下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です
定年後は「あること」さえ守れば
自由でよい
定年後、仕事も何もせず、どこに出かけるということもなく、家で新聞を読んだり、テレビを観たりしてゴロゴロしているのはよくない、ということはよく言われる。最近では定年退職後に夫が家にいることで妻のストレスが溜まる現象は、「夫源病」とか「主人在宅ストレス症候群」と呼ばれている。うつになることさえあるという。
しかしながら筆者は「家でゴロゴロしていてはいけない」という主張にはどことなく違和感を覚えるのだ。なぜなら、定年退職した後は何をやろうが本人の自由だからだ。筆者は60歳以降もできるだけ働いた方がよいと主張はしているものの、絶対に働かないといけないわけではないし、何か趣味を持たなければならないわけでもない。
ましてや何も用事がないのに、ただ「家にいるとうっとうしいから外に出て行け」というのも乱暴な話だろう。家でのんびり過ごすことの一体どこが悪いのだろう。何もしたいことがなければ家でボーッと過ごしていても一向に構わないのではないか。「定年後が不安だ」という声をよく耳にするが、それは定年後は家に居ちゃいけないなどと言われるから余計、定年を不安に感じるのだ。
筆者は勤めていた会社を定年で退職し、それから8年たつが、定年後、家に居ることが悪いとは決して思わない。定年後は何をしようが自由だ。でもたった一つだけやってはいけないことがある。
定年後にありがちな勘違い
妻にべったり…で家庭にヒビ
それは「人に迷惑をかけること」だ。この場合の人というのは家族のことである。要は、家に居ること自体が悪いのではなくて、家で何もせずにいることで家族に負担をかけることがよくないのだ。だから、そうならないように自分のことは自分でやるべきなのである。
おまけに定年前に会社で「セカンドライフセミナー」などという研修を受けると、やってきた講師の多くがこのように言う。「定年後は奥さんを大事にしなさい。奥さんと一緒に過ごすようにしなさい」。そこで多くの人は勘違いをしてしまうのだ。
この奥さんと一緒に過ごすというのは、奥さんにべったりくっつくということではない。よくありがちなのは、ずっと家に居るだけではなく、昼になると「おい、昼飯はまだか?」と催促する、あるいは奥さんが出かける時に「どこへ行くの?」「いつ帰ってくるの?」、そして「僕の晩ご飯はどうするの?」と何から何まで妻に寄りかかりきりになってしまうことだ。
こんな状態が続けば奥さんもストレスを感じるのは当たり前だろう。子どもじゃないのだから、「僕のご飯どうするの」とは、あまりにも情けない言葉だ。ご飯なんて自分で作ればよい。最近は冷凍食品でも、全く手間をかけずにレンジで温めるだけで美味しく食べられるものはいっぱいある。それすら面倒ならコンビニでお弁当を買ったって、近くのお店に食べに行ったっていいだろう。それこそ自分の好きにやればいいのだ。
出かける奥さんに対して「行ってらっしゃい。ゆっくりしてくればいいよ。メシは適当に済ませるし、天気が良いから洗濯でもしておくよ」と言えば、どれだけ心地よく出かけることができるだろう。
筆者の場合、妻も働いているので二人とも家にいるということは少ない。したがって家事はできるだけ分担してするようにしている。料理は自分でやってみると案外楽しいし、洗濯だってたいしたことはない。だって洗濯は洗濯機がやってくれるわけで、自分でやらねばならないのは干すだけだ。「自分は会社で大変な仕事をやってきたのだ」と言うのなら、その程度の仕事はどうということもないはずだろう。
会社人間ほど
定年後「大きな子ども」になりやすい?
以前、女性ばかりの会食に参加したことがあったのだが、その時にある女性の言った言葉がとても印象に残っている。
「子どもはいずれ成長すれば大人になるけど、夫はいつまでたっても大人にならないのよね」
これは心に突き刺さった。自分を振り返ってみても確かに妻に甘えている面が多く、結局は大人になりきれていない、「大きな子ども」の自分がいることをあらためて感じさせられたひと言であった。
結局は普段、家でゴロゴロしていようが、何をしていようが一向に構わない。要するに自分が家に居ることで家族に負担がかかっていないかどうかを考えるべきなのだ。つまるところ、定年後に一番大事なことは「自立する」ということだろう。
思うに会社員時代に地位の高かった人ほど、「自立する」ということができていない傾向がある。例えば、筆者は旅行に行くときは交通手段や宿の手配は全て自分でネット予約する。ところが、会社で役員とか部長になった友人にこの話をすると「信じられない、そんなこと面倒だし、とてもできない」というのだ。恐らく現役時代は秘書や庶務の人が全て手配していたのだろう。
でも、定年退職するというのは「会社人」から「社会人」になるということである。生活の多くについて、自分一人でできなければ困ることになるだろう。
「定年の常識」に
縛られると損をする
仮に明日、突然奥さんが病気で倒れて入院したとしても、普通に支障なく生活していけるかどうかを考えてみることが大切だ。そして自分が家に居るのであれば、料理でも洗濯でも掃除でも何でもいいので、それらにかかるパートナーの負担を減らすことを考えるべきだろう。
筆者・大江英樹氏の近著「定年前、しなくていい5つのこと」(光文社)
家族というのは共同体である。その共同体を構成するメンバーが応分の負担を負ってこそ成り立っていくものなのだ。会社という大きな組織の中でできることが小さな家庭の中でできないわけがない。実際に多くの若い人は共働きをしつつ、家事はきちんと分担してやっている。
最近はシニア世代の中にも夫の定年後に妻が外で働いているというケースは珍しくない。そういう状況になったのであれば喜々として「専業主夫」になってみるというのも悪い選択肢ではないだろう。我が家は外部から請け負った仕事を妻がしているので、週のうち、3日は外に出かける。ところがこちらは講演などの仕事がなければ、ずっと家で原稿を書く日々だから、家事のかなりの部分は分担しながらやっている。自分が作った料理を「専業主夫料理」と称してSNSにアップするということも時々あり、これはこれで新しい楽しみになっている。
要するに定年後のライフスタイルは何でもかまわないのである。何もすることがなければおおいに家でゴロゴロしていればいい。強迫観念に駆られて無理やり趣味を始めたり、慣れない地域の人たちとの付き合いでストレスを溜めるくらいなら、家の中でゴロゴロしているほうがよほどマシである。そして家の中でのフットワークを軽くして、家族のために家事をやるほうが、よほど肉体面にも精神面にも良い影響があるのではないだろうか。
(経済コラムニスト 大江英樹)
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