日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

年末1泊旅行の痕跡を記す。

2020-12-30 08:09:49 | 歴史探訪・城巡り
前日に予約した琵琶湖湖畔行の旅。
GoToキャンペーン除外の日だから、ホテルの大浴場もほぼ独占状態(苦笑)。密にはなりようもない。
大津市歴史博物館は休館のことはわかっていた。坂本城に行こうかとカーナビ入力しても、城はないし、城址公園もないのだろうか、なにも応答しない。まずホテルに行ってから、といい加減な出発。

途中、琵琶湖周辺の観光地図を眺めて、さて、どこへ行こうか、とまったく風まかせみたいな旅行です。
琵琶湖西岸の半ばあたりに、中江藤樹記念館がある。検索すると年末休刊日は12月29日からとなっており、28日はOKと判断。そこへ向かうことに。ところが月曜が定休日らしく、よって28日(月)も「本日定休日」となっている。まぁ~、大津から70キロほども北上してきたのに、、、。
近くに藤樹書院があるとわかり、歩いてそちらに回る。すると、私塾だったという書院はあったものの、足を踏み入れるのをためらうほどに、きれいに箒目が入っている。きっとお正月準備済なのかしら、とあきらめようとしたら、隣の休憩所は開いていそうなので入る。
中江藤樹の解説DVDなども視聴できるし、箒目の砂利の上も歩いてもOK。むしろ人が沢山歩いた跡がある方が喜ばれる、と。
で、その書院でも15分間、陽明学の祖、中江藤樹の話を貸し切り状態で話を聞くことができました。思いの外、満足できました。

ホテル着。露天風呂からは琵琶湖畔に寄せる波の音が聴こえる、湖畔に建つ宿でした。
部屋の外では常時マスクをしているし、フロント係とレストランま配膳係とに、わずかなやり取りをするだけ、密ではありません。
(自粛、自粛、となると、年末年始の出費を当てにしていた業界は大打撃を受けることになるでしょうね。)


翌日は、坂本城の城址に向かう。
坂本城跡という石柱をようやく見つけて、車から降りて歩いていると、いつも観光客相手にボランティア解説をしている方が声をかけてくださって、年末で正規ボランティアはしない日なのですが、と言いながら、説明をしてくださいました。ここでも二人貸し切り。
琵琶湖畔と安土城、長浜城、坂本城との位置関係などと、解説ありのために、より分かりやすかったです。

次に、三井寺に向かう。観光案内にあったから、程度の軽いチョイスです。トホホ
自家用車旅は、こんな点が便利です。


その後に「瀬田の唐橋」に向かう。京の都と関東の間にあって、何度も打ち壊されたり、焼け落とされたりしている歴史上の重要拠点で、歴史ものを読んでいるとよく出てくるという。
ちなみに、案内パンフレットには、この唐橋に初めて擬宝珠をつけたのは信長と書いてありました。

まだお昼ぐらいでしたので、石山寺へ。


追加します。


この年末年始、家族の帰省もなく、地味~に過ぎていくだろうから、寒波が来る前に1泊を、とにわか企画した旅でしたが、それなりに充実した体験ができました。
大津市歴史資料館が閉館で観られなかったのが残念でしたけれど、また機会があれば、、、ということで。


コロナの感染者増が止まりません。
発熱しないように気をつけないと、下手に普通の風邪もひけませんね。
どういう形で充足していくのかわかりませんが、り患することなくやり過ごしたいものです。




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高齢者・持病のある人についての新型コロナ情報。

2020-12-04 11:02:23 | 歴史探訪・城巡り
テレビなどの報道では、65歳以上の高齢者は〇〇人感染、という言い方をする。

そこらあたりに年齢域に属する人にとっては、65歳と75歳は体力がきっぱりと違うし、ましてや90歳超の高齢者も60代後半もひとくくり、ってどうなの? と個人的には思ってきた。
昨日ネットで行き当たった 忽那賢志(感染症専門医)の12/2の記事では、入院感リスクや死亡リスクを年齢を区切ってデータで示してあった。


