ネットで見ると、
「おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い、励ます日」となっている。
私自体が、成人の日を迎えたのは、計算すると昭和27年か28年ということになる。
そのころ、私は高校を卒業して、大学1年生になっていた。
成人の日は、卒業した高校から案内が来て、高校の校庭で式典が行われるから、出席するようにと、お達しがきた。私は、その時は、家が芦屋から豊中に移って、吹田の大学に通学していた。
それとか、成人の日というのは、市役所とか行政が行うものでなくて、出身高校がやっているみたいな感覚があったので、私はとうとう成人式には行かなかったのだ。
今だったら、国民の祝日ということで、市区町村が主催しているようだけど、昔はあまり重みのある旗日じゃなかったと思う。
今、旗日ということばがでたが、これは古ーいいいかたなのだ。
昔は、祝祭日には、各家庭こぞって国旗を掲揚したもんだ。
門のところや、玄関を出たところに、旗竿を出し、その先には金の玉をつけ、日の丸を掲げたのだ。
我が家にも、日の丸などは、大事なものだから何処かに保管してあるはず。
今だったら、祝日に門口に国旗を掲揚する家なぞは、殆どない。
そんなことだから、旗日などという言葉はもはや殆ど死語に等しい。
それでいいんだろうか。
アメリカなどでは、国旗は「ユニオンジャック」といって敬意を受けているのではなかろうか。
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