「飛んでるさかなの へんてこりんな世界♪」
アニメ界の天才、吉田竜夫制作の「ポールのミラクル大作戦」のお話です。
私と同じ世代の人なら、大半の人が見ていたと思われるファンタジーアニメです。
電脳コイルを見ていて、「デンスケはいつ喋りだすんだろう」とか、「Cドメインの悪魔はどんな奴だろう」とか、「ポールのミラクル大作戦」の記憶がよぎった人も多いのではないでしょうか?
でもまぁ、コイルはコイル。ポールはポールです。
どっちも好きな作品ですが、「子供たちに見せたいアニメ」という基準で選ぶなら、今でもポールが先で、コイルが後になります。それくらい好きなアニメなんです。
ストーリーは私の分かりにくい文章で語れるほど、単純な物語でもないので、とにかく見てくださいです。とにかくミラクルなんですから。
ただ、ひとつだけ・・・。
どうしてコイルよりもポールを子供たちに見せたいかという、象徴的なシーンがあるので紹介させていただきます。(古い記憶なので、間違っている部分があるかも知れません。)
ポールが飛ぶ込む空想の世界は、物理的な痛みを感じない夢の世界でした。
それに加えて、現実の時間が止まる(白黒になって関係者以外は動かなくなる)点が、コイルと大きく違っている点です。
この空想の世界は、生身の人間が居られる時間が制限されており、それを超えると現実に戻れなくなります。この辺は奥深くまで行くと、戻ってこられなくなる都市伝説に近い設定ですね。
ある日、空想の世界で囚われの身となったニーナ(ポールの幼なじみ)の親父さんが、行方不明になる前まで一緒に居たポールに疑いの目を掛けます。
ポールはハッキリとしない言葉で濁すだけで、真相を話しません。
怒った親父さんが、ポールを殴りつける瞬間!
妖精の宿ったぬいぐるみのパックンが目を覚まし、現実の時間が止まってしまいます。
空想の世界で、またしてもニーナを救出できずに、現実世界へ戻ってくるポールたち。
パックンが普通の人形に戻ると、現実の世界がまた動きだします。
元の位置に戻ればポールは殴られます。あえて逃げることも出来るのです。
でも、「痛いから止めときなよ。」と言う、犬のドッペの忠告に対し、「ここでいいんだ。」と言い、ポールはぶん殴られてしまいます。
私は子供の頃、このシーンを見た時に、ポールは凄く勇気のある奴であり、人の心が判る奴だと思いました。
コイルに戻ると、確かに自分の命を賭けてイサコを救出した、ヤサコの活躍は真似の出来る事じゃないです。子供にも見せたいなぁと思います。
でも、前日まで意識不明で入院していたヤサコを付きっきりで看病してくれた、ヤサママへのフォローが何も無いんですよね。退院した次の朝に家出をされた、ヤサママはどんな想いだったんだろうって。
ヤサコがみんなと一緒に小此木邸に帰った瞬間に、ぜひ、ヤサママにはヤサコをひっぱたいてもらいたいと思っています。
その時ヤサコはどうするんでしょうか?
その痛みをどう捉えるんでしょうか?
こんなストーリーはありませんし、ストーリーの尺が足りなかった事情も重々承知しています。それに比喩を使っていることも判っています。
「今のおっさん連中は、暴力で物事を解決しようとする云々」と言われようとも、あえて、そういうシーンをヤサママのために入れてあげて欲しいと思いました。
私は「真剣さ」が伝わるのなら、暴力も構わないと思っています。
コイルを見ていて、気持ち悪いくらいに暴力シーンが排除されていると思いませんでしたか?最近のアニメはみんなそうなんでしょうか?
アニメまでそれを制限したら、喜怒哀楽の表現できない人間に育ってしまうのではないでしょうか?
それとも、私が古い人間だから、そう感じてしまうのでしょうか?
以上
話数:11話
ネタ属性:元ネタ?
キャラ:キンギョ
バージョン:5.1
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