土曜の午後、考えに耽るものがある。
先しがた、図書館から借りて来る一冊の本「ブッダの教え」これを読んでみるわけである。すると、中身はブッダの生い立ちから始まりその教え、こんなのが書いているわけだが、要するに最初、要約するとこうなっているわけである。
要約
ブッダは、宮殿の王子様として生まれ何不自由ない生活を送っている。そこに’生きる苦しみ’なるものを感じるブッダはその宮殿生活を送る最中に、
:老苦
:病苦
:死苦
なるいわば’苦しみ’と言う煩悩これを目の当たりにするのである。
これは、何なのか?と言えばわたし的に言えば、宮殿で(お金に困ることなく)何不自由することのない生活を送ると、見えて来る世界で、要するに’お金’と言う最大煩悩に苛まれた結果ブッダが、見た世界であるわけだ!
僕が、生きる上で人間が求めるものに(持論)
持論::自分(自己発見!)+コミュニケーション(○○!)
これがあると問いている。これに、ブッダが地上に降臨した際その先宮殿で体験したのは、お金ありき!と言う宮殿生活だ!
ここに、人類が生きる上で見えて来るはしたない煩悩の世界がある。
ブッダは、お金ありき!と言う生活上で、宮殿内でおんなのこたちと夜な夜な歓楽生活を送るが、これに完全違和感を感じているのである。要するに、この二本
富と快楽(エクスタシー)
この二本柱にうち、人(女子)ってのはどちらを取るべきか?この選択があるわけである!当然、富を取れば快楽(エクスタシー)ってのは減るし、逆に快楽を求めれば富は減ってゆく。この二本の柱を持って、これを両方持とうとすると宮殿で生活を送るブッダのように生活に虚しさを感じるのである。
ブッダは、こんな儚い生活を諦め、宮殿を出ようと出家を決意するのだが、、
仏教と言うのはある。当然、上に示しているようにブッダが教えているものだ!ブッダは、その宮殿生活から見る裕福な生活には意味はないと悟るのである。その上で、外に出て道行く人々の中に、老いているものや病気で苦しんでいるもの、そして死にゆく人を見て絶望しているのである。要は、宮殿生活と言う裕福な生活(楽)と、逆にその外側にある老いや病気と言う苦なる生活(苦)に、限界を感じているわけである。
どうすればこの状況を脱却できるか?ブッダは、このブッダ自身が持った追い目、宮殿生活を捨て去り外にある老いや病気、これからも脱したい、こう願うのである。すると、ブッダは全てを捨て、出家を決意するわけである。
出家によるブッダの荒行(苦行)は、老いや病気そして死と言う苦しみから脱却を目指す修行で、ブッダは体を痛めつけたり断食等をする苦行を果たし、その結果ブッダは、こう悟るのである。それは、
:苦行に意味なし
これである。苦行を続けても、世にある世俗的な苦しみ、これは消え去ることはない!とするブッダは、こう言った
ブッダ:中道精神
これに帰依するわけだ!(楽も苦も捨てた状態)
実は、今の日本あるいは世界はこれに似た散々な状況なのである。人々は、お金を持つのである。それで、人生の楽を得ようと(苦しみはなくならない)持つお金を使って生活をするのである。要は、上に書く
富と快楽(エクスタシー)
と言う二択のうち、富の方をとって果たしているわけだ!
これで、人生詰んでいるものが多い!
人生とは、上に書く
自分(自己発見)+コミュニケーション(○○)
これで成り立っているのである!(持論)
すると、要は、お金ありき!で幸せを得ようと画策する皆の衆は上の二本柱
自分(自己発見)+コミュニケーション(○○)
のうち、左側自己発見中心に生きようとする!!
これが今の世界なのだ!
これが間違っている!とわたしは申しているのだ!
人生に、お金と言う足枷(呪い)は不必要なのである!要するに、上にある二本柱で、自分(自己発見!)で突き進む人生と言うのは誤っている!と、こう申しているのだ!
人生は、どう進ますべきか??
コミュニケーション(○○)で突き進むのである。(この時、お金は不要!!)
人生と言うのはある。全ては、お金これがネックなのだ!あなたが、世間様が配るお金と言うものに身を焦がし、憑りつかれているなら、その身を案じた方がよい。テレビ系が発進するような自己発見ありき!のお金持ち人生と言うのは、間違っているのである!
さて、自分の人生に不必要なお金を処分すると見えて来るものがある。要は、お金を求めるお金ありき!と言う裕福人生だが、ここに、人生が自己発見ではない逆転的の’コミュニケーション(○○)’目的人生である・・・。(まあ、上のわたしの持論、
自分(自己発見)+コミュニケーション(○○)
と言う人生論に、’お金’と言う付加価値(呪い)を付けると、その上のわたしの人生論が破綻、不成立!と化すのである。お分かりだろうか?)
やはり、人間が行く末(=人生)と言うのにはある決められた方向がある。わたしは、その決められた方向、
:自分(自己発見!)+コミュニケーション(○○)!!
と言う人生論(人生訓)に、やはり!の正解なる確かな自信これを持つ!!
人生とは何だ?わたしが書く上の定義(人生訓)なのではないか??
いやはや、今となっては驚きのこの人生訓にわたしは非常に喜びを感じ、進んで行く決意をするが!、、!
