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あんたの後始末で年取ってくなんて、まっぴら」三女が大好きだった80代父を罵倒したワケ

2021-09-26 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。

高齢となった親の心身が衰えていくのを近くで見るのはつらい。現在53歳の和栗葵さんも6年前から80代の父親と同居を始めて以来、ストレスがたまり、ちょっとした行き違いですぐ口論に。一触即発の険悪な空気の中、どんなに献身的に介護をしても感謝の言葉は返ってこない。在宅介護の限界を思い知った和栗さんが起こした行動とは――。

【前編のあらすじ】
関東在住の和栗葵さん(仮名・53歳・独身※バツ2)は10歳の頃、あることがきっかけで母親と絶縁状態に。高校卒業後に家を出て以来ほぼ音信不通状態だったが、アラフォーとなった自分の元に母親ががんになったと連絡が入った。余命2カ月を宣告されると悲しみを実感。タクシー運転手になって「母を車に乗せ、生きているうちにいろんなところに連れて行ってあげたい」と思った矢先、母は73歳で他界。葬儀を終えて落ち着いた頃、大学に進学するひとり息子とともに、80代の父親と同居することを決意。だが、親子孫三世代の暮らしは苦痛に満ちたものだった――。
急激に衰えていく父親
和栗葵さん(仮名・現在53歳)はバツ2の独身だ。47歳の頃から、大学生の息子と父親とともに関東地方の賃貸マンションで暮らしている。
70代までは友人知人と旅行や外食などで家を空けることも多かった父親だが、80代になると旅行に行っても日帰り。外食も減った。
80歳になるまで車を運転していた父親だが、仕事で腰を痛めた和栗さんが父親に迎えを頼んだところ、父親の運転が荒く、無駄にキョロキョロして落ち着きがなかったため、免許の返納を勧める。ちょうど車検の時期だったため、これを機に廃車に出し、次の更新時に免許を返納。
2015年、父親が「お腹が痛い」と言い始め、自分であちこちの病院にかかるが、原因がはっきりわからない。2カ月ほどして、ようやく胆のうが炎症を起こしていると判明。腹腔鏡手術をしたが、思いのほか、病状が重かったのか、途中で開腹手術に。胆のうを摘出し、無事手術は終了。父親は4週間で退院した。
2016年末、父親は「(2009年に他界した)母さんが大好きだった大学芋を買って来るから」と言って友人とどじょうを食べに出かけ、夜、ご機嫌で帰宅。宣言通りに大学芋は買ってきたが、「カバン忘れてきちゃったんだよねぇ」とヘラヘラ顔だ。
高齢の病み上がりで持病持ちなのに、と一気に頭に血がのぼる和栗さん、「レシート見せて! 財布は? 携帯は? ポケットの中全部出して!」と質問攻めにするが、酔っ払った父親は全く答えられない。
かろうじて帰りに使ったタクシーの領収書があったため、タクシー会社に連絡すると、カバンはタクシーの中で発見。有料だが持って来てもらうと、タクシーの運転手が、「あなた娘さん? お父さん、だいぶボケてるよ」と一言。
また、スケジュール管理が大好きな父親。もらったカレンダーがいっぱいあるからと、自分の部屋やリビング、トイレに玄関、廊下やキッチンにまでカレンダーを貼っていた。
和栗さんがふと気づくと、12月なのに11月のまま。父親に言っても「ああ、そう?」と言うだけ。
同年9月、高血圧と糖尿病のある父親をたまたま病院に送り、和栗さんが診察室まで付き添ったところ、主治医に、「そろそろ1人で病院に行くのは難しいのでは?」と言われる。
さらに処方箋をもらいに薬局へ行くと、「お父様、お元気とはいえ、検査などの難しいお話や病名などは、私たちだって覚えられません。検査などでお疲れの上のお話では、なおさら頭に入りませんよ」と、薬剤師からも言われ、和栗さんは「これからは極力付いて行こうと思います。ありがとうございます」と答えた。
その帰り、父親は、診察室では医師に、待合室では看護師に、受付では事務員に、薬局では薬剤師に片っ端から話しかけ、相手の状況も構わず、長々と自分の話をしようとする。
そんな父親を見ていると、和栗さんは次第に悲しくなり、泣きたくなってきた。
「父は、昔(印刷会社を経営)はそんな人ではありませんでした。親戚からも紳士的で素敵な人だと思われていたのに、まるでかまってちゃんオーラプンプンの面倒くさい年寄り。私はいたたまれなくなって、『仕事に戻るから』と言ってそのまま別れましたが、悲しさと疲れとあきれで、もう口も聞きたくない気分でした。これから父は、介護や支援を受けないといけない事態になっていくんだな。本当に介護生活が始まるんだな。そう再認識させられました」
父親との仲が険悪に
2016年12月、49歳になった和栗さんは、同居する父親にイライラしすぎてしまうことを気にして自身の更年期障害を疑い、市販の薬を飲み始めた。
父親に対するイライラは、そのまま5歳上の長女、4歳上の次女(いずれも結婚し独立)にLINEで愚痴として流していたため、ある日、同じマンションに住む長女から「話をしましょう」と提案される。
長女の家へ行くと、「昔が立派で自慢できる父親だったから、できなくなってるのを認められないっていうか、『なんでできない?』ってイライラするのよね、きっと。それと、あなた最近、自営で介護タクシー始めて、家にいる時間も増えたから、余計に目につくのかもね」と長女。
和栗さんは2016年、一人で介護タクシー会社を立ち上げたのだ。
「だから家にいる時間を減らそうと思って、空き時間にアルバイトも始めたんだよ。でも帰ってくるとイライラするの。施設に入れたい!」と和栗さんが言うと、長女は「でも、ここはお父さんの家だし、ここにいたいと思ってる。みんなには言わないけどね」と返した。
この日の話は、父親が家にいない時間を増やすために、できるだけ長女と次女が休日に連れ出し長時間出かけるようにする、ということで終了した。
