からっ風と、繭の郷の子守唄(9)
「最速タイムと、採りたての高原トウモロコシ」
18世紀中頃までの赤城山の森林状況は、自然を生かしたままの大自然というのが定説です。
一度として植林をされた経緯はなく、低地から中腹部へと至る緩斜面には一面に青草などが生え、
秣場(まぐさば)として、長い間にわたって重宝がられてきました。
秣場とは、秣(まぐさ)を刈り取るための草地のことを指し、この地域一帯に住む農民たちが
共同で使用した草刈り場のことで、主に農耕用の牛や馬の飼料とされてきました。
植林事業が始まったのは、江戸時代の後期からです。
本格化したのは明治維新の間際からで、一部の樹林地帯において従来の天然林を主体としながらの
あたらしい森林作りが、ようやくその軌道に乗り始めました。
それらの取り組みの結果、、コナラやクリ、ミズキといった昔からの広葉樹林帯の間に、
マツをはじめとする、スギやヒノキなどの針葉樹がまばらに混生するという、
今日に見ることができる、赤城山独特の森林状況が生みだされました。
旧料金所のクランクしたカーブを抜けた直後に、進行方向の右側へは
いまだ手つかずのままに残されている、広大な秣場(まぐさば)が一面に広がってきます。
反対側の斜面にはそれとはまったく対照的に、どこまでも手入れが行き届いたクロマツの林が
整然と続き、左右が非対称を織り成すというこの不思議な光景の中を、道路だけが
どこまでも一直線に、まっすぎに伸びていきます。
本格的な上り勾配へ突入した赤城の登山道路は、ここから一番カーブと呼ばれている
最初のカーブまでの約四キロの、最長をほこるストレートへと突入します。
康平が、「行くよ」と一声かけて貞園を振り返ります。
気配を察した貞園が生唾をひとつ飲んだあと、覚悟を決めて、腰へ回した両腕に
力を込めて抱きつくと、そのまま身体を康平の背中へ預けてひとつの態勢に変わります。
アクセルが全開にされたその瞬間に、康平のスクータは、今まで溜め込んでいた力をいっぺんに
解き放ち、軽く後輪をきしませたあと、弾かれたような勢いでアスファルトを蹴り始めます。
登り傾斜を物ともしないスーパースクーターの猛烈な加速ぶりは、せっかく康平の背中へ
力をこめて張り付いた貞園を、後方へ引き剥がそうとするほど強烈です。
ふたたび全身に力を込めた貞園が、ぴたりと康平の背中へ張り付いて、ヘルメットをかぶった
頭の位置も低くして、あらためて小さな塊と化して康平の影へ隠れてしまいます。
ゆるやかに右への曲がりを見せながら、さらに前方に向かって果てしなく登り続けていく
この直線を、康平の操るスーパースクーターは、ひと時も緩むことなく、開けられたアクセルに
最大限に応えながら、さらなる加速を続けていきます。
前方で登攀中の乗用車に追いついてしまった康平は、ためらいも見せずに反対車線へふくらむと、
一気に乗用車を抜き去り、そのままセンターラインに沿いながら、さらなる加速をはじめます。
赤城の登山道路は、標高がおよそ700メートルを超えたこのあたりから、
山頂付近にある最高到達地点まで、75個のカーブがそれぞれに点在をします。
その最初にあたる第一カーブまでの4キロあまりの上りの直線を、二人乗りのままの康平は、
わずか、2分足らずで駆けぬけてしまいます。
「わあぁ、凄いぃ・・・・でも、とっても、気持ちが良い~」
加速と共に後部座席からは、柔らかい自分の胸が潰れてしまうほど貞園が密着をしてきます。
背後から巻きついてくる貞園の両腕からは、ひと休みをすることなく、また新しい力が加わってきました。
最大速度が100キロを越えても高性能を誇るスパースクーターは、微塵も左右へ揺るぎません。
ひたすら安定したまま、全開で全速力の突進を続けます。
赤城の道路で最大距離をほこるストレートの終点は、あっけないほど簡単にやってきます。
小気味よく効くブレーキで減速を繰り返した後、遠心力に逆らって内側へ軽く傾けられた車体は、