先しがた、図書館から借りて来る一冊の本「ブッダの教え」これを読んでみるわけである。すると、中身はブッダの生い立ちから始まりその教え、こんなのが書いているわけだが、要するに最初、要約するとこうなっているわけである。
要約
ブッダは、宮殿の王子様として生まれ何不自由ない生活を送っている。そこに’生きる苦しみ’なるものを感じるブッダはその宮殿生活を送る最中に、
:老苦
:病苦
:死苦
なるいわば’苦しみ’と言う煩悩これを目の当たりにするのである。
これは、何なのか?と言えばわたし的に言えば、宮殿で(お金に困ることなく)何不自由することのない生活を送ると、見えて来る世界で、要するに’お金’と言う最大煩悩に苛まれた結果ブッダが、見た世界であるわけだ!
僕が、生きる上で人間が求めるものに(持論)
持論::自分(自己発見!)+コミュニケーション(○○!)
これがあると問いている。これに、ブッダが地上に降臨した際その先宮殿で体験したのは、お金ありき!と言う宮殿生活だ!
ここに、人類が生きる上で見えて来るはしたない煩悩の世界がある。
ブッダは、お金ありき!と言う生活上で、宮殿内でおんなのこたちと夜な夜な歓楽生活を送るが、これに完全違和感を感じているのである。要するに、この二本
富と快楽(エクスタシー)
この二本柱にうち、人(女子)ってのはどちらを取るべきか?この選択があるわけである!当然、富を取れば快楽(エクスタシー)ってのは減るし、逆に快楽を求めれば富は減ってゆく。この二本の柱を持って、これを両方持とうとすると宮殿で生活を送るブッダのように生活に虚しさを感じるのである。
ブッダは、こんな儚い生活を諦め、宮殿を出ようと出家を決意するのだが、、
仏教と言うのはある。当然、上に示しているようにブッダが教えているものだ!ブッダは、その宮殿生活から見る裕福な生活には意味はないと悟るのである。その上で、外に出て道行く人々の中に、老いているものや病気で苦しんでいるもの、そして死にゆく人を見て絶望しているのである。要は、宮殿生活と言う裕福な生活(楽)と、逆にその外側にある老いや病気と言う苦なる生活(苦)に、限界を感じているわけである。
どうすればこの状況を脱却できるか?ブッダは、このブッダ自身が持った追い目、宮殿生活を捨て去り外にある老いや病気、これからも脱したい、こう願うのである。すると、ブッダは全てを捨て、出家を決意するわけである。
出家によるブッダの荒行(苦行)は、老いや病気そして死と言う苦しみから脱却を目指す修行で、ブッダは体を痛めつけたり断食等をする苦行を果たし、その結果ブッダは、こう悟るのである。それは、
:苦行に意味なし
これである。苦行を続けても、世にある世俗的な苦しみ、これは消え去ることはない!とするブッダは、こう言った
ブッダ:中道精神
これに帰依するわけだ!(楽も苦も捨てた状態)
実は、今の日本あるいは世界はこれに似た散々な状況なのである。人々は、お金を持つのである。それで、人生の楽を得ようと(苦しみはなくならない)持つお金を使って生活をするのである。要は、上に書く
富と快楽(エクスタシー)
と言う二択のうち、富の方をとって果たしているわけだ!
これで、人生詰んでいるものが多い!
人生とは、上に書く
自分(自己発見)+コミュニケーション(○○)
これで成り立っているのである!(持論)
すると、要は、お金ありき!で幸せを得ようと画策する皆の衆は上の二本柱
自分(自己発見)+コミュニケーション(○○)
のうち、左側自己発見中心に生きようとする!!
これが今の世界なのだ!
これが間違っている!とわたしは申しているのだ!
人生に、お金と言う足枷(呪い)は不必要なのである!要するに、上にある二本柱で、自分(自己発見!)で突き進む人生と言うのは誤っている!と、こう申しているのだ!
人生は、どう進ますべきか??
コミュニケーション(○○)で突き進むのである。(この時、お金は不要!!)
人生と言うのはある。全ては、お金これがネックなのだ!あなたが、世間様が配るお金と言うものに身を焦がし、憑りつかれているなら、その身を案じた方がよい。テレビ系が発進するような自己発見ありき!のお金持ち人生と言うのは、間違っているのである!
さて、自分の人生に不必要なお金を処分すると見えて来るものがある。要は、お金を求めるお金ありき!と言う裕福人生だが、ここに、人生が自己発見ではない逆転的の’コミュニケーション(○○)’目的人生である・・・。(まあ、上のわたしの持論、
自分(自己発見)+コミュニケーション(○○)
と言う人生論に、’お金’と言う付加価値(呪い)を付けると、その上のわたしの人生論が破綻、不成立!と化すのである。お分かりだろうか?)
やはり、人間が行く末(=人生)と言うのにはある決められた方向がある。わたしは、その決められた方向、
:自分(自己発見!)+コミュニケーション(○○)!!
と言う人生論(人生訓)に、やはり!の正解なる確かな自信これを持つ!!
人生とは何だ?わたしが書く上の定義(人生訓)なのではないか??
いやはや、今となっては驚きのこの人生訓にわたしは非常に喜びを感じ、進んで行く決意をするが!、、!
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