落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(9)

2013-06-25 10:56:56 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(9)
「最速タイムと、採りたての高原トウモロコシ」




 18世紀中頃までの赤城山の森林状況は、自然を生かしたままの大自然というのが定説です。
一度として植林をされた経緯はなく、低地から中腹部へと至る緩斜面には一面に青草などが生え、
秣場(まぐさば)として、長い間にわたって重宝がられてきました。
秣場とは、秣(まぐさ)を刈り取るための草地のことを指し、この地域一帯に住む農民たちが
共同で使用した草刈り場のことで、主に農耕用の牛や馬の飼料とされてきました。


 植林事業が始まったのは、江戸時代の後期からです。
本格化したのは明治維新の間際からで、一部の樹林地帯において従来の天然林を主体としながらの
あたらしい森林作りが、ようやくその軌道に乗り始めました。
それらの取り組みの結果、、コナラやクリ、ミズキといった昔からの広葉樹林帯の間に、
マツをはじめとする、スギやヒノキなどの針葉樹がまばらに混生するという、
今日に見ることができる、赤城山独特の森林状況が生みだされました。



 旧料金所のクランクしたカーブを抜けた直後に、進行方向の右側へは
いまだ手つかずのままに残されている、広大な秣場(まぐさば)が一面に広がってきます。
反対側の斜面にはそれとはまったく対照的に、どこまでも手入れが行き届いたクロマツの林が
整然と続き、左右が非対称を織り成すというこの不思議な光景の中を、道路だけが
どこまでも一直線に、まっすぎに伸びていきます。


 本格的な上り勾配へ突入した赤城の登山道路は、ここから一番カーブと呼ばれている
最初のカーブまでの約四キロの、最長をほこるストレートへと突入します。
康平が、「行くよ」と一声かけて貞園を振り返ります。
気配を察した貞園が生唾をひとつ飲んだあと、覚悟を決めて、腰へ回した両腕に
力を込めて抱きつくと、そのまま身体を康平の背中へ預けてひとつの態勢に変わります。



 アクセルが全開にされたその瞬間に、康平のスクータは、今まで溜め込んでいた力をいっぺんに
解き放ち、軽く後輪をきしませたあと、弾かれたような勢いでアスファルトを蹴り始めます。
登り傾斜を物ともしないスーパースクーターの猛烈な加速ぶりは、せっかく康平の背中へ
力をこめて張り付いた貞園を、後方へ引き剥がそうとするほど強烈です。
ふたたび全身に力を込めた貞園が、ぴたりと康平の背中へ張り付いて、ヘルメットをかぶった
頭の位置も低くして、あらためて小さな塊と化して康平の影へ隠れてしまいます。

 ゆるやかに右への曲がりを見せながら、さらに前方に向かって果てしなく登り続けていく
この直線を、康平の操るスーパースクーターは、ひと時も緩むことなく、開けられたアクセルに
最大限に応えながら、さらなる加速を続けていきます。
前方で登攀中の乗用車に追いついてしまった康平は、ためらいも見せずに反対車線へふくらむと、
一気に乗用車を抜き去り、そのままセンターラインに沿いながら、さらなる加速をはじめます。



 赤城の登山道路は、標高がおよそ700メートルを超えたこのあたりから、
山頂付近にある最高到達地点まで、75個のカーブがそれぞれに点在をします。
その最初にあたる第一カーブまでの4キロあまりの上りの直線を、二人乗りのままの康平は、
わずか、2分足らずで駆けぬけてしまいます。


 「わあぁ、凄いぃ・・・・でも、とっても、気持ちが良い~」



 加速と共に後部座席からは、柔らかい自分の胸が潰れてしまうほど貞園が密着をしてきます。
背後から巻きついてくる貞園の両腕からは、ひと休みをすることなく、また新しい力が加わってきました。
最大速度が100キロを越えても高性能を誇るスパースクーターは、微塵も左右へ揺るぎません。
ひたすら安定したまま、全開で全速力の突進を続けます。
赤城の道路で最大距離をほこるストレートの終点は、あっけないほど簡単にやってきます。
小気味よく効くブレーキで減速を繰り返した後、遠心力に逆らって内側へ軽く傾けられた車体は、
標高820メートルにある第一カーブを苦もなく楽々とクリアをしてから、
さらにここから始まる、カーブの区間へと突入をしていきます。


 標高820mから本格的に始まるこのカーブの区間は、
右と左へのゆるやかな旋回を交互に繰り返しながら、手つかずの自然林の中で徐々に
その高度を上へとあげて行きます。
全山に広がる広葉樹林の中には、リョウブやコナラ、カエデ、シャラといった
生え抜きの木々たちに混じって、赤城山の代名詞でもある山ツツジの低い木がひときわ目立ちます。
赤城山は、山ツツジの名所としても知られています。
関東でも屈指のツツジの名所として知られる赤城山では、 全山で、5月の上旬から
7月上旬までの間に、14種類、約50万株のツツジが咲き競うといわれています。



