連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話
「無人の町・広野」
こまかく降りしきる雨の中、帽子を目深にかぶり列車を見送った響は、
吸い寄せられるようにプラットホームを北の端まで歩きます。
最北端に立った響が、言葉を失って思わずそこへ立ち尽くしてしまいました。
響の足元を通過してさらに北へと延びていく、あの日以来いまだに使われていないレールは、
鉄の色を失ったまま、真っ赤に錆びて大地に朽ち果てようとしています。
人影さえ隠すほどに伸びきった枯れ草の間を、等間隔の2本のレールが消えていきます。
(この先が、あの日以来の、立ち入り禁止区域ということだ・・・・)
枯れ草の中へ消えていった2本のレールの延長線上の彼方には、
天を突くようにして、赤と白に塗り分けられた巨大な煙突が威容を誇ってそびえています。
東京電力が広野町に所有をしている、広野火力発電所の煙突です。
海上に張り出すようにして建設されたこの広野火力発電所は、
福島第1原発からは、南に21キロメートルに位置しています。
さらに福島第2原発からは、9キロメートルというきわどい位置にあたり、
ともに首都圏へ電力を供給するためだけに造られたという、役割を果たしています。
「驚いた・・・・
でもあれは、福島原発の煙突でははなく、
同じ東電のが所有する火力発電所だ。
それにしても、煙突からあれだけの勢いで煙が出ているということは、
すでに復旧も済んで、首都圏へ電力を送るために、稼働をしているということになる。
第一原発をあの震災で失い、住んでいる人たちは放射能に追われ、
いまだに福島県は混乱を続けているままだというのに、あそこではもうこうして、
首都圏のためだけの電力を、全開で生産をしているんだ。
なんという不条理だ・・・・
私には、とても納得することができない光景だ。これは」
線路の北側にはレールと並行する形で、広野町の商店街が並んでいます。
しかし祝日の夕方だというのに、商店街のお店は、ほとんどがシャッターを下ろしたままです。
街灯のほとんどが消えたままで、すべてのものが日暮れの闇の中に沈み始めていました。
道を歩く人の姿はまったく見えず、巡回中のパトカーが時々商店街を行き会うだけで
それ以外に、動くものの気配はまったくと言っていいほど、見当たりません。
すぐに途切れてしまう商店街のはずれに、一軒だけ民家風の建物が見えました。
しかし玄関先にあるはずの照明もまた、そこも消えたままです。
「役場の機能が戻ってきて、避難している町民たちの
受け入れ準備がはじまったばかりだというのに、
夜になると、またここは、すっかりと元の無人の町にかわってしまうんだ。
人っ子ひとり、何処を見ても居るという気配がしないわ・・・・
なんとも言えない、寂しすぎる光景だなぁ」
響が歩き始めた商店街の通りには、近くに海が有るような気配が漂っていました。
潮の香りが、線路を越えた南の薄暗闇から流れてきます
その南側を見るために響が、前方に現れた常磐線のガードをくぐりました。
ガードを越えたその先も、あたりはやはり真っ暗な闇のままです。
しばらく目を凝らしていると、その先の50メートルあまりのところに、
ぽつりと、一軒の民家らしい建物が浮かび上がってきました。
遠くからのかすかな明かりを受けて、民家の白い壁がやがて不気味に光りはじめます。
ここにも、まったく人の気配はありません。
いくつか建ち残っている家屋も、その多くが、ほぼ崩壊寸前まで傷み具合が進んでいます。
時の流れとともに、徐々に崩壊をしていくだろうという気配が、
暗闇のすべての空間に実に濃厚に漂っています。
響の目の前に残っているわずかな建物と、広大な更地は、あの日、高さが
8mから9mにも及んだという激しい津波の痕跡と、破壊しつくされた集落の残骸でした。
街灯は一本として見当たりません。
小雨交じりの夕暮れの闇だけが、どこまでも果てしなくただ響の目の前に広がります。
その前方に有るはず思われる海岸も、ただ波音を響かせるだけで
その所在を確認することは出来ません。
足元に横たわるっている、朽ち始めたコンクリートの土台だけが、かつてここには
集落があったことを如実に示しています
かすかに湿り気を含んだ足元の砂が、響には泣いているように思えてなりません。
