること。自殺をほのめかされたり相談された場合、決して一人で何とかしようとせず、専門家に援助を求めるのが鉄則です」
前出の小林さんは学生時代からうつ病を患っており、医療費を支払うのにも苦労した経験がある。
「うつ病は慢性疾患なので、手続きをすれば医療費の自己負担が大幅に軽減できる自立支援医療という仕組みを利用できます。私は最初それを知らず3割負担のままだったので、一度の通院で3000円ぐらいかかって大変でした。思えば、私はいわゆる情報弱者だったんですね」(小林さん)
日本の福祉行政は基本的に「申請主義」だ。いろいろな制度があっても、本人がそれを知っていて自ら申請しないと恩恵を受けられない。
また小林さんは、生活保護を受けながら社会復帰を図った。だが日本では生活保護に対する偏見もまだまだ少なくない。
「生活保護はネガティブなイメージが強いけれど、本当はすごくよい制度だと思うんです。生きるための最低限を保障してくれる。受けたらずっと抜けられないわけではないのですから、たとえば女性が離婚して新しい仕事が見つかるまでの合間とか、失業保険が切れて使えないから受けるなど、もう少し楽な気持ちで使ったらいいのではないかと思います」と小林さん。
今はさまざまな支援策も増えている。当事者でなければその絶望感は理解できないかもしれない。だが追い詰められたと感じたときにも、少しだけ立ち止まり、生きる道もあるかもしれないという選択肢に気づいてほしい。


虚栄の履歴 小室さん母子の正体 抗議殺到、職員連続退職…追い詰められる秋篠宮家〈総力取材〉

2021-09-03 11:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です。

令和皇室を揺るがす母子――。2017年秋の婚約内定会見以後、3年余にわたって小誌は小室圭さんの友人や同級生、母・佳代さんの知人や元婚約者X氏など、多数の人物を取材してきた。過去のメモをもとに改めて徹底取材し、「将来の天皇の義兄」の真の姿に迫る。
◆ ◆ ◆
「結婚を認めるなんて、許せない」
 その日、朝から宮内庁にはこんな抗議の電話が殺到し、職員は対応に追われた。
 11月30日、秋篠宮の55歳の誕生日である。
〈眞子さま結婚「認める」〉
 こんな見出しが新聞各紙の一面に躍っていた。長らく懸案となってきた秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚問題について、秋篠宮が初めて「認める」と明言されたことが大きな波紋を広げている。小室圭さん
 同日、秋篠宮家にはもう一つ、大きな動きがあった。
「じつは11月30日付で、秋篠宮家を支える皇嗣職宮務官の女性が2人、同時に辞めたのです。時期外れに、一度に2人の辞職というのも異例です。急なことだったのか、補充人員もまだ一人しか決まっていません」(皇室担当記者)
 さらに、同日に発売された『週刊現代』にも、見逃せない記事が掲載された。
「小室さんの母・佳代さんの借金問題について、元婚約者のX氏が『今後一切、返済は求めない』とする独占告白が掲載されました。今回の会見で秋篠宮さまが小室さん側に求められた『目に見える形での対応』とは到底言えませんが、これで結婚に向けた障害は事実上無くなった」(同前)
 先月の「立皇嗣の礼」を経て、正式に皇嗣となられた秋篠宮。だが、冒頭の通り、ご一家には厳しい逆風が吹いている。秋篠宮家をここまで追い詰めたのが、眞子さまのお相手・小室圭さんと母の佳代さんをめぐる借金問題とその後の対応だ。令和皇室を揺るがす母子の背景には一体何があったのか。秋篠宮ご夫妻

 圭さんは91年10月5日生まれ。横浜市役所の職員だった父・小室敏勝さんは、学生時代に恋人・角田佳代さんと「卒業したら結婚しよう」と約束を交わしていた。言葉どおり、敏勝さんの就職後まもなく、90年頃に2人は結婚し、ほどなく圭さんが誕生する。
 明治大学理工学部建築学科を卒業し、市役所では都市計画に携わっていた敏勝さんは、圭さんが2歳のころ、横浜市港北区の新築マンションを購入。圭さんが小学生のころには敏勝さんが授業参観に参加し、児童からも「優しそうなお父さん」として知られていた。