 特にこの道路の最高到達点にある白樺牧場では、群馬県の県花でもある
レンゲツツジの大群落を、一望のもとに大パノラマとして眺めることが出来る景勝地です。
レンゲツツジは高さ1~2mの木に、ラッパの形をした朱紅色の大ぶりな花を密集して咲かせます。
約10万株といわれている群落が、6月の上旬~下旬にかけて白樺牧場を燃えるような
オレンジ色の一色に、見事に染め上げます。
この時期になるとこの一帯の景観を楽しむための見物客で、道路は常に渋滞をするようです。
登りも下りも車が停止したまま、一日中動かないと言う状況さえも、最盛期には生まれています。



 県営による白樺牧場は、このレンゲツツジの大群生を守る目的のためにのみ、
あえて作られたという牧場です。
放牧をされている牛たちは、木の全体に毒がある、このレンゲツツジは食べません。
白樺牧場の牛たちが、毎日朝から夕方までツツジの周囲の草を食べては、
肥料を撒くという仕事を行っているおかげで、この地での見事なツツジの群生が保たれているのです。
ついでに言えば、レンゲツツジに限らず、ツツジ科にはいくつかの有毒な品種がありますので、
花をつまんで蜜を吸ったりする遊びはやめておいたほうが、無難だといわれています。


 カーブの区間に入ってからさらに、3キロ余り。
ここまで登り続けてきた登山道路が、一時的に平たん部分にさしかかります。
今まで延々と坂道を走り続けてきたために、この平たん部分へさしかかった瞬間に多くのものが
思わず下りに入ったと、錯覚を起こしてしまうから不思議です。
この短い平たん部分が、大きく右へ旋回をしながら再び山頂へ向かって登りを見せる手前に
標高1017mの地に位置する箕輪・姫百合の駐車場が、道路の右側に出現します。
市街地からはここまでで、15.1キロです。
この先に待ち構えている最大の難所を前にして、康平のスーパースクーターが速度を緩めます。
駐車場の南端にある焼きトウモロコシの屋台に向かって、徐行で進みます。



 「お待ちどう、貞園。
 赤城山の峠の名物、初夏の焼きトウモロコシの売店に、ようやく到着をしました。
 腹一杯おごりますから、こころいくまで何本でもたいらげてくれ」


 「こら。康平。
 暴走をするなと、あれほど店長に言われていたくせに、いったい何キロまで出せば気が済むのさ。
 おかげで私の自慢のワインが、もう半分以上も、こぼれちゃったわよ・・・
 ん、もう。まったく。責任とってよね!」



 「ごめん、ごめん。
 軽く慣らし運転のつもりだったが、久々の登りなもので、
 いつのまにか、ついついむきになっちまった。
 でも赤城山の登りは、此処から先が本当の意味での本番だ。
 ここから標高差にして400m。
 距離にして約7キロの区間が、赤城道路の最大の難所になる」


 「じゃあ、ここはこれから本番の、いくさの前の腹ごしらえと言う訳だわね。
 よし。こぼれたワインも注ぎ足して、その自慢の焼きトウモロコシとやらを堪能しましょう。
 最大の難関を前にまずは、気力と体力を充実させましょう・・・・
 いまでも、十分に暴走運転の康平くんの、お・ご・り・で」





・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

からっ風と、繭の郷の子守唄(8)

2013-06-24 10:36:49 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(8)
「暴走族の聖地に漂う、焼きトウモロコシの香り」





 康平が言う通り、市街地を抜けた県道4号線は、
水田地帯が続く郊外の平坦地を、あっというまに通り過ぎてしまいます。
前方にある交差点の先からは、勾配ぶりがはっきりと確認できる坂道が見えてきました。


 ここから始まる赤城山への長い一本道の登りは、このあたりの標高100メートルから
1400mにある最高到達地点に向かって一度も緩むことなく、22キロ余りにわたって、
ひたすら山肌に沿って駆け登ります。
運転モードがDから、スポーティな動きを見せるSに切リ変わった瞬間から、
康平のスパースクーターは、小気味良いエンジン音を響かせつつ、たっぷりの余裕を残しながら
最初の急坂を、二人を乗せたまま苦もなく駆けのぼっていきます。


 山頂湖にある赤城神社の象徴として、道路を跨ぐ大鳥居をくぐると
道路の周囲の様子が、目に見えて変化を遂げ始めます。
ここまで点在をしてきた民家や商家の姿が消え、遠くの斜面に見え隠れしていた農家の姿も
登るにつれて、視界から消えて行きます。
周囲と前方に現れてくるのは、どこまでも広大に続いていく、うっそうとした牧草地だけです。
はるか遠くに、赤い屋根の畜舎が見えるだけで道の左右は、ただ一面の緑の海に変わってしまいます。



