落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(4)

2013-06-20 10:24:47 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(4) 
「広瀬川プロムナードと、125CCのスクーター」




 前橋市千代田町をながれる広瀬川沿いには、「前橋文学館」が建っています。
正式には、「萩原朔太郎記念、水と緑と詩のまち前橋文学館」というすこぶる長い名称がつけられた
この建物は、多くの詩人を輩出した前橋市の風土と文化を象徴するシンボルのひとつです。
入口には、不安定な形で台座にもたれかかり、顎に右手を置きひたすら思索にふける
萩原朔太郎の銅像が建ち、川に架けられている「朔太郎橋」には、交友の深かった北原白秋や
室生犀星、草野心平の詩が書かれた銘板がはめ込まれています。


 ひときわ柳の緑が濃くなり川の流れも広くなるこの一帯が、文学を散策して歩く
広瀬川プロムナードのほぼ中間地点に当たります。
貞園が、今日のスケッチの場所と決めたのもちょうどこの辺りです。



 「ねぇ。1時間くらいでかならず迎えに来てよ。
 今日はこの場所を覚えただけでも、もう充分だもの。どちらかといえば、
 康平が作る旬の夏野菜の料理へすっかり、私の関心は移っているの」


 麦わら帽子を胸に抱いた貞園が、上機嫌そのものの無邪気な笑顔を見せています。
解放された長い髪は川面の風に揺れ、前髪は、白く輝く額で軽やかに舞い続けています。



 「解ったよ。君にはすっかりお手上げだ。
 この辺りの農家を数軒回ってくるから、かかる時間は丁度そのくらいになるだろう。
 何か食べたい野菜の希望があるかい。
 ついでだ、君のために、それも調達してこよう」

 「路地で完熟をしたトマトが、大好物です。
 今時期のカボチャや、トウモロコシ、ナスなども好きです。
 このあたりで採れる小ぶりのスイカも、とても美味しいと聴いています」


 「なるほど。食べる方の下調べだけは、実に完璧に出来ているようだ。
 任せろ、色々と探してこよう。
 なにしろ群馬は、畜産と野菜の両方で、関東の胃袋を満腹にさせている農業県だ。
 夏の時期には、日本中で取れる野菜の全てが育つんだぜ」



 「大きく出たわねぇ。
 南で育つ野菜などは取れるでしょうが、寒冷地や高地のものは絶対に無理でしょう?」


 「さすがに、そこまでは学習をしてこなかったとみえる。
 群馬県は、標高が40~50mという比較的平坦な穀倉地帯から始まっているが、
 県の北部や西部では、標高が1000mを越える地域がたくさんある。
 高原野菜や、さまざまな果実類などの特産地も揃っている。
 ナシやモモをはじめ、寒冷地で特産とされているリンゴなどもここでは大量に採れる。
 特に嬬恋(つまごい)高原の夏キャベツは、全国的にも有名だ。
 君も嬬恋という名前くらいなら聞いたことは有るだろう」


 「あら、嬬恋って群馬県なの?
 山の方だと聞いたから、てっきり長野だとばかり思っていました」



 川沿いにおかれたベンチの上へ、こまごまとしたスケッチの道具を拡げはじめた
貞園が、腰に手を当てて俊彦を振りかえります。
前橋駅前のけやき並木の通りから、10分ほどかけてこの広瀬川まで歩いてきましたが
その間は常に貞園の数歩前を、康平があるき続けました。
時々後ろを振りかえっても、貞園の顔の半分は、大きな麦わら帽子のつばに隠れています。
台湾のメロディなのか、あまりなじみの無いテンポの良い鼻歌と、ほのかな甘い香りと、
軽快な足音だけが、康平の背後をぴたりと着いてきました。


 (おっ。さっきまではまったく気がつかなかったが・・・・
 まるで、台湾からやって来た18歳の妖精のような雰囲気がある)