(明かりと呼べるものが、何一つない光景を、私は産まれて初めて此処で見た・・・・)
背筋を凍らせて、響が立ちすくんでいます。
あの日、震災に遭い、想定を遥かに超えた大津波に逃げまどったこの町は、
福島第一原発の放射能の飛散により、さらなる追撃を受けました。
かろうじて生き延びた被災から、ひと息をつく暇もなく、わずか数日の後に、
強制避難という政府の指示のもと、広野町は、すべてを放棄したまま、
あっというまに無人の町に変わりました。
あれから一年。
いまだ5000人を越える町人は、避難生活を強いられたままです。
役場へ職員が戻ってきたとはいうものの、それは日中だけに限られただけのことであり、
こうして日が暮れると、ここは再び無人の町に変わってしまいます。
降り続いていた小雨が、少しだけ小止みになってきました。
しかし、これ以上先へ行くのは危険だと判断をした響が、駅への道を戻りはじめました。
駅舎内部の壁には、童謡「とんぼのめがね」の歌詞を記したパネルが飾られています。
歌詞は、作詞者である医師が往診で出かけた際に見た情景が、
そのモデルだともいわれています。
駅の窓口には年配の駅員が1人だけいて、待合室に人影は無く響がたった一人です。
本来の時刻表は、白い貼り紙で隠されていました。
その代わりにいまだに、とりあえずという臨時の時刻表が、
無造作に手書きをされたまま、なぜか小さく窓口に掲示してあります。
(帰ってくるんだろうか本当に。もとの町の住民たちは、こんな寂しい町へ・・・・)
帽子の水滴を振り払い、木製のベンチへ響が腰を下ろそうとした時です。
突然、木造の駅舎がきしみはじめ、窓ガラスがガタガタと激しく鳴りはじめました。
ベンチへ置いた手を通して、響の身体にも揺れが鮮明に伝わってきます。
窓口にいる駅員に「今、揺れましたか」と思わず響が、顔色を変えたまま尋ねています。
駅員がガラス越しに「うん。確かに揺れたみたいだねぇ・・・・」と、
笑いながら小さな声で答えてくれました。
「こんなのしょっちゅうだよ」と、さらに小さな声で続けています。
響が見上げている、今でもアナログ放送中のテレビの画面に、速報で、
茨城県沖を震源とする「震度2」という表示が出てきました。
「見かけない顔だが。どこから来たの、お嬢さん」
暇を持て余している駅員の方から、声がかかりました。
所在を失っていた響が、ベンチからよろこんで立ちあがり、窓口へと歩きます。
「午前中は石巻にいました。
帰りの足で、水戸線から乗り継ぎ、常磐線を使って、ようやくここまでやってきました。
原発の最前線の町で、役場の機能が戻ってきたという広野町の姿が見たくて
はるばると、やってきました」
「学生さんでは、なさそうだが・・・・物好きだね、あんたも。
ここは、日が暮れると物騒だ。
いや、それ以上に、見るものなんかは一切ないし、実に殺風景そのものだ。
海沿いのほとんどは、津波で流されちまって何にも無いうえに、
日が暮れたら、そこらじゅうが、真っ暗だ。
避難した連中も、ほとんどが此処には帰ってこない。
昼間は家の掃除や何かで帰ってきているみたいだが、
夜になると一目散に、みんな、避難先に帰っちまう」
駅員が、鼻にかかったメガネを押し上げながら笑っています。
「若いもんなら、なおさら、こんなところには帰ってこないさ。
年寄りなら先が無いから我慢もできるだろうが、
できれば子供たちは、安全な処で育てたいというのが、若い親たちの本音だ。
お嬢さんも、こんな処には長居は無用だ。
次がいわきへ戻る、最終だ。
また遊びにおいでと言いたいが、ここもそんなに簡単じゃない。
此処だけの話だが、原発の処理は、まだ20年から30年もかかるという。
だいいち、その処理技術を今から開発をするというくらいだから、実にのん気な話だ。
呆れ果てて、ものが言えん。
ははは、・・・・これは、内緒の話だよ。
ここでは、うっかり本音も言えない。
年寄りの戯言だと思って、聞き流してください」
「そんなに深刻なのですか、ここは」
響が窓口から、駅員をのぞき込みます。
年配の駅員が、メガネを外します。
丁寧にくもりをふいてから、ゆっくりとそれをまたかけ直しました。
「ここ広野の海岸には、屈強で知られたコンクリートの大きな防波堤があった。
三陸の方に有ると言う『万里の長城』ほどではないにしても、