 貞園が、またコンコンと康平のヘルメットを叩いています。


 「あら、インカムでお話が出来るんだから、ヘルメットの合図は必要がなかったかしら。
 ねぇねぇ、景色がいっぺんに変わってしまったわ。
 農地も見えなくなってしまったし、周囲が牧草ばかりに変わってきたわ。
 作物が簡単に育たないほどの高地にまで、私たちが登ってきたという意味なのかしら」


 「標高はまだ、この辺りでやっと350mを越えたくらいだから、
 農産物が育たないという環境ではないさ。
 問題は水だ。斜面ばかりのこのあたりに水源は無いし、川なども一切流れていない。
 放っておいても育つのは、牧草かトウモロコシ、後は特産のコンニャクぐらいだろう。
 へぇえ。農産事情に気がつくとは、田舎暮らしの経験でもあるの?貞園は」


 「図星です。
 どうせ私は、台湾の田舎で育った、そのへんの農家の長女娘です。
 悪かったわねぇ、田舎で採れた安っぽいワインで。
 余計なことを聞くんじゃなかったわ。馬脚を表すというのかしら、こう言う場合・・・・
 傷つくなぁ~、乙女の清純すぎるこの胸が」



 こうした光景が広がり始めるのは、南北に坂道を登っていくこの県道4号線に対して、
赤城山の中腹部を東西に走り抜けていく国道353号(別名・風街道)が交差をする
「畜産試験場」前の交差点の少し手前の周辺からです。
ここまでで、市街地からは6キロ余り、標高は350mの地点にあたります。
道路の周辺には、文字通り北海道のような広大な草原が広がっているだけの光景となり、
やがて一角に、乗馬の体験などができる「群馬県馬事公苑」なども現れてきます。


 ほとんど直線ばかりが続いてきた坂道が、一度だけ大きく右へカ―ブをします。
馬事公苑を迂回するように大きく回り込んだあと、態勢を整えた道路は、
ふたたび山頂へ向かって、真北へと進路を向け直します。
この辺りから左右の雰囲気が一気に変わり、土産物屋や蕎麦やうどんをはじめとする
食事処と観光施設が続けて軒を連ねて登場をしてきます。



「富士見地区グルメ街道」とも呼ばれているこの中腹部は、
今が旬の焼きトウモロコシの売店をはじめ、本格的な手打ちスタイルの蕎麦屋やうどん店などが
味を競って、いくつも立ち並んでいる休憩の名所です。


 「康平。今通り過ぎたところで、焼きトウモロコシの香ばしい匂いがしていたよ。
 それにこのあたりだけ、一転して、食事のための施設が豪華に立ち並らんでいるみたい。
 緑の斜面の真ん中で、ここだけは、なにやらたくさんの観光客たちを足止めしそうな、
 そんな、やる気に満ちた雰囲気も漂っているわ。
 山の中でもずいぶんと賑やかなのねぇ。グルメ街道はどこまで続くのかしら」


 「この直線に沿った2キロあまりが、最後といえる人家の密集地帯だ。
 この先に、昔の有料道路の料金所跡があるが、そこが昔からの、人と自然の境界線だ。
 そこから上は、自然保護地区に指定されているから、
 今でもまったく手つかずのままの、赤城の大自然がそっくりそのまま残っている。
 赤城山の登り坂のハイライトは、実は、そのあたりから始まる」


 「あら・・・・そうすると、私の焼きトウモロコシは一体どうなっちゃうの?」



 「安心しろ。
 坂道が最大の難所を迎える少し手前に、大型車両も休める黒姫と呼ばれる駐車場が有る。
 その一角に、地元の人が毎年、焼きトウモロコシの屋台を出している。
 そこは、標高も1000mを越えた高地だ。
 そこまで一気に走ってから、君のためにそこで、たっぷりと休憩をしょう」



 嬉しいと答える言葉の代わりに、貞園が康平の腰にまわした両手に思い切り力を込めます。
康平が軽くアクセルを開けると、それまで静かに巡航速度を保っていたビッグスクーターは、
こころえたとばかりに豪快にアスファルトを蹴り、一気に弾みのついた加速を見せ始めます。
両サイドの景色が線となって流れ、心地よい風圧が前方から押し寄せてくる頃には、
再び建物の姿が消えて、また別の風景が目の前に広がってきます。
道路の左側に設置された「昭和の森」がクロマツ林の壮大な広がりを見せはじめてくると、
道の左右からは人工物が一切消え、すべてが緑一色の景観に変わります。


