下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
その女性は、母親から虐待を受けて育ちました。母親自身も幼少期に虐待を受けた影響から、重度の精神疾患を抱えており、女性は小学生の頃から母親のケアをしてきたといいます。届いたメッセージには、母親の突発的な自傷行為への対応や、彼女自身も精神疾患を患ったこと、ヤングケアラーとして感じたことなどが書かれていました。
ヤングケアラーというのは「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行う18歳未満の子ども」のことです(『ヤングケアラー 介護を担う子ども・若者の現実』より)。
一般的にヤングケアラーというと、家事や介護をするイメージが強いですが、親が精神疾患の場合は特に、家族の「感情面のケア」の負担も大きいことが調査でわかっています。
ケアラーであることは子どもにとって、どんな体験なのか? 連絡をくれた亜希さん(仮名、20代)に、11月のある朝、Zoomでお話を聞かせてもらいました。
キレやすい母との毎日は地獄のようだった
亜希さんは、両親と妹の4人家族でした。小さい頃から、母親は「怒るとものすごく怖い」と感じていたそう。例えば彼女が6、7歳の頃には、こんなことがありました。
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「視力が悪くてメガネをつくることになったんですけれど、そのとき母親が錯乱状態になっちゃって。母親自身もメガネでいじめられた経験があったせいで、たぶんいっぱいになっちゃったんです。それで私と心中しようとしたのか、私を包丁で刺そうとしたんだか、とにかく刃物をもって暴れまわっちゃって」
娘のメガネで、錯乱? 度肝を抜かれる話ですが、亜希さんにとっては、そう驚くことではなかったようです。母親は「自分が受け入れられない現実があると、急にスイッチが入り、刃物をもって暴れまわる」のが日常だったからです。子どもたちを殴る蹴るは当たり前で、寝ているときに急に耳を引っ張られたり、お風呂で突然冷水をかけられたりしたことも。刃物で流血したことも、慣れるほど「よくあった」といいます。
父親は「問題に向き合わないタイプ」でした。「父親の足音が聞こえるだけで母親がパニックになる」ので、最初は亜希さんと妹で両親が顔を合わせないように対応していましたが、亜希さんが10歳の頃から父親がアパートを借りて家を出て、そのまま現在にいたるということです。
母親自身も幼少期に自分の父親からひどい虐待を受けており、そのことを亜希さんに繰り返し語っていました。勉強中でもなんでも、つねに聞き役を求められるのは負担でしたが、「うるさい」などと言えばまた暴れだしてしまうので、「とにかくひたすら我慢」して聞き続けていたといいます。
病院で母親が受けた診断は、うつ病、パニック障害、境界性パーソナリティー障害など。とくに、亜希さんが小学校高学年だった頃は「キレやすく、毎日が地獄のようで、包丁や放火にビクビクしていた」と振り返ります。しかも母親からは宗教的な虐待もあり、さらに両親からの性的虐待もあったとのこと。
母親の症状が悪化したきっかけのひとつは、祖母との同居でした。虐待を受けていたときに助けてくれなかった祖母に対し、母親は当然よい感情をもっていなかったのですが、その祖母がアルツハイマーになったのです。事情により数カ月間、亜希さん一家と同居したところ、「母の暴動が毎日のように起き始めた」のでした。
「携帯で電話がかかってきて『今、どこどこのビルの屋上にいるから』とか。電話越しに『そんなこと(飛び降り)しないで』と言って、とにかく説得して帰ってきてもらったりして。靴も履かずに探しに行ったこともありました。あとは刃物で手首を切ったり、家の2階のベランダから飛び降りたり。死ぬとかじゃないけれど、骨折とか。母としては、いっぱいいっぱいだったようです」
ときには家族に激しい他害行為をして、警察を呼ばざるをえないこともありました。
「でも母は、自分がしたことを全部なかったことにしちゃうんです。事実をすり替えちゃうし、平気でうそをつく。でも、本当に記憶が入れ替わっているんだと思うんです。だから、母がひどいことをしたから私たちが警察を呼んだんだといっても、自分が被害者だと思っているので、話がまるで通じない。警察の方には親子げんかだと思われてしまうので、児相などに保護されたことは一度もなく、ただ耐えるしかありませんでした」
「地域に知れわたるほど」の激しいいじめを受け…
家事全般も、小学生の頃から亜希さんが担っていました。母親の症状が最も重く寝たきりだった頃は、トイレや食事の介助までしていたといいます。母はパニック障害でもあったため、電車に乗る際や、通院、買い物に付き添うこともたびたびありました。
このように家ではつねに神経を張りつめていた亜希さんでしたが、中学校では「地域に知れわたるほど」の激しいいじめも受けていました。2年生のときに転校したものの、転校先の中学でもいじめのことは知られており、再びいじめられるようになってしまいます。
ストレスの影響か、亜希さんの心身にはだんだんと異変が出てきました。パニック障害になって動悸がしたり、唾液恐怖(唾を飲むことが気になる)になったり、ヒステリー球(のどから食道にかけて詰まった感じがする)の症状が出たりするようになったのです。
高校は近くの進学校に入ったのですが、次第に教室にいるだけで「動悸や唾液のことで頭がいっぱいになって、足裏に脂汗をかいたり、全身に冷や汗をかいたり」するように。もう、勉強どころではありませんでした。
「アルバイトして貯めたお金で心療内科のクリニックに通ったりしていました。本末転倒というか、滅茶苦茶なんですけれど(笑)。でもそこで出してもらった薬も強すぎちゃって、授業中に眠ってしまったりして。もうフラフラな状態で、どうにかこうにか卒業できた、みたいな感じでしたね」