「私は不満でした。三姉妹なんだから、父の世話も3分の1ずつではないのか。そうでないなら、施設に入れてしまいたい。ずっとそう思っていました」
和栗さんは、「来年こそはこの家を出ていこう」と固く決意した。
83歳の父親は、認知症外来で検査を受けたが、結果は「年相応の物忘れ」だった。
2018年、和栗さんは、父親に毎日家にいられて嫌だったため、つい感情的になって「ボケてるからデイサービスに行け!」とせっつき、父親に介護認定を受けさせたところ、結果は要介護1。それでも父親はデイサービスを嫌がった。
2019年2月、胆のう摘出後から続けている通院後、自宅近くの薬局まで父親を車に乗せて行く際に、思い詰めたように「施設に入りたくない」と言い始める父親。運転する和栗さんは、思わず声を荒げてストレートに言ってしまった。
「入らないってことは、私がこの先もずっと面倒をみなきゃならないってことだよね? 嫌なんですけど! あんたの後始末ばかりの毎日でこのまま年取っていくの、うんざりなんですよ! おんなじ事何回も言うのも、大声で話すのも、嫌なんですけど!」
「じゃあどうしたらいい?」と父親が言うと、「施設に入ってくださいよ!」と和栗さんは絶叫。和栗さんは、精神的に限界に来ていた。
毎日、父親のできなくなっていくさまを目の当たりにするたびにイライラして、「老人ホーム行け!」などと罵倒する。父親も負けてはおらず、大声で「もう俺は死んでもいいんだな?」と開き直るようにすごんでくるので、「じゃあ死ねば?」と言い返す。そんな殺伐として日々が流れていった。
「父は背が160cmしかなく、体は私のほうが大きいので、怖いと思ったことはありません。お互い口だけ。後は家の建具に当たるくらいで、暴力は振るっていません。ケガなどしたら自分の負担が増えるだけですから」
そんな状況を姉たちは心配し、同じ月に、家族会議を設け、次女が「父をサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に入れたらどうか?」と提案。
すると、長女は「あと4年で私が定年退職なので、退職後なら同居してもいいよ」と。それを聞いた和栗さんは、「なら、それまでは我慢して同居する」と言った。そのときは、頑張れると思ったのだ。
圧迫骨折
ところが2019年3月、事件は起きた。この頃、父親は深酒をすることが増えたため、深夜に何度もトイレに行き、酔いと寝ぼけでつまずいたり転んだりすることが多くなった。
ある日、和栗さんは深夜に壁を叩くような音がどこかから聞こえ、おかしいと思って父親の部屋へ行くと、父親は、下半身はベッドから落ちている状態で、仰向けに倒れ、壁を叩いていた。和栗さんが駆け寄り、落ちている下半身をベッドに上げようとすると、父親は失禁しており、「腰が痛い。動けない」とうめく。
和栗さんは救急車を呼び、運ばれた病院で「腰椎圧迫骨折」と診断される。骨を固める手術を受け、そのまま入院し、4週間で退院した。
退院時はヨロヨロとなら歩行できたが、骨が弱くなっているため、和栗さんは「また転倒して骨折したらいけない」と思い、用心のため外出時は車椅子を使用するように。
その後、室内でよろけることが増えたため、アクティブシニアカーという歩行器かつえを使い始めたが、コルセットは「硬くて痛い」と言って嫌がった。退院後の父親は、何かあるとすぐに和栗さんに頼るようになっていった。
「『お酒がないから買ってきて』『病院行きたいから乗せて行って』と、当たり前のように使われることが増え、ストレスが爆発し、普通に会話ができないほど憎しみを持ちました。私は、介護タクシーや福祉のバイトでは人のお世話をしていますが、“できるのに自分でしない人の世話はしたくない”がモットーです。近隣に住みながら、父親の介護を私に押しつける無責任な姉たちや、父親が夜中に立てる物音にどんどん神経がすり減っていき、実の父親ですが『私は一生こいつの面倒をみるのか?』と思うとやっていられませんでした」
次女は夫が長男で、義母が病気のため、「お手伝いくらいはするよ」と言い、夫の運転で父親をあちこちに連れ出してくれていたが、先の家族会議で、「定年後に父親を引き取る」と発言していた長女は、父親の圧迫骨折後、「介護はよくわからないから、やっぱり同居できない」と言い出し、関係がギクシャクしてきていた。
2019年夏、父親は、長女の付き添いで通院する日の前日、和栗さんに明日の予定を聞いてきた。途端、「姉との予定なんだから本人に聞けば?」とイライラ。ちょうどそのとき、和栗さんのLINEに、姉から明日の通院の予定が入ってきた。
「一度しか言いませんから紙に書いてください! 明日の出発は12時、お昼ご飯は病院で。以上!」。和栗さんがそう言うと、父親は和栗さんをにらみつけた。
「何、にらんでるの? あんたに関わりたくないって言ってるのに、わざわざ間に入ってやりとりしてやってるんだよ! にらまれる筋合いないね!」。そう和栗さんが言うと、「はい、もう一度お願いします。書きますから」と父親。
和栗さんがもう一度予定を言い、父親が書き終わると、「そんな言い方しなくたっていいじゃない」とぽつり。それを聞いた和栗さんは、「私、あなたのことが嫌いなので!」と一蹴。父親は憤怒と悲しみが混じった表情をする。
「気に入らなければどうぞ、残り2人の娘に頼ってくださいませ」。和栗さんは自分の部屋へ去った。
8月、和栗さんの父親への態度の悪さが徐々に周囲の人に伝わり、それを耳にした姉たちが「このままでは最悪の事態になるかもしれない」と心配。次女が園長を務める保育園の敷地内に、同じ会社が運営する老人介護施設があったことから、その施設への入所を父親に勧める。
その頃には父親も、和栗さんの自分に対する接し方を問題視しており、「もう自分が施設に入るしかない」と考えていたようで、すんなりOKした。
ストレス過剰による体調不良に
9月、和栗さんはまぶたのけいれんや動悸など、さまざまな不調を感じていた。父親が施設に入る日の午前3時。マンションの下階の住人の物音で目が覚め、窓を閉めようと起き上がろうとした時、体がぐらっと揺れる。目をつぶっても頭がグルグルし、手の平や体から嫌な汗がにじむ。