 専業主婦の佳代さんは教育熱心だった。電柱にバイオリン教室の張り紙の掲示を見つけると、3歳の圭さんに週1回のレッスンを受けさせた。当初はバイオリンを持ち、立ったまま居眠りすることもあった圭さんだが、佳代さんが自宅での練習を怠らせなかった甲斐もあってか、腕前は上達。佳代さんは自宅マンションから1時間以上かかる東京都国立市の国立音楽大学附属小学校(音小)に、圭さんを進学させた。
「ウチの息子はバイオリンの天才です」
 母は周囲にこう言って憚らなかった。
 圭さんは、明るく素直な子どもだった。おかっぱ頭で、両親のことを「お父さま」「お母さま」と呼んだ。比較的、経済状況に恵まれた家庭の児童が多い音小にあって、小室家はむしろ庶民的な家庭と言えたが、その折り目正しさに、同級生たちは驚かされたという。
 そんな小室家の日常が突如、暗転する。02年3月5日、敏勝さんが38歳の若さで亡くなったのだ。
「お父さんが首を吊って自殺した」
 小室家からほど近く、一家が日頃から馴染みのあった喫茶店で、佳代さんはマスターにこう打ち明けた。
「私たちが寝ている間に、バタッと音がして、お父さんが家を出ていったんです。そのときは眠くて起きられなかったんだけど、ハッと気付いて、子どもを連れて追いかけた。そうしたら、川辺で首を吊っているお父さんが……」
 当時、圭さんはわずか10歳。だが、母にこう声をかけた。
「僕がそばにいるから大丈夫」
 残された母子はここから、強すぎるほどの絆を結んでいくことになる。
「パパが欲しい」と泣くんです母・佳代さん
 夫を喪い悲嘆に暮れる佳代さんは、連日その喫茶店で涙を見せた。佳代さんの話の間に夜が更け、傍らの圭さんが眠ってしまうと、マスターが小室家まで送り届けたこともあった。
 そんなある日。佳代さんが圭さんとともに、小柄な女性を連れて喫茶店にやってきた。30代半ばと思しきTシャツ姿の女性は、店に入るや、不可解なことを次々に口にした。
「私、このお店のこと、来る前から分かってたんだ。そこにある絵のことも」
 壁に飾られた油絵を見ながら話す女性。奥の席に座ると、出入り口付近の席を指して、語りかけた。
「圭くん、ほら、見てごらん。あそこにお父さんがいて、こっちを見てニコニコしているから」
 圭さんは嬉しそうに「ええっ!」と声を上げた。佳代さんも、そんな女性に全幅の信頼を置いている様子だった。
 佳代さんは、父親のいない息子が不憫でならなかった。このころ圭さんを通わせていた神奈川県内の絵画教室で、幅広い年代の生徒たちを相手に、問わず語りにこう語っていたのを教室の仲間は覚えている。
「この子、父親を亡くしているんです。だから息子のパパを探さなければならないの。息子が夕方になると『パパが欲しい』と泣くんです。黄昏病なの……」
 実際、敏勝さんの死後しばらくして、佳代さんに男性の影がちらつくようになる。近所に住む彫金師のY氏だ。奥さんに先立たれて独身だったY氏。佳代さんが絵画教室で、当時50代半ばだった絵の先生に、明け透けに相談を持ちかけることもあった。
「(Y氏は)60歳近い男性で、個人でアクセサリーを作っている人なの」
「その人、私の手を握ってきたんですけど、そのくらいの年代の男性でも性欲ってあるんですか」2017年9月の婚約内定会見
 ほどなく、Y氏は小室家に居候を始める。小学5年生の圭さんにとっては突然現れた同居人だったが、愛想良く接してみせた。
「圭も、その方をすっかり気に入っているのよ」
 周囲にそう語るほど、すっかり安堵した佳代さんは、Y氏との結婚を意識するようになる。敏勝さんの死から1年ほどが過ぎていた。しかし――。
「結婚はやめてほしい。出て行って!」
 結婚話が浮上すると、圭さんは突然、泣きながらこう訴えた。それまで“大好きなお母さまが幸せならば”と押し殺してきた感情を、圭さんが初めて爆発させた瞬間だった。
 圭さんが見せた、最初で最後の反抗。Y氏は結局、小室家を出て行った。