 「ねえ康平。何気に『昭和の森』って書いてあるけど、
 なにか特別な言われでも、あるのかなぁ・・・・」


 「昭和26年に、戦後の荒廃した国土に緑を取り戻そうと、
 全国から約2000人が集まり、昭和天皇も参加をして、第2回目の植樹行事・国土緑化大会が
 ここで開催されたそうだ。
 平成の大合併で前橋市に編入されたことから、今後は、市民が集える憩いの森として
 ここは、保全されていくことになる」


 「ふぅ・・・ん。なるほど、ね」


 妙に鼻にかかった貞園の長いため息が、いつまでの康平の耳にまとわりつきます。
市街地からは積算で8.9キロメートル。標高が545メートルを越えると、
赤城山観光案内所(旧有料道路料金所跡)が直線道路の突き当たりに、忽然として登場します。
そこを左折して大きなクランク状のカーブを抜けると、道路は自然林の中を
一気に突き進むコースへ、急激に変貌を遂げます。


 「貞園。此処から先が、一切手の加わっていない赤城山の大自然だぜ」



 県土の約3分の2を森林が占めている群馬県は、貯水力のある森が多いことから
「首都圏の水がめ」とも呼ばれています。
県のほぼ中央に位置している赤城山では、江戸時代末期に山の南山麓を中心に
「クロマツ」の植林事業などが、ひんぱんに行われるようになりました。
また戦後になると、戦災による復興のために大量の材木が必要とされ、そうした不足を補うために
ふたたび、松をはじめとする針葉樹が大量に植林をされてきた経緯があります。
県の木に「クロマツ」が選ばれるほど、赤城山では松が親しまれ大切に育てられてきました。
しかし、広大な赤城山の全域から見れば、それらの植林はほんの一部にしかすぎません。





・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

からっ風と、繭の郷の子守唄(7)

2013-06-23 11:31:42 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(7)
「ヘルメットに仕込まれたインカムと、もと最強の暴走族」




 「なるほど・・・・こいつは、いつもの店長の悪戯だな。
 純正のオーディオ機器に細工を加えて、会話用のインカムをヘルメットに組み入れたのか。
 待て待て、少し音量の調節をしてみるから。
 どうだ、このくらいの音量なら。会話も聴きやすくなっただろう。
 それにしても、お前
 絹を裂くようなあの甲高い奇声は、一体何だ。
 凄まじい絶叫のせいで、思わず俺の心臓が停りそうになっちまった。
 まったくもって、危ないところで命拾いをした・・・・」


 「それは、わたしのセリフです。
 初めて聞く男の悲鳴で、耳の鼓膜が破れるかと、本気で思ったもの。
 ねぇ、それにしてもヘルメットをかぶったまま会話できるなんて、便利だわねこのシステム。
 何がどうなっているのかしら・・・・」


 「最近のビッグスクーターには、4輪車なみの居住性が求められているそうだ。
 オーディオ機器はもちろん、大型のナビや、液晶テレビまで組み込まれている車種まで有るそうだ。
 新しい物がすこぶる大好きな、あの店長のことだ。
 またあちこちと細工して、会話が出来るようなシステムに仕上げたんだろう」


 「と言う事は、私たちはこうして、ヘルメットを被ったままで、
 周囲からはまったく気づかれることも無く、愛をささやくことができるという仕組みになるのね。
 お天とうさまがさんさんと輝いている、こんな真っ昼間からでもアイラブユーが言えるのか・・・・
 そうとわかれば、康平の耳はすっかりわたしの、独り占めだ」


 「君が望むなら、それも可能さ。
 それよりなんだい、さっきは。俺に何かを聞きたかったようだが」



 「ああ・・・それそれ。肝心なことを忘れていたわ。
 さっきから沢山見えている看板の、『ひがしのくにの文化と歴史の街道』って、どこの道のこと?。
 気にはなるんだけど、道路マップでも見たことは無いし、まったく初めて聞く
 あたらしい名前です」


 「あれは、東国文化歴史街道(とうごくぶんかれきしかいどう)と読むんだよ。
 そういう名前の、特別の街道が存在をしているワケじゃない。
 群馬県内に点在をしている歴史的な名所や史跡、遺跡などへ通じていく
 たくさんの連絡道路群たちの総称だ。
 国道17号や国道122号、国道353号、国道354号などの主な観光道路へそれぞれ
 接続をしていく、間道や枝道などのことを指している。
 東国と言うのは、関東から発祥をした源氏の武士たちのことを意味している。
 江戸幕府を作った徳川家の発祥地は、新田義貞を生んだ群馬県東部の
 新田の荘(にったのしょう)の一部にあるし、
 足利幕府を興した足利氏は、新田の荘と川一つ隔てた対岸の栃木県足利市だ。
 また、その昔に京に都をおいていた朝廷たちは、関東以北の東北地方を制圧するために、
 極めて大きな軍事拠点と交易のための街道を、関東平野に設置した。
 関東や東北への軍事支配のための巨大な道路の事で、『東山道』や、『東国街道』と呼ばれた。
 いずれにしてもこの辺りの一帯、群馬県の南東部は、古い歴史を持つ、
 源氏の血を引く、東国武士たちの発祥の地だ」



