禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

天照大神率いる日本国民、その最初の時代’生’に拘った生き方をしているが、、(その後’死’と言うものにも気を配る生き方を伝授される!)

2019-01-15 18:08:22 | 歴史
日本と言う国は、538年ころ仏教を大陸から伝えるのである。仏教は、釈迦が人が生きる上でその目前を通る、老いや苦しみ、そして死、これらの諸現象から一切解放されることを目論む諸々のこと、これを悟ると’解脱’と呼ばれる涅槃の境地に達する!と言う、これは僕にとっては人間を司っている’’生と死’’この二観点のうち、どちらかと言うと’死’と言う観点から見た人間としての有様、これを語っているのが釈迦の仏教と言う事ではないか?

日本(倭)は、卑弥呼が倭を統治していた時代とその直後に大王(ヤマト王権)が倭を統治する時代と合わせて、時代としては

1:「性」と田んぼ耕し!

このくらいのこと、所謂人間(日本人)が生きていく上で核となる2方向、

1:「性」と田んぼ耕し!

この最低限の生きる作法これを持って、日本人は暮らし、生きていたと思われるのである。大体、卑弥呼と言う女帝があってその直後の約300年ころから仏教を入れようとする西暦538年くらいまでの間、約230年間くらいの間は、僕は日本人は上に僕が書く

1:「性」と田んぼ耕し!

これくらいの最低限度の暮らし、これを持って倭の国日本人は暮らしていたと思われるのである。
日本と言えど、その最古の書物「古事記」によれば古事記は、神話の話しから始まりその後天皇家の歴代の話しがあって、当時を窺い知るが、至ってその倭の国の住人が西暦300年~500年過ぎまでどうやって暮らしているのか?については詳しくは書かれてはいないわけである。日本の曙、邪馬台国時代に卑弥呼が倭の国を統治していて僕は、この卑弥呼が人民に生きる術これを授けていたのだと思っており、それにより倭の人民はいくらか最低限度の生きる術は伝授されていたと思う。女帝卑弥呼が国を統治して、人民に指示を出すような統治なのだから、わたしが言う女性的な

1:「性」と田んぼ耕し!

このくらいの知識は人民は、教えられ生活、生きていたものと思われる。日本古来にある神々から継承される神道と言う日本独自の神話観、国家観は、僕は女帝の卑弥呼がその祖の役割を演じているのでは?(当時の倭人は当然卑弥呼がどのような女性か知っているわけである。倭の国が、この卑弥呼をどのように見ていたか明らかに僕は神格化されて卑弥呼は見られていたのだと思っている。卑弥呼は、天照大神なのだ!)と、僕は思っていて、卑弥呼を崇め奉ることこそ、僕は日本人の心に神様を最初に宿す、原動力になっていると思っている。卑弥呼は、その歴史書から伝わるその当時の有様を見ても、

1:「性」と田んぼ耕し!

これを伝授していたのは明らかな(おんなのこ的な)事だと思っている。


当然、卑弥呼時代が終わりを告げても、倭の国の人々は人が、「性」及び田んぼ耕しによって生きていくことは当たり前の生き方と分かっており、次のヤマト王権この王権の樹立があっても、人民の生き方は前代の卑弥呼から変わることなく続いている!としてもこれは良いのである。
僕は、卑弥呼(=天照大神)と言う日本最初の統治国家があり、その後今の天皇家の祖となるヤマト王権これが時代を掌握し人民を導いていくが、この事をブログ上では、

1、卑弥呼による日本統治(人民を代表するような形の国家頭のあり方)
2、天皇家と言う決められた血筋が日本の覇権を握る国家のあり方

と言う2統治法、僕は日本と言う国家はその運営法が2通りある一つの国で、2つのあり方の国家が内在する国、とそう評価したことがある。
卑弥呼、そしてヤマト王権が覇権を取り日本は500年ちょっと先まで僕は上に書く通り、
1:「性」と田んぼ耕し!
この最低限度の生きる術、これで生きて行っていた!と思っているのである。これは無論、僕は最初の方に書く’’生と死’’この2側面のうち、両方ともに’’生’’と言う側面に重きを置いた倭の住民の生き方、これを貫いている。その’’生’’を200年頃~500年頃までやって行く約300年間は、倭の国(日本)は、生と言うあり方に固執する国民の生き方、これに生涯始終させるが、いつしかここは神様が始める国、こう言った側面にも目を向けて、その国民性を高めて行こうとするのは、やはり日本と言う国独特の作法である。それは、向こう大陸でその名を持って日本にも知られていただろう釈迦が始めている”仏教”と言う’死’を前面に押した、生と言う側面ではない、’死’と言う側面に目を向けた人間としてのあり方、これを日本人に知らせようと、ここは538年の仏教の伝来からその後の聖徳太子が、その仏教を広めようとする崇峻天皇暗殺後の推古天皇の時代、仏教を前面に押す国家作り、または天皇家を仏教的な見地で再構築するもっと大きな基盤の天皇を中心とする国家制度、これを樹立しようとする。卑弥呼からの伝来神道と、その後日本人が’死’と言う側面にも目を向けてその生きる生き方を開眼しようとさせる仏教をも取り入れたあとの新日本国、これはこの時期推古天皇と聖徳太子による時代飛鳥時代にその始まりを持つとしよう!


’生’と言う時代
卑弥呼時代(弥生)
ヤマト王権時代

’生と死’と言う時代
飛鳥時代


天照大神がその日本国を守り、鎮座するだろうこの日本国で、日本と言う国はその曙、’生’に拘る生き方の時代とその後仏教を入れ、’死’にも拘って見せる生き方、これで日本はその初期頃、時代を作り時代を生きて行ったと思われる。