からっ風と、繭の郷の子守唄(8)
「暴走族の聖地に漂う、焼きトウモロコシの香り」
康平が言う通り、市街地を抜けた県道4号線は、
水田地帯が続く郊外の平坦地を、あっというまに通り過ぎてしまいます。
前方にある交差点の先からは、勾配ぶりがはっきりと確認できる坂道が見えてきました。
ここから始まる赤城山への長い一本道の登りは、このあたりの標高100メートルから
1400mにある最高到達地点に向かって一度も緩むことなく、22キロ余りにわたって、
ひたすら山肌に沿って駆け登ります。
運転モードがDから、スポーティな動きを見せるSに切リ変わった瞬間から、
康平のスパースクーターは、小気味良いエンジン音を響かせつつ、たっぷりの余裕を残しながら
最初の急坂を、二人を乗せたまま苦もなく駆けのぼっていきます。
山頂湖にある赤城神社の象徴として、道路を跨ぐ大鳥居をくぐると
道路の周囲の様子が、目に見えて変化を遂げ始めます。
ここまで点在をしてきた民家や商家の姿が消え、遠くの斜面に見え隠れしていた農家の姿も
登るにつれて、視界から消えて行きます。
周囲と前方に現れてくるのは、どこまでも広大に続いていく、うっそうとした牧草地だけです。
はるか遠くに、赤い屋根の畜舎が見えるだけで道の左右は、ただ一面の緑の海に変わってしまいます。
貞園が、またコンコンと康平のヘルメットを叩いています。
「あら、インカムでお話が出来るんだから、ヘルメットの合図は必要がなかったかしら。
ねぇねぇ、景色がいっぺんに変わってしまったわ。
農地も見えなくなってしまったし、周囲が牧草ばかりに変わってきたわ。
作物が簡単に育たないほどの高地にまで、私たちが登ってきたという意味なのかしら」
「標高はまだ、この辺りでやっと350mを越えたくらいだから、
農産物が育たないという環境ではないさ。
問題は水だ。斜面ばかりのこのあたりに水源は無いし、川なども一切流れていない。
放っておいても育つのは、牧草かトウモロコシ、後は特産のコンニャクぐらいだろう。
へぇえ。農産事情に気がつくとは、田舎暮らしの経験でもあるの?貞園は」
「図星です。
どうせ私は、台湾の田舎で育った、そのへんの農家の長女娘です。
悪かったわねぇ、田舎で採れた安っぽいワインで。
余計なことを聞くんじゃなかったわ。馬脚を表すというのかしら、こう言う場合・・・・
傷つくなぁ~、乙女の清純すぎるこの胸が」
こうした光景が広がり始めるのは、南北に坂道を登っていくこの県道4号線に対して、
赤城山の中腹部を東西に走り抜けていく国道353号(別名・風街道)が交差をする
「畜産試験場」前の交差点の少し手前の周辺からです。
ここまでで、市街地からは6キロ余り、標高は350mの地点にあたります。
道路の周辺には、文字通り北海道のような広大な草原が広がっているだけの光景となり、
やがて一角に、乗馬の体験などができる「群馬県馬事公苑」なども現れてきます。
ほとんど直線ばかりが続いてきた坂道が、一度だけ大きく右へカ―ブをします。
馬事公苑を迂回するように大きく回り込んだあと、態勢を整えた道路は、
ふたたび山頂へ向かって、真北へと進路を向け直します。
この辺りから左右の雰囲気が一気に変わり、土産物屋や蕎麦やうどんをはじめとする
食事処と観光施設が続けて軒を連ねて登場をしてきます。
「富士見地区グルメ街道」とも呼ばれているこの中腹部は、
今が旬の焼きトウモロコシの売店をはじめ、本格的な手打ちスタイルの蕎麦屋やうどん店などが
味を競って、いくつも立ち並んでいる休憩の名所です。
「康平。今通り過ぎたところで、焼きトウモロコシの香ばしい匂いがしていたよ。
それにこのあたりだけ、一転して、食事のための施設が豪華に立ち並らんでいるみたい。
緑の斜面の真ん中で、ここだけは、なにやらたくさんの観光客たちを足止めしそうな、
そんな、やる気に満ちた雰囲気も漂っているわ。
山の中でもずいぶんと賑やかなのねぇ。グルメ街道はどこまで続くのかしら」
「この直線に沿った2キロあまりが、最後といえる人家の密集地帯だ。
この先に、昔の有料道路の料金所跡があるが、そこが昔からの、人と自然の境界線だ。
そこから上は、自然保護地区に指定されているから、
今でもまったく手つかずのままの、赤城の大自然がそっくりそのまま残っている。
赤城山の登り坂のハイライトは、実は、そのあたりから始まる」
「あら・・・・そうすると、私の焼きトウモロコシは一体どうなっちゃうの?」
「安心しろ。
坂道が最大の難所を迎える少し手前に、大型車両も休める黒姫と呼ばれる駐車場が有る。
その一角に、地元の人が毎年、焼きトウモロコシの屋台を出している。
そこは、標高も1000mを越えた高地だ。
そこまで一気に走ってから、君のためにそこで、たっぷりと休憩をしょう」
