日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

桜の季節に

2013-03-29 02:13:34 | 私の雑感あれこれ
場所は東京。天気は晴れ。桜の季節。
となると、人でいっぱいなのは当然なのですが、時間を見つけて、靖国神社まで行ってきました。10年ほど前に千鳥が淵の戦没者墓苑には行ったことがあります。やはり桜の季節でした。ここははじめてです。
東京、桜、で検索すると、双方ともリストの上に出てくるような名所ですから、尋ねるには当りの季節かもしれません。縁でしょうか。
「戦争責任者のA級戦犯も祭られているから、靖国神社はちょっと・・・」のタイプで、あえて無名戦没者の納骨堂の千鳥が淵に参拝していたのです。

還暦も過ぎて、かたくなさも目減りしたのか(苦笑)、テレビ番組で三宅久之氏が靖国神社に隣接する遊就館の話も、言ってみたい一因だったのです。

神社の桜は満開。入り口付近の両脇には縁日のお店が並んでいます。ブルーシートで場所取りしている光景も。わだかまっていた、あの靖国神社はお花見三昧の場所…、妙でもありました。
鳥居をくぐると、よくテレビで目にするあの神社が。
戦争経験者世代には格別な神社なのだろうな、と思いながら参拝。外国人(白人)の姿もチラホラ。彼らはどんな解説を読みながらここにやってきているのだろうか、と少し興味を覚える。
参拝を済ませて遊就館に。ここもそれなりの人混み。かつて桜の千鳥が淵墓苑に向かった日も週日の好天だったと思うけれど、人影すくなかったのとは大違い、です。お堀にせり出した桜を楽しむ人は多かったけれど。
閉館時間まであと1時間ある、そう思いながら館内の順路どおりに観覧を始める。やはり砲台やゼロ戦の実物に圧倒される。鹿児島の知覧でも、特攻隊の飛行機の展示をみたけれど、偏見だろうか、国家の息のかかり方が違うような思いがした。
軍記ものに精通するタイプでもないので、展示物を眺めながら、確か戦没者の遺影の展示があるはず、と歩を進める。
戦争がなかったら命を落とす必要がなかった息子を思って花嫁人形を手向けた母親があったりして、、、と三宅氏の話しぶりを思い出していた。
最後の部屋に軍服姿の遺影、遺影、遺影。軍での位と没年もあわせて記名されている。
中尉なんてのは偉い軍人と思っていたけれど、年齢は二十歳を何年も過ぎていないのは、私の新発見。軍人学校を出たエリートは若くして偉い地位になる。強い組織としては、年功序列ではなく、能力主義で軍人を養成していたのだとおもった。
鼻をすする音がいやに耳に入ります。確かに、桜の季節は花粉症の季節でもあります。
特攻隊出撃が決まった兵士の家族にあてた書簡を読んでいくと、花粉症鼻炎も度を増したかのように、むせるものがありました。
「自分は国のために」と律しながらも、家族への情はあふれるばかりの手紙です。やり切れません。不戦の思いがあふれるばかりです。遊就館が何を展示してある場所かも知って入館している人たちばかりでしょう。黙して陳列書簡を読む人たち。閉館のメロディーの流れるなか、鼻をすする音があちこちから聞こえていました。

外へ出ると、満開の桜が今年も春がきたよ、とふつうに咲いていました。


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