標高820メートルにある第一カーブを苦もなく楽々とクリアをしてから、
さらにここから始まる、カーブの区間へと突入をしていきます。
標高820mから本格的に始まるこのカーブの区間は、
右と左へのゆるやかな旋回を交互に繰り返しながら、手つかずの自然林の中で徐々に
その高度を上へとあげて行きます。
全山に広がる広葉樹林の中には、リョウブやコナラ、カエデ、シャラといった
生え抜きの木々たちに混じって、赤城山の代名詞でもある山ツツジの低い木がひときわ目立ちます。
赤城山は、山ツツジの名所としても知られています。
関東でも屈指のツツジの名所として知られる赤城山では、 全山で、5月の上旬から
7月上旬までの間に、14種類、約50万株のツツジが咲き競うといわれています。
特にこの道路の最高到達点にある白樺牧場では、群馬県の県花でもある
レンゲツツジの大群落を、一望のもとに大パノラマとして眺めることが出来る景勝地です。
レンゲツツジは高さ1~2mの木に、ラッパの形をした朱紅色の大ぶりな花を密集して咲かせます。
約10万株といわれている群落が、6月の上旬~下旬にかけて白樺牧場を燃えるような
オレンジ色の一色に、見事に染め上げます。
この時期になるとこの一帯の景観を楽しむための見物客で、道路は常に渋滞をするようです。
登りも下りも車が停止したまま、一日中動かないと言う状況さえも、最盛期には生まれています。
県営による白樺牧場は、このレンゲツツジの大群生を守る目的のためにのみ、
あえて作られたという牧場です。
放牧をされている牛たちは、木の全体に毒がある、このレンゲツツジは食べません。
白樺牧場の牛たちが、毎日朝から夕方までツツジの周囲の草を食べては、
肥料を撒くという仕事を行っているおかげで、この地での見事なツツジの群生が保たれているのです。
ついでに言えば、レンゲツツジに限らず、ツツジ科にはいくつかの有毒な品種がありますので、
花をつまんで蜜を吸ったりする遊びはやめておいたほうが、無難だといわれています。
カーブの区間に入ってからさらに、3キロ余り。
ここまで登り続けてきた登山道路が、一時的に平たん部分にさしかかります。
今まで延々と坂道を走り続けてきたために、この平たん部分へさしかかった瞬間に多くのものが
思わず下りに入ったと、錯覚を起こしてしまうから不思議です。
この短い平たん部分が、大きく右へ旋回をしながら再び山頂へ向かって登りを見せる手前に
標高1017mの地に位置する箕輪・姫百合の駐車場が、道路の右側に出現します。
市街地からはここまでで、15.1キロです。
この先に待ち構えている最大の難所を前にして、康平のスーパースクーターが速度を緩めます。
駐車場の南端にある焼きトウモロコシの屋台に向かって、徐行で進みます。
「お待ちどう、貞園。
赤城山の峠の名物、初夏の焼きトウモロコシの売店に、ようやく到着をしました。
腹一杯おごりますから、こころいくまで何本でもたいらげてくれ」
「こら。康平。
暴走をするなと、あれほど店長に言われていたくせに、いったい何キロまで出せば気が済むのさ。
おかげで私の自慢のワインが、もう半分以上も、こぼれちゃったわよ・・・
ん、もう。まったく。責任とってよね!」
「ごめん、ごめん。
軽く慣らし運転のつもりだったが、久々の登りなもので、
いつのまにか、ついついむきになっちまった。
でも赤城山の登りは、此処から先が本当の意味での本番だ。
ここから標高差にして400m。
距離にして約7キロの区間が、赤城道路の最大の難所になる」
「じゃあ、ここはこれから本番の、いくさの前の腹ごしらえと言う訳だわね。
よし。こぼれたワインも注ぎ足して、その自慢の焼きトウモロコシとやらを堪能しましょう。
最大の難関を前にまずは、気力と体力を充実させましょう・・・・
いまでも、十分に暴走運転の康平くんの、お・ご・り・で」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
