連載小説「六連星(むつらぼし)」第92話
「金曜日は、紫陽花(あじさい)革命」
毎週金曜日の夜に集結をする総理官邸前での抗議行動は、
いつの頃からか、ネット上で『紫陽花革命』と呼ばれるようになりました。
6月を象徴する花といえば、この紫陽花です。
「紫陽花(あじさい)革命」という名称は、
小さな花びらたちがたくさん寄り集まり、そして大きく咲きほこるという、
紫陽花の花のイメージから命名をされたものです。
『国民一人一人には国を動かす力はなくても、問題意識を持った大勢の人が集まり
意見を政府にぶつけることが出来れば、国の方向性を変えることができる』
というデモの主旨と、ピタリと重なり合っているようです。
はじまりは、一人の青年によりツイッタ―へ投稿された一文からです。
野田政権は2012年、あらたに原子力規制庁を設立をしました。
一見すると福島第一原発の事故の教訓を踏まえ、あらたなエネルギー戦略に打って出るような
そぶりだけを見せましたが、実際には、れ以降、再びの原発擁護の姿勢をあらわにします。
大飯原発におけるストレステストの2次評価も待たずに、強引すぎるとも思える
ひたすらの、なりふりを構わない原発再稼働の道を突き進みはじめます。
夏場における電力が15%近くも不足をするとした試算を楯にとった関西電力と、
関西における経済界が、大飯原発の再稼働のための世論作りのために、
まずは、やむをえずとしながらも『必要悪』の大合唱を巻き起こします。
当初は反対の姿勢を見せたはずの橋本大阪市長までが、再稼働容認の変節ぶりを表明すると
大飯原発の再稼働は、にわかに現実味をおびはじめます。
さらにこうした動きに支えられ、野田政権が『国民の生活を守るために』と追随し、
多くの批判と反対をあえて無視をした上で、再稼働への最終結論をくだします。
こうして国民感情を逆なでにし続けてきた一連の電力会社と経済界、
野田首相の行動ぶりに、ついに国民の側からの怒りに、大きな火がつきます。
一人の青年がツイッタ―を通して呼びかけたことで3月以降、多くの人々が
毎週金曜日の夜を中心に総理官邸前へ集結をして、原発再稼働の反対の声をあげはじめました。
当初は100名以下という小規模ではじまったものの、週を追うごとに参加者は急増し、
ツイッタ―上に『紫陽花革命』というタイトルが登場しはじめた頃には、一気に拡散も進み、
抗議集会への参加者も、1000人を上回り始めます。
こうした背景に有るものとして、ひとたび事故を起こせば簡単に収拾出来なくなる
原子力発電の不安だけではなく、原子力村などに代表される霞ヶ関と産業界との癒着体質と、
そこに作られている利権構造に対する、長年にわたる不信感情などもあげられます。
当初、テレビや新聞などの大手マスコミは、自主的な報道の規制により
こうしたデモの存在は、完全に無視をされ続けました。
インターネット・メディアを通じてのみ、こうしたデモの様子などが報じられる、
という異常な事態も、しばらくの間にわたって続きました。
しかしその規模がついに2万人を越えた頃、
ようやく報道ステーション(テレビ朝日)が報道したことを皮きりに、
一部のマスコミたちがこうした事態の報道をはじめるようになりました。
参加者たちもまた、これまでのデモとは大きく異なり、労働組合や政党などにより
「動員」をされた人たちではなく、ツイッタ―などを通じて集まってくることが
このデモの最大の特徴になりました。
参加者の一人一人が自分の意思で参加していることや、今までデモに参加したことのない人や、
さらには子連れの若い夫婦や主婦層などが、数多く参加している点などが、
いずれも大きな特徴のひとつになってきました。
響たちを乗せたワンボックスは、首都高速を降りてから最新のナビを駆使をして、
永田町の中にある細い路地を、官邸を目指してゆっくりとした南下をはじめました。
都立の日比谷高校を過ぎ、衆議院の第二議員会館へ近づいたあたりから、
常に低空で旋回を繰り返しているヘリコプターの騒音が、にわかに大きく響いてきました。
