母が大腿骨骨折で入院してから、パーキンソン病の父の介護で実家に泊まり込むようになり、1か月が経ちました。
あっという間のようでいて、渦中のときは1分1時間1日が大変でした!
なぜ、大変だったかと言うと、パーキンソン病が理解できていなかったこと、そして、介護の制度などにまったく無知だったことが原因です。
私が大変に感じたことと、その解決策を書き記しておきます。
【介護度がまさかの……】
2年前にパーキンソン病を発症した84歳の父。「要介護1」だと思っていたら、「要支援1」でした!
介護度は軽い順に、
「要支援1」
「要支援2」
「要介護1」
「要介護2」
「要介護3」
「要介護4」
「要介護5」
の順番になります。
調査員の方が認定に来てくださって、介護度が決まるのですが、父は面談の際、何でも一人でできる!と言っていて「要支援1」になったようです。
確かに、少し前までの父は、保育所の前で見守り警備の仕事をしていたり、自分でラーメンを調理したりできていました。
ところが、いざ、いっしょに住んでみると、パーキンソン病が進み、自分でできることが極端に減っていました。
調理も入浴も一人でできず、家のなかで転倒を繰り返す日々。
なので、ケアマネジャーさんを通して、介護度の見直しをお願いしました。
今は介護度の変更はなかなか難しく、思っているような介護度がつかないと聞きますが、「要支援1」では受けられるサービスに限りがあり、家族だけではカバーしきれません。
また、母も大腿骨を骨折したので、こちらは割と早い段階で、調査員の方が病院まで来てくださいました。
【ケアマネジャーさんとの出会いは人のご縁!】
父はすでに、地域包括センターのケアマネジャーさんがついていましたが、担当の方に「介護度」の見直しをお願いすると、申請はしてくださいましたが、その方は「要支援」までしか担当できないとのことでした。
「要介護をみられる方を探してみますが、今はどこもいっぱいで探すのに2、3週間かかるかもしれません。もし、よかったら、ご自身でも探してみてください」と言われ、正直、途方に暮れました。
福祉の仕事をしていますが、介護のことはまったく無知で、知識も情報もありません。
そんなとき、助けてくださったのが大阪都島区倫理法人会の経営者の方々です。
「どなたか、ケアマネジャーさんをご存知の方はおられないでしょうか?」とLINEグループに書き込むと、すぐに何人かの方からメッセージが届きました。
そうして、訪問看護ステーションの代表をしている方が、ケアマネジャーさんを紹介してくださったのです。
これはもう、神様がつないでくださったご縁だと感じるほど、素晴らしい出会いでした。
すぐに、お電話でお話させていただき、後日、実家にも来てくださいましたが、本当にやさしくて親身になってくださり、仕事も早くて、アドバイスも的確です。
父が歩きにくくなっていることを伝えると、すぐに車椅子を手配してくださり、数時間後に届きました。
「介護の世界も人だなぁ」と改めて実感しています。
だれに出会えるかで、その後がまったく違ってきます。介護する側のメンタルを平静に保つのも、ケアマネジャーさんの存在は大きいと思います。
【パーキンソン病について】
2年前、パーキンソン病を発症した父ですが、正直、パーキンソン病がどんな病気かよくわかっていませんでした。
たまに実家に遊びに行くと、「仕事はどうや? みんな元気にやってるか?」と以前と変わらない様子でしたが、いっしょに暮らすと、びっくりするほど大変でした。
朝は4時5時から起きてきますが、「目まいがする」「フラフラや」「今日は整骨院に行かれへん」「いつもと違う」と每日、言います。
目まいはパーキンソン病が原因だと伝えますが、本人の不安はなかなか解消しません。「わあーっ!」「あーっ!」と大きな声を出します。
食事は普通に摂ることができますが、咳き込むことも多々あります。
お薬を包装から出すのもひと苦労です。お茶を飲む手がぷるぷると大きく震えることもあります。