「最速タイムと、採りたての高原トウモロコシ」
18世紀中頃までの赤城山の森林状況は、自然を生かしたままの大自然というのが定説です。
一度として植林をされた経緯はなく、低地から中腹部へと至る緩斜面には一面に青草などが生え、
秣場(まぐさば)として、長い間にわたって重宝がられてきました。
秣場とは、秣(まぐさ)を刈り取るための草地のことを指し、この地域一帯に住む農民たちが
共同で使用した草刈り場のことで、主に農耕用の牛や馬の飼料とされてきました。
植林事業が始まったのは、江戸時代の後期からです。
本格化したのは明治維新の間際からで、一部の樹林地帯において従来の天然林を主体としながらの
あたらしい森林作りが、ようやくその軌道に乗り始めました。
それらの取り組みの結果、、コナラやクリ、ミズキといった昔からの広葉樹林帯の間に、
マツをはじめとする、スギやヒノキなどの針葉樹がまばらに混生するという、
今日に見ることができる、赤城山独特の森林状況が生みだされました。
旧料金所のクランクしたカーブを抜けた直後に、進行方向の右側へは
いまだ手つかずのままに残されている、広大な秣場(まぐさば)が一面に広がってきます。
反対側の斜面にはそれとはまったく対照的に、どこまでも手入れが行き届いたクロマツの林が
整然と続き、左右が非対称を織り成すというこの不思議な光景の中を、道路だけが
どこまでも一直線に、まっすぎに伸びていきます。
本格的な上り勾配へ突入した赤城の登山道路は、ここから一番カーブと呼ばれている
最初のカーブまでの約四キロの、最長をほこるストレートへと突入します。
康平が、「行くよ」と一声かけて貞園を振り返ります。
気配を察した貞園が生唾をひとつ飲んだあと、覚悟を決めて、腰へ回した両腕に
力を込めて抱きつくと、そのまま身体を康平の背中へ預けてひとつの態勢に変わります。
アクセルが全開にされたその瞬間に、康平のスクータは、今まで溜め込んでいた力をいっぺんに
解き放ち、軽く後輪をきしませたあと、弾かれたような勢いでアスファルトを蹴り始めます。
登り傾斜を物ともしないスーパースクーターの猛烈な加速ぶりは、せっかく康平の背中へ
力をこめて張り付いた貞園を、後方へ引き剥がそうとするほど強烈です。
ふたたび全身に力を込めた貞園が、ぴたりと康平の背中へ張り付いて、ヘルメットをかぶった
頭の位置も低くして、あらためて小さな塊と化して康平の影へ隠れてしまいます。
ゆるやかに右への曲がりを見せながら、さらに前方に向かって果てしなく登り続けていく
この直線を、康平の操るスーパースクーターは、ひと時も緩むことなく、開けられたアクセルに
最大限に応えながら、さらなる加速を続けていきます。
前方で登攀中の乗用車に追いついてしまった康平は、ためらいも見せずに反対車線へふくらむと、
一気に乗用車を抜き去り、そのままセンターラインに沿いながら、さらなる加速をはじめます。
赤城の登山道路は、標高がおよそ700メートルを超えたこのあたりから、
山頂付近にある最高到達地点まで、75個のカーブがそれぞれに点在をします。
その最初にあたる第一カーブまでの4キロあまりの上りの直線を、二人乗りのままの康平は、
わずか、2分足らずで駆けぬけてしまいます。
「わあぁ、凄いぃ・・・・でも、とっても、気持ちが良い~」
加速と共に後部座席からは、柔らかい自分の胸が潰れてしまうほど貞園が密着をしてきます。
背後から巻きついてくる貞園の両腕からは、ひと休みをすることなく、また新しい力が加わってきました。
最大速度が100キロを越えても高性能を誇るスパースクーターは、微塵も左右へ揺るぎません。
ひたすら安定したまま、全開で全速力の突進を続けます。
赤城の道路で最大距離をほこるストレートの終点は、あっけないほど簡単にやってきます。
小気味よく効くブレーキで減速を繰り返した後、遠心力に逆らって内側へ軽く傾けられた車体は、