現地に近づくにつれ、車内にも、軽い緊張感が走ります。
「お守りかわりに、もっていきなさい」
清子が、響が今着ているものと同じ生地で仕立てられた、
すこしコンパクトな巾着袋を取り出しました。
「気をつけて行ってくるんだよ」そういいながら響へ巾着袋を手渡します。
軽い感触を手のひらで確かめながら、響が小首をかしげています。
「開けてごらん」
促されるままに、響が巾着の紐をゆるめます。
手のひらの上へ出てきたのは、二冊の預金通帳とひとつの印鑑です。
「あなたが生まれた時から、もしものためにと、貯めておきました。
結婚資金になればと楽しみにしていましたが、この様子では、
あなたがお嫁に行くのは当分先のようです。
好きに使いなさい。全部あなたのものですから・・・・」
「お母さん・・・・」
「門出に涙は不吉です。
私に出来ることと言えばもう、此処までです。
あんたは、あんたの思う人生を、精いっぱい思いっきり生きていってくれれば
それでいいと思っています。
いいんだよ・・・・
何かあったらいつでも戻ってくればいい。
桐生と湯西川のどちらでも、あんたの好きな方へ、ね」
「おい。・・・・やたらと人の数が増えてきたぜ」
岡本が後部座席を振りかえります。
官邸まであと500mあまりとなってきたそのあたりからは、抗議行動を行う人たちの
姿が急に増えて来て、さらにその前方には参加者を誘導をしている
主催者らしい係員の姿も見えてきました。
両側の歩道の上にも、子どもを抱えたお母さんやネクタイを締めたサラリーマンたち、
若いカップルなどが、思い思いに手をつないで早くも再稼働反対を叫びはじめています。
徐行で進む車の前方も、進むにつれて車道にまであふれている人波の影響をうけて、
やがてその先の路面も、徐々に見えなくなってしまいます。
「警察に交通規制を受ける前に、人波で前方をふさがれてしまいそうな気配だな。
このままでは無理だから、お前たちは迂回をしてどこか目立つ場所で待機をしていろ。
俺たちは此処から降りて歩くから、車を頼む。
行くぞ俊彦。
ここからは歩きだ。
それにしても、凄い人数だな・・・・」
途切れない人々の列が、果てしなくつづいています。
最初のうちは歩道上を埋め尽くし、参加者たちが思い思いに歩いていましたが、
官邸が近づくにつれ、時間が経つにつれて、さらに人の数は増え、密集は濃くなり、
とうとう車道の2車線まではみ出るようにして、人の数が溢れてきました。
後方を振り返ってみても、列の終わりはすでにまったく見えません。
午後6時。
予定通りに、官邸前での抗議行動ははじまりました。
官邸前の歩道に沿ってはじまった集会は、前回をはるかに上回る人が集まってきたために、
警備する側の警官たちが、官邸前の一部の横断歩道を封鎖してしまいました。
道路の横断が出来なくなった人たちによって、ついに歩道上も人が溢れはじめます。
開始から20分もたたないうちに、車道へ人があふれはじめ、
ついには6車線のすべてが人によって埋め尽くされ、抗議の広場へと
変貌を遂げてしまいます。
まったく身動きが取れなくなってしまった岡本の隣には、小さな女の子を抱えた
まさに育児中そのものという男性が立っていました。
「兄さん。小さな子ども連れでは大変だな。何処から来たんだい?」
「墨田区からです。、
子どもを保育園から引き取ったその足で、そのまま来ました。
再稼働がこのまま押し切られるのではないかと思うと、いてもたっても
いられなくなりました。
この問題は、これからの子どもの未来そのものですから」
子供をさらに高く掲げあげ、若い父親が笑顔を見せて岡本へ答えます。
連れを見ると、奥さんらしい女性はお腹が大きく、臨月に近い妊婦のようにもみえます。
女の子の顔を見上げながらも、その手は連れの若い父親の手を、
しっかりとひたすら握りしめています。
「大変だねぇ、奥さんも・・・・
予定日はいつだい。だいぶ目立ってきているようだが」
「7ヶ月目にはいりました。
