春夏秋冬

奇麗なものにはとげがある

人をさげすむ人

2017-06-21 05:33:10 | 日記
  社会にはいろいろな人がいる。固有名詞を出して書きたいがここではあえて固有名詞は出さないでおく。あの人は罪の意識がない。罪悪感がない。それに反省する。謝罪するということを知らないらしい。自分の家のように平気で他人の部屋に入ってくる。これでは空きすか泥棒ではないか。世の中にはこんな無神経な人がいるのだなと改めて感じた。ただ人がいいだけで何のとりえもない。それでよく世の中を生きて来た感じさえ感じる。ここはグループホームと言って重たい障害を持った人が集まって生活している。そうした人の見回りをする人が他人の部屋まで「どうぞ入ってください。」と一言も言わずに勝手に他人の部屋に入ってくる。まったく無神経である。まるで自分の家のように自分勝手に他人の部屋に入ってくる。聞いた話によるとほかの障害者もそういう思いをしている人がいるらしい。だから私はこれから絶対に鍵をすることにした。そういう人には何か障害者を一段さげすんで我々を見ているのではないだろうjか。あるいは虐げられて我々は見られているのではないかと思う。むしろそうしたところから私は差別や偏見が生まれてくるのではないか。私の部屋に鍵がかかっていないと自分勝手にどう堂々と私の部屋に入ってくる。どういう神経をしているのだろうか。ただとりえは人がいいだけだ。ほかには何もない。そんな人が社会の中には何人いるのだろうか?私も一障害者だが非常に怒りとか、腹が立つとか、何かいいようのない気分さえした。だから他の部屋にいる人ももしかしたらたくさんいるのではなかろうか!私にはとてもではないが考えられない。ドストエフスキーの「罪と罰」あるいは「虐げられた人々」窓を読んでみるとよくわかる。それでもわからなければそるジェニーチェンの「収容所群島」とかその他の作品をよく読んでみればわかると思う。しかし無学の人、あるいは無知な人には無理であろうと思う。「偏見と差別。」一部の人の愚かな人により、行動により、そういったものが生まれてくるのだ。もう三日になるが未だに腹が立っている。気持ちもそれが頭から離れない。私は頭の切り替えがうまくできないからおそらくこうした気持ちが長く続くであろうと思う。だから顔さえ変わってしまった。心の底から腹が立っているからだ。だから仕事もやる気がしない。だから自分の部屋でゴロゴロしているだけだ。イライラしてこっちまで悪影響が出ていやな気分がする。顔も見たくないほどである。おそらく時を待てない性格なのであろう。それにチャイムを鳴らして扉のところまで行こうとするとその時間が待ちきれないのであろう。ドアノブをガチャガチャやる。あるいは鍵がかかっていないと堂々と私のの部屋に入ってくる。もしあなたが私の立場でそういうことをされたらどういう気持ちがしますか?私は聞いてみたい。むかつくという果実に気分が悪い。その無神経さにはつくづくいやな思いがする。一時はその瞬間グループホームをやめようかなと思いました。世の中にはこういった人がいるのだなと改めて思いました。世間の常識を知らないという果実に愚かである。「目には目を。」という気持ちである。今日は仕事だが仕事をやりたくない。気持ちが切り替えられないからだ。こうした嫌な気持ちをいつまでも持ち続けないといけないのかと思うと本当に嫌になってくる。障害者をさげすんでみているのがよくわかる。言い訳は聞きたくない。怒り心頭で本当にむかつく。私には他人の部屋に勝手に入れる神経が全くわからない。そうした人間が世の中をのさばっているのかと思うと本当に嫌な気分になってくる。その無神経さに私は頭を悩ませる。私自身も現実にこういう人がいるのか肌で感じて本当に嫌な気分だ。これからもこうした人と一緒に暮らしていかなければならないのかと思うと本当にぞっとする。むなしさだけが心の中を風が吹き去って行く。何かイライラして何もやる気になれない。障害者は弱者だ。そういった人にそういった態度で当たられると本当に嫌な気分になる。人間は非常にそういったところが敏感だから非常に心が乱れる。それに弱い人間ほど死に走ったりするのではないだろうか?見回りをする人が、あるいは体調を聞いたりするだけの人が自分勝手に他人の部屋まで入り込むことが許されているのだろうか。しかもずけずけと。自分の家のようにふるまっている。警察をはさんで話したいぐらいだ。まさしく空きすかドロボーと一緒である。もうこれ以上書きたくない。イライラしてくる。