いっこうにグルグルがおさまらないため、財布に入れていた安定剤を飲んだ。20代の頃、不安神経症(今で言うパニック障害)と診断され、今も年に2〜3回クリニックで頓服をもらっている薬を、お守り代わりに持っていたのだ。
翌日、無事めまいはおさまり、父親の引っ越し作業を決行。長女とその息子、次女夫婦、和栗さんとその息子、そして和栗さんのパートナーの8人が手伝った。
その後、仕事へ行くと、同僚の元看護師から「帰宅後、副交感神経が優位になると現れるのは、ストレス性のめまいです。もうお父さんいないんですから、のんびりしたほうがいいですよ」と心配される。
念のため、メンタルクリニックへ行き、「父の施設入所のための忙しさでめまいを発症してから、何となく頭の真ん中のぼんやりした感じが取れなくて……」と相談。すると、「まだ何か悩みがありますか?」と医師。
実は和栗さんには、10年近く付き合い、再婚まで考えたパートナーがいた。しかしそのパートナーが浮気していたことがわかり、別れ話をしている最中だったのだ。だが、恥ずかしくて言えなかった。
医師は「お父さんの件は、良いタイミングだったと思いますよ。1人で仕事と介護は難しい。施設に預けることは、悪い選択だとは思いません」と言うと、「私もそう思う反面、施設に追い出したような気持ちになります」と和栗さん。「その葛藤がストレスになってるのかもしれませんね。ちょうど更年期のタイミングでもありますし。フワフワするのは自律神経系のめまいです」。そう医師は言うと、いつもの安定剤を処方してくれた。
自慢の父親
父親の入所後、険悪な頃の罪滅ぼしをするかのように、和栗さんは週2回以上面会に行き、父親を外へ連れ出しては、買い物や食事をした。コロナの影響でなかなか会えないが、今年の春先に少し会えたときは、大好きだった喫煙も夕食後の飲酒の習慣も忘れてしまうほど、認知症が進んでいた。
「差し入れのお菓子を喜んで食べ、同じ話を何回もし、穏やかで子どものような父になってきました。今は、自分の名前がやっと書けるくらいです。歩行訓練はしていますが、以前のように車椅子から立ち上がるような行動はなくなったようで、転倒リスクが減り、ホームからの電話にびくびくするようなことがなくなりました」
コロナの影響で介護タクシーの仕事も減ってしまった。和栗さんは、空いた時間で何かできないかと思い、介護福祉士の資格取得のため、実務経験を積みに介護施設でパートを始めたほか、知り合いから勧められた障害児童支援の仕事にも携わり始めた。
「覇気がなくなった父を見て、長女はさみしいと言いますが、すでに平均寿命を5年も超え食事制限もなく、それだけでも幸せな年の取り方だと私は思っています。あとは、けがすることなく穏やかに過ごしてもらえたら……。面会緩和になったら車いすごと私の車に乗せ、入所した頃のように大好物の餃子だ、お寿司だと食べ歩きに行きたいです。そういう気持ちに戻れたのも、施設入所のおかげだと思っています」
父親が施設に入所したあと、父親からも姉たちからも、和栗さんへの感謝もねぎらいもなかった。しかし和栗さんは、「施設に入所できただけで十分」と話す。
「もともと私はお父さん子でした。基本『ダメ』と言わない優しい父。甘やかす父を母は嫌だったらしく、母からはとても厳しくされ、授業参観も父に来てもらっていました。人当たりがよく、紳士でハーフっぽい顔立ちをしていた父は、私の自慢でした。父は、入所の少し前から異常なほど寝汗をかくようになっていたのですが、もしかしたら、入所が不安だったのかもしれません。でも、その頃の私は父の引っ越し準備や断捨離に毎日くたくたで、父のことを心配する心の余裕は皆無でした」
介護施設でパートを始めてから和栗さんは、「私の父も施設に入っています」と言うと、他の職員や利用者の家族などと、施設話に花が咲くようになったという。
「介護には、適度な距離が必要だと思っています。施設に入れている方の多くは、施設しか道がなかった状況の方が多く、みなさん罪悪感でいっぱいのようです。でも、罪悪感を抱く必要はなくて、できることをできる量だけやればいい。後はプロにお任せして、肩の荷を下ろすのは悪いことだとは思いません。他人だから優しくできるということもあります。私も仕事でなら、認知の方に100回同じことを言われても笑顔で聞けますが、父だったら2回目で罵倒していると思います」
そう言って笑う和栗さんは、最後にこう言った。
「言い方が悪いですが、どんどん親のレベルが下がる一方で、兄弟姉妹の役割分担、パートナーの理解、金銭的な問題など、乗り越えないといけないハードルがたくさんあると思います。私は、幸いにも父にわりと年金や預金があり、金銭的な問題はなくてラッキーでした。同居していた頃は不満もありましたが、タオルを投げてくれた姉たちと、入所を決断してくれた父には感謝しています。あと少し一緒に住んでいたら、私は今頃刑務所に入っていたかもしれません」
筆者も義母と同居したことがあるが、数日で後悔した。始める前はできると思っても、実際にしてみるとできないとわかることはある。
ここで重要なのは、「安請け合いをする人がいけない」と被介護者を責めることではなく、「これ以上頑張れない」とわかった被介護者を救う受け皿が十分に整備されていないことだ。和栗さんの父親は入所する資金があったから、本人の意思次第で施設入所できたが、金銭的に余裕がない家族の場合はそうもいかない。
さらに、和栗さんが介護タクシーのドライバーで、次女が保育園の園長、長女が会社員だったように、多くの被介護者は何かの道のプロだ。愛する家族を介護のプロに預けることは、経済を回す上でも、最期まで家族を愛する存在とする意味でも、理にかなったこと。罪悪感を持つ必要は全くないと、声を大にして言いたい。
旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。