 こうして母子密着を強める2人。父親探しは頓挫したが、一方で、佳代さんはますます圭さんの教育に熱を注ぐようになる。バイオリンや絵画教室に加え、圭さんの小5の夏休みには、都内のインターナショナルスクールが主催するサマースクールにも参加。佳代さんが“ママ友”から評判を聞きつけ「是非、ウチの子も」と希望したのだった。
 大黒柱を失った小室家の暮らしは、決して楽ではなかったはずだ。じつは敏勝さんの死から1週間後、敏勝さんの父・善吉さんも後を追うように自ら命を絶っている。圭さんは、その祖父の遺産を一部相続したが、だからと言って経済的にさほど余裕ができたわけでもない。それでも佳代さんは、圭さんに「最上の教育」を施すことに強くこだわった。圭さんも母親の期待に応えようと、数多の習い事に黙々と取り組んだ。
 04年。圭さんは高校まで一貫教育のカナディアン・インターナショナルスクール(東京都品川区)に入学する。年間授業料は約200万円と、決して安くはない。母子は小5のサマースクールを契機に、英語のできる国際派となるべく、同校への進学を決めたのだった。
 中学生になった圭さんは、コミュニケーション能力に長けた少年に成長した。ユーモアもあり、クラスの人気者。ファッションにも気を遣い、中学3年生のときには自主制作映画の主人公を務めるなど、目立つ存在だった。なのに、親しい仲間内でもいつも聞き役に徹し、自らの内面をさらけ出すことはなかった。米フォーダム大での小室さん
 高校に上がる頃、母子の世界に変化が訪れる。佳代さんと、後に婚約者となるX氏が出会ったのだ。共通の知り合いが開いた会合でのことだった。X氏は当時、50代後半の外資系商社マン。ある晩、X氏は佳代さんから連絡を受けた。
「圭が一晩かけて作った学校のレポートを、誤って削除してしまって。何とかなりませんか」
 ITに詳しいX氏を見込んでの頼みごとだった。結局、修復はできなかったが、高校生だった圭さんは持ち前の人懐こさでX氏の心を掴んだ。たびたびパソコンを持ってきては、
「ここが上手くいかないんですけど……」
 と相談を持ちかけるようになったのだ。そんな交流の中で、X氏の家に母子が2人で遊びにくることも増えていった。佳代さんは夫を自殺で亡くしたことをX氏に打ち明けた。そして時折、こう漏らした。
「母子家庭だと、圭もいろいろと後ろ指をさされることがあるかもしれない。父親代わりになってくれる人がいないかな」
 思わぬ言葉が、X氏の口を突いて出た。
「圭くんのために、お父さんがいたほうがいいんですかね」
 X氏の背中を押したのは、例えばこんな出来事だ。圭さんがカナディアン・インターナショナルスクールの卒業パーティの直前、X氏にこう“おねだり”をした。
「ネクタイを貸してください」
 身につけるものにこだわりがあるX氏が洒落た蝶ネクタイを渡すと、圭さんはことのほか喜んだ。それを見たX氏の胸に、こんな思いが去来した。
「息子がいたら、こんな感じなのかな――」
 10年9月、X氏と佳代さんは両家の家族に挨拶を済ませ、婚約した。佳代さんとは一度手を繋いだきりでそれ以上のことは何もない。それでもX氏が婚約したのは「圭くんの父親代わりになれれば」という一心だった。こうして、X氏は佳代さんから「パピー」と呼ばれ、愛車のジャガーで母子を様々な場所に送り届けることになる。それはこれまで2人だけの世界に欠けていた「経済的援助」と、後ろ指をさされぬ「世間体」を小室さん母子が手に入れたことを意味した。
「コムロック」と呼んで
 同時期、圭さんは国際基督教大学(ICU)に進学。10月14日に佳代さんはX氏にメールで〈ICUの授業料の金額について記します(略)金額¥453,000(学期毎)口座番号等は明日伺った際に〉と具体的に要求した。そのメールには、3学期の授業料の引き落としが11月26日とも記されており、X氏は11月1日に同額を振り込んでいる。
 その後、圭さんは奨学金の審査に合格し、授業料は奨学金で賄えるようになった。だがその後も、翌11年4月に40万円、9月に44万円、10月に45万円など、佳代さんに求められる通りに、X氏はお金を振り込み続けた。
 圭さんはICUの寮に入ると、こう自己紹介した。