残念ながら当時、亜希さんが置かれた厳しい状況を理解する先生はいませんでした。症状や薬のことを相談したら「病気を言い訳にするな」と突き放されたことも。信頼する先生に家の事情を話したところ、「(親との関係について)お前は間違っている」と笑われてしまったこともありました。
YouTubeでたまたま見た○○○○に勇気をもらった
高校を卒業後、亜希さんはいくつかの仕事を経験してきました。いじめの影響もあってつねに人の目が気になり、さまざまな症状を抱えつつ薬を飲んで、なんとかやっていたそう。そんなつい数カ月前、気持ちが少し上向くきっかけがあったといいます。何があったのでしょうか。
「プロレスにハマったんです。真壁刀義さんってご存じですか? タレントもされている、現役のプロレスラーの方なんですけれど。私自身、今年に入ってからいろいろあったんですね。もう人生終わりにしようと思って、首を吊ったんですけれど。なんかこう諦めきれなくて、ただただ時間を潰すためにYouTubeを見ていたら、その方のチャンネルが『オススメ』とかに出てきて。それではまっていって、勇気をもらった感じでした。
真壁さんは新人時代に理不尽なしごきを受け続けていたんですけれど、『自分は後輩に同じことはしない』っていう強い決意があったそうなんですね。だから真壁さんの後の世代の新人には、そういう理不尽ないじめがなくなったというエピソードがあって。ネットでその話を知って、すごく勇気をもらって。悪いものは次の世代に継承しないという、そういう決意や覚悟をくれたんです」
まさかの、プロレスでした。申し訳ないのですが、筆者はあまりにも門外漢なため、熱く語り出した亜希さんにひたすらあいづちを打つことしかできなかったのですが、それが亜希さんに大きな力を与えてくれたことは、よくわかりました。
「ずっと自分の存在を許せていなかったんです。母からは『生まなきゃよかった』とか言われて、家でも学校でも否定され続けてきたので、もはや死にたいとかじゃなくて、『私の存在をもともとなかったことにしたい』という感覚があって。だから、疑問に思うことがあっても、表現なんてしようとは思えなかったですし。
真壁選手も、プロレスの世界で必要とされない不遇の時代が長かったんですけれど、そこで腐ったりあきらめたりせず、ただ淡々とやるべきことを真面目にやり続けて、結果、花を咲かせている。それを知ったら、私も自分の存在を責めたりしている場合じゃないなって。何かにつながらなくても、やれることをやっていこうと思って」
なぜ、こんなにもハマっているのか。最初は亜希さん自身にもわからなかったのですが、真壁さんやプロレスから受け取ったメッセージの意味に気づいたとき、自分でも腑に落ちたということです。
亜希さんは現在、両親とはほぼ絶縁状態だということです。母親に対しては、だいぶ前から「わかり合える人ではない」とあきらめて連絡を絶っており、数年前には父親からも連絡が来ないよう、携帯電話の番号やLINEのアカウントを変更しています。
父親は暴力をふるったことはないものの、両親の問題が子どもに与えた影響をまったく自覚できず、亜希さんに自分の愚痴を聞かせるばかりでした。そのうえ、お酒を飲むと亜希さんが傷つくことを告げるため、もうかかわる必要はないと判断したのです。
「子どものときに『ああ、私、親を子育てしてるな』って、はっきり言葉で思っていたんですよね。生意気ですけれど。親に教えられたこととか、そういうものが一切なくて。言われて響いたこととか、『こうやって生きていけばいいんだ』という受け取れたメッセージが、何一つ残っていない。むしろ反面教師にすべきことばかり。
私のほうから『こうやって関係性を作っていこうよ』とか、父と母に働きかけ続けてきたんですけれど、結局は何も実らなかった。本当に、親を子育てしてきた感覚というのが私のなかには強くあって。意外とそういうお子さんは多いのかもしれないな、と思っています」
「家族」に頼りすぎるから、ヤングケアラーが生まれる
ヤングケアラーだったことについては、こんなふうに感じているといいます。
「国もそうですけど、家族、世帯という単位に頼りすぎちゃっているから、ヤングケアラーが生まれるんじゃないかなと思います。家族だからケアすることが当たり前というふうに、いまは社会全体が思っちゃっているけれど、個人個人にだって生活がありますし、人生がある。だけれど結局『家族のなかで、なんとかしてよ』という制度だったりするじゃないですか。それはやっぱりまずいな、というのを一番思います」
そしていま、かつての亜希さんのような状況にある人には、こんなことを伝えたいそう。
「自分の違和感かとかストレス、不安だったり、むかむかしたり、いろんな形で出てくると思うんですけれど。『これは何から来ているのかな』というのを、しんどいと思うけど、探ってみてほしいなって思います。『あのとき、お母さんにああ言われたことから来てるのかな』とか『お父さんにあのとき殴られたときの感覚なのかな』とか。
絶対しんどさを伴うんですけど、そこを見つめ続けて、たくさん葛藤して、その先に見えてくる自分なりの正解があると思うんです。それは親との和解という場合もあると思うし、絶縁という場合もあると思いますし、あとは適度に付き合っていく、とか。そういうところをうまく見つけていけたらラクになるのかな、というのは感じますね」
取材から5カ月。今月ひさしぶりに亜希さんに連絡したところ、なかなか連絡がつきませんでした。ようやく話を聞いたところ、その後、PTSDやうつの症状が悪化して苦しんでいたことを教えてくれました。いまは、体調を崩しながらもなんとか働いているといいます。一進一退で、でもちょっとずつ前に進んでいる、亜希さんなのでした。
大塚 玲子 : ジャーナリスト、編集者
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