「食事よりも通信費を優先させる」日本の"隠れ貧困層"問題が深刻な理由

2021-09-26 13:30:00 | 日記

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実は、食料は十分に足りているという事実
持続可能な開発目標、SDGsが掲げる17の目標の2つめ「飢餓をゼロに」にもあるように、世界の食糧危機問題はいまだ深刻だ。しかしながら実際には世界の穀物生産量だけを見てもそれは足りており、“きちんと行き渡ることさえできれば”世界中の人が食べられる十分な量が毎年つくられているのだ。
そうであるにもかかわらず、誰もが知っているとおり世界にはその日食べるものに困っている人が約7億人存在するといわれている。過去50年間で最悪の食糧危機に陥っていることも国連は警告した。一方で国際社会は、SDGsの中で2030年までに飢餓をゼロにすることを目標と設定している。
世界のどこかで誰かが困窮していることは知っていたとしても、実はわが国日本にも“その日の食事に困っている”人々がいるのをあなたはご存じだろうか? 生活水準の高い国だからこそ、その豊かさに隠れて、実は食糧難に陥っている人が身近にいるとしたら、あなたは何を思うだろうか。
豊かさに覆われて、気づかれない貧困層がいる
実際に住んでいる私たちでも日々実感するように、日本はどこに行っても清潔で、サービスが行き届き、公共の乗り物は発達し、道路もきちんと整備されている。普段の暮らしを見渡してみれば、自分も含め多くの人がスマホや携帯電話を所持し、きちんとした身なりで職場に通い、コロナ禍にある今はひとり一台パソコンを所持し当たり前にリモートワークを行っている。
食料廃棄量は年間600万トンを超え、足りないどころかあり余っている印象さえあるわが国日本。ゆえに、貧困について考える機会もあまりないといえる。けれど、だからこそ見逃してしまいがちなのが身近に潜む貧困層の存在なのだ。
事実、“貧困”という言葉から連想するのは、着るものや住むところがなく、いつもお腹をすかせている様子を想像してしまうのではないだろうか? しかしながら日本のように豊かな国に存在する貧困層は、きちんとした身なりに関わる被服費や、昨今のコロナ禍で急速に整える必要があった通信関連費などに費用がかかり、食事を削ってでもそれらを優先している“隠れ貧困層”をいう。生活水準が高い国だからこそ、そこに見合っていない格好をしていると社会的に認められない側面があるため、さらに食にかける予算が圧迫されるというわけだ。
この場合、当然見た目には貧しいということがわからないため、自ら声を上げない限り助けは来ない。つまり食料不安を抱えたまま暮らす可能性が大いにあるのだ。ちなみにその国や地域の水準内で比較したときに、大多数よりも貧しい状態のことを「相対的貧困」というが、そのような家庭が2015年当時で日本では15.6%存在し、7世帯のうち1世帯がそれに当たるとされる(出典:内閣府「国における子供の貧困対策の取組について」)。これは、国や地域の水準とは関係なく、生きるうえで必要最低限の基準が満たされていない「絶対的貧困」とはまた異なるものだが、それでも予想以上に多く、驚くべき数字ではないだろうか。
食糧飢餓問題において私たちができること
前述したように、今はまさに飽食の時代。飢餓というのは遠い国の話と捉えがちだが、社会の一般的なレベルに追いつこうと、食以外の環境を優先した結果、さらに深刻化しがちなのが先進国の飢餓問題だ。このため本人が自身を相対的貧困層だと自覚していない場合もあり、適切な支援が受けられなかったり、徐々に体調不良に陥ったりするという問題も起きているのだそう。
では、私たちに何かできることはあるのだろうか? いちばん身近なのは、NPOやNGO団体を通じて援助をすること。ありがたいことに、貧困層を助ける活動をしている団体は数多くあるので、そこを通じて困っている人たちを支援することができる。
団体によっては直接お金で支援できるところもあれば、未開封・消費期限内の食品を募っているところに食べ物を持ち込むフードバンク型、また、子どもたちに食事をふるまう子ども食堂などもある。団体に所属しなくともサポートできるところが多いので、ぜひ一度はトライしてみたいところだ。
「もうお腹いっぱい」「おいしくない」「余っちゃった」……そういって私たちが日々捨てている食べ物は、どこかの誰かが食べたくても食べられなかったかもしれない大切ないのちの糧。食品ロスをなくすことと同様に、身近な飢餓問題についても真剣に考える必要がありそうだ。

追記:今の時代にスマホがなければ生活できない。購入しないとスマホを持てない。毎月の維持費は馬鹿にならない。そこで政府は必要最低限必要の装置を付けたスマホを小学生以上の国民に無償貸与する。維持費は無料。5年間ごとに更新貸与。それ以上の機能が欲しい人は自費で購入する。豊かでない中東の国の人々が皆スマホを持っている。彼らは維持費をどのようにしているか疑問。


