かつての駐日大使、マイク・マンスフィールドさんは、生前自ら来客をコーヒーでもてなすことで有名だった、と。
77年に日本では、日本女性のお茶くみの習慣への意味があったと、著書に書いていらっしゃるとか。
さて、私の話。
それより前の72年の東京都下のある学校の職員室。
よく気がつく新米教師のSさんが、お茶を入れてくださった。
そしたら、年配のN先生がにこやかに明るく
「Sさん、いいんですよ。自分でやりますから」
Sさん
「いいえ、苦にならないから気にしないでください」
N先生
「いえ、あなたが入れると、次からは誰かが入れてくれるものだと期待するようになるから、入れないほうがいいのです」
Sさん
「そうですか。だったら、私二つの手があるから、お隣さんの分だけにするわ」
二人の会話さわやかでした。
いつの季節だったかは忘れました。ストーブにあたりながらだったかもしれません。
ホンの一こまの会話なのに、私の職場スタートのはじめにそんなやりとりを耳にしています。
だから、自分より上の世代の方々が、大学時代までは不満なく育ったのに、「社会に出で大ショック」と語られるのを見聞きすると、こんな環境でのスタートもあったと、つい伝えたくなってしまうのです。
但し、だからどうってことはありません。
「艱難汝を玉にす」ということもありますから。
ちょっと、マンスフィールドさんのエピソードが載っていたものですから、書いてみました。
77年に日本では、日本女性のお茶くみの習慣への意味があったと、著書に書いていらっしゃるとか。
さて、私の話。
それより前の72年の東京都下のある学校の職員室。
よく気がつく新米教師のSさんが、お茶を入れてくださった。
そしたら、年配のN先生がにこやかに明るく
「Sさん、いいんですよ。自分でやりますから」
Sさん
「いいえ、苦にならないから気にしないでください」
N先生
「いえ、あなたが入れると、次からは誰かが入れてくれるものだと期待するようになるから、入れないほうがいいのです」
Sさん
「そうですか。だったら、私二つの手があるから、お隣さんの分だけにするわ」
二人の会話さわやかでした。
いつの季節だったかは忘れました。ストーブにあたりながらだったかもしれません。
ホンの一こまの会話なのに、私の職場スタートのはじめにそんなやりとりを耳にしています。
だから、自分より上の世代の方々が、大学時代までは不満なく育ったのに、「社会に出で大ショック」と語られるのを見聞きすると、こんな環境でのスタートもあったと、つい伝えたくなってしまうのです。
但し、だからどうってことはありません。
「艱難汝を玉にす」ということもありますから。
ちょっと、マンスフィールドさんのエピソードが載っていたものですから、書いてみました。