原発は他人事ではありませんから、家族で、総力をあげてやってきました。
現在のところ、3,7人です。ねぇあんた。うふふふ」
「お腹が7ヶ月目だから、0,7人前というわけか。
旨い事をいうねぇ、奥さん。元気な可愛いお子さんを産んでくれよ」
「はい。ありがとうございます。
そのためにも、原発の再稼働反対を頑張りたいと思います!」
3,7人分の家族がひと塊りになって、人波の隙間を縫いながら前進をはじめました。
身重の奥さんが可愛い笑顔を見せ、2度3度と岡本へ手を振りながら
やがて人の波に、呑みこまれるようにして消えて行きます。
「あんた顔は見るからに怖いが、心は優しそうな、良い男だねぇ」と、
足元から声がしてきました。
岡本があわてて下を覗きこむと、90歳近いと思われる老婆がその足元へいます。
「おっと・・・・おっ、ばあさん。びっくりさせるなよ。
大丈夫かよ、気をつけろ。踏みつぶされたりするなよ人波に。
それにしてもよく来たねぇ。
何処から来たね。こんなところまで」
「茨城だ。倅が東京へ抗議に行くと言うので、
わしも、ひとこと総理には言いたいことがあるから、はるばるとやってきた。
これが倅だ。お前さんよりも、少しだけ男っぷりは落ちるがのう・・・
いっひっひ」
「ばあちゃん。ひと言多いよ。まったく・・・・
震災が来る2日前に、たまたま鎌仲ひとみ監督の作った映画の
『ミツバチの羽音と地球の回転』というのを見ました。
それまで全く知らなかった原発の事実の数々に、強い衝撃を受けました。
原発に関心を持つようになったのは、それからです。
そう思い始めたやさきに、あの3.11の大震災がやってきました。
それ以降は積極的に勉強を重ね、こうしてデモなどにも
参加するようになりました」
「偉いねぇ。たいした倅だぜ。自慢の息子だろう、ばあちゃんの。
で、なんなんだい。そのミツバチがなんとかという、映画は・・・・」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp
「金曜日は、紫陽花(あじさい)革命」
毎週金曜日の夜に集結をする総理官邸前での抗議行動は、
いつの頃からか、ネット上で『紫陽花革命』と呼ばれるようになりました。
6月を象徴する花といえば、この紫陽花です。
「紫陽花(あじさい)革命」という名称は、
小さな花びらたちがたくさん寄り集まり、そして大きく咲きほこるという、
紫陽花の花のイメージから命名をされたものです。
『国民一人一人には国を動かす力はなくても、問題意識を持った大勢の人が集まり
意見を政府にぶつけることが出来れば、国の方向性を変えることができる』
というデモの主旨と、ピタリと重なり合っているようです。
はじまりは、一人の青年によりツイッタ―へ投稿された一文からです。
野田政権は2012年、あらたに原子力規制庁を設立をしました。
一見すると福島第一原発の事故の教訓を踏まえ、あらたなエネルギー戦略に打って出るような
そぶりだけを見せましたが、実際には、れ以降、再びの原発擁護の姿勢をあらわにします。
大飯原発におけるストレステストの2次評価も待たずに、強引すぎるとも思える
ひたすらの、なりふりを構わない原発再稼働の道を突き進みはじめます。
夏場における電力が15%近くも不足をするとした試算を楯にとった関西電力と、
関西における経済界が、大飯原発の再稼働のための世論作りのために、
まずは、やむをえずとしながらも『必要悪』の大合唱を巻き起こします。
当初は反対の姿勢を見せたはずの橋本大阪市長までが、再稼働容認の変節ぶりを表明すると
大飯原発の再稼働は、にわかに現実味をおびはじめます。
さらにこうした動きに支えられ、野田政権が『国民の生活を守るために』と追随し、
多くの批判と反対をあえて無視をした上で、再稼働への最終結論をくだします。
こうして国民感情を逆なでにし続けてきた一連の電力会社と経済界、
野田首相の行動ぶりに、ついに国民の側からの怒りに、大きな火がつきます。