足が上がらず、うまく歩けないので、家のなかでもよくつまずきます。
ベッドかソファーでゆっくり座っていてほしいと伝えても、本人は「昨日までは歩けたのに」と言って、歩こうとします。
意識もよく失うので、立ったまま、90度の角度からバターン!と倒れたりします。
病院の先生に、
「1日に何度も意識を失います。お風呂から上がったあとも声をかけても反応がなく、立ったまま、いびきをかいていました」
と伝えましたが、
「胸から上に血液がいかなくなると意識を失いますので、そんなときは支えず、体を横にして寝かせてください」
とのことでした。
そうして、一番大変なのは夜でした。
妄想やせん妄のような状態があり、悪い夢も見るようで、うなされたり、わあーっ!と大きな声を出したりします。
一度は、娘とお風呂に入っていると、「おーい! おまえら、どこや!」と怒鳴り声がしたので、お風呂に入ってることを伝えましたが、それでも怒鳴り声がおさまらず、すごく怖い思いをしました。
そうして興奮した日は、失禁もあり、トイレもビチョビチョになります。
夜だけでもトレーニングパンツを履いてほしいとお願いしますが、なかなか言うことを聞いてくれません。
夜9時に睡眠薬を飲みますが、朝までぐっすり眠ることがなく、夜中に2、3回起きてトイレに行きます。
このとき、何度か意識を失ったり、転倒したりしたので、いっしょに付き添うので、介護する側はゆっくり眠ることができません。
朝から夜中までずっと見守りが必要で、目が離せない状態が続きました。
最初の頃は、日中、私は仕事に行っていましたが、その間に転倒して、右目の横を切り、血が止まらなくなって自分で救急車を呼んだようです。
その2日後も、夜から朝にかけて4回意識を失い、転倒して右の膝から血が出たので救急車を呼びましたが、救急隊員の方と電話をしていると、襲いかかりそうな勢いで、「なんで、救急車呼んだんや!」と。
昼間、一人にしておくこともできず、かかりつけのお医者さんに入院できないかを尋ねましたが、血液検査で異常があるわけでなく、何の処置もできないので、入院は難しいと断られました。
ただ、このまま連れて帰っても、「なんで救急車呼んだんや?」とまた襲いかかってきそうで、どうしたものかと泣きそうになりました。
そのとき、思い出したのが、自閉症の次女が昨年、救急で入院したときにお世話になった「精神救急センター」です。
父はパーキンソン病の抑うつ症状もありますが、4年前に「うつ病」と診断されていながら途中で通院も投薬もやめてしまっていたのです。
所構わず大きな声で叫ぶ父。実家に帰れば、さらに罵声が飛んできたり、手も出そうで、もう病院のお世話になるしかないと思い、電話をかけました。
電話はなかなか繋がらず、40分ほどかけてようやく繋がりました。
まず言われるのが、大阪府内の病院ではなく、奈良県などになる可能性もあるということ、リハビリなどは一切ないということでしたが、それでも構わないと思いました。
そうして、病院を探しますと言ってくださって、30分後、連絡がきたのですが、パーキンソン病などの持病がある方は難しいということでした。
「こんなに大変なのに、なぜ、だれも助けてくれないんだろう」と絶望的な気持ちになりました。
そんなときに限って、病院に据え付けてある専用のタクシー会社に電話をしても「今は付近を走っていませんので、お迎えには行けません」と。
歩いて帰れそうにないので、病院の車椅子を貸していただけないかと尋ねたところ、あまりにも冷たい対応で呆れた表情で「ムリです」と。
このことがあって、私は「タクシーGO」のアプリをダウンロードしましたが、本当にタクシー様々です。
なんとか近くのバス停まで歩き、帰宅することができました。
【まったく歩けない状態に】
しかし、この後も自宅で意識を失ったり、転倒が続いたりした父は、まったく歩けない状態になりました。
家のなかでも車椅子です。ベッドから移乗する際も、両足がまったく動きません。