弊ブログをおたずねくださる方には、65歳超えの方が多いと思いますので、忽那賢志(感染症専門医)の12/2のページの一読も参考になるかしらと張り付けておきます。

「高齢者・持病のある人のGoTo除外は新型コロナの感染対策として妥当なのか」



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昨日は「姉川の戦い」を検索。苦笑

2020-08-24 10:40:13 | 歴史探訪・城巡り
2、3年前までは、滋賀県の長浜にあるリゾートホテルを利用することがしばしばあったので、高速道路で「姉川」あたりを通るたびに見た文字標識と絵柄が目に残っている。
歴史通の夫は、そのうちの何回かは、姉川の戦いの顛末を語ったりもし、私は耳を傾けたのだけれど、年取ってからの知識はすぐに遠のいていってしまう。苦笑
だから「姉川の合戦」は、あの高速道路の標識につながる、という情けなさ、なのです。

先日、やってきた歴史好き2年生。
娘の言うには、国語の短文を作る、という場面で、
「姉」の漢字で、姉川の戦いを書き、「妹」の漢字では、「小野妹子」の話を書き連ねた、とのこと。
そもそも短文の域をお構いなしに超えてしまっている。

2年生の書いた姉川の戦いの概略はどんなものなのか知らないけれど、ウィキペディアでは陰謀術策に満ちた戦国そのもの。読んだばかりの今はなんとなく頭に入っているけれど、私が忘れるのは時間の問題かもね。苦笑

どうして、そんなに興味を持つものなのか、不思議な子、です。

好きなことに一直線。
不得意なこともいっぱいで、鬱屈もするだろうに、と気がかりなのですが、外野は眺めているだけ。

30代の最先端分野で大活躍の若き某氏は、子どもの尖がったところを尊重して伸ばしてやりたい、と綴っていらしたのを目にした。

お正月にあったときから興味は様変わりしたわけで、これからどう展開していくかはわからない。
なんでも一通りできる、という物差しで測ると、はじかれてしまうタイプなのだけれど、尖がっている部分を持っている、のは確か。
歴史分野に興味のない娘は、史跡巡りの付き添いはパパ担当。
先日来たときは、朝鮮の歴史やモンゴルの歴史に興味が移っている見たいらしいけれど、まだ姉川の戦い、覚えているかな?

過去は振り返られるけれど、先のことはわからない。

以上、私の「牛に曳かれて善光寺」よろしく、「孫に曳かれて姉川の合戦」 でした。








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いつまで続くのか。

2020-08-24 07:08:35 | 歴史探訪・城巡り
こんなところにコロナの影響。
私たちの町で、7月半ばに陽性者がひとり判明して、その後、ポツリポツリと増え、現在陽性者が8人らしい。一人目の時から公共施設はストップしたまま。10日から2週間の閉鎖期間が何度も延期となっている。
いつも利用していたリサイクルセンターも閉鎖されている。

なので、そのうちにと閉鎖解除になるだろうからと思っていたリサイクルセンター行きのペットボトル空き容器が行き場を失いゴロゴロ。

広いリサイクルセンターの担当者は、シルバー人材の方、お一人だけ。
随時訪れる利用者は、立ち話をすることもなく、ほぼマイカーでの持参だから、体調不良の高齢者層が多いわけではないだろうし、密になりようがないのに。
なんで閉鎖するのかしら?

週2回のごみ収集日に出せば無問題だと思われているのでしょうね。
我が家は生ごみはコンポストで腐葉土にするから、基本、ゴミは少ない方だと思っていたけれど、ペットボトルや空き缶も、となるとググっと増えてしまいます。

そして、図書館も。
普段は利用していないので無問題なのですが、図書館のヘビーユーザーの孫に差し支えが出ました。アッハハ
帰省したら、我が家に向かう前に図書館に立ち寄って、私たち夫婦のカード2枚で目いっぱい貸し出し利用していたのに、、、。トホホ
なので、日ごろから図書館を利用している方には、不便でしょうね。滞在しての読書を禁じて、ネット予約の上の貸出だけでもと工夫できないものかしら。オンラインサービスでアクセスできるようになっているを、判断した方はご存じないのかしら?
ちなみに、近隣の市では、もっと陽性者数が多いけれど、図書館閉鎖にはなっていません。

