「逝きて還らぬ人」を詠う ⑧
傘持って行きなさいよと亡き妻の……
『大切な人が逝ってしまう。 |
5人兄弟のすぐ上の姉がなくなった。89歳。
眠るように静かに人生の幕を下ろした。
童女のような笑顔が忘れられない。
父も母も兄弟たちもみんな逝ってしまった。
最後の一人になった末っ子の私。
早世の部下の通夜より帰り来し夫は静かに杯重ねリ
…… 斎藤紀子 朝日歌壇2020.02.23
信頼して仕事を託し一緒に目標に向かって歩んできた部下が逝ってしまった。
たくさんの思い出と一緒にあいつが逝ってしまった。
迫りくる寂寥感を酒と一緒に胸の奥深くに飲み込む。
傘持って行きなさいよと亡き妻の声聞く様な午後の外出
……井村おさむ 朝日歌壇2020.03.08
今にも降ってきそうな空模様。こんな時はいつも「傘持って行きなさいよ」と、妻の一言が
背中を押してくれる。今日もそうだ。玄関に立ち空の向こうを眺めながら、
背中から降ってくるあの声を待っている私がいる。
吾亦紅野薊(われもこうのあざみ)野菊野の花で棺を満たして亡妻(つま)送りたり
…… 加藤宜立 朝日歌壇2019.3.17
美しさを競うような花ではなく、野の花を摘んで小さな一輪挿しに挿す。
玄関や居間のテーブルの上、電話の脇にも野の花がいつもあった。
一輪挿しの素朴さのなかで、野の花がひっそりと息づいていた。
今日は、野の妻の好きだった野の花の野辺送りだ。花に埋もれて妻は野辺の花の一輪となった。
なき妻をさびしがらせずひな飾る
…… 小倉克(かつ)允(まさ) 朝日俳壇2019.3.10
妻の嫁入り道具。少し色あせた古いお雛様。
在りし日の妻をしのびながら、お雛様を飾る。
いくたびも雪の深さを聞きし母逝きてしずけしふる里の雪
…… 沼沢 修 朝日歌壇2019.1.20
「雪は降っているかい」。病床の床に横たわり、何度もなんども繰り返される母との会話。
母は届かぬ所へ行ってしまったけれど、深い雪の重さの中には、母の生活の匂いがこもっている。
しんしんと降り続く雪を見つめ、母との思い出を反芻する。
母逝きてしみじみ想う吹雪く夜の納豆汁の手づくりの味
…… 沼沢 修 朝日歌壇2019.2.24
納豆汁の温かさがしみじみと迫ってくる。吹雪の夜は特に母の元気な時の様々のことが思い出される。
失ってみて初めて分かる母の味であり、温もりである。「吹雪の夜」と「納豆汁」の対比が
母への思い出につながる場景描写が好きです。
(人生を謳う) (2023.02.17記)
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