「歩く」がどれだけ体に効くか知っていますか

2021-09-26 12:00:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

1. ウォーキングは比較的負荷の少ない有酸素運動である
2. 日本で競技人口が最も多いスポーツはウォーキング、2位ボウリング、3位水泳
3. 日本のウォーキング人口はおよそ4000万人
4. 下半身には体全体の筋肉の約70%が集まっている
5. 歩くときは大腿四頭筋(大腿直筋・広筋)、大腿二頭筋、前脛骨筋、下腿三頭筋(腓腹筋、ヒラメ筋)など大きな筋肉をいちどに使い、同時に腹筋や腰、腕の筋肉も使っている
6. 「歩く」とは、どちらか片足が常に地面に着いている状態。「走る」とは、両足が宙に浮く瞬間がある状態
7. ランニングでは体重の3倍の衝撃が、ウォーキングでは体重の約1.5倍の衝撃がかかる
8. 競歩には「常にどちらかの足が地面に接していること」「前脚は着地から地面と垂直になるまで膝を伸ばすこと」という厳密なルールがある。
9. 競歩の最高速度は時速14㎞にも達する
10. 速度が速くなると、歩くより走るほうが疲れにくい。秒速2mでは歩くより走るほうが脚の主要な筋肉をうまく使用でき、身体のエネルギー使用効率が向上するため
11. ウォーキングなどの運動で酸素を取り入れ運動の効果を高めようという「有酸素運動」の考え方は、米国の運動生理学者のケネス・クーパー博士が1960年代に提唱した
今後やってみたい運動として人気
12. 内閣府の調査で「今後やってみたい運動はウォーキング」と答えた人が平成3年以来不動の第1位
モノ・マガジン4月16日号(4月1日発売)。特集は『違いのわかる大人の傑作品』などです。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
13. 「この1年間に行なった運動」も平成6年から「ウォーキング」がトップの座を守り続けている
14. ウォーキングの適正な歩幅の計算式として最も簡単なものが「身長-100センチメートル」。身長165センチメートルの人なら「165センチメートル-100センチメートル」で65㎝が適正なウォーキングの歩幅ということになる
15. 日本人の平均的な歩行スピードは分速70~90メートル程度、歩幅は70~80センチメートル程度
16. 一般的な成人の歩行ピッチは、個人差はあるが1分あたり100歩程度(タニタ社内実験データより)
17. 厚労省「健康づくりのための身体活動基準2013」では18~65才の人で「歩行又はそれと同等以上の強度の身体活動を毎日60分以上行う」ことが望ましいとされている
18. 厚労省の「健康日本21」では、1日の歩数の目標値を男性9000歩、女性8500歩以上(65歳以上の場合は男性7000歩、女性6000歩)としている
19. 東京都健康長寿医療センター研究所の研究では病気予防ウォーキングに最適な歩数は速歩き20分を含め1日平均8000歩とし、歩き過ぎには注意を促してもいる
20. 厚生労働省「国民健康・栄養調査」(平成27年)によれば成人の1 日の平均歩数は男性7194歩、女性6227歩
21. 江戸時代、庶民は1日3万歩歩いていたとされている
江戸時代の飛脚は…(イラスト:hiro / PIXTA)
22. 江戸時代の飛脚は江戸から京都まで約5日で踏破した
23. 身長160㎝の人が速歩で1万歩歩く距離はおよそ6キロメートル
24. ウォーキングの消費カロリーは、条件によっても変わるが60キログラムの人が普通の速さで1時間歩いて200kcal程度
25. 1日1万歩歩くと300~400kcalが消費される
26. 1日平均9000~1万歩のウォーキングを2週間続けると1キログラムの脂肪を減少させることになる
27. 1日平均1万歩歩く人の割合は男性30%、女性で20%
地位が上がるほど歩数が減る? 高年収の人は?
28. ある調査ではサラリーマンは地位が上がるほど歩数が減る傾向にあり、課長・部長級の1日平均歩数7000歩、部長クラス5000歩、重役クラス3000歩程度との結果が出た
29. 一方でドコモヘルスケア社「からだデータ」白書2015では高年収の人ほどよく歩く傾向にあるというデータも
30. 主婦のケースでは1日中家で家事をしている場合でおよそ2500歩、買い物をした場合は5000歩程度
31. 「国民健康・栄養調査」(平成22年)によると、都道府県別で1日平均歩数が最も多いのは男女とも兵庫県
32. 1日平均歩数が最も少ない県は男性は鳥取、女性は山梨
33. 給水は歩き出す30分前、300~500mlが推奨される
34. 脱水作用があるため飲酒後のウォーキングは厳禁