「男を上げたくて入寮しました。『コムロック』って呼んでください」
 ICUには「ボール」と呼ばれる寮主催のパーティがある。その日ばかりは学内での飲酒が解禁になり、寮のリビングスペースに置かれたDJブースを囲んで学生たちが羽目を外すイベントだ。圭さんも例外ではなく、HIP-HOPの曲に合わせ、ハイテンションで踊った。後にこの寮からは大麻で逮捕者も出た。
 翌年12月には、六本木のクラブイベントで、指に大きな指輪をつけた圭さんが口元に裏ピースをあて、その間から舌をのぞかせる“卑猥ポーズ”をキメた写真も撮られている。母の前で見せる優等生の顔とはまるで違う一面だった。“卑猥ポーズ”を決める小室さん
 だが、多感な時期を迎えても、圭さんの世界の中心には、いつも母がいた。
 大学に上がる頃から、圭さんも自身の将来設計を考え始める。漠然と「国際的な仕事がしたい。国と国とを結ぶような……」と口にしていた。そんな息子に、佳代さんが「圭ちゃんには、こんなお仕事が向いてるんじゃない?」と言うと、圭さんはいつも「お母さまもそう思う?」と応じた。母の願いと圭さんの希望は混然一体となっていた。
 話題に出た職業の一つが、アナウンサーだ。
 圭さんが10年7月に「湘南江の島 海の王子」に選ばれ、1年間にわたり藤沢市の観光PR役を務めたことは、よく知られている。じつは圭さんが応募したのは、「海の王子」コンテストが、日本テレビの辻岡義堂アナを生んでいたから。アナウンサーを目指すにあたって、「海の王子」がアピールポイントになると考えたのだ。コンテストに合格すると佳代さんは喜び、しばらくの間、息子を「王子」と呼んだ。
 大学2年になった圭さんは、11年11月から、アナウンサーとテレビ局の合格実績第1位を誇るアナウンススクール「アスク」で、3カ月間のアナウンサー養成基礎科に通い始めた。当時の履歴書からは、圭さんの並外れた自己PR力が滲み出る。
〈国際社会に対する理解が人一倍ずば抜けていて、その理由は自身の生活環境にある。僕は高校までをインターナショナルスクールで過ごし、グローバル教育で評価の高い国際基督教大学に進学した。異なる文化に対し全くバイアスを持たず、適切にメッセージを発信できるのは僕にとってはごく自然なことであるものの、確かな一つの「スキル」であると自負している。無論、英語力は話すまでもない〉
 奇異に見えるほどの強い自己肯定も、母の強い愛情ゆえだったのか。
 佳代さんは、圭さんの友人関係も把握していた。圭さんに恋人ができると、デートコースを事細かに決める。過去の交際相手の中には「圭くんは母親の操り人形」と漏らす女性もいた。
 圭さんが高校3年生の頃、有名料理店の社長令嬢と交際したことがあった。それを知った佳代さんは、
「圭ちゃん、いいじゃない!」
 と、飛び上がらんばかりに喜んだ。佳代さんは、圭さんの交際相手の家柄を気にしていたのだ。
 そんな圭さんに、母を一気に上流に押し上げる、“運命の出会い”が訪れる。
 12年6月のことだ。ICUで開かれた交換留学の説明会で、圭さんの後ろの席に座ったのが、眞子さまだった。小室さんと出会った頃の眞子さま
 当時、2人は20歳。眞子さまは皇族として見られているという緊張感もおありだったのか、初対面の学生と積極的に交流されることはなかった。そんな眞子さまの心の襞に触れたのが、聞き上手で、相手を喜ばせる術に長けた圭さんだった。関係はすぐに発展し、翌7月には初めてのデートへ。そして、眞子さまが8月にスコットランドのエディンバラ大に留学される前に、交際をスタートさせた。圭さんは、佳代さんの期待に応えるために、いつも全力を尽くした。
 眞子さまが日本を発たれた翌月には、圭さん自身の米UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)への留学も始まる。佳代さんは圭さんを見送るため、X氏の車で成田空港に同行した。
 出発直前、母はドラッグストアで何やら買い物をすると、息子に手渡した。
「何かあるといけないから……」
 避妊具だった。圭さんは黙って頷くと、何食わぬ顔で携えていたトランクにそれを仕舞った。その光景は、隣で見ていたX氏の記憶に焼き付いている。