この手の判断を下しているのは、自治体のトップの判断なのだと思います。
施設の特性を吟味することなく、全部まとめて閉鎖を支持するのは簡単です。しわよせが出ているとの声が耳に届かない限りは。

あの元気印の首長さん、子供のころからの成長過程で、図書館利用するタイプじゃなかったのではないだろうか、今度、話をする機会があったら、聞いてみたいと(私、イジワルでしょう。苦笑)思ったりしています。

いろんな行事が中止になり、生活に抑揚がなくなりました。
ひとり暮らし高齢者宅に電話すると、電話で家族や友人らと連絡取りあっていらしたり、私よりも交友関係が厚い方もチラホラ。
それがないタイプを気遣う必要があるんですね。やがてのワタシかもしれません。
一番我が家、そしてわが庭を頻繁に訪ねてくれていた友人が、前記事状態なのですから。

なんとか、彼女の再訪を願っています。









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『コロナは風邪』

2020-08-07 12:43:57 | 歴史探訪・城巡り
スマホのポータルサイトから、先ほど こんな記事を読んだ。
8月6日付のPRESIDENT オンラインに掲載の記事とのこと。

現役医師「これからは『コロナは風邪』と割り切る視点も必要だ」

説得力ある。
それなりにボリュームのある文章です。時間がある方は、是非ご一読ください。
政府から声のかかったお医者さんでなくても、専門的な見解を発信できるというのは、極めて重宝です。

世の中、ずいぶん変わったものです。
以前、PRESIDENTという雑誌をWeb購読していたこともあるけれど、今は、そんな手続きしなくても読めるんですね~。

新聞やテレビの限られた紙面枠や時間で発信されている情報を超えるものが、どんどん出てきている。
実は、こうなんだよ、と聞いていても、そもそもの基準が違うのに、数字だけを伝えられて、最高値だ、最高値だ、と発信している報道と距離を置きたくなる。

基礎疾患のある90代の方が、さらにコロナウィルスに感染したことでなくなっても、世間は死亡者が増えた、増えた、と喧伝するのだろう。
普通に高齢の方で肺炎、インフルエンザで亡くなる人はいるのに、新型コロナで亡くなるのがさも大問題、という感覚。

なにがなんだか、マスコミって視聴率が大事で、片手落ちの報道をしているのじゃないだろうか。

















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2泊3日の京都旅行から戻ってきました。

2020-03-23 09:36:04 | 歴史探訪・城巡り
夫婦での初めての京都旅、よい旅でした。

夫は京都旅行を避けていたところがあり、ひとりで行くか、と思っていたのが、二人になり(もちろん、コロナ騒ぎのずっと前です)、御所の近くのホテルを予約していました。

混みあったところは避けて(実は人気で、観光客満員の、、、、という情報には疎かった。苦笑)、という気持ちもあって、京都駅南側に位置する、醍醐寺、伏見稲荷、鳥羽伏見の戦いあとあたり、の3か所を回ってから、ホテルに向かう予定にしていました。
碁盤の目の街並みエリアではないこともあり、カーナビ頼りに向かう道すがらは、道幅ギリギリで神経を使うところ多し、でした。

醍醐寺
太閤秀吉が,「醍醐の花見」をしたところ。桜の開花も京都の中では早咲き、というのも期待の一つでした。
駐車場はほぼ満杯状態で、待たずに止めることができて、コロナで観光客激減のおかげだったのでしょう。
白人客の観光バス1台だけで、あとは団体観光客ゼロでした。
ソメイヨシノのつぼみは堅かったですが、樹齢を経た枝垂桜があちこちで満開。
伽藍エリアは広くて、豪壮な建築様式。夫曰く「名古屋にはこんなところないだろう」と感心しきりでした。
次に(ひとめぐりしてパスしようか、という気持ちもないわけではなかった)三宝院内に入りました。
庭園は見事でした。平安時代の寝殿造りを模した設計になっているという広い縁台(風?スペース)に、腰を下ろして眺める庭園(秀吉が基本設計をした)の景観は贅沢そのもの。開け放たれた室内の襖絵にも見入りました。パンフレットにQRコードがついていたから、利用したらよかった~~残念。