 ようやく正面から見えた貞園の容姿ぶりに、康平が思わず心の中でつぶやいています。
すらりと伸びた手足にくわえて、胸にはたしかな乙女のふくらみも息づいています。
黒い瞳をたたえた切れ長の目と、少し膨らみをみせる赤い下唇には、少女の時代をすでに
飛び越えて一人前の大人を思わせるような、なんともいえない妖艶さも漂っています。


 「嬬恋は、長野と群馬の県境にある村さ。
 群馬は、県の中央にそびえる赤城山を境にして、南には低地の平野が広がっているし、
 北と西からは、長野や新潟、福島などと繋がる高地と山脈が始まっている。
 したがって群馬の農地の標高差は、最大で1500mを越えることになる。
 こんな特徴を持った農業県は、全国的にもめずらしい。
 だからここでは、日本国内で育つ農産物なら、何でも育つと言う訳だ」


 「あらら。チャーミングな土地柄ですねぇ。群馬って。
 ますますもって、康平の夏野菜の料理が楽しみになってきました。
 はりきって絵を書いて待っていますから、康平も、
 それなりにはりきって、食材などを調達してきてくださいね」



 「おう。自慢のスクーターでひとっ走りだ。
 10分もあれば町中を駆け抜けて、あっというまに長いすそ野を引く赤城山の山麓に着く。
 町中の移動はもちろん、狭い田舎道だろうが、2輪なら苦もなく快適に走り抜ける。
 じゃあな。また後で」


 「ちょっと待った。康平。
 今乗り物は、確か、スクーターって言ったわよねぇ」


 「確かに、スクーターだ。
 ちょっとそのあたりを走り回るのにはきわめて便利だし、第一、今の時期は、
 走っていても爽快で、すこぶる気持ちが良い」


 「決めた。面白そうだから、そっちへ乗り換えます。
 ねぇ、それって2人乗りが出来るサイズなの?」



 「ビッグスクーターではないが、125CCの小型自動二輪だから2人乗りはOKだ。
 でも買出し専用だから、後部座席は荷物専用だぜ」


 「たまに、荷物スペースに美女を乗せるのも乙なものでしょう。
 そうと決まれば、善は急げだ。
 で、どこにあるのさ。康平のそのスクーターとやらは?」



 「愛車なら、そこの2輪ショップへいつも置きっぱなしだ。
 いいのかよ。広瀬川のスケッチをするために、わざわざ前橋くんだりまで来たはずだろう?」


 「このお天気だもの。
 スクーターに乗ったドライブの方が、よっぽども楽しいのに決まっているわ。
 第一、広瀬川は放っておいても逃げないでしょう。
 またスケッチにやって来ればいいだけの話だもの。そうしましょう。
 乗せてよ、康平。あなたの後部座席へ」



 「俺は一向に構わないが・・・・
 君はいたって簡単に、行き当たりばったりで、路線変更をするタイプだね。
 いいのかい、そんな簡単な決断で見ず知らずの男のスクーターの後ろに乗っても」


 「それを言うなら、決断が早いと言ってほしいわね。
 それに台湾生まれはもともと、大陸的な発想で鷹揚さが取り柄なの。
 こまかいことなんかには、それほどこだわらないし、
 第一、康平は礼節を重んじる日本男子に見えるもの。安心して着いて行けます」


 
 貞園がベンチの上に広げたスケッチ用具を、あわててカバンへ回収しはじめます。
無造作に次から次へとバッグの中へ用具を放り込むと、麦わら帽子を頭へちょこんと乗せ、
康平の右腕を、くるりと抱え込んでしまいます。


 「さあ行きましょう。
 いつか見た、『ローマの休日』の群馬版みたいな場面だわ。
 一度やってみたかったのよ。男性を後ろから抱え込んでスクーターの後部座席へ座るやつ。
 うわ~、夢みたい!。今日は楽しいことが次から次へと実現するわ。
 すこぶる素敵な街だ。やっぱり、前橋という街は!」




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