 そしてこれが、X氏が「父親代わり」として圭さんを見た、最後のシーンとなった。
記念写真に入れないX氏ICUの「イヤーブック」より
 じつはX氏は、虚栄に満ちた小室母子の生活に違和感を覚えていた。当時の小室家の収入は、佳代さんのケーキ屋のパート代が月12万円、敏勝さんの遺族年金が9万円。だがX氏の目には、母子の暮らしぶりがあまりに贅沢に映った。
 例えば、10年10月4日に、X氏は佳代さんからこんなメールを送られている。
〈圭は明日19歳のバースデーを迎えます。今年は圭の大好きな恵比寿ウェスティンHの『龍天門』でお祝いDinnerしたく(中略)少しリッチな誕生日会食となると思われ、ご負担をお掛けしスミマセン〉
 圭さんの20歳の成人式(12年1月)には、帝国ホテルで写真撮影をした。車で送迎するX氏に、佳代さんは「主人が生前、この写真館を贔屓にしていたの」と語った。だが、父親代わりのはずのX氏が、母子と一緒に記念写真に収まることは許されなかった。2人だけの世界に、“異物”は不要だった。
 一方で、ことあるごとにX氏は佳代さんから、「アナウンススクールの入学費」、「生活費」などの名目で無心され、貸したお金の合計は、439万3000円になった。利用されるだけの関係性に嫌気が差し、X氏は12年9月に婚約を解消したのだった。

 ロスと、エディンバラ。遠く離れていても電話やスカイプで連絡を取り合っていた眞子さまと圭さん。留学を終えた13年12月、大学4年生の圭さんは、眞子さまに「将来、結婚いたしましょう」とプロポーズした。交際スタートから1年あまり。普通の大学生ならば考えられない速度で、圭さんは将来を約束した。ICUの「イヤーブック」より
 上流志向の強い母が望んだ「家柄の良い女性との結婚」。佳代さんの期待に常に応えてきた圭さんは、千載一遇のチャンスを逃すまいと、性急にことを運んだのではなかったか。
 だが小室母子には吉兆と凶兆が同時に訪れていた。
 直前の13年秋、X氏は佳代さんに借金の返済を求めた。すると佳代さんは、圭さんを伴ってX氏の自宅を訪問。弁護士と相談して書いた、借金に関する“弁明書”を携えていた。
〈(400万円超のお金は)贈与を受けたものであって貸し付けを受けたものではありません〉
 手紙にはそう記されていたが、X氏が何よりショックを受けたのは、冒頭の宛名の漢字が間違っていたことだった。婚約までしたのに、なぜ――。X氏の胸にやるせなさが募った。
 こうした一連の借金問題は、婚約内定後の17年12月に『週刊女性』に報じられるまで、圭さんから眞子さまに明かされることはなかった。借金自体もさることながら、不都合なことを隠していた態度が、秋篠宮ご夫妻の不信を招いた。
「母と過ごす時間のほうが……」米フォーダム大での小室さん
 長い間、母と支えあい、母の希望に沿うように生きてきた圭さん。だが、圭さん自身が何をしたいのか、どう生活の糧を得て、いかに生きていきたいのかは、30歳を目前にしても見えてこない。これまでの仕事選びでも、やはり見え隠れするのは母の存在だった。
 14年7月、圭さんは三菱東京UFJ銀行に入行。だが、16年4月、2年足らずで退職した。
 圭さんは日ごろから、周囲にこう語っていた。
「良い職よりも、母と過ごす時間のほうが大事。忙しくて家族との時間が無くなるなら、他の方法を探す」
 その後、一橋大学大学院に入学して経営法務を学ぶ傍ら、奥野総合法律事務所でパラリーガルの職を得た。だが、2年でそれも辞め、18年8月からは、米フォーダム大学ロースクールに留学。「夢追い人」のごとく漂流し、今は来夏の米司法試験を目指しているという。だが、国際弁護士になるのか、米国で生きていくのか、その先行きは判然としない。
 眞子さまは文書でお気持ちを公表し、秋篠宮は会見で「目に見える形での対応が必要」と強く求めた。そしてボールは今、小室圭さんの手に握られている。
小室圭さん年表 
source : 週刊文春 2020年12月10日号


 ビタミン、亜鉛、鉄分…野菜代わりにサプリを飲む人が知らない"根本的な間違い"