体調がこの頃良くなってきた

2017-05-30 20:13:29 | 日記
 今日は午前中東京新宿メディカルセンターに通院に行って来た。それで今日は脳外科だけなので薬を待つ時間が短かった。それで帰りは新宿のヨドバシカメラでケーブルのコンセントを買ってきた。TypeCだがどうも刺すところが合わない。どうしようもないのでヤフーショッピングでポイントで購入した。今日なのでまだ手元にないが手元に届いて早く確認したい。一致すればほっとするがそうでなければ泣きたい。またヨドバシカメラで交換して買い変えなければいけなくなる。刺す部分がパソコンと同じ大きさなのでその辺が一番困るのである。一致したのが見つからない。そこが一番の重要なところだと思っている。自分で見てもどのコンセントもみな刺すところが小さい。だから気を付けてよく注意してみなければならないと思う。話は変わるが病院の薬だが心療内科の薬が三週間後なので脳外科の薬を一緒に取りに行く日を合わせてもらった。それで脳外科だけなのですぐ薬をもらえることができた。心療内科と一緒だと時間が院外薬局なので時間が二時間以上かかる。だから脳外科だけだったので今日は三十分もかからなかった。それで早く新宿のヨドバシカメラに行けたのだ。グループホームに帰れたのがお昼頃だった。とても速かった。心療内科があるとどんなに早くても午後三時を回る。こんなに時間が違うのだなと改めて思った。だから今日はヨドバシカメラ店や花小金井の店に入れたのが少し寄り道をするぐらい余裕があった。それで今日はものすごく熱かった。昨日今日と約三十度ぐらいあった。だから冷房の効いたところは涼しく気持ちが良かった。それからまた歩いている時はなぜか熱いが汗をかかない。帰って来てからほっとしたら汗がどっと出た。急いで着替えた。それで慌てて冷房を入れた。最初はなかなか効かなかったけれどだんだん冷房が効きだしてきた。少し熱さから解放された気分がした。そして時間があったので少し寝た。目が覚めたら四時半だった。約二時間半ぐらい寝たのだなと思った。それからしばらくして夜と朝の弁当をどんぐりが持って来てくれた。しかし時間のたつのは早い。あっという間に五時六時と時間は過ぎて行った。もう八時四十五分だ。もうすぐ九時が来る。日曜日からは体の調子も少し良くなってきた。ただ腸閉塞を持っているのでそれだけが気になる。トイレが急に生きたくなり便通の具合がとても気持ちが悪い。それさえなければいいのだが厄介な病気を持ってしまった。それに下剤も飲んでいるのでいつどこでトイレに行きたくなるかわからない。だからそれが一番怖い。それで肌着の着替えは書かせられなくなってきている。とてもそこが辛いところだ。それさえなければ作業所で気持ちよく毎日働けるのだがそういった腸閉塞を持っているので仕事が思うようにならない。それに飛び飛びで仕事に行っているから体調を合わせるのにも大変だ。それに今それにそれが習慣になって来ている。だから毎日仕事に行けるようになるにはしばらく時間がかかる。それに一番困るのが出席日数の少ないことだ。休んでしまうとみんなに迷惑をかけてしまう。みんなが私を信頼してくれるので休むとそれがとても気になる。天気が安定すれば毎回飛び飛びで仕事に行けるのだが天気が不安定になると必ず体調を悪くする。体がついて行かないのだ。意味は晴れたり曇ったり、雨が降ったり、あるいは気温の差が激しいとそれに体がついて行くことができないのだ。みんなを見ているとそれぞれ障害を持っているが毎日来るのでそれが私にはとてもうらやましい。どこの部分が悪いのかさっぱりわからない。私はみんなの信頼を裏切らないようにしないといけないと改めて思った。

障害者と気象

2017-05-24 17:44:23 | 日記
 今日は午前中いい天気だった。そのせいか私も朝七時までぐっすり眠った。とても珍しいことだ。しかし我々障害者にとっていや特に私にとっては気象にとても弱い。天気が一日いいと体調も割りといい日が続く。それに調子もとてもいい。しかし曇りがちや雨が降ったら私にとってはまるで天敵がやって来た感じがする。決まって仕事は休むからだ。そこが私の障害者としての弱点だ。そして体も不安定でいつもふらふらしている。特に足が悪いからしびれてきたりして立っていられない感じがする。ステッキを使いたいがいつ足が悪くなるかわからない。一日足の調子が良かったりするときなどはどうして足がしびれるのだろうと思う。しかしいったんしびれたら立っていられない。転ぶのだ。昨日病院へ行った時には二回も転んだ。一回目は朝電車のホームで足がしびれて転んでしまった。大けがをしなくてよかった。二回目転んだのは病院へ行った帰りだった。地下鉄の階段を下りている時だった。手すりにつかまっていたので怪我はしなかった。こんな調子だから天気が悪いと体が重苦しくなるけど、そのほかでも危ないところはたくさんある。だから自分の身の回りには危険がいっぱいあるのだ。天気が悪くて気分が悪くなる。気分がかったるくなるなどいろいろあるが危険はいろんなところにある。しかし不思議なところがある。それは私の周りにいるたくさんの障害者だ。雨が降ろうが風が吹こうがどんな天候でもぴんぴんしながら仕事をやる。しかもほとんどが休まないで作業所へ来る。いったいどこが悪いのだろうと思うくらいだ。自分にはうらやましくて仕方がない。障害があってもどこにあるのか全然わからない。どこが悪いのか全然わからない。特に目に見えないから特にそうだ。一般社会で十分働けるのではないかと思う。そこが目に見えない障害者の悲しさであろう。私がみんなを見ている限りいつも何か薬を飲んでいる。やはり薬で体がもっているのだなと思った。天気だけのせいではない。