嬉しいと答える言葉の代わりに、貞園が康平の腰にまわした両手に思い切り力を込めます。
康平が軽くアクセルを開けると、それまで静かに巡航速度を保っていたビッグスクーターは、
こころえたとばかりに豪快にアスファルトを蹴り、一気に弾みのついた加速を見せ始めます。
両サイドの景色が線となって流れ、心地よい風圧が前方から押し寄せてくる頃には、
再び建物の姿が消えて、また別の風景が目の前に広がってきます。
道路の左側に設置された「昭和の森」がクロマツ林の壮大な広がりを見せはじめてくると、
道の左右からは人工物が一切消え、すべてが緑一色の景観に変わります。
「ねえ康平。何気に『昭和の森』って書いてあるけど、
なにか特別な言われでも、あるのかなぁ・・・・」
「昭和26年に、戦後の荒廃した国土に緑を取り戻そうと、
全国から約2000人が集まり、昭和天皇も参加をして、第2回目の植樹行事・国土緑化大会が
ここで開催されたそうだ。
平成の大合併で前橋市に編入されたことから、今後は、市民が集える憩いの森として
ここは、保全されていくことになる」
「ふぅ・・・ん。なるほど、ね」
妙に鼻にかかった貞園の長いため息が、いつまでの康平の耳にまとわりつきます。
市街地からは積算で8.9キロメートル。標高が545メートルを越えると、
赤城山観光案内所(旧有料道路料金所跡)が直線道路の突き当たりに、忽然として登場します。
そこを左折して大きなクランク状のカーブを抜けると、道路は自然林の中を
一気に突き進むコースへ、急激に変貌を遂げます。
「貞園。此処から先が、一切手の加わっていない赤城山の大自然だぜ」
県土の約3分の2を森林が占めている群馬県は、貯水力のある森が多いことから
「首都圏の水がめ」とも呼ばれています。
県のほぼ中央に位置している赤城山では、江戸時代末期に山の南山麓を中心に
「クロマツ」の植林事業などが、ひんぱんに行われるようになりました。
また戦後になると、戦災による復興のために大量の材木が必要とされ、そうした不足を補うために
ふたたび、松をはじめとする針葉樹が大量に植林をされてきた経緯があります。
県の木に「クロマツ」が選ばれるほど、赤城山では松が親しまれ大切に育てられてきました。
しかし、広大な赤城山の全域から見れば、それらの植林はほんの一部にしかすぎません。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
「暴走族の聖地に漂う、焼きトウモロコシの香り」
康平が言う通り、市街地を抜けた県道4号線は、
水田地帯が続く郊外の平坦地を、あっというまに通り過ぎてしまいます。
前方にある交差点の先からは、勾配ぶりがはっきりと確認できる坂道が見えてきました。
ここから始まる赤城山への長い一本道の登りは、このあたりの標高100メートルから
1400mにある最高到達地点に向かって一度も緩むことなく、22キロ余りにわたって、
ひたすら山肌に沿って駆け登ります。
運転モードがDから、スポーティな動きを見せるSに切リ変わった瞬間から、
康平のスパースクーターは、小気味良いエンジン音を響かせつつ、たっぷりの余裕を残しながら
最初の急坂を、二人を乗せたまま苦もなく駆けのぼっていきます。
山頂湖にある赤城神社の象徴として、道路を跨ぐ大鳥居をくぐると
道路の周囲の様子が、目に見えて変化を遂げ始めます。
ここまで点在をしてきた民家や商家の姿が消え、遠くの斜面に見え隠れしていた農家の姿も
登るにつれて、視界から消えて行きます。
周囲と前方に現れてくるのは、どこまでも広大に続いていく、うっそうとした牧草地だけです。
はるか遠くに、赤い屋根の畜舎が見えるだけで道の左右は、ただ一面の緑の海に変わってしまいます。
貞園が、またコンコンと康平のヘルメットを叩いています。
「あら、インカムでお話が出来るんだから、ヘルメットの合図は必要がなかったかしら。
ねぇねぇ、景色がいっぺんに変わってしまったわ。
農地も見えなくなってしまったし、周囲が牧草ばかりに変わってきたわ。
作物が簡単に育たないほどの高地にまで、私たちが登ってきたという意味なのかしら」
「標高はまだ、この辺りでやっと350mを越えたくらいだから、
農産物が育たないという環境ではないさ。
問題は水だ。斜面ばかりのこのあたりに水源は無いし、川なども一切流れていない。
放っておいても育つのは、牧草かトウモロコシ、後は特産のコンニャクぐらいだろう。
へぇえ。農産事情に気がつくとは、田舎暮らしの経験でもあるの?貞園は」
「図星です。
どうせ私は、台湾の田舎で育った、そのへんの農家の長女娘です。
悪かったわねぇ、田舎で採れた安っぽいワインで。
余計なことを聞くんじゃなかったわ。馬脚を表すというのかしら、こう言う場合・・・・
傷つくなぁ~、乙女の清純すぎるこの胸が」
こうした光景が広がり始めるのは、南北に坂道を登っていくこの県道4号線に対して、
赤城山の中腹部を東西に走り抜けていく国道353号(別名・風街道)が交差をする
「畜産試験場」前の交差点の少し手前の周辺からです。
ここまでで、市街地からは6キロ余り、標高は350mの地点にあたります。
道路の周辺には、文字通り北海道のような広大な草原が広がっているだけの光景となり、
やがて一角に、乗馬の体験などができる「群馬県馬事公苑」なども現れてきます。
ほとんど直線ばかりが続いてきた坂道が、一度だけ大きく右へカ―ブをします。
馬事公苑を迂回するように大きく回り込んだあと、態勢を整えた道路は、
ふたたび山頂へ向かって、真北へと進路を向け直します。
この辺りから左右の雰囲気が一気に変わり、土産物屋や蕎麦やうどんをはじめとする
食事処と観光施設が続けて軒を連ねて登場をしてきます。
「富士見地区グルメ街道」とも呼ばれているこの中腹部は、
今が旬の焼きトウモロコシの売店をはじめ、本格的な手打ちスタイルの蕎麦屋やうどん店などが
味を競って、いくつも立ち並んでいる休憩の名所です。
「康平。今通り過ぎたところで、焼きトウモロコシの香ばしい匂いがしていたよ。
それにこのあたりだけ、一転して、食事のための施設が豪華に立ち並らんでいるみたい。
緑の斜面の真ん中で、ここだけは、なにやらたくさんの観光客たちを足止めしそうな、
そんな、やる気に満ちた雰囲気も漂っているわ。
山の中でもずいぶんと賑やかなのねぇ。グルメ街道はどこまで続くのかしら」
「この直線に沿った2キロあまりが、最後といえる人家の密集地帯だ。
この先に、昔の有料道路の料金所跡があるが、そこが昔からの、人と自然の境界線だ。
そこから上は、自然保護地区に指定されているから、
今でもまったく手つかずのままの、赤城の大自然がそっくりそのまま残っている。
赤城山の登り坂のハイライトは、実は、そのあたりから始まる」
「あら・・・・そうすると、私の焼きトウモロコシは一体どうなっちゃうの?」
「安心しろ。
坂道が最大の難所を迎える少し手前に、大型車両も休める黒姫と呼ばれる駐車場が有る。
その一角に、地元の人が毎年、焼きトウモロコシの屋台を出している。
そこは、標高も1000mを越えた高地だ。
そこまで一気に走ってから、君のためにそこで、たっぷりと休憩をしょう」
嬉しいと答える言葉の代わりに、貞園が康平の腰にまわした両手に思い切り力を込めます。
康平が軽くアクセルを開けると、それまで静かに巡航速度を保っていたビッグスクーターは、
こころえたとばかりに豪快にアスファルトを蹴り、一気に弾みのついた加速を見せ始めます。
両サイドの景色が線となって流れ、心地よい風圧が前方から押し寄せてくる頃には、
再び建物の姿が消えて、また別の風景が目の前に広がってきます。
道路の左側に設置された「昭和の森」がクロマツ林の壮大な広がりを見せはじめてくると、
道の左右からは人工物が一切消え、すべてが緑一色の景観に変わります。
「ねえ康平。何気に『昭和の森』って書いてあるけど、
なにか特別な言われでも、あるのかなぁ・・・・」
「昭和26年に、戦後の荒廃した国土に緑を取り戻そうと、
全国から約2000人が集まり、昭和天皇も参加をして、第2回目の植樹行事・国土緑化大会が
ここで開催されたそうだ。
平成の大合併で前橋市に編入されたことから、今後は、市民が集える憩いの森として
ここは、保全されていくことになる」
「ふぅ・・・ん。なるほど、ね」
妙に鼻にかかった貞園の長いため息が、いつまでの康平の耳にまとわりつきます。
市街地からは積算で8.9キロメートル。標高が545メートルを越えると、
赤城山観光案内所(旧有料道路料金所跡)が直線道路の突き当たりに、忽然として登場します。
そこを左折して大きなクランク状のカーブを抜けると、道路は自然林の中を
一気に突き進むコースへ、急激に変貌を遂げます。
「貞園。此処から先が、一切手の加わっていない赤城山の大自然だぜ」
県土の約3分の2を森林が占めている群馬県は、貯水力のある森が多いことから
「首都圏の水がめ」とも呼ばれています。
県のほぼ中央に位置している赤城山では、江戸時代末期に山の南山麓を中心に
「クロマツ」の植林事業などが、ひんぱんに行われるようになりました。
また戦後になると、戦災による復興のために大量の材木が必要とされ、そうした不足を補うために
ふたたび、松をはじめとする針葉樹が大量に植林をされてきた経緯があります。
県の木に「クロマツ」が選ばれるほど、赤城山では松が親しまれ大切に育てられてきました。
しかし、広大な赤城山の全域から見れば、それらの植林はほんの一部にしかすぎません。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/