35. ウォーキング直後のアルコール摂取も危険。ウォーキング後はまず水を1杯飲むことが勧められている
36. ウォーキングには身体に蓄積した脂肪を効率よく燃焼させる効果がある
37. これは体脂肪・内臓脂肪との関係が強い血中脂質や血圧、糖代謝、肝機能の指標を改善させることにもつながる
38. 1日30分のウォーキングを継続した結果、心疾患や脳卒中、糖尿病の発症が約30~40%減少したという報告も
39. ウォーキングによって心拍数が増大すると体内に酸素を取り込む能力が高まり、心肺機能を高めることができる
40. 心臓の筋肉のエネルギー源として欠かせない乳酸は運動により作られる。乳酸エネルギーを安定供給するには激しい運動よりウォーキングのような適度な運動が効果的
41. ウォーキングで鍛えられるのは持久力用の筋肉。持久力用の筋肉は瞬発力用の筋肉と違って肥大化しない
メタボリック症候群が気になる方にも(撮影:高橋孫一郎)
42. 「まったく歩かない人」「1日15分歩く人」「同30分」「同1時間」のグループに分けて行った大規模な研究では、「1日1時間歩く人」が最も長生きした
43. ウォーキング継続は動脈硬化予防にも効果がみられる
44. 「足は第二の心臓」と呼ばれ、筋肉を動かすと血液をポンプのように循環させ、血流をスムーズにする効果がある
45. 血液の循環が良くなると新陳代謝が活発になり、冷え性の緩和など体質改善にもつながる
46. ウォーキングには骨粗しょう症など骨の老化防止効果も。骨はカルシウムの摂取だけでなく刺激を与えられることで筋肉とともに強化される。日光を浴びるのも有効
47. 毎日30分歩く習慣は大腿骨骨折リスクを40%下げる
48. 厚生労働省のメタボリックシンドローム対策として出されている運動指針では「速歩」が薦められている
49. 速歩は、一般にいう「普通歩行」を時速4キロメートルとすると時
速5~6キロメートル程度の歩行を指すことが多い
歩くスピードが速い人は寿命が長い?
50. 最新の運動生理学で、歩くスピードが速い人は、スピードが遅い人よりも寿命が長い傾向が明らかになった
51. ウォーキングには脳を活性化させる効果が期待できる
52. 40分のウォーキングを週3回行なったところ脳の記憶をつかさどる海馬が1年で2%増量したとの報告もある
53. 米国のアルツハイマー協会は「脳を守る10の方法」のひとつに「1 日30分以上の散歩」をあげている
54. ウォーキングは、メンタルヘルス分野での効果も注目され、「うつ病」予防にも効果的といわれる
55. 20~30分ウォーキングを続けると快楽ホルモンのβエンドルフィンやセロトニンが分泌され始めるといわれる
56. 禅には心を無にして10~20分歩く「歩行禅」があり、脳内の情報が整理される効果が期待できるとしている
57. 古代ギリシャの医学の祖ヒポクラテスは「歩くことが最良の薬」という言葉を残したと伝えられる
58. アリストテレスの時代は回廊を歩きながら講義することが哲学者のステータスとなり「逍遥(しょうよう)学派」と呼ばれた
59. これはアリストテレスの師であるプラトンがオリーブの樹の下を遊歩しながら講義した習慣を受け継いだもの
60. さらにプラトンの師ソクラテスも歩いて問答したことで知られ、ギリシャ哲学は歩きながら生まれた
61. 作曲家のベートーヴェンは散歩好きで知られ、五線譜と筆記用具を携行し、楽想が湧くと歩きながらメモした
62. ダーウィンは自宅に考えごと用の散歩道を作り、一周するごとに石を数え、問題の難易度を石の数で表現した
63. 小説家ディケンズは日に30マイル(約48キロメートル)も歩き、そのなかで小説の登場人物たちを生み出した
64. アップル創業者スティーブ・ジョブズは「ウォーキングミーティング」を実践していた
65. フェイスブック創業者マーク・ザッカーバーグ、ツイッター創業者ジャック・ドーシーもウォーキング会議を導入
66. ウォーキングは「正しい姿勢」「腹式呼吸」を意識することでより消費カロリーが増え、健康効果が高まる
67. 1週間に1回程度まとめてウォーキングをするのは効果が少なく、3日以上ブランクを作らないことが理想
68. 早朝は、体内の血糖値が低いためウォーキング前に糖分の補給を心がけたい時間帯。また関節や心臓に負担がかかりやすいためウォーミングアップするなど注意が必要
関節への負担が気になる方には
69. 水中ウォーキングは、関節への負担が少なく水の抵抗で運動消費量が多い効率のよい運動
通常のウォーキングに比べ足の負担を約10~20%軽減(写真:michelangeloop / PIXTA)
70. ノルディックウォーキングは2本のポール(杖)を使って歩くスタイル。通常のウォーキングに比べ足の負担を約10~20%、膝の関節や脊椎にかかる負担を約5キログラム軽減

