<その1>
ミニバレーの休憩中、AさんとBさんがちょっと離れた位置で話していました。
Aさん「今夜もバレーがあるね。」
Bさん「え?」
Aさん「今夜、女子バレーの試合があるよ、って」
Bさん「あ、ほんと?。どこと?」
Aさん「UMK!(放送局の名前)」
周りにいたものみんな、大爆笑でした。
<その2>
地区の交流センターは、我が家から歩いて行くには遠い。
昨日は良い天気にもつられて自転車で行きました。
チエーン式の鍵をかけて、帰る時、鍵がみつからない。しまった~、家に置いてきてる。
仕方なくテクテク歩きながら、ばっかだなあ~私、。テクテク、テクテク。
途中、友達の家の前にきた。そうだ、元気でいるかな?
声をかけたら、居た、居た。お茶とカステラをごちそうになり、
おしゃべりができたと、とても喜んでもらえて、それからはサッサ、サッサと軽い足取り。
馬鹿も、たまにはいいもんです。
先日、久しぶりに来た孫娘が遠慮がちに言いました「ナップサックって知ってる?」
友達は持ってるのに、彼女は持ってないとか。じゃあ、作ってあげよう、と材料買いから始めたのが、彼女が帰る日の朝。時間があまりない。
昼食は爺ちゃんが買ってきて、彼女はアイロンかけや糸通し。3人協力してセッセ、セッセと、布が足りなかったり、紐が短かったりのハプニングもあり、やっと夕方に完成しました。「フー、疲れた~。」
ご機嫌で帰って行った夜は、それを抱っこして眠っている写メールが嫁からきて、ばあちゃんは満足、満足。
サイズやデザインの注文が厳しいかったです(^。^)
端布で作った小さなチューリップ。サックの飾りに3輪だけ間に合いました。
後日、残った布でブックカバーを。
旅程が全部終わり伊丹空港に向かう途中、休憩のレストハウスでのことです。
建物から出て、バスの駐車場に向かtったDさんがトイレにバッグを忘れたことに気付きました。
Dさんは70代で足が弱い。そこで、若いAさん (と言っても60代) に、「走れ~!」と。
Aさん、全速力でDさんが使った障害者用トイレに走りました。
使用中だったので、ノックして大声で
「すみませーん、その辺に赤いバッグがありませんか~!」
「あ~あ、ありますよ。」
後でAさん曰く
「何十年ぶりかであんなに走って、私がこけていたら、また顔にあざが増えて見られなくなるところだったわ。」
彼女は、初日にオリーブの木の枝で顔を強打しして、まだあざが残っていたのです。
もしバッグがなくなっていたら、みんな暗い気持ちで帰宅するところを、彼女の力走で、真から笑うことができて、めでたし、めでたしでした。
本題とは別ですが、醤油工場の見学で。
でっかい樽が入口に利用してありました。
友達二人とロープウェイ下り便を待っていたら、周りは中国語らしき言葉の人がいっぱいでした。
すぐそばの女性に「中国から?」と話しかけてみましたが通じません。
手振り身振りで聞いていたら、やっと「台湾」と聞こえました。
すると横にいたお爺さんが、日本語で話して、日本の『お正月』の歌を歌い始めたのです。
続いて、『浦島太郎』を歌い、周りのみんなが手拍子で、3番までバッチリ間違いなしです。
話しかけてみたけど、後ろの男性が手振りで、彼は84歳、耳が聞こえないのだと教えてくれました。
そのうち、バケツのような丸いゴンドラ(というのかな)がきて一緒に乗り込み-、中で二次会が始まりました。
お爺さんは『浦島太郎』をすごく楽しそう、うれしそう、得意そうに歌い、友達も私も一緒に歌いました。周りは手拍子。終わったら、みんなで拍手、拍手。
遠い過去に、お爺さんと日本人とどんな関わり合いがあったのでしょう。
ゴンドラが停まり、お互いに日本語で「さよなら、さよなら」とお別れしました。
お爺さんが主役の小さな小さな日台交流でした。
眉山展望台からの吉野川