読書案内「JR上野駅公園口」 柳 美里著
③妻や子を失い、故郷を捨てた……
②を書いて(202011.29)からだいぶ時間が立ってしまったので、
ここで、②を再掲して③を進めたい。
②再掲
「おめえはつくづく運がねぇどなあ」、浩一が死んだときお袋が言った言葉をかみしめ、 それは、浩一と妻が、 またしても、雨の朝、 〈突然いなくなって、すみません。おじいさんは東京へ行きます。 今度は、誰のために働くのでもなく、
家族のためにひたすら働き続け、 『成りたくてホームレスになったものなんかいない。この公園で暮らしている大半は、もう誰かのために稼ぐ必要のない者だ』 東日本大震災、津波が人を押し流し、 最愛の孫・麻里はどうしたか。 「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、
カズは福島から常磐線で上京し、帰郷し再び常磐線で「JR上野駅公園口」にたどり着いた。 |
③ 妻や子を失い故郷を捨てた
息子を失い、妻を失ったカズのところに、孫娘が訪れ身の回りの世話をしてくれるようになった。
カズは自分がいることで、孫娘に迷惑をかけることを怖れ、故郷フクシマを離れ、JR上野駅公園口
に戻って来たのだ。この駅は、カズが出稼ぎのために上京し、最初の出発点となった駅だ。
70歳を過ぎたカズが再び降りた駅には、未来に続く線路はなかった。
カズに残された最後に残った選択肢は、ホームレスだった。
耳かきいっぱいの幸せすらつかめなかったカズの人生。
孫娘はどうしたか。
という記述(緑の文字)で、その後の孫娘のことを紹介しなかった。
ネタバレになるとは言え小説の最期の部分を紹介しないで、
ブログを終わりにしてしまったことは、
作者に失礼なことではないかと、後悔し再び③として記述することにしました。
小説の最終章は、2011.3.11。 東日本大震災の起こった日である。
「津波来っど!」「逃げろ!」
孫娘の麻里は愛犬を車に乗せ、国道6号線に向かった。
津波の黒い波が麻里の車を呑み込んだ。
さらに、引き波に持って行かれ、孫娘と二匹の犬を載せた車は海中に沈んだ。
水の重さを背負った闇のなかから、あの音が聞こえてきた。
プォォォン、ゴォー、ゴトゴト、ゴトゴトゴト、ゴト、ゴト……
…(略)…ゆらゆらとプラットホーム浮かび上がった。
「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線までお下がり
ください」
小説はここで唐突に終わってしまう。作者は何故にここまでカズの人生に、
不幸で救われない非情の鞭(むち)を振るったのだろうか。
家族のために、妻のために、子どもたちのために、JR上野駅公園口に下り立ち、
2番線の山手線に乗り換えたカズにとって、
この駅のこのホームは希望の出発点になるべき駅であったはずだ。
だが70歳を過ぎて、舞い戻って来たこの駅は夢のない終着駅なってしまった。
にもかかわらず、プラットホームから流れてくるアナウンスは、
カズが行こうとして果たせなかった、麻里が叶えられなかった幸せへの切符を
手に入れる窓口として今日もたくさんの人々を運んでいるのかもしれない。
無常感の漂う物語ではあるが、好きな小説のひとつである。
人生は深い濃霧の中を進んで行くようなもので、
希望の光を見つけられるのか、霧の底に沈んで方向を見失ってしまうのか、
歩んで行かなければ誰にもわからない。
(2021.2.5記) (読書案内№166)
「一言、、泣きました」という言葉にkiyasumeさんのすべてが語られていると思い、なかなかこの欄に返信することができませんでした。
「ままならないのが人生」ですね。
しかし、時の流れは、嫌なことも悲しいことも徐々に辛い記憶は忘却の彼方に押しやってくれます。
それでも、心に残ったしこりや悔しさは容易に消えてはくれません。
「人をうらむ」事ではなく、「許す」こと方が時間はかかりますが、肝要かと思います。
この二つは人の生き方に関する問題ですが、前者は
人の心を狭く余裕のない環境に追いこみ、後者は人の心をやさしく、豊かにします。
私たちは「方丈記」の吉田兼好のように、人生の達人になることはなかなかできませんが、努力を重ねることはできると思います。
春一番が訪れたというのに、まだ寒く冷たい風が吹く日が多いかと思います。
健康に留意し、自分を慈しみください。
一言、、
泣きました。
世の中は無情です。
そして私は今、その中に居ます。
小説だとは思えません。