2021-09-03 08:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。

野菜不足をサプリメントで補おうとする人がいる。だが、フードプロデューサーの南清貴さんは「栄養不足はサプリで補えるという考え方は間違いだ。サプリの中には、用量を誤ると人体に害を及ぼすものもある」という――。
※本稿は、南清貴『40歳からは食べてはいけない 病気になる食べもの』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
野菜不足だからといってサプリに頼ってはいけない
栄養素が不足しているというと、サプリメントで補えばいいと安易に考える人がいかに多いことか。そのことに驚かされる。私は基本的に反対だ。
最近では、サプリメントはコンビニでも買えるし、清涼飲料水にサプリメント的な栄養素が添加されているものもある。それだけ一般に広がったのは、安くサプリメントが製造できるからだ。
これまでも、私たち自然の一部である人間は、工業的に作られ、自然から遠く離れてしまったものをいくら食べても生きられないということを述べてきたが、サプリメントも工業製品、加工食品と同じことだ。
昨今、野菜の栄養価が低下してきているのも事実なのだが、その不足分の栄養をサプリメントで摂るという発想になってはいけない。なぜかと言うと、野菜をはじめとする自然界の植物のなかには、まだ分析できていないようなレベルの未発見の物質も含まれているからだ。それが私たちに少なからぬ影響を与えていることは事実だ。
植物が自然に持っている物質には、私たちによい作用をしてくれるものばかりではなく、悪い作用をするものもある。よい面もあるけど悪い面の方が大きいという植物は、長い年月の間に淘汰されてだんだん常食されなくなる。
だから、いま一般に栽培されて売られている野菜というのは、人間にとって効用の方が大きいと認められたからこそ、残ってきた植物と言えるわけだ。
サプリは完璧ではない
数千年前は、薬草も野菜も区別なく、すべて「植物」だったのが、徐々に薬効の強い植物はハーブ、スパイスと分類されるようになっただけで、もともとは薬草も野菜も一緒の分類。つまり、ハーブがそうであるように、野菜にもよい作用もあれば、悪い作用もあるのだ。
しかも、そこに含まれる成分のなかで、私たちが現在の科学で分析できているものは、ごく一部だと考えなければならない。ということは、分析もされないような物質も私たちは野菜から日々摂取しているのだ。
しかし、そのような未発見の物質はサプリメントにはならない。まだ分析できないのだから作れない。でも、そういう人知を超えたところに、私たちの身体にとって欠くべからざる重要な要素も含まれているのだ。
何種類もサプリメントを摂っているから、栄養不足の補いはついています、というのは、単なる勘違い。そんなものでは補いがつかないような物質を、私たちは野菜から摂っているのだ。そこに気が付かなければならない。サプリメントは完璧ではない。
それよりもむしろ、私たちがこれから考えなくてはならないのは、食事全体のあり方と食糧生産の方法だ。それを考えずに、あれが足りないから補った、これが足りないから補ったというのでは、どこまで行ってもいたちごっこになってしまう。
それは結局、私たちの身体に化学物質の過剰摂取をさせてしまうだけだ。
「栄養があるから多くとっても平気」の危険
どのような物質であれ、人間の身体にとって過剰摂取は大変な害になる。それはそもそも、人類史上で食物が不足することは多々あれ、過剰に摂取できることなどなかったからだ。どんなものでも、過剰に入ってきたものに対して人間の身体は対応できるようになってはいない。だから、なるべく過剰に摂るようなことはしない方がいい。
サプリメントで一番危険なのが、過剰摂取だ。よく、水溶性のビタミンは尿として排泄されるから過剰に摂っても大丈夫などと言う人がいるが、そんなことはあり得ない。