一人の青年がツイッタ―を通して呼びかけたことで3月以降、多くの人々が
毎週金曜日の夜を中心に総理官邸前へ集結をして、原発再稼働の反対の声をあげはじめました。
当初は100名以下という小規模ではじまったものの、週を追うごとに参加者は急増し、
ツイッタ―上に『紫陽花革命』というタイトルが登場しはじめた頃には、一気に拡散も進み、
抗議集会への参加者も、1000人を上回り始めます。
こうした背景に有るものとして、ひとたび事故を起こせば簡単に収拾出来なくなる
原子力発電の不安だけではなく、原子力村などに代表される霞ヶ関と産業界との癒着体質と、
そこに作られている利権構造に対する、長年にわたる不信感情などもあげられます。
当初、テレビや新聞などの大手マスコミは、自主的な報道の規制により
こうしたデモの存在は、完全に無視をされ続けました。
インターネット・メディアを通じてのみ、こうしたデモの様子などが報じられる、
という異常な事態も、しばらくの間にわたって続きました。
しかしその規模がついに2万人を越えた頃、
ようやく報道ステーション(テレビ朝日)が報道したことを皮きりに、
一部のマスコミたちがこうした事態の報道をはじめるようになりました。
参加者たちもまた、これまでのデモとは大きく異なり、労働組合や政党などにより
「動員」をされた人たちではなく、ツイッタ―などを通じて集まってくることが
このデモの最大の特徴になりました。
参加者の一人一人が自分の意思で参加していることや、今までデモに参加したことのない人や、
さらには子連れの若い夫婦や主婦層などが、数多く参加している点などが、
いずれも大きな特徴のひとつになってきました。
響たちを乗せたワンボックスは、首都高速を降りてから最新のナビを駆使をして、
永田町の中にある細い路地を、官邸を目指してゆっくりとした南下をはじめました。
都立の日比谷高校を過ぎ、衆議院の第二議員会館へ近づいたあたりから、
常に低空で旋回を繰り返しているヘリコプターの騒音が、にわかに大きく響いてきました。
現地に近づくにつれ、車内にも、軽い緊張感が走ります。
「お守りかわりに、もっていきなさい」
清子が、響が今着ているものと同じ生地で仕立てられた、
すこしコンパクトな巾着袋を取り出しました。
「気をつけて行ってくるんだよ」そういいながら響へ巾着袋を手渡します。
軽い感触を手のひらで確かめながら、響が小首をかしげています。
「開けてごらん」
促されるままに、響が巾着の紐をゆるめます。
手のひらの上へ出てきたのは、二冊の預金通帳とひとつの印鑑です。
「あなたが生まれた時から、もしものためにと、貯めておきました。
結婚資金になればと楽しみにしていましたが、この様子では、
あなたがお嫁に行くのは当分先のようです。
好きに使いなさい。全部あなたのものですから・・・・」
「お母さん・・・・」
「門出に涙は不吉です。
私に出来ることと言えばもう、此処までです。
あんたは、あんたの思う人生を、精いっぱい思いっきり生きていってくれれば
それでいいと思っています。
いいんだよ・・・・
何かあったらいつでも戻ってくればいい。
桐生と湯西川のどちらでも、あんたの好きな方へ、ね」
「おい。・・・・やたらと人の数が増えてきたぜ」
岡本が後部座席を振りかえります。
官邸まであと500mあまりとなってきたそのあたりからは、抗議行動を行う人たちの
姿が急に増えて来て、さらにその前方には参加者を誘導をしている
主催者らしい係員の姿も見えてきました。
両側の歩道の上にも、子どもを抱えたお母さんやネクタイを締めたサラリーマンたち、
若いカップルなどが、思い思いに手をつないで早くも再稼働反対を叫びはじめています。
徐行で進む車の前方も、進むにつれて車道にまであふれている人波の影響をうけて、
やがてその先の路面も、徐々に見えなくなってしまいます。
「警察に交通規制を受ける前に、人波で前方をふさがれてしまいそうな気配だな。
このままでは無理だから、お前たちは迂回をしてどこか目立つ場所で待機をしていろ。