(文:森谷 美香/モノ・マガジン2017年2月16日号より転載)


眞子さまが小室圭さんとの「結婚会見」で涙を流されたら世論は変わるか

2021-09-26 11:00:00 | 日記

下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です。

秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)が結婚を進めている問題で、名古屋大大学院の河西秀哉准教授に取材したものだ。
 河西准教授は、眞子さまのお気持ちを《「私は彼が好きだから結婚する」と仰りたいのだと思います》と分析。
 一方で、《「滅私奉公」とも言うべき姿勢が国民の信頼》を得てきた皇室が、今回の騒動で《秋篠宮家の「私」を優先する姿勢が皇嗣の威厳を傷つける結果》になったと懸念を示した。
 だが、識者の懸念をよそに、結婚話は進む。共同通信が9月16日の正午過ぎに配信した記事は、「小室圭さん、米国から帰国へ 眞子さまと10月にも結婚」としてYAHOO!ニュースのトピックスに転載された。
 記事には《10月にも婚姻届を提出する方向で準備が進んで》いるとある。世論のことなどお構いなしと言っていい。SNSなどでは結婚反対の投稿が再燃するなど、記事の余波は極めて大きかった。
 週刊新潮9月23日号は「『秋篠宮ご夫妻』が招いた『皇室』危機」という特集記事を掲載。3人の識者コメントを紹介した。
 その中の一つが、漫画家・コラムニストの辛酸なめ子さんによる「『海の王子』に重ねた『ちょい悪パパ』の気風」だった。
チャラいマザコン!?
 改めて辛酸さんに取材を依頼すると、共同通信などの報道を通じて「眞子さまの積極性」に関心があるという。
「最近の報道を見ていると、眞子さまのほうが結婚に向けて積極的に動いておられる印象です。実際、『30歳までに結婚する』と強い決心をお持ちだとの報道もありました。『このチャンスを逃すと、一生独身で終わってしまう』という危機感すら覚えておられるのではないか、と考えてしまいます。多様化している今の時代、結婚にこだわらなくても良いように思いますし、30歳はまだまだ若いと思うのですが……。」
 デイリー新潮は9月16日、「『君はいつでも可愛いね』小室圭さんと眞子さまのスカイプの内容 佳代さんが知人に自慢」の記事を配信した。
 辛酸さんは「小室さんがどれだけ女性に慣れているか、改めて強い印象に残りました」と言う。
「記事によると、小室さんは眞子さまとスカイプを使ってやり取りしており、『君はいつでも可愛いね』と話しかけているそうです。恋人にそう言われて嫌な女性はいないでしょう。ただ、引っかかる点がないわけではありません」
 小室さんが眞子さまに愛の言葉を囁く。それ自体は普通のことでも、エピソードを吹聴しているのは母親の佳代さん(55)なのだ。
異性に対する“免疫”
「少なくとも私は、恋人に『君はいつでもかわいいね』と言われたら嬉しいです。ただし、そうした会話を恋人が母親に“報告”していることを知れば、私はドン引きします」(同・辛酸さん)
 国民の間には、特に年齢層が高くなるにつれ、“皇族の結婚相手”には、ある種のイメージがある。それに比べると小室さんのキャラクターは、やはり“規格外”と言えるだろう。
「黒田清子さん(52)のご主人である黒田慶樹さん(56)も、奥さまに『かわいいね』と仰ったことがあるのかもしれません。ただし、そういうイメージと無縁なのは言うまでもありません。一方の小室さんは、やはり“チャラい”印象があります。大学生時代に撮られた、お腹を丸出しにした写真が流布したこともありました。ICU(国際基督教大学)も名門校ですが、学習院の方がやはり堅実な印象です」(同・辛酸さん)
 眞子さまは学習院の初等科から、学習院女子中・高等科に進んだ。辛酸さんも女子学院中学校・高等学校と、共に女子校のOGだ。
「やはり中学、高校が女子校だと、共学に通う女性に比べ、異性に対する“免疫”が少なくなります。その結果として、男性を見る目がなくなる卒業生も珍しくありません。有り体に言えば、イケメン志向が強くなるわけです」(同・辛酸さん)
結婚を急ぐ理由
「実際、最初にテレビで小室さんを拝見した時、さわやかで素敵な男性と、私も思ってしまいました。まして眞子さまは皇族です。一般的な女性より、様々な意味で社会的経験が乏しいのは間違いないでしょう」(同・辛酸さん)
 秋篠宮さま(55)と紀子さま(55)は大学時代に知り合い、紀子さまが学習院大学を卒業し、大学院に進まれてから婚約内定が報じられた。
 当時であっても、大学を卒業してすぐに結婚するというのは早婚という受けとめもあった。まして今の日本は、更に晩婚化が進んでいるわけだ。
 眞子さまも「30歳」という節目にこだわりを見せていると言われているが、辛酸さんは眞子さまの結婚観に両親の“早婚”が影響を与えている可能性を指摘する。
「特に秋篠宮さまと眞子さまは、一般的な親と娘より仲が良い印象がありました。ひょっとすると、眞子さまは大好きな両親と同じように、なるべく早く結婚したいとお考えなのかもしれません。ただ残念なことに、国民の理解は得られていません。会見が開かれるとの報道もありますが、事実であれば、眞子さまも小室さんも対応を練りに練って臨まれるのではないでしょうか」
王太子妃と麻薬
 辛酸さんが思い出すのは、ノルウェーのメッテ=マリット王太子妃(48)だ。名門オスロ大学でホーコン王太子(48)と知り合い、程なくして同棲がスタートする。
 それだけでもノルウェー国民は驚いたが、その後、マリット王太子妃がシングルマザーであり、父親が麻薬常習者で服役していることや、彼女自身も麻薬パーティーに参加していた過去などが次々と明らかになった。
 国民は2人の結婚に猛反対したが、2000年12月の記者会見でマリット王太子妃は涙を浮かべながら国民に謝罪。結婚への理解を求めると、世論は一転して結婚に賛意を示した。
「眞子さまが涙ながらに、国民が怒り心頭であることに対し謝罪の意を示し、『反対の声が多いのは承知しているが、それでも小室さんと結婚したい』と理解を求めれば、日本の世論は変わるのかなど、今後に何が起こるのか強い関心を持ってしまいます。私のような人は少なくないはずで、眞子さまと小室さんがどんな会見を開くのか、国民が注視するのは間違いないでしょう」(同・辛酸さん)
 ただし、世論がどう反応しようとも、長期的に見ると皇室の“権威失墜”は避けられないと辛酸さんは考える。
「ネット上で話題になっているのですが、占星術ではこれまでの200年は『土の時代』とされ、権威に価値を置く人が多数を占めたとそうです。ところが、2020年からの200年は『風の時代』に代わり、個人の自由が尊ばれ、権威が失墜する時代になるというのです。眞子さまの“公より私”という結婚観や、世論の皇室に対する失望など、まさにその通りになっているように思われます」
デイリー新潮取材班


