日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

TVドラマ「運命の炎」を見る。

2020-04-25 08:22:40 | 映画・テレビドラマ・音楽
2日間で、8話を見終わった。」「運命の炎」
パリで1897年に実際に起きた、126名の死者を出した大火を題材にした作品。
1897年といえば、フランス革命から100年以上はたっている。19世紀末です。
日本では明治30年。
フランスの19世紀後半、といえば、印象派絵画が頭に浮かぶ。
印象派絵画が隆盛期となったのは、絵画の買い手、ブルジョア層の存在があった、と言われている、そのブルジョア社会を描いている作品です。物語は大いにフィクションでしょうけれど、時代考証はなされているハズ。と思うと、市庁舎(?)のすぐ前に、断頭台があって、権力者の都合によっては、非公開で判決が下りて、処刑の現場を市民が喝さいを挙げて見守る、というシーンが残っているのです。
金持ち層の邸宅は貴族の館然としています。ご主人側と使用人側、メイドや御者(今でいえば運転手です)らとは、歴然とした境界がります。
ああ、こんな邸宅の壁に飾るためにブルジョアたちはこぞって絵画を絵描きに描かせていたのだ、とか思いながら見ました。
女性たちはまだコルセットをつけています。コルセットは自分だけでは脱ぎ着ができません。当然ドレスの着脱にはメイドの存在が必須、ということです。
以前、確か「徳川慶喜の孫たち」という本だったかで、「自分の脱いだ着物を自分でたたむという惨めな生活にはさせないから」という文章に出会ったことがあります。洋の東西は違えど、超上流階級になると、そんな価値観が特別ではないのでしょうか。

20世紀になって、ココシャネルがコルセット不要のデザインの洋服を流行させたのは画期的なことだったんだ、と、頭の中はアチコチに飛びます。ドラマ「ダウントン・アビー」の時代(1920年前後)に、貴族のレディーたちもコルセットなしの洋服を着始めていました。

ストーリーにとって傍系の話ばかりになってしまいました。
あらすじとしては、3人の女性、立場はそれぞれ違いますが、旧弊の殻を破って、迷いながらも自分の頭で考えて、進むべき道をチョイスしていく、という展開です。

1話約50分の作品なのに、ついつい興味を止めることはできませんでした。

余談 実は、今、「レ・ミゼラブル」のドラマもHNKでやってます。第1話から録画予約したのですが、どうしても見られないのです。ずいぶん以前に長編映画で見たこともあります。数年前には、ミュージカル映画も3回ほど見ました。だから、物語の展開はわかっています。時代考証にも力を入れている作品でしょうから、良品なのは違いないのですが、これからますます理不尽な不幸が襲い掛かる、と思うと、再生ストップにしてしまうのです。

そんな私ですが、「運命の炎」は出会えてよかった作品でした。

それにしても、明治30年のフランスでは、社会はこうだったのか~と。
今、コロナ騒動で、世界中の映像が流れますが、裾を引きずるようなお嬢様ドレス姿もなく、薄汚れた群衆、も見かけません。
今の方が民主的なんですね。



コメント
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