俺たちは此処から降りて歩くから、車を頼む。
行くぞ俊彦。
ここからは歩きだ。
それにしても、凄い人数だな・・・・」
途切れない人々の列が、果てしなくつづいています。
最初のうちは歩道上を埋め尽くし、参加者たちが思い思いに歩いていましたが、
官邸が近づくにつれ、時間が経つにつれて、さらに人の数は増え、密集は濃くなり、
とうとう車道の2車線まではみ出るようにして、人の数が溢れてきました。
後方を振り返ってみても、列の終わりはすでにまったく見えません。
午後6時。
予定通りに、官邸前での抗議行動ははじまりました。
官邸前の歩道に沿ってはじまった集会は、前回をはるかに上回る人が集まってきたために、
警備する側の警官たちが、官邸前の一部の横断歩道を封鎖してしまいました。
道路の横断が出来なくなった人たちによって、ついに歩道上も人が溢れはじめます。
開始から20分もたたないうちに、車道へ人があふれはじめ、
ついには6車線のすべてが人によって埋め尽くされ、抗議の広場へと
変貌を遂げてしまいます。
まったく身動きが取れなくなってしまった岡本の隣には、小さな女の子を抱えた
まさに育児中そのものという男性が立っていました。
「兄さん。小さな子ども連れでは大変だな。何処から来たんだい?」
「墨田区からです。、
子どもを保育園から引き取ったその足で、そのまま来ました。
再稼働がこのまま押し切られるのではないかと思うと、いてもたっても
いられなくなりました。
この問題は、これからの子どもの未来そのものですから」
子供をさらに高く掲げあげ、若い父親が笑顔を見せて岡本へ答えます。
連れを見ると、奥さんらしい女性はお腹が大きく、臨月に近い妊婦のようにもみえます。
女の子の顔を見上げながらも、その手は連れの若い父親の手を、
しっかりとひたすら握りしめています。
「大変だねぇ、奥さんも・・・・
予定日はいつだい。だいぶ目立ってきているようだが」
「7ヶ月目にはいりました。
原発は他人事ではありませんから、家族で、総力をあげてやってきました。
現在のところ、3,7人です。ねぇあんた。うふふふ」
「お腹が7ヶ月目だから、0,7人前というわけか。
旨い事をいうねぇ、奥さん。元気な可愛いお子さんを産んでくれよ」
「はい。ありがとうございます。
そのためにも、原発の再稼働反対を頑張りたいと思います!」
3,7人分の家族がひと塊りになって、人波の隙間を縫いながら前進をはじめました。
身重の奥さんが可愛い笑顔を見せ、2度3度と岡本へ手を振りながら
やがて人の波に、呑みこまれるようにして消えて行きます。
「あんた顔は見るからに怖いが、心は優しそうな、良い男だねぇ」と、
足元から声がしてきました。
岡本があわてて下を覗きこむと、90歳近いと思われる老婆がその足元へいます。
「おっと・・・・おっ、ばあさん。びっくりさせるなよ。
大丈夫かよ、気をつけろ。踏みつぶされたりするなよ人波に。
それにしてもよく来たねぇ。
何処から来たね。こんなところまで」
「茨城だ。倅が東京へ抗議に行くと言うので、
わしも、ひとこと総理には言いたいことがあるから、はるばるとやってきた。
これが倅だ。お前さんよりも、少しだけ男っぷりは落ちるがのう・・・
いっひっひ」
「ばあちゃん。ひと言多いよ。まったく・・・・
震災が来る2日前に、たまたま鎌仲ひとみ監督の作った映画の
『ミツバチの羽音と地球の回転』というのを見ました。
それまで全く知らなかった原発の事実の数々に、強い衝撃を受けました。
原発に関心を持つようになったのは、それからです。
そう思い始めたやさきに、あの3.11の大震災がやってきました。
それ以降は積極的に勉強を重ね、こうしてデモなどにも
参加するようになりました」
「偉いねぇ。たいした倅だぜ。自慢の息子だろう、ばあちゃんの。
で、なんなんだい。そのミツバチがなんとかという、映画は・・・・」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp