シンガポールには「チャンネル・ニュースアジア」という、CNNを模したと思われるニュース専門チャンネルがありますが、ここ一週間くらい盛んに「2月15日、2月15日」と結構インパクトのあるコマーシャルを打っておりまして、はてなんだろう?と思っていましたら、今日2月15日は国会で財務大臣が2008年度の国家予算案を発表する日、ついてはその「予算案」関する様々な報道番組の放送が予定されてますのでお見逃しなく“的”な宣伝広告でした。はっきり言って“立派”です(笑)。
自分たちの税金がどのように使われるか明確に知りたいという国民の意識レベルが高いのでしょうか。今晩は皆さん脇目も振らずお家に帰り、家族全員で予算関連の番組を見るのでしょうか。これから酒場に繰り出して、どれくらい閑散としているものかこの目で見てきたいと思います(笑)。
ところでこの「2月15日」ですが、私が一方で思いを馳せるのは今から66年前の出来事でして、66年前の今日この日は、当時の大英帝国が世界に誇った東洋一の要塞「シンガポール」が、日本の山下奉文(やました ともゆき)中将率いる第25軍によって陥落させられた出来事です。
山下将軍というと「マレーの虎」の異名をとり、敵将のパーシヴァル将軍に対して「イエスかノーか!?」と迫る場面があまりにも有名ですが、実はそれはマスコミが勝手に脚色した話というのが真実で、山下将軍自身、「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」と周囲に漏らし、その種の報道を気にされていたようです。
そのお人柄を察するのに、そう言えば、白旗を掲げた英軍の軍使が訪れたとき、一緒に記念写真におさまっていますし、他の日本軍が占領した香港やラングーンなどでは戦勝を祝う入城式をしておりますが、シンガポールにおいては日本軍の入城式はなく、その代わりに日本軍、英軍合同の慰霊祭を執り行っております。再三再四、上官から、本国では(入城式と同時に執り行う)提灯行列の準備があるので入城式の日程を決めて知らされたし、という打診があったにも関わらず、シンガポールだけ慰霊祭を挙行したのは英断だったと思います。
当時のドイツ参謀本部の参謀らが、「攻略するのに100年かかる」と本国に報告したそのシンガポール要塞を、わずか7日で攻め落とした山下奉文中将は、その後大将には昇進しますが、その赴任先はいわゆる左遷人事で満州へ、そして開戦以来日本の地を踏むことなく、最後はマッカーサーによって陥落寸前のフィリピンへ、なんとわずか2週間前に赴任させられました。軍人の世界にもサラリーマンの世界にも、そしてどの世界にも人の妬みひがみってあるものなのですねぇ。
写真は66年前の今日、英軍のパーシヴァル中将が降伏文書にサインした旧フォード工場跡地に建てられている記念館です。シンガポールは、ひっそりではありますが、こうした記念館や記念碑をしっかりと建てております。その姿勢には本当に感心させられます。ただ陳列内容はちょっと一方的なような気もしないわけではないですが(笑)。