日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

タケノコご飯。

2017-05-03 05:02:43 | 私の雑感あれこれ
東京の人は、、、なんて言い方をするタイプではないはずなのに、
東京の人は、なんだか、どこどこのお店で○○が美味しい、とかの話題が、人との会話のつなぎにいいと思っているように感じられる。
(きっと、これは私の独りよがりで、かつての尾張の端っこだから、私の地域にも、そんなタイプの人がいると思う。)

外食産業が発展したのは、膨大な地方からの仮住まい生活という、生産しないで消費する者たちを抱えた江戸期からの名残なのでしょう。
そして、それが結構立派なお値段。それは当然でしょう。お店の賃料代も入っているのでしょうから。

ちょっとお値段高めだけれど、素敵なお店よ、と伝えられるのでしょう。
たしかに、お料理もインテリアや食器もハイセンスに仕立てられて、こんなお店で食べてよかった気分で帰ってもらわないとならないから真剣です。でも、具材などの仕入れ代をはるか上回った価格を支払っているのだろうな~と思ってしまう。ケチなんです。

タイトルをタケノコご飯とした。
娘が入院付添中に、婿殿と孫ひとりの食事にタケノコご飯を作った。スーパーで買ってきて。筍にはあく抜きが必要で、東京のスーパーにも米ぬかが置いてあった。
筍の鮮度のためか、いつものようにこしらえたのに、出来上がった筍の煮つけも、タケノコご飯も固めになってしまった。姑としては、こんなはずじゃなかったと、ココロは赤面。

でも、婿殿もタケノコご飯は大好きだと言ってくれ、孫も喜んで食べてくれて、ほっ。
和食屋さんでタケノコご飯を注文すると、それなりになってしまうし、こんなので十分季節が感じられるし、おいしいのに、と私は思ってしまう派、なんです。

で、帰宅の新幹線の中、メールが入って、(多分実家から収穫してきた)タケノコがいっぱいありますが、食べてもらえませんか、と。
それも取り立てをあく抜き処理済みらしい。ラッキーと、すぐさまOKの返信。私が帰宅したら持参します、と再メール。

受け取りに行くには疲れすぎていて、お言葉に甘えて、持ってきてもらった。

どっさり。

いつものようにタケノコご飯を作ったら、ちっとも固くない。

どこどこのイタリアンとか、どこどこの中華で外食するより、気に入ったお肉やお魚を買ってきて、お料理して食べるのがいいな。

筍は毎年ご近所に配っても、まだあまるほどあるので、来年ももらってね、と。
だったら、私はこんにゃくを作ったときに、食べてもらいたいものだと、そんなやりとりができる、この方のほうが、性にあっている自分になっていると思う次第です。








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