それでも、そいつは、そこそこの大きさと高さを誇っていた、おらが町の自慢だった。
それがあの津波で、一瞬にして簡単に破壊されちまった。
平地に建てられていた家は土台だけを残して、すべてががれきになっちまった。
避難区域にも指定をされたために、いやおうなしにみんなが避難をしたが
それも一年も経つと、ごく当たり前の暮らしぶりがはじまる」
時計を確認した駅員が、響を手招きします。
「次の電車までは、まだ30分以上も有る。
お茶を入れてあげるから、改札口を回って、そこからこっちへ入っておいで」
ホームへ面した入口の扉を、指でさし示します。
「せっかく遠くまで来て、旅の土産話が
原発と壊滅した町並と、火力発電所だけでは、まったく味気がなかろうに。
本来ここは景色の良い、童謡の里として有名なところだ。
時間つぶしに、わしの話でも聞いていきなさい」
「そういえば、プラットホームには童謡『汽車』の碑が有ります。
ここの壁にも、『とんぼのめがね』のパネルがありますね。
へぇ~。広野はそう言う町だったんだ」
「風光明媚で、実に美しい海岸と、
日本の原風景みたいな里山の景色を併せ持った、とってもいい町だ。
もっとも、それは今から一年前までの話だが、ね・・・・」
言われた通りに改札口から回り込み、
事務室の中に入り込んだ響が、駅員がすすめてくれた椅子へ、軽く会釈をしてから
おどけてチョコンと座りました。
「はいどうぞ』と駅員が、そんな響きの前へ、湯気の上がる茶碗を差し出します。
そういえば忙しく列車ばかりの移動を繰り返し、久しく
水分さえ摂っていない自分がいることに、響がようやく気がつきました。
「ああ・・・・あったかくてホッとする。おじさん、美味しい!」
嬉しそうに、お茶をすする響を見て、招き入れた駅員もほほ笑んでいます。
それにしても暖かすぎるようだと、響が足元を見れば、小さな電気ストーブが
『お客様用』にと、ちゃんとすでに点けられていました。
『どうりで、あたたかいはずだ・・・』自分の身体の内部のどこかで、
ずっと張りつめていた気持ちが、このストーブの温かさのなかで、ようやく、
少しずつ緩みはじめてきました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
「無人の町・広野」
こまかく降りしきる雨の中、帽子を目深にかぶり列車を見送った響は、
吸い寄せられるようにプラットホームを北の端まで歩きます。
最北端に立った響が、言葉を失って思わずそこへ立ち尽くしてしまいました。
響の足元を通過してさらに北へと延びていく、あの日以来いまだに使われていないレールは、
鉄の色を失ったまま、真っ赤に錆びて大地に朽ち果てようとしています。
人影さえ隠すほどに伸びきった枯れ草の間を、等間隔の2本のレールが消えていきます。
(この先が、あの日以来の、立ち入り禁止区域ということだ・・・・)
枯れ草の中へ消えていった2本のレールの延長線上の彼方には、
天を突くようにして、赤と白に塗り分けられた巨大な煙突が威容を誇ってそびえています。
東京電力が広野町に所有をしている、広野火力発電所の煙突です。
海上に張り出すようにして建設されたこの広野火力発電所は、
福島第1原発からは、南に21キロメートルに位置しています。
さらに福島第2原発からは、9キロメートルというきわどい位置にあたり、
ともに首都圏へ電力を供給するためだけに造られたという、役割を果たしています。
「驚いた・・・・
でもあれは、福島原発の煙突でははなく、
同じ東電のが所有する火力発電所だ。
それにしても、煙突からあれだけの勢いで煙が出ているということは、
すでに復旧も済んで、首都圏へ電力を送るために、稼働をしているということになる。
第一原発をあの震災で失い、住んでいる人たちは放射能に追われ、
いまだに福島県は混乱を続けているままだというのに、あそこではもうこうして、
首都圏のためだけの電力を、全開で生産をしているんだ。
なんという不条理だ・・・・
私には、とても納得することができない光景だ。これは」
線路の北側にはレールと並行する形で、広野町の商店街が並んでいます。
しかし祝日の夕方だというのに、商店街のお店は、ほとんどがシャッターを下ろしたままです。
街灯のほとんどが消えたままで、すべてのものが日暮れの闇の中に沈み始めていました。
道を歩く人の姿はまったく見えず、巡回中のパトカーが時々商店街を行き会うだけで