介護の初任者研修の実習では、片麻痺のある方の移乗なので、片方の足で踏ん張ることができるのですが、父の場合、両方の足がまったく動かなくなったのです。移乗の際もとても痛がるので、妹と私と二人がかりです。
こけてお尻を打ったと父が言うので、かかりつけの整骨院に行ったところ、お尻は何もなっていないとのことでした。骨折していたら、熱が出ますし、こんなふうに立てないと。
ただ、こけて、手をついたことが原因で、指が紫になり腫れていたのでレントゲンを撮ると、ヒビが入っていたようです。
全治4週間。金具とガーゼ、テーピングで固定することになりました。
いざ、実家に帰ってきたものの、まったく歩けない状態です。
トイレに行きたいと言いますが、移乗も難しい状況。トイレの大がしたいと言うので、トレーニングパンツでしてくれたら、私がお尻を拭くからと言うと、さすがに抵抗を感じたようです。
このままでは自宅でみれないので、ショートステイに行ってほしいとお願いすると、ようやく頷いてくれました。
実は、これまでもショートステイやデイサービスに行ってほしいと言っても、頑なに拒否していた父ですが、歩けなくなってようやく気持ちに変化があらわれたようです。
そうして、ケアマネジャーさんにお願いすると、その日の夕方には、ショートステイの担当者の方が面談に来てくださり、預かってくださることになりました。
この担当者さんが実に素敵な方で、クシャッとしたパーマがお洒落な40代の女性で、実家に飾られている父の賞状を見て、「えっ! 食育アドバイザーなん⁉」「この資料、すごいやん」と父の功績を絶賛してくださったのです。
気をよくした父は、「あんた、わかるんか?」と、とてもうれしそうでした。
そうして、担当者さんが運転してくださる車でショートステイに連れて行っていただきました。
【初めてのショートステイ】
ショートステイで2泊させていただいた父は、まだまったく歩けない状態でしたが、リフト浴でお風呂にも入れていただいたようです。
昔、自閉症の次女のグループホームを探したときは、大阪市内はほとんど空きがなく、空いているのは千早赤阪村などかなり離れた場所でした。
なので、突然のショートステイと言っても、かなり離れた場所になることを覚悟していたのですが、実家からは地下鉄で2駅の距離でした。
駅から徒歩5分と便利で、まわりにもコンビニや食べ物屋さんも多く、明るい場所です。
建物も立派で、ショートステイ以外にも、デイサービスもされていました。
面会も事前に電話を入れれば、いつでも会うことができ、家族との外出もできるなど、厳しい縛りもありませんでした。
スタッフの方もどの方も物腰が柔らかく、親切な方ばかり。
病院が朝いちだったので、お迎えに行ったのですが、その際もタクシーを呼んでくださいました。
2日ぶりに会った父はスッキリした表情で、初めてのショートステイはまんざらでもなかったようです。
【パーキンソン病専門の外来へ】
ショートステイを出発した父は、かかりつけの病院で、右目の横の抜糸をしていただきました。
その際、2日前からまったく歩けなくなっていることを伝えると、MRIを撮ってくださることになりました。
救急車で運ばれたとき、2回、CTは撮っていただいていましたが、MRIは初めてでした。
結果、何も異常は見つからず、歩けなくなった原因はわかりませんでした。
そうして、以前に書いていただいた紹介状を持って、パーキンソン病専門の外来がある病院へ行きました。
「ここでも何も異常がないからと、帰らされたらどうしよう……。このまま車椅子生活になったらどうしよう……。昼間、目を離せない父の介護で、仕事を辞めないといけなくなったらどうしよう……。」
不安な気持ちでいっぱいで、わらをもすがる思いでした。
いざ、診察室に入ると、先生はドランクドラゴンの塚地さんのような優しそうな方でした。
「しばらく入院して、様子をみていきましょうか」
というお言葉にどれだけ救われたか!!!