グループホームに行く

2017-03-02 04:21:03 | 日記
 今日は久しぶりに体の調子がよかった。それで午前中は衛生病院の仕事から始めた。そのあと早速ティーケーキをH君と一緒に作った。それから一服してパンの包装をやった。ただ水曜日だが三育小学校はなかった。それで午前中は仕事が終わった。午後はプリンを手伝ってその途中で事務所で話があると言われた。それで私は事務所に行った。そしたら話はグループホームの入所についての話だった。私は母のことを考えたが自分で決断をして四月からグループホームに入ると言った。職員は了解をして持ち物とかいろいろな話をした。一番気になったのがパソコンのことだ。パソコンをグループホームに持って行きたいからだ。それに必要最小限の荷物も考えた。髭剃りや電気カミソリそのほか洋服などその他いろいろ考えた。それで土曜日、日曜日は自宅に帰って来るからその時は気が付いたら風呂でも掃除をしようかなと思った。グループホームの手続きは職員が全部やってくれると言っていたので助かった。グループホームは四月からの予定にした。あと一か月あるからその間どのようにしなければいけないかを考えておかなければならない。車を出してくれればありがたいのだ。それはなぜかと言えばパソコンなど荷物をいろいろ持って行くことができるからだ。車を出してくれれば大変便利だ。月曜日から金曜日まで八幡町の第二作業所のグループホームに私はいる。それから土曜日と日曜日に自宅に帰るのだ。それがうまく回転してくれれば大変ありがたい。服の方も洗濯したら外干し出来るようにしてくれる。いろいろとありがたい。服をかけるハンガーなども自分家から持って行かなければならない。結構荷物がたくさんあるなと思う。これなどを一か月の間で準備をしなければならない。新しい生活が始まるとなると心がワクワクする。でも母が高齢なのでそれが気になって仕方がない。それが一番心配だ。何とか一人で暮らせるだろうか。母のことがどうしても気になって仕方がない。母もまだまだいろいろ規制があるから難しいところだ。本当の予定は病院を三月末に退院する予定だったのだ。それを無理に二か月早く退院したから体がまだまだ完全ではない。そんな母を一人置いて自分がグループホームに入るのは少し気ぐるしい。でも自分が決めたことだから規律正しい生活をしなければならない。問題はそこだ。自分が一人暮らしをすることになるとその辺が少し心配だ。パソコンがあるから少し寝る時間が遅くなるだろう。それにタブレットもだ。タブレットはメモをたくさん書いているから長い時間がかかる。それにパソコンにもブログを打つ。だからグループホームでいろいろなことをやらなくてはならない。部屋をうまく工夫をして広く使わなくてはならない。それにごみ箱もいる。燃えるゴミと燃えないゴミを入れるゴミ箱がいるのだ。ゴミ箱に入れるゴミ袋もいる。少しづつ持って行かなければならない。そう考えるといろいろ持って行くものがたくさんある。部屋をうまく利用しなくてはならない。これは絶対条件だ。物を置きどのように広く活用するのは大変難しいことだ。今からいろいろ考えなければならない。パソコンをどこに置くとか小さい机をどのように活用すればいいのか難しい。そして一番大変なのが掃除だろう。それでまたほうきと塵取りが必要になってくる。食事も弁当を取ろうと思っている。それとコンビニに行って買物に行かなくてはならない。コンビニになければ花小金井の西友に行かなければならない。それに滝山のコイノニアには自転車がないからバスで行かなければならない。前沢宿から滝山五丁目までだ。月曜日、水曜日、金曜日と飛び飛びに行かなければならない。火曜日、木曜日は休みだからグループホームの中にいるだろう。外に出ないでおそらくパソコンをいじっていると思う。なるべく外出して散歩がてら動かなければいけないと思う。そうしないとまた太ってしまう。充分気を付けなければならない。そういえばドトールとか帰り一服できるところが前沢にはない。どこか一服できるところを探さなければならない。こう考えてみるといろいろたくさんあるなと思う。バスが唯一の通勤手段だから有効に無駄なくバスを使わなければならないだろう。それを探すまでが大変時間がかかる。お金もあまり無駄遣いができなくなる。当たり前だがそれは充分考えなくてはならないことだ。どんなグループホームの生活が待っているのか何だかわからない。だからショートステイの延長のようにまずは考えなくてはいけないだろう。でも勘違いをしてはいけない。グループホームで完全に一人暮らしになるからだ。母によっぽどのことがない限りグループホームは出ないだろう。そういった生活がこれからずっと続くのだ。今日は三月一日だからちょうど一か月の猶予がある。まあ慌てずゆっくり考えて行こう。