 「へぇ・・・・で、今走っているこの歴史の道は、どこへつづいていくの?」



 「この道は、前橋市の千代田五丁目を基点に、赤城山の山頂までを
 一直線に結んでいる、県道4号線だ。
 いま説明をした東国文化歴史街道のひとつで、赤城山の最高到達点までの22キロの山道を
 長い裾野に沿って、まったく一気に駆け上がる。
 赤城山は、きわめてなだらかな長いすそ野を引いていることで有名だが、
 この22キロの山道は途中で一度も下る事が無く、登るにつれて急勾配の道になり、
 連続するヘアピンカーブも現れてくるという、まったくの登り専門の山道だ。
 市街地から5分も走れば、赤城山のシンボルとされている赤城神社の真っ赤な大鳥居へ出る。
 そこから全開モードで3分も行くと、ラブホテルと蕎麦屋やうどん店などが見えてきて、
 中腹部に建物が密集をする、赤城山の南面では唯一ともいえる休憩地帯に入る。
 人家はもちろん飲食店や土産物屋も、このあたりまでで、道路はこの先から、
 手つかずの赤城の大自然の中に入る。
 自然保護で規制を受けている一帯なので、建物などは一切なくなる。
 現役の頃なら、最高到達地点の1400mまで、およそ15分もあれば駆け上がれた」



 「22キロの山道を、15分余りで駆け上る?・・・・
 いったいあなたは、何キロでこの山道を駆け登って行くの」



 「さぁね・・・・運転が忙しくて、速度をいちいち確認をする暇が無かった。
 おそらく平均時速で、80から90キロくらいは出ていただろう。
 30分も有れば、山頂と麓の往復が可能だった」


 「あきれた・・・・康平って、もともとは暴走族なの!



 「そう言う表現も有るが、
 俺はただ純粋に、バイクを走らせることが大好きだっただけの話さ。
 それも、一般車がほとんど通らない深夜に限っての走行だ。
 赤城山の南面を一気駆け上がっていくこの道路は、もともとは有料道路として整備をされた。
 当時から、きわめて路面のコンディションが良かったために、走り屋には人気があった。
 おまけに夜になると、山頂方面から下ってくる車などは皆無になるために、
 対向車を気にせずに、思い切り全力で駆け上がることができるという事から、ここは、
 県内でも、数少ない”走り屋”たちの聖地になった。
 かつては、バイク乗りたちの全力走行のメッカだったが、今は
 『ドリフト族』という4輪の、タイヤを滑らせて山道をかけ下る連中が、主役になったようだ。
 金曜日の夜になると、ギャラリ―たちがたくさん見物に集まってくるし、
 ドリフト族たちが、車のタイヤをきしませて、この道の急カーブを次々とかけ下ってくる。
 今も昔もこの道は、夜になると、若者たちによって暴走の舞台に変わるという場所だ」


 「康平は、もう、暴走はしないの?」



 「後部座席に、高価で、美人の台湾ワインを積んでいるだろう。
 おまけにこのワインときたら、油断をすると、時々俺にくってかかってくる・・・・
 どう考えても、この先では、安全運転に専念する他ないだろう」


 「うん。ワインの輸送には、くれぐれも気をつけて頂戴ね。もと、暴走族くん」





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からっ風と、繭の郷の子守唄(6)

2013-06-22 10:22:46 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(6)
群馬版ローマの休日と、インカム装置のハプニング」





 「王女様の方は、すっかりと準備が整ったようだぜ、康平。
 ほんとうに、昔に見た映画の『ローマの休日』みたいな展開になってきたなぁ・・・・
 ショートカットに変身をしたオードリーヘップバーンは、実にチャーミングだった!
 あの映画で、いっぺんに俺は、猛烈なオードリーのファンになっちまった。
 特に後ろに恋人の新聞記者を乗せて、ローマの市街地をスクーターで走るあのシーンは、
 斬新でなおかつ、衝撃的すぎるほど美しかった・・・・
 いまでもこの目に焼きついていて、鮮明に甦って来る名シーンのひとつだ。
 2人乗りのスク―タといえば、恋人たちのツーリングの定番だ。
 いい加減で覚悟を決めて、お前さんの今まで磨き込んできたドライビング・テクニックを
 存分に見せてやれよ。
 ここから見た限りでも、赤城山は、いまのところ全山が快晴だ」