伏見稲荷
カーナビの誘導に惑わされ、手間取りましたが、無事に到着。
インスタグラムで人気らしい、というぼんやり情報しか知らず、でした。
赤い鳥居がいっぱい。千本鳥居のほうへ足を運びました。行っても行っても、まだまだ鳥居は続きます。途中の案内図を見ると山頂まで続いている風です。半分ぐらいまで登ったでしょうか、頂上まで40分とあるところで、引き返してきました。ふぅ~

、同じ伏見区なので、鳥羽伏見の戦いがあったエリアは遠くはないと思うのですが、カーナビで惑わされて神経が疲れていたこともあり、無理をすることない、また次の機会に来ればいい、とホテルに向かいました。

ホテルは街中なので、そこへ向かう道すがらも混んでいるかしら、という気持ちを抱えながら、です。
結果、多分コロナの影響で市内を走っている観光バスゼロの状態ですから、ウルトラすいている観光シーズンだったのでしょう。
5時にはホテル着となりました。

↑ の2つとも、結構のぼり坂が多くて、山登り感覚でした。⇒ 宿に帰って、膝に疲れが、、、、。

翌日は、地下鉄バス一日乗車券(900円)で、京都を回ろう、ということにしました。
ホテル界隈のお寺で、こことか、そこへ、と候補も上げましたが、夫は、何度も用事で京都は訪問していますが、神社仏閣へは行ったことがなくて、初京都。ひとまず王道コースから踏破しよう、ということで、金閣寺へ向かいました。

金閣寺
私は、中学の修学旅行以来になります。55年ぶりでしょうか。33年に焼失して再建されたわけで、まだ再建してから年月も新しかったのかなと思っていましたが、今回も金色に曇りもなく、きれいな金閣寺でした。入場には拝観料ではなく、400円と引き換えにお札が手穂たされました。お参りに訪れた人にお札を渡す、400円はお札代ということで、課税対象にはならない仕組みだ、と誰かがささやいていました。へぇ~、です。苦笑


京都のイラスト図では金閣寺のすぐ近くに、天竜寺があります。バスで一つ二つ。社会科の資料集に載っていた石庭を見るのもよし、という流れになって、目指すことにしました。


バスの本数は少なく、立命館大学前までバス、その後は天竜寺前まで1停留処分7分は歩きました。
天竜寺
石庭はかつての記憶にある写真どおりでしたが、想定内だったからでしょうか、インパクトは三宝院のお庭ほど圧倒された感じはしませんでした。


また、帰路も1停留処分を歩いて、銀閣寺へ向かいました。

金閣寺の次に銀閣寺となっているのですから、まったく初心者向けの王道コースそのものです。苦笑

銀閣寺
これも修学旅行以来です。夫は修学旅行は東京方面だったので、ここも「初」です。
途中は、足利義満、義政の話を語りながら、お寺巡りなのですが、夫は、「尊氏はできた人物として伝わっているけれど、義満は、読めば読むほど悪い奴だと思える人物だった」とか、義政没後、応仁の乱となっていく顛末を聞かされる。若いころに読んだ(身に着けた)方が記憶に残るけれど、年を取ってから習得した知識はするりと抜けてしまう。苦笑

銀閣寺の次は清水寺。
バスで向かうのだから、お寺からバス停、バス停から境内まで、と近くはあっても、それなりに歩く。
またまた、バス停から清水寺への道は急坂この上なし。
清水の舞台というのも、夫にとっては「初」。
私は3筋の滝(音羽の滝)が流れていて、順番に柄杓で飲んだ記憶がある。その時の私はセーラー服姿。55年も前のことです。笑

地下鉄、バスの一日乗車券なのに、地下鉄に乗っていないね~、という話になり(けち臭いでしょ。苦笑)、だったら二条城は地下鉄の出口すぐにあるから、ということで、そちらを加えた。

地下鉄に乗るために、バスを乗り継ぐ。

実は、二条城は22日(日)まで、コロナのために閉鎖とネットにあったので、建物内に入れなくても外観だけでもお薦めの気持ちがありました。で、行ってみると、急遽1日繰り上がったようで、二の丸御殿には入ることができました。書物では当然のように知っていても慶喜が大政奉還の意思を表明した大広間、その場所がここであると目の前にすると、感慨深いものです。(私は昨秋にも来たばかりですけどね)