それ以外に、動くものの気配はまったくと言っていいほど、見当たりません。
すぐに途切れてしまう商店街のはずれに、一軒だけ民家風の建物が見えました。
しかし玄関先にあるはずの照明もまた、そこも消えたままです。
「役場の機能が戻ってきて、避難している町民たちの
受け入れ準備がはじまったばかりだというのに、
夜になると、またここは、すっかりと元の無人の町にかわってしまうんだ。
人っ子ひとり、何処を見ても居るという気配がしないわ・・・・
なんとも言えない、寂しすぎる光景だなぁ」
響が歩き始めた商店街の通りには、近くに海が有るような気配が漂っていました。
潮の香りが、線路を越えた南の薄暗闇から流れてきます
その南側を見るために響が、前方に現れた常磐線のガードをくぐりました。
ガードを越えたその先も、あたりはやはり真っ暗な闇のままです。
しばらく目を凝らしていると、その先の50メートルあまりのところに、
ぽつりと、一軒の民家らしい建物が浮かび上がってきました。
遠くからのかすかな明かりを受けて、民家の白い壁がやがて不気味に光りはじめます。
ここにも、まったく人の気配はありません。
いくつか建ち残っている家屋も、その多くが、ほぼ崩壊寸前まで傷み具合が進んでいます。
時の流れとともに、徐々に崩壊をしていくだろうという気配が、
暗闇のすべての空間に実に濃厚に漂っています。
響の目の前に残っているわずかな建物と、広大な更地は、あの日、高さが
8mから9mにも及んだという激しい津波の痕跡と、破壊しつくされた集落の残骸でした。
街灯は一本として見当たりません。
小雨交じりの夕暮れの闇だけが、どこまでも果てしなくただ響の目の前に広がります。
その前方に有るはず思われる海岸も、ただ波音を響かせるだけで
その所在を確認することは出来ません。
足元に横たわるっている、朽ち始めたコンクリートの土台だけが、かつてここには
集落があったことを如実に示しています
かすかに湿り気を含んだ足元の砂が、響には泣いているように思えてなりません。
(明かりと呼べるものが、何一つない光景を、私は産まれて初めて此処で見た・・・・)
背筋を凍らせて、響が立ちすくんでいます。
あの日、震災に遭い、想定を遥かに超えた大津波に逃げまどったこの町は、
福島第一原発の放射能の飛散により、さらなる追撃を受けました。
かろうじて生き延びた被災から、ひと息をつく暇もなく、わずか数日の後に、
強制避難という政府の指示のもと、広野町は、すべてを放棄したまま、
あっというまに無人の町に変わりました。
あれから一年。
いまだ5000人を越える町人は、避難生活を強いられたままです。
役場へ職員が戻ってきたとはいうものの、それは日中だけに限られただけのことであり、
こうして日が暮れると、ここは再び無人の町に変わってしまいます。
降り続いていた小雨が、少しだけ小止みになってきました。
しかし、これ以上先へ行くのは危険だと判断をした響が、駅への道を戻りはじめました。
駅舎内部の壁には、童謡「とんぼのめがね」の歌詞を記したパネルが飾られています。
歌詞は、作詞者である医師が往診で出かけた際に見た情景が、
そのモデルだともいわれています。
駅の窓口には年配の駅員が1人だけいて、待合室に人影は無く響がたった一人です。
本来の時刻表は、白い貼り紙で隠されていました。
その代わりにいまだに、とりあえずという臨時の時刻表が、
無造作に手書きをされたまま、なぜか小さく窓口に掲示してあります。
(帰ってくるんだろうか本当に。もとの町の住民たちは、こんな寂しい町へ・・・・)
帽子の水滴を振り払い、木製のベンチへ響が腰を下ろそうとした時です。
突然、木造の駅舎がきしみはじめ、窓ガラスがガタガタと激しく鳴りはじめました。
ベンチへ置いた手を通して、響の身体にも揺れが鮮明に伝わってきます。
窓口にいる駅員に「今、揺れましたか」と思わず響が、顔色を変えたまま尋ねています。
駅員がガラス越しに「うん。確かに揺れたみたいだねぇ・・・・」と、
笑いながら小さな声で答えてくれました。
「こんなのしょっちゅうだよ」と、さらに小さな声で続けています。
響が見上げている、今でもアナログ放送中のテレビの画面に、速報で、
茨城県沖を震源とする「震度2」という表示が出てきました。