 「ローマの休日は1953年に作られたアメリカ映画だから、
 たしか、もう60年も前の作品です。
 へぇ、そうなんだ・・・・店長の洋画好きの原点は、オードリーヘップバーンですか。
 たしかに映画の中では、小洒落たスクーターの二人乗りの場面が有りましたねぇ。
 ベスパという黄色いスクータのような気がしましたが・・・・」



 「ベスパ (Vespa) は、イタリアのオートバイメーカーの、ピアジオが製造してきた
 スクーターだ。、イタリア語で、『スズメバチ』のことを意味している。
 オードリーヘップバーンとグレゴリーペックが乗ったのは、ベスパの125CCのタイプだ。
 独特のデザインと、映画やドラマなんかでおおいに使用された事で、
 日本でも、けっこう高い人気を呼んだ。
 「ビンテージシリーズ」と呼ばれる、排気量が50cc~125ccの小型車種は、
 旧式化によりイタリア本国では、すでに製造が終了したというのに、
 日本国内の人気の高さから特別に、日本向け輸出製品として
 その再生産が開始されたほどだ」


 店長のスクータに関わる熱弁は、止まりそうにありません。
苦笑しながら運転席に収まった康平が、ハンドルに手をかけてからその熱弁中の店長を
下から見上げます。


 「250ccに乗るのは初めてです。
 なにか特別に、運転時に心がけおくことがありますか。店長」


 「そうだな。お前さんの腕なら何ひとつ、これといって心配はないだろう
 あえてアドバイスをするなら、コーナリングの時にちょっとした思いやりが必要だ。
 いつものように、頭から突っ込んでいくような激しい侵入角度ではなく、
 やさしく優雅に旋回することを心がけてくれ。
 例えて言うならば、グラスに注いだ水を、縁(ふち)に沿ってこぼさないようにしながら、
 常にくるりと柔らかく回わすようなイメージで走ってくれ・・・・ということくらいかな。
 大きめのワイングラスに、良質なワインを、70%くらいまで満たしてやる。
 それを後部座席に静かに置いてから、こぼさないようにゆったりと柔らかい操縦で
 迫り来る山道のカーブを、右に左に走り抜けていく・・・・
 それがこいつ、フォルツァの持ち味を生かした、上手い運転操作の方法さ」


 「あら。・・・・ということは、今の私は、
 台湾からやってきた、上等なワインということになるのかしら?」


 「おう。まさにお前さんは、後部座席に座る台湾からの最高級のワインそのものさ。
 康平。遠路はるばると、やってきてくれた大切なお客さんだ。
 乱暴な運転をして、不必要に後部座席のワインをこぼすんじゃないぞ。
 わかったら、もうそろそろ走り出してこい。快晴の赤城の山が呼んでるぜ。
 いいなぁ、若者は・・・・
 俺がもうあと20年も若ければ、今頃はもう、あの赤城の山の中を、
 可愛いお嬢さんを載せて、快適そのもののツーリングの真っ最中だったというのに・・・・
 惜しいなぁ。まったく、あっはっは」



 セルを回すと、ホンダ独得の4サイクルエンジンが静かに起動をします。
電気モーターに似た静寂なトルクが、心地よくシートを通じて全身に伝わってきます。
青いつなぎを着た店長が、ヘルメットの紐を締めている康平に向かって、ビッグスクーターの
性能上の留意点について、あらためての説明を付け加えています。



 「康平。いまどきのビッグスクーターは、その人気ぶりに後押しをされて、
 メ―カごとに、実に驚くべきスピードで高機能化と快適性が進化をしている。
 こいつのシフトモードは、通常走行用のD。スポーツ向けのS。7速マニュアル。
 それから、スロットル操作に合わせて、自動でシフトチェンジが行われる
 オートシフトモードというやつが、装備されている。
 それぞれの状況に応じて、いつでも自分好みの走りが、選択できると言う訳だ。
 市街地ならDで充分だろうが、山道や郊外ならスポーツモードのSがお薦めになる。
 乗り出す前の、事前の説明はその程度で充分だろう。
 お前さんの腕があれば、あとは走っているうちにだんだんと体で理解をすることだろう。
 さてと・・・・それでは本日、後部座席にお座りの、すこぶる上質で
 上等な台湾からのワインさん。
 運転中は、なるべく運転手さんと密着をするような身体の姿勢を取るようにしてください。
 街中なら普通に楽な体勢のまま離れて座っていても、何の問題もありませんが、
 山道に入った時からは、少々、後部座席からの応援なども必要となります。
 康平は生まれながらの山育ちなもので、山道に入った瞬間から、
 めっぽうスピードが速くなるという、あきれた性癖などを持っています。
 スクーターと運転をする者、さらに後部座席に乗る同乗者が一体化したときに、
 初めてビッグスクーターというやつは、本来のツーリング時の快感が得られるように
 最初から、設計をされているのです。
 じゃあな康平。お嬢さんをしっかり守ってやりながらあくまでも慎重に行けよ。
 俺はゆっくりと昼寝でもするから、気をつけてな。
 お似合いのお二人さん」



