ひとり、ぼんやり、考えごと。
先日たまたまチャンネルを併せたら「プライベートライアン」をやっていた。
以前には観終わってからも、ノルマンディー上陸のシーンほか、戦場の生々しさをこれでもかと描写されており、私にとっての印象に残っている映画です。
スピルバーグ監督の名品のひとつだということも、鑑賞後に知りました。
再度の鑑賞は時間のもったいなくて、今回は録画はしていません。でもストーリーの記憶はあります。で、ついつい後半の部分はテレビの前に釘づけ、(中身の濃い映画なんだからいいじゃないか、と自分に弁解して。トホホ)でした。
「戦争はしてはならない」「戦争は悲劇だ」「殺戮はこうも惨いものだ」という、スピルバーグ監督のメッセージの洪水に身を置いているような思いに駆られました。
その数日後、「アメリカンスナイパー」(2014年制作)を見ました。これは、私たちの記憶にもある、あの貿易センタービルへのテロ攻撃の後の時代、フセインのイラクへのアメリカの武力侵攻です。
訓練を受けた狙撃兵の、海兵隊の陸上戦を戦う兵士たちの守り役として配置された実話に基づく、とあります。
女子供であっても、爆弾を隠し持っていれば、アメリカ兵にとっては十分に危険な敵兵なスナイパーにとっての仕留めなくてはならない的なのです。失敗すると自国兵の命に係わるのです。160を超える命を奪い、米兵の中ではヒーローとたたえられても、彼の中で何かが壊れ、精神を病んでしまいます。
どれだけの映画を見ただろう。
どれだけのテレビドラマを見ただろう。
(現在連続視聴中の「刑事フォイル」も1940年代のイギリスが舞台。)
(第4シーズンが始まったばかりの「ダウントンアビー」も、第一次大戦が終わった1920年代。)
戦争はこんなにも悲惨だという現実を次々に教えられているのに、
でも、戦闘が何年もやまない地域からの難民のニュースが連日流れる。
メルケル首相もオバマ大統領も、これらの近い過去の悲惨さを知っているから、だろうか。メルケルさんは毅然として難民受け入れ政策を続けているし、オバマさんはアメリカの若い兵士を地上戦に投入することをためらっている。
勿論イギリスやフランスのトップたちも、知り尽くしたうえで、平和に納まることを望んでいることでしょう。
実は、阿川弘之著「山本五十六」を読書途中にしたまま、戦後70年を総括した特集を組んでいる文芸春秋の中の司馬遼太郎の文章を読んだりしている。
お二人に共通しているのは、日本がなぜ太平洋戦争に突入していったか、を後世の私たちに書き残してくださった読み物です。お二人とも、当時のいきさつを追いかけることにより、そのときの世相をもふくめて、伝えようとしてくださっている(生徒(私)が不出来で、深い理解にまで至らないかもしれないけれど)。
当時の日本は、世界の進度とのずれが明らかなのに、不都合な部分は、自分の国は特別な国だから、勝ち戦に持って行けるという風潮を作ってしまっているのです。
戦闘機の時代になっているのに、巨大戦艦を作ることを至上命題にしていました。燃料が石炭から石油の時代に代わって、列強として伍していくには、どうしてもジャワ・ボルネオを支配下におさめる必要があった。
このパターンって、今の近隣の某国に似ているようにも思えます。
自国民に情報を与えず、治安維持法で思想統制して、、、。臣民は天皇の赤子でしたものね。
なんとか、上手い方法で、開けた国になってくれないものかと思っています。
それにしても、もう一つの隣国は、経済バブルがはじけたようで、これも激動が起こるのでしょうか。
年明けから入ってくるニュースは穏やかではありません。
先日たまたまチャンネルを併せたら「プライベートライアン」をやっていた。
以前には観終わってからも、ノルマンディー上陸のシーンほか、戦場の生々しさをこれでもかと描写されており、私にとっての印象に残っている映画です。
スピルバーグ監督の名品のひとつだということも、鑑賞後に知りました。
再度の鑑賞は時間のもったいなくて、今回は録画はしていません。でもストーリーの記憶はあります。で、ついつい後半の部分はテレビの前に釘づけ、(中身の濃い映画なんだからいいじゃないか、と自分に弁解して。トホホ)でした。
「戦争はしてはならない」「戦争は悲劇だ」「殺戮はこうも惨いものだ」という、スピルバーグ監督のメッセージの洪水に身を置いているような思いに駆られました。
その数日後、「アメリカンスナイパー」(2014年制作)を見ました。これは、私たちの記憶にもある、あの貿易センタービルへのテロ攻撃の後の時代、フセインのイラクへのアメリカの武力侵攻です。
訓練を受けた狙撃兵の、海兵隊の陸上戦を戦う兵士たちの守り役として配置された実話に基づく、とあります。
女子供であっても、爆弾を隠し持っていれば、アメリカ兵にとっては十分に危険な敵兵なスナイパーにとっての仕留めなくてはならない的なのです。失敗すると自国兵の命に係わるのです。160を超える命を奪い、米兵の中ではヒーローとたたえられても、彼の中で何かが壊れ、精神を病んでしまいます。
どれだけの映画を見ただろう。
どれだけのテレビドラマを見ただろう。
(現在連続視聴中の「刑事フォイル」も1940年代のイギリスが舞台。)
(第4シーズンが始まったばかりの「ダウントンアビー」も、第一次大戦が終わった1920年代。)
戦争はこんなにも悲惨だという現実を次々に教えられているのに、
でも、戦闘が何年もやまない地域からの難民のニュースが連日流れる。
メルケル首相もオバマ大統領も、これらの近い過去の悲惨さを知っているから、だろうか。メルケルさんは毅然として難民受け入れ政策を続けているし、オバマさんはアメリカの若い兵士を地上戦に投入することをためらっている。
勿論イギリスやフランスのトップたちも、知り尽くしたうえで、平和に納まることを望んでいることでしょう。
実は、阿川弘之著「山本五十六」を読書途中にしたまま、戦後70年を総括した特集を組んでいる文芸春秋の中の司馬遼太郎の文章を読んだりしている。
お二人に共通しているのは、日本がなぜ太平洋戦争に突入していったか、を後世の私たちに書き残してくださった読み物です。お二人とも、当時のいきさつを追いかけることにより、そのときの世相をもふくめて、伝えようとしてくださっている(生徒(私)が不出来で、深い理解にまで至らないかもしれないけれど)。
当時の日本は、世界の進度とのずれが明らかなのに、不都合な部分は、自分の国は特別な国だから、勝ち戦に持って行けるという風潮を作ってしまっているのです。
戦闘機の時代になっているのに、巨大戦艦を作ることを至上命題にしていました。燃料が石炭から石油の時代に代わって、列強として伍していくには、どうしてもジャワ・ボルネオを支配下におさめる必要があった。
このパターンって、今の近隣の某国に似ているようにも思えます。
自国民に情報を与えず、治安維持法で思想統制して、、、。臣民は天皇の赤子でしたものね。
なんとか、上手い方法で、開けた国になってくれないものかと思っています。
それにしても、もう一つの隣国は、経済バブルがはじけたようで、これも激動が起こるのでしょうか。
年明けから入ってくるニュースは穏やかではありません。
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