この後に、京都御所を訪問する予定でしたが、私の体力消耗が激しく(大丈夫か、と何度も尋ねられるような有様)、時間はたっぷりあるけれど、ホテルに帰りました。

※ 多分、例年だと、この季節の道路は渋滞でこんな形で回るのは大変でしょうが、格別の渋滞はありませんでした。観光バスとすれ違うことゼロ。

連泊ということでホテルはメニューを連泊パーションに代えてあります。最上階(でも5階)の部屋からも、レストランからも、のどかに流れる鴨川が一望できる好立地にあります。京都見物時に利用するリピーターになりそうです。

温泉につかって、疲れを取ろうとするも、なかなかひざ痛は取れず。トホホ

3日目は、昨日見学しそびれた、今日御所へ徒歩で向かう。
ガイドの説明を希望するのであれば9時半に集合、という予定で早足で砂利路を急いだけれど、コロナの関係で、ガイドは中止。
パンフレットを片手に順路に沿って回る。
途中で、案内音声が聞こえてくる。
有料の説明グッズがあったのかしら、と目をやると、その人はスマホを手にしている。

そう、QRコードから京都御所案内検索へ誘導される仕組み。ポイントごとにクリックすると、音声案内が聞こえてくる仕組みです。
めったにQRコードでの読み取りをしたことがないけれど、チャレンジ!
できました。…できたことがうれしい。うっふふ
いくつもの説明の中の一つ「小御所」では、孝明天皇と尊皇派が詮議をしていたとか、実物の前で説明を聞くと脳内での臨場感が増します。苦笑

御所の北側の桜が満開ですよ」と、バスに乗り合わせた地元の方がアドバイスをくださっていたこともあり、足を運ぶ。(痛いのに、、、) 御所の東隣にある迎賓館もお薦め、と聞いたけれど、コロナで閉鎖。

ホテルの駐車場に留め置いている車に戻って、比叡山に向かう。
カーナビがあるから、到着時間かわかり便利、ではあるけれど、有料道路に入る前の道路は、狭くて神経を使う。

比叡山延暦寺の東塔エリアだけを見て回る。
根本中堂(国宝)は、修復工事中でしたが、内部の仏像はもちろん、工事中の屋根の吹き替えの様子も巡廻して見学できました。
現在の建物は、徳川家光公によって再建とあります。京都のお寺をいくつか見たところで、結構、徳川の世になって家光が再建しているのだと気が付きます。
境内の道すがら、片側には最澄の生い立ちを書いた看板、反対側には比叡山で修業した親鸞、日蓮、一遍とうの私たちが知っているお坊さんたちが比叡山で修業をしたことが書かれています。比叡山は日本仏教の母寺のような面を持っているのだと思いました。

以上、なんだか、より取り見取りの修学旅行のような旅でした。

ここも、団体客ゼロでした。超満員ではないので、昼食をとるのもスムーズにできました。

疲れがマックス。なんとか車中の人になって、家路につきました。

(後日、写真も追加します)

















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お城

2020-01-11 08:03:53 | 歴史探訪・城巡り
城めぐりにはまっている。
昨今、テレビでも城ブームで、各地の名城が取り上げられて、それも楽しい。

城マニアもそれぞれ。
城の形、大きさを愛でるのが好きなタイプと、その城のもつ歴史に興味を持つタイプ。

私は後者のほうなので、城跡、土塁が残っているだけであっても、学芸員さんの説明書きを読みながら、じわっと充実感に浸っていたりする。
築城に当たっては、当事者はみな真剣そのものだったハズ。平和なんていうボキャブラリーも感覚も存在もしていなかったであろう時代の、生き延びるために手立ての一環として、敵の攻撃から自陣を守り、勢力拡大の策が練られていただろう館なのです。