 ポンポンと康平のヘルメットを叩いてから、店長がバイクショップの中へ消えて行きます。
ライダーと同乗者の腰をしっかりと包み込みこんで、快適な座り心地を実現している
バケットタイプのシートは、安定感に優れ、また地面に足を着く時のための高さになども、
充分すぎるほどの考慮がなされています。


(なるほど。足を着くための配慮も充分だ。高からず低からずの丁度良いシートだ)



 康平が軽くスロットルを開けると、フォルツァがスムーズに反応をします。
滑るように走りはじめたビッグスクーターは、さすがと思われる加速性能をその内部に秘めながら
スムーズな回転のままに、苦もなく中低速域を越えそのまま60キロの
巡航速度へと、いつのまにか到達をしてしまいます。



 あっというまにバイクショップの店先を離れ、路地を一つ曲がった瞬間に、
二人乗りのビッグスクータは、前橋市街の中心部へと踊り出ます。
軽いクッションで歩行者用の舗道を越えたあと、北へと進路を取った康平が乗り入れた道は
両側に樹齢を誇るケヤキの木が植えられた、千代田五丁目付近を走る二車線の道路です。
目の前に現れた坂下のバス停は、赤城山の山麓を走る上毛鉄道の中央前橋駅と、
群馬県と栃木県を接続するJR前橋駅を結んで走っているシャトルバスの、
数少ない停留所のひとつです。



 ポンポンと、後部座席から貞園が康平のヘルメットを叩いてきました。
後部座席から貞園が何かを問いかけているようですが、康平のフルフェイスタイプの
ヘルメットでは、その肉声を聞きとる事が出来ません。
スピードメーターと回転計が並んだ運転席の設備の中に、純正のオーディオ機器が
組み込まれていて、そのすぐ横には、携帯電話の受信装置も取り付けられています。
さらにナビの液晶画面が組み込まれている部分に、『会話用』と走り書きのある、
小さな赤いスイッチなども見えています。


 (もしかしたらこいつで、会話ができるかな・・・)と、康平がそのスイッチをオンにします。
インカム装置(会話ができる小型の内部伝達装置)が組み込まれている康平のヘルメットが、
いきなりの反応を見せ、大音響ともいえる貞園の肉声が、これでもかとばかりに
突如として内部で強烈にさく裂をします。
「あっ、」と、康平が驚きの声をあげてしまった次の瞬間、今度は後部座席の貞園が
ヘルメットの耳の部分を両手で抑えたまま、こちらも、そのまま悶絶をしてしまいます・・・・





 
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からっ風と、繭の郷の子守唄(5)

2013-06-21 10:33:20 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(5)
「赤城の長い裾野と、フォルツァ(FORZA)というスクーター」




 朔太郎の橋を渡り、柳が続く左岸の遊歩道を5分ほど上流へ向かって歩くと
康平がいつも愛車を置いている、2輪ショップの裏手へ出ます。
「ウナギの寝床だよ」と悪口を叩きながら康平が先に立ち、人ひとりがようやく行ける
狭い路地道をジグザグに進むと突然、たくさんの2輪車が並ぶショップの表通りに出ます。
一番手前に康平の愛車、赤とシルバー色に輝くヤマハのシグナスXが置いてあります。


 「あら、これが康平のスクーター。
 とてもお洒落れで、可愛い雰囲気のスクーターですねぇ。
 それにしても・・・・台湾でよく見かけるスクーターの形にもそっくりです」


 「よお、康平。
 あれ、珍しいことがあるもんだ。
 康平が女連れで顔を見せるとなあ、・・・・こんにちは、お嬢さん。
 それにしても、そんな海外向けのこまかい情報を良く知っているねぇ。
 これはもともと、東南アジアと欧州用に開発をされたヤマハの戦略用のモデルだよ。
 高機種は売れないと言われている台湾でも、最近になってから良く売れているそうだ。
 ということは、もしかしたら君は、台湾の人かい?」



 ショップの奥からパイプをくわえて登場をした、青い作業着姿の店長が、
スタイルの良い貞園の様子を見て、思わずにんまりと目を細めています。


 「はい。美術系の留学生で、日本へやって来てようやく1年が経ちました。
 母の家系に、日系の人が何人も居ますので、小さいころから日本語を耳で覚えました。
 もっとも、台湾は1945年までは、日本の領地でしたから、
 私の周りでも日本語を話せるお年寄りたちは、まだまだたくさん残っています」