標高820メートルにある第一カーブを苦もなく楽々とクリアをしてから、
さらにここから始まる、カーブの区間へと突入をしていきます。
標高820mから本格的に始まるこのカーブの区間は、
右と左へのゆるやかな旋回を交互に繰り返しながら、手つかずの自然林の中で徐々に
その高度を上へとあげて行きます。
全山に広がる広葉樹林の中には、リョウブやコナラ、カエデ、シャラといった
生え抜きの木々たちに混じって、赤城山の代名詞でもある山ツツジの低い木がひときわ目立ちます。
赤城山は、山ツツジの名所としても知られています。
関東でも屈指のツツジの名所として知られる赤城山では、 全山で、5月の上旬から
7月上旬までの間に、14種類、約50万株のツツジが咲き競うといわれています。
特にこの道路の最高到達点にある白樺牧場では、群馬県の県花でもある
レンゲツツジの大群落を、一望のもとに大パノラマとして眺めることが出来る景勝地です。
レンゲツツジは高さ1~2mの木に、ラッパの形をした朱紅色の大ぶりな花を密集して咲かせます。
約10万株といわれている群落が、6月の上旬~下旬にかけて白樺牧場を燃えるような
オレンジ色の一色に、見事に染め上げます。
この時期になるとこの一帯の景観を楽しむための見物客で、道路は常に渋滞をするようです。
登りも下りも車が停止したまま、一日中動かないと言う状況さえも、最盛期には生まれています。
県営による白樺牧場は、このレンゲツツジの大群生を守る目的のためにのみ、
あえて作られたという牧場です。
放牧をされている牛たちは、木の全体に毒がある、このレンゲツツジは食べません。
白樺牧場の牛たちが、毎日朝から夕方までツツジの周囲の草を食べては、
肥料を撒くという仕事を行っているおかげで、この地での見事なツツジの群生が保たれているのです。
ついでに言えば、レンゲツツジに限らず、ツツジ科にはいくつかの有毒な品種がありますので、
花をつまんで蜜を吸ったりする遊びはやめておいたほうが、無難だといわれています。
カーブの区間に入ってからさらに、3キロ余り。
ここまで登り続けてきた登山道路が、一時的に平たん部分にさしかかります。
今まで延々と坂道を走り続けてきたために、この平たん部分へさしかかった瞬間に多くのものが
思わず下りに入ったと、錯覚を起こしてしまうから不思議です。
この短い平たん部分が、大きく右へ旋回をしながら再び山頂へ向かって登りを見せる手前に
標高1017mの地に位置する箕輪・姫百合の駐車場が、道路の右側に出現します。
市街地からはここまでで、15.1キロです。
この先に待ち構えている最大の難所を前にして、康平のスーパースクーターが速度を緩めます。
駐車場の南端にある焼きトウモロコシの屋台に向かって、徐行で進みます。
「お待ちどう、貞園。
赤城山の峠の名物、初夏の焼きトウモロコシの売店に、ようやく到着をしました。
腹一杯おごりますから、こころいくまで何本でもたいらげてくれ」
「こら。康平。
暴走をするなと、あれほど店長に言われていたくせに、いったい何キロまで出せば気が済むのさ。
おかげで私の自慢のワインが、もう半分以上も、こぼれちゃったわよ・・・
ん、もう。まったく。責任とってよね!」
「ごめん、ごめん。
軽く慣らし運転のつもりだったが、久々の登りなもので、
いつのまにか、ついついむきになっちまった。
でも赤城山の登りは、此処から先が本当の意味での本番だ。
ここから標高差にして400m。
距離にして約7キロの区間が、赤城道路の最大の難所になる」
「じゃあ、ここはこれから本番の、いくさの前の腹ごしらえと言う訳だわね。
よし。こぼれたワインも注ぎ足して、その自慢の焼きトウモロコシとやらを堪能しましょう。
最大の難関を前にまずは、気力と体力を充実させましょう・・・・
いまでも、十分に暴走運転の康平くんの、お・ご・り・で」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/