お正月にやってきた息子、ポツンと、城ってすごいと思うけれど、そこで血が流されていたと思うとイマイチ(熱中するのもなんだかな~)といういい方をした。それも見識。
歴史はどれほど血にまみれているか、そうしてようやく今に至っている、のだけれど、彼とは歴史ものに接している濃度が違うので、「・・・・だね」(城の形状や城主の栄華を讃えるに限らない、など言うとややこしくなるので)と受ける。かつて、大阪城に連れて行ったときに、住んでいた人はどうなったか、と尋ねた息子に、死んだといったら、どうせ死ぬのだから、戦いはしないほうがいいのにね、と2歳児なりの名言をのたまった。彼はそれから数十年経っても宗旨替えをしていないようだ。笑

話は変わって、友人が昨秋、京都旅行を提案してきた。
いろいろ見どころ満載の京都なので、ポイントを絞って何度でも楽しめる。彼女は私以上に何度も訪問しているし。
「○さん(私)の興味のあるお城も、京都ならいっぱいあると思うから、満足するわ」と。

おいおい、京都って、平安時代から天皇の御座所があったところで、気安くお城を作るなんてありえない、のに。
二条城は徳川の世になってから、御所監視の意図もあって築城されている。徳川幕府はたくさんのご法度を作って、各地の城をつぶしたりはしても、新たに作ることには、幕府のために限られていたのに。それも天下普請で。その天下普請に外様大名は競わされ、加重な負担にあえいでいたのに、、、。
城=観光地。京都=一級の観光地。だから、お城も多々あると思っている彼、彼女がいても、この日本、不思議ではないのだろう。
きっと、私も歴史を学ばなかったら、彼女と同類。学べる気力があることが嬉しい。

昨日の午後の集まりで、インストラクターさんの「みなさんの今年の目標は」という問いかけに、ヨガを続けたいと返答したけれど、もうひとつは、「学びたい」『興味を持ち続けたい」です。

あっ、30年ほどまえの集まりでの話題を思い出しました。
趣味はなんですか、の問いに答えていたとき、ある名誉教授(理科系の)は「デンケン。考えることが趣味です」と言っておられました。
ちょっと、キザっ、て思いもしたけれど、きっと、今の私は、あのころの老教授の年齢なのだろうか。











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苗木城と滝、吊り橋、飛騨牛三昧。

2019-08-16 07:14:07 | 歴史探訪・城巡り
苗木城は美濃の国に16世紀につくられた山城です。 下呂温泉に1泊旅行の計画で、途中、立ち寄りました。 天守展望台はかつての木組みを装って再現されていました。 天守閣が眺められる絶景。川は木曽川です。 昨今の城ブームもあって、結構若い世代も多かったです。 城郭は残っていなくて、石垣を観ることができます。 山城としての人気ナンバー1になったのだとか。 岩山の大きな岩を組み込んだ石垣、積み方の多様な石垣を見ることができて、石高は1石と小大名なのでしょうが、興味深い城でした。 幕末には若年寄を務め、徳川家茂に付き添って大阪城に出向いており、大阪城での家茂死去の後は、亡骸とともに江戸城まで付き添ったほど幕府の信頼は厚かったらしいです。 その後、不動滝を目指す。 カーナビに従えばいいので、ラクチンなのですが、あと2分のところで渋滞。駐車場まで1時間かかりました。 2つの吊り橋があり、2本目の吊り橋前でまた渋滞。30分かかりました。 観光地?名所としては、マイナーな気がするけれど、こんなに満員。きっとネット情報で若い人にとっての穴場なのでしょうか。 水量も満点で、猛暑続きの毎日の中では、涼味満点でした。川の水の深くてきれいなこと。 吊り橋は重量制限があり(3人限定)、満員なこともあり、カメラを取り出してパチリ、という気分にはなりませんでした。 楽しみの宿の夕食。 飛騨牛のお料理、と期待していました。感想。ドンドン贅沢になれてしまって、どうしよう、です。 ↑ のほかに、3品のお料理が出ました。 飛騨牛のオンパレード。 シャブシャブ。 鉄板焼き(厚さは1㎝はある)。 握りずし。お醤油ではなくワサビとレモン汁で食べる。 ローストビーフ。3種類のソースの食べ別け。 飛騨牛とトウガンのあつもの。 これはなんだっけ? デザートも手抜きなし。 配膳の担当者も手際よくて、気持ちよく食事できました。 提供されたデラックス料理っていいですね。ありがたい。 でも、これが頻繁になると、感性がなまってしまいます。 素食にも素食の好さがあることを、銘記しておかなくっちゃ。
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思い立ったら映画館。『アルキメデスの大戦』を観る。