 「なるほどね。どうりで日本語が滑らかな訳だ。
 康平が乗っているこいつ、ヤマハの125CCのシグナスXは、
 最近になって国内でも人気が出てきたために、逆輸入がされているスクーターだ。
 座席の下の収納スペースが60リットル近くも有って、ヘルメットなら2個が収納できる。
 ちょっとした外出や用足しには便利だし、二人乗りでも充分なパワーが有る。
 でも、ちょっとした遠出やツーリングなら、やっぱりお薦めは、
 こっちのスーパーースクーターの、250CCタイプだね。
 丁度、整備を終えたばかりのこいつなら、快適そのものでの山道での走りも楽しめる。
 お嬢ちゃん、こいつで康平と赤城山へ、ツーリングに行っておいで。
 お天気は上々だし・・・・
 ほら。あんたには、この可愛いピンク色のヘルメットを貸してあげよう」



 店長がピンクのヘルメットを貞園へ手渡すと、
康平には『ほらよ』と言いながら、フォルツァ(FORZA)の鍵を投げ渡します。
フォルツァ(FORZA)は、オートバイメ―カーとして、世界に名をしられる本田技研工業が
ヤマハやスズキに対抗して、2000年の3月から製造販売をはじめた250ccのタイプで、
4ストロークのエンジンを搭載したビッグスクーターと呼ばれている2輪車です。

 「店長。話が一気に飛躍をしすぎです。
 夏野菜の買出しのついでに、その辺りを案内するとは言いましたが、
 赤城山までのツーリングへ連れて行くなどと言う約束は、まだしていません。
 たしかに、発売されたばかりのこいつの走りには興味がありますが、
 俺にも用事がたくさんあるし、貞園にも、そんな暇はないだろうと思います」



 「あら、康平。
 あたしなら全然平気よ。充分に暇を持ち合わせているもの。
 なんならいいわよ。今日はこのまま前橋に泊まっても」



 「ほら見ろ、康平。
 このお嬢さんもすっかりと、きわめてセクシーなスタイルを持つ
 このフォルツァ(FORZA)に、興味がクギつけのようだ。
 お前の腕なら、赤城山までの20キロの登り坂も30分も有れば攻略できる。
 天気はいいし、たまには後ろに美人を乗せてツーリングをするのも最高だぞ。
 俺がもっと若ければ、有無を言わずこの子を後ろに乗せて、
 もうとっくの昔に走りだしている頃だ」


 「私は、店長の運転でも全然かまいません。
 行ってみたいなぁ・・・その赤城山までのツーリングとやらに!」



 「おう。いいぞ。格別だ。今時期の赤城山の山道は最高だ。
 白樺林に囲まれた1200mの山頂にある湖、大沼は実に広大でとにかく綺麗だ。
 もうひとつの小沼という火口湖は、コバルトブレ―の神秘的な水をたたえる湖だ。
 それにな。格別の夏の味覚がこの時期にだけ、ここの街道に登場をする。
 それがこの時期にだけ採れる、高原物の焼きトウモロコシの売店だ。
 なにしろ採りたての高原ものは、甘くて柔らかいうえに、
 焼いたときの醤油の焦げた香りがなんともいえずに、香ばしい・・・・
 とにかく旨いぞ。遠慮しないで、康平に焼きトウモロコシを
 腹一杯になるまで買ってもらえ!あっはは」



 「わぁ~、ますますもって素敵。
 すぐそこに見えている赤城の山って、魅力が満載の山なのね。
 ねぇねぇ、行こうよ。康平。
 見たいし、食べたいし、乗ってみたいわよ、ビッグスク―タに!」


 そう言いつつ、すでに貞園はフォルツァ(FORZA)の後部席へすっぽりと収まっています。
スクーターの座席は一体式で、後部座席はお尻をホールドするためのゆるやかな曲線を持ち、
座った位置が一段階、運転席よりも高くなり、良好な前方視界が確保できるのが特徴です。




 「わぁ~。ちょっと腰を下ろしてみただけでも、居住性は抜群だわ。
 お尻がすっぽり包まれているみたいで、手を離しても倒れないような安定感が有る。
 125CCと違って、ホイルベースの長いこの手のタイプは、座り心地までまったく違うのね。
 ねぇねぇ康平。早く走ろうよ。
 私も、こいつ(フォルツァ)も、さっきからワクワクしながら
 あなたが乗るのを、今か今かと待っているのよ』


 「そうさ、最高だろう。こいつの後部座席の座り心地は」


 パイプをくわえた店長が、笑顔で貞園に語りかけています。
すでにヘルメットの紐をしっかりと締め切った貞園も、店長に向かって
『はい。とても素敵です!』と上機嫌で、同意の笑顔を返しています。





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