「見かけない顔だが。どこから来たの、お嬢さん」
暇を持て余している駅員の方から、声がかかりました。
所在を失っていた響が、ベンチからよろこんで立ちあがり、窓口へと歩きます。
「午前中は石巻にいました。
帰りの足で、水戸線から乗り継ぎ、常磐線を使って、ようやくここまでやってきました。
原発の最前線の町で、役場の機能が戻ってきたという広野町の姿が見たくて
はるばると、やってきました」
「学生さんでは、なさそうだが・・・・物好きだね、あんたも。
ここは、日が暮れると物騒だ。
いや、それ以上に、見るものなんかは一切ないし、実に殺風景そのものだ。
海沿いのほとんどは、津波で流されちまって何にも無いうえに、
日が暮れたら、そこらじゅうが、真っ暗だ。
避難した連中も、ほとんどが此処には帰ってこない。
昼間は家の掃除や何かで帰ってきているみたいだが、
夜になると一目散に、みんな、避難先に帰っちまう」
駅員が、鼻にかかったメガネを押し上げながら笑っています。
「若いもんなら、なおさら、こんなところには帰ってこないさ。
年寄りなら先が無いから我慢もできるだろうが、
できれば子供たちは、安全な処で育てたいというのが、若い親たちの本音だ。
お嬢さんも、こんな処には長居は無用だ。
次がいわきへ戻る、最終だ。
また遊びにおいでと言いたいが、ここもそんなに簡単じゃない。
此処だけの話だが、原発の処理は、まだ20年から30年もかかるという。
だいいち、その処理技術を今から開発をするというくらいだから、実にのん気な話だ。
呆れ果てて、ものが言えん。
ははは、・・・・これは、内緒の話だよ。
ここでは、うっかり本音も言えない。
年寄りの戯言だと思って、聞き流してください」
「そんなに深刻なのですか、ここは」
響が窓口から、駅員をのぞき込みます。
年配の駅員が、メガネを外します。
丁寧にくもりをふいてから、ゆっくりとそれをまたかけ直しました。
「ここ広野の海岸には、屈強で知られたコンクリートの大きな防波堤があった。
三陸の方に有ると言う『万里の長城』ほどではないにしても、
それでも、そいつは、そこそこの大きさと高さを誇っていた、おらが町の自慢だった。
それがあの津波で、一瞬にして簡単に破壊されちまった。
平地に建てられていた家は土台だけを残して、すべてががれきになっちまった。
避難区域にも指定をされたために、いやおうなしにみんなが避難をしたが
それも一年も経つと、ごく当たり前の暮らしぶりがはじまる」
時計を確認した駅員が、響を手招きします。
「次の電車までは、まだ30分以上も有る。
お茶を入れてあげるから、改札口を回って、そこからこっちへ入っておいで」
ホームへ面した入口の扉を、指でさし示します。
「せっかく遠くまで来て、旅の土産話が
原発と壊滅した町並と、火力発電所だけでは、まったく味気がなかろうに。
本来ここは景色の良い、童謡の里として有名なところだ。
時間つぶしに、わしの話でも聞いていきなさい」
「そういえば、プラットホームには童謡『汽車』の碑が有ります。
ここの壁にも、『とんぼのめがね』のパネルがありますね。
へぇ~。広野はそう言う町だったんだ」
「風光明媚で、実に美しい海岸と、
日本の原風景みたいな里山の景色を併せ持った、とってもいい町だ。
もっとも、それは今から一年前までの話だが、ね・・・・」
言われた通りに改札口から回り込み、
事務室の中に入り込んだ響が、駅員がすすめてくれた椅子へ、軽く会釈をしてから
おどけてチョコンと座りました。
「はいどうぞ』と駅員が、そんな響きの前へ、湯気の上がる茶碗を差し出します。
そういえば忙しく列車ばかりの移動を繰り返し、久しく
水分さえ摂っていない自分がいることに、響がようやく気がつきました。
「ああ・・・・あったかくてホッとする。おじさん、美味しい!」
嬉しそうに、お茶をすする響を見て、招き入れた駅員もほほ笑んでいます。
それにしても暖かすぎるようだと、響が足元を見れば、小さな電気ストーブが
『お客様用』にと、ちゃんとすでに点けられていました。
『どうりで、あたたかいはずだ・・・』自分の身体の内部のどこかで、
ずっと張りつめていた気持ちが、このストーブの温かさのなかで、ようやく、
少しずつ緩みはじめてきました。
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