2019-07-30 05:40:54 | 歴史探訪・城巡り
日曜日のテレビで、封切された映画の宣伝で知った作品を、しきりに見たくなって、久しぶりに映画館に行ってきた。
スケジュールはハード。ホットヨガの予約も入っていたので、1時間のヨガの後急いでシャワーをして、上映開始時間に間に合うようにシネマ館へ直行した。
原作が漫画らしい。そもそもこの映画を知ったのは、前日の日曜。なのになんだか、見なくっちゃ、という思いになった。
戦闘力は戦艦から航空機の時代へと変わっていたのに、それでも世界最大の戦艦を作ろうという方向へ向かっていった筋書き(原作は漫画だけれど)がどういう展開で描かれているのか、興味があった。
先月に呉の「大和ミュージアム」で10分の1の戦艦大和が展示されていたけれど、ショップにはプラモデルなどがあって、戦艦の雄姿を讃える風潮が残っていなくもなく、、、と感じたものでした。戦争というものは(日露戦争がそうであったように)戦艦同士の戦い、だから正々堂々と勝ち戦をするには巨大で高性能の戦艦である必要がある、という海軍トップ。空からの攻撃なんて、と。
月曜日の館内はガラガラでした。いつもはテレビでの有料映画視聴ですが、時には映画館へ足を運ぶのもよし、です。
観たい、と思ったら、上映館をネット検索して、即観に行ける環境であるって、贅沢、と思います。ありがたい。





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あのケースを思い出す。

2019-07-26 06:04:56 | 歴史探訪・城巡り
今、昼間のテレビで盛んにY興業に所属の芸人さんの闇営業問題とその後の対応が取りざたされている。
問題点の追及、解明よりも、視聴者をテレビの前にくぎ付けにできそうだ、と言った観点から司会進行が行われているように見える。
昼間のテレビは、昼間テレビの前にいるだろう人たちを想定して進行するのだから、そんなものなのだろう。

一昨年のことを思い出す。
その組織の100周年記念行事をするかどうか、と検討し、地元出身の俳優さんに講演してもらうことになった。脇役俳優さんで、その時点で私は名前と顔が浮かんでこない人だったけれど、地元中学出身だから応援したいという気持ちもあったのだろう。福祉関係の団体なのに、地元出身だからと言って頼むことにするその俳優さんは適任「?」という気持ちが私にはあった。にわかに福祉にも関心ありますよ、みたいな話になるのってヤダナ~、と。
で、担当者の方のセリフ。「謝礼は○十万円です。事務所に払わないで、彼に直接払ってやろうと思います。事務所を通すと彼への実入りは減るだろうし、、、」と。それが配慮、と言った感覚です。
なんで、そんなセリフを口にするのだろう。脱税に協力するよ、みたいじゃない?咄嗟に違和感を持ちました。
でも、そんなことに目くじら立てなくっても、と敢えてスルーしました。
その俳優さんが、その謝礼をどう処理するか決めたらいいのであって、役所は講演料の領収書をもらえばいいのです。

テレビで話題になっている闇営業って、相手がダークだったから闇営業なのか、芸人としての収入に計上していないからの闇営業なのか、そこのところもあいまいです。また、Y興業の芸人さんが6000人もいるらしいが、社員なのかどうか。民放テレビは、こぞって、たいへんな問題が発生した~と根掘り葉掘り説明している。問題点の的をついているかどうかは別問題。

毎度、マスコミはこんなふうに視聴率が出そうな話題を懇切丁寧に取り上げる。きっと、まだテレビはなかったけれど、かつての、あの戦争に向かっていく時代も、戦争中も、こんなふうに、ラジオや新聞は大衆を席巻する役目果たしたのだろうな、と思ったりもする。
オリンピックまで1年を切った。これからはスポーツの話題の目白押しになるのか。ちょっと、それにも食傷気味の天邪鬼です。






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