絶対に10月までに小室さんと結婚したい」眞子さまが30歳の誕生日までの結婚を急ぐワケ

2021-09-26 10:00:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。

眞子さまの結婚時期を巡るスクープ合戦
秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚へ向けた加速が目覚ましい。
「年内に結婚する方向で調整」という9月1日のニュースが始まりで、結婚に関する儀式はせず、1億円を超す一時金も辞退、ニューヨークで暮らすというインパクトも大きかった。翌週(8日)に「10月にも婚姻届を出す方向」と報じられたと思ったら、その翌週(16日)には「小室さんが9月末までに帰国する見通し」というビッグニュース。10月にも眞子さまと記者会見などをするという。
最初は読売新聞、次が共同通信、最後がNHKのスクープで、水面下で事態は着実に動いているのだろう。21日には日本テレビが「小室圭さん、来週早々に帰国」というニュースを打ち、元新聞記者としては「宮内記者会のみなさんは、さぞや大変だろう」と勝手に同情している。
加速の背景には、小室さんの就職事情がある。NHKがこのあたりはリードしていて、就職の内定しているニューヨーク州の法律事務所は、日本人を弁護士として採用するのは初めての大手事務所だと16日に伝えていた。眞子さまとの生活基盤が整い、次に打つべき手は世論対策。だから「帰国→記者会見」。これがスクープの肝だろう。
そしてもう一つ、背景にあるのが10月23日に迫っている眞子さまのお誕生日のようだ。その日、眞子さまは30歳になる。
本当に30歳の誕生日を意識しているのか
例えば朝日新聞(9月17日朝刊)はNHKのスクープを追いかけ、小室さん帰国後の眞子さまの日程(10月中に婚姻届提出、皇籍離脱など)を示し、こう書いた。「10月23日の眞子さまの30歳の誕生日や、コロナの状況などをみながら日程を検討していくという」。スポニチアネックス(9月17日配信)は、「眞子さま30歳までの結婚を意識」と見出しではっきり打ち出している。本文には、「『30歳までの結婚』を意識する眞子さまの誕生日前日となる10月22日までに婚姻届を提出し、結婚会見を開くとみられている」とある。
眞子さまは、30歳までに結婚したい――以前から報じられていたことだ。読むたび「そんなものなのかなー」と思ってはいたが、最近のスクープ合戦がまるで眞子さまの必死さの表れのようで、「そこまで切実だったかー」と不思議な気持ちになる。
「女はクリスマスケーキ」などと言われたのは、バブル真っ盛りの頃だったと記憶する。マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が主題歌のドラマ「29歳のクリスマス」がヒットしたのは1994年。24歳が限界か、29歳か。いずれにしても20世紀の話で、とっくに21世紀になり、令和になった。なのに眞子さまはなぜ「29歳での結婚」にこだわるのだろう。
1980年代以降は30代で結婚した女性皇族もいる
人口動態統計によれば、2020年の女性の平均初婚年齢は29.4歳。それより遅くなりたくないという心境もあるかもしれないが、都道府県別を見ると東京都の妻の平均初婚年齢は30.4歳。過去の女性皇族の結婚年齢は、宮内庁ホームページ「ご結婚により,皇族の身分を離れられた内親王及び女王」という一覧表でチェックした。
7人のお名前がある。うち4人は昭和に結婚している。3人(1952年と1960年と1966年)は21歳または22歳での結婚だが、1983年の結婚は31歳。平成最初は2005年、秋篠宮さまの妹の清子さまの結婚で、36歳。次が高円宮家の次女典子さま(2014年)で26歳、続いてが三女絢子さま(2018年)で28歳。1980年代以降は20代での結婚と30代での結婚が同数だ。
高市早苗さんの著書に思わぬヒントがあった
つまり国民全体のデータからも、皇室の記録からも、眞子さまを「29歳での結婚」に駆り立てる理由は見当たらない。眞子さまと同学年の女性に聞いてみたら、「子どもを産みたいと考える人は、20代の結婚にこだわるかも」と教えてくれた。なるほど、それはわかる。とはいえ、29歳と30歳がそれほど違うとは思えず、どうもすっきりはしない。と思っていたら、ごく最近、思わぬところからヒントを得た。
それは、高市早苗さんの著書『30歳のバースディ その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)。そう、あの、自民党総裁選に立候補した、サナエノミクスの高市さん。彼女が政治評論家時代に書いたエッセーを読んだのだ。
92年6月発行で、当時31歳。大学時代(下宿を許されず、奈良から往復6時間かけ神戸大学に通学)から始まり、自分探しの時(松下政経塾→米国の民主党女性下院議員事務所でのインターン)を経て、政治評論家としての活躍までが描かれる。節目節目に、赤裸々な恋愛話がはさまるのが特徴だ。「男かペットがいなくちゃダメな私」という見出しもあったが、高市さん=寂しがり屋だ。
男社会への違和感も抱えていた。朝のニュース番組のキャスターに抜擢されるなどテレビの世界で活躍してからも、セクハラパワハラ的なことは日常だ。女性評論家ならもっと感情的にコメントせよと言われた時は、「思想を曲げてでも、女として与えられた役割に従わなくてはならないのか」と怒る。彼女の原点は、まっとうで明確な上昇志向を持つ女性だとわかった。
「30歳っていうのはすごい重みがある」
そんな高市さんだが、30歳の誕生日に過剰に反応する。10日前、「刻一刻とその日が近づく中で、私はもう、パニック状態」になり、「来る日も来る日も自分でパーティを企画して、友だちに電話をかけまくって」パーティーを次々開く。何軒もはしごし、24時間酒臭く、「ああ、これはちょうどいい。このノリで悲しみの三〇代に突入し、三〇歳のバースディを迎えるのもちょうどいいと思った」。
30年前、「結婚適齢期」をめぐる圧は今よりずっと強かった。高市さんは「どうにも結婚できない私」と書き、10回目のお見合いをしようかどうか迷っていると明かしたりする。が、一方で、こんな論も展開している。
「三〇歳っていうのはすごい重みがある。もはや、のんきに『経験ないからわかんないですぅ』とは口がさけても言えない。恥ずかしくてプライドが許さない(中略)。いままではテレビからお呼びがかかればホイホイ顔出して、タレントでも何でもないふわふわした存在だけど、チャラチャラやっていればそれで済んだ。でも、三〇代になると、『私はだれ? 高市早苗って何なの?』っていう問題を突きつけられるような気がした。それにきちっと答えられなければ、三〇代を乗り切れないゾと」
30歳になるのは大変だけど早く30歳になりたい
高市さんは、「仕事の上ではずーっと年をとりたい、とりたいと思っていたのに」とも書いていた。現在の高市さんに共感することは少ないのだが、その文章を読み、私も早く30歳になりたいと思っていたことを思い出した。
実は私、高市さんと同じ1961年の早生まれ。今年還暦を迎えた同級生として、当時の彼女を解説させていただくなら、「仕事」というものが骨身に染みてきたのだと思う。「少年少女のノリの恋愛がもうできなくなるんじゃないかという、危機感もあった」とも書いていた。
気軽な恋愛を惜しむ気持ちの裏側に、恋愛も仕事も自分で責任を取るしかないという大変さ(と楽しさ)を実感していたのだと思う。この本を出版した翌月、高市さんは地元奈良県から参院選に無所属で立候補、落選。翌93年に無所属で衆院選(奈良全県区)に立候補、初当選している。
「私はだれ? 高市早苗って何なの?」と書きながら、もう高市さんは政治の道を見据えていた。少なくとも、どこに行けば答えがあるか、わかっていた。「私はだれ?」は30歳を前にした女性共通の思いで、実は答えが見えかけているのがその頃なのだと思う。振り返れば、私もそうだった。さて、眞子さまはどうなのだろう。
眞子さまが小室さんとの結婚を熱望する真意は
眞子さまはずっと、徹底して小室さんとの結婚を望んでいた。愛あってのことだが、同時に「皇室を出て、自由になりたい」という思いがあったと思う。それは「自由に外出したい」程度の反発心ではなく、「私はだれ?」という根源的な疑問だったのではないだろうか。
そして眞子さまは、その答えを得るには結婚するしかないと思った。皇室という枠組みにいては見つからない答え。結婚すれば、枠組みから外れられる。「皇族女子は、天皇及び皇族以外と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と皇室典範で決められているからだ。だから結婚を求める気持ちに、こだわりにこだわった。
眞子さまにとって結婚が、「私はだれ?」への答えを探す旅の始まりだ。旅のパートナーが見つかったのに、パートナーの母の「金銭トラブル」が公になり、足止めを食った。その期間が長くなる中、当初はさほど意識していなかった「30歳」への思いが強くなったのではないだろうか。強い心を保つためには、目標が必要だ。それが、30歳。そこまでに結婚するという思いが、眞子さまを支えてきた。そう思うと、すごく腑に落ちる。
目標達成はもう目の前。これからが眞子さまの、「私はだれ?」を見つける本当の旅が始まる。そこから先の人生は眞子さまのもので、その成り行きを他人がとやかく言う筋合いではないと思っている。だけど早く30歳になりたかった元女子として、こう思っている。眞子さまの旅が、幸多いことを。心からの願いだ。

矢部 万紀子(やべ・まきこ)
コラムニスト
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長。