父の足をさわって、「リハビリも長いことしてないようだし」とおっしゃった先生。
リハビリは毎回500円かかるからと、まったく受けていなかったんですが、足をさわるだけで先生はわかられたようです。
血液検査やCT検査をしたあと、入院の手続きをして、病室へ。
病室は9階の見晴らしのいいお部屋でした。
父もようやくほっとした表情に。
こちらの病院のホームページには、パーキンソン病と上手に付き合われている方の紹介があり、父もその記事を見ていたので、とても信頼していたようです。
介護や看護の知り合いに話しても、「あそこはいい病院ですよ」という声をよくいただきます。
パーキンソン病のことをまったく知らずに介護を始めたので戸惑うことだらけでしたが、入院の際のパーキンソン病専門の問診票には、
・手足の震えがある。
・妄想がある。
・抑うつ症状かある。
・悪い夢を見る。
など、ほとんど当てはまる項目ばかりでした。
パーキンソン病のことを知らなければ、うつ病が悪化していると思い、精神病院に入っていたなら、リハビリもなく、あまりいい方向に進めなかったかもしれません。
認知症も進み、薬の量によっては廃人のようになっていたかもしれません(次女が一時、自閉症の薬が増えたとき、廃人のようになった経験があります)。
無知、無理解ほど怖いことはないなぁと改めて思います。
病気のつらさ、しんどさ、不安は本人にしかわからないのですが、少しでも気持ちに寄り添うことが大切だと改めて感じました。
【まさか⁉ いつ⁉ なんで⁉】
父がパーキンソン病専門の外来がある病院に入院し、ほっとしたのもつかの間、翌日、病院から電話がかかってきました。
夜中に熱が出て、朝には下がったそうですが、リハビリの担当の方が「もしかして、骨折してる?」と気づいてくださったそうです。
すぐに、レントゲンを撮ると、左の大腿骨を骨折していたとか!
まさか⁉ いつ⁉ なんで⁉
歩けない原因はそれだったの⁉と、めちゃくちゃ驚きました。
整骨院でも、かかりつけの病院でも、ショートステイでも、何も言われなかったのに、いつ骨折していたのかまったくわからないのです。
「整骨院では指だけで、あとは大丈夫と言われました」と伝えましたが、そういう伝え方は危険だなと感じました。
ありがたいことに、現在、入院している病院には、整形外科もあり、雑誌でも紹介されるようなエキスパートの先生がおられ、手術していただくことができました!
どこまでも、運がいい父!
これまで、宅配の食事は口に合わず、頼むから断ってほしいと言っていた父ですが、こちらの食事はおいしいそうです。
看護師さんも若くてきれいな方が多く、バタバタしている印象もありません。
退院していかれる方を見ていると、ピシッとスーツを着て、キャリーケースを引いて、「海外旅行の帰り⁉」と思ってしまうような紳士の方も。
本当に、父は色々と見守られているなぁとつくづく感じます。
【寿命って何だろう? 生かされている意味って何だろう?】
父には、お兄さんがいたそうですが、わずか1歳のとき、階段から落ちて亡くなってしまったそうです。
父のお母さん、つまり私の祖母はそのことがあって、次に生まれてきた父を溺愛。ほかの兄弟が中学を出て働くなか、一人、私立の中学に通い、そのまま大学まで進みます。結婚のときには、祖父母が一軒家まで用意してくれたそうです。
これまで、大腸がんになり、狭心症で心臓にはカテーテルが入り、40代から何度かうつ病を発症し、左の膝にはボルトが入り……、大病を経験していますが、後遺症が残ることもなく、認知症も今のところは大丈夫なようです。
これだけ色々な病気になりながら、大事に至っていないのは、きっと、まだ使命が残ってるんだと思います。
ひとつは、「伝える使命」。
父はずっと、『玄米酵素』という商品の特約店をしていますが、健康のこと、食事や運動、睡眠、認知症、介護のことなど、壁一面に資料を置いていて、いっときは自宅兼サロンで、セミナーも開催していました。
これからもハイ・ゲンキを少しずつでも広めていきたいという父。
まだ何か使命が残っている父をこれからも手助けしていきたいと思います。