尿にするまでだって身体には大変な負担なのだ。特に、ミネラル系のサプリメントの過剰摂取は、身体に多大なダメージを与えるということを知っておいてほしい。
例えば、セロリやレタスに多く含まれるセレンという重要なミネラルがある。これは体内で抗癌効果を発揮してくれる物質だ。ところが、摂り過ぎると逆に癌を助長してしまう。適量では抗癌物質としての作用があるが、多過ぎると発癌物質になってしまうのだ。
亜鉛も、適量摂っていないと私たちは死んでしまう。絶対的に必要なミネラルだ。不足すれば傷の修復もできないし、男性だと前立腺、女性だと生殖器系の問題を抱えたりもする。しかし、これも摂り過ぎるとうつ病の傾向が出てくるなど大変な害がある。つまり、亜鉛は不足してもうつ的傾向となるのだが、過剰に摂取した場合も同じようにうつ的傾向が見られるのだ。
鉄分サプリメントを摂り過ぎるとどうなるか
鉄分も影響力が大きい。安易に鉄剤を摂取して一定の領域を超えてしまうと、やはり癌のリスクが高まることがわかっている。
鉄分は、体内で活性酸素を作り出すプロセスに関与しているのではないかと言われているからだ。鉄が活性酸素を作りやすくしてしまうのだ。作られた活性酸素が、癌を作ると言われている発癌物質になってしまう。
もう一つ、鉄自体が、人体にとっても必須栄養素だが、癌細胞にとっても必須栄養素と言われていることがあげられる。過剰に鉄分を摂ってしまうと、それが癌細胞の分裂に関わって癌細胞を増やすという説が有力だ。
同時に、鉄というのはウイルスや病原性バクテリアが栄養素としている。だから、ウイルス性のインフルエンザにかかったときに鉄剤などを飲んでしまうと、ウイルスが大変な増え方をしてしまう。それも知らずに安易に鉄をサプリメントで摂ってしまうと、大変困ったことになる。
私たちが感染性の病気にかかると、たいてい高熱を出す。なぜ熱が出るかというと、身体が自分自身を助けるためだ。鉄を栄養分として生き残り、増殖していくウイルスが、高熱になると鉄分を摂り込むことができなくなる。身体は、熱を高くすることで、ウイルスがそれ以上繁殖しないように、鉄分を与えないようにしているのだ。そのときに解熱をしてしまうと、鉄がどんどんウイルスに摂り込まれて栄養になってしまう。
豆類や野菜からでも十分に摂取できる
もし風邪がウイルス性のものならば、そういうときには鉄分を余分に摂らない方がいい。つまり、鉄分を多く含む肉や魚など動物性の食品を大量に摂ったりするのは逆効果。むしろ熱を高くしてウイルスの働きを断ち切ってしまう方が感染性の病気の治りは早い。
昔から、風邪をひいて熱が出ると、ご飯を食べずに寝ていなさいと言われたものだ。回復し始めると、擦ったりんごなどの果物が与えられた。消化器が空っぽになっているので、一番栄養分があって消化が容易な果物から食べさせてきたわけだ。これも昔の人の智恵なのだ。
南清貴『40歳からは食べてはいけない 病気になる食べもの』(KADOKAWA)
風邪をひいたらむしろチャンス。栄養のあるものは食べずに絶食するぐらいのつもりで、いくところまで熱が高くなると、そのあと、スーッと下がる。それから果物をきちんと少量ずつ食べることで身体はきれいに回復していく。
鉄分を補いたいなら、サプリメントなんかに頼らず、精製しない米や豆類から摂取するようにした方がよい。きちんと栽培された野菜やドライフルーツなどからも十分に摂れる。
日本にも何人か優秀なサプリメントアドバイザーがいて、そういう人たちは、どのサプリメントを何mg、あるいは何μg、どのくらいの期間摂れば摂取する人の身体によい作用があるかというのを計ることができる。
そういう大変な知識量の専門家の指導のもとにサプリメントを摂るのなら、例外的に賛成だ。野菜不足だから適当に補っておこう、などと素人判断でサプリメントを摂るのが一番いけない。
だから、私はコンビニでサプリメントを売るというのはいかがなものかと思っている。

南 清貴(みなみ・きよたか)
フードプロデューサー
1952年生まれ。一般社団法人 日本オーガニックレストラン協会(JORA)代表理事。1995年、日本初のオーガニックレストラン「キヨズキッチン